完璧な「音楽機械」だった坂本龍一さん ひとりの人間となり、去った
2023年4月3日 5時00分

ジャンルを超越して世界的に活躍した音楽家の坂本龍一さんが死去した。
親交が深く、その音楽の多様な魅力をたびたび論じてきた批評家の浅田彰さんが、
坂本さんの音楽と人生、さらに晩年に至った境地について語った。


最後に自分の音楽を「発見」したか

 71歳の死はあまりにも早い。でも逆に言えば、2度のがん闘病を通じ、よくここまで
見事に生き抜いたものだと感嘆します。

 フーコーは古代ギリシャの哲学をひき、「人生を一個の芸術作品にする」という理念を
掲げましたが、まさに坂本龍一こそ、自らの人生を見事に芸術作品として完結させた人だ
と思います。月刊文芸誌に自叙伝を連載し、ライブは無理でも録画でリサイタルを開き、
「12」という最後のアルバムを遺して旅立ったのですから。

 最近よくアートの社会的使命が語られるけれど、坂本さんの場合、音楽家が社会活動もする
という感じではなかった。自然の響きに耳を傾けながら音楽を紡ぎ、音楽をつくる力さえ
なくなっても、小池百合子都知事に手紙を書き、神宮外苑の再開発による木の伐採に警告を
発する。彼にとってそれは、ひとつながりの自然な行動だったのではないでしょうか。

 あらためてそのキャリアを振り返ると、1970年代末以降の坂本龍一は、いわば精密な
「ポストモダン音楽機械」だったんですね。テクノであれ、映画音楽であれ、タンゴであれ、
完璧にシミュレートすることができる、仮面をかぶった職人。

 それが、不幸なことではあるけれど、2度のがん闘病を経て、「async」や「12」で最後に
自分の音楽を「発見」したのではないか。仮面を脱ぎ捨てた素顔の人間が、世界の響きを
全身で受け止め、それを自らの音楽に転化している。

 石や木など、そこにあるものを並べるだけで彫刻になるという「もの派」と似た感覚で、
ノイズを除いたサウンドを構造化して音楽にするのではなく、世界の響きそのものを音楽に
しているかのようです。

 完璧な「音楽機械」が、最後にひとりの人間となり、世界と同じくらい豊かな音楽を遺して
去っていった。美しすぎるほど美しい芸術家の生涯でした。