【力と交】柄谷行人を解体する60【換様式】
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もうすぐ原爆記念日。そしてそれは柄谷の誕生日。
トランスクリティークの後書きは、柄谷が還暦を迎えた日、つまり
2001年八月六日に書かれた。その年の秋にいわゆる9.11事件が起こった。
その10年後の春には、東北震災と原発事故、いわゆる3.11事件が起こった。
さらに10年後が今年であり、コロナ禍による、異例の一年遅れ東京オリンピック。
柄谷傘寿の年の原爆記念日に、前々から予告していた『力と交換様式』の後書きを書くのだろうか?秋には『力と交換様式』は刊行されるのであろうか? ハンナ・アーレント 「全体主義の起原3 全体主義」
エピローグ(イデオロギーとテロルー新しい統治形式) 337頁
イデオロギーとはまさに文字どおりその名が示すものなのだ。
つまり理念・観念の論理なのである。
その取り扱う対象は歴史であるが、
その歴史に〈観念〉という言葉がくっつけられるものとする。
そうなると出てくるものは、存在する何ものかについてのひと塊の論述ではなく、
ある種の過程の展開であり、しかもそれは絶えざる変化にほかならない。
イデオロギーは事件の進行を、
あたかもその進行がその〈観念〉の論理的解明と同じ〈法則〉に従っているかのように
取り扱う。
イデオロギーは歴史過程全体の秘儀を
ーー過去の謎、現在の混乱、未来の不確実さをーー知悉していると主張するが、
それはそれぞれのイデオロギーの持ち出す観念の内在的な論理によるのである。
イデオロギーは存在の奇跡には決して興味を寄せない。
歴史を何らかの〈自然法則〉によって説明しようとするにせよ、
イデオロギーは歴史的なものであって、文化の隆盛と滅亡、
その興廃にもっぱら関心を持つ。 こうしてハンナ・アーレントの分析を読んでいくと、
「NAM原理」というのも、あれの正体とは、
ある種のミクロな全体主義論理であったにすぎないように見えてくるんですけどw
「ミクロな全体主義論理」とは、果たして社会運動として、正当化されうるのか? 朝鮮半島はチュチェ思想という通り、主体的な行動原理を説くものであるが、
日本人はその真逆。
全体主義のように間違っていても全体に従うようなことをデマゴーグするような風潮がある。 アーレントって実存主義的なんだな。
ジュンク堂の本棚でもその近くに置いてあるし。 そりゃあ、アーレントがこの本で対決してるものとは、
スターリニズムとナチズムという、全体主義の二本柱だからねえ。 ハイデガー恋仲だったから影響を受けている。
つーかハイデカーの方がアーレントに影響を受けているのだが。 しかし柄谷行人ってひとは、本当に「全体主義の起原」を読んだのかね? ハンナアーレントの映画見ると
講義室でアーレントが煙草吸ってて
時代が違うなと。
柄谷が京都の大学で講演やったときに
外のベンチで煙草ポイ捨てしようとしたところを見つかって
慌てて拾おうとしたとか。
「この人に倫理を語る資格があるのか」と書かれていた > 柄谷が京都の大学で講演やったときに
> 外のベンチで煙草ポイ捨てしようとしたところを見つかって
> 慌てて拾おうとしたとか。
> 「この人に倫理を語る資格があるのか」と書かれていた
それはまた柄谷行人のとてもエッセンシャルな体験をしましたねw The Economist:「クソな仕事 (ブルシット・ジョブ)」はクソ理論
デヴィッド・グレーバーは何やら一部の人にはえらく人気があって、
お決まりのサヨク議論を何やらそれっぽい意匠で語ってみせるから、
というのが普通の解釈だけれど、正直いってそれ以上のものだとは思わない。
で、彼のブルシット・ジョブ。
ほとんどの人は読んでなくて、これが非正規のウーバー配達員とかそういう仕事のこと
だとおもっているんだけれど、実はちがう。
オリンピック大臣の丸川珠代みたいな、何の技能もなく意味もないお飾りなのに、
地位と給料だけは高い社会的に無意味な仕事のこと。
あるいは金融とか、多くのハンコ押すだけの管理職とかね。
で、そういう人たちは実は、自分たちの仕事の空虚さにおしつぶされそうになっていて、
いまや資本主義の矛盾は頂点に達していまにも崩壊しそうで……
でも、そんなことねーよ、との話。
実際にやってみたら、やっぱそういう人たちはそれなりにやりがい感じてて、
そんな空疎だとか無意味だとか自分では思ってないよ、とのこと。
さて、「グレーバーの言ってるのは当人がどう思っているかではなく、客観的に見たその
仕事の意義の話で?」とかいろいろ言う人はいると思うけど、本当にそう書いてあるかな? 山形浩生の「経済のトリセツ」
2021-08-01
The Economist:「クソな仕事 (ブルシット・ジョブ)」はクソ理論 浅田彰は全人類のために喫煙すべきと柄谷に言ったことがある
禁煙以降の柄谷の言説を認めてないのかも知れない
ところで、
柄谷はグレーバーが有名になる前にグレーバーを僕の友人と言っていたが
面識があるかは知らない
グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』の書評を書いていたはず*。
このアナーキー組織論はブルシットジョブに対置すべきかも知れない。
NAMにはこの組織論が不十分だった。
*
2009年以前の書評はネットでの無料公開を停止したようだ
https://book.asahi.com/reviews/reviewer/11002024
http://karatani-b.world.coocan.jp/old/00_l.html
書評 『アナーキスト人類学のための断章』(デヴィッド・グレーバー著) 朝日新聞 2006.12.17 柄谷行人書評集 >>12
柄谷先生を尊敬するから、貼るつもりは無かったけど
やっぱり面白いので→http://www.eonet.ne.jp/~radical/old/text31.htm >>15
それはグレーバーに書評を書くことで自分の子分に入れようと画策したんだけど
見事に逃げられたんだよw
萱野のときと同じパターンだな >>16
>
最後に、総括を含め、NAMは「資本に転化しない貨幣をつくりだすこと」が目的であり、
そして「国家に依拠しない」ということである。今回の改定では、その点を明確にしている。
NAMは何度も言うように、100年・200年レベルを想定して語っているのであり、
今日や明日、NAMがどうなるかとか、NAMが成功した場合とかは考えてない。
むしろNAMなんて上手く行くはずがない。上手く行かないから面白いのであって、
やれNAMが世界制覇をすればどうなるかなんて、馬鹿らしい(NAMが世界制覇すれば、
NAMはなくなる)。むしろ、NAMではダメではないかと言ってくれる方がましだ。
ともかく、原理(一般)は、それが正しければ、間違えないのであり、
マルクスの言った正しいことは、永久に正しいのであり、
NAMの原理も100年・200年後でも正しいものを作ろうとするものである。
>
「NAMは何度も言うように、100年・200年レベルを想定して語っているのであり、
今日や明日、NAMがどうなるかとか、NAMが成功した場合とかは考えてない。
むしろNAMなんて上手く行くはずがない。上手く行かないから面白いのであって、
やれNAMが世界制覇をすればどうなるかなんて、馬鹿らしい
(NAMが世界制覇すれば、NAMはなくなる)。」
ハンナ・アーレントによると、ナチは「千年王国」の運動を自称していたらしいw
つまりナチとは預言者的な態度を常にとり、未来の地点から考えれば
運動上の今存在する矛盾など何ほどのものかということが、口癖であった。 「ともかく、原理(一般)は、それが正しければ、間違えないのであり、
マルクスの言った正しいことは、永久に正しいのであり、
NAMの原理も100年・200年後でも正しいものを作ろうとするものである。」
ともかく、柄谷行人というひとは、ハンナ・アーレントであれ
デリダやフーコーの書いたものであれ、
ナチズムやスターリニズムを反省して総括した文献を
今までどれほど読んだことあるのだろうか?
読んだことあっても、再びこれだというなら
この人一体何のために今まで生きてるのだろうか?? 以上
余談:シンポジウムが始まる前、校舎内のベンチで、煙草を吸っていた柄谷行人は、
吸い殻を地べたに捨てた。私もヘビー・スモーカーなので大きな声では言えないが、
奇麗な校舎の奇麗な廊下に、無造作に捨てる柄谷行人に、
この人に倫理をとやかく言う資格があるのかと思い、私は思わず、
「ちょっと、先生。」と言い、足元の煙草の吸い殻を拾いだした処、
柄谷先生、「すみません、すみません、僕が拾います。」と言い、ちょっとホッとした。 ハンナ・アーレントによれば、
運動とは、その運動が千年王国を自称し、
未来へ向けて運動自体の存続が目的となってしまえば
もはやそこで個々の人間の実在は消え、どうでもよいもとなり、
即ち、誤った人々、下等な民族、死滅すべき階級とは、
抹消されて然るべきものであり、彼らが消されること(文字通り殺されること)に
人は何の罪の意識も持たなくなり、行為に対して免責されるようになる。 運動自体の存続が問題になり、
そこでは個々の人間がみな消えていくという現象をもって
ナチズムとボルシェビキ(スターリニズム)とは、全く同型の運動
即ちそれは、全体主義の運動であった。
NAMとNAMの原理と、柄谷行人と柄谷行人の「名誉」は未来に残る。
恐らく、そだけけは絶対に未来に残ると柄谷は勝手に踏んだのだろう。
しかし、個々の会員とは、そこでは幾らでも交換可能で
数としての意味以外は、居ても居なくても全く等価な存在にすぎなかった。
(例広島の栗ちゃん)
言い換えれば、個々の幸福なんか幾らでも後から捏ち上げられるので、
彼の存在がそこでどんなに苦しもうと初めからどうでもよいものであった。
そこでは柄谷行人の未来だけが残るのです。
重要なのは、柄谷行人の「希望」だけなのです。 >>20
引用するなってw
リンク先を静かに読んで味わってください。 そこでは柄谷行人の未来だけが残るのです。
重要なのは、柄谷行人の名誉という「希望」だけなのです。 無縁地蔵
@jizo2018
他ならぬ自分自身が文学に突き放された時を今でも覚えている。
2000年前後、批評空間での柄谷行人の発言だ。
彼は集中討議中にこんな趣旨の言葉を唐突に発した。
「文学などいつなくなっても構わない。人々が平和に生きていけるなら」と。
あの柄谷行人がだ。
午前5:49 ・ 2021年7月20日 今となっては柄谷行人のこういう台詞が単なる空虚にしか響かないのだが。 文壇バーの名誉は残りますか?
あれもこれもみんな文壇バーという場所が柄谷行人を過保護に
甘やかして育てた結果でしょうw 可能涼介よ 聞いてるか? 君の名前は残らないんだぞw 偽善者と不正者の平和がこの世で実現されるのをだらだら見てるくらいなら
幾らでもこの世には攻撃と暴力とテロルがまだまだ必要なんだとしか
普通に人は思わんでしょうw 自らが犠牲を払いながらでも自分は正義のために奉仕していると
信じることができる人は、それはそれでまあ幸せなのだろうと思うよ。
https://www.youtube.com/channel/UCx2742XPDuXyzpiY14lsAzA そんなナチかスターリン体制下に生きる人民の嘆息みたいなことを言われてもw 物事がこういう段になると敬虔な基督教徒といったものが一番ヤバい 広島の栗ちゃんが果たして第二期に入るのかどうか?
そこでNAM再開の可能性は成否が分かれるだろう。 吉本隆明は職人の子で、中上健次は土建屋の子で、柄谷行人はゼネコンの子。
渡部唯生
@watanabetwit
8月2日(月) 23:09 フランス革命の主役だったロベスピエールの言葉
「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」 柄谷行人 「畏怖する人間」
そして今、「畏れ」(怖れ)とは
どういう意味を持っているのか? 老人見ると一定確率で柄谷行人に似てるなと思ってしまうのやめたい
Taku
@taku_baruch
37分前 E.コセリウは、「言語変化という問題 共時態,通時態,歴史」(田中克彦訳、岩波文庫)で、変化が言語の本質である、とソシュールに始まる硬直化した言語学を批判したようだ。
だが、田中克彦氏の解説では、ソシュールの正しい言説に関するエピソードが語られている。
田中克彦「解説2 この訳書のなりたちについて」
その一つとして小林(英夫)氏は、原著二〇一ページ(訳本『一般言語学講義』、岩波書店、二〇六ページ)のqu'il ne l'est pasはqu'il ne l'est queでなければならないことを指摘しているが、これを最初に気づかれたのは亀井(孝)先生であった。この小さな一語のとりかえで前者は「そうではないことを」、後者は「そうでしかないことを」となり、意味はほとんど逆になってしまうのである。
そして、これは、じつに初版の一九一五年以来六〇年間も放置され、一九七五年のトゥリオ・デ・マウロの校訂版に至ってはじめて訂正されたのである。 結局柄谷の考えていた政治手法とは、物理的な暴力抜きに
他人を怯えさせるには、どうすればよいのか?
というその方法論でしょ。 いま「憎悪」が倫理に抑えられてしまっている。
柄谷行人さんは「美」が「善悪」と対立するというけれども、
「美」だけではなく「美」と「醜」というのが文学のカテゴリィであって、
「美」はまだしも通るけれどもグロテスクなもの、醜いものは本当に出なくなってしまった。
『憎悪と汚辱』
福田和也bot
@tonkatu_kazuya
3分前 いや取り敢えずNAMの経験とは、
現在における醜いものの噴出だったのでは?w 福田和也でもとりあえずそれは柄谷が死ぬまで言えないと思ってるのかな ワクチン接種していないけど、この頃、モデルナ・アームみたいに
肩に痛みがあり、腕を大きく動かすのに支障がある グロテスクなものも、いまやビザールなものとして
美の範疇に回収されてしまってる
「俺の理論を解体できるもんならやってみろ、今すぐ!」
と叫びながらゲバ棒を振り回す柄谷行人の姿さえ
美しいのである ロベスピエールの運命とは結局
テルミドールの反動によってギロチンで処刑されることになります。 かつて2ちゃんねるとはインターネット上の恐怖政治であった ', ;l: ll kr'´ ィイィ彳彳彳彳
ヾ州ィイイィ彳彳彡彡彡
_ __ ,′ ``ヾミミミ
,. '´;:.:.:.:.::::::::.:.:.``ヽ ,′ -‐ミミヽ/ミミミミミ
,. '´..:.:.:,. -─‐‐- 、;;;:;:.:ヽ〈 ,′ミミミミヽ
/ .:.:.:.:.:.く ``ヾ「ヽヽヾミニ二二ミヽ `ヾミミミ
./ .:.:.:.:::::::::::::〉 ∠二二ニ彡' V/ T TTにニニニニニニニニニ====
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,′.:.:.:.:::::::::::::〈 ヽ____ノ', .;: .;:
i .:.:.::::::::::::::::::::::', ,;;;'ハミミミヽヽ .,.:; .; :.;:.
',.:.:.:.:/´ ̄`ヽ;;;', .;;;' ``ヾミヽ j! ,. ′.;: .;:. :
',.:.:.:ヽ い( ミj! )ミミj 、 、 ', ., 、:, 、 .; :.
',;;;:;:;:入 _ ..:;.;:.:;..:`Y ミj! 、 、 ', ., 、:, 、
';;;:;:.: `フ´ _ノ . ;: .;: .; :. ;:. ;:.`Y´ 、 、 ', ., 、:, ,. '´
Lノ´ ̄ , ィ´ .:; .:; . ;:. ;:. ;: .;: .; :. ;:. ;} 、 、 ', ., 、:,,.: '´
ノノ ____\ ;.: .;: . :;. :;. :;. :; .;: .;: .;人 _; :; :; ィ´`ヾ
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2時間
世代いかんにかかわらず、
他人の尊厳を傷つける行為が地の底まで叩かれまくり、
謝罪に行っても門前払いを喰わされてしまうような風景は
観ていて気持ちが良いものですね。 う〜ん、
斎藤環がここまで言う人だとすると、
やっぱり傾向が違うとしか言いようがないね 斎藤環の正体はリベラルというよりも左翼だったんだね
しかもこれだと柄谷ともまた傾向の違う左翼でしょう 柄谷さんは他人の尊厳を傷つけまくりで前進する人
80なっても相変わらず Going My Way か? ウォーホルも今日が誕生日だったんだ。
柄谷が彼について講演したのはそれが理由か。 The sense of DAVID LEE ROTH is the sense oh JEWISH
David Lee Roth - Just A Gigolo / I Ain't Got Nobody (1985)
https://www.youtube.com/watch?v=ui-zBq-f5XA 柄谷さんの人生もやっぱり "Just A Gigolo" ですか? >>74
デヴィッドリーロスってユダヤ人なの?
ジャストアジゴロ〜ノーバディ、いいねえ。ルイ・プリマ版も好きで
デニーロとビルマーレイが出たmaddog&gloryっていう映画でも
エンディングに使われてた。 >>76
嘉納治五郎にかけたのか?それともヒムロックの物真似芸人じぐろ京介? >>28
ドラッカーの『非営利組織の経営』に、何によって記憶されたいか?という話が出てきて、シュンペーターは世界一の経済学者、世界一のドンファン、世界一の騎手として…と三つ挙げた。なら、可能涼介は、山田詠美の夫、佐川くんの友、そして頭脳演劇の人、かな >>80
いや、だから、可能ジゴロ涼介ってことでしょ、前者はそういう意味 デイヴィッド・リー・ロス(David Lee Roth、1954年10月10日 - )は、
アメリカのミュージシャン(ボーカリスト・作詞・作曲家)、音楽家。
ハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンのボーカリストである。
両親はロシアとウクライナから来たユダヤ人移民の子孫であり、
医師の息子としてインディアナ州ブルーミントンに生まれた。
身長182cm。バンドのエンターテインメント性重視の路線を牽引し、
その明るく豪快で華やかなキャラクターから「ダイヤモンド・デイヴ」の異名を持つ。 The sense of DAVID LEE ROTH is the sense of JEWISH
DAVID LEE ROTH VS KONISHIKI
David Lee Roth MOVIE TRAILER
https://www.youtube.com/watch?v=42emVMtsn8M >>84
このビデオで注意して聞いていただきたいのは、
途中、小錦の台詞で
小錦「余裕だよ」
というのが、
「ユー ユダヤ」
と聞こえるところw デヴィッド・リー・ロスさんは昔から絶対この人は
精神的に何か疾患を抱えてる人なのだろうと思っていたが
子供時代に自分の家が真面目なユダヤ人の家庭だということで(医者の家系)
アメリカ社会であっても相当イジメに遭ってるのだろうと考えれば
すべて合点がいくのではなかろうかw
Van Halen - Hot For Teacher (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=6M4_Ommfvv0
これはヴァン・ヘイレン時代の有名なビデオだが
80年代当時アメリカの学校にあった日常的なイジメの有様を描いてるかに見えるが
実はデイブ自身のの少年時代がこのような環境であって
彼自身が相当紆余曲折して大人になるまで生きてきたのだろうと考えれば
大体理解できるのではないだろうか。 まるっきりパラダイス!
オラも一緒にぱらいそさ、いくだ〜!! 『NAM総括』を読み、柄谷行人・NAMの活動における太田出版の特筆すべき働きを知る。
そして太田出版と言えば小山田圭吾の件でも注目された出版社だ。
小山田は『QJ』に、柄谷は「Q」に足をすくわれた。
aimai
@aimai_fuzzy
昨日 22:06 つーかそれは歴史の解釈が誤っているのであって、
柄谷のほうがQの足を引っ掛けて滑らせて転ばせたんですよw
Qを(西部を)最初に利用しようとして近づいていったのは柄谷のほうだったけど
しかしそれが自分の思うようなものに適合してなかったと
後から逆ギレして逆恨みして大暴れして相手に致命傷を負わせて、
自分の落ち度を隠蔽してしまったのが、柄谷とQとの経緯です。 この言いがかりをつけられたスタッフ、今日が何回目かのお誕生日でした。
8月6日生まれと言えば、他に柄谷行人や赤木智弘がいます。
最強のラインナップですね。彼女も打たれ弱いように見えながら(繊細ではありますが)
ん十年もベルクでバリバリ働いているのですから、最強としか言いようがありません。
@Bergzatsuyoten
朝一番、店内をうろうろする初老の男性に「どうぞ」とお声をおかけしても見向きもせず、
そのまま出て行ったかと思ったら厨房の入り口でスタッフ(女性)にずーっと話しかけている。
後から聞いたら、なぜ店を開けてるのか?ルミネは感染者を出したんだぞ、知らんのかと
言われたので知ってますよと答えた
井野朋也(新宿ベルク店長)
@Bergzatsuyoten
昨日 15:57 金井美恵子 #過去読了
侯孝賢の「非情城市」を、
柄谷行人と寺田博が大傑作だと言っていたという話に、
あの映画にはそういう弱さ
(映画をほとんど見たことのない人間に内容で受け入れられてしまうような)があるんです、
と蓮實重彦は断言していた
#読書メモ
@book_punch_line
昨日 22:00 ベラルーシ選手、祖母からの電話で亡命決断 空港への車中
2021年08月06日07時14分
【モスクワ時事】東京五輪にベラルーシの陸上女子代表として出場し、帰国命令を拒否
してポーランドに亡命したクリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手(24)は5日の記者会見で、
祖母に電話で「帰国してはいけない」と言われ、亡命を決断したことを明らかにした。
コーチ陣を批判したことで1日に帰国を命じられたツィマノウスカヤ選手は電話で両親や
夫に相談し、母国に戻るべきだと考えていた。しかし、羽田空港に向かう車中で祖母から
電話があり、「ベラルーシに帰ってきてはいけない」と言われ、帰国しないことを決めた。
祖母からは国内でニュースになっており、病院に入れられたり、投獄されたりする恐れ
があると告げられたという。
空港ではグーグルの翻訳システムを使って日本語を示し、警察官や五輪関係者に助け
を求めたことも明らかにした。同選手は空港の警察にも謝意を表明した。 ベラルーシという国はスターリン時代から特に何も変わってない国なんだな >>94
柄谷はけっこう映画見てるだろ。言及しないだけで。
ところで
>あの映画にはそういう弱さ
>(映画をほとんど見たことのない人間に内容で受け入れられてしまうような)
映画をあまり見ない人に「内容で」受け入れられてしまうのが「弱い」映画だという発想の根本が、もう我慢できないね。この種の人が各種ジャンルを閉塞させるんだろうな >>98
これを裏面から言えば「映画マニアに『形式で』受け入れられる」のが「強い」映画だということになる。確かに蓮實の弟子の黒沢清や青山真治の映画は見事にそういうものだ。蓮實が好きなトニー・スコット >>99の続き
蓮實が好きなトニー・スコットや監督としてのイーストウッドなみに
彼らが監督した「強い映画」とやらが興行的にも成功してるかというと
全然ダメだし、芸術的評価に関しても、相変わらず黒沢清は還暦過ぎてもカンヌでパルムドールも取れずに「ある視点」だのエキュメニック?だの隅っこの賞しか取れてないし、そんな輩が弱冠二十代でパルムドール取ったタランティーノを「努力の人」とか言ってるんだから笑っちゃう。 >>100
弱冠二十代ではなかったな、パルプフィクションがタランティーノ31の時の作品 >>100
ある視点部門で監督賞取ったのが還暦だっけ?タランティーノの約二倍の年齢で本流のコンペティション以外でやっと取れた。努力の人という発言はイーストウッドとスピルバーグとタランティーノについての蓮實らとの対談か鼎談集だろうけど、そんな本が海外で翻訳されて読まれることも無さそうだなーwww 最近『スパイの妻』でベネチア銀獅子賞取ったが、カンヌ>ベネチアだし、北野武が座頭市で銀獅子賞取ったのは還暦前だし、そもそもHANABIで金獅子賞を50歳で取ってるからね。
苦節三十年四十年で二流の賞取ったのキヨシさんwww
人を「(才能無いけど)努力の人」呼ばわりするのは、「よしなさい!」 蓮實の批評というのは、やっぱりある種の分裂症的症候と考えるべきでは? 「強い」とか「弱い」でも、「才能ある」でも「努力の」でも、
そういう概念的把握を、何かの一貫性によって表現してる人とは、
とても思えない。
しかし時々そういう付け加えてる形容詞が、意味ないとも言えない。 吉永剛志 @take4luckylong
8h
NAMがあったころは、NAMについての文芸誌での書評、評論は、
柄谷さん自身のもふくめて、結構あったのに、
今回『宣言』書評が、文芸誌に一切出ない(新聞は結構出る)のは、
この20年の文芸誌の変容の徴候を如実に表していて大変興味深い。
そのへん、荒木さんに、文学+あたりで、論じてもらいたいです 確かに今回の本「宣言」については、文芸誌の世界だと
皆無というか、論評については全滅というか、見事に抹消されてるなw
また新聞に出たといっても、そういう柄谷の相手した記者の顔を見れば
まずドン引きすることも間違いない。
殆ど公的に出て来た反応というのは読書人だけだ。
それは「文芸誌の変容の徴候」というか、単に真実を客観的に反映する判断力が
文芸誌にも備わってはいたというだけの話ではないのか? 20年前のNAMの時であっても、取り上げられる文芸誌というのは決まっていて
要するに、文學界。せいぜい新潮か。
攝津の語ってたエピソードだが、新宿の風花に絓秀実に連れて行ってもらったところ
現場で柄谷が編集者引き連れてくるのと遭遇したが、
そのとき文春の編集者を連れていたという話だったな。
それももう15年以上か前の話だが。 新潮だと何故だかリレー日記とかいう企画に、今でも必ず柄谷は入ってるよねw
あれは、文壇がここにありますという、自己顕示なんだろうか? まー要するに、文学と純粋に哲学ネタなら、新潮やすばるでも
柄谷は歓迎されうるが、
政治の絡むネタとなっては、文学界しかパイプはなかったということでしょう。
しかしその文春社とのネックも、もう最近になってはどうなってるかは怪しい。 >>107
図書新聞にも書評は一応出てる
吉永剛志
@take4luckylong
6月9日
今週の図書新聞(6月16日号)に柄谷さんの『ニュー・アソシエーショニスト宣言』と私の
『NAM総括』を同時に宗近真一郎さんが書評してくださる。まさに私がこの著でやりた
かったことを的確に言ってくださり感謝。最後の部分を引用(続)
A「『(NAM)総括』が土壇場まで「実践の場を再構成」するように、柄谷行人も
『(ニュー・アソシエーショニスト)宣言』でアソシエーション運動の歴史的現在の検証を
未来の可能性へとふだんにキャリーする。「原理」と「現場」が刺し違えるだけではない。(続) そういえば吉永はもう消しちゃったみたいだけど、
総括を読んだ感想の手紙が文春の編集者から来たとか、
以前に書いてなかったっけ。 文豪と感染症
100年前のスペイン風邪はどう書かれたのか
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=23058
永江 朗 編 / 芥川 龍之介 / 秋田 雨雀 / 与謝野 晶子 / 斎藤 茂吉 / 永井 荷風 / 志賀 直哉 / 谷崎 潤一郎 / 菊池 寛 / 宮本 百合子 / 佐々木 邦 / 岸田 國士
100年前に日本を襲ったスペイン風邪は感染者数2千万人以上、死者は45万人とも言われる。芥川・与謝野晶子・荷風・志賀直哉・谷崎…新型コロナの出口が見えない今、あらためて文豪たちが描いた現実から学ぶものがあるのではないか。文庫オリジナル・文学アンソロジー。(解説・岩田健太郎) 浅田 ワクチン調達を中国から妨害されてる台湾にワクチンを提供すること自体はいいことだけどね。
日本のもうひとつの問題はIT後進国ぶり。ぼくは京都市にネットで接種を申し込んで無事接種できたから文句を言う筋合いはないけど、授業中に電話がかかってきて、後でかけ直してもつながらないことが何度か続き、
最後に電話をとれたのはいいものの、日時や場所、注意事項を延々と口頭で説明するから、「電話と同時に送られると書いてあったメールで確認する」って言ったら「手元にメール・アドレスが来てないし、とにかく連絡は電話で」と。
結局メールは来なかった。自治体と防衛省の大規模接種センターはシステムが別で二重予約が発生するとか、混乱の極み。 浅田 トランプ・前大統領はめちゃくちゃだったけど、勝てないアフガン戦争なんかやめるべきだと言ったのは正しいし、バイデン大統領がそれを追認し、アフガニスタンの混乱を覚悟で撤兵を決断したのも正しい。他方、中国に対する貿易戦争も受け継ぎ、鉄壁の包囲網で習近平を追い詰めるのは、反発を誘うだけで藪蛇だと思うな。太平洋戦争前の日本に対するABCD包囲網みたいなものだよ。 >大規模接種センターはシステムが別で二重予約が発生するとか、混乱の極み。
その混乱の極みのなかで接種が行われるワクチンの安全性だけは確保されている
という信頼は、いったいどこから来るのだろう?貧困率の高い海外の国に滞在
していて、現地で何らかの予防接種をする必要が生じた場合、懸念するのは、
「一般的に○○予防接種のワクチンが安全か否か」という問題ではなく、
「ワクチンや注射針の管理を含む医療システムそのものが信頼できるか否か」
という問題のはずだが。 まあ、それがパソコンのセキュリティ対策であれば、自分の体の場合とは
異なり、プラットフォームそのものを明け渡してしまっているので、
セキュリティ対策として何を要求されようと、言いなりになるほかは、
最初から選択肢がないわけだ。 いか
@ikaokame
14時間
勝ち組プレッシャーにおしつぶされる。
自分は負け組だ。勝ちたいのにもう勝てない。人生終った。
楽しそうな人に嫉妬。憎む。攻撃しやすい人に八つ当たり。
そんな負の連鎖は最初にもどって断ち切ろう。
自分の人生ひとからどう思われるかなんて関係ない。
比較競争くだらない。ぬけていきたい。
交流大事。 > 勝ち組プレッシャーにおしつぶされる。
勝ち組プレッシャーだけの塊 = 柄谷さん 柄谷行人最大の犯罪とはやっぱり、左翼の中に勝ち組の論理を持ってきたことでは? 左翼が、一種の権力志向であり、
エリート主義の屈折した形態であったのは
ボリシェビキが滅び、毛沢東主義が批判されることによって
もうとっくに終わっていることと思っていたはず。。。
日本では1969年の東大安田講堂の事件が起こった頃には(大学解体)
東大丸山真男の研究室が全共闘によって破壊され
「君達は、ナチもやらなかった愚行をやった!」
と丸山から罵倒されたとき、
もう左翼の中からも、
左翼をエリート主義と捉える思考は完全に死んだと思っていた。。。
それが、柄谷行人によって、今更なぜ、20年前に掘り返されたのか?www 柄谷とは、屈折して粉飾された、新たな丸山真男主義の復活であったのか? そもそも柄谷は、マルクスのことを「エリート」だと勘違いしている。 藤田孝典
@fujitatakanori
18時間
仕事を選り好みして、賃金や処遇に難があれば働かないこと。
暮らせない場合は生活保護など社会保障を受けること。
再就労する際は職業訓練を受けて資格などを取り低賃金で働かないこと。
これらはブラック企業撲滅、賃金上昇のために必須。
無理な条件で働かないのは社会にとって素晴らしいこと。 ジョ・ヨンイルによれば、ドストエフスキーも、芸術の終焉や文学の危機を語っていたという。
人工的、自然的の区別で、ソフィスト(国は人為によってある)とアリストテレス(国は自然によってある)の議論の対立を思い出した。
僕は、1988年に、和田春樹の講義を受講した事がある。
ジョ・ヨンイル「柄谷行人と韓国文学」(高井修訳、インスクリプト)
黃皙暎はまさにこの時期(一九八五年)に先にも触れたいわゆる日本の良心的知識人たち(大江健三郎、和田春樹、野間宏、小田実、安江良介など)と親しくなる。
和田春樹や大江健三郎は韓国人に聴き慣れた名前だが、安江良介という名前はそうではないように思える。
しかしこれは人工的なもの(二次的なもの)と自然的なもの(一次的なもの)を区別して後者をより根源的と考える音声中心主義の端的な例にすぎない。 ハンナ・アーレント「革命について on revolution」
ちくま学芸文庫 294頁
フランス革命の人びとは暴力と権力をどう区別するか知らないままに、
全権力は人民からくるものでなければならぬと確信していた。
そこでこの群衆の前政治的な自然的強制力の前に政治領域を開放したため、
国王や旧権力が一掃されたように、今度は彼ら自身がその力に押し流されたのである。
これと反対に、アメリカ革命の人びとは、権力を前自然的な自然的暴力とはまったく反対
のものだと理解していた。彼らにとっては、権力は、人びとが集まり、約束や契約や
相互誓約によって互いに拘束しあうばあいに実現するものであった。
互恵主義(reciplocity)と相互性(mutality)にもとづくこのような権力だけが
真実の正統的権力であった。
これにたいして、国王や貴族のいわゆる権力は、相互性から生まれたものではなく、
せいぜい同意にもとづくものである以上、いつわりの強奪した権力であった。
アメリカ革命の人びと自身、ほかのすべての国では失敗の運命であったのに、
なぜ自分たちは成功したのか、その理由をよく知っていた。
つまり成功に導いた力は、ジョン・アダムズの言葉にあるように、
「お互いを信頼し、ふつうの人びとを信頼する」権力であって、
「それによって合衆国は革命を遂行することができた」のであった。
そのうえ、この信頼はふつうのイデオロギーから生まれたものではなく、
相互契約によって生じたものであり、そのようなものとして、
特定の政治目的のための人びとの集合である「結社 association」の基礎となった。
組織活動の原理としての「相互信頼」というこの観念が、アメリカ以外のところでは、
わずかに陰謀や陰謀家の集団に見られるだけだというのは、憂鬱なことだが、
しかし、かなりの真実を含んでいると思う。 アーレントが言ってるassociationがアメリカ以外のところでは
陰謀家集団に見られるだけだというのは、
たぶんヨーロッパにおけるフリーメイソンのことを言ってるんでしょうね。
つまりヨーロッパの地で元々associationとして発達できたような人間関係の形態とは、
ユダヤ人を含む秘密結社のような形しかなかったんだと。 Makoto Sasaki
イソノミアへの言及はどうですか
2時間
Pierre Riviere
いやそもそも柄谷行人が「世界共和国」というタイトルの岩波新書を突然発表したのは
2006年のことだったんだけどさ。そのときこの本のタイトルに含まれる「共和国」という
言葉に、はぁ?と思う人は実は多かったんじゃないのかと思うのよw
今どき、共和国って、どういう意味?と。しかし柄谷が共和国という概念を使ったそもそも
元ネタが、ハンナ・アーレントの「革命について」最終章の結論部分に出てくるんじゃないか
と思ったのね。アーレントがそこで出しているコンセプトは「少共和国」という言葉で、
それは基本的にアメリカ合衆国創設時にあったタウンシップ(郡区)のことを指している。
2時間
Pierre Riviere
柄谷行人がアーレントの「革命について」ともっと大昔の本であるヘロドトスの「歴史」に
依拠することによってイソノミアの概念について初めて説明することになるのは2013年の
「哲学の起源」においてだけど(発表は2012年の新潮誌上)もっと以前から元ネタの仕込み
として、既に柄谷が暗黙に依拠しようとしてるのがアーレントのテキストだったことは
示唆されていたのではないかということですよ。
2時間
Pierre Riviere
しかし柄谷はアーレントの概念に従って自分の理論を説明しようとしているが、
厳密にアーレントのテキストに依拠すれば、むしろアーレントのロジックは完全に柄谷
がNAMでやった試みをすべて論破して否定してしまうものではないのか?
こういう疑惑が実は残るわけですよ。。。だから柄谷にとってはNAMの理論を論破されて
しまうのをむしろ先回りして避けるために、アーレントの概念を使っているのではないか?
こういう疑惑が残りますね。。。
2時間
Pierre Riviere
柄谷にとって問題は、イソノミアのような都市国家にあった無支配の生活形態よりも、
むしろアメリカ創設時にあったタウンシップによって形成された、下から来る人民たちの
確実な権力の存在、その権力形態こそが、本当に興味ある対象だったのではないか?
そう思えてくるわけですよ。アーレントに謂わせれば、アメリカ革命で普通の人民たちが
連邦制の形をとって下から構成した権力の形態とは、フランス革命やロシア革命のよう
に、少数の扇動者や党が人民のマスな塊を駆り立てて奪取した暴力的な権力よりも、
より深く確実な権力であり、それだけが本当に永続化する権力の形態だったという洞察
をしているわけですよ。
2時間 Makoto Sasaki
アメリカのタウンシップはアーレントが書いてましたか。イロコイ族も?
1時間
Pierre Riviere
「革命について」ではイロコイ族の話は出てませんね。イロコイ族が出てくるのは
エンゲルスの「家族・国家・私有財産の起源」であってそこで引用されてるのは
モルガンの「古代社会」でしょう。マルクスも同じ本について「モルガンの古代社会ノート」
という草稿だけ残していて、それは大月書店から昔出ていましたね
1時間
Pierre Riviere
柄谷はアーレントを2012年以来引用するようになったけど、しかしアーレントの理論的立場
と柄谷の立場とは、基本的に対立していると考えたほうがよいと思いますよ。
1時間
Pierre Riviere
決してハンナ・アーレントとは、柄谷行人の味方ではないね。
1時間
Makoto Sasaki
柄谷がイオニアのイソノミア礼賛を突然始めた感じですね
1時間
Pierre Riviere
しかし柄谷が「無支配」ということを突然言い出したとしてもそれ以前の言動からいって
どうも胡散臭い。その言葉をそのまま受け取るには、全く信用することはできないという
ところが味噌ではないでしょうかw
1時間
Pierre Riviere
柄谷はイロコイ族について講演で言及したことあるんですか?
ちなみにアメリカのダンス音楽でジャミロクアイというグループが昔ヒットしたけど、
それはジャムするイロコイという意味ですよ
1時間
Makoto Sasaki
イロコイ族の連合もタウンシップと同じイソノミアとよく言ってた。
1時間 Pierre Riviere
しかしアーレントにとってボリシェビキだろうとアナーキズムだろうと
「人民の権力=人民の絶対化」という幻想を掲げてる左翼は逆にそれを実現できないで
人民の権力それ自体によって自滅するという主旨だから。だからそのヨーロッパ的革命の
概念を一回切断してアメリカ革命の成功例に依拠しなければならないという話だったはず
なんだけど。しかし柄谷行人の場合は、結局昔から日本である伝統的左派の流れに合流
してしまうことによって、革命の中の権力の悪習を断ち切って作り直すという課題からは、
再び遠ざかっていると思われるね。悪い意味での左翼の系譜というのは、いわば絓秀実が
自分の周辺に集めているような総体です。アーレントに謂わせれば、そこで人民の理想化
とは一回断ち切らなければならないということです。
柄谷は結局そういう左翼的な俗情と結託してしまった。
1時間
Pierre Riviere
それじゃあアーレントが言及しなかったエンゲルスとマルクスのイロコイ族に注目していた
観点を柄谷がそこで結びつけたんですね。
1時間
Makoto Sasaki
タウンシップも経済的に余裕があって短期間に実現したようですね。イオニアも
56分
Pierre Riviere
人民の権力に絶対化を付与するのではなくて、下から「小共和国」の形式、
即ち評議会形式で人民の力を形成して、それを連邦制の形式で繋げていくこと。
ヨーロッパ形式即ちロベスピエールとレーニンのやった方法ではなくて、
アメリカ創設時に行われた形式のみが、結果的に人民の主体化を実現しうるだろうという
ことです。フランス革命でロベスピエールがやった恐怖政治の形式とは結局レーニンに
おいても党の独裁化として同じ形が反復されたのだと言ってます。
54分 Pierre Riviere
アーレントが言うのは、フランス革命を袋小路に追い詰めていったのは、結局大衆的な
人民の貧困の問題を解決せよという命令の圧力に、統治が負けてしまったことによると
いうものです。革命政権を作っても、人民の多数の貧困という問題が必ず主導権を独占
してしまう。すると協議によって新しい統治形態を創設するという革命本来の課題よりも
まず第一義的に人民の貧困問題解決という課題が常に主導権を奪ってしまうことになる
わけですよ。そうするともう、革命によって新しい統治形態を発明するという本来の革命的
課題というのはどこかへ飛んでしまう。フランス革命のときも、そしてロシア革命のときも
そうだったというわけです
50分
Makoto Sasaki
「革命について」だから、革命との関連で無支配(イソノミア)に言及があったのか
44分
Pierre Riviere
いやアーレントはイソノミアが何かについてはそれ自体の問題としては殆ど考えていない。
ただ歴史的な説明の順序としてイソノミアを出してるだけです。
それを主要な問題のように切り取って勝手に展開したのは、相変わらず
柄谷オリジナルの離れ業ですねw
42分 >>134
> 柄谷が共和国という概念を使ったそもそも元ネタが、
> ハンナ・アーレントの「革命について」最終章の結論部分に出てくるんじゃないかと思ったのね。
> アーレントがそこで出しているコンセプトは「少共和国」という言葉で、
> それは基本的にアメリカ合衆国創設時にあったタウンシップ(郡区)のことを指している。
「小共和国」 王権の威力とかも経験ないのが庶民。両方みんな経験できる? だけどいい男性やいい女性を選ぶのは王権も庶民も完全にはできない。 それには仕事よりも戦争が有利だと思うよ。王権が有利ぐらい。 >>132
> これと反対に、アメリカ革命の人びとは、
> 権力を前自然的な自然的暴力とはまったく反対のものだと理解していた。
> 彼らにとっては、権力は、人びとが集まり、約束や契約や相互誓約によって
> 互いに拘束しあうばあいに実現するものであった。
権力を前政治的な自然的暴力とはまったく反対のものだと理解していた。 私は、人権侵害にあっています。犯罪行為の最中です。
目が見えなくなりかけたり、体が動かせない状態になったりしました。
鼻から稲森いずみの音がする。通気口からは電通が音を出す。
稲森いずみを訴えて下さい。芸能人を調べて下さい。
恐怖感がかなりある。助けて下さい。
#柄谷行人
入江基浩
@FesdKqEvLT6PejD
35分前 「柄谷行人と韓国文学」読みました。ジョ・ヨンイル氏は教養ありますね。エリオットやフライの批評も読むべきですね。 「革命について」本棚にありました。
ジェイムソン「アドルノ」読み始めましたが、アドルノは交換関係、交換価値への言及が多かったそうです。 何年か前に柄谷行人と松本哉と私のトークショーの打ち上げで中華料理屋さんで
飲んでたら、韓国の学生さんが柄谷さんに熱心に質問していたけど、
やはり交換モデルXについてだった。日本では柄谷行人は過去の人なのだろうが、
世界では(特に新しい時代を模索する若い世代には)今の人なんじゃないかな。
井野朋也(新宿ベルク店長)
@Bergzatsuyoten
37分前 まー自分より若くして文壇に入ってくる人間を支配するためには
それが一番効率いいよねw その思想の文芸評論期時代も終焉を迎え
今ではただ支配構造の残骸だけが漂ってる・・・ 大昔、柄谷行人は「ニュージャージーというのは、ダさいたまと言われているんだ」
と曰っていました。 youtu.be/e89PXUpAu4w
Nozawa Kimio
@shouyuu17
16:37 そうは柄谷が降ろさないんだよ
まだまだ認識が青いなw 要するに自分に従わない人間たちは逃げ道がないように
全部塞いでいくの
(NAM原理で言えばそれがボイコット
あるいは流通過程の有限性)
そういうのが日本近代文学的な支配の政治学というのw そもそも柄谷行人の哲学自体が、
最終的には支配の不可避性、
不可抗力性というところへ向かったのだ
もちろんそんなものは破壊すべきなのだが
日本ではそう簡単にはいかない >>154
> 支配って支配されなきゃいいじゃん
> それだけ
おまえ同じことを 吉永剛史の前で言ってみろ
おしっこ漏らしちゃうからww > 支配って支配されなきゃいいじゃん
> それだけ
おまえ同じことを 攝津正の前で言ってみろ
うんこ漏らしちゃうから > 支配って支配されなきゃいいじゃん
> それだけ
おまえ同じことを 可能涼介の前で言ってみろ
(アナルが花開くから) > 支配って支配されなきゃいいじゃん
> それだけ
おまえ同じことを 絓秀実の前で言ってみろ
前が 勃っちゃうから それ故に
柄谷先生の、「イソノミア=無支配」説とは、全く信用がなりません。 要するに、人がある共同体の中に入っていくということは
そこで、必ず、そこのルール(支配)に従うことは強いられるわけだ。
しかし、そこに「NAM」という思考の起源がある。
(このくらいのことに気が付かないやつは全然ダメだなw)
「売る立場」に立つために、市場に入っていくことも、
全く同じように、強いられるだろう、
従わなければならないルール、掟がそこにはあるだろう。
その問題を、どう解いていくのか?
そこに柄谷行人が目をつけた運動の思想があるということだ。
故に、
> 支配って支配されなきゃいいじゃん
> それだけ
いまだにこんなガキの発言してるやつは全然ダメということなのwww 経済的下部構造の強制力によって、人は支配を強いられます。 無階級の階級 (ボリシェビキ、中国共産党、・・・)
無支配の支配 (NAM、柄谷行人、) 根底にあるのは
お利口なボクたちがやるんだから
絶対にうまくいくというエリート意識じゃな
嗚呼、選ばれし者の恍惚と不安… 斎藤環 3.15発売「まんが やってみたくなるオープンダイアローグ 」 (医学書院)
27分
「生の価値判断」が優生思想の萌芽。
この考えは「自分なんて生きる価値がないから死んだほうがいい」みたいに、
自分自身に向かう場合もあるので注意しましょう。
自分自身を排除すると他者の存在も見えなくなる 今まで「生の価値判断」にだけ拘って
優越感の妄想を抱きながらここまで生きてきた男
それが柄谷行人 栗原裕一郎
@y_kurihara
こう切り返してきたかという感じで、想像以上にタチの悪いモンスターかもしれない。
本心から反省してるなんて誰も思わないだろうが、人権や道徳を盾に批判していた人が
振り上げた拳を下ろせなくなるかたちで回収していて、どこまで計算尽くかわからないが、
機の読み方が敏い。
12時間
【差別発言 DaiGoが生配信で謝罪】
メンタリストのDaiGoが13日、自身の公式YouTubeチャンネルで生配信を実施。
7日に配信した動画で、ホームレス生活者や生活保護者の命を軽視するような発言を
行ったことについて、「この度は大変申し訳ございませんでした」と謝罪した。
栗原裕一郎
@y_kurihara
6時間
優生思想的というより他人にも人権にも興味がないんだろう。
だから180度、意見を変えることに痛痒がない。
離れた取り巻きも相当いるだろうが利用価値のなかった人ということで内的には処理
されているんじゃないですかね。ピカレスクなアピールで新たに付く層とバーターくらい
に思ってるかもしれない。
栗原裕一郎
@y_kurihara
5時間
今後、本当にホームレス支援に動くこともあるかもしれない。
その場合、相応の成果が上がるだろう。「偽善だ」という批判も出るだろうが、
「ええ、偽善ですよ。でも実際に人を救っています。あなたもおやりになればいい」
と返されたら窮することになる。内面は問えないし、支援はプラグマチックである。
栗原裕一郎
@y_kurihara
5時間
しかし、しきりに速報している毎日新聞とかの報道も、メディアとしての主体性を欠いた
批判的視座のない酷いもんで、DaiGoの動画に誘導する導線にしかなっていないよね。 > 今後、本当にホームレス支援に動くこともあるかもしれない。
> その場合、相応の成果が上がるだろう。「偽善だ」という批判も出るだろうが、
> 「ええ、偽善ですよ。でも実際に人を救っています。あなたもおやりになればいい」
> と返されたら窮することになる。内面は問えないし、支援はプラグマチックである。
つまり、DaiGoとはNAM的?w 篠原かをり
@koyomi54334
3時間
SFC在学中、夏野剛さんとDaiGoさんの授業を受けたことがあるんだけど、
学問に対する不誠実さと互いの褒め合いと
言ってはいけないことを言う自分に対する恍惚のみで構成されていて、
全授業中ぶっちぎりで聞くのがツラい授業だった 雁琳(がんりん)
@ganrim_
「ちょっと意識の高い高校生に接することが多いのだけど、情報源が「中田敦彦・西野亮廣・箕輪厚介・DaiGo・ヒロユキ」が大半であるケースは非常に多い。そしてほぼ100%なんらかの間違った思想や間違った選民意識を持ってしまっている。」 これは詰まる所、彼等に知識人が敗北したということなのだ。
ワシらの時代じゃと上は柄谷行人、蓮實重彦、浅田彰、中沢新一、吉本隆明かビートたけし、糸井重里、村上龍、村上春樹じゃったものだが 資本主義が自由主義に傾けば社会ダーウィニズム的な思想が流行るという非常に分かりやすい展開 NAMも最初はある種の社会ダーウィニズムだった可能性があるのでは?
(資本主義と同じようにダメな人間もまた新しい通貨システムによって自然淘汰される) 鴻巣友季子さんはアカデミズム文芸翻訳の出身者ではなく
ジョイスのウェイクを完訳した柳瀬尚紀のカバン持ちから修行を始めた人だし、
伝統芸能の徒弟制のノリもあるかもしれんよ。
ちなみに福田和也さんと坪内祐三は文芸批評家も五代目小林秀雄とか
三代目柄谷行人みたいに襲名性にすることを提案していた
えかきのルロアさん
@ruroa2
0:31 そんなNAMの会員だけが喜びそうなこと言わないでくださいよww 資本主義を超えるシステムなんて僕は見当つかないからせめてケインズで行ってほしいくらいしか言いようがないです 結局ひろゆきやメンタリストみたいな新自由主義を代弁するような人たちが支持される
権力と資本から搾取され続ける階級から 茂木健一郎
@kenichiromogi
1時間
「中止リベラル」のむなしさというと、青島幸男さんを思い出す。 私は、世界のシステム全体として見たときに
オリンピックの4年おきの形態自体を廃止することは、歴史の長い目で見ても
とてもできないだろうとは思っているが
(そもそもスポーツマンの立場から、個々のスポーツの全体的統合としての
世界オリンピックの視点とは、欲望されるだろうから)
しかし今回の東京オリンピックについては、中止してよかったと思っている。
そもそもオリンピックの普遍性の立場からしても、
世界情勢の如何によっては、政治的情勢や安全性の観点から、
そのオリンピックはいつでも中止されることがありうるのだということを、
オリンピック全体の観点からいっても、ちゃんと示しておくべきだったと思うのだ。 そもそも「政治的な理由」からは、日本もモスクワオリンピックボイコットとか、
いつでもオリンピックは放棄してきた前例があるのに、
今回は最も緊急かつ必要な条件があったにもかかわらず、
オリンピック中止できなかったことは、おかしい。
日本の政治上の一貫性としても矛盾している。 {白,黒}のカピバラの左随伴右随伴
·8月13日
デルタ株が速すぎる。感染者と接触した人が2日後にはクラスターを作る核になった事例も聞こえてきた。2日で無症状スーパースプレッダーが出来上がる。撒き散らす量が1日で1000倍増えることもある。広東省のデータは曝露からウイルス検出時間までの四分位数が3日、4日、5日というので平均でも速すぎる。
{白,黒}のカピバラの左随伴右随伴
·8月13日
病床数の統計は現実を反映しないため役に立たず、医療機関も公式には数字を出さないので、信頼する医療機関内部や罹患者の周囲から聞いて回るのが一番信憑性が高い状況になってしまった。現在、依然厳しい状況だが、重症化してしばし待つと退院でできた空きに潜り込める場合もあるようだ。後はもう運。
{白,黒}のカピバラの左随伴右随伴
·8月13日
行政法学者の標準的な見解は、日本の法体系において合法的にロックダウンすることは現憲法下でも可能だが、立法の上、全国民に保証金を出すことが必要というものらしく、それで政府と国会がとにかくロックダウンを嫌がっているとのこと。保証金出さないと、訴訟が乱れ飛ぶことになる、という話だった。 サンデル『実力も運のうち』で、能力主義への対案として「適格者くじ引き入試」
について言及してたけど、柄谷行人が菊池寛「入れ札」論でほぼ同じこと言ってるんですね
(『日本精神分析』講談社学術文庫p.177-179)。
「籤引き制は、むしろ、それが「運」にすぎないという事実を自覚させるのです。」
Matthew
@Matthew51516969
14:57 ジェイムソン「アドルノ」に、交換への言及があり、柄谷行人の交換様式論を思い出した。
アドルノが、交換関係という用語を頻繁に用い、交換価値を哲学の領域に押し上げたという。
フレドリック・ジェイムソン「アドルノ 後期マルクス主義と弁証法」
(加藤雅之・大河内昌・箭川修・齋藤靖訳、論創社)
フランクフルト学派によるフロイトの用い方が斬新なのは、フロイトのカテゴリーを、決して中心的な編制作用をもつ何らかの概念としてではなく、(交換の過程と資本主義の動力学の指標ならびに結果としての抑圧と傷ついた主観という)一種の補足的社会心理学として利用したところにある。
同一性について言うならば、これが実は交換関係(これもアドルノが頻繁に用いる用語である)に関するマルクス的概念を表わすアドルノの言葉であることを、われわれは確認した。だから、アドルノの功績は、マルクス主義ないし弁証法的な伝統に根ざした思想家のだれよりも、豊かな細部にわたって、交換価値という教説の共鳴や含意について積極的に一般化し、哲学というより高尚な領域へと押し上げたことにあるのだ。
97年の批評空間でアドルノ特集があって、この時に、柄谷は交換に注目するようになったのかと思った。だが、批評空間のこの号は、ジェイムソンの「アドルノ」もそうだが、アドルノというより、ベンヤミンの芸術論をめぐる議論が多かったかもしれない。
柄谷は、マルクスの交換価値を哲学的に語ったり、マルクスとフロイトに言及して議論を進めるが、そのスタイルの原型の一つはアドルノだったのだろう。
https://w.atwiki.jp/aabiblio/pages/55.html#id_4721bd47
II-12, 1997.1「共同討議 アドルノのアクチュアリティー」
木田元・徳永恂・矢代梓・浅田彰・柄谷行人「共同討議 アドルノのアクチュアリティー」 力と交換様式
新アソシエーショニスト宣言が高価だったから
こっちも高そうだな
世界史の構造
くらいかな? 柄谷さん昔は逃れられない構造の中にわれわれはいると言っててそれは非常にリアリティあったんだけど
アソシエーショニズムにしろ交換様式Dにしろ正体不明過ぎて ボブ・ディラン、性的虐待で女性が提訴 「56年前に被害」
[16日 ロイター] - 米シンガーソングライターのボブ・ディラン(80)から56年前に
性的虐待を受けたと主張する女性が13日、ディランを相手に損害賠償を求める訴え
をニューヨーク州の裁判所に起こしたことが分かった。
原告の女性は本名を明らかにしておらず、「J.C.」と名乗っている。訴えによると、
12歳だった1965年に薬物やアルコールを与えられ、性的虐待を受けたと主張。
ディランから6週間にわたりニューヨークのアパートで虐待され、
「今でも感情的に傷つき、心理的な打撃が残っている」としている。
損害賠償額は明示していない。
一方、ディランのスポークスマンは、「56年前に起きたという訴えは真実ではなく、
裁判で精力的に反論していく」と述べた。
ディランはこれまで、全世界で1億2500万枚以上のレコードを売り上げ、
2016年にはノーベル文学賞を受賞した。 56年前のセクハラだってさw
果たしてディランは逃げられるのか? >>194
いや、資本ネーション国家だけ分かってればいいんだよ。
アソシエーションやDは単にその外部だと。イメージする必要はない。
強いて言うなら、ヒントは
九十年代以降、アメリカ経営学が静かなブームで分権組織社会のイメージが流布された。インターネットもその一環。
それは経済右派のものだが、それを左から見たのがアソシエーショニズム 200ゲット
ニーヒャ苦ゲット
ドリカムのニーヒャは残りの二人が活躍しすぎて苦しんだ。
ドリームは統制的理念
アソシエーショニズム・カムトゥルー 遠藤ミチロウとニーヒャで
スターリンカムトゥルーなんてユニット結成すれば 20年前に柄谷は、アルカイーダはマルチチュードじゃないか!と言っていた コセリウは「言語変化という問題」で、ドロシェフスキー、メイエに従って、デュルケムの社会的事実とソシュールのラングの記述の類似を指摘している。
デュルケム「社会学的方法の規準」
(社会的事実は)それを作り出す社会そのものの中に存在するのであって、その部分、言いかえれば、その成員の中に存在するのではない
(社会的合力は)どの個人をとってみても、まるまるそっくりそこにあるのでない
(社会現象は)個人にとって外的(であり、個人が)そとから(受けとったものである)
(社会的事実は個人に押しつけられる)
(集団的思考は)それ自体において、それ自体のために確認されるべきである
(社会的事実は)事物として(研究されるべきである)
(社会学を)集団表象(の科学、)社会心理学(と考える)
(社会的事実を)集団意識(に帰する)
ソシュール「一般言語学講義」
(ラングは)大衆の中にあってはじめて完全に存在する
(ラングは)ことば(ランガージ)の社会的部分であり、個人にとっては外的(であるから、ラングは)その本質において社会的であり、個人から独立している
(言語とは)個人が受動的に受けとるだけの製品(であり、個人は)自分でそれをつくり出すこともできなければ、変えることもできない
(ラングは)それ自体において、それ自体のために(研究されねばならない)
(ラングの研究は)ひとえに心的(であり、言語学を)社会心理学(の一部と見なす)
(体系を形成する論理的、心理的関係を、集団意識が受けとるがままにとりあつかう)
柄谷行人も、初期の文体は吉本隆明に似ていたかもしれない。
古事記序の漢籍との類似に近いか。
大学の社会学の講義で、デュルケムがテーマだったが、最終回に唐突にソシュールの説明に時間を割いていた。講師も内容もよく覚えていないが、デュルケムとソシュールとの関連だったと思う。
ソシュールの「言語には差異しかない」という言葉は有名だが、デリダの他、ハイデガー、ドゥルーズにも影響を与えたのだろうか。 スターリニズムには、統制的理念しかない。
逆に言えば、統制的理念しかないものがスターリニズムである。。 3 統整的理念(理性の統整的使用)と構成的理念(理性の構成的使用)
カントは、ある種の超越論的仮象は、実践的に有益であり、不可欠だと考えた。その場合、彼はそのような仮象を「理念」と呼んだ。ゆえに、理念とは、そもそも、仮象である。
例:詰め碁や詰め将棋では、実戦でならば解けないような問題が解ける。それは詰むということがわかっているからだ。サイバネティックスの創始者ウィーナーは、自ら参加したマンハッタン・プロジェクトで原爆を作ったあと、厳重な情報管理をしたという。それは原爆の作り方を秘密にすることではない。原爆を作ったということを秘密にすることだ。作れるということがわかれば、ドイツでも日本でもすぐにできてしまうからだ。いわば、原爆の作り方が構成的理念だとしたら、原爆を必ず作れるという考えが統整的理念である。
ある理想やデザインによって社会を強引に構成するような場合、それは理性の構成的使用であり、そのような理念は構成的理念である。しかし、現在の社会(資本=ネーション=国家)を超えてあるものを想定することは、理性の統整的使用であり、そのような理念は統整的理念である。仮象であるにもかかわらず、有益且つ不可欠なのは、統整的理念である。 カントで言えば(判断力批判より)、統制的理念とペアになって補完してる概念があって
それが反省的概念でしょう。
反省あるいは反照というのは(reflexion)、必ず最初の設計図、
統制的な理念の構造のズレを発見してそれを訂正させるんだよ。
あるいは最初の統制的理念自体が誤りだったことを認めさせる。。。 全く反省的構造が麻痺したままで、いつになっても最初の間違いに還っていけない
柄谷行人とは、一旦オナニーを覚えたら死ぬまでマス掻きつづける猿の姿に等しい。 そういう相互還帰性、
弁証法的な修正の見いだせないところで
カントを語ることの虚しさよ。
というか、柄谷の場合、カントの単なる誤読でしょうw ナチのアイヒマンは、カントの「定言命法に従って」
強制収容所にて、ユダヤ人の大量虐殺を実行したという。
柄谷行人とかその下っ端は、
アイヒマンやナチのメンバーたちと、何か違うんですか? 大体、「統制的理念」なんて、
ドゥルーズとガタリが最も破壊した概念のことだったはずでしょう >>221
同じだからこそ、そこに思想の課題があるんじゃないかい? >>223
ドゥルーズとガタリってフロイトとマルクスを理解できなかった(読まなかった)人たちだよね? >>225
柄谷よりは、マルクスもフロイトもよく知ってるんじゃない?
それらテキストが具体的な歴史の中でどう悪用されたのかも
そもそも柄谷のは、マルクスもフロイトも、読むというよりは
全部勝手に自己流の展開で捏ち上げてるだけでしょうw >>227
ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』とか『千のプラトー』は読んだ?
フロイトやマルクス読んだことがある人が読んだらお茶吹いちゃうよ? だからその本は、
統合するな! スキゾせよ! (逃走せよ)
というスローガンを繰り返し叫んでる本でしょう。
浅田彰が紹介して有名になったやつw
なんでそこまで常識化した過去の歴史を批判する方法を
今更柄谷に覆されなきゃならなかったんだ?ww
そもそも歴史を具体的に振り返れば、
そんなことできるわけがないのは分かりきったこと。 そもそもマルクスにもフロイトにも、「統制的理念」なんて全く無いよ
彼らは柄谷よりもカントのテキストと親しかった時代の人だが
だからこそ尚更そんなダメでヤバい概念なんて見向きもしなかった。。。 > そもそもマルクスにもフロイトにも、「統制的理念」なんて全く無いよ
だから柄谷は、
フロイトの言ってる「超自我」が統制的理念にあたっているとか
後から捏ち上げたんだな。 恋多き女はいいけど、華族であざとい感じはしますね。室井佑月と同様、額田王を意識したかもしれない。
タウンシップも白蓮も、余裕や立場があったから、注目される体制、言動が出来たと思う。
グレース・ケリーがモナコ大公と結婚したのは、1956年か。
白蓮は、宮崎龍介(滔天の息子)の社会運動の思想が新鮮で結婚したけど、戦後、明仁と美智子の結婚に反対したという。華族として一貫はしていたかもしれない。
wikiが面白い。日比谷大神宮があったんですね。 ワクチン打ったらモテだした!
モデルナ→モテルナ→モテるな
昨日、カフェで隣のテーブルのおじさんが言ってました
キモかったですにやにやした顔 兵役さぼるより訓練もトップではやく出兵しないと。精神病院は。 千葉真一、やっぱりワクチンを打ってなかったか。
おじま紘平(東京都議会議員・練馬区)
@ojimakohei
10時間
俳優の千葉真一さんが新型コロナで亡くなりました。
7月末に陽性判明、8/8に肺炎が悪化し入院、酸素吸入を続けていたが8/18に危篤、
8/19に死亡。82歳でしたが、ワクチン接種はしていなかったとのこと。
打たない事情は人それぞれですが、やはり打てる人は打つことをお勧めします。
ご冥福をお祈りします。 「僕にとって批評とは、思考することと存在することの解離そのものを見ることでした」
柄谷行人
いで
@ied_nek
昨日 14:45 柄谷はなんでツイッターやらんの
辺見庸ですら始めたのに プライドが高い人はみんなやりません。
浅田彰も
蓮實重彦も
大江健三郎も
・・・・・
もし彼等がツイッターをやったら、大衆と同じ地ベタに堕ちるでしょうw >>239
柄谷さん、それ本気で言ってるんですか? 思考すること = NAM
存在すること = UNKO 岩波書店
@Iwanamishoten
2時間
【今日の名言】
経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは
一度たりともなく、また歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなど
まったくない、ということです。
――ヘーゲル/長谷川宏訳『歴史哲学講義』(上) かと言って、
NAMが歴史(20年)から何か学んだわけ? > 「僕にとって批評とは、思考することと存在することの解離そのものを見ることでした」
> 柄谷行人
あー。つまりこういうことか。。。
「思考すること」と「存在すること」が乖離して流れていくのを見るにつけ
それを追いかけていって分裂してるものを取り戻そうとする態度のことを指して
要するに、
統制的理念
というのね。
(柄谷の場合は、統整的理念という) 「玄人とは、素人でもできることをやり続ける恥に耐えることだ」
これ笑福亭仁鶴の残したすげえ言葉なのだが、
自分がこれを誰の伝で知ったかというと柄谷行人っていう(u ・人・)南無
落語家 笑福亭仁鶴さん死去 84歳 テレビ ラジオでも幅広く活躍 | NHKニュース
せーぶる@新刊準備中
@sandworks
12:17 >>253
それにしては、NAMって、もう単なる垂れ流しの実在になってますよね。 >>253
一応説明しておくけど、解離と乖離は別の意味を持つ言葉。
解離はバラバラの状態、乖離は離れて行く状態。
どっちが適切なのかは知らない。 NAMって現実にはその両方でしょw
それで決して統合=統制はされない。
無理。 「NAMとは、素人でもできることをやり続ける恥に耐えることだ」
笑福亭仁鶴 8/20
エヌエチケの関係者なんですけど
生活笑百科の司会は柄谷行人になるらしいよ
柄谷行人がNA〜Mくおさめます
ぶちおさんになんでも質問しよう! >>260
それはそうでしょう。プロ市民の運動じゃないんだから
というか恥はべつに無いだろう いやNAMはプロ市民を自称するものかと思ってましたが?w 小林が随筆といわれる文体でマルクスまで語るのはクラプトン的なのでは。 なんだかんだ
40で日本近代文学の起源
50あたりからは批評空間
60でトランスクリティーク
70で世界史の構造
80で力と交換様式
っていうスケジュールで書いたのはすごいな
柄谷が他のヨーロッパの知識人に勝てるアジア人の長寿さっていうフィールドで戦ってるのはすごい
ヨーロッパ知識人じゃトランスクリティークが遺作になってただろうところを誰よりも長く生きて理論を修整してくっていう >>263
いやあんた相当恥ずかしいよw
自分で気が付かないの? そういった世界が、ネオリベラリズムの
ひとつのユートピアなんですよね。
「マーケットは無駄なことはしない。
どんどん効率化を進めてくれる」
が大前提で、
「だから、すべてをマーケットに委ねたほうが
社会はうまくいくんだ」
という論理なわけです。
だけど実は、それによって無駄なものが
どんどん増えていく実状があるわけです。
──
どうしてそんなことになるのでしょうか。
酒井
いくつかの理由が考えられますけど、
グレーバーはまず
「市場が効率を最優先するというのがおかしい」
と指摘してますね。
それは市場の実態に即さない幻想であると。
なぜかというと
「マーケットはもともと政治や国家と
密接につながって生まれてきたものだから」
と言うわけです。
このあたりはグレーバーが
非常に得意とするところなんですけど。
人類学的に見て
「市場」が生まれたきっかけって戦争なんですね。
兵士に物資を配布するとき、いちいち戦場に
持っていくのではとても間に合わない。
そこで兵士に貨幣を渡して、価値を国家が保証した。
だから民間の人も安心して貨幣を受け取るわけです。
人類史的に見ると、
それがマーケットのはじまりらしくて。
このマーケットというのは、
市場(いちば)ではなく、市場(しじょう)ですね。
いまのフリーマーケットみたいな
未開社会にもあるようなマーケットではなくて、
我々の知っている、貨幣の交換でおこなわれるマーケット。
だからマーケットはもともと
政治や国家の思惑と密接に結びついている。
日本でもそうですよね。
マーケットが完全に独立しているかというと
そうではない。 ──たしかに。
酒井
もうひとつはこの、ネオリベラリズムという考え方です。
いま我々を支配している
「マーケットに委ねれば効率的になってうまくいく」
「失敗は自己責任」
というようなイデオロギーって、
「マーケットのイメージを利用した
政治的イデオロギーなんじゃないか」
とグレーバーは言うんですよ。
60、70年代の危機に対応しながら、
ネオリベラリズムはだんだん支配的な思想になってきた。
だけどこれは基本的に
「資本主義の外に人々がイメージを膨らませたり、
生活を営んだりという発想を
どんどんつぶしていくイデオロギーだ」
と言うんです。
そういう「政治」なんだと。
酒井
これは別にグレーバーだけが
言っていることではないんですね。
「ネオリベラリズムは経済学じゃない。
マーケットを利用した政治だ」
というのは、最近のネオリベラリズム研究の
だいたいのコンセンサスになりつつあります。 ──『ブルシット・ジョブ』の本には
「効率化を目指しておこなう行動が
逆に効率を悪くしてしまう」
という話もありました。
酒井
この本の斬新さのひとつは
「効率化が叫ばれることで、必要な人やものが
切り捨てられたりしてしまう」
という側面に注目したところだと思うんです。
実際そういうことって、
シット・ジョブの領域などでは
すでにたくさん起きているわけです。
効率化をどんどん唱えられることによって、
みんなが非常勤・非正規に転換していく。
社会保障が切り捨てられる。
それによって人々の労働条件が
どんどん悪化していく状況があるわけです。
その行為がどう正当化されているかというと
「市場原理は合理的だから、効率を悪くするはずがない」
という考え方ですね。
だから
「そういった状況で切り捨てられてしまう
のであれば各自の責任」
「無駄な人員にならないように、
頑張って自分の能力をあげなさい」
そういう言い方で、
切り捨てが正当化されていたわけです。
これはさっき言った
「ネオリベラリズム」という
イデオロギーの一端ですけれども。 > 人類学的に見て
> 「市場」が生まれたきっかけって戦争なんですね。
> 兵士に物資を配布するとき、いちいち戦場に
> 持っていくのではとても間に合わない。
> そこで兵士に貨幣を渡して、価値を国家が保証した。
> だから民間の人も安心して貨幣を受け取るわけです。
> 人類史的に見ると、
> それがマーケットのはじまりらしくて。
> このマーケットというのは、
> 市場(いちば)ではなく、市場(しじょう)ですね。
> いまのフリーマーケットみたいな
> 未開社会にもあるようなマーケットではなくて、
> 我々の知っている、貨幣の交換でおこなわれるマーケット。
> だからマーケットはもともと
> 政治や国家の思惑と密接に結びついている。
これって、マジ? 『ブルシット・ジョブ』の本には
それ数年前に読んでてもう過去の話題なんだが。ダビンチとかでも一年位前に紹介されてたわけで。なんで今頃その話題にこだわってんのかイミフ。 なんで議論の対象とするのに、本が古いとか新しいとか関係あるわけ?ww 議論の本質が読めないやつは、イミフを超えて、単なるバカ やっぱりNAMには単なる恥ずかしい人間しか残ってないな 本質w
> この本の斬新さのひとつは
何が斬新なんだかw
こんなの現場はみんな知ってる。分かってて流れに乗って金もらってなあなあに生きてるわけよ。
その現実を知らなかった批評家連中が斬新とか言ってるのがおかしすぎてアホらしすぎて。 グレーバーさんでも対象にしなかったら
NAMなんか単なるゴミにしか見えないだろうw
やっぱり話にならない恥ずかしい人間しか柄谷には残されていないんだな グレーバー負債論第九章を拡大解釈したのだろう
最初期のリュディア硬貨は傭兵への支払いに使われたそうだし(341#9)、戦争期の金属貨幣は市場での交換に適していた。
ただしグレーバーも依拠するモースは戦争に対して贈与を位置付け、贈与から信用貨幣、市場が生まれたとする。
グレーバーは基本的にはモースのラインだから戦争ではなく贈与が重要になる
勿論グレーバーとモースはズレるがそれを強調しすぎるのはどうかと思う
国家は常に戦争状態にあるとしても金属貨幣は絶対ではない
したがって金属貨幣に基づく市場観も絶対ではない 現在の資本国民国家の枠なら必ず恐慌のときう金属が出てくるよ
なんで中国とアメリカがあんなに必死に金を貯めてるのか
むろんLETSとか地域通貨にそれが必須かはしらんが
ただ何か農産物とかいわゆるタンジブルアセットを根本に置かないとだめじゃないかね 付け加えるとマルクスの言うように他者に対して使用価値がないと
一般的等価物はあくまで他の商品と同じとこから出てきて価値形態3ではじめて”商品の法王”になるんだから
他者っていうのは全く価値観のことなる共同体にもある程度まんべんなく使用価値がないとだめだ
したがってコメでもとうもろこし電気や水でも行けるはず
ただしなんの商品とも絡まない貨幣は価値形態論に反する >>286
>なんの商品とも絡まない貨幣は価値形態論に反する
『資本論』読んでごらんよ。 んっ?
それはきみのほうが資本論読めてないんじゃないの? 100分で名著「カール・マルクス資本論」斎藤幸平著、読了。面白い内容だった。柄谷行人のコミュニズム論を久しぶりに思い出した。また読み返してみるかな 字幕付CONFLICT【This is A.L.F.】Live at Bunker 1987
https://youtube.com/watch?v=sIzZqLgMr0w >>290
おいおい
最初っからそのレベルで言ってたのかよwww このスレッドの主な書き込み人物
■佐々木真―熱狂的な柄谷ファン。20年〜30年前から柄谷の講演会があるときは必ず日本全国のどこにでも北海道から出かけ、最前列にすわる。「柄谷行人を解体する」というサイトも運営する。この2ちゃんねる柄谷スレッドも基本的に佐々木がたてている。柄谷からは20年前から「たんに迷惑」「一種のストーカー」「本人に特に悪意があるわけではない」「ストーカー的な人こそ最も厄介」と認識されているhttp://web.archive.org/web/20030718212008/http://askaccs.ne.jp:80/tokushu/sp_06.html
■栗原信義 ―元NAM会員 自称ピエール 20年前、柄谷にNAMで下記のようにいわれ、さらにそれを20年前、2ちゃんねる柄谷スレににさらされ、恨みに思い、この2ちゃんねるスレとスガ秀実スレを主戦場に、業界ウラ事情通風な立場で柄谷神話を破壊しようと言論活動を20年前から続けている。数年前から佐々木と結びつき、頻繁に会い、自らの発信の立ち位置を確立しようと模索する。
栗原君
君は、かつて法政大学で私のゼミに何度も来て、私に「来ないでくれ」と言われ、昨
年の駒場の集会のあとでも、私に「君はNAMに入るな」と言われたはずだ。その翌日
の紀伊国屋ホールのシンポジウム(NAM生成所収)で、私が、ダメ連とか現代思想オ
タクにはNAMに入ってもらいたくない、としゃべったが、そのときも、君のことを念
頭においていた。しかるに、君はNAMに入り、案の定、支離滅裂な議論で、まじめに
受け答えする人たちを困らせ、また、事務局を不当に攻撃している。どんな人からも
学ぶべきところはあるが、現代思想オタクや三流物書き志望者から学ぶことはなに一
つ無い。今後、発言に注意してもらいたい。今後、MLの議論を無用に混乱させること
をするなら、私の責任で、MLから除くことにする。 柄谷行人 おいおい まだまだもっと書き込んでる人はいるだろうww
つでに可能涼介の紹介も付けとけよ > この2ちゃんねるスレとスガ秀実スレを主戦場に、
これもなんか違う。
そもそもピエさんがスガスレに潜り込んだのは今年になってからのことで
つい最近の現象である。
それに>>293は、今だにこの場所のことを「2ちゃんねる」とか言ってる。
なんか外れてるし、
そもそも柄谷スレの歴史的な形成過程について、全く何も認識していない。 そもそも広島の栗ちゃんや
比ヤング(フマ)の話も全く為されていない だから、これから本にするかもしれないもの、
あるいは自分のサイトに載せるかもしれないものを、ウェブで勝手に公開されたら、
営業妨害だという気持もありますが、それ以上に許しがたいのは、
自分が不十分だと思っているものが、あらためて公開されてしまうことです。
他人にとっていいものだと見えるかもしれないが、著者にとっては、
それは耐え難いことなのです。隠しはしないが、わざわざ見せたくもない、
というようなものが誰にでもあるでしょう。 以前にも、私の著作をウェブに載せる人がいました。
しかし、その人は途中で許可を求めてきました。もちろん、やめてもらいました。
そのとき、こういうことをいった覚えがあります。
私の著作を広めたいという気持は有難いけど、
世の中には「有難迷惑」ということがあるのです、と。
今回のケースは、それと違って、たんに「迷惑」でした。
何しろ、「柄谷行人を解体する」という題でやっているのだから、
迷惑させようとしているのでしょう。
とはいえ、その意図が最後まで、よくわかりませんでした。
結局、思ったのは、その人は一種のストーカーだということです。
本人に特に悪意があるわけではない。しかし、ストーカー的な人こそ最も厄介なのです。
弁護士を通して法的に詰めていかなかったとしたら、今回の事態は解決していません。 編集部 今回の事件は明らかに著作権侵害ですが、ネット上でのこのような事件は
今後も発生することが予想されます。今年5月に「プロバイダ免責法」が施行されました
ので、侵害を受けた場合の救済はされやすくなると思いますが、ネットが持つ可能性と
背反する部分として、先生はどのようにお考えですか。
柄谷氏 今回の事件を起こした人物は、「雑誌に載ったものはすでに公的なものであり、
著者が私有することはできない、ゆえに、それをウェブに載せるべきだ」と思っているよう
です。しかし、著者にはそんな義務はないし、他人が勝手にそうする権利もない。
もちろん、著者は、一度そういうものを発表したという事実性を否定できません。しかし、
証拠として、出版物があるわけですから、読みたい人は探して読めばよい。この点で、
ウェブ上の著作とは違います。
アメリカの学界でも、ウェブで発表されたものは学問的業績として認められない。
ウェブでは、いつでも書き直せるため、そして、それが書き直されていないという証明も
できないため、「事実性」(歴史性)をもたないからです。もし学問的な業績にしたかったら、
数部印刷し製本して、国会図書館に送っておけばいいのです。実際に出版しても、
ほとんど売れないのだから、そのほうが金がかからないでいいと、私は思います。
(編集部注)
奇妙なのは、大勢の人の目にふれるウェブ上の著作よりも、ほとんど人が読まない数部
の本や雑誌のほうが、「パブリック」だということです。それは、「パブリック」ということが、
多くの人の目にさらされるということではなく、オリジナルを勝手に変更できないということ、
変更してもよいが変更したことが明示されるということを意味する、ということです。
(ところで、今回の事件を起こしたかの人物は、勝手に、私の著作を適当に削ったり
要約しています)。 作品を勝手に変えてはならない、そして、変えた場合にそのことがわかるようにする、
ということは、普通そう思われているように、オリジナルが偉い、とか、個人(私)に
独自の尊厳があるからではなく、それがパブリックにされたもの、つまり、他者との関係
において存在したものだからです。それを否定すると、publishment ということが成立しない。
一般的に、私有財産に反対して、まるで、著作権など無視することが革命的であるかの
ようにいう人がいます。だから、今回のようなことをやっても、悪いことをしたという気持が
ないのです。しかし、ここに大事な問題があります。
マルクスは、「コミュニズムとは、私有の否定であり、個体的所有の再建である」といって
います(『資本論』)。この奇妙な言葉は、まともに理解されたことがありません。実際、
コミュニズム=私有の否定=国有化だと思われているからです。実際、そのような考えを
実行した国家においては、個体的所有というか、個人の個体性(単独性)がまったく
抑圧されたのです。
しかし、このマルクスの言葉は、著作権に即して考えれば、一番わかりやすいと思います。
つまり、「私有」は著作財産権にあたり、「個体的所有」は著作者人格権に当たります。
前者を否定することが、後者を否定することになってはならない。
むしろ、後者こそが著作権法の目標でなければならない。
たとえば、フリーソフトウェアの運動は、知的所有権全部を放棄しているように見えます
が、名誉(固有名)を重視し、また使用目的の指定(ライセンス)のような制限があります。
決して、でたらめではありません。インターネットによって、私有財産としての知的な
私有権が成立しにくくなる、ということは、結構なことです。しかし、問題はそれが同時に
「個体的所有」(=著作者人格権)をも破壊する可能性があるということです。
だから、われわれは今後、インターネットの時代に、いっそう注意深くなければならない、
と思います。
(以上のインタビューは、編集部より柄谷氏に文書にて質問し、柄谷氏より文書にて
回答をいただいたものです) > ウェブで勝手に公開されたら、営業妨害だという気持もありますが、
> それ以上に許しがたいのは、自分が不十分だと思っているものが、
> あらためて公開されてしまうことです。
> 他人にとっていいものだと見えるかもしれないが、著者にとっては、
> それは耐え難いことなのです。隠しはしないが、わざわざ見せたくもない、
> というようなものが誰にでもあるでしょう。
改めて、柄谷行人自身の言葉に従って言えば
>>293 みたいな馬鹿な文面作って貼り付けてる人物は、
柄谷自身にとって耐え難い、愚かな行為をしているということである。 > 作品を勝手に変えてはならない、そして、変えた場合にそのことがわかるようにする、
> ということは、普通そう思われているように、オリジナルが偉い、とか、個人(私)に
> 独自の尊厳があるからではなく、それがパブリックにされたもの、つまり、他者との関係
> において存在したものだからです。それを否定すると、publishment ということが成立しない。
「作品を勝手に変えてはならない」のと全く同様に、文章とは、
それが書かれた文脈からも、切り離されて用いられてはならない。
それがpublicにされたとき、それは独自の文脈と前後関係の中で書かれているに
決まっているからだな。
もちろん>>293のような愚かな文面を作ってる人間には、そんな文脈、
コンテクストを読み取る能力など、最初からあるわけがない。
何か柄谷行人とその取り巻きのことを擁護する行為のように見えて
それは全く、柄谷行人の人格的著作権及び尊厳を破壊してるだけの行為に
過ぎないわけだな。
実際柄谷は自文の犯してしまった馬鹿な行為を、おかげでこれから先も
ずっと追求されて、非難される運命になった
そんな結果を招いただけである。 > http://web.archive.org/web/20030718212008/http://askaccs.ne.jp:80/tokushu/sp_06.html
実際柄谷行人のこのインタビューがWEB上に掲載されたのは、
今から確認すると2002年の11月のことだから、
NAMのメーリングリストから勝手な流用による事件が、2ちゃんねるの柄谷スレで
最初に起きたのが2002年の6月だったことを考えれば、書面で回答されたという
柄谷行人のインタビューとは、当時2ちゃんねるで起きた事件(大事件?)
を見据えた上のことで、その状況を念頭に置いた上で、答えているということだな。 まー2002年11月当時、柄谷行人がこのインタビューを発表したのは
明らかに当時の2ちゃんねるで起こっていた事件に対する
柄谷自身の見解、立場として表明したのでしょう。 その後に、改めて別の形から、NAMの組織上の崩壊過程における
内部のゴタゴタの告発やメールが2ちゃんねる上で流出してきた事件は、
そこからちょうど一年後くらいで、2003年終盤の事件だった。
そのことを考えれば、柄谷が2002年11月に発表してる意見とは、
明らかに2ちゃんねる上で、栗原さん(ピエール)が巻き込まれてしまった事件
を念頭にして言われたものだったんだろうな。 > その後に、改めて別の形から、NAMの組織上の崩壊過程における
> 内部のゴタゴタの告発やメールが2ちゃんねる上で流出してきた事件は、
> そこからちょうど一年後くらいで、2003年終盤の事件だった。
いやこれはちょっと記憶違いだったなw
NAMの組織崩壊が起きたのは、もう2002年の冬だった。
それで2003年の初頭に早稲田の奉仕園でNAMの解散集会が行われたんだったな。
ネット上にこの柄谷インタビューが出た直後くらいから、NAMのメーリングリストは
もう紛争状態になり、11月から12月にかけては、2ちゃんねる(柄谷スレ)上にも
その情報が告発として流出してきた。
そういう展開だったか・・・・ >>303
> 実際柄谷は自文の犯してしまった馬鹿な行為を、おかげでこれから先も
→ 自分の犯してしまった 佐々木や栗原は2ちゃんが生んだとされているQアノンみたいなものだから、
https://webronza.asahi.com/national/articles/2021030500011.html
端的に栗原/佐々木がうまれた文脈は端的に明示しておかないとだめだろ。
誤解を生むからな。
今のネットリテラシー的には当然の行為だ。 栗原はこれからも自分の人生をかけて、この5ちゃんで
「実際柄谷は自文の犯してしまった馬鹿な行為を、おかげでこれから先も
ずっと追求されて、非難される運命になった
そんな結果を招いただけである。」
をやめないだろう。
しかし同時にその文脈も明示され続けるだろう。
それだけの話だ。柄谷がくずか、栗原がくずか、それはここでは関係ない。
フェアに行こうというだけの話だ。 僕の在住は以下で、北海道から柄谷見に行ったのは限られてますよ。
飛弾さんも勘違いしてましたが。
最前で見るようにしたのは、2012年からです。
熱狂的なファンという自覚はないですね。
1989年〜91年 松戸
1991年〜2008年 柏
2008年〜2009年 旭川
2009年〜2012年 茂原
2012年 厚木
2012年〜 旭川 柄谷の「ファンサイトの何が問題なのか」は
身に余る考察で励みになりますね。
浅田や東へのコメントより長いかもしれない。 >>309
> 佐々木や栗原は2ちゃんが生んだとされているQアノンみたいなものだから、
そりゃ全然外れてるよww
そもそもピエさんみたいに自分の正体がバレようと自分の信念を決して曲げずに
行動に走る人間が、Qアノンに分類されるわけないでしょうに。
本当のQアノンとは、もっと陰謀的な運動を企てる人間たちのことだよ。
ピエールの場合は、正体が見られようと見られまいと、
そんなことは最初からどうでもいいと思っている。
だからそこに陰謀性が生じようがない。
ただ単にコミュニケーションの屈折を廃棄していって
情報の見晴らしをストレートにしようしようとだけ、志してるだけの人間だということ。
それが元々柄谷の目指したい「文学」とは衝突していたというのなら
それはもう致し方ないw そもそもNAMの運動を全体として、今になって振り返ってみたとき、
あれは相当の陰謀系集団だったとは思うよw 1941/8/6 柄谷行人が生まれる。
1945/8/6 広島原爆投下
2011/3/11 福島原発事故 >>299
> 世の中には「有難迷惑」ということがあるのです、と。
> 今回のケースは、それと違って、たんに「迷惑」でした。
> 何しろ、「柄谷行人を解体する」という題でやっているのだから、
> 迷惑させようとしているのでしょう。
> とはいえ、その意図が最後まで、よくわかりませんでした。
> 結局、思ったのは、その人は一種のストーカーだということです。
> 本人に特に悪意があるわけではない。しかし、ストーカー的な人こそ最も厄介なのです。
> 弁護士を通して法的に詰めていかなかったとしたら、今回の事態は解決していません。
しかし結局は、
柄谷さんが、NAMという名前を通して、もはやこの世で最大級の
ある種ストーカーと化していて、日本人だろうと中国人だろうと、
ハメてやろうと付け回している。・・・・
という現実には気づかないのでしょうか? 人がNAMになる、というのはもはやこの世で最強の「有難迷惑」だね 今更NA宣言なんていう本の献本までやってるという行為は
NAMがもはやストーカーの域に達している、一つの証拠 柄谷行人曰く
「ストーカーさんたちの気持ちが今回初めて分かりました」 > 弁護士を通して法的に詰めていかなかったとしたら、今回の事態は解決していません。
その正体があのダメ弁護士の形容詞みたいな柳原だってさw 柄谷は、市民通貨Lの親子講演の時
「柳原、お前も自己批判しろ」と叫んでましたね NAM原理は、再婚した時の引き出物だったらしいから
宣言の献本は、コロナで止むをえない形の反復だったのでは > NAM原理は、再婚した時の引き出物だったらしいから
柄谷行人の正体とは本物の馬鹿ww そんな文壇結婚式みたいなことやってて
一体何が楽しかったんだ? おまえは
そんなに元から寂しい 何もない人間だったのか?
おまえの正体だ 柄谷に献本されたら支持せざるをえない
新潮文庫の漱石解説同様、ファシズムか 夜中に連投かぁ
それで気持ちが落ち着けばいいけどね・・・ 普通に考えて「連投」のような行為は夜中に起きやすい
何を妄想して喜んでいるのだろうか?ww 千葉雅也『オーバーヒート』発売
@masayachiba
35分
外でうんこを漏らす可能性ということに関する沈黙には、
社会の非常に奥深い秘密が隠されている気がしてならない。 そういえば上からずっと辿っていってこのスレにはずっと論破され続けてる
情けない厨房がいたな
それがついに逆ギレして、僻みまくって、
柄谷スレを荒らしに来たのか? Makoto Sasaki Pierre Riviere
摂津さんかスズケンか。吉永?
Makoto Sasaki
頻繁に会いって。ネットのイメージは凄いですね
Pierre Riviere
いやフマ以外にもこういう書き込みできる人間が、あの掲示板には(2ちゃんねる→5ちゃんねる)には潜伏していたということですねえ。背筋の寒くなる話ですがw
Makoto Sasaki
最近の僕を見てる感じもする。関本さん?
Pierre Riviere
フマがまさか今になって、また再びこういうコピペ攻撃仕掛けてくるかなあ?それはたぶんもうないと思うんだけどな。攝津、スズケン、吉永ではないですね。もうちょっと違う手段が使えるでしょう。それに吉永というのは基本的に悪意は見たことがない。関本もそういう悪意系ではないねえ。。。
Makoto Sasaki
サイト運営しなきゃ。市川さんとか
Pierre Riviere
つまりこういうコピペ攻撃に出るやつというのは、必ず悪意でやって来るやつなんですよ。フマ=比ヤングなんていうのはかつて存在自体が悪意以外に見当たらなかった。攝津もスズケンも悪意はあるんだけど、しかしそんなに拗れた恥知らずの方法に走る人間ではなかったんだよね。
Pierre Riviere
市川ってだれですか?
Makoto Sasaki
市川真人
Pierre Riviere
ワセブンが何かからんでるんですか?これに
Makoto Sasaki
さあ。僕の知名度を多少妄想してしまいますね
Pierre Riviere
なんかその投稿の上の書き込みを辿っていくと、資本論関係とかデヴィッド・グレーバーの話とか統制的理念とかの話で、ずっと論破されてる人がいますね。その人がついに頭にきてその書き込みやったんじゃないですかね? 上の論破されてる人がずっと同一人物だったとも思えないのですが。。。
Makoto Sasaki
「数年前から佐々木と結びつき、頻繁に会い、自らの発信の立ち位置を確立しようと模索する」そこそこ年下ぽい。僕の文章のような
Pierre Riviere
なんかただひたすらに気色悪い文体ですねwww
Makoto Sasaki
結びついていたんですね。こんな内容を書く知識、関心がある人がいるのかという感じですね
Pierre Riviere
関心というかそれは単に悪意ある関心を持っているということw 柄谷スレに新登場した恥知らず野郎
果たして、正体は誰か?w 2012年くらいにビットコインの存在を知ったときも、
柄谷行人たちのやったQという地域通貨を思い出して恥ずかしくなったな。
今にして思えば感傷にひたるよりもそのときビットコインを10万円分でも買っとけば、
そしてGOXさえ回避すれば、今ごろは隠居して、安楽な統一的主体になれた。
サムエル・ガケット
@Ajax_en_folie
7:02 ハイデガー「カントと形而上学の問題」
しかしそれでは存在論の可能性の中心的な問題の論究はいかなる超越的部門に属するか。 >>342
仮想通貨を現金化すると、結構税金がきついよ。
ビットコインが使える店など本当に少ないし。 金融資産利益の税金は現行で30%か
確定申告時に、前年度の利益が赤字である場合は税金はなし
利益が100万円超えた場合は税金が発生する 片方の仕事が派遣から直雇用に変わって
初めて確定申告行って、所得税2500円を
ネットでクレジットで払ったら手数料かかった。 >>288
すげえ亀レスだけど価値形態読んだことあるか?
あくまで価値形態のリング”商品世界”に上がれるのは商品だけだよ
そのリングに上がったモノから意外なモノが”商品の法王”になるんであって、商品の要件としての”他人に対する使用価値”を満たさないと商品世界っていうリングに立てない
そこから価値形態がTからVまであるわけで、そうして一般的等価物ができあがる
そしてそこから初めて国家が介入して磨り減りだとかを保証することから初めて国家の強制力を梃子にして貨幣ができて、さらに国家の強制力と銀行の信用力を担保に紙幣が出てくる >>351
『資本論』には、交換価値のみの特殊な商品が貨幣であると書かれている。
交換価値は、労働時間をその価値の源泉とする。
国家などなくても貨幣が発行され流通できることは、仮想通貨が証明している。 いやそれはさ、
何か先行する商品ひとつあれば、それにリンクが作れること
つまりそれに交換関係が成立すれば、
自動的に、次の物も商品になれるのよ。
この「次の物」というのは、何でもいいんだ。
本当に、物はなんでもいい。任意の物
そのようにリンクの環を伝って、水も、空気も、石ころも、
みんな潜在的には商品になりうる可能性を持つ。
原理的には、それが物であれば、何でも商品のリングに上がれる可能性はある。 もちろん、そういう「次の物」とは、セックスであってもいい。
それだって立派な商品だ。
(売春は最古の商品) 実際、そのようにして、ビットコイン(あるいは仮想通貨一般)も、商品になった。
商品へと格上げされたのだ。
それは商品になると同時に、貨幣にもなった。
貨幣としての認証も成功した。(まさに「命懸けの飛躍」をクリアしたのだ。) 何故、ビットコイン、あるいは成立した仮想通貨一般には、それが可能だったのか?
それは、それぞれが、何か先行する貨幣とリンクすることによって、
先行物との分身を形成することに成功したからだ。
それはどのようにして成功したか?
新しい投機の対象として、それらが先行する通貨と、ぴったりリンクしていったからだ。
このとき、貨幣の魂とは、先行する投機の物体から、
次の、それ自体は全く空虚な物体の環、
単にコンピューター上の暗号によって作り上げられただけの、
全くの中味が空虚なる数字の体系の方へと、
価値は自動的に移行していった。
それが単なる、純粋な投機の暗号と化したからである。
このように、先行する物質から(貨幣から)
価値の亡霊とは、見事に、社会的に乗り移ったのだ。 命懸けの飛躍というのは、貨幣が自身の使用価値を失って交換価値のみの商品となることを暗示している。 「命懸けの飛躍」自体は単なるメタファーだからw
そりゃあ対象は何にでも使えるよ
キルケゴールもマルクスも知らずのうちに同じ比喩を使ってます
というのが、柄谷行人の指摘だったんだからw >>361
なんにでも使えるということと、どういう意味で使ったのかということは別問題。
マルクスは、商品の在り方の変容(価値形態の変化)について使っている。 だから商品というのは、その本性的にいって変幻自在であり
何にでも変身可能であり、変幻自在だというのw
どんなゴミ物質だって、そこに交換関係が成り立てば、
即それは商品として認められてるんだよ。
その変幻自在性、自由性というのが、地域通貨だって、やれば成立するはずだという
根拠になってたのw 柄谷行人が鼻かんだちり紙、2千円でどう?
それだって値が付き得るんだよ (可能的には)
柄谷行人の脱糞物 1万円とかでどう?www >>363
商品自体が変身することはなく、使用価値のあるものはなんでも商品になりうる、というだけのこと。
いまのところ、極大の使用価値があっても商品にならない太陽というものはある。
日光浴のための商品はあるとしても。
基本的には、使用価値のあるものは交換価値のみが必要とされる貨幣にそぐわない。 いや、太陽も地球も、可能的には、商品の対象になりうるね 住井すゑ「橋のない川」で
老婆が天皇の排泄物を有難がる場面があるらしい。
明治政府が、神武天皇陵を整備するのに
そこを見下ろす地域の住民を立ち退かせる話と聞いたが 「使用価値があるもの」とそこで言われてるものは、一般的な大量使用、
大量消費になりうる物、といったものにすぎないな。。。
しかしその使用価値というのは、別に、「極私的」使用価値であっても
そこに商品の取引は成立する。
売春というのは大体そういう取引であり、
ソープランドの場合はかなり商品が一般化されうるが、
個々の売春の場合は、個々の裁量で判断されてる。 > 「使用価値があるもの」とそこで言われてるものは、一般的な大量使用、
> 大量消費になりうる物、といったものにすぎないな。。。
つまり大量生産を可能にすることで、資本が一定の安定した回転を可能にする
そのような商品といういうこと。
しかしこういうのは、商品の近代的な段階であり、
すべての時代の商品を網羅しているわけではない。。。 >>367
地球は土地の売買という形ですでに商品化されてる。
言葉の綾としては、日当たりや太陽光の利用などを太陽の商品化ということもあるが、いまのところ太陽自体の商品化はできない。 別の太陽系が発見されて、人間の住める太陽系が複数化されれば、
今私達が見ている太陽も相対化され
そして値段がつきうるでしょうに >>370
マルクスの商品というのは、資本主義における商品。
個別のことは抽象されている。
それがわからないと、『資本論』は理解できない。 >>353
また亀レスだけど
まず即自的に商品であることが前提なんだよ
即自的に商品であるってことは、他人に対する使用価値がないといけない
そこじゃないと商品世界っていうリングに上がらない
人間じゃないと人間社会でナポレオン三世になれないように、他人に対して使用価値がそもそもある商品じゃないと商品世界でその法王たる一般的等価物になれない
あくまでそこから貨幣が派生する >>372
SF脳では、商品の本質を理解できるようにならない。 >>371
土地はあくまで擬制として商品になってるだけだから
地代論のとおり >>374
>即自的に商品である
貨幣の条件としてということ?
それなら、それは間違い。
貨幣に使用価値がないことは、仮想通貨が証明している。 トラクリの後書きの日付知ってるのKARATANI-B(関本さん?)くらいでは >>369
性的労働はマルクスのいう抽象的人間労働でない
重要なのはすべてが産業資本化されるわけでないってことだよ
植民地の材料は奴隷が作ってても資本論は成り立つわけであくまで産業資本の拡張が中心だから売春はその枠外
その枠外が減ってくっていうストーリーだよ >>376
地球の商品化の話だぞ?
土地の商品化は擬制ではなく、実体としての商品。
その所有権の確定に国家という法的根源が必要という面はあるが、実際に土地の使用価値がある以上、商品そのものとなっている。 >>377
一般的等価物の定義だぞ
そのつぎからようやく貨幣が始まるのが資本論だろ
一般的等価物が出てきてからそれをなんとか統御しようと国家権力が出てきて貨幣になる
そしてそこに銀行家が出てきてそれを国が承認して紙幣が出てくる >>380
労働力が商品化されているのが資本主義経済である以上、売春行為もまた労働商品の一部。
工場生産に携わる労働であろうと、性的要素のある労働であろうと。労働は商品となっているのが資本主義経済。 >>382
価値形態は歴史的な順序ではないw
その本質の解明。
つまり商品と貨幣の原理についての理論が価値形態論。 >>381
地球の商品化には3つ側面がある
1つは空間的専有、これは単なる擬制
2つ目は資源の回復可能なエクスプロイト(水車回すとか)、これは差額地代Uの話で、これも犠牲でありながら一定の法則によって決まる
3つ目が回復不能なエクスプロイト、これは実は地代の話じゃなくて巨大な外部不経済で例えば土地を専有しなくても自動車が酸素を浪費してNOXとCO2をばらまく場合と同じ >>384
もちろん、歴史的とは誰もいってない
資本論の”抽象”の順序だよ
抽象は順序を間違うとまったくおかしなことになる >>383
労働力商品はあくまで抽象的人間労働が始まってから
ピンサロくらい効率化が進むともしかしたら抽象的人間労働かもしれないが
アフリカの奴隷が作ったリンネルだとしてそれは資本論の主な分析対象ではない >>385
1、2はその使用価値と交換価値に基づく。
普通の商品と同じ。
3は商品となっているわけではない。 >>388
地代論にそんなこと書いてないぞ?資本論以外の話か? >>389
抽象に順序がないわけないだろ?
理屈をつみあげてくんだから
あらゆるもののなかで順序が一番重要 >>391
何言ってるかわからん
水車の例とかよんだことないの? 去年、AV女優の里美ゆりあが中目黒のタワーマンションで
強盗に600万取られたという事件があった。
里美は、以前、4人のパパ活で2億稼いだけど(という話)、
脱税で処分された。それでタンス貯金してたらしい。 >>392
抽象は順序ではない。
本質の分析。
>>393
『資本論』のどこ? その里美とマスカッツの渋谷タワレコで握手したと思う。
吉沢明歩とか目的だったからあまり覚えてないが。
AVと柄谷のイベントに行く事は時々あった。 例えば石油が出ることを資本論の中でどう説明するかだけど、これは地代で一応説明がつく
水車回したり、湖の水で灌漑したりするのと同じ
湖も水が戻らない可能性がある(アラル海みたいに)
また工場の四日市病みたいな問題は土地の専有と直接関係しない
俺が焼き芋屋をやって、その軽トラの後ろに数十年の熱量のあるストロンチウム90の原子力電池を使ったら周りは放射線汚染の被害を受けるけどこれは土地の専有と関係しない >>396
借地農業者が小麦などを生産するのは、製造業者が糸や機械を生産するのと同じことである。
資本主義的生産様式が農業をわがものにしたという前撞は、この生産様式が生産とプルジョア社会とのあらゆる部面を支配しているということ、
したがってまた、この生産様式の諸条件、すなわち資本の自由な競争、ある生産部面から別の生産部再への資本の移転の可能性、
平均利潤の均等な高さなどが完全に成熟して存在しているということを含んでいる。
地代論の前提は、緒論に書いてある。
条件付きとはいえ、擬制ということではない。 >>398
土地所有をそのさまざまな歴史的形態において分析することは、この著作の限界の外にある。
われわれが土地所有を取り扱うのは、ただ、資本によって生みだされた剰余価値の一部分が土地所有者のものになるかぎりでのことである。
商品としての地球、というのは上記の言葉によく表れている。
なんでも思いつくままに例をあげても意味はない。 >>399
だから最終的に産業資本のごとく機会とプロレタリアで農業をするようになるってだけで地代論は1ミリも変わってないんだよ
農業までが抽象的人間労働になっちまうぞっていうはなしで
そもそも糸を作るとして糸工場を建てるのにも地代がかかるわけだから、工場の地代も農業の地代もそれが国家権力と習慣によってのみありえる擬制であることにかわりない
工場にも土地がいることに変わりない >>400
かいてあるとおりだよ
マルクスは資本論で資本の要素を商品としたわけだから
地代は商品に当てはまらないからこの著作の限界の外なんだよ
地代が商品なんてしてる原理論とってる学者って誰がいるマルキストで 土地、家の名義を、亡くなった父親から自分に変えた方が良い? >>401>>402
だから、普通に地球(地代)もまた商品とされてると言ってるんだが? >>401>>402
資本は商品(労働)の集積、という大前提を忘れてるのか? >>404
だから商品じゃないから資本の限界の外なんだよ
資本論の最初みれば資本論が商品の書だってわかるだろ
商品じゃないから分析できない
マルクスは国家や地代や税金を完全に度外視して資本論を書いてる
物理の教科書にある”ただし摩擦や空気抵抗は考えないものとする”っていうのと同じだよ
その摩擦や空気抵抗に当たるのが税金や地代
とはいえ地代については少しだけ書いてる、これは物理の教科書でちょっとだけ摩擦のページがあるのと同じ
ニュートンの力学体系の骨組みを解明するのにとりあえず摩擦と空気抵抗は邪魔なんだよ
それと同じでマルクスは地代はちょっとだけ、税金はほぼ説明しなかった アマゾンの奥地は?
昔、大学のゼミ教官(金融論)が「いつか現金は使われなくなる」と
言ってたけど、現金決済は続きますよね >>405
固定資本について死せる労働の結晶って言ってるけど
たとえば砂漠の水はオアシス握ってるやつが暴利で売れるけどこれは労働の対価じゃなくて地代の一種だよ
商品のすべてが死せる労働の結晶ではない >>406
地代論読んでないんだね?
別に読んでなくてもいいけど、マルクスは地代を商品として分析してるのは引用したとおり。
税金は国家の作為であって資本主義経済の本質ではない。
資本主義経済は国家がなくても、あるいは国家がないほうが、その純粋な本質を表現する。 >>408
オアシスを握ること自体が、武力や権力の結果。
商品としての価値は、本質的にはそのための労働時間によって表される。 >>410
柄谷いう収奪と再配分も商品経済だと?
柄谷はともかく
武力を労働とみなすなら山賊も労働者で山賊労働の結晶として略奪品があらわれるのか? >>411
第六篇 超過利潤の地代への転化 緒論
章立てやタイトルは訳書によって違うかもしれないが。 >>412
少なくとも、武力は資本主義経済での労働ではないw >>413
そこは部門間の利潤の移動の話だろ?
そもそもすべての農産物が工場で作られるようになっても地代論は一切変わらない
工場は必ず土地を専有して地代を払うわけだから
というかマルクスがなんども剰余価値の一部が地代に回るって言ってるとおりだよ >>415
部門間の利潤の移動の話ではない。
土地が商品となる構造の話。 >>414
土地の専有が国家の暴力武力なしに成立するわけないだろ
俺が公園にバラック建てても壊される >>416
だからどこに土地が商品になるって書いてあんの?? >>417
ずいぶん小さな個別例を持ち出してるが、パレスチナや、もしかしたらアフガニスタンでも、国家とは無関係な武装勢力が土地を占有している。
パレスチナは、イスラエルに併合されてしまったが。 >>419
だとしたらそこのやつがここは俺達の土地だから通行料払えって言って法外な金額とったらそれは商品になるの? >>418
引用してあげたんだから、そのくらいは理解してくれ。
引用だけでは理解しずらいのなら、その章ぐらいは自分で読めよ。 >>420
商品とはなにかだね。
とりあえず『資本論』読んどいて。 >>421
書いてないものは書いてないんだから
農業と資本の関係しか書いてないとこ引用してるけど地代と農業関係ないぞ >>422
だからならないから地代は商品じゃないんだよ
通行料も当然地代の中に含まれる
駅の通るのが近道の場合入場券が必要だけどそれと同じ >>423
地代と農業は関係あるよw
読んでいないのか読んでも理解できないのか、とにかくきちんと読んでみてくれよ。 >>425
差額地代論が土地改良について書いてるからだぞ
なんで階級がプロレタリアと地主と資本家に別れてるかもマジでわからんのか…
土地が商品ならプロレタリアと資本家しかいない >>426
共同体間で交換されるもので相手に使用価値のあるもの >>427
それが『資本論』の地代論だよw
>>428
>共同体間で交換されるもので相手に使用価値のあるもの
独自の定義をするのは自由だが、それはマルクスの「商品」とはまるで違う。
君がヘーゲルでも読んで、社会(経済)と国家(幻想)の区別を勉強してから、また議論しよう。 地代とか生産は、建物の高層化とか3Dプリンターではどうなるの?
コンピュータ、ゲームのソフトの売買も既にある。
国立競技場近くのマンションに布袋ファンが住んでるらしい。 それよりも柄谷行人の「ストーカー論」をちゃんと矯正してやる必要があるのでは あのインタビューを活字化しない理由はあるでしょうね
柳原との決裂だけではなく。
NAMのサイトと同じかな >>435
それだとドイツの近現代史を、
全く個人的で私的な事情で振り回して壊滅させた
ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚を思い出しますね 「柄谷行人の妻」 という題で三十年後に映画化決定では >>434
> あのインタビューを活字化しない理由はあるでしょうね
いやあのインタビュー(2002年11月)は
実はかなり重要なことを言っていて
だから単行本に入れるかあるいは
柄谷ブログでも見えるようにしておいたほうがいいね。
もし柄谷全集出すならそこに収録する価値がある文章ですよ。
なぜなら、
「尊厳としての固有名」
という話があそこで初めて出てきているからですよ。
固有名の捉え方について、他ではそういう扱い方で論じてる文章はないでしょう。 しかし、柄谷行人本人にも、「柄谷の妻」にも、
もはや尊厳は無理だね。 >>441
誰であっても、個人としての尊厳がある。
固有名と個人が結びついていれば、固有名にも尊厳がある。 ということはつまり、
彼にとってもはや、「傲慢」(ヒュプリス)は無理
ということか。
固有名の傲慢は無理。 ハンナ・アーレントの人間の見方で、中心的なキー概念として出てくるのは大体
「傲慢」(ヒュプリス)という概念なんだよね。
つまり、それがアーレントが、普段から人間を見る方法にとって
そこを基準にしながら、各人や集団、社会の在り方を、彼女は見ていたということだ。
ドイツでユダヤ系知識人の家系に生まれ、二十代後半にナチが国で権力を取り
ドイツを脱出してフランスに亡命する。パリがナチに占領された時はアメリカへ亡命した。
その後アメリカで彼女は著書「全体主義の起源」を出版し、それが成功したことから
プリンストン大学へと迎え入られたわけだが、そういう生い立ちだった彼女の人生にとって
「傲慢」というキー概念が、何よりも人間を見分け、見極めるときの基準として生きていた
ということは、間違いがない。
つまり、柄谷がどんなにアーレントの著作から概念を引用しようと
アーレントと柄谷とは、根本的に異なる人間性の立場に立っているのだとしか
言いようがないでしょう。。。 柄谷行人の超ゴーマニズム人生 (たぶん小林よしのりを凌ぐ) ヒトラーは「独身であることで婦人票が得られる」と考えていたため、
第二次世界大戦が終わり、自らが死ぬまでドイツ国民がエヴァの存在に気づくことは
なかった。また、オーバーザルツベルクはナチス専用の保養地と位置づけられ、
外交や政治の舞台となったが、エヴァの存在が表に出ることはなかった。
もっとも、エヴァは政治にもナチズムにも無関心であり、生涯ナチ党員になることは
なかった。興味があったのは流行のファッション、音楽、映画だった。ヒトラーが山荘に
いるときは外に出られず、友人や両親、親類を招いて夕食を共にすることが多かった。
また、1940年から総統護衛部隊の隊員としてヒトラーに仕えたローフス・ミシュの回顧録
によると、カトリック教徒だったエヴァはベルヒテスガーデンのカトリック教会に通うことも
あったという。
1944年6月、妹のグレーテルが親衛隊の将校ヘルマン・フェーゲラインと結婚する折、
ヒトラーはエヴァが人前に出ることを許可する。結婚パーティーはオーバーザルツベルク
のもう一つの山荘ケールシュタインハウス(通称鷲の巣)で行われた。
山荘での生活中、ヒトラーはヘルマン・ゲーリングに対して
「エヴァは私にとって生涯の女性だ。戦争が終わったら引退してリンツの町へ行き、
彼女を妻にする」と発言している。
総統誕生日の4月20日、ソビエト軍がベルリンに侵攻。ヒトラーとエヴァは
4月29日未明に総統官邸地下壕内で簡素な手続きによって結婚した。
この結婚式ではヨーゼフ・ゲッベルス夫妻とマルティン・ボルマンが立会人をつとめた。
花嫁は青色のシルクドレスを着けていたとされる。彼女は結婚証明書の署名欄に
「Eva B……」と書きかけたが、すぐに気がついて「B」に線を引いて消し、
「Eva Hitler」と書き直した。
ヒトラー自身はエヴァを「フロイライン・ブラウン(ブラウン嬢)」と呼んでいた。
式の後、地下壕の者たちが「フロイライン」と呼びかけたところ、エヴァは誇らしげに
「もう、フラウ・ヒトラー(ヒトラー夫人)と呼んでくれていいのよ」と言ったという。
翌30日午後3時30分頃、エヴァは青酸カリのカプセルを嚥下して服毒自殺、
ヒトラーは銃弾の貫通痕から、青酸カリのカプセルを噛んだ直後、
顎の下から拳銃で頭を撃ち抜いて死んだと推察されている。
2人の遺体は総統官邸の庭園で、ガソリンをかけた上で焼却された。 4月29日、ヒトラーは同盟国イタリア社会共和国の指導者ベニート・ムッソリーニが
パルチザンに捕らえられ処刑され、死体が逆さ吊りにされたことを知った。
この出来事は、ヒトラーが遺言の中でも言及していた決意、つまり自分たちは死後に
晒し者にはなりたくないという恐れをさらに強固にした可能性が高い。
4月30日の昼、ヒトラーは秘書官ユンゲとゲルダ・クリスティアン、専属料理人の
コンスタンツェ・マンツィアーリーの4人で最後の食事となる昼食をとった。献立は
野菜のスープとマッシュポテトであったとも、ラビオリであったとも言われている。
食事を終えたヒトラーとエーファは、地下壕のスタッフや、ゲッベルス一家や
マルティン・ボルマン一家、秘書官や国防軍の将校らに最後の別れを告げた。
14時30分ごろ、ヒトラーとエーファは執務室の奥にある居間に入っていった。
「15時30分ごろに大きな銃声を聞いた」と、複数の証人がのちに伝えている。
ヒトラーの副官のオットー・ギュンシェSS少佐が居間に入り、ソファに腰かけた2人の死体
を確認した。エーファの死体はヒトラーの左手にあり、膝を胸に抱え込んだ姿勢で、
彼から遠ざかるように倒れていた。ヒトラーの死体の状態についてギュンシェは
「ぐったりと座っており、右のこめかみからは血が滴っていた。彼はワルサーPPK7.65で
自らを撃ったのだ」と述べた。今日では、ヒトラーはまずシアン化物(青酸カリ)のカプセル
を噛み砕き、すぐに右のこめかみをピストルで撃ったものと考えられている]。
ギュンシェが居間を出て、ヒトラーの死を地下壕に残る人々に発表した。その後すぐに、
人々は煙草をふかし始めた(ヒトラーは生前喫煙を嫌悪し、許可しなかった)。
ヒトラーの生前の指示に従い、2人の死体は地上階に運ばれ、地下壕の非常口を経て、
総統官邸裏の中庭に開いた砲弾孔に降ろされたあと、燃やすためにガソリンを浴びせ
かけられた。
その日の午後を通して、赤軍は断続的に総統官邸の付近を砲撃していた。
ヒトラーらの遺体をさらに燃やすため、親衛隊員が追加のガソリン缶を運んできた。
リンゲによれば、燃やしたのが屋外であったため、2人の亡骸を完全に燃やし尽くすことは
できなかったとしている。遺体の焼却は16時から18時30分にかけて行われた。
18時30分ごろ、リンドルフとライザーが燃え残った2人の亡骸を掩蔽した。 政治的な目的から、ソ連はヒトラーの運命について諸説を発表した。
1945年以降の数年間、ソ連はヒトラーが逃走して生存しており、西側諸国によって
保護されていると主張していた 。このようなソ連の策略により、西側関係者の間にも
ヒトラーの生死について一時的な混乱がもたらされた。ニュルンベルク裁判における
アメリカの検事トーマス・J・ドッドは、「ヒトラーが死んだと言い切ることは誰にもできない」
と述べた。ポツダム会談中の1945年8月、アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンは
スターリンに「本当にヒトラーは死んだのか」と質問したが、彼はぶっきらぼうに
「ノー」とだけ返答した。
当時唯一のドイツの同盟国であった日本政府は、同盟国の最高指導者である
ヒトラー自殺の報を、5月2日にノルウェーのオスロのドイツ兵隊放送でヒトラーの死を
知った駐日ドイツ大使館からの報告で知ることとなった。日本政府は同盟国の最高指導者
として当然行うはずの公的な弔意表明や半旗の掲揚は一切行わず、自殺という道を
選んだヒトラーに対する軽蔑が表れていた。 > ギュンシェが居間を出て、ヒトラーの死を地下壕に残る人々に発表した。その後すぐに、
> 人々は煙草をふかし始めた(ヒトラーは生前喫煙を嫌悪し、許可しなかった)。
ここのくだりが、めちゃめちゃいいですねw まーざっと伝記を見ると、
エヴァ・ブラウンはヒトラーにとって数多くいた愛人たちの一人程度の意味しか
なかったみたいだから、その生涯において愛人を持つこととは殆ど縁がなかったの
だろう柄谷行人のケースとは、やっぱり事情が違うな。 しかしなんか、柄谷が文壇バーのママとできてるとかいう噂は昔あったよね。
本当なのかデマなのかは、知らない > ギュンシェが居間を出て、ヒトラーの死を地下壕に残る人々に発表した。その後すぐに、
> 人々は煙草をふかし始めた(ヒトラーは生前喫煙を嫌悪し、許可しなかった)。
まーこれが要するに、カントから今まで語り継がれてきた
「統制的理念」の正体だった ということでしょうw ヒトラー、ヒロヒト
ヒトラーは祖先の1人がユダヤ人だとか 中曽根「梅原先生によれば、
僕が眉毛が濃いからアイヌの血が入っているかもしれない」 ハンナ・アーレントは幾人もの哲学教師に従いてきたわけだ。
ハイデガーだけでなく、ヤスパースにも、フッサールに師事したこともある。
つまり、「様々な意匠」ならぬ、様々な男たち(知識人として)を見てきてるし
そして分析もよくしてきている。
その成果として、男性像(=知識人層)を、その「傲慢性」(ヒュプリス)から見抜く
という彼女独特の審議眼が発達していたことは確かだろう。
ハイデガーはもちろん男としてはヤバいやつだったのだろう。
それに対してヤスパースは、対話可能な存在であった。
ちなみに彼女の夫は、ドイツ人のジャーナリストだが、
コミュニストでスパルタクス団にもいた経験のある男だった。
(スパルクス団と言えばローザ・ルクセンブルクのやっていたドイツでは非常に
歴史も古く伝統あるマルクス主義セクトである。
今でも活動していてある意味有名な組織で、最近だと、
日本でもイラク戦争デモの時には、道端にそこの白人たちが男女含めて何人か立ち、
ビラを撒き、デモの日本人を掴まえては勧誘するオルグ活動するのが目立っていた。
彼らは311以後反原発デモの時も来ていた可能性はあるが、
そっちのほうは見ていないのでよくわからない。) ハイデガーは、手紙の末尾にいつも
「ハイル・ヒトラー」
と入れていたらしいからねえ。。。 >>457
ハンナ・アーレントがハイデガーの愛人だったことは知ってるよね?
それも学生時代に手を付けられただけじゃなくて、戦後大人になってから復縁もしてる。
ハイデガーって男としてみたらブサイクだし潔さのかけらもないけど、アーレントの性愛嗜好はそんなところには関心がなかったんだろうね。 おまえ馬鹿かw
「ハンナ・アーレントがハイデガーの愛人」だとか
後世の人がテキトーに捏ち上げてる紋切り型のイメージだぞ。
若い頃のアーレントとハイデガーが師弟関係として近い関係
だったのだろうことはいえる。
しかしそれが一体どこまでの関係であったのか?ということだ。
後で必ず捏ねくり回されるゴシップの類と一緒にしたらいけない。
それだと柄谷行人は文壇バーのママとできてるタイプのゴシップと同じで
真実を見るのが難しい。
たとえハイデガーと恋愛心があったのだとしても、二十代後半では
もうハイデガーのいるドイツを亡命して後にしたアーレントにとっては
深い失望の男であったことは間違いないだろう。 この通り、柄谷行人にとって、
「原理」とは、「結婚」の意味であった。 左翼の前衛主義の糞みたいな側面を散々見てきたはずの柄谷行人が
ソ連が崩壊した後で「やはり前衛は必要だ」みたいなことを言っていたのは
(「だったら共産党に行けよ」というツッコミはさておき) 、
ラカンが、「父」は悪だが、それを選ばないよりはちいさい悪だ、
と言っているのと基本はおなじだろう。
Kim, Yi-Chul
@kimarx
11:13 あのインタビューと違って、
僕はDYNABOOKだけでマウスはなく、
未だに本をスキャンして文字化した事はない。
意図的に文章を飛ばした訳でなく
ダイアルアップだったし短い文章から入力してた。 柄谷行人は、新宿駅の西口と東口を結ぶトンネルですれ違ったが、
歩き方がものすごい変だったのを覚えている。 なんか急いでいる感じだった。
徳川秀忠
@minuit0721
0:45 > しかしなんか、柄谷が文壇バーのママとできてるとかいう噂は昔あったよね。
> 本当なのかデマなのかは、知らない
柄谷も筆の誤り >>461
ハンナ・アーレントがハイデガーの愛人というのは、ただの事実だよw
亡命云々どころか、戦後またよりを戻してる。
もちろん、ハイデガーには妻はいた。 教え子との不倫に走ったハイデガー
「存在と時間」などで知られるハイデガーが不倫に熱心であったことは有名な話である。
35歳当時、大学で哲学の教授を務めていたハイデガーは、当時18歳であった教え子の、
ハンナ・アーレントと恋に落ちる。
年齢にして17歳差。そしてまだ未成年のアーレントにハイデガーは手を出してしまうのだ。
アーレントは、若く美しいだけでなく非常に頭のいい女性であり、その後、世界的に有名な
思想家として活躍することになる。
当時ハイデガーは妻との間に2人の子どもをもうけていたが、アーレントが元々ハイデガー
のファンだったこともあり、二人は距離を縮め不倫関係となる。
二人が住んでいたドイツのマールブルクという町は、小さな町であったため、不倫関係が
周囲に知られてしまうと、ハイデガーは職を失ってしまうような状況であった。
それにもかかわらず二人は熱心に逢瀬を重ね、不倫愛に燃えていたのだ。
ハイデガーの妻は恐妻家で有名で、ハイデガーは不倫がばれてしまうことに日々ビクビク
していたようだが、不倫愛は1〜2年ほど続いたとされている。
その後、皮肉にもハイデガーはユダヤ人を排除するナチスの党員となり、ユダヤ人で
あったアンナ・ハーレントはアメリカに亡命することとなる。
不倫とはいえ愛した男が、自分の民族を排除すべく「ハイル!ヒトラー!」と叫んでいた姿に
アーレントはひどく胸を痛めたようであった。
しかし戦後再び、ハイデガーとハンナ・アーレントは再会を果たす。
この時も二人が不倫関係にあったかは定かではないが、人と人との対話を交え、和解
したことは事実のようだ。
芸能人の不倫問題がメディアなどで積極的に取り沙汰される今日であるが、不倫問題に
関して関係が他に知れ渡ることにおののいていたのは、哲学者も一緒のようである。 「アーレントとハイデガー」 −−哲学者たちの恋
エルジビェーター・エティンガー「アーレントとハイデガー」がめちゃくちゃおもしろい。
著者はポーランド人で、ワルシャワ・ゲットーを生きのび、現在アメリカの大学教授。
ふたりの哲学者の長く続いた恋に焦点をしぼって描いている。ハンナ・アーレントが
マールブルク大学哲学教授だった35歳のマルティン・ハイデガーに出会ったのは、
18歳のとき。たちまち恋に陥り、不倫の関係へ。
やがてヒトラーが政権を握り、ユダヤ人だったアーレントはアメリカへ亡命。一方
ハイデガーは親ナチだったから学長へとのぼりつめ、自分の師フッサールやヤスパース
を追放する。戦後、アメリカで華々しく活躍するアーレントによって、ハイデガーの立場は
いわば「救われる」。
ふたりの恋は大きく3期に分けられる。第1期は、官能的な恋の2,3年。戦争をはさんで、
その後の中年期(これがドロドロ)、最後はふたりが死ぬまでの1,2年だ。アーレントが
亡くなるのは1975年、その5ヵ月後にハイデガーは他界する。
不思議な関係だ。真実なのだろうか。つまりこれほどの卑劣漢を、これほど長く愛し続け
たアーレントの思いの深さとは何なのか。しかも彼女はどうしようもなくハイデガーに惹か
れながら、夫のブリュッヒャーなしでは生きられないほど支えられてもいる。
ハイデガーは悪の魅力をふりまいていたのだろうか。砂糖壷みたいに女性たちを周りに
集めたし、男性に対してもカリスマ的磁力があった。ヤスパースなど、ひどい目に合わされ
ながら、なおも彼との和解を望んでいたほど。
戦後の禊をすませたハイデガーは、再び権力を手にする。そのとたん、またも男尊女卑
が頭をもたげ、アーレントの活躍を認めたがらなくなる。こうして恋人どうしは哲学者として
の闘いを始めるのだが、これはアーレントの勝ちかもしれない。「ナチに近づいたのは
共産主義からドイツを守るためだった」と自己弁明していたハイデガーに対し、アーレント
は代表作「全体主義の起源」の中で、ナチも共産主義も同一線上に置いて批判したのだ。
傑出した頭脳の持ち主たちの恋のありようは、複雑きわまりない。40すぎたアーレントが
ハイデガーに書き送った詩の一節、
「あなたにわたしは誠実でありつづけ/そして不実でもありました/どちらも愛のゆえに」
互いに愛憎半ばする思いを、生涯持ち続けたのであろう、フォークナーの言うように、
「過去は決して死なない。それは過ぎ去ってすらいない」。 それじゃあ柄谷行人が文壇バーのママに筆下ろしした
という話は本当なのか? >>471
なるほど。。。
ハイデガーとアーレントはFUCKの関係だったみたいだ アーレントがナチス党員を一般的な市民のこととして擁護したのは、ハイデガーを庇うつもりもあったんだろう。
その考え方自体は、日本では戦争に行った一般市民を語る時にあたりまえのように語られているごく普通の視点なんだが。
正義は個々に宿る、という欧米の考え方からすると独特の位置を占める発想だったのかもしれない。 > ハイデガーは悪の魅力をふりまいていたのだろうか。砂糖壷みたいに女性たちを周りに
> 集めたし、男性に対してもカリスマ的磁力があった。ヤスパースなど、ひどい目に合わされ
> ながら、なおも彼との和解を望んでいたほど。
> 戦後の禊をすませたハイデガーは、再び権力を手にする。そのとたん、またも男尊女卑
> が頭をもたげ、アーレントの活躍を認めたがらなくなる。こうして恋人どうしは哲学者として
> の闘いを始めるのだが、これはアーレントの勝ちかもしれない。「ナチに近づいたのは
> 共産主義からドイツを守るためだった」と自己弁明していたハイデガーに対し、アーレント
> は代表作「全体主義の起源」の中で、ナチも共産主義も同一線上に置いて批判したのだ。
しかしハイデガーって、かなり病気っぽい男だよね。
まー、柄谷も病気だが。 > 「ナチに近づいたのは共産主義からドイツを守るためだった」と
> 自己弁明していたハイデガー
なんかこれも柄谷みたいな言い訳するやつだなw
「NAMを始めたのは未来の他者を守るためだった」 柄谷とハイデガーに共通してるのは
二人とも何らかの理由で、社会的な「権力への意志」に
とてつもなく取り憑かれている男だということでしょう。
ハイデガーは後に、戦後になってからニーチェ論を出版してるけど
やっぱり社会的な権力への意志について目星をつけていなかったなら
とてもナチの党員にはなってないはずなんだよな。
また三十代の若さで「存在と時間」という本を出版したような偉業も達成しなかっただろう。
ちなみに柄谷の次著「力と交換様式」という本は、
それが柄谷行人版の「権力への意志」だということですよ。 ハイデガーがナチスに入党したのは、彼の抱えていた「権力への意志」故であり、
柄谷行人が六十歳直前からNAMを始めたのも、
やはり彼の生涯を捉えていた「権力への意志」故である。 そして中上健次というのは、もう最初っから、東京上京してきた歳から
明らかに「権力への意志」一直線だった小説家の男ですよ。 出前館の配達で月収100万円達成って
みたく@Uber配達員&出前缶詰
@Uber0207
23時間
実は今月出前館だけで月100万円達成しました!!!!!
この歳でこんな月に100万円稼ぐことなんてこの先きっとないと思うので
本当に貴重な体験をしました!
色んなことがありましたが頑張れてよかったです!!
1ヶ月お疲れ様でした!!! 出前館のほうがタクシーより儲かるとすればそれは結構ショッキングな結果だ 『群像』10月号、とにかく柄谷行人の「霊と反復」が気になりすぎる
TakuyaKuratsu
@columbus20
22:26 > 『群像』10月号、とにかく柄谷行人の「霊と反復」が
柄谷さん!
なんなんですか そのタイトルは?
そんな文章で 本当にいいんですか
あなたもう 人生投げちゃったんですか? 資本の霊=物神性の話でしょ
反復は120年、東京オリンピック、大阪万博か
蓮実の魂、東の祈る、宿るもどうかと思う 散々今まで他人を振り回して迷惑かけてきた挙げ句
八十過ぎて、「霊と反復」かよwww 柄谷載せると売れるんでしょ
大友克洋みたいに
交換様式、貨幣の霊、120周期を語り続ける事を
決めてるみたい 来月の文芸誌、柄谷行人がついに霊について書くらしい
(こう書くと大川隆法感が出てしまう)
古義人
@cogito_kobo
昨日 22:05 探究IとI Iで筆を折ってたら伝説の批評家だったのに 柄谷は資本のspirit、物神性を語ってるのであって
霊=オカルトと騒ぐバカを相手にしてないよ だって柄谷は自分で「オカルティズム」の書評を朝日新聞でやってたじゃない だから柄谷的にいって、霊=オカルトと捉えて、全然間違いはない。 端的に言って、
柄谷のこれまでとってきた行動が、
オカルトの中でも最悪のオカルト行為であったことは
もう間違いがないw
そこから彼はもう決して逃げることはできない そういえば二十年前の今頃もタリバンがやたら元気よかったな。。。 廣松渉が『資本論の哲学』でルービン(1886-1937)を扱っていたので調べてみた。
以下、ルービン『マルクス価値論概説』1993年[原書1923(-1929)] 50〜55頁より
《マルクスにおける呪物性の理論の起源と発展にかんする問題は、現在まで全く研究されていない状態である。…
マルクスの呪物性の理論が彼の経済学体系全体とりわけ価値論の理解にとって不毛であるというハンマッヒャーの
結論は、この理論が「形而上学的」起源を有するという彼の誤った見方から出てくる。ハンマッヒャーは『聖家族』
に典拠をもとめるが、この著作をマルクスとエンゲルスが執筆した一八四四年末には、マルクスはまだ空想的社会主
義とりわけプルードンの思想の強い影響下にあった。…
人間関係の「疎外」についてのこの理論を社会関係の「物象化」の理論(すなわち、商品の呪物性の理論)に転化するためには、マルクス
は、空想的社会主義から科学的社会主義への、プルードン賛美から彼の考えの厳しい批判への、理想の名による現実
の否定から現実の発展と運動の諸力の作用そのものの探究への、道程をたどらなければならなかった。マルクスは
『聖家族』から『哲学の貧困』に到達しなければならなかった。》
ちなみにルービンが批判的に参照したハンマッヒャー1906or1909はプルードンのマルクスへの手紙をエピグラフに掲げている。
https://archive.org/details/dasphilosophisch00hamm
ちなみに河上肇は「マルクスの唯物史觀公式中の一句に就て」1921でハムマッヘル(ハンマッヒャー)1909
における平行論?を引用し評価している。
https://core.ac.uk/download/pdf/39256746.pdf
河上によるマルクス『経済学批判』序言のハンマッヒャー解釈解説はスピノザ的である。
個人的にはルービンよりもハンマッヒャーに可能性を感じる。
一言で言えば、物神、そしてそれと表裏一体の唯物論への一方的な加担は信用貨幣論の理解を阻害する。 遠藤(周作)氏の作品に、「他者」の姿が現れて、
柄谷氏の文に見る事が出来ないのは、
小説と批評というジャンルの違いのためではない。
柄谷氏が、断固として抽象的であることを選び、固執しているがために、
柄谷氏は人の姿や表情を持つ事が出来ない。
自己像を描けない
『柄谷行人氏と日本の批評』
福田和也bot
@tonkatu_kazuya
0:23 オカルトのオカルト性を排除しようとしてるのかな
ネットで文字を入力して何らかの意見になると思うのもオカルトかも かといって出版されたものが本物の意見かというとそれもどうもなあ ネットか出版物かではなくて
文字列で伝達できるのは
書き手と読み手が言語のルールを共有しているという事
音声言語は動物も使ってるかもしれないが
文字言語は人間同士のみに、見えない力(霊)が作用するのかも >>515
>文字言語は人間同士のみに、見えない力(霊)が作用するのかも
それで君はタリバンの考え方を理解できるのか・・・ 女には作用しない?
穏健派でも強硬派でも経典を理解しているのだろうか
イスラム教も日本の左翼、右翼も >>517
イスラム教の経典なら、イスラム教徒はよく知ってるんじゃないか?
基本は旧約聖書だし。 イスラム教が旧約聖書から派生したというのは
あまり知られてないし、隠蔽されてるような
日本の右翼は記紀、左翼はマルクスをどれだけ読んでいるか
どこも覇権争いをしたいだけでは 「お前と一緒に沈められねえだろ」退陣表明前夜、“2A”から首相に三くだり半 https://nishinippon.co.jp/item/n/795598 #西日本新聞 デリダのヘルダーリン論もありましたね。
ニーチェも論じてましたか。
ハイデガーは、自論が「語源的な遊びではない」と
言っていたようですが、
デリダやポストモダン派は「批評は遊びである」と
開き直った感じですか
http://makorin.blog.jp/archives/52193107.html
アナザーストーリーズ「落語を救った男たち 天才現る!古今亭志ん朝の衝撃」
何となく見て、志ん朝と談志の関係が分かりました。
志ん朝=小林、吉本、柄谷
談志=浅田、ですかね。
志ん朝がこぶ平を旭川に呼んでゴルフをしたとか。
別荘があったのかな ハイデガー「ヒューマニズムについて」は書簡で、取り沙汰するのもどうかなと思いました。
柄谷の「近代文学の終り」、布袋のキル・ビルのテーマみたいに、意図せずに流布された感じですね お尋ねの件、ヒントになるか判りませんが、私の捉え方を要約します。
世界(永遠のイデア、時空間の流れ)←世界内(世界を断片的輪切りにした状態)←内存在(世界内に現存在として存在させられている状態)。
現存在=気遣い(ゾルゲ)、開示性
現存在の存在時性まで含めて、つまり、第2編も含めて捉えるべき。
極めてオーソドックスな捉え方なのでご参考になるか判りませんが以上です。 >>524
>世界(永遠のイデア、時空間の流れ)
これからして、とんでもないデタラメw いとうせいこう
@seikoito
2時間
→考えてみれば 「強迫的に回帰する」のは「霊」の特徴でもあるのかもしれないし、その問題こそ柄谷行人に回帰したのである。
いとうせいこう
@seikoito
2時間
今号『群像』柄谷行人の短いエッセイ、このいわば「宣言」の刺激的なこと! 交換様式についてはこれまで、別の次元がDに「強迫的に回帰する」とされていたが何故かがわからなかったし、ご本人にも質問したことがある。それがおそらく「霊(観念的な力、無意識、物神)」の問題として今後書かれる→ 「2ちゃんねる」創設者の西村博之(ひろゆき)氏(44)が5日放送のTBS「サンデージャポン」
(日曜前9・54)にVTRで出演。新設されたデジタル庁の採用に応募していたことを明かした。
「デジタルに知見のある人がちゃんとトップで物事を進められないと厳しいんじゃないか
と思ってます」と鋭い指摘をしていたひろゆき氏。応募した理由を「こういう感じで
デジタル庁のここが良くないとか言うと思ったんですよね。そうするとじゃあ、
お前がやれって絶対言われると思ったんで。ひとまず応募してみようかなと思ったら
落ちたって感じです」と述べた。
採用では履歴書を送付し、「面接2回ぐらい受けたかな」と回想。試験官を論破したりした
のかという質問には「普通に対応したつもりだったんですけど…」と苦笑。
「たぶん扱いづらそうな感じが伝わったのかなと思いますけど」と振り返った。 >>528
賠償金踏み倒してる人間が政府に雇われるわけないだろうにw >>530
ほんの少し、だね。
国民の命と健康を犠牲にしても、利権オリパラは絶対にやめなかったけどね。 菅は麻生、安倍に見切りをつけられたとか
ハイデガー「ヒューマニズムについて」は書簡で、取り沙汰するのもどうかなと思いました。
柄谷の「近代文学の終り」、布袋のキル・ビルのテーマみたいに、意図せずに流布された感じですね
「ヒューマニズムについて」は最初、フランス語で出たんでしたか。「ドイツ・イデオロギー」的というか。
ハイデガーも柄谷も、大衆に自著を読ませる為に、自分が信じてないオカルトをネタにしてるのかな。
それほど落語ブームだったと思わないけど、昭和元禄の大政絢が良かったですね。
「哲学の誕生」についてちょっと
http://makorin.blog.jp/archives/52193194.html
講談社から献本か、業界内はフラゲできるのか
元々講談社社員ですね。柄谷の熱狂的ファンですね。本気なら
新潮、文學界ではそれほどフラゲできないかも
三平=栗本か。旭川空港は志ん朝、こぶ平も利用したんですね。僕の父親は年80回ゴルフした事もあるみたいですが。札幌にいた頃かな いとうせいこう
@seikoito
『群像』世界レベルの批評家柄谷行人が語る。三十年間、俺はウルトラマンのお面だと思っていた。衝撃の新事実! https://instagram.com/p/CTch0oIh0IF/?utm_medium=twitter
午前0:56 · 2021年9月6日·Instagram たかぼう
@takabow0316
6時間
日本に産まれただけで勝ち組
生活保護ある
借金チャラに出来る
年金制度ある(今のところ)
治安が良い
時間に正確
日本食安くて美味しい
日本人女性、世界で一番可愛い
コンビニ24時間
挙げたらキリないわ...
ただ真面目すぎて..何かにいつも頑張っている...
まぁ、肩の力抜いて人生楽しもう >>536
>タイガーマスクのお面
さすがトラキチwwwww しかし、これ書かない方が良かったんじゃないか?
今後、風刺漫画とかで柄谷が出てくるときに
必ず描かれるぞ
タイガーマスクのお面で徘徊する姿。
高橋春男とかが描くぞ
あいつまだやってるか知らんが 山藤章二が柄谷描いたら似てなかったと柄谷本人が言ってたけど
イケメンは似顔絵描きにくいらしい(特徴無いからか)
柄谷も無名の院生時代にCM出演を依頼されるくらいイケメンだったとか
特徴できてよかったねw >>546
与野って埼玉か?菅野美穂の出身高校がそこじゃなかったか?
淑徳大学付属与野高校とか >>536
> いとうせいこう @seikoito
> 『群像』世界レベルの批評家柄谷行人が語る。三十年間、
しかし一読してみれば、
こういういとうせいこう的な触れ込みが
またしょうもない出鱈目の大騒ぎだ
というのはすぐに分かるはずだと思うよww そもそも今月号のエッセイでも分かるのは
「交換様式論」が相変わらず殆ど成立していないにもかかわらず
それがもう確立してる真理であるような振りして
語り続ける。。。どう見てもそれは無理がある。。。。
相変わらず「ソクラテスのダイモン」からはほどよい腐臭がしてますよw タイガーマスクのお面を被って徘徊する、というよりも
相変わらず、ハッタリを他人に咬ます癖だけは、抜けられないという感じ >>547
与野は埼玉で菅野美穂は高校でそこまで通っていたそうだが
自分の家は坂戸市だったんですよw
坂戸市といえば、ピエールと絓秀実の故郷です。 しかし坂戸市がそんな普遍的な土地柄になるなんて
若い頃は全く思ってもなかったことだぞ・・・・
やっぱりキリンジが坂戸から出て来たという事実が大きいな
千葉雅也が大好きだというキリンジ >>536
> いとうせいこう @seikoito
> 『群像』世界レベルの批評家柄谷行人が語る。三十年間、
ここで「三十年間」というのも間違い
もう四十年でしょう 有名人なのか、柄谷やいとうせいこうは。よく知らない。片方は通りすがりか。
寄稿でもってても名前が適当なセクハラ呼ぶ。被害女性もいる。調べ上げて。 女性が目立たない孤立するとか、人員配備用兵の能力ないな。 >>552
キリンジと菅野美穂
いい組み合わせだね 群像
柄谷の霊論と
蓮實の水死(大江)論
が並んでたね 両方読みたいが高過ぎ
1300円
こんなの買う奴いるのかな? シン・ゴジラ
シン・エヴァンゲリオン
シン・ウルトラマン
シン・仮面ライダー
シン・タイガーマスク シン・ゴジラの中の人=野村萬斎
シン・タイガーマスクの中の人=…… 与野の役所から大西巨人はたしか生活保護もらってたんだよねえ・・・
与野市とは小さな市だったが(さいたま市の合併でもうなくなったが)
与野出身の有名人といえば、オノ・ヨーコ
父親は日本興業銀行の頭取やってた。
爺さんはクリスチャンでアメリカへ一回渡って帰ってきてからは
同志社大学創設時の英語教員になった人だった。
萩原健一も与野の出身で高校中退
大宮の不良だった。萩原の実家は魚屋。
与野から大宮駅までは歩いていける容易い距離 オノ・ヨーコの実家が収めた多額の税金は
ちゃんと大西巨人のもとへとキャッシュバックされたと? >>504 いや、それでも「霊」の一語が選ばれてしまったことは
我々に深い嘆息を強いる。 でも80年代に出た『思考のパラドックス』で既に
中沢新一と「霊界とコンピュータ」という対談やってるよ だから最初っからこの人は読者を何か騙してるんじゃないの?w 一方でマルクスとか言いながら、もう一方の手で霊界とか言ってたのだから
通常の物の見方からいえば何かがこの人はおかしかったのだろうが。
80年代のポストモダニズムの土壌だと、何かそういう「超越的」なことを言うことが
ラディカルなことだと思われがちだった。
それが今になって分かったのは、やっぱり錯覚だったということなんじゃないの?w マルクスは信仰する神童。重い仕事せおったけど。体格が新興国や若い国に合わない。重罪確定。 ゴールドがいったん一般的等価形態や貨幣形態に置かれるやいなや
半永久的に絶対的な基準になるのは何故か
そのへんを霊的と言ってるんだろ ゴールドが人間社会の中で結果的に、
唯一無二の基準になったというこには
特に不思議はないんじゃないの
それが希少な金属であり、耐久性もあり、かつ見た目も綺麗に見える
という条件を偶然持っていた
それがゴールドを査収貨幣の基準にしたことの理由であるということで
別にそれは何の謎もないでしょう?
単なる偶然の合致ですよ。 > それがゴールドを査収貨幣の基準にしたことの理由
→ 最終貨幣の基準に けど柄谷はそれでも、
物神性のことを「霊」と呼びたいんでしょうw
そこにはむしろ疚しい理由があるに違いないww あの世とは天国のことじゃなくて
未来のことだろうな しかしオカルト的思考としても、
それをどう見積もってやったとしても
柄谷行人が死後に行く世界とは、
永遠に地獄の業火で焼かれるしかないというのは
余りにも自明に見えているのではないかと思うのですがwww
本人はそれに気が付かないのでしょうか?
もし死後の世界が成立するならば、
あんたは絶対地獄行くの確定だよって ネーションとは
前世の者来世の者などへの責任を想像的に保証するものだとか
そのような意味でのあの世だろう
今なら、年金制度がその経済的な顕れであろう Ryu's Bar 気ままにいい夜 柄谷行人 いとうせいこう
https://www.youtube.com/watch?v=e89PXUpAu4w&t=5s
昔懐かしい村上龍のトーク番組「Ryu's Bar」だが
この最終回のゲストが柄谷行人だったことを
どのくらいの人が憶えていることだろうか?
「Ryu's Bar」でエンディングのお約束とは、村上龍がゲストに向かって
「あなたは生まれ変わったら、何になりたいですか?」
と質問することにあったのだが、柄谷行人の回でもやはり例外なく
この質問に答えている。
このとき柄谷が何と語ったのか?
「ぼくは・・・・生まれ変わりたくないんだ」
と答えていたのである!
(23:01のシーンから出てくる) >>575
金はすでにたんなる一商品になってるけどね。 最初から貨幣とは、もともとそれが商品であったものがなるんだよ
資本論にもちゃんとそう書いてあるだろうw >>582
しかし30年前にこの発言してた人が、結局あーなるとはねえ・・・・wwww >>576
それが置かれる価値形態に謎があるって
柄谷が何度書いたら分かるんだボケ >>574
「それが希少な金属であり、耐久性もあり、かつ見た目も綺麗に見える
という条件を偶然持っていた
それがゴールドを最終の基準にしたことの理由であるということで
別にそれは何の謎もないでしょう?
単なる偶然の合致ですよ。」
だからその「価値形態」には、
すべてこれだけの根拠しかないんだと言ってるんだよw
価値形態を巡る駄洒落言ってる場合じゃないんだからさあ
価値形態でも、それが謎を含む場合と
全く謎なんか見当たらないという場合と、
分かれる。
そういう話でしょw むしろ柄谷が本気で、価値形態自体を謎めかせるつもりで
そういう台詞吹いてるんなら
それはそれで何かの詐欺行為を意図してるのかもしれないな
それこそオカルト的なNAM的目眩ましww 価値形態自体には別に、何の謎も、神秘も存在しないでしょう。
(ウィトゲンシュタイン) むしろ、価値形態という方程式、あるいは因数分解は、
そういう価値を巡る謎と神秘をすべて取り払うために
マルクスによって発明された方法でしょ。
それを、「価値形態が謎なんだ」とか言い出してたら
それこそ本末転倒
致命的な資本論の誤読だとしか言いようがないなww そのうち次は、
「交換様式が謎なんだ」
とか言い出すんじゃないの?w オカルトマルクス主義の系譜といえば
それはやっぱり、
埴谷雄高→島田雅彦のラインですかね 神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである 彼でも昔のデビューした頃はマルクス主義だったんだよw >>599
経験論(感覚への刺激が存在だという立場)的には無いが
確かに存在する、
そこが霊的 「霊と反復」
「私は2020年に「思想家の節目」というエッセイ集を書いた。(…)そこで、五〇年以上になる自分の仕事の「節目」をふりかえったのだが、そのとき、幾つかのことに気づいた。一つは、そのような節目がほぼ一〇年ごとに来ていたということである。もう一つは、そこに別の反復性があるということだ。
先ず、私の最初の本は『畏怖する人間』で、これは群像新人賞(1969)をもらった「漱石私論」を巻頭に置いた文芸評論集であった。私は一九六〇年に大学に入学すると同時に、安保闘争に参加した。七〇年代初めに出版したこの本は、私の六〇年代を総括するものだといえる。その意味で節目であった。このあと、私は『マルクスその可能性の中心』を書いた。以後、私の書くものは理論的・哲学的になった。その頂点が、一九八〇年に群像に連載した『隠喩としての建築』、そして、「形式化の諸問題」である・
しかし、それはまもなく破綻に終わった。そのきっかけは、その時期、霊界(あの世)は数学的な位相空間として示しうる、というようなことを考えはじめたことにある。そして、それはたんに理論上の問題ではすまなかった。私はそのあと、我ながら頭がおかしくなったのである。いわば霊界が現実に存在するかのように見えてきたからだ。しまいには、何も仕事ができず、タイガーマスクの面をかぶって、近所を徘徊したりした。その後、そのような状態を脱し、群像に『探求』の連載をはじめたのである。」
「私はその後も、このような仕事を続けた。それが『探求U』である。(…)この間、私は体系的な理論への志向を退けていた。そうすることが、むしろ「批評」だと考えていたのである。しかし、九〇年代の『探求V』を書いていたとき、動きがとれなくなり、連載を中断するにいたった。その間に、私の中で、今につながる大きな変化が生じた。(…)
これは、ある意味で、『探求』以前のスタンスに戻ることであった。実際、私は理論的・体系的になった。のみならず、この時点で、私は文学批評から引退した。 「それ以降の私の仕事は、『世界史の構造』(二〇一〇年)に集約される。それは、一口でいうと、史的唯物論の批判的再考である。史的唯物論では、政治的・イデオロギー的上部構造は、経済的下部構造である「生産様式」(生産力と生産関係)によって規定されるが、それに対する批判が、ウェーバーやフロイト以降なされてきた。確かに、政治的・イデオロギー的上部構造は、経済的下部構造(生産様式)によって規定されるとしても、それとは別の独自の力がある。たとえば、宗教や無意識がそこに働いている、ということである。そして、今ではマルクス主義者もそれを認めている。
しかし、私が気づいたのは、政治的・イデオロギー的上部構造を規定している「力」は、経済的下部構造ではないどこかから来るのではなく、経済的下部構造の基底をなす交換様式から来るということである。つまり。宗教や無意識と見なされる観念的な力は、交換様式から来るのであり、したがって、その様式によって異なる。」
「これを書き終えたとき、私は、こうこれ以上書くことはない、たんに補足する仕事が残っているだけだ、と思っていた。しかし、それから五、六年経ったあと、物足りなくなった。私はあらためて、このような「力」がなぜいかにして交換様式かた生じるのかを考えようとした。以来、私は『力と交換様式』と題する仕事に取り組んできた。しかし、最近になって気づいたのは、それは一九八〇年ごろに私がやろうとしたことと類似するということである。
交換様式かた生じる観念的な力とは、いわば霊的なものだ。交換様式を論じるとき、あらゆるところにさまざまな「霊」が見えてくる。それらが各所で働いている。四〇年ほど前に、私は霊的世界を位相空間としって考えようとした。そのあげく、お面をかぶって家の近所を歩き回ったりした。しかし、ある意味では、今も同じことをしている。つまり、マスクをして、毎日近所の丘陵を徘徊しながら霊≠ノついて考えているのである。 「交換から生じる霊(観念的な力)というとき、先ず私の念頭にあったのは、『資本論』のマルクスである。《机は、やはり木材、ありふれた感覚的な物である。ところがこれが、商品として登場するとたちまち、感覚的でありながら超感覚的な物に転化してしまう》。超感覚的≠ネもの、すなわち霊的なものが、交換から生じるのだ。マルクスはまた、交換において生じるこのような「力」を物神(フェティッシュ)と呼んだ。
しかし、マルクス主義者は一般に、これを冗談だとみなした。(…)そのことが『資本論』の意義を見失わせた。マルクスがここでなそうとしたのは、資本という霊が、商品交換(…)から生じることを解明することであったからだ。
とはいえ、霊的な力は、資本に限られるのではない。それは、贈与交換(…)においてもある。マルセル・モースがハウと呼んだ霊がそうだ。霊はまた、国家(…)にもつきまとう。のみならず、霊は、それらを揚棄する力としてもあらわれる。すなわち(…)霊的な力としてあらわれるのだ。
たとえば、『共産党宣言』でも、冒頭のつぎの言葉がよく知られている。《幽霊がヨーロッパを徘徊している。共産主義という幽霊が》。むろん、これ冗談だと思われているが、必ずしもそうではない。それはむしろ、つぎのことを意味する。共産主義は観念的な「力」として徘徊している。そして、それを斥けることはできない、ということである。つまり、その力が働くのは、合理的だからではないし、人が説いてまわるからではない。それは霊的な力なのだ。
(…)私は、さまざまな霊的な力はたんなる比喩ではなく、異なる交換様式に由来する、現実に働く力だと考える。」
「「ヘーゲルの弟子」だと公言したとき、マルクスが見いだしたヘーゲル≠ヘ、通常いわれているようなヘーゲルではない。ヘーゲルにおいて、世界史は「精神」が自己実現する過程である。それによってヘーゲルがいわんとするのは、つぎのことだ。人間の社会史は、何らかの意図・設計によって作られたものではない。それは人間の意図を超えたものであり、したがって「無意識」によって強いられたものである。ヘーゲルがいう「精神」(Geist)とは、そのように作動する「霊」(ghost)である。
(…)たとえば、ヘーゲルは、ダイモン(ダイモニオン・精霊)に「議会に行くな」といわれたため、広場に行って問答を始めたソクラテスに関して、次のように述べている。 (…)精霊はソクラテス自身ではなく、ソクラテスの思いや信念でもなく、無意識の存在で、ソクラテスはそれにかりたてられています。同時に、神託は外的なものではなく、かれの神託です。それは、無意識とむすびついた知という形態をとるもので、----とりわけ催眠状態によくあらわれる知です。(…)ソクラテスの場合には、知と決断と思考に関係し、意識的自覚的に生じたはずのことが、このような無意識の形式でうけとられたのです。
なぜソクラテスは広場に行って討議するようになったのか。その理由は不明である。しかし、ここで大事なのは、彼がそのことを意識しておこなったのではない、ということである。であれば、ダイモンとはソクラテスの「無意識」だといえるのではないか。ヘーゲルはそう考えた。「ヘーゲルの弟子」だと公言した時点で、マルクスも同じようなことを考えていたといったよい。
(…)
「ヘーゲルの弟子」としてのマルクスは、『資本論』で「無意識」をもちこんだ。というより、ダイモン(精霊)をもちこんだ、といってよい。それがフェティッシュ(物神)である。つまり、商品価値に対してフェティッシュに言及したとき、彼は、そこに一種の霊的あるいは観念的な力が出現すること、そして、それが生産ではなく交換から来ることを洞察したのである。」 「超感覚的」と「霊的」とを、どうして同一視できるのかねえ。
例えばさまざまな物理量は理論的構成物である以上、超感覚的。
「力は霊的だ」と言えなくもないが、それなら「質量は霊的である」とも
言える。物理学者は霊的なものの研究をしているの? それっていいとこ
乱喩(カタクレーズ)でしかない。
スーパーで売られている例えばリンゴなんかも、確かに
単なるモノではないだろうけれど、その単なるモノでないというところを
「霊的」という言葉でとりおさえようとすることが、果たして適切かどうか。
やっぱ殿ご乱心としか思えない。 &ロ愛子みたいなセンスが大事じゃないの。神官禰宜。 ソクラテスヘーゲルよりは&ロ愛子のほうが詳しいさ。
万葉旅行でも霊能者にあって弱弱しい女性の守護霊がいると霊視してもらった。
ちゃんと包んどくべきだよな。 ユングの「集合的無意識」とか、ハイデガーの「存在」とか、ドゥルーズの「リゾーム」とか、みんな「イワシの頭」だよね。
感情が思考に勝ってしまって、なにかにすがりたくなった結果。
柄谷さんにあるのは、吉本隆明への<差異と反復>の感情なんだろう。 >>609 ユングは別として、ハイデガーの「存在」もドゥルーズの「リゾーム」も
カルト的、ないしオカルト的な含意はない。 >>611
ハイデガーの「存在」もドゥルーズの「リゾーム」もオカルトだよ。
勝手に概念を作っただけ、と言い換えてもいいけど。 >>613 あらかじめある何かにレッテルを貼るのではないという意味で
哲学的な概念はすべてオカルトだ、ってなことも言えるけれど、それなら
オカルトなのは哲学的な概念に限らない。何でもオカルトだというなら、
この言葉を使うのは生産的でない。 >>614
オカルトというのは存在しないものを存在するものとして扱うこと。
ハイデガーの「存在」もドゥルーズの「リゾーム」も実在しない空虚な概念だからオカルト。 >>616
「存在」も「リゾーム」のただの仮定、というより妄想。
結局は「神」の実在を想定したいだけ。
フーコーの『知の考古学』は、いわばその「リゾーム」の分析だったともいえるが、成果を得られずに失敗している。
現在世界というのは、空間(地域)と時間(歴史)の錯綜した構造だから、空間のみに焦点を当てる試みはうまくいかない。 【衝撃 講談社とアマゾン直接取引】
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6404619
ネット通販大手アマゾンと出版大手・講談社が今月から、取次会社を経由しない
「直接取引」を始めたことが関係者への取材で分かった。
消費者に本を届ける日数の短縮やコスト削減を狙う。
取次会社などに衝撃が広がっている。 中森明夫
@a_i_jp
2時間
自民党総裁選挙と芥川賞・直木賞を考案したのは、
大衆宣伝というものを非常によく知る天才的人物だったかもしれない。
いわゆる「価値の捏造」…
だが、マスメディアは飛びつき、大衆は関心を寄せ、大いにジャンルは活況を呈する。
しかし、それが真に<政治と文学>のためになるかどうかは、わからない。 ニーチェは、古代ギリシャ悲劇の研究から、ディオニュソス的、アポロン的という2項対立を語り始めたが、それはニーチェによるものであって、絶対的であるかは分らない。
ディオニューシア祭は、確かに悲劇が中心だったが、喜劇も上演された。ニーチェの影響が強いと思うが、古代ギリシャの悲劇に対して、喜劇はあまり注目されないと思う。
2項対立は、縄文/弥生、シニフィアン/シニフィエ、スキゾ/パラノなどと同様、読者、聞き手に関心を持たせる効果はあるだろう。柄谷行人の4つの交換様式も同様だ。
ニーチェとワーグナーの関係は、柄谷行人と中上健次、東浩紀と庵野秀明に対応するかもしれない。
ワーグナーの音楽が、ナチスで使われたと聞いた。ワーグナーといえば、「ワルキューレの騎行」が「地獄の黙示録」、COMPLEXのライブで使われた印象が強い。
ヒトラーは、第一次大戦の敗戦後のドイツ国民を鼓舞する為に、「ゲルマン民族はアーリア人の正統な末裔である」と主張したようだ。アーリアは、古代ギリシャの事かと思ったが、意外にも、アジアであった。ゾロアスター教は、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」に関連してくる。 ジュピターのほうがいいのにね。それも女性。うちの姉。おっぱい奇数児の双子。俺はユピテル。 ディオニュシオスとかアポローンとか、男が二人並んでいないテキストをとるべきで。
被害者も多いんだ。男女。 男が二人重なるのは縁起が悪いが、女がよく二人重なってたからしょうがないという
のも言い訳。罪を背負って贖罪するとか、才知にたけないと。
女が張り合った分は張り合うけどね、相手は選ぶさ。
二人以上となるとまた別だ。シスターアンドブラザー。 東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
12:53
他者は必ず自分を誤解する、よって誤配とか概念は必要ないのだ(キリッ)というのは、
じつは20年前に柄谷行人に言われているのですが(批評空間に掲載)、
ぼくはそういうのこそ抽象的な一般化で役立たない話だと思っていて、
それがぼくの哲学の出発点なのです。
つまりすべてが誤解なわけではない。
キラキラ地下室人
@X4L6ieEOiCztKt3
ゲンロン12東浩紀の文章の最後のアレントの援用示されている、
活動者を記録する製作者の存在が持続的な公共圏の基盤となるの部分、
製作者は必然的に活動者の活動を訂正するため(製作者は他者なのだから)、
ここで訂正可能性の「可能性」のパースペクティブが消えていると思うのだがどうだろうか。
→ 他者の他者性が現れるという教える立場ー学ぶ立場や売る立場ー買う立場という非対称性
他者が内面化出来ない不透明な存在として現れる問題であって売れてしまうこともそりゃあるだろとw 相手が私を愛してくれるか愛してくれないかは事前には分からない
私の手練手管が通じるかは分からない
しかしたまにあるいは頻繁に愛されるかもしれない
東の柄谷の他者の他者性が分かってないあるいはわざと馬鹿なこと言ってるのか? 東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
·
9月18日
問題はそれでも大人は「わかりあえる」ことを前提に社会とか文化とか作っているという現実であり、求められるのはその「わかりあえる」が暴走しないための歯止めになる哲学だと思います。「だれもわかりあえない」ということは、その歯止めにもならないのでダメ。というわけで今の哲学に至るのです。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
·
9月18日
他者の他者性がどうのこうのといって深いこと言った気になっている哲学が多いのですが(ぼくも若いころやられましたが)、あれって「人間なんて結局わかりあえないよね」ってイキっている中学生とあまりかわらないと思ってます。そんなお前の生活だれが支えてんだ問題で一撃で終了する。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
·
9月18日
すべて誤解だとみなが思っていたら社会も文化も生まれない。コミュニケーションには正解はあるし、みながそれを目指すべきです。しかし、にもかかわらずその正解はつねに誤解「かもしれない」。このバランスに誤配とか訂正可能性とかの思想のキモがある。これで回答になっているかしら。 分かり合うってことは犯されるってことじゃないですか。殻に閉じこもって。 場が高いのが女子、場が低いのが男子。大学者はクロスオーヴァー後。 柄谷の教えるー学ぶは権力関係が無いところでのコミュニケーション
売るー買うもそうですね
ある店で何かを買うか買わないかを強制されることは無く買うか買わないかは客の自由意志であり売り手にとっては他者の他者性が現前する
ただ世の中はそのような非対称性の関係性ばかりでは無く権力関係で動いてることがほとんどかもしれない
東はそのへんゴッチャになってそう 柄谷の他者論とわかりあえるかどうか(なんか凄いねw)はまた別じゃないかな? しかしそこで恋愛無罪と言ってしまうとある種のストーカー精神になってしまうのでは 下心、打算、複雑な利害関係にまみれた交換様式とは? いやもともとそういうのが入り混じっていて不透明だからこそ
それは「交換様式」と言いうるんだよ。
口先だけで「これは贈与です」とか言い張っていたところで
そんなの普通は嘘に決まってるw >>646
交換DのDはダウトのDですな!
愛という字は真心で〜♪ ジョ・ヨンイルが引用していたドストエフスキーは、「作家の日記」だった。新潮文庫にもあるような気がする。
ドストエフスキーは、反ユダヤ主義、アーリア主義であったという。そういえば、佐藤優は「クリミアはネオ・ナチですよ」と言っていた。
ヒトラーや多くの反ユダヤ主義者には、ドストエフスキーからの影響があるのかもしれない。
ハイデガー、ポール・ド・マンの反ユダヤ主義が問題にされるが、彼らは、ドストエフスキーを意識していたのだろうか。 なんで、ロシア人のドストエフスキーが、アーリア主義なんだよ、低脳。汎スラブ主義だろ。そういうとこだぞ、佐々木真よ。恥しったほうがいいよ。 東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
しかし日本のこういうインテリ業界の、
表向きの主張とは裏腹の古い体質ってのは根深いよね。
ぼくだって、若いころ編集者に
「気をつけなさい、柄谷行人を批判したらきみは業界で生きていけないよ」
ってマジメな顔で脅かされたことがあるからな・・
(柄谷さんが言ったわけでは決してありません)。
午後0:09 ・ 2021年9月21日・Twitter Web App
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
2時間
いまは忘れたふりしてるけど、
ぼくはデビューしたのが若かったのでいろいろ大変だったんですよ。
「噂の真相」にマザコンとか書かれたり、
妻に面と向かってぼくみたいなオタクとは別れろという社会学者がいたり。
ぼくがゼロ年代に文壇から離れるのは、あれですっかり嫌になっちゃったからなんだよね。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
2時間
その点ぼくはネットがあって本当によかった。
辻田さんと同じように、ぼくもネットのインフルエンサーを全否定できないのは、
ぼく自身そうやって救われたからなんだよね。
ぼくだって最初は大学や文壇、論壇でかっこいい難しいことだけやって生きてたかったけど、
あそこは総じて超まずい場所なんですよ。 > ぼくだって、若いころ編集者に
> 「気をつけなさい、柄谷行人を批判したらきみは業界で生きていけないよ」
> ってマジメな顔で脅かされたことがあるからな・・
> (柄谷さんが言ったわけでは決してありません)。
でも、ピエさんなんて事実上少なくとも一回は
柄谷から殺されてるわけであってさ
やっぱそういうのは本当にあるんだよねw 1880年8月にドストエフスキーはスラヴ主義や西欧主義は間違っていると批判し、「偉大なるアーリア人種に属するすべての民族を全人類的に再結合する」ことはロシア人の使命であり、「すべての民族をキリストの福音による掟に従って完全に兄弟として和合させ、偉大なる全体的調和をもたらす」と主張した[7][33]。 福田和也は最初は江藤淳の後ろ盾があったから無事だったのかな
いつの間にか福田も柄谷と仲良さ気な感じになったけどw ドストエーフスキイ「作家の日記 下」(河出書房新社)
一八八〇年 八月
第1章 後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明
シェイクスピアによって永久に与えられたアーリア人種の世界的典型が、全世界的であること、万人の理解され得ること、きわめつくせない深みを持っていることは、わたしはもうとう疑おうとしない。
第2章 プーシキン論
六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会においてなされたる演説
しかも、民族上の優先的差別をせず、ほとんど第一歩から、本能によって矛盾を見分けて、これを取りのぞき、各々の相違をゆるし、かつ和解させながら、すべてのものを一様に取り入れ、それによって、われわれ自身にもその時はじめて明瞭になった傾向、すなわち偉大なるアーリア人種に属するすべての民族を、全人類的に結合しようというわれわれの傾向と、それに対する用意とを表示したのである。
おお、わが国のスラヴ主義とか西欧主義とかいうものは、歴史的に必然なものであったとはいえ、要するに、すべて大きな誤解にすぎないのである。
真のロシヤ人にとってはヨーロッパも、偉大なるアーリア人種ぜんたいの運命も、ロシヤそのもののごとく、わが生みの国土の運命のごとく尊いものである。
それも剣の力によるものでなく、われわれの人類同胞性と、全人類結合に対するわれわれの同胞的努力によって、獲得されたものである。
――すなわち、真のロシヤ人なることは、とりもなおさず、ヨーロッパの矛盾に最後的な和解をもたらし、いっさいを結合する全人間的なおのれの魂の中に、ヨーロッパの悩みの捌け口をさし示し、同胞的な愛をもってすべての同胞をその中に収め入れ、ついにはおそらくすべての民族を、キリストの福音にしめされた掟によって完全に同胞として結合さすにたる、偉大なる一般調和の決定的な言葉を発するという、かかる目的に向かって努力することを意味するのである! Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji)
2020/04/02 18:38
この場面、色んなこと考えます。ドストエフスキー『罪と罰』岩波文庫版。
https://twitter.com/iamozawakenji/status/1245646727643725824?s=21
https://pbs.twimg.com/media/EUltBDmU4AAuuVc.jpg
エピローグ
彼は大斎期の終わりと復活祭の一週間を、ずっと病院で過ごした。そろそろ回復しは
じめてから、彼は、熱が出てうなされていた間の夢を思いだした。病気の間に彼はこん
な夢を見た。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパへ向かって進むある恐ろしい、前
代未聞の疫病の犠牲となるさだめになった。ごく少数の、何人かの選ばれた者を除いて
だれもが滅びなければならなかった。顕微鏡的な存在である新しい旋毛虫があらわれ
それが人間の体に寄生するのだった。しかもこの生物は、知力と意志を授けられた精霊
であった。これに取りつかれた人びとは、たちまち憑かれたようになって発狂した。し
かし、それに感染した人ほど人間が自分を聡明で、不動の真理をつかんでいると考えた
ことも、これまでにかつてなかった。……………………………………………みなが自分の考え
や、改良案をもちだして意見がまとまらないので、ごくありふれた日常の仕事も放棄さ
れた。農業も行なわれなくなった。人びとはあちこちに固まって、何ごとか協議し、も
う分裂はすまいと誓うのだが、すぐさま、いま自分で決めたこととはまるでちがうこと
をはじめ、おたがいに相手を非難しあって、つかみ合い、斬合いになるのだった。火災
が起こり、飢饉がはじまった。人も物もすべてが減びていった。疫病はますます強まり、
ますます広まっていった。全世界でこの災難を免れられるのは、新しい人間の種族と新
しい生活をはじめ、大地を一新して浄化する使命を帯びた、数人の清い、選ばれた人た
ちだけだったが、だれひとり、どこにもこの人たちを見かけたものはなく、彼らの言葉
や声を聞いたものもなかった。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ああ、そうだ。私は学部時代、哲学科哲学専攻だったんだけど、
卒論指導の隣の研究室から、「柄谷行人は哲学者じゃありません!」という、
専任の先生の怒りの叫びが聞こえてきたのは思い出した。
まあ、今だったらアカハラとかになるのかもだけど、
少なくとも当時は、笑えたw。
大野台介『アートコレクターズ』2021年9月号発売中!
@daisukeohnosgm
昨日 12:57 【Vimeoアーカイブ公開!】飯田泰之×井上智洋×東浩紀
「無料は本当に世界をよくするのか? 貨幣と労働の謎に迫る新・経済哲学対話!」 (2020/12/26収録)ダイジェスト
https://www.youtube.com/watch?v=RV1gR-_92tc おーっ!
「柄谷さんの話で言えば、交換様式Cのほうがそもそも
交換様式Bのほうを要請したんじゃないのか?」
核心に迫った議論をしているぞw >>665
哲学の教師ってバカしかいないけど、柄谷行人は哲学者じゃない、というのは珍しく正しい指摘だね。 近著や掲載誌の執筆者一覧では
批評家もしくは思想家となってるから
自明ですな · 返信する · 1日
Pierre Riviere
アーリア人の起源はインドから東欧の方向へと移動してるらしいからロシアはばっちりその範囲に入ってるよね。ヨーロッパに潜在的にあったアーリア人優越主義、アーリア人至上主義を最も引き出して政治的に利用したのはヒトラーですが。要するに潜在的にヨーロッパ社会にあった反ユダヤ主義とアーリア人至上主義を徹底的にナチが利用したんだよね。ちなみにヒトラーによると日本人は「名誉アーリア人」といってアーリア人と人種的起源は異なるけれどもその民族的卓越性においてアーリア人と見做すことができるという、ワケワカメな論理構造になっていたそうですww
16時間
Makoto Sasaki
名誉白人と同じですね。アーリア主義であるだけでは害はないかもしれないですが、反ユダヤとなると問題になる訳ですね
1時間 文壇、人文系出版業界では柄谷の見えない力が働いているんですね
ジャニー喜多川みたいに忖度もあるだろうけど
栗本は「柄谷は天皇だ」と言ってたし
笙野頼子は、柄谷が自分への批判の出版に圧力をかけるとか書いてた。
僕も柄谷が声を上げるのを何度か見た。
まあ、カントは自分への批判によく反論したみたいだし
マルクスは無断翻訳に憤慨してたけど
柄谷の生存中は、イソノミア、交換様式、霊の力の話をみんな有難く聞くのか。
裸の王様ですね でも関西に住んでると京都の出版社が影響を受けているようには思えないし、
東京のことがイマイチ想像つかない。 研究者向けの専門書ではなく、意識高い読者向けの思想書分野の覇権ですかね 栗原裕一郎
@y_kurihara
2時間
「霊」とか何だって言えるだろうさ。誰も知らないんだから。
「死者の声を聞け」とか、ふざけんじゃねえっつーの。お前聞いたのかよ。
じゃあ、今、ここで再生してみろってんだよ。イタコかよ、お前は。 日本ちん嗅ぎ文学の起源-柄谷行人
就活2
@syukat_2
昨日 19:36 鶴見済 『0円で生きる』発売中
@wtsurumi
8時間
後継ぎがいない人生って、何か残ったらむしろまずいので、
死んだ時に財産はちょうど無くなるのが理想だったり。
すでに、これまでの人生観と全然違っているのだが、それ考慮されてるかな。
そんな人間がたくさん出たのは、人類史上でこれが初めてだと思う。 1941/08/06 行人柄谷善男生まれる
1945/08/06 広島原爆投下
1964/10/10 中国原爆実験
2011/03/11 福島原発事故
『朝日新聞』によると、東京五輪1964開会式当日の核実験で日本に達した放射性物質は
福島2011より高濃度で多量だった(南朝鮮が受けた被害はさらに酷い)
だが人は簡単に忘れる
どれほど危険であっても3年で忘れ去る
日本人の隠蔽力と忘却力は偉大である
朝鮮領有、中国侵略、戦争、原子力兵器と事故、パンデミック、
周囲が慌てるほど全て簡単に忘却するのが2020年代のこれからの日本だ 柄谷批判した奴は編集者が忖度してギョーカイから抹殺するんかな? ネット右翼が政治の主導権を握る国
中華人民共和国
北朝鮮
韓国
ミャンマー
そして日本
アジアにおいて交換様式Dを阻む極右ナショリストグループ >>684
コロナで真っ先に行き詰まった国ばっかりだな 1964年6月29日、東風2号の改良型東風2号Aの発射試験が成功(のち1966年には配備が始められた)。続いて7月19日、観測ロケットT-7A(S1)の打ち上げと回収に成功。生物学的実験のため8匹の白鼠を搭載して、603基地(安徽広コ誓節渡中国科学院六〇三基地)より打ち上げられた[32]。
そして1964年10月16日、第9学会で開発された初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功した。中国の最初の原爆実験となった(596参照)。同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉衛星発射センターより発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。 柄谷は若い頃は作家や批評家が文壇的であることを批判していたが、今になってみれば、柄谷ほど文壇的な批評家は明治以来、いないのではないか。
講談社の群像新人評論賞などは柄谷が一人で選んで若い芽を摘んでるという専らの噂だが。 東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
8時間
人類が資本主義社会で終わりかどうかなんて、歴史の終わりが来るまで誰にも原理的に答えられるはずがない問いだし、そもそも歴史には法則なんてないのだと思います。
志位和夫
@shiikazuo
13時間
「共産主義はどうも」という方に2つの質問をしたいと思います。
1、資本主義という矛盾に満ちた社会が人類の到達した最後の社会か?
2、マルクスは21世紀では古くなってしまったか?
人類社会は資本主義で終わりでなく、その先に進むことができる。
その法則を明らかにしたのがマルクスなのです。 しかし東浩紀の場合は、もし歴史に「法則」を認めないのだとしても
「原理」は認めるという立場なのだろうか?
そこのポイントがちょっと気になるw
というのは、東浩紀はことあるごとに、原理という概念への親和性を言ってるからね。
それは柄谷の言うところの「原理」にある程度の親和性を示しているということなのだろう
そう見えるのだが。。。
原理と法則との違いは何か?
そこには何か違いはあるのだろうか? NAM原理がもし正しいとするなら、それは歴史に原理を認めることになるでしょう。 そもそも今の日共が目指してる共産主義はソ連型共産主義なん?
民主集中制もそのままだし 共産主義社会の矛盾と貧富の差は資本主義より比較にならないほど激しかった
それは共産国に限らず非共産圏の友愛結社、政治結社ですら過酷なものだった 半世紀以上前から議会制民主主義という欺瞞を肯定し右翼政党に堕落していた日共
そうした輩が共産主義の利を説いた所で聞くバカはいない
ミヤモト天皇制を崇め奉る日共は歴史修正主義の共犯者に過ぎない
人民を容易く裏切った日共ら右翼団体が弱者の視点を持つことなど決して有り得ない しかしだ、ある英文学者が虎の穴に入った頃ともなると
自由民主党はブントの生き残りを党員やブレーンとして最も招き入れた国政政党になっていた
中曽根内閣とブントの邂逅を演出した者の中には
ニューアカを様々な形で支援した堤清二がいた >>694-697
右翼って、いろいろデマを並べるもんだねえ・・・w 鶴見済 『0円で生きる』発売中
@wtsurumi
8時間
人はみんなこうある「べき」みたいな考えは、もういらないんじゃないかな。
「べき」が強くなればなるほど、他人が許せなくなって、攻撃してしまう。
最低限やっちゃいけないことだけでいい。 > 最低限やっちゃいけないことだけでいい。
最低限より以上のところまでたにんに踏み込もうとすること
それが要するに、他人の内面に踏み込むということなんじゃないですかね?
もちろん柄谷行人の今までやってた言動は、単なる自己矛盾だったわけですよ しかし、結局他人の深部にまでおもいっきり踏み込まないことには
人生というのは何かが面白くないんですねw
たから他人に踏み込まないということも
他人に倫理的に介入せよということも
ともに矛盾であるわけですww >>704
それにしても他人の結婚にむやみとケチをつけたがる人間が多いね。
日本人の醜い習性がよく表れてると言ってしまえばそれまでだけど。 だってNAMやってる人なんかにプライバシーがあるとは考えてはいけないw >>706
プライバシーの問題じゃなくて、妬み嫉みの問題。
日本人は昔か妬み嫉みの強い民族だが、小泉・安倍清和会の敵を創出する政策が強まってから、特にそれが激しくなってる。
気の毒なのは、その国民的標的になった真子さんだ。 NAMなんか所詮ブスとしか結婚してないし性交もできない人たちなんだから
そこに「妬みや僻み」が入ってくる余地なんかあるわけないじゃんかww
自らのやってきた罪深い政治行動をこそちゃんと純粋に反省すべき
なんだか拗れまくった被害妄想なんだなw >>708
ブスとしか結婚してないし性交もできない人たちだから、「妬みや僻み」が入ってくるんだぞ?
思考が逆だぞ? 眞子問題だって、あれは単なるヤッカミとは違う問題だぞ
小室圭の家及び皇室のおかしさの問題 >>709
いやNAMやってる人たちに対して「羨望」を感じる人間なんているわけないでしょw
NAMの内部にいる人だけがそれに気づかないのかな >>710
たんなる妬み嫉みだよw
親の問題を子供の問題にすり替えたり、法的にはまったく問題のない金のやり取りを詐欺であるかのように煽ったりしてる。
愛子さんを天皇にしたいグループが秋篠宮(悠仁)を貶めようとして画策してるようにも見える。
おかしいのは、捨てられた男と週刊誌の記者の発言を異常に増殖させている「国民」たちの方だよ。 >>711
真子さんは、NAMなんかやってないよw >>712
> たんなる妬み嫉みだよw
全然そうは見えませんね。
あそこから皇室と日本のシステムに於ける全問題の歴史を読み取れない人は
まずセンス無いね 眞子はNAMなんかやってなくても、
あれが操り人形であることは一目瞭然です どうでもいいけど柄谷さん
ちゃんと損害賠償支払ってください
元NAM会員の一人ひとりにちゃんと一万円を返すところから
はじめたらどうですか? もう今年の入ってから半月以上経つのに
『力と交換様式』出ないじゃないか
去年中に出せると言ってたのに >>714
そう見えないのは君の目が曇っているから。
皇室の問題など、真子さんの結婚となんの関係もないw >>720
> 皇室の問題など、真子さんの結婚となんの関係もないw
そう見えるのは君の目が腐ってるからwww >>721
では、どこがどう関係しているのか、明快な答えを書いてくれ。 本来なら根拠にはならないはずの意味不明な理由から
日本の社会に監視され、
自分の自由な結婚が妨害されているというだけのことをもっても
それは十分、皇室の人間には人権がないという、
歴史的な「問題」を物語っているだろうw >>723
皇室の人間には人権がないのが、歴史的な「問題」?
どういう問題なのか具体的に答えてね。 それだけ言ってやっても理解できない人は単なるバカだからもう答えませんよww >>725
答えられないと相手をバカ認定して逃亡。
情けない人だね。 こっちの貴重な時間をバカが奪わないでくれたまえよww >>727
5chへの書き込みが君の貴重な時間だったのか・・・
どこまで行っても情けない人だね。 交換様式を考察したら霊が見えてきた
カール・ユング-折口信夫を結合させた精神分析学 柄谷行人「霊と反復」(群像)を読むと、柄谷は妙なことになっている気がする。資本主義における商品価値は交換様式が生み出す「霊」によっているというのだ。霊って何? これは説明の放棄ではないだろうか。少なくとも、僕は商品価値を人間の世界で説明したいと思う。僕が先に挙げた本は、資本主義を人間の心の中に探そうとした貴重な論考だと思っている。これに、資本主義を支える勤勉さはプロテスタントの倫理が生み出したのではなく、モノが欲しいという近世ヨーロッパの消費行動が生み出したのだと説くアメリカの経済学者ヤン・ド・フリース『勤勉革命』(筑摩書房)を加えてもいい。 >>719
もう今年に入ってから半年以上経つのに
『力と交換様式』出ないじゃないか
去年中に出せると言ってたのに
でした 私(>>566)は長いあいだこの人のもの読んできたが、
柳田論はまあいいとして、最近みずから「霊」と言い出したことに
たいへん当惑している。 貨幣に振り回されるのは人間だけである。
よって貨幣に霊はなく、人間がそう思うだけだ。
柄谷はspiritを霊と言っている(ghostではない)。
柄谷の意に反してでも、非オカルト的に解釈しよう。 いやこの人の場合は、起源を辿っていくと元々がそういう傾向の人であって
むしろ中間の長い期間のあいだは、読者を騙していた
と考えるのが妥当ではないのかな? この人がマルクス論なんかを書き始めたのが70年代の中盤だったわけだが
同時にその時期、タロット占いや催眠術なんかにも
当時の夫婦ともどもはまっている。
一方で、マルクスとか言いながら、もう一方の私生活ではそういうオカルトに
はまってるというようなスタイルが、80年代においては
ポストモダニズムのスタイルとして、称揚されていたような時代でもあった。
そのツケというか要するに矛盾が、やっと今頃になって
明瞭な形を帯びながら噴出してきたということではないのか? 少なくとも、柄谷行人と、
マルクスやエンゲルスといった人とは
その生い立ちから、人生で背負っている問題の背景というのが、
全く異なっている種類の人々である。。。
という事実は、ちゃんと押さえておいたほうがいいと思うよ。 中沢新一との対談では
柄谷がコンピュータの計算力の発展は尋常じゃない
と興奮気味に語ってて
これまでいい加減に済まされてたものがはっきりしてくる
薬を飲むよりもコンピュータの計算力によって知覚が変わる
そうなると神秘主義も側もそれに対応するだろうと言ってる
近年では、長距離・大量・高速輸送や冷凍保存技術の
普及、ネット通販などが商業に影響を与えているわけで
交換様式に霊が絡んでるというのはそういう意味合い
なのではないか ニューアカ後、本を読んでもらう為に
奇矯な言動をして理論付ける。
本人もそう言ってたような
NAMも東のオタク論も同じでは >>737 >>603に引用されているところでは、ヘーゲルのGeistに関連して
ghostと言っちゃってる。 >>745 そうだけど、ここではカラヤン、珍しくヘーゲルを
肯定的に引用してるじゃん。この人はそこではヘーゲルの孫弟子なんだ。 ポラニーを読み始めた頃の栗本慎一郎は奈良や京都の裏路地で霊ではなく、
かつて市が立っていた地域の地形を自らの生理的反応の変化にも注意しながら観察し、説話を再読した
説話や伝承の中にある"負債感情"、怪異としての富や貨幣の移動を分析する
金融の変化による社会の変形、それによる強烈な恐怖が共同体を作らせる原動力になるとする吉本隆明の説に
共感はするが、吉本はアジア的生産様式の概念に固執し交換様式への考察が薄くなっていた 柄谷行人が言っていたなぁ。
いまの中国の問題は少数民族の弾圧ではなく、
アファーティブアクションに対する反動なのだと。
Hermit of Hibarigaoka
@iltkwnaf
昨日 23:30 中国政府のチベットウィグル政策は、たんなる宗教弾圧。
宗教弾圧が正しいのか間違いなのかは、二重権力を是とするか非とするかの価値観の問題。
どこの国でも、本質的な二重権力は認めない。 清は版図を広げ過ぎたんだよな
清の版図が中華民国、中共へと引き継がれる
清は当然国民国家では無く前近代の世界帝国だから周縁の異民族も皇帝に臣下の礼を取っとけば後は自由に放ったらかしだった
国民国家の論理が入るとややこしくなる ABC Trader
@ABC87791035
39分
ツイッターでは河野になると緊縮財政で株下落と言ってるが
私は岸田暴落があると思ってる。
既に海外で速報が出ているがCOP21では河野と進次郎コンビで日本の変化に期待して
株式市場に資金が流入していた。速報では日本は安定を選択となっているらしい。
株式市場は要警戒である。 岸田「新しい資本主義」
柄谷「資本を揚棄する。資本主義は終る」 >>754
>>755
馬鹿左翼は本当ゴミだな
こんな連中が支持されることは絶対にない ナショナリストの株屋も年貢の納め時だな。
所得再分配の方針に対してこうべを垂れよ。 総裁選で女性2人が出ましたが、河野を勝たせたくない勢力による、と言ってる人がいました。 >>763
河野が負けた一番の理由は二階を敵に回したせいだろうね。
安倍、麻生を敵認定するわけにはいかないので、無難な二階にしておいた。
菅も安倍の思惑通りに二階を切って自爆したし、河野も安倍の二階を敵認定して自滅した。
やっぱり安倍は、右翼らしい策士だね。 >>765
河野も安倍の二階を ー> 河野も安倍の思惑く通り二階を JIGPIX
@JIGPIX1
10月3日
法政大学前総長 #田中優子氏
日本学術会議任命拒否が起きた時…
「とっても恥ずかしかったです。
#菅首相 は法政大学の出身者」
『あれから1年、私たちの自由は?そして社会は?』
―日本学術会議問題とその後―
全編はこちら
https://youtu.be/chpPvWCNvg0
#ChooseLifeProject 90年代サブカルを「消費」していた立場から
鬼畜ブームが行き着いた果てとしてのヘイト
雨宮処凛
(作家、活動家)
2021/10/05
例えば私が90年代サブカルの洗礼を受けたのは20歳頃。
香山さんは15歳年上で、その世代は「新人類」と呼ばれてサブカル文化を作ってきた
わけだが、受け手の世代は20歳頃から「茶化す」ことが基本姿勢になっている。
それ以外を知らないから、政治家などもキャラと「ネタになるか」でしか判断しない。
周りを見渡しても、そんな元サブカル・キッズたちがいかに多いことか。
さて、書けば書くほど、この辺りのことについては本当に話が尽きない。
だけど、あの時代のことをちゃんと振り返ることでしか、私たちは現在のヘイトと
向き合うこともできない気がするのだ。
というようなことを、香山さんや当時のサブカルを知る人たちと語り合いたいな、
と勝手に思っている。 219考える名無しさん2021/10/05(火) 17:50:06.63
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
30分
マジすごい業界です。かつてのようなスタイルの「批評家」
(文芸批評の伝統を引き継ぎ、学問的な背景もあって社会全般について語れるひと)
がぼくよりほか同世代以下にいないのは、彼らのハラスメント体質の必然的結果かと・・
シンドクターしみず
@shimizu_toshi
33分
すごい業界なんですね…。逃げて正解ですね。
220考える名無しさん2021/10/05(火) 22:45:36.38
結局、冷戦下の社会状態にも勝るような、
ハラスメントに次ぐハラスメントの継続で壊滅しつつある
文芸批評の伝統芸と左翼文壇にとって、
もはや我々が生き残れる手段とは、
左翼がカルト化することであって
カルトとなり、ゾンビのような姿になっても
それをまた自嘲しながらも生き残ることである・・・
こういうのをスガ秀実的な結論と考えていいんすかね? 221考える名無しさん2021/10/05(火) 22:49:35.10
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
48分
「かもしれない」というか、原因はそれ(本気で自分たちの思想をさまざまなひとに
伝える気がない)に尽きると思います。NAMの「失敗」については、
いまだ失敗ということにすら反対するひとがいる始末ですが、それ自身が
「そういうとこだぞ」という感じです。
せっきー
@sekky_lions
ひょっとしたらその根本がNAMの失敗に繋がっているのかもしれない。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
8時間
その態度も30年前からあって、ぼくは柄谷行人さんと浅田彰さんに
「東くん(当時20代)はなんでそんなにひとに伝えようとするの、
伝わらなくてもいいじゃん」と壇上で冷笑されたものでした。
紀伊国屋書店のシンポジウムで、批評空間でも活字化されています。 原稿を換金しようとするから苦しくなる
いまや本が売れなくても困らない人間しか
その界隈では生き残れない 柄谷にとっては普遍性という言葉も単に強迫性のことを意味してるにすぎないんだよね
だからそれは真の普遍性ではない。 >>770
冷笑はされてなかったな、柄谷はまさにハラスメント的に怒鳴っていたし、
浅田はクールにいなしていたよ。
東らしい、言葉の改変だ。東はそもそも挙動不審だった。
鎌田哲哉が東浩紀について言っていた
「相手についての歪んだイメージを作り出す単語の選択、(2)真にフェアである代りに自分がフェアだと周囲に認めさせたい欲望のちらつき、(3)応酬の中でまさに論ずるべき論点を回避しそれには決して答えない態度」だよ。
とはいえ30年前のことが東浩紀にとっていまだにトラウマになっているんだなー
東は東で、柄谷よりハラスメント的だと思うけどねー あのシンポジウムは、最初、東が鎌田にどなりちらしたんだよね。記録された文では、印象か、書き加えでうすれているが。それに柄谷と浅田が反応というか、いさめたというかんじだった。 ベストセラーの一冊も出てれば
そんな愚痴なんか引っ込んでしまうだろう
経済決定論は正しいんですw むしろ東浩紀は斎藤幸平の「人新生の資本論」40万部におびえているんだよ。
「人新生」は、マルクスの「可能なるコミュニズム」、「アソシエーション」を顕揚している。
NAMも柄谷もどうでもいいよ。ピエさんはこだわっているかもしれんが。
そういう話じゃないというのが、ぴえさんはまーだわからんのかなのかねぇー マーケットとしては東浩紀が切り開いてきたオタクマーケトットより
斎藤幸平の脱成長コミュニズムのほうが、遙かにマーケットとして潜在力が高いというのが
証明されたんだから。
そりゃあ東は弱いところからつぶしにかかるでしょう。 意外にghostの話でしたね。末尾のヘーゲル、マルクスの引用が柄谷節でしたが、「哲学史講義」とか最後に引用が僕ぽい感じがしました。貨幣・資本以外の霊への言及も僕向けというか 冷戦が終わり、ハラスメントが始まった。 (1991年以降の歴史) 吉永剛志
@take4luckylong
10月6日
東浩紀さんが「NAMの「失敗」については、
いまだ失敗ということにすら反対するひとがいる始末ですが、
それ自身が「そういうとこだぞ」という感じです。」と言っていて、
私のことかもしれない。こういう紹介文もあるし
https://note.com/itsukimatsuda/n/n7e9a16b79f3e。
批評=運動の未来/過去のために―『NAM総括』編集にあたって
(B面:松田樹)|松田樹|note
吉永剛志
@take4luckylong
10月6日
それについては「どういうところ?」と松本大洋『東京ヒゴロ』の青木くん風に返答したい
とおもいます。ちなみに東浩紀さんにも『NAM総括』献本させていただきました。
20年も忘れずこだわっていてくれてありがとうございます。 まーそれもあるんだろうけど何よりも柄谷本人のことだよね。。。 しかしこのひと自分の本を出すために一体幾ら自腹切ってんねんよ? NAM総括: 運動の未来のために
単行本 2021/2/4
吉永 剛志 (著)
5つ星のうち5.0 1個の評価
単行本
¥3,960
¥3,350 より 8 中古品
¥3,960 より 22 新品 > 単行本
> ¥3,960
この値段で出さざる得ないというのなら、
私ならまず躊躇するな。 僕を低脳と書いたのは、東浩紀氏なのでしょうか。
あんな有名人がまさか、ですが。
652考える名無しさん2021/09/21(火) 02:58:33.030
なんで、ロシア人のドストエフスキーが、アーリア主義なんだよ、低脳。汎スラブ主義だろ。そういうとこだぞ、佐々木真よ。恥しったほうがいいよ。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
「かもしれない」というか、原因はそれ(本気で自分たちの思想をさまざまなひとに伝える気がない)に尽きると思います。NAMの「失敗」については、いまだ失敗ということにすら反対するひとがいる始末ですが、それ自身が「そういうとこだぞ」という感じです。
せっきー
@sekky_lions
ひょっとしたらその根本がNAMの失敗に繋がっているのかもしれない。 https://twitter.com/hazuma/status/1445262042705784834 …
5:58 AM - 5 Oct 2021
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「事件」は文芸誌で起きるんじゃないSNSで起きる
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)
先日芥川賞を受賞した台湾の作家・李琴峰に対し、医師でミステリ作家の知念実希人
が差別的発言をして謝罪するという事件が9月初旬に起こった。知念の謝罪を李が受け
入れて和解が成立したが、両者への誹謗中傷はまだ続いている。
あらましはこうだ。自民党政権に批判的な李が「まず思い切り野党に任せてみては
どうか」と政権交代を提言するツイートをしたところ、知念が「マジでなんで外国籍の作家
さんがここまで露骨に日本で政治活動しているのか」「安倍前首相や自民党に対する
ヘイトが迸りすぎていて怖い」と噛みついたのである。
李は、個人の見解を「外国籍」を強調して「政治活動」だとするのは、「外国人は発言を
するな」と言うに等しい「国籍差別」だと反論した。知念は「外国籍の方の政治活動は禁止
されている」との思い込みによる「差別的な発言」だったと謝罪・撤回した。
知念の釈明で興味深いのは、発言が過激化したプロセスへの自己分析だ。コロナ禍
以降、知念はウイルスやワクチンに関する情報を精力的に提供してきた。反ワクチンの
デマ退治をするうちに攻撃的になり、「専門とする言葉を武器に使って」しまったというのだ。
ワクチンをめぐる批判はマスコミや立憲民主党などにも向けられており、ワクチン政策
の正当な面を代弁するうちに現政権へのシンパシーが強まったようだ。エコーチェンバー
現象が傾斜を加速させもしただろう。
芥川賞受賞記者会見で「忘れてしまいたい日本語は?」との質問に「美しいニッポン」と
答えたことによく表れていたように、李は反安倍意識が強く、受賞直後から「ネトウヨ」
(李いわく)の攻撃に晒されてきた。知念の一件は火に油を注ぐかたちになったわけだが、
李のこれまでの批判に、本人も一部認めるように、思慮の浅い、言葉の雑なものがあった
のも事実だ。反安倍一色に染まってきた「文壇」の弊害という側面も、この事件にはあった
のではないか。
文芸誌10月号は全体に低調だった。唯一面白かったのは乗代雄介「皆のあらばしり」
(新潮)だが、前作『旅する練習』より軽い。 栗原裕一郎
@y_kurihara
1時間
原稿を送るとき編集さんへのメールに、
「もう文芸誌では文芸の事件は起こらないんですよ」と書いたら
そのままタイトルになりました(笑) こういうのもあった。
652は、東氏がワインでも飲みながら書いたのかな。
博士でも知識が無限ではないでしょう。
162考える名無しさん2021/01/26(火) 12:00:21.730
>>150
ちょっと考えりゃ、小林秀雄がロシア・フォルマリズムの
影響を受けてたことぐらい分からないかな?
このマコリンという人は余程、頭の鈍い人のようだね。
シクロフスキーの本が翻訳されたのは、日本は比較的
早かった。
文学と映画 八住利雄訳 原始社 1928
批評家はエエカッコシイだし、他人を出し抜いてやろ
うとか下衆な考えも持ってるので、一々何を読みまし
たとか、とっておきの本の題名は告白しないだろ。
小林→吉本→柄谷の流れの根底にろ紙うあ・フォルマ
リズムがあるし、日本の新左翼運動なんてクロカン、
中核、全共闘など全部、ロシア・フォルマリズムにホ
ルマリン漬けされてるw 柄谷、浅田、東の紀伊国屋ホール
東「カルスタ、ポスコロ、マーケティングが…」
浅田「カルスタ、ポスコロって何?
マーケティングしてどうするの」
東「スピヴァクが」
柄谷「あんなババア」 「NAM総括」の適正価格は2500円だろう。
上限でも2890円とみた そもそも同人誌の何が嫌かというと、
あれが秘密主義に赴きがちな運動であるということ
かつ利権が生じやすいということだな。 だからスガ秀実のこういう発言は単なるバックラッシュにしか見えないんだよね
108考える名無しさん2021/10/01(金) 22:13:20.62
猫飛ニャン助
@suga94491396
2019年4月26日
渡部直己「問題」〜戦後天皇制を論じた拙稿も掲載の「G-W-G」03出来、私は落手。
手っ取り早い入手法は5月6日の文フリ東京だが、
各自さまざまに入手法を追及してくらはい(出版元からも、今後アナウンスあろう)。
ブツがそんなに簡単に入手できると考えるのは消費社会の幻想。
https://twitter.com/G_W_G_minus
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 表向きの商業文芸誌の中味が空洞化していってる分、
狭義の意味での文芸批評の継承とは、
今は同人誌の活動に移行してるようだという。。。
たとえば、文学プラス、G-W-G’、ラッキーストライク、、、、
といったように下から同人誌の形が割拠していて、
それがtwitterを中心に、お互い情報交換し、
宣伝するようになった。。。
しかしこれが正しい形態なの?
これがネットを使った最終形態なんですか
次の段階はないんですか? ピエさんも、文フリでうればいいじゃん。『革命芸人ピエール栗原の誕生』再販したら❓あれはいい本だった。俺は買うよ。なんなら、売り子してもいい。 東京大学政治経済研究部(政経部)
@seikeibu
次回定例会:「アソシエーショニズムとコミュニタリアニズム」
15日(金)19時・赤門総合研究棟一階(本郷)
田畑稔や柄谷行人のアソシエーショニズムと青木孝平のコミュニタリアニズムを比較検討しながら、マルクス主義的な共同体観について考察します。
午後9:35 · 2021年10月9日·Twitter Web App >>801
こういう関係性の不透明さに敢えて挑んで手を染めることが
柄谷行人はNAMだと思っているわけでしょう 「政治とは綺麗事ではない」
とはナチの常套句で紋切り型だったという。 残念ながら資本主義に勝るもの無し
なんとか微調整してやってくしかないのでは まあ、ピエールみたいなやつを仲間にひきこむと、5ちゃんその他で、あることないこと吹かれるからな。それは秘密主義とはちがうんでね❓ 千葉雅也『オーバーヒート』発売
@masayachiba
10月7日
ところで、院生指導をしていて思うのだが、
今の若者は一種の話芸としての悪口を言えなくなっていると感じる。
だが、研究者にとって、洗練された仕方だったり間接的だったりの悪口を言えること、
TPOによって言うかどうかはともかく「言える」ことは、
研究計画の設計と関わる重要な能力だと思う。
千葉雅也『オーバーヒート』発売
@masayachiba
10月7日
論文とは、きわめて洗練され間接化され、そうとは見えなくなった悪口である。 2021年5月3日憲法記念日講演質疑応答より
《徳川家康は近代西洋と繋がっていた。その秘密は彼の外交顧問がイギリス人だった。
有名なウィリアム・アダムスがオランダ船に乗って漂着するんです。》
https://youtu.be/5QXOnJ3_Uso?t=29m
柄谷の念頭にあったのは以下の本、
ウィリアム・アダムス ――家康に愛された男・三浦按針 (ちくま新書)
2021/02/08
フレデリック・クレインス著
柄谷による書評
「ウィリアム・アダムス」 世界情勢伝え「門戸開放」支える 朝日新聞書評から
https://book.asahi.com/article/14360490
参考
2021/10/13(水) 20:00~
NHK-BSプレミアム
英雄たちの選択
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/
徳川家康といえば、江戸時代の“鎖国”の礎を築いた人物というイメージ。だが、
当時日本を訪れた外国人が見た家康は、国際情勢を的確に把握し世界との貿易を
推し進めた“開国派”だった。この家康の全方位外交は、やがて政権中枢に思わぬ
事態を招き寄せてしまう。配下に多くのキリシタンが潜伏していることが発覚し
たのだ。そして発した禁教令。
家康の真意とは?なぜ日本は“鎖国”へと向かったのか?家康晩年の選択に迫る。
出演者
【キャスター】磯田道史,杉浦友紀,【ゲスト】クレインス・フレデリック >>820
洗練されていなくてもよく吟味はされていますw 千葉雅也『オーバーヒート』発売
@masayachiba
10月7日
それ自体滑稽でもあって笑える悪口というのは、大人の重要なコミュニケーション。
千葉雅也『オーバーヒート』発売
@masayachiba
10月7日
インターネット時代には、それ自体が芸になっていない、笑えない悪口が蔓延している。 むしろ、ピエが、なんで柄谷にかれこれ30年こだわっているか不思議なんだよな。自分の人生いきろ。柄谷ラブこじらせ人生。 いやこれがまさに革命芸人という生き方なんです
みなさんも気がついてください 東浩紀が体験談として「柄谷行人を批判したら仕事を干される」
みたいなことを言われたとツイートしてたけど、
論壇なるものがマジでクズ・カスの集まりだなと思われてきて思い出した今キレてる
NC有情
@NC_U_joe
18:50 だから必要なのは「わらい」なんだ。
ユーモアは、アイロニーにまさると柄谷行人もいっていたが、本当にそうだ。
そのことがわかってない批評家勢がおおすぎる。
皮肉やお世辞は誰でもいえる。ユーモアこそが最も知的なのだ。
ということで、いま必要な余白=スペースは、、
「#わらっていいとも」
Satoshi Hamano
@hamano_satoshi
14:12 柄谷行人は少なくとも、
ハラスメントが存在しなかったら、
文壇が存在できないと考えているんでしょう。
しかし、それって本当にそうなんですか?? むしろピエールの欲望(柄谷にみとめられれる)が、実現しても、その先にはなにもなかった、ということに対するヒステリーが、ピエさんに生じているということです。 「柄谷に認められる」ということが、ピエールの欲望になったことはない。
何故なら、それを言うなら、ピエさんは一番最初から
(それは東浩紀がシーンに出現する前からといってもよい)
認められていた人だったからですね。。。。 144考える名無しさん2021/10/03(日) 12:49:02.41
それでは改めて
この時代この間あったことの時系列をちょっと並べてみよう。。。
1988年
4月 柄谷行人と蓮實重彦による対談集「闘争のエチカ」が出版される。
この本は当時人文系のベストセラーになっている。
5月 季刊思潮が創刊される。赤坂草月ホールにて創刊記念のシンポジウムが開かれた。
11月 早稲田祭早大文学研究会の講演会。
テーマは坂口安吾論。
実はこの日この会場で、
柄谷行人対ピエール栗原の対決事件が起きる。
(これが初対決の事件だった)
このとき同席していたその事件の目撃者は、
高橋源一郎とねじめ正一だった。
1989年
1月 東大駒場にて。
王寺賢太の主催で柄谷行人と中上健次の二人を招聘した対論。
学習会が行われる。
3月 たしか3月くらいだったと思うが、この中上健次と柄谷行人の対談が行われている。
対談はたしか、すばるの誌上に発表された。 >>840
この時系列をもう一度見てほしいのだが。。。
この流れの中で一番重要だった事件とは、
> 11月 早稲田祭早大文学研究会の講演会。
> テーマは坂口安吾論。
> 実はこの日この会場で、
> 柄谷行人対ピエール栗原の対決事件が起きる。
> (これが初対決の事件だった)
> このとき同席していたその事件の目撃者は、
> 高橋源一郎とねじめ正一だった。
実はこの事件だったんだよねw いや全然違うんだなw
1988年11月早大文学研究会の講演会で起こった事件に対する
応答といえるものが、次の月、つまり1988年の12月に出てきた。
それはまず、新潮の誌上に出された高橋源一郎の短編小説。(新潮の1989年新年号)
そしてもう一つ、群像に出てきた柄谷行人の評論である。(群像の1989年の新年号)
これが一体何であったのかは、興味ある人が各自調べてくださいw
ピエール事件へのレスポンスといえる柄谷行人の評論は、
その後「終焉をめぐって」に収録されてますね。 つまり事件とはこういうことだ。。。
ピエール栗原の存在が、日本文学の史上へ最初に反映されたのは、
この高橋源一郎の短編小説でモデルとなった人物としてだったのであるw
この短編小説はよく調べていないが
今でも高橋源一郎の単行本のどこかに収録されているはずである。
もちろんこの時はまだ、柄谷行人の高橋源一郎もこの謎の若い男が
一体何者かも、名前も知らなかった。
しかしピエさんの存在とは、この時既に、日本文学には反映されてしまったのであるww
1988年5月の赤坂草月ホールで季刊思潮シンポジウムでも
柄谷は彼のことを目撃しているし、
また法政大学の授業に勝手に潜り込んできた変な男としても
このとき彼の脳裏にはあったはずである。
しかし柄谷が彼の名前を知るのは後のこととなる。。。。 > もちろんこの時はまだ、柄谷行人の高橋源一郎もこの謎の若い男が
→ 柄谷行人も高橋源一郎もこの謎の若い男が ちゃんと語らなかったらどうせ妄想扱いされるだろうと思っていたから
この話は今まで公表してこなかったんだよw
ピエさんが最初に2ちゃんねるの書き込みに入ったのは、
2002年の6月のことだった。。。
もちろん匿名掲示板で今までこの話をしたことはないし、ブログでもない。
この話をすることは普段でも滅多にない。
しかしいつかこの事は公表する必要はあるだろうなとは
ずっと考え続けていたわけである。。。。ww 要するに、最初の出来事がこういう展開だったから
ピエさんは最初から、
柄谷の前で態度がでかかったんだよw
しかし、そのしっぺ返しともいえる、
柄谷の態度の豹変したのが
2000年11月26日東大駒場寮の事件からだったといえる。。。 確信的なところを歪曲して語るのが、界隈ゴロの手法
「終焉をめぐって」にピエ栗原についての言及なんてあるわけないだろ
高橋源一郎に関しても
嘘じゃないと言うなら挙げて見な。 だから君等がそれは勝手に調査してくれと言ってるw
必要十分な情報はもう出した。
もっと核心的な話は、必要に応じて出してあげるよww 栗原、新潮1989年新年号高橋源一郎の、『ヒズ ファーザーズ・ヴォイス』は、中年の芸術家のパパとママと僕(語り手)の物語。栗原らしき人物やエピソードはかけらもでてこない。 1989年群像一月号にいたっては、柄谷は、評論出していない。創作合評には、出席しているけどな。むろん栗原らしきエピソードはない。 栗原、おまえ、還暦近くなって、ウソで人生ぬりかためて何がたのしいの 高橋源一郎の小説は、突然しゃべらなくなって、画用紙に言葉書いて、意思表示しはびめた、パパの子ども視点の物語。くりはらのようにあることないことしゃべりまくる人間はでてこないな。 高橋源一郎の小説は、突然しゃべらなくなって、画用紙に言葉書いて、意思表示しはびめた、パパの子ども視点の物語。くりはらのようにあることないことしゃべりまくる人間はでてこないな。 そう。当該の小説はそれ。しかしよく調べたねw
高橋源一郎の「ヒズ・ファーザーズ・ボイス」は、
当時中上健次のやっていた文芸誌採点の連載でも、点数が「5点」でした。
それで高橋は当時SWITCH誌上でたしか連載していた自分の日記で
中上から低い点数を付けられたことに泣言を述べていました。
つまり、中上健次も、上の人と同じで、あの小説が一体何を書いているのか?
意味不明で全く読み取れなかったわけなんだw
あの短編小説で書かれている「事件」の内容が、
どう当時の栗原のことと結びつくのか?
だからそこに同席していたのは、
柄谷行人とねじめ正一、
当時の高橋源一郎の伴侶(その後離婚した)
栗原と一緒にいた友達三人、
それを遠くから見ていたのだろう当時の早大文研の人達
そして柄谷と同伴してきていた文研出身で現代思想の編集長から
当時アスキーの編集長になった西田さん?
その位の人たちである。
つまり、あの小説は、講演会後の事件を目撃してる人間たちでなければ、
一体何を書いている短編小説なのか?全く意味不明な小説だったのである!
これは当時三十代後半だった高橋源一郎の力量の問題だったのか?
あるいは小説の価値自体を低く見積もった中上健次の目が正しかったのか??? このスレッドの主な書き込み人物
■佐々木真―熱狂的な柄谷ファン。20年〜30年前から柄谷の講演会があるときは必ず日本全国のどこにでも北海道から出かけ、最前列にすわる。「柄谷行人を解体する」というサイトも運営する。この5ちゃんねる柄谷スレッドも基本的に佐々木がたてている。柄谷からは20年前から「たんに迷惑」「一種のストーカー」「本人に特に悪意があるわけではない」「ストーカー的な人こそ最も厄介」と認識されているhttp://web.archive.org/web/20030718212008/http://askaccs.ne.jp:80/tokushu/sp_06.html
もっとも佐々木的には柄谷がかまってくれたことは「光栄な態度」と思っている。
■栗原信義 ―元NAM会員 自称ピエール・リビエール 20年前、柄谷にNAMで下記のようにいわれ、さらにそれを20年前、5ちゃんねる柄谷スレににさらされ、恨みに思い、この柄谷スレとスガ秀実スレを主戦場に、業界ウラ事情通風な立場で柄谷神話を破壊しようと言論活動を20年前から続けている。数年前から佐々木と結びつき、頻繁に会い、自らの発信の立ち位置を確立しようと模索する。
栗原君
君は、かつて法政大学で私のゼミに何度も来て、私に「来ないでくれ」と言われ、昨
年の駒場の集会のあとでも、私に「君はNAMに入るな」と言われたはずだ。その翌日
の紀伊国屋ホールのシンポジウム(NAM生成所収)で、私が、ダメ連とか現代思想オ
タクにはNAMに入ってもらいたくない、としゃべったが、そのときも、君のことを念
頭においていた。しかるに、君はNAMに入り、案の定、支離滅裂な議論で、まじめに
受け答えする人たちを困らせ、また、事務局を不当に攻撃している。どんな人からも
学ぶべきところはあるが、現代思想オタクや三流物書き志望者から学ぶことはなに一
つ無い。今後、発言に注意してもらいたい。今後、MLの議論を無用に混乱させること
をするなら、私の責任で、MLから除くことにする。 柄谷行人 高橋源一郎の「ヒズ・ファーザーズ・ボイス」において、
あの小説に出てくるお父さんは、何故だか、全く喋らなくなってしまうのである。
そして高橋源一郎が1988年に予言した通りに、
柄谷行人もやっぱり、全く喋らなくなった。。。
それは何故か?
そしてあの小説のラストシーンが、すべての事件を物語っているのだ。。
椅子からズルズル滑り落ちていった、「僕?」の姿である。
(たしか私の記憶では、椅子から滑り落ちたのは、
父さんではなくて僕のほうだったと思う。)
あれは全く謎の小説に見えるのだが
しかし、あの小説に、その後柄谷行人が、
どのような経緯で、喋らなくなるのであろう?
という構造が、すべて予言されているのである!!www それで柄谷行人の方から上の「応答」ということで謂われてるのは、
「死語について」という評論ですね。
それは「終焉をめぐって」に収録されています。 「死語について」が栗原への応答なはずないだろ
うそつきもいいとこだな。 柄谷行人が喋らなくなる一つの例
(これは高橋源一郎が小説「ヒズ・ファーザーズ・ボイス」で描いている
お父さんがある日突然全く喋らなくなってしまった理由を、
柄谷本人の口から説明している貴重な例である。)
https://book.asahi.com/article/14327879
学校、行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド [著]雨宮処凛
評者: 柄谷行人 / 朝?新聞掲載:2021年04月10日
日本では近年、小学校から大学にいたるまで、不登校の人口が増えている。
少子化にもかかわらず、小中学生だけで全国に一八万人いるとされる。
本書は、不登校の実情を、当事者、保護者、支援者などの多彩な体験談を通して
示している。著者自身も、学校に行くことが極めて苦痛で、
未だに「後遺症」が残っているという。
ちなみに私も、幼稚園で「登園拒否」をし、小学校でも登校はしたが、
二年間口をきかなかった。それでも何も問題はなかった。
ただ、それは後遺症として今も残っているが。 > 「死語について」が栗原への応答なはずないだろ
違う。あれがまさに栗原への応答なんだよw
「死語について」では、
「プロレタリアとはもはや死語と見做されている」
という話から始まっている。
そして吉本隆明の示す世界観の批判へと展開されている。・・・・
あれが、文研講演会後の、応答なんですよw 栗原が「僕」ってか。
やはり、柄谷の「息子」になりたいという栗原の欲望しか感じないな。 栗原が「僕」ってか。
やはり、柄谷の「息子」になりたいという栗原の欲望しか感じないな。 栗原が、1988年11月早大文研講演の後で、
横に高橋やねじめの席上で問題にした事案とは
「柄谷さんって声が小さいんですね」
という話から問題を振ったわけだ。
この問い掛けが、まず、柄谷、高橋、ねじめの爆笑を誘った。
そこからすべてが始まった。。。 栗原が自分で、父さんの僕と見做したわけでは全くない。
後で見たら、高橋源一郎が勝手に
そういう見做しの小説を書いていたわけですww
それを見たときには、さすがの私も面食らいましたw 全共闘親父とかで、○○にこう質問したら、文章で応答があったんだ、とか
醜いこというヤツがいるが
栗原も結局そういうポジションにおさまったということだよ。
だから何なんだってはなしだよ。
当然、そういう全共闘オヤジは全共闘のことなどなにもわかっていないし
ほとんどかかわってもいない。 まず、柄谷行人の「声」から問題にした人、
たぶん、それは柄谷に話をきく人の中でも稀な問い方だったのだろうと思うが、
それが、1988年11月の栗原だったということですね。
それを横で見ていた高橋源一郎は、
声から問題にする短編小説を、新潮の誌上に発表した。
そして中上健次の反応を見ればわかるように、
この小説は一体何のことが書いてあるのか?
第三者には全くわからなかった、。
中上健次から低い点数を付けられて、それで高橋は落ち込んだ。。。
こういうあらましですw
(ちなみにあの短編小説で高橋源一郎が取っている方法、
書き方とは、ウィリアム・サローヤンのパロディです。
当時それが流行っていた。) それで事件の場所で話された、内容的な面から
ストレートに応答してるのが、
柄谷行人の「死語について」です。
プロレタリアの視線、
これを当時早大文研の講演会が行われていた
革マル派主催の学園祭という点から、
柄谷行人に向かって突き付けたのが、栗原の指摘でした。。 つまり、以上の条件から、
栗原の言ってることには、全く嘘がない
ということですよ。(笑) なんだったけかな?
たしか、講演「坂口安吾その可能性の中心」で、柄谷は、
「批評は遊民が始めた」
という話をしたんだよ。それでその話を、
ベンヤミンがそう語っているということで説明していた。
(これはこの講演がその後「言葉と悲劇」に収録されている通りです)
それで、栗原が言った質問は、
批評の起源について、その語り方は、何か重要な過去が隠蔽されていて
柄谷さん自身においても、そこが抜け落ちてるんじゃないですか?
ということだった。
つまり、栗原君がそこで示したのは、現在我々がここで話しているこの場所が
革マル派によって作られている学園祭の中であること。
ベンヤミンからのその引用発言は、プロレタリア的人間の哲学、
つまり革マル派のイデオロギーというのが、
そのまま丸ごと隠蔽されているのではないですかという指摘だったんだ。 この講演会後に生じた語り合いは、
雲行きがやばくなったところで、
強制的に文研の人から打ち切られたんだよね。
それで栗原の一団は、逃げるように会場から立ち去っていった。
講演会場の隣の三号館地下にある哲学研究会の部室へと
そのまま逃げ込んで雪崩込んだ。
(高橋の小説のラストシーンは、この文研の人から、
話しているのが突然打ち切られたときの瞬間を、描写している。) 話きいていると、栗原が、ある時代の、3流物書き志望で、現代思想オタクのアイコンだったのは確かだ。NAMにはいらないでくれ、といわれたのはしょうがないな。 いってることが、モーヲタとかAKBヲタとかわらん。したがって、5ちゃんに、栗原がながれこんだのも必然だな 「死語について」で、柄谷は、
プロレタリアという言葉はもはや死語と見做されているが、
しかし、プロレタリアの視線が、日本文学における他者の視線だったのだ
と言ってるでしょう。そう言って吉本隆明を批判している。
そして1988年12月発表のこの評論について、1988年11月(たぶん3日の文化の日だな)
において、他者としてのプロレタリアの視線を、柄谷行人に対して突然導入した人が、
ピエール栗原だったわけです。
つまり、それはオタクでもなんでもない、三流でさえもない、
まさに強烈な他者体験を、革マル派主催の学園祭に、導入したんですよw
そして柄谷行人にとって、この1988年から1989年に跨る一連の出来事が、
彼の政治的な転回点になっているということなんです!
真実は。 よく冷静になって考えて呉れ給えよ
そして冷静になって想像してみてくれ
1988年11月3日の昼間までは
「批評というのはねー 遊民が始めたんですよー 遊民がーーーー」
とかベンヤミン引いて語ってた人が、
(「坂口安吾その可能性の中心」として講演の文言は
「言葉と悲劇」に収録されてそのまま残っている)
翌月の12月8日発売の群像誌面では、
やっぱり大切なのは、プロレタリアの視線だったのだ、、、
というように、言うことが180度真逆に変わってるわけだよw
(「死語について」、「終焉をめぐって」に所収)
これは何かこの短い一月間に何か彼の身にあったに違いないわけだ。
自分の態度を改めさせる何かが。。。
それが早稲田で、栗原から為された、
元中核派の高橋源一郎の目前で、カクマル突き付けられ事件だったということなの!
とにかくこの一月間で、柄谷には何か自分を改めさせる事件があったわけなんだ。
「坂口安吾その可能性の中心」も「死語について」も
ちゃんと証拠に出来る文面として残っている。
そしてこの二つの意見の間には、僅か一月の時間しかなかったということなんだよ! 高橋源一郎は中核じゃないよ。横国だったから、赤軍の近傍には、いたけど。 そういう小説もある。
栗原は、つまりすべてが、AKBヲタで柄谷ファンなんだよ。 > 高橋源一郎は中核じゃないよ。横国だったから、赤軍の近傍には、いたけど。 そういう小説もある。
それはあんたが完全に有名な事実の誤認ですwww
糸井重里と高橋源一郎が有名な元中核なの
これは常識ですよ 今、「高橋源一郎 中核派」でググりを入れたら
トップに来たのが、ピエールのブログだったわw
この情報がネットから消えてるのはちょっと不思議だが
たぶん高橋が自分でもう隠してるんじゃないかな?
80年代なら高橋が中核だったのは有名な話で、
彼はそれで巣鴨拘置所に入っていた。
それに対して何故だか糸井が中核だった話は
今でもネットにしっかり残ってるんだなw まあそういう、共産趣味者的なことしかいえないんだよね、、、ピエーは。 今だと高橋が中核派だったことを証明するのに、
何の文献を参照すればいいんだろうか?
糸井が中核だったとバレて有名になったのは
もともとフライデーに中核時代の写真がすっぱ抜かれたことだったから
それは隠しようがないのかもしれないが。 爆弾預けられてこまった、という橋の小説よんでないだろ。渡部直己の電通文学にまみれてにものとているよ。 いや少なくとも高橋が赤軍関係だったということは有り得ないねえ
イデオロギー的に言ってまず赤軍に近づくわけないね
こういうのは誰が知ってるんだ?
スガだと分かるのかな 栗原が知ってることなんて殆ど常識の範疇でそれ以上はないよ
そういうのに特に詳しかったのは中川文人とかだな
法政入ったとき最初に付き合ったのが、
中川や田上孝一のグループだったからさ
中川の知識と比べたら、
外山恒一は大学行ってない分モグリなのがバレるねw あほか、ともかく、電通ぶんがくにまみれてあ、を参照しなさい。柄谷ファンなら、常識ですよ! 高橋源一郎だともう文化功労者に近いレベルだからな
中核派とかいう単語が出てきたらヤバいと思ってるんだろう また渡部情報どこまで信憑性あるのかという問題もあるだろうね
そもそもあの人は元々左翼殆ど関係ないでしょ あと、横国の赤軍状況は、数年前、中心人物により「追想にあらず」というのもでたから、参考にしなさい。 > まあそういう、共産趣味者的なことしかいえないんだよね、、、ピエーは。
趣味者じゃなくてピエールだけが本物の革命芸人だと言ってるw 新左翼関係の思い出なんてどれも気持ち悪い話ばかりで
できれば思い出したくないww 特に法政大学学生会館の記憶とか嫌だよね
思い出すと大体吐き気がするわw 法政大学から中核派を追い出した島田雅彦教授はやっぱり正しいと 嫌われる人というのは大体正しい人だからw
法政の島ちゃんもそう そもそもピエさんは多摩校舎の人間だったし法政殆ど関係ないんだよね 法政大学の場合
本来多摩校舎を中心にしてすべてを考え直して立て直すべきですね。。。
柄谷行人はそもそも最近になって八王子になんか移住してきたけど 「探究V」から「トランスクリティーク」になった、というのもどうかと思う。Vはそれほど、カント、マルクスを論じてなかったし、Vの後、トラクリも群像に連載後、単行本化された。Vで見開き、フッサールの引用の回があって、松本零士「キャプテン・ハーロック」みたいと思ったけど、始まりも終わりもない、というのはまさにハーロック的ですね 学生運動やるなら多摩を中心にして
市ヶ谷なんかでやっても意味ないと思う
という前に既にネットの進化で学生運動自体が終わったと考えられるが 高橋の小説の失語症テーマは、高橋の体験にもとづくもので、柄谷もピエも関係ないな。 「中国語の7割が日本語だ」という言葉を見かけた。
共産主義、社会主義、資本主義、自由などの熟語は
明治時代に日本で作られた、とドヤる竹田恒泰のような話だろう。
だが、漢字は元々、中国から日本にもたらされた。
その新しい組合せを日本人が考えたのであって
車、電化製品、マンガ、アニメ、音楽も同様で
それほど日本がオリジナルとは言えないと思う。 天皇もそう。
浅田彰、ホリエモンの天皇制廃止論はどうなったのか。
愛子が天皇になれると思ってる人もいる。
皇室典範に、男子皇族のみと書いてるのに。 「探究T・U」は奇跡の産物だったんですかね。「アソシエーション宣言」「総括」も読まなきゃと思いました。 ドストエフスキー「悪霊」『ドストエフスキー全集』第一一巻
第二章 チーホンのもとで 一節
「いいですか、僕はスパイとか心理学者とかいう連中が嫌いです。少なくとも僕の心に入り込もうとする奴らがね。」
第三部第七章二節
「私は一生嘘をついてきた。本当のことを言っているときにもだ。私は一度も真実のために語ったことがない。いつも自分のために語ってきたのだ。そのことは以前から気がついていたが、いまこそはっきり分かる……」 ドストエフスキーの未公刊ノートにプルードンの名前がある。
『経済的諸矛盾の体系』の書名の後にこう書かれている。
《さまざまな国民性の思想こそは、デモクラシイの新しい形態にほかならない。
それはspontanement(自然発生的に。フランス語)現れた。
われわれは人類の思想のspontaneite(自然発生。フランス語)を信じる。プルードン。》
(『ドストエフスキー 未公刊ノート』筑摩書房、32〜3頁より、22頁にも名前がある)
これが記された1863〜4年は『地下室の手記』の直前。
ドストエフスキーの水晶宮?への嫌悪と結びつけられなくもない。
『悪霊』で批判されたバクーニン以外に、アナキズムのイメージをドストエフスキーが
持っていたということは少なくとも言える(フーリエの名も28頁に出て来る)。 高橋なんかより村上春樹と早稲田の学生運動との関係ご知りたいんだけどなあ ナポレオン三世は、ドストエフスキーの「罪と罰」で言及されているのかもしれない。柄谷行人によって、ナポレオン三世は、加藤典洋、ダライ・ラマと同様、価値がないイメージを持たされている。 ソフィスト「都市国家は人工的に発生した」
アリストテレス「都市国家は自然に発生した」 #丸山ゴンザレス #裏社会 #クレイジージャーニー
GACKT活動休止と裏社会における仮想通貨【丸山ゴンザレスの裏社会タイムス】
https://www.youtube.com/watch?v=7zygP2avC-A 笠井はずっと中核だと思ってたぞw
じゃああの人は何やってたんだよ?
和光大中退 栗原は、事情通きどって、デマまきちらす。 自覚した方がいいよ。
笠井は、プロ学同だよ。ネットで検索すればわかる水準だぞ。 そんな党派の細かい知識まで知ってて一体何の意味があるのか?
まー実際中核じゃなかったなら笠井さんには失礼したが
やっぱり栗ちゃんはオタクや趣味者とは違うんだよ
全然別の次元を生きている
だから細かい知識は知らない
そんなのどうでもいいですw ごはん論法的に話しずらすなよ。栗原は、一時が万事、こういう感じで事情通きどりのデマ屋なんだよ。自分の醜さを直視した方がいいよ。それはまちがいない。 > ご飯論法
> ご飯論法とは、質問に真正面から答えず、論点をずらして逃げるという論法。
> 「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際、「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、
> 「ご飯は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、
> 論点をずらし回答をはぐらかす手法である。
> 報道によっては「ごはん論法」とされることもある。
匿名掲示板で、相手のツッコミを真に受けてたら
誰でも即死するに決まってるだろうw
だからこれはこれでいいんだよ
{笠井さん傷ついたらごめんねw)
匿名掲示板というのは皆がおおらかに生きていければそれでいいのw >>929
匿名掲示板では、自分が匿名だから、匿名の人を相手にするのがいいね。 親ガチャって「俺が東大行けなかったのは親のせい」という話? >>931
そうだね。
身近な東大出身者を見ると、9割は真実だな。 栗原信義は、典型的な現代思想ヲタクで、3流物書き志望(かつて)というのは、間違いない。それがファクトだ。 高3で初めて東大模試受けて、現国の長文解答は訓練が要る感じがした。
まあ有名大出てなくても楽しいよ ソクラテス、プラトン、アリストテレス、
孔子、ブッダ、キリスト、マホメット、
デカルト、カント、ヘーゲルを一応一流にしとけば >>939
宗教家は哲学者ではない。
その意味で、その中で哲学者といえるのは、孔子ぐらいか。
とはいえ、孔子もまた、哲学者というより人心掌握と処世術の人というべきか。 トマス・アクィナス
スコットゥス
親鸞
アンドレ・ジイド
ドフトエフスキー
キルケゴール
などは哲学者 issaku
@issaku14
·
10月13日
自分が何者かになれないからといって何者かの足を引っ張るのは
非常にみっともないので止めなさい。 issaku
@issaku14
20時間
「飲まない東京」とか言い出す人って飲まないと辛い人生をやり過ごすことができない
とか、飲まないと嫌なことを忘れられない人の気持ちとかがわからないのだろうな。
飲まなくてはやってられない人とはなかなかわかり合うことはできないと思う笑 栗原も柄谷の陰口いわないと、人生やりすごせなくなっているのか。しょーがないやつだな。 プラトン、カントを哲学者にしないと
哲学が何か分からなくなる さっき教えていただいたんですが、早稲田の村上春樹ライブラリーは4号館なんですね。
半地下のカフェ橙子猫は、あの(何かが澱んだ、エントロピーが増大しきった、
しかし居心地の良い)サークルラウンジだったわけですね。
あの2001年の強制退去に抵抗して絓秀実と学生が学校当局と揉み合ったあの……
久禮亮太
@ryotakure
10月13日(水) 22:30 砂の惑星、リメイク知らんかった。デビッド・リンチ以外、それほど。ホドロフスキーのDUNEは見たいかな 真の革命芸人とは匿名で振る舞うことであろう。 (イエス・キリスト) 広島の栗ちゃんは、埼玉の栗ちゃんに、まきこんでごめん、だって。 広島の栗ちゃんは、埼玉の栗ちゃんに、まきこんでごめん、だって。 広島の栗ちゃんは、もう二十代後半も過ぎ去ろうとする頃に
これから京都大学を受験すると捨て台詞だけ残して消えていったものだった・・・・
果たして彼は今どこに? フワちゃん(本名:不破 遥香(ふわ はるか)[3]、1993年〈平成5年〉11月26日[4][5][6][7] - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber。芸能事務所はワタナベエンターテインメントを経て、現在は無所属(フリーランス)。
東京都八王子市出身[8]。身長161cm。弟が2人いる[8]。自身の性格についてフワちゃん自ら「マジで真っ当な人気者タイプで、超明るかった」と話している[5]。小学2年生から小学4年生までアメリカ、ロサンゼルスに居住[6]していた帰国子女。中学校ではバスケットボール部、高校では自分の足が速いことに気付いて陸上部に入部、高校生時代は東京都の大会に800m走で出場し、予選敗退[9]。
子供の頃から新しいゲームや企画を考えたりすることが得意で、バレーボールと靴を飛ばす遊びとを掛け合わせた「靴飛ばしバレーボールゲーム」などを考え出していたという[10]。
東洋大学文学部中国哲学文学科卒業(4年生の時に1年留年し、5年かけて卒業[11]。卒業論文のテーマは『芥川版「杜子春」と原典「杜子春伝」の比較研究』[12])[注釈 1]。 佐久間文子「文學界事件簿」
「近代の超克」がたびたび論議の対象になってきたことについてたとえば柄谷行人は、「それはその座談会の歴史的意味を問うということを意味するだけではなかった。むしろそれを問うことがその都度その時期の状況を映し出すというかたちになっていたと思うのです」と、『〈近代の超克〉論』を書いた哲学者廣松渉を招いた座談会で発言している(「〈近代の超克〉と西田哲学」=「季刊思潮」平成元年四号)。
(廣松は)そのうえで、「近代の超克」という言葉を大流行させるきっかけとなったのは「文學界」の座談会だが、「単なる時局追随的な現状の合理化ということには尽きないと思います」と、前述した柄谷たちとの座談会でも発言している。 自称「2058年から来た」未来人・國分玲に直撃取材!
彼は真のタイムトラベラーか、それとも…
Twitter上で話題騒然の「未来人」が、「任務を終えて未来へ帰る」直前に、
対面インタビューに応じた。これまで行ってきた「予言」以外にも聞きたいことは山積みだ。
果たして彼はどう答えるのか
自称「2058年から来た」未来人を直撃!
https://nikkan-spa.jp/1786486 > 自称「2058年から来た」未来人・國分玲に直撃取材!
それって、たたの柄谷行人じゃなかったのか? 三島が「無意識は存在しない」と言ったのは、ドストエフスキーの心理学否定の影響かな 批判とケチは違いますよね
ここは2ちゃんより高次元な5ちゃんだぜ 東浩紀「SNSでのデマや誹謗中傷対策には攻撃が空回りする場を増やすのが有効」
eyes 東浩紀
ところで、そんなシラスをこの1年運営して感じたのは、顧客が作るコミュニティーの
重要性である。シラスの動画には多数のコメントがつくが、他社のプラットフォームに
比べてふしぎと荒れない。その理由はおそらく固定ID制にある。無機質な文字列でも、
繰り返し表示されれば一種の「顔」のように見えてくる。配信者は常連のIDを覚えるし、
ユーザー同士で交流も深まる。そうなると自然とコメントの作法が生まれ、配信者も
安心して本音を話せるようになる。それが番組の質や多様性につながるのである。
その光景は筆者には、15年以上前、SNSの普及以前の掲示板やブログサービスでの
交流を思い起こさせる。当時はネットユーザーの数が少なく、ビジネスとしては未熟なぶん
草の根の秩序が守られていた。シラスはそんな原始のネットに先祖返りをしたところが
ある。今後その特徴をどこまで守れるかが鍵になるだろう。
この数年、SNSでのデマや誹謗(ひぼう)中傷は大きな注目を浴びている。
法的規制の必要性も議論されている。異論はないが、攻撃を力で抑え込むことには
限界もある。攻撃そのものが空回りするような場をいかに増やすかが、本当の未来に
繋がるはずだと考えている。 鬼滅に軍服風の登場人物が鬼の首を斬り落とす場面があるけど、三島事件のアニメ、映像化はどうかと 次スレ
【邁】柄谷行人を解体する61【忠】
なんてどう? 選挙権が18歳からになったのは、自民が、若者が将来不安で体制維持を支持しているのを知っていたからですかね ERROR: Sorry この端末ではスレッドが立てられません。またの機会にどうぞ。 5chは、スマホは特定できるからスレ立て可だけど、パソコンは制限してるのかな Pierre Riviere
17時間 ·
先月出た群像で柄谷行人が「ソクラテスのダイモン」について論証しようとしたことが昨今の問題になってますが、ニーチェは同じ「ソクラテスのダイモン」についてこのように考えていました。
『権力への意志』 ちくま文庫上巻 四三二より
私は、いかなる特異体質の特殊的な状態から、ソクラテスの問題が、すなわち、理性=幸福という彼の等値が導出されうるのかを、明らかにすることをこころみる。このような不条理な同一説でもって彼は魅惑した。古代哲学はこの魅惑からふたたびのがれることはできなかったのである。
客観的関心の絶対的欠如が、科学への憎悪となり、おのれ自身を問題として感ずる特異体質となる。ソクラテスにあってみられる幻聴は、病的要素である。精神が豊かで独立しているところでは、道徳にかかわりあうことは最も抵抗をうける。ソクラテスが道徳の偏執狂であるのは、どうしてなのか?−−すべての「実践」哲学は危急の場合にはすぐさま前景にあらわれでる。道徳と宗教が主要な関心事となるのは、困窮状態におちいっていることの徴候である。 小林秀雄は「僕は勤勉な研究家ではない」と言う。柄谷行人も「僕は学者ではない。構造的に考えている」と言っていた。
小林も柄谷も博識であるように見えるが、言及する思想家、文献は限られていると思う。 小林秀雄が書いたものは、終始、随筆だったと考えていたが、この「ドストエフスキイ」の各論は、批評、評論であると思った。小林も、ドストエフスキーという対象に緊張感があっただろう。
吉本隆明の文章はやはり、小林秀雄の影響が大きいと思った。小林秀雄、吉本隆明、柄谷行人は、文学研究者と異なって、カントのような思想家の言葉に言及して、クリティカルな言説(批評)を語っている。 小林秀雄が引用、粉飾について語っている。引用で柄谷行人を思い出すが、小林は自分を含めた評論への批判(創作より劣る)を意識した、自戒の言葉かもしれない。粉飾を除くと何が残るだろう、と思うが、優れた文章には不要な装飾はない、という事だろう。 小林秀雄はボウイかなと。吉本、柄谷は小林を目指した。今の日本のバンドが、ビートルズではなくボウイを目指すようになったように。
柄谷の中上論は、小林のドストエフスキー論のように仰々しかった。中上も、ビーチバレーの広告塔だった浅尾美和が日本代表争うまで頑張った感じかも 古本屋で岩波現代文庫じゃないトランスクリティークが文学の棚に置いてあった。
哲学だとおもってた。 柄谷が60年周期説やめたのに、高澤は60年周期語ってた。 北大図書館のトラクリ(現代文庫)は誰も借りてない感じだった このスレッドは1000を超えました。
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