意識とは「私」にもたらされた変化を映した鏡像でしかない。
しかしこの鏡像自体も「私」に変化を供給する。
「私」と「意識」は合わせ鏡のような関係として存在しているが、あくまでも主体は「私」である。
脳の意識の機能が失われても「私」は存在できるが、
脳の「私」が失われたならば、「私」の意識は存在しないのだから。