漱石が日本の同時代の「自然主義」にかこまれながら、「自然」という概念を多義的に用いたのは、十八世紀の思想・文学に通じていただけでなく、現代すなわち十九世紀の思想的原理に対して根底的に対決するためにはあのプレグナントな「自然」概念にたちかえる必要があったからだ。「自由」ではなく、あくまで「自然」ということばが必要だったのである。

いや英文学じゃなくて漢語の「自然」に決まってんじゃん
教養ねえなあ