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世界が物質のみから成り立っているのは、ただの客観的な事実w
しかし、人間にとっての世界という言葉の定義は、主観による。
だから、フーコーは主観と客観に苦しんだと指摘している。

”客観的な真理”は物質的な組成にしかない。
ただし、真理という言葉を人間にとっての真理として使うと、それは価値観という主観になる。
その源泉が他者の権力であるのか育成環境であるのか遺伝子的個性であるのかは、それぞれの状況による。

フーコーであれ他の哲学者であれ、主観と客観がきちんと区別できているわけではない。
言葉に弄ばれるのが、西欧哲学の宿命であるともいえる。