松尾匡『「はだかの王様」の経済学』

 ところで、マルクス経済学は「労働価値説」だってよく言われますよね。普通、「労働価値説」って言ったら、商品の価格を決めるのは、その商品を生産するのにかかった労働の量だという説をイメージします。
たしかに『資本論』は冒頭から労働価値説を前提にして議論していまして、商品を生産するのにかかった労働の量に比例した割合で、商品が物々交換される事態から話を始めて、貨幣が出てくるまでを分析しています。
でも、今どき、商品の交換割合である価格が、その商品を生産するためにかかる労働の量に比例するなんてことを言ったら、経済学会ではまず相手にされません。地動説を今さら唱えるのと同じレベルのトンデモな議論になります。
 じゃあマルクスの経済学は今日なんの意味も持たないトンデモ論なのかというと、そうではないというのが私の見方です。
よく読んでみると明らかなのですが、この部分でのマルクスの強調点は、商品価格がその生産のための投下労働量に比例して決まるということではありません。逆なのです。
商品の交換割合である価格は、その生産にかかった投下労働量からズレてしまうということこそが『資本論』のこの部分で本当に言いたいことなのです。