浅田彰と東浩紀なり、ニューアカ的なものは擬似インタラクティブな「窓」としての役割というかね。そもそも対面の議論というよりは、人名やキーフレーズをフックとして窓を広げていく、「インターネットのようなものの見方」をワタシは想定している。

だからこのような形式においては経験的なものの見方というよりは、検索と展開を軸とするので、「書籍は電子化されるべき」という意見を持っている。「ポパー」にしろ、「アーレント」にしろ、検索のためのフックフレーズなのであるし、読者は端末を叩きながらその窓を展開させたままにしておく。というのが粋であろう。