人が何かを選ぶ、決める、支持するっていうその時に完璧な客観性からそれを為すことは絶対に出来ない
仮に誰かの言いなりになってそれをしたとしても、それはそれを命じた人間の主観が混ざってることになるしな
「完璧な客観性を担保出来て居なければそれが主観であって主観であるが故に不完全である」なんてのは何に対しての批判としてもそのままでは成立しない
それは神ならぬ人間に神=完璧であることを要求することと同義だからだよ