知的探求の賛美は 人間賛美の一種だが、自然科学の知的探求については科学者の責任が
しばしば問題になっている。核兵器、生命倫理の問題、AIの問題等。これに対して、哲学の知的探求に関して、哲学者の社会的責任が問題とされないのはなぜなのか。哲学が暴走してもその迷惑度など、暴走する科学の迷惑度に比べたら、非常に小さいというのもあるだろうが、現在の世界に蔓延する社会不安、インターネットで陰謀論もすぐに拡散して現実の強大な過激、 圧力集団になる世界において、哲学の責任が皆無などと考えるのであれば、哲学者の精神的怠惰。