真であることを論証する二つ目の方法は、
偽であると仮定して矛盾を導くこと
一方で疑うことでは真を得られないが、
疑い得ないものの背後に(ちょうど月食のように)
真を見つけることは入れ子のように関係している?

真であることの一つ目の論証は、真であることは真であると言及するトートロジーだが、
信じる自分は信じているのだから、トートロジーと背理法は非対称で、
これは信疑にも当てはまるのではないか