結果が全てであるなら殺人は殺される方が悪い
結果こそが神の出した答えであり、
大自然、大宇宙の法則の結果なのであるなら、
天災や人災の犠牲者は宿命であったのだと思う。
そして、殺人事件の加害者は大宇宙の意思により、
宿命を全うしただけではないのか?
そして、犠牲者も運命であり、神に見捨てられた存在なのだから、
生き残った加害者が正義で、犠牲者が悪なのでは? >>1
言いたい事は分かったが、それは貴方の感想だ。 警察に逮捕されるという結果になったら犯人はもっと悪い 警察などいらないのです 野生の世界のようになればいいのです 腹へったら殺してたべる なぐられたら倍にしてかえす それが自然なことなのです 戦争も自然なことです いじめも自然なことなのです 良いとか悪いとか意味のないことです 結果がすべてのとき、善悪は無効です。
ただ受け入れるのみ。 >>5
戦争もいじめも自然なら、警察も法律も刑罰も自然よ。いじめも自然、いじめた奴に反撃して殺すのも自然、殺した奴を死刑にするのも自然。死刑廃止運動をするのも死刑推進運動をするのも両方自然。要するに実際起こることは全部自然だから、結局何も言ってないのと同じ。 >>8
これは概ね同意だけど、人間の営為に善悪の価値観を持ち込まないという点で一定の意味はあると思う。 アメリカでは殺された方が悪いという考えがあり自衛の為に銃の保持が許される州がある
伝統的にアメリカは移民時代の記憶が社会残り・インディアンから土地を奪いフランス・スペイン・イギリスからその土地を守り抜いたという自負がある
民主主義が一番進んだ国という自覚を持ち自分の権利は自分で戦って勝ち取り守り抜く
そう言ったスピリットが社会通念としてある
いわゆるアメリカンスピリット
日本も戦前までは現実逃避をした平和主義を掲げなかった
アメリカの統治方針によって家畜化が進んだの日本人
凡ゆる面でアメリカに逆らわず再軍備をさせない様に学校教育に宗教まで厳しく統制され政治家は親アメリカ派の人間を重用して骨抜きにした 殺されたら文句も言えず反撃もできない
それを強く自覚したら殺されない様に鍛え準備を怠らず備えをして置くのは賢い選択だ
しかし殺人は報復を受けるリスクが常に伴う
目標を殺してもその親族・知人から報復で殺されたり財産による賠償を請求されるリスク
法と国家はこの殺人などによる報復と賠償を代行するのが現代社会だ
国家と言う巨大権力・暴力装置の元にその庇護を受ける国民は社会の為に働けというのが近代社会の基本思想
そしてこの国民の労働によって国の財力・生産力が増大して国家として強くなるというのが富国論であり資本主義の基本概念
この労働力を損なう殺人は国に対する反逆と見做され国家は殺人者を取り締まることで労働者に安定した生活を約束している 殺人をやってはいけないというのは相手が可哀想、道徳的ではないという事とは一切関係ない
単純に国家と言う巨大暴力装置に立ち向かうのが難しくリスクが高いからだ
殺人は個人間の怨恨・利害関係から国家が裁くのではなく、国家の利益を損なう行為故に国家が国家の為に個人を罰するのだ
それ故に国家にとって有益な戦争や治安維持による警官により犯罪者の射殺や処刑は認められている 殺人が何故ダメと言われているかといえばそれは国家にとって生産性・財力を落とす行為だから国民に啓蒙しているに過ぎない
もし国民の数を減らした方が良いと国家が考えれば映画「パージ」の様な法も作るだろうし、老人の安楽死を厚生省が推奨するようになる
もっと手っ取り早く解決するなら戦争を始めて口減しをする 自らの自由と命の顧みないのなら殺人は自由だ
ただし敵はターゲットではなく国家だと認識しろ
国家を恐れぬ命知らずの革命家が真の殺人者だ 因みに勝ったものが強いは漫画の読み過ぎです
人は全てをコントロールすることも出来なければ、知ることも出来ない
だから勝負に挑んで勝敗を決める
強いものが弱いものに負ける事もある
統計的な勝敗で強弱は見えてくる
ただ一度の結果を持って勝敗=強弱を決めるのは暴論だろう ベッケンバウアーの言葉か
頭の悪いサッカー選手らしいアホな言葉だな 殺人を決意したなら誰も言わず知られず残さず静かにやれ
人がただ静かに消えたなら社会は平静を保てる 善悪など存在せず自らの幸せの追求こそが人間の本能
そんな人間がより集まったのが社会
その社会において殺人を肯定的に捉えて実践する人物は殺人を許容出来ない人達にとっては異物で幸福の追求に対する障害物なので排斥される
しかしそんな異物が集まっている場所がある
刑務所だ
結果が全てであるなら逮捕された結果も受け入れてほしい
また結果が全てなのだから殺人が悪という社会の方も受け入れよう
殺人がなぜ悪いではない
それが結果だからだ 幼稚な人物は主観性が強く客観性を持った視点・概念が理解できない
故に自分が生まれる前に自分の幼稚な結論や思考が他者によってより深く洞察されている事に考えが及ばない
ソクラテスの無知の知と言ったものが有名だが、これの意味するところは書物などから過去の人物たちの知識の習得を怠るものは自らの狭く浅い知識と想像を自覚出来ていないという事を指している
過去に自分と同じ疑問や命題に挑んだ偉人は大勢いてその思考の果てが書物として大抵何処かに眠っている
先ずは世界の中心は自分ではないと自覚して自分が如何にバカで惨めな虫ケラかを自覚する為にも本をいっぱい読もうね つまり>>1はそこらに湧いて出てくる吐いて捨てる虫ケラレベルの知性と想像力
見つけたら殺虫剤をかけて追い払いましょう
そうすれば弱ってどこか物陰でひっそり死んでくれるでしょう この社会では先に殺しに来た相手に限っては殺して良いという特別ルールがあります
そんなルールも理解できない、或いは我慢できないゴキブリは駆除するのが正しい市民の務めです
出来れば警察が見つけ出して人知れず駆除してくれると助かりますが 社会=現代
100年前の社会ではそんなルールは無いけどな いや、現代でも違うな
先進国だけだ
紛争地、戦地ではそんなルールは無いから それをエピステーメーというんだけどな
時代・地域における規範
真理なんか存在しないんだよ
哲学が真理を求めたのは近世まで
近代以降は真理などと言った単純なものは卑小な認識力しか持ち得ない人間が追い求めた幻影に過ぎなかったとしてフレームワーク毎の最適化や答えを判断するツールとして哲学を活用することになる
現代哲学にはよ追いつけ
バカが 単純な統一理論とかに逃げるのは勉強嫌いの証
人類に共通する問題なんか幻想
それぞれに事情や背景がある
それをすっ飛ばして一つの枠組みで考えようってのは脳死のバカがやる事
複雑な問題は複雑なまま取り扱うしかねーんだよ
当然変数が多すぎて数学的観点から見ても最適解や方程式を解くことは原理的に不可能と証明されてる
だからもっと卑近の解ける問題を適切に解いて行こうってのが現代哲学のスタンス
それが分析哲学で今の哲学の主流 つまり近所で殺人事件起きたなら日本の市街地で起きる殺人事件に絞って対策と原因を探れって事よ
パレスチナで戦争起きてんならパレスチナとイスラエルの歴史的背景や政治的勢力図を読み解くことからはじめろ
クソミソを一緒くたに混ぜて考えるなバカって話 正しい答えを得るには正しい問いをまず考えろって話
解けない方程式に取り組むのはバカがやる事
だからまず解けない問題とは何かを調べることから始めるんだよ
その最初の問いの部分でつまづいているから考えること自体が無駄に終わっている 言ってみれば算数すら解けないバカがいきなりフェルマーの方程式を読むよんで議論する様なもの
それじゃあ議論にならんし回答がでても前提知識がないのだから間違っている、そんなの僕の求めた答えじゃないと喚いて見逃す
そういう事よ
バカに議論は出来ねーんだよ
どんなに喚いてもな 現実の問題というはの解くのではない。取り組むのだ。
解けたのか、正解なのかは、結果でしか判らない。
解が存在し、それが解けてから、現実に対処するべき
などという問題は、ごく単純な問題に限られる。 哲学ってのはそういうもんなんで
実際に取り組むのは警察や軍や政府
哲学は抽象化して思考ツールを提供するだけ
そして解がないのに何を議論するのか
また馬鹿が無意味で意味不明な事を言ってる
単純な事すら理解できないしやれない無能な人間との対話ほど無意味なものはない
死ね むしろ解が無いのを幸いに、議論するのが哲学だ。
解があるなら、数学や物理学に任せておけ。
そもそも解の存在が不明なところから議論は始まる。 確かにまだ取り組んでいない事に取り組むことが学問だな
俺もアホ相手に話してておかしなこと書いたわ 「私は存在するか?」という問題に対して、まず「コミットする」。
つまり「取り組む」ことから始まる。
「正しい問題か」、「答えがあるのか」、「前提知識はなにか」などは
全く不明。それでも「取り組む」のが哲学。
なんで、警察や軍や政府が関係するんだよwww 解答が得ることができる問題かどうか
哲学が取り組むべき問題かの判断
この見極めだな >>38
依然として、「オレはお前らみたいなアホじゃない」と
突っ張ってるのは愛嬌があるwww >>40
「存在とはなにか?」なんて、解答が得られるか判らんよ。
それでも「取り組む」のが哲学やで。
「あの女をゲットできるならアタックしよう」なんて、
賢そうなことは考えず、アタックするのが哲学や。 >>42
それを間違った問いと言ってるんだよ
間抜けが
いまだにそんなこと言ってる哲学者なんかいねーよ
そんなのはデカルトとかそんな小学生で習う初歩の段階で止まってるアホの戯言
少しは哲学史を読んでこい
すっとこどっこい
まじ殺すぞ >>43
おい、ハイデガーを忘れるな。
彼を超えることができない「現代哲学者」なんて問題とするに価しないわ。
哲学史をなぞるだけだから、そんなへなちょこレスになる。
哲学してみろ! >>43
間違いなく「現代哲学」の一つである「新実在論」はどうだ?
「存在とはなにか?」を語らんで「新実在論」を論じられるか?
やってみ! 人生哲学語りたいのなら勝手にどうぞ
そんなもの聞いても他人にはなんの価値もないですが
如何にも哲学に無知な日本人らしい哲学に抱いている誤謬w >>46
腰が引けてやがる。逃げの体勢。
哲学してみよ! >>45
興味がないので
語りえぬものについては、沈黙せねばならないってなもんです >>48
「興味がない」と「語り得ぬもの」とは、全く別物。
落語の大喜利じゃないんだから、それらしい言葉を並べるのは陳腐。
興味の有無でお勉強した哲学史って、どんなものかい? 興味がなく読んでもいないのに知ったかぶりしてもね
全てを読んでいると奢るほどに君ようなバカな奴にはなりたくないんだよなぁと
君が話したいなら話せばと言ったところ
それとも自分の土俵と思ってマウント取ろうとする下れつな人間ですか?w >>50
全てを読んでると、私はどこで言ったのでしょう?
私が言っているのは、解答が判らなくとも取り組むのが
哲学(あるいは哲学すること)だということ。
なんかオレを過大評価してないか? こそばいわ。 あれ?
まさか逃げるんだ
じゃあ僕の勝ちで良いね
そして人生哲学やるなら別のやればとだけ言っておくよ
間抜けの負け犬野郎が
ぺっ >>52
学校哲学より人生哲学のマシだぜw
なんだか感情的になってるよw
それって勝ち負けで言ったら、負けの印だけど、
オレは「論破」とか、そんなことは言わないぜww だったらはよ新実在論の公爵垂れろよ
アホタレがぁ
それとも僕は自分が知っている知識でベラベラ喋りたいだけのクズでしたぁって認めるのか!?
クズか無知なのか知ったかぶりか
どれか選べよ
それともまた逃げんのか
先ずはきっちりお前の立場、ターンを終わらせろ 学校哲学しか知らんから「講釈たれよ」とか、そっちに向かうw
自分で哲学することを知らん。
哲学は知識をしゃべることじゃないよ。新実在論は知識というより、
現代哲学に生きてるものなら、知ってることじゃん。
だからぁ「存在とはなにか?」だろw
知識もなにも無しに考えてみろよ。 オレのレスをどう勘違いしたか、勝手に想像したオレに悪態つくのは虚しいぞ。
(オレは知識をひけらかしてる、オレは人生哲学を語っている・・・www)
もう一度、最初から、レスを読み直してアタマ冷やしたらww 個人的な意見ですが1さんの考え方は生存した方が正義であるという風に定義した上での話なのだと思いますが、そもそもそれはそう定義しただけであってその定義付けが正解であると言える様な客観的な根拠は無いと思います。自分は生きることが正義であると言う様な価値観は人間が勝手にそう定義したという認識なのでどのような結末を迎えようがそこに良し悪しは存在しないと思っています。 >>56
また逃げたよ
あーぁ
情けねぇ奴
如何にもなアホだな >>58
逃げたってどうゆうこと? どこが逃げてるの?
オマエこそ、正面に向かって逃げてるじゃん。
そういう逃げ方もあるのかww 俺はしらないことは語りません
で君は実在論って言ってそれっきり逃げてるよな
新実在論について語ることをさ
だから自分が知っている土俵、喋りたいことだけ喋るカスだよねって言う確認とったんだけれどもそれに答えず
新実在論も語らない
それとも語れないの?w
語るならクズだし
語れないなら知ったかぶり
僕は君の立場を表明してよって言ってるだけなんだよなぁ
これに答えない限りは君は逃げた負け犬とレってつ貼られてもしょうがないじゃないかw
おいクズ
ぐずぐずしてないで答えろ わかりやすい論理でしょ
論破じゃないんだよ
君が始めた事なんだから早く答えてよ よくある自由意志と責任もいうようなところの話だろうけど…君らは何を喚いてるんだ? >>60
違うよ。レスの流れは、
オレ「実在とはなにかは哲学の問題だ。」
オマエ?「実在なんて古い問題だ。」
オレ「新実在論は現代の哲学じゃんか(実在を語っている)。」
というものだよ。
新実在論を講釈するいう流れじゃない。
「実在とはなにか」なら語ってもよいが、
これが出たのも、「哲学の問題とはなにか」
という文脈から出たもの。
だからレスを読み返せって言ってるの。 >>64
知らんよ。
そういうレスの流れだって示したのさ。
オマエの言ってることが的外れってことをね。 負け犬を見つけたので追い詰めて遊んですいませんでした
僕はちゃんと知らない事は知りませんと正直者でいたのに
上の間抜けは何故か語る事ができない哀れな負け犬として逃げ回ったのでつい面白くて追いかけてました
何か語ったら負けと思い込んでるみたいな姿が実に楽しかった
匿名掲示板で失うものなんてないのにね
彼は何を恐れて負け犬になる事を選んだのかさっぱり理解出来ない >>65
スレと関係するかもわからんような話をしてる方が的外れでは? >>60
なんなら、このレスと関係あるのか知らんが、
オマエが新実在論のことを話せというなら
話してもいいんだぜ。
ちょうど、ちょっと前にマルクス・ガブリエルの
「なぜ世界は存在しないか」を読んだばかりだから。
オマエに用意はできてることが条件だがww >>67
オマエが仕掛けた流れじゃんww
オマエ、ズレまくってて笑える。 >>68 つづき
新実在論の話をすると、その前のポスト・モダンやら
構築主義との比較をすることになるぞ。
シッタカするなとか言うなよ。
オマエは知ってるか? なんなんだろうこの人たちは?スレと関係ない話をしたいなら別のスレでも立ててやればいいのに…
あと、なんでわざわざ攻撃的な言葉を使って喚くのかもわからん。 なんだか、今のスレに何人いるのか判らんし、
誰のレスに本気だしたらいいのかも不明。
めんどいは。
とにかく、ズレまくってて無駄なレスばかり増える。
アホらしいから一旦消えるわ。
「逃げるのか」とか言われないように、明日は戻ってくるw
続けるのに価するなら続ける。 >>72
いや、スレと関係ない話をするなら、本気にならなくていいし、明日戻らなくてもいいだろ。ふさわしい別スレ立てて本気出せよ。じゃなきゃ、ただの荒らしだろうに、わけわからん。 まだ逃げてるよ
楽しいやっちゃなぁ
ほんと君の恐れの正体がわからない
いや
君自身、何を恐れているのか理解せずに漠然とした不安から恐れているんだろうな
論理的に考えれば何一つ恐れることはないのに
哲学やる前に数学と国語とかもうちょっとやった方が良いんじゃねーの
ロジックに弱いと読んでも理解できずにまとめとか結論だけをうろ覚えで唱えて知った気になるだけで気に言う実践とやらに活かせないよ? ヒロキ あずまシステムに目覚めるのです!
ハルキ システムに我々を利用させてはなりません! 君の新実存主義とやらの実践がこれなのか
こんなしどろもどろの書き込みが君の哲学的実践の集大成か
僕はそれを聞きたいんだ 取り敢えず書き込み合戦で勝てると思い上がったバカを撃墜できて楽しかった
何を恥じていたのやら ホントになんなんだろうこの人たちは…
さて、スレに適合する話に戻すために、1つ書いてみる。話題の一助になれば幸い。
結果という言葉と〇〇が悪(または正義)という言葉がでてきているが、人が死ぬ(または生き残る)という結果の善悪(またはいずれでもない)そのものと、そのような結果をもたらしたものが誰であるか、すなわち結果の善悪を帰属させる主体は誰であるか(または誰でもないか)、という2つの問題は関連するものではあるが別のものだと考えるべきだろう。 そんなの上で書いてますがw
ほんまレベル低いな
だからこんなの問い掛けがずれてんだろ
だからアホみたいなスレ立てる前に出直してこいって話よ >>79
結果とその帰責の話なら、このスレでは他にどこにも書かれてないが…たぶん君はなんか勘違いしてるんだと思うよ。 >什么意思
求められる結論、「つまり〜」は、つねに暫定的である。
「意図せずに生じて気づくことになった『つまづき』」を、「自然に生じることになる『つまづき』」として、今度は、「意思」、つまり、「つもり」により、意図的に利用しようとするのである。 つまり、「つまり」は、「つまづき」の「つみかさね」によってもたらされる「つもり」である。 「結果する」/"to bear fruit"とは、どのようなことか。
それは、一般には、動物に食べられるような果実を結ぶことにより、さもなければ自重により近くに落ちるだけの種が、よりひろく散らばるように運ばれて、分散により、みどりをつなぐ可能性を拡げることだろう。 昨晩、消えて、今再訪してみたら、なんだか面白いな。
猛烈勘違いヤローが、息巻いてて滑稽だ。
論破イノチで、自分で勝ったつもりでいる幸福な奴ww
さて、新実在論を語ろうか否かwww
昨日も言ったけど、ポスト・モダンや構築主義を知らない奴
に説明しても徒労に終わるのは目に見えてるし・・。 負け犬の遠吠えが虚しく響く
泣いて聞こえるのは気の所為でないだろう 真理の追求はそっちのけ、ただ、相手を罵倒し
溜飲を下げることしか望んでいない。
なんと哀れな奴らだろう。 彼等の罵倒の表現は、そのまま彼等が最も嫌がるものなのだろう。
こちらにはトンと響かぬが、どんな心理状態なんだろう? 相手を謗る表現に注目せよ。
その表現は、自分が最も嫌がるものを基準にしている。
「オマエはデブ」と謗れば、そいつは体形を気にしている。
「負け犬」と謗れば、なにより勝ち負けが重大事らしい。
相手への誹謗が、自分に返ってくるのだw 昨日も言ったように、新実在論(新実存主義ではないw)を理解するには、
ポスト・モダン、なかんずく構成主義を知っている必要がある。
なぜなら、新実在論はそのアンチテーゼとして生まれているから。
さらには、カントの認識論や形而上学についても知っている必要がある。 実はオレは、これも昨日紹介した「マルクス・ガブリエル」の
新実在論は肯定していない。彼の議論には、多くの穴があり、
また誤謬もある。
それでも、新実在論は現代の哲学とは言える。現代の問題を
扱っているからだ。それが重要。 モノは実在しているだろうか?
この場合の「実在」は、極く常識的な、そう物理学が認めるような
意味の「実在」としてよい。
では、同じような意味で「世界」は実在しているだろうか? それにしても、議論における勝ち負けとはなんであろう?
ニュートンは、アインシュタインに負けたのか?
アインシュタインは、量子力学に負けたのか?
量子力学は何に勝ったのか?
しょせん、量子力学も真理のほんの一部しか得ていないのに。 アインシュタインとボーアの、あれやこれやの論争は、
5チャン的な意味では、ボーアが「勝って」いる。
しかし、どちらがより真理に迫ろうとしているか
については、アインシュタインが遥かに優っている。
ボーアはプロパガンダを優先している。確かに、
そのプロパガンダは時代の追い風に乗ってはいるのだが・・。 そこで、「実在」のことだ。
ポスト・モダンと量子力学は相性がいい。
例によって、この哲学は物理学の成果をパクっているのか?
カントがニュートン力学にしたように・・。 そして形而上学。
今や、誰もが嘲笑する形而上学。
しかし、この呪縛から逃れている者などいない。
それを考えるべきなのだ。 形而上学を嘲笑する者は、だいたいにおいて、
5チャンのアホと同様に軽薄だ、というより無能。
無知は許されるとしても、無能は許されない。 そして実在。
実在を堅苦しく考えるのは止めよう。
日常で「そこにモノが在る」とする程度に、実在を捉える。
デカルトのように厳密に考えることはしない。
日常における「存在」は、ときどき誤認やら、錯覚を伴うが、
それも多めにみよう。 スレタイに沿った会話もできずwikiのコピペにも劣る謎講釈
ここまでの阿呆が何故書き込みバトルを始めたんだろうか?
泣きながら徹夜で書く後ろ姿に家族が哀れんでるよ >>100
実在論なんて構造主義に吸収されている水掛け論
富士山の構造は山、川、谷などを複合したもの
富士山は実在せずとも山、川、谷などの構成要素は確実に実在する
それらを富士山と呼べば実在となる 哲学板はレスバする場所でもないし、勝ち負けなんて無いはずなのに
変なのがやりあってて草