鹿野祐嗣のクロソウスキーシンポジウムの記録、相変わらず現代思想をディスっている


そのうえさらに、ドゥルーズやクロソウスキーを始めとして、二〇世紀のフランス哲学・思想に関しては、いまだに「現代思想」的な偏見と誤謬が残っており、それが問題の所在を理解するにあたって役に立つどころか障害にしかならず、必要な前提知識を得る際にはむしろ邪魔になるといった有様である以上、やはり過度な期待はで
きそうにないと見るのが自然であろう

(なお、私がここで「現代思想」と呼んだのは、フーコー、ドゥルーズ、デリダ、ラカン、リオタール等々の互いに異なる思想をすべて混ぜ合わせ、そこに各国のローカルな批評文化や同時代の流行言説を継ぎ足した、もはや誰の思想でもなくなっている現代のドクサのことである。