動物的な出生主義と理知的な反出生主義
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反出生主義は出生の連鎖という動物性、及び機械性を超出する。
子孫を作れという遺伝子のコードを超出している点で、反出生主義は理知的である。遺伝子のコードに盲目的に従属することは動物性としては自然であっても、ホモ・サピエンスとしては不十分である
本能を重視する点で出生主義はネトウヨ的であり、反出生主義は左派的である。前者はヘイトスピーチや暴力に訴えることが多いのに対して、後者は理性や理知へ訴求する傾向がある ネトウヨや犯罪者にハゲが多いのも、やはり何か相関しているのだろうか。ハゲは男性ホルモンが多いので、暴力的で短慮になりがちということなのだろうか
だから、出生主義者にもハゲが多いのではないだろうか 反出生主義によって、慣習的な自明性や動物性を超出していく、というのは価値のある試みになるだろう プラトンのイデア論もそうだが、哲学は、物質や本能、身体性の次元を端から軽視する傾向がある。
哲学は本能を軽視する代わりに、概念を重視する。二階建ての建物の1階が本能で、2階が理性である
反出生主義は、2階の理性を重視する思想になる 物質や身体性は時間のカテゴリーによって変化を被り、空間のカテゴリーによって位置を得る
非出生者は、時空のカテゴリーの中に存在しないので、変化を蒙ることがない。たとえば、死は変化である 図式的に簡明にするために、あえて二項対立にしたが、グラデーションや比率のようなものがあって、完全には白黒に分けることは出来ないが、酸と塩基のように性質を区分していくことで見えてくる差異があるので、あえて二項対立で先鋭化していきたい 動物性は、現前している目先の利得と快に駆動されるのに対して、理性は長期的な効用を図ることが出来る
反出生主義は、非出生による長期的、もしくは恒久的な効用を志向しているのである 人間の一生とは、多大な労力と消費、排出であり、バタイユ的に言えば蕩尽である
こうした蕩尽を祝祭として歓喜してきたのが人間であり、人間存在は、顕著にエコロジーに反しているゆえに、端的に悪であると言える かつて、壺自民党のある大臣が、「女性は産む機械だ」と述べて、少子化対策として出生を促したことで、女性差別や人権侵害の非難を受けたが、この大臣は少しは妥当なことを言っていたのである
私が正確に言い直すと次のようになる
「出生は機械であるので、機械や奴隷になることは止めましょう」 機械になるとは、思考停止の自動マシーン、オートマトンになることなので、あまり良いことではない
反出生主義は、機械や自動性、自明性のコード、思考停止の外部を志向しているのである 反出生が非論理的な主張であり続ける限り、理知的等と表現するのは的を得ていないわ。
どうにかして反出生を肯定して、出生を下卑し続けたい様だけれど諦めた方が良いわよ 換位(論理学)を用いた反出生主義的な判断論を試みてみよう
換位の目的は、推論形式に基づいて、最初の命題から新しい判断を導くことである
A. 非出生(者)は、この世のあらゆる厄災(不幸)から免れられる
↓(単純換位)
B. この世のあらゆる厄災(不幸)から免れるには、非出生(者)であることによる
A'. 出生することによって、人は無作為性の暴力のリスクにさらされる
↓(単純換位)
B'. 人が無作為性の暴力にさらされるのは、出生するからである
X. 反出生主義は、この世での苦や害悪のない状態をよしとする
↓(限定(減量)換位)
Y. この世での苦や害悪のない状態をよしとするのであれば、反出生主義でありうる
X'. 反出生主義は、この世における機会の剥奪を問題としない
↓(限定(減量)換位)
Y'. この世における機会の剥奪を問題としないのであれば、反出生主義でありうる 次に換質換位(論理学)を用いた反出生主義的な判断論を試みてみよう
換質換位は、述語の矛盾概念を主語とした命題への推論形式に基づいて
新しい判断を導くことである
X. 出生によって、あらゆる問題や厄災に遭遇しうる
↓(換質)
Y. すべての問題や厄災に遭遇しうるのは、非出生によってではない
↓(換位)
Z. 非出生によって、すべての問題や厄災を回避しうる
→(換質換位)
換質換位は、変換プロセスが少し分かりにくいが、帰謬法のように
述語の矛盾を命題の主語へ変換するプロセスを一度噛ませることで、
最終的な新たな判断に導くようなものである。 >>13 見づらいので書き直し
換位(論理学)を用いた反出生主義的な判断論を試みてみよう
換位の目的は、推論形式に基づいて、最初の命題から新しい判断を導くことである
A. 非出生(者)は、この世のあらゆる厄災(不幸)から免れられる
↓(単純換位)
B. この世のあらゆる厄災(不幸)から免れるには、非出生(者)であることによる
A'. 出生することによって、人は無作為性の暴力のリスクにさらされる
↓(単純換位)
B'. 人が無作為性の暴力にさらされるのは、出生するからである
X. 反出生主義は、この世での苦や害悪のない状態をよしとする
↓(限定(減量)換位)
Y. この世での苦や害悪のない状態をよしとするのであれば、反出生主義でありうる
X'. 反出生主義は、この世における機会の剥奪を問題としない
↓(限定(減量)換位)
Y'. この世における機会の剥奪を問題としないのであれば、反出生主義でありうる 以上のように論理学的に表しても、反出生にバグがある可能性は勿論ある
たとえば、輪廻のような仕組みがあって、そもそも出生していない状態が皆無であったりする場合である。
輪廻の差配により、ある者は豚、コロナウイルス、ブロイラーの鶏、ミャンマーや北朝鮮の不自由な国民として生まれたりして、常に何らかの生命や存在者であることを強制される仕様があった場合などである
たとえば自殺者は死んで完全に無に帰するのでなく、魚や蝶、驢馬に輪廻転生するなどである。家畜に輪廻転生すれば、今度は家畜として苦しむことになろう よって、反出生で完全に出来ることは、自分が子をもうけないことで、存在しえたかも知れない架空の我が子のあらゆる不幸や災難、苦痛を完全に回避することである
これが反出生主義の条件を一番、厳しくしたケースになることだろう だからベネターは、人間だけでなく、知覚があるすべての生物がなくなることが望ましいと言っているのである
仮に反出生で人間がいなくなり非正規搾取が0になっても、今度は働き蟻として産まれて、女王蟻に搾取される状況なら、苦しむことには変わりはないとなるからだ 出生は、慣習的集団的な共同幻想なので、誤謬が積分されたものだと見做せばよい 出生による人々の誤謬が歴史的に蓄積、積分されてきたのが、この人間社会なので、人間社会は常に問題山積となる。この基底構造は出生が続く限り未来永劫変わらぬことだろう
非出生は、こうした誤謬の積分をアンラーン、解消する行為になる。 つまり、ヒトゲノム自体が不完全であるので、そこから派生する不完全な人間や人類に完全性は未来永劫期待できない
確実なのは、常に不完全な人間社会や世界が出来ることであり、あらゆる種類の災厄が発生することである スレ主が主張するのは反出生の絶対的な正しさなの?それとも出生に対する相対的な正しさなの?
完全性という語を使ってるけど、その完全なものはどうやって検証可能なの? この世に絶対的な正しさはないので、相対的な正しさを便宜上、絶対とラベリングしていると考えてくれればいい。
出生による不完備、不完全性は自明で、非出生による、この世に対する完備、完全性は自明で、これは前者と比べた場合の相対的な完全性を表現しているに過ぎない
だから、反出生にもバグがあり得ると立論している訳だ 今、国が少子化対策に躍起になっているが、長年、育児環境が不完備、不完全であったことを表している。実際は、育児以降の劣悪な社会情勢に対する予期不安も当然あるが
非出生者は、不完備な育児環境に対してもロバストであるし、劣悪な社会情勢に対しても完備である
こうした状況を非出生者の出生者に対する完全性と私は表現している 出生、つまり、すべてのシステムは不完全なので、必ずバグや脆弱性を発生させる
非出生者は、システムの外部にあるような無なので、ゲノム含めたあらゆるシステムの脆弱性や無作為性の暴力に対して完全であり、これを完備と呼ぶ 少し観点を変えて、システム論的な考察をしてみよう。まずシステムには、冗長性が不可欠である。自転車操業のようにギリギリのリソースを目一杯使うのではなく、空白部分や冗長性をリスクヘッジのために常に用意して置くのである
そうすれば、故障、不具合、破損、人員不足、ヒューマンエラー、トラブルによる納期の遅れなどにも速やかに対応できる。
今、twitter社が混乱しているのは、こうした冗長性をイーロン・マスクがショートカットしたのが主な原因である ニュアンスの異なる反出生主義のスレを私がいくつか立てているのも、そうした冗長性を意識しているからである。たとえば、ある反出生主義スレが荒れても、このスレは無風の平和で書き込みが無駄に流されないで済む、というメリットなどが生じる。
英語で反出生主義のスレを立てているのも私だが、それも言語的な冗長性を意図しているのだ。
そして、出生(者)の集合が一つのシステムであるとするならば、反出生主義的な非出生(者)の集合は一つの冗長性を用意していることになる。圏論的なアナロジーを使えば出生圏と、その外部となる非出生圏といった表現になる。 そして非出生や反出生主義による世界の考察は、派生的に出生圏をも豊かにする様々な気づきをもたらす契機にもなりうるのだ。
たとえば市民の大半が反出生主義に共感を得るようになったりしたら、為政者や政治家は社会の存続に危機感を覚え、より市民が暮らしやすい社会の形成を促すかもしれない。市民を宥和するために搾取や格差社会を止めたり、社会保障を手厚くしたり、養育費の支援や減税をしたりするかもしれない
こうした思想の持つ力をあまり侮ってはならないのはマルクス主義が世界に与えたインパクトを少し考えただけでも分かることだろう 非出生圏は、その内部構造が不可視で観測不能な点において、ブラックホールの内部や宇宙の外部に類比されるだろう
宇宙では科学的に知られている物質よりも、未だ観測されていないダークマターの領域の方が圧倒的に多いとされているので、非自明性の領域となる非出生圏を仮構している反出生主義は、思想的にスリリングであり、また社会思想的に考えれば革命的なものでもあると言えるのだ。それは人類や生物圏が消失した不幸や苦のない非知の世界を扱っているからだ 子供に巻き添い食らわすのやめてほしい。親の人生に巻き込まないで欲しい。この世に生まれても大して良いことなんかないし誰でも苦労はあると思うから。 その人が巻き添えを食ったと思うかどうか、大して良いことがないと思うかどうか スレ乱立させるこの1にいつも思う
産むか産まないかそれだけの話にここまで帰属意識絡めながらデタラメ書けるのはある意味スゴい、まあ君の毛嫌う動物性に起因しているであろう君自身の自己顕示欲の為せる技だろうけどねw
そしてその印象操作への衝動を制御できないところも、酷く動物的で壺ネトウヨ的だと言えよう >>31
その未知の世界をシミレーションしてみてくれ 哲学は元々、良い意味での逸脱者やエトランゼ、エーリアンの思考だから、そうした外部性に位置していることで、独自の作用を現実にもたらしうる 生物の認識や知覚は、外界の客観性や実在性に依るのでなく、適応度関数、つまり、それが自己保存や種の保存、繁殖、子孫を残すことに寄与する度合いに応じて、フォーカスの度合いが左右される。つまり、生物の遺伝子のコードがそうした仕様や目的で作成されている
反出生主義は、こうした生物の遺伝子コードに顕著に反した思考を展開しているので、ホモ・サピエンスに相応しい思想と呼べるのだ また、度合いだけでなく、関心のベクトル、つまり方向性も適応度利得の高低に左右されるのが生物の遺伝子コードである
反出生主義は、このコードを超出した領域で思考を独自に展開していくところに、その卓越性が備わっているのだ 生物の遺伝子コードは、通常、自己保存や生殖、それに必要な異性獲得や豊かな栄養(食物)を探索することに関心がフォーカスされる仕様で出来ている。人間がお金を好むのも基本は同じ理由である。スポーツやゲームなどの勝負事は狩猟時代の遺伝子の名残を追認しているのだろう
反出生主義は、こうした既存の生物の仕様を思想的レイヤーで超出しているゆえに、知性的なものになるのである。それは生物学的な卓越性ではなく、イデア的な卓越性である ブランディングに水差すようで悪いが、
知性的だとか動物的だとか、主張・強調したい部分は敢えて控えたほうが効果的なんやで スレ主の見解だと反出生主義を、道徳的倫理的に評価するというところはありますか?他で立ててるスレでは道徳的に理にかなってるみたいなこと言ってたように思いますが。
ここで展開されてることをみると既存のもの全てに反をつきつけていれば、良いも悪いも関係なく何でもいいみたいな、ある意味純粋なパンク精神で持論を展開されているように思います。
それだと倫理や道徳についてもラディカルに問い直してしまわないといけないですよね?
反出生主義は反倫理的で反道徳的な思想とお考えですか? そもそも考えられなさそ
つまりは肝心なとこが雑になってるのに気付けてないってこと
まあ裏取りできてないのに勝手な判断と妄想補完で話展開させてくタチだからしゃーないのかも知れん
いやそもそも二元論ベースでの印象操作しかやれてないから知らんけど 二元バイアスは意識しているけど、論旨が明快になるのであえて先鋭化している感じはあるかな たとえば、赤色と緑色は補色だから色相環上で反対の位置にあり、コントラストが目立つ関係にある
自然界では、赤色と緑色の補色は目立つので、食物獲得をしやすくなり生存戦略にも寄与する。いちご🍓とかね
だから、補色的な効果であえて二項対立を作るのは、表現としては有効なんだよ 今のところ、印象操作のための表現、にしかなってないけどなイッチのは 解釈は自由だからね
たとえば、目の前に新鮮なリンゴがテーブルに置いてある
それをどう感じるか、どう解釈するかは100人いたら、100通り違う。リンゴから、椎名林檎やリンゴ・スター、iPhoneやMacを連想したり、健康食やアップルパイ、赤のクオリアをイメージしたり、デッサンや絵画のモチーフにしたり、写真に撮ったり、解釈や反応は人それぞれで、日によって解釈や反応、考えが変わることもある
目の前にあるのが、反出生主義思想でも同じこと 解釈の多様性については構わんが
リンゴと反出生主義じゃあ諸々が違いすぎて対比や類比はできないと思うぜ 全ての人間は有害
ただ人によって有害度に大差がある
少なくとも反出生派は子供を作らないという点に於いては有害度は低いといえるだろう
逆に出生派は子供が多いほど有害分子が多いのでそれだけ有害度が高いと言える
また金持ちと貧乏についても
金持ちは大勢から奪いまくって不幸を拡散しているのでそれだけ有害度が高い
つまりはこういった有害度の高い奴らをですね
何らか制約を要して有害度を削減させなきゃあかんのですよ
有害度が高いってのはウルトラメタボになってるのと同じなんで痩せさせないといけない
じゃないと自身にも他者・外部にも害を増やしてしまうのですよ 一口に有害といってもなあ
一概に一様に決めちゃうのか?
酸素だって有害だぜ まあ、金持ちつーか、所謂表に出てこない世界の支配層については全く持って同意するけども >>52
だから森羅万象とは要は科学的にいえば
作用の連続だから
森羅万象は例外なく害性を含んでるよ
ただその中でも人類の作用力=害悪度が1番高いといえる
1人生きるのに膨大な資源が必要で地球削りまくってるし
宇宙にまでゴミを増やしたり、月や火星などの別惑星にまで作用を及ぼしてるでな >>55
善悪ではなく
自然的作用の話
例えば雨が降ったら
地が潤いあらゆる生物や植物等にも潤うといった[益性]もある
のと同時に他の地や生物などにダメージを与えたり環境変化させたりする[害性]もセットな訳です
大抵の人間は属人・人間中心の思想思考をもって
片方が[善]でもう片方は[悪]だと線を引いて分断的に捉えるが
それがそもそも間違いで
善も悪も/益も害もコインのように表裏一体の性質であって分断されてないのです 人は観念=ラベリング(人工物・不自然物)を作成してそれありきで物事を見過ぎでいる
故に物事の本質を見誤っておるのよ
例えばワインにはラベルが貼ってあるけど
空気や水や他の生物などにラベルは貼ってないでしょ
ラベルで見るのもいいけども
物事の本質に掘り下げるならばラベル剥がして素の自然について考えたり感じたりするのも必要
情報、法律、道徳、宗教、思想思考、これらは全てラベルに過ぎないので 今、アメリカのニュース見たけど、異常気象のニュースばっかりだった
エゴ人類がいる限り、異常気象は益々大規模化するのみ 人類の存在によってエコシステムが地球規模で異常をきたしているのは自明なので、他の生物圏にとっても人類は有害な存在。
人類の自己愛的な詭弁で、そこを誤魔化してはならない 水が手に入らなくなる世界が見えてきたな。水が無ければ農作物も作れないし、食肉用の飼育も出来ない 人間が居なくなれば何もかも全てが良くなるという幻想に囚われているだけ。
人間は長い年月の中で『自然発生』した1種の生物に過ぎない。その人間が居なくなったところで、人間に変わる人間に近しい新たな生物が人類の歴史を辿るかの如く環境破壊する可能性が考慮されていない。 何から何まで全網羅する解決策なんて誰も言ってないのにね
キーキーキーキー すでにISO14001とか世の中は環境負荷のこと考えて取り組んでいるよ、当然人も込みで。 支配者層が死んだ方が環境よくなるよ
あいつらが人類の中で1番ハイコストだからな まあな
エコでクリーンな技術も、奴らの金儲けエゴイズムの前に消滅させられてるわけだしな
環境のみならず人類の歴史も好転していくだろうよ >>63
ここの主張は反出生が如何に理知的かということ。それを支える論を長々と述べ続けているのが現在。
それを踏まえた上で『都合の良いところだけを捉え、都合の悪いものは無視をして』論じる事は論理的思考に基づいていないので理知的とは言わない。
ここまで言えばこちらが何を指摘するために述べているのか分かるはず。
『全網羅する解決策なんて脈絡もないぶっ飛んだ話なんてしていないのは流石に理解出来ると思うが。
まぁ>>63はネタレスのはずだから解説する必要性なんて元より無いのだろうけど。 ああ。なるほど。
言われて都合が悪くなることをキーキーキーキーと表すのね。
先述した通りの言動ね 自明という言葉の胡散臭さ。
限られた一部の人間の責任である場合でさえも、人類全体に責任転嫁を図る言い回しで強弁する浅はかさ。
そこに見られるのは、ろくに情報の精査もせず裏取りもせず、自明という言葉でもって好き勝手に印象操作を垂れ流さんとする馬鹿さ故の悪どさ。
故に、理知さの微塵も見受けられないのに、自ら理知的だと大言壮語する愚かさ。
一様に人類を害悪だと定めたいとする魂胆のもとで行っているのだろうが、他方で出生についての自明性を疑えなどと、自明という言葉を自己都合で振りかざす愚かさ。
有害なのは人類全体などではなく、
このような浅薄な思考のもとで他人を悪と仕立て上げては好き勝手断罪することが悪であると自覚できずむしろ正義であるかのように確信犯的な錯誤をしてしまう、そんな極めて自己愛的で卑劣な性分の者である。 まず、自明なのは人間存在が悪であるということである 反出生主義は、すくなくとも人間がいない世界を構想しているので、非悪を志向していると言える 人間の有害さは、主にエコシステムに与える顕著な有害さと、他者や他の生物圏に与える有害さに区分されるだろう
反出生主義は、親から子への出生という強制性に、のちの害悪や災いを見て取るのである 人類を擁護したがる視点は、主に自己愛的なエゴが作るものである
反出生主義は人類を自己愛的に擁護せず、ありのままその悲惨な性質を枚挙していくのである ここから分かるように、反出生主義の視点は、脱人類であり、脱エゴであり、脱不幸である つまり、反出生主義は人類の定義を無であるべきものとして一度書き換えているのである。これが人類のアンラーンである。人類の継起の自明性を越えた領域で思考を展開しているのである
エコシステムにおいて、人類はコスパが悪い、サステナビリティに反している、悪である等々 つまり、反出生主義は人間の概念をある意味で変容、拡張している
人間 → 無(0)
というような人間の定義の変更である >>79
脱エゴとあるが、反出生主義という主語に置き換えただけで主張そのものはエゴでしかない。
無理に言葉を重ねても成り立たないものは成り立たないわ
>>反出生主義は、親から子への出生という強制性に、のちの害悪や災いを見て取るのである 無(0)はエゴがない状態をも表現しているのに対して、人間はエゴそのもの、と言ってよい
それは親のエゴだよ、はよく聞かれるが、非存在や0がエゴだということはない >>83
この世からでは、産まなかった場合の状態が無(0)だと証明することは出来ない。
つまり『そう思いたい』とするエゴがあるだけなのである。 非出生は、子を作らないことで、少なくとも、その子の、この世での不幸を防いでいるのでエゴではない
好き勝手産む方がエゴに近いだろう >>85
防いでいると言うが、特定の親が出生行為をしなければ未来永劫この世に生まれる事は無いとも言えないので、防いでいると言うのもエゴによる希望的観測に過ぎない。
どんな理屈をこねようと【他人の人生の価値をエゴによって評価していることには変わりない】 たとえば、かつて存在していた恐竜は今はいないが、そのことで不具合や不都合が発生しているかと言うと、恐竜マニアを除けば特に害悪は発生していない
恐竜社会の不幸、厄災、飢え、戦闘、過酷な地球の生存環境、あらゆる苦痛が、今では恐竜が存在しないことで消失している
この絶滅した恐竜を人間に置き換えて、そこに至福や平和を見出しているのが、反出生主義である
また人間の場合は、他の生物圏の生態的地位の確保を考えれば、存在しないことが一番裨益することにもなる >>88
人間は脳の発達度合いから、エゴが突出してしまうので、有害度が極めて高くなる 反出生というエゴで人類を滅ぼそうというエゴを達成したいと、そういうわけでございます 日本だと15歳までにかかるお金がうん千万かかるらしい
アホくせぇ
それを踏まえてみても人間がいかにハイコスト(地球資源費)で有害か 何度目か知らんけど
太陽活動などの、地球における外部環境の作用を無視するのは置いといて
人類そのものではなく、
現段階における人類の生活様式、その生活様式を支える社会経済システム、その社会経済システムを支える思想や宗教をアップデートして
地球環境の恒常性を損なわない程度に収めればいいだけだし、万一損なっても再生できるノウハウがあればいいわけだし
てかそもそもエコシステムへの価値づけって、人類存続ありきでの話だからまあエコシステムのために反出生で絶滅って本末転倒よな
何度目? >>91
人間社会で使うお金=地球資源の消費量、とはならないよな
生活のすべてを有限の地下資源に頼るわけじゃないし、
野菜も種植えて育てて食ったらもう次はない、ってわけでもないし >>93
お金はあくまで物の例えで
コストってのはお金だけじゃない、費やされる全てのもの
細かくいえば酸素、水、土、ゴミ、資源、生物、対人作用とか幾多ある訳だが
やっぱ人間ほどハイコストな生き物はおらんよ 乱開発や過剰な育成で土地が痩せるとか、焼き畑農業の再生には歳月を要するだろう。資源は有限だろう 反出生的には人類が資源使い果たしてから滅んでも全然OKじゃないの? まず、順序として原始生物などの生態系が先にあり、かなりあとに人間が発生する。包含関係から言っても生態系が人間を内包しているのであり、その逆ではない
それを逆に人間中心主義的に考えるのがエゴの愚かな人類である 蕩尽の果て滅亡とジワジワ人類が減っていって滅亡。
つまりやりたいことをやり尽くして滅亡するのと、できることが段々減っていって滅亡どっちが良い? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています