>>937
少なくとも、多くの人が能動的に対価を払って商品を買ったっていうのは量的な撒種は成されたってことだよ。千葉の入門書は、あんなに解りやすい文章なのに、文盲で挫折したラジですら一応金払って買ったわけで、例えばいつかラジの識文能力が回復して何らかの質を成す可能性を保留するのが、それこそポスト構造主義である。欠伸がでるような牧歌的な構えだけど、この水準ではデリダもラカンも理論的に矛盾しない。