ヘーゲルやマルクスの弁証法というのは、事物に対する見かた。
論理とはあまり関係がなく、ある物や事柄がどう成立しているかということを考える。
花が花であるのは、種が種のままでいることを否定する要素(遺伝子など)が種自体の中にあり、種である要素と種を否定する要素の対立によって、種が芽になり、同様に芽は芽であることが否定されて茎や葉や花になる。

こうした見かたによれば、現実の歴史の発展が常にその内部に矛盾をはらみ、その矛盾の対立によって新たな時代となる、ということになる。(ヘーゲル「歴史哲学」)
その対立の要素を経済上の階級対立と見たのがマルクスの唯物史観。
現代においても、その見かたの正当性は揺るがないように見える。