ポパー、ハイエク、シュンペーター等オーストリアン
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八木紀一郎のオーストリア学派の研究はこのスレにおいて必読
森元孝のハイエク本も興味深い オーストリア・ハンガリー帝国だったことも鑑みると、
ジョルジュ・ルカーチなども入ってくるかも知れないが、
最近のウィキペディアではハンガリー的語順で
ルカーチ・ジョルジュとも表記されるようになった。 松原隆一郎の『ケインズとハイエク』は
間宮陽介の『ケインズとハイエク』よりも読む人を選ぶな。 シュンペーターの『租税国家の危機』ってウェーバーの職業としての〜〜と同じくらい
岩波文庫で薄い本だけど、
多分重要なんだろうな。多分。 ハイエクの解釈は研究者によってかなり差があるが、
それはハイエクがあちこちでいろんなことについて書いたり言ったりしたことによるものであって、
悪文だからだということではないように思う。 大陸合理論/イギリス合理論と言うように西欧哲学は区分けされるけれども、
オーストリアンであるヴィトゲンシュタインはどのように位置づけされるのだろうか。 まあ、前者の流れを汲んでイギリスに渡ったということでとりあえずはいいかな。 エドムント・フッサールはオーストリアを代表する現象学者だが、
彼の著作(日本語訳)で一番本屋の店頭で入手しやすいのは
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』だと思うが、
一番安価にネットで手に入れやすいのは『厳密な学としての哲学』だろう。 田中 僕の入院中に光文社古典新訳文庫から、英国の政治家で文筆家だった
エドマンド・バークの『フランス革命についての省察』が出たけど、
人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など
必要としなくなるような賢明な政治を実現するのがW政事屋Wならぬ政治家の
仕事なんだよね、本来は。彼の著書は1789年のバスティーユ襲撃の翌年に
出版され、一時の熱狂はジャコバン派の恐怖政治やナポレオン・ボナパルトの
独裁政治のような状況を生み出しかねないと危惧してる。
浅田 その延長線上で20世紀の保守主義を代表するのはカール・ポパーで、
左翼が社会全体をつくり直すというのは理性の傲慢だ、
社会全体を上から見通すことはできないんで、
これまで機能してきた伝統を保守しつつ、
問題があれば部分的に修正していくほうがいい、と。
それは彼の科学哲学にも通じてて、完全な実証は不可能だ、
科学の命題とは反証可能だがまだ反証されていない命題であり、
それが反証されてより精度の高い命題に置き換えられるのが進歩だ、と。
言い換えれば、無謬性に固執するのは保守ならぬ反動であり、
科学ならぬ宗教である、と。その意味で、安全神話に固執する
「原子力村」も、国立感染症研究所を核とする「感染症村」も、大問題だよ。
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