他人の不幸こそ金儲けの源泉
資本主義っていうものは
弱ってる相手の足元見て金奪うか
射幸心煽って隙見て金奪うか
どっちかで金儲けするのを正義とするシステム 勝ち組の鉄則
壱.メンタルを中世に持っていき倫理道徳は捨てよ
弐.富は限られたプールの中の奪い合いであると心得よ
参.自分の境遇を嘆くな他人の境遇に同情するな
肆.税金は極力払わないように工夫せよ
伍.罰則がない紳士協定は破れ
陸.法の抜け道があるならソレを使ってない奴が馬鹿だと理解せよ
漆.良い人と思われたら負けと心得よ
捌.汚く稼ぐ事に躊躇するな
玖.騙される方が悪いと心得よ
拾.欲望の執念と怨念を持って利己的に行動せよ
拾壱.将来貧困に苦しんで窃盗するくらいなら若いうちにリスクを取れ
拾弐.幸福は誰かの不幸の上に築くものなので他人を犠牲にしろ
拾参.弱肉強食なのでいじめはいじめられる方が悪い
拾肆.弱肉強食なので殺人事件は殺される方が悪い
拾伍.生存競争なので他人の不幸は素直に喜べ
拾陸.この世は競争なので敗北者に同情するな
拾漆.これらの教えを忘れるな 誰かが幸せになるって事は
誰かが不幸になるって事
誰かが損するって事は
誰かが得するって事 幸福感は他者との比較によって計測される。
したがって、他人が不幸になれば相対的な自分の幸福感は上昇する。 (この国には)働かないで、メシ食ってる集団が
いるからな。 労働生産性の高さを競うというのは、要するに、食うことのできるメシの品質を可能な限り高めるのに必要な労働をいかに楽で短くできるかを競い合うということ。 制度設計の名目上は果たすべき役割をまったく果たしておらず、しかもそのことをまったく気にかけてもいない人々が、なぜその地位を獲得し、昇進しつづけるのか、長年、不思議に感じていたが、社会が顕著な縮小局面に入って、ようやくそれが局所的な例外などではなく、一般的に通用している仕掛けであることが誰の目にも可視化されるようになってきた。
要するに、制度設計の名目は、本当に建前としての名目に過ぎず、実際に目的としているのは、隠れ身分制度の身分差別を正当化するためのアリバイ作りの工作であり、日々その活動に勤しむことに余念がなく、その勤勉さが制度的に高く評価されているということ。 私も、かつては、いかに幼稚で愚かだったとはいえ、それらの人々が名目としてはやることになっているはずのことを何もしようとしていないことくらいには、初期から気づいていた。
それでも、まだいかにも幼稚で愚かだった私は、少なくとも建前としてでも名目は与えられているのだから、その建前を名目として利用して、名目どおりのことを自身でやろうとすることは許されるはずだと思い込んでいた。
その頃にまだ私が十分に思い知っていなかったのは、それらの人々は、自身が名目とされることを単に何もしようとしないだけではなく、まさしく、名目とされることに引き寄せられて集まる私のような幼稚で愚かな連中に何もさせず、その名目自体を空虚で無効なものにすることこそをその活動の主目的としていたことである。
そして、それらの人々は、その主目的とする活動に関しては極めて勤勉で熱心に日々、励んでいるのである。 一日、働きもしないで人様の私生活をのぞいているだけの
バカ集団がいることには、驚かせる
いくらカネもらってるんだ? それでまともだと
思っているのか