0116考える名無しさん
2024/02/04(日) 21:10:31.930この場合、自然は知性と呼べるであろうか。カント含めて、西洋の思考パラダイムは
自然性と知性は対置したものとして配置されやすい。東洋のパラダイムでは自然も
知の一種として捉えられたりするのとは対照的だ。無為自然の老子など
カントは、直観の認識形式の条件として、「時間」と「空間」を要請している。そして、
強いAIでキーになるのが、この直観というものを扱えるか否かにかかっていると言えよう。
かつ、この直観を人間のようにヒューリスティックに自在に扱えるようになると、認知論的には
強いAIが誕生したことになり、人間の認知的な役割は終焉することになる
フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」から「人間の終わり」が強いAIの誕生によって
現実化されるだろう。その具体化がシンギュラリティになる