ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
いまさら聞くのが恥ずかしいことや、くだらねえ質問は何でも聞け!!
知ってたら答えるし、知らんかったら知らんと書く!!
質問する奴も答える奴も、シングルだろうがプロだろうが
初心者だろうがなんでもヨシ!!
くだらねえスレたてるくらいならここに書け!!
【掟】
★出された質問は残さず答える
★回答者は本人が基本でよし。間違いは他の者が指摘する
★哲板だからやや鈍い勢いってことを理解する←ここ重要
★質問者は回答が無い場合は催促する。ageて質問する
★次スレは建てたい奴が適当にやれ。 後は1000取り合戦を勝手にな!
前スレ
ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1575423742/ それが虚構であるとされるか、仮想であるとされるか、
自然であるとされるかにかかわらず、経験がその反映でない
ような世界はあり得るのか? 「その」はどっちに掛かるんでしょうか
経験に反映されてないのに「どうだ世界だ」なんてことあるのか、という意味でしょうか 917 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2019/12/19(木) 15:29:11.75 0
人間存在はいつから始まったのかよく知らないが、長い宇宙史や生命史の
スパンから考えれば、このように人類が存在することはそれ程、自明でなく、
ある意味、偶然の突然変異の産物に過ぎないのかもしれない。
ならば、新たな突然変異の形態として、エネルギーや資源を過剰に消費する
強欲な人間を低エネルギー仕様のAIへと置き換え続けるような作業を
延々と遂行いていく思考実験をしてみたらどうか。そこにどんな新たな世界が
開示されるのだろうか。それは、ポスト・ヒューマンと呼ばれる人間不在の
汚染物質のない地球と宇宙になるだろう。
人間社会の歴史に根強く残る差別と格差、不条理、忖度、既得権益、
世襲、搾取、桜の会、不公平と不平等をゼロベースで考えていくにあたって、
こうしたタブラ・ラサとなるような思考実験はあながち無意味だとは言えまい。
918 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2019/12/19(木) 15:29:32.42 0
このようにAIという異種の記号をシミュレーション上で使って、人間中心主義的となりがちな
狭い人間の視点を脱コード化し、AI視点の新たな宇宙へと転写していく。
人類が有する欠落、欠陥、不毛をAIという新たな高位の記号レイヤーを用いて、補完する。
メタ認知としてのAI。
919 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2019/12/19(木) 15:44:58.81 0
人間中心の従来のモデル視点から「地球や宇宙、AI」を中心にした
新たなモデル視点への転写。
これを極限まで展開していくと、そこにラディカルな「人類不要論」の
ようなものが要請されてくるだろう。こうした人間や人類を無化する
思考の運動こそが、逆説的に人間の独我論的な在り方や惰性・慣習的な思考停止
にメスを入れて、既存の破綻しつつあるコードを新しく脱コード化できる余地
が生まれてくる。 さんざん人間専用の現実論だった哲学。相対論も量子論もいじめられた、
みたいには思いますよ、正直 >>6
現実論じゃないよ、非現実論にたどり着けないそれは哲学の学習であっても、
哲学者ではない。
「ほんとうにそうかな?」「はたしてそうだろうか」という姿勢すらしらない貴方に言っても
しかたがないかもしれないが。 勝ち負けでなく、どのような契約を結ぶかとかんがえたらよいよ。 ところでおまえら、森田療法やら電気ショック療法やらが
まかり通っていた団塊世代ならまだしも、今の平和な日本で
おまえらの文脈読解力、論理力テストの点数って大丈夫な状態? 吉永良正さん
「複雑系とは世界を見ることを考え直すこと」
952 考える名無しさん[sage] 投稿日:2019/12/20(金) 14:18:52.98 0
京大の、理学部数学科と文学部哲学科の両方を出た人が書いた複雑系の本
同著者の不完全性定理の本と比べて歯切れがいまいち。複雑系にはよっぽど何かある
ともかくは自然を記述する数学らしい。理論上はあなた自身をも記述するはずだから、
というのが歯切れの悪さの理由だと想像。そりゃ哲学的にもブレイクスルーなはず
野の百合、空の鳥。おかしいのは人間の方なのかもしれない 日本人問題を踏まえずに人間について語ることはできないと何回言えばわかるんだ 無限は人の認識の限界。
人が認識できない向こう側ではなく、
人が世界を認識方式の限界。
たとえば丸いものを四角い紙で包むときにできるシワ。
あめ玉のねじり部分ですね。 便乗質問ですけど無限に「強弱」があることは哲学界隈でも常識ですか 専門分野は専門家に任せるというのが今の哲学の姿勢
それとは別に無限に強弱があるっていうのは普通に調べればすぐに出てくる事 >>15
限界があるのなら無限ではないのではないですか 無限を正確に人間の認識と処理能力で捉えることは出来ない
しかしそれは無限じゃなくとも同じこと
天文学的に大きな数字の計算を人間は計算できないが認識できる
円周率だって数字で把握できないが関数としては認識できる
そういうこと >>18
ものの限界ではなく人間の認識方式の限界。 人間の思考による抽象化ってのはそういうもの
正確で詳細なものとしては捉えられなくとも概念として捉えて扱える >>19
そう。
数字による認識方式と、記号による認識方式の違い。
四角い紙で丸い雨は無限なく包めない。
しかし四角いゴム製のシートなら無限はかなり減らせる。 おそらく人間の認識の外の話をしたいなら、
それは無限でない。
人には認識できないからなにも言えない。
無限は人間の認識方式の限界に現れるシワ。 無限に強弱があろうが、赤白があろうが、
紙で包むか、ゴムで包むか、オブラートで包むかの違い。
と、哲学ではかんがえます。 >>20
「無限は人の認識の限界」ということは例えば人間の認識の限界が100だとしたらその100を無限だとおっしゃっているわけですよね
100で頭打ちするのなら無限ではないのだから人間は無限を認識できないということになりますよね
ということは「無限は人の認識の限界」という定義においては無限は人間が認識できるものとして捉えられていますので「無限は人の認識の限界」は間違っているのではないでしょうか >>25
例えば人間の認識の限界がサメだとしたらどうですか? >>26
「人間の認識の限界がサメだとしたら」は「無限は人の認識の限界」か「人間の認識の限界が100だとしたら」かどちらに対するものですか 「無限は人の認識の限界」ということは例えば人間の認識の限界がサメだとしたら >>28
「無限は人の認識の限界」ということは例えば人間の認識の限界がサメだとしたらそのサメを無限だとおっしゃっているわけですよね
サメで頭打ちするのなら無限ではないのだから人間は無限を認識できないということになりますよね
ということは「無限は人の認識の限界」という定義においては無限は人間が認識できるものとして捉えられていますので「無限は人の認識の限界」は間違っているのではないでしょうか
無限=100とするか無限=サメとするかの違いであって無限の捉え方に対する矛盾は相変わらずだと思います >>30
サメという言葉を限界という意味で用いたらどうなるかとあなたがおっしゃったわけですよね >>31
サメが頭打ちすると言ったのそっちですよ。 >>32
「サメが頭打ちする」とも「サメは頭打ちする」とも言っていません
「サメで頭打ちする」と言いました
サメという言葉を限界という意味で用いたら「サメで頭打ち」しますよね >>25
サメで頭打ちするとはどういうことですか? 頭打ちというのは量に使う言葉だと思います。
サメで頭打ちする?おかしくないですか? >>34
人間の認識が「サメ」という限界に突き当たるということです >>35
あなたは「サメ」という言葉をどういう意味で用いていますか? >>35
サメという言葉を限界という意味で用いたらどうなるかとあなたがおっしゃったのにどうしたのですか >>37
サメに特にいまはありません。
焼き芋でも三島由紀夫でも良いです。
「無限は人の認識の限界」ということは例えば人間の認識の限界が100だとしたら、と、
100という意味のない言葉だったのでサメでもいいかなと。 もしかして限界とは量的なものと勘違いしてたりしません? >>39
「特にいまはありません」というのは意味不明ですので説明してください
それはそれとして「人間の認識の限界が100だとしたら」の「100」に対する「サメ」であるなら「100」も「サメ」も「人間の認識の限界」を意味しますよね >>41
サメに特に意味はありません。
焼き芋でも三島由紀夫でも良いです。
>「無限は人の認識の限界」ということは例えば人間の認識の限界が100だとしたら、
100という意味のない言葉だったのでサメでもいいかなと。
まさかもしかして限界とは量的なものだけと勘違いしてたりしません? >>42
あなたは「限界」をどういう意味で用いていますか >>42
「サメに特に意味はありません。
焼き芋でも三島由紀夫でも良い」
のであれば「100」ではいけない理由は何ですか 矛盾を指摘されたら意味不明でどうでもいいこと言ってごまかそうとするみそけんのいつものパターン
ワンパターンでつまらない
みそけんの限界 >>42
「頭打ち」の意味を調べましたが「物事が限界に達すること」とあったので間違ってはいないと思いますが 頭悪いというか頭の固いやつだなw
抽象化とか概念とかの意味すら理解できていないのがわかる
哀れな子ザル
無限の前に知らなきゃならない日本語がある 「無限は人の認識の限界」とあなたがおっしゃったということが重要な前提ですね >>43
げん‐かい【限界】
物事の、これ以上あるいはこれより外には出られないというぎりぎりの範囲、境。限り。
「広葉樹分布の北の限界」「能力の限界を知る」「体力の限界に挑戦する」
無限は数量認識方式の限界から生まれます。
100と数量認識方式でたとえるのはルール違反ですよね。 土曜日の晩ですよ。
まあ気楽にたまにはこんな感じも悪くないと思いますよ。 >>50
「無限は人の認識の限界」とあなたがおっしゃったのですよ
つまり無限は限界があるものだとあなたがおっしゃったのですよ
私は「無限」についても「限界」についても語っていません
あくまであなたの矛盾を指摘しているだけです プラスの無限大とマイナスの無限大を区別する必要はあったりしないんでしょうか >>53
無限は人間の認識である数量認識方式の限界から生まれますと言ってるのに、
100と人間の認識である数量認識方式でたとえるのは、引っかけ問題ですよね。
悪質ですね。 >>55
「無限は人間の認識である数量認識方式の限界から生まれますと言って」ないですよね
何番のレスで言ったのですか
あなたが言ったのは「無限は人の認識の限界」であって「無限が人間の認識の限界から生まれる」ではありません >>23において無限を人間が認識できるものと述べていますよね
人間の認識の外は無限ではないと >>56
無限は人間の認識の限界について、
100という人間の認識でたとえるのは、引っかけ問題ですよね。
悪質すぎませんか。
人としてどうなんでしょうか。 >>57
また引っかけですか?
23 みそけん ◆CMF.YwtoAw[] 2019/12/21(土) 18:23:38.89 ID:0
おそらく人間の認識の外の話をしたいなら、
それは無限でない。
人には認識できないからなにも言えない。
無限は人間の認識方式の限界に現れるシワ。 >>58
限界という言葉を>>50のとおりで使うのなら「無限は人の認識の限界」という場合「無限」は「人の認識の内」にあることになりますよね
「無限」は「限界」なわけですから
何が悪質なのでしょうか
「悪質」をどういう意味で用いているのでしょうか
また何が「引っかけ」なのでしょうか
「引っかけ」をどういう意味で用いてるのでしょうか
そもそも無限と限界を巡るあなたの定義における矛盾をどう説明するのでしょうか >>60
人間の認識の外か内かしかないという仮定の下では認識の外のものは無限でないのなら無限は認識の内のものになるではないですか >>61
悪意はない。
知識がなかったでだけで逃げるつもりですか?
数学の限界を語るのに数学で語ってはだめなわけです。
限界とは中でも外でもない境界です。
境界を中から語るのは限界があるわけです。
さすがに知らなかったと言わせませんよ。 限界というと量に短絡してしまうんでしょうね。
でも「人間の認識の限界」の限界を数量化で例えるのは、
人間の認識以前の限界を感じてしまいます。 数量化すると必ず無限という矛盾が生まれます。
無限を語るときは数量化の向こうで語らないといけない。
ゼノンのパラドクス
哲学の基本ですね。 認識が風呂敷みたいに何かを入れているわけでなく、世界内、世界外ということが問題になる。 世界の外にあるものは認識できるかどうかわからない、だから無限のすべては認識できないだろう。 人の認識はすべていつも無限とともにあります。
だからAIはできなかったわけですね。
なにをするにもそこに無限があり、計算が無限ループに入ってフリーズする。
人はそれをいい加減、面倒くさい、退屈、おしっこ漏れるで、フリーズをやり過ごしています。
ディープラーニングはそれを取り入れることでいまAIが可能になったわけです。 無限の強弱ってせいぜいそんな話です
∞ー∞
二つの無限のどちらが強いかでプラスの無限になったりマイナスの無限になったり、
あるいは本当に等しくて0になる場合もある 世界の外では人間は存在できず生きられない。だから有限というのが真理になる。 無限はやせ細りエラーになるだろう。有限の命を更新して永い未来をあがめることだ。 >>63>>64
無限と限界を巡るあなたの定義における矛盾が問題になっているのに「限界」だけについて一生懸命語っても無駄ですよ
例えば>>50にある「広葉樹分布の北の限界」を「無限は人の認識の限界」に沿う文にすると「ここは広葉樹分布の北の限界」となりますよね
「ここ」ではなくても特定の地名でもいいわけですがそれはともかく
この場合「ここ」には広葉樹がはえているわけですよね
つまり「ここ」は「広葉樹の植生域内」だということです
同様に「無限」は「人の認識の内」にあることになりますよね
しかし「無限」とは「限りがない」ものですよね
どうして「限りがない」ものを「人間の認識の内」にあると言えるのでしょうか
もし「人間の認識の内」にあるとすると新たな矛盾が生じます
つまり>>23において「人間の認識の外」が想定されていることから「無限」をこえるものがあるということになります 無限はある時間規則から遅れている。一方有限は時間をはやめるだろう。 >>67
あなたが言ったのは「無限は人の認識の限界」であって「無限が人間の認識の限界から生まれる」ではないですよね >>76
「定義」という言葉の意味を聞いているのですか
それとも>>75中の「あなたの定義」が何かを聞いているのですか 2つ目の無限トリックですな。
面倒くさいので、ネタばらしからしましょう。
定義は特定できませんよ。定義の解釈は無限だからです。
定義は?定義は?
その程度でボクに勝つつもりですか。 さっきも言いましたが私は「無限」についても「限界」についても語っていません
あくまであなたの矛盾を指摘しているだけです >>80
定義は特定できないのであればどうして>>76で「定義とはなんですか?」と質問したのですか 一人盛り上がってるところ悪いですが、
そんな中二病的なトリックはそろそろやめて、本質の議論をしましょう。 >>83
私は「無限」についても「限界」についても自分の意見を持っていません
持っていれば>>14のような質問なんてしません
私はただあなたの矛盾を指摘しているだけです 素直に負けを認めなさい。
往生際の悪さが取り柄ですか? >>87
意味がわかりません
あなたは御自身の矛盾を認めてください >>85
無限は人の認識の限界。
人が認識できない向こう側ではなく、
人が世界を認識方式の限界。
たとえば丸いものを四角い紙で包むときにできるシワ。
あめ玉のねじり部分ですね。
すこしはわかりましたか? >>89
あなたの言っている「無限は人の認識の限界」であるという定義が矛盾しているということしかわかりません >>90
私は復讐されるのですか
矛盾を指摘したことをそんなに恨んでいるのですか 定義、意味の明確化は必ず無限に陥ります。
ボクは無限はひ人の数量化による認識方式の限界と言いましたが、
さらにいえば言語認識の限界でもあります。
言語に対する意味の厳格化は必ず無限後退に陥ります。 哲学的には、
数量化の無限後退は、ゼノンのパラドクス
言語意味の無限後退は、ウィトゲンシュタインのパラドクスで、有名です。 >>93
自説はもう結構なので御自身の矛盾を認めてください >>95
なにがどう矛盾なんでしょうか
明確に説明してください。 >>98
あなたの限界の理解がこれではわかりにくいですね。
もう少し明確に説明してもらえますか? >>99
「限界」はあなたの定義に沿っています>>50 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています