「発達障害」で生きにくいといった類の言説を流行らせようとしているのが、
ネオリベ化の代表例だろう。もちろん、組織的な仕組みによって要求される
資質と自らに備わった資質とが合わずに困難を抱えている人々は大勢存在
するだろう。しかし、人々がそれぞれどのように自らのリソースを使う
ことに向いているかは多種多様だ。体が人並外れて大きいのに小さい穴に
入り込むことを業務とするような役割を与えられれば、困難が生じるのは
当然であり、その困難は体の発達が標準的な他人とは異なることによって
もたらされる。では、それは「発達障害」なのか。