「存在」そのものが「意識」である。
そして「世界」は「存在」しない。
「存在」しないのだから「世界」は「意識」を持たない。
われわれが「世界」と語るとき、その「世界」は「存在」せず、
それゆえに「世界」は「意識」を持たない。

だが、「世界」を構成するものは「意識」を持つ。
「世界」が「意識」をつくりだしている。