意識のハードプロブレムの答え43
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ゲーデル不完全性定理:ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能という証明
哲学:ある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想
100%勝ち目のない妄想
既に誤りであることが証明済みなのだから
脳障害でゲーデル不完全性定理の意味を理解できない知ったかぶり中卒無職だけだよ
今どき哲学とか恥ずかしい妄想垂れ流してるのはwwwww
ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」でも数学の証明として「語り得ぬものには沈黙せねばならない」として
哲学的命題を論理学により真偽を判定することは不可能だと数学的に証明した
しかし一般的にはウィトゲンシュタインなんて誰にも知られてない
ゲーデル不完全性定理の方が短くて厳密で強力だからな >>217
デマ流されてバカが無意味な妄言垂れ流した >>217
バカが学校でいじめ抜かれて不登校になって中卒無職になるのは当然と言える
先にバカが頭を使おうとすることでコミュニティーに迷惑をかけて攻撃しているのだから
バカがコミュニティーに対する攻撃をやめないのだから
コミュニティーがバカに死ぬまで報復し続けるのは当たり前すぎる
バカが学校でいじめ抜かれて不登校になって中卒無職になるのは当然と言える
先にバカが頭を使おうとすることでコミュニティーに迷惑をかけて攻撃しているのだから
バカがコミュニティーに対する攻撃をやめないのだから
コミュニティーがバカに死ぬまで報復し続けるのは当たり前すぎる
バカが学校でいじめ抜かれて不登校になって中卒無職になるのは当然と言える
先にバカが頭を使おうとすることでコミュニティーに迷惑をかけて攻撃しているのだから
バカがコミュニティーに対する攻撃をやめないのだから
コミュニティーがバカに死ぬまで報復し続けるのは当たり前すぎる
バカは加害者である
被害者ではない
加害者は報復されるに決まってる ダニング・クルーガー効果は、認知心理学において観察される現象の一つで、能力の低い人ほど自分の能力を過大評価し、逆に能力の高い人ほど自分の能力を過小評価する傾向があるというものです。
この効果は、1999年にコーネル大学の心理学者であるジャスティン・クルーガーとデビッド・ダニングによって提唱されました。彼らは一連の実験を通じて、以下のような傾向を発見しました。
能力の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある。
能力の高い人は自分の能力を過小評価する傾向がある。
能力の低い人は他者の能力を正確に判断することが難しい。
能力の低い人は、自分の能力の限界を認識した後でも、自己評価を適切に調整することが難しい。
この効果が生じる原因としては、メタ認知能力の欠如が挙げられます。メタ認知とは、自分の認知プロセスを客観的に見つめ、評価する能力のことです。能力の低い人は、自分の知識やスキルの限界を正確に把握することが難しく、結果として自分の能力を過大評価してしまうのです。 >>220
>能力の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある。
このレスが典型。 >>221
荒らしが自分を客観視できるわけないじゃんw
出来てたら荒らしなんて恥ずかしいことできないよw >>224
>荒らしが自分を客観視できるわけないじゃんw
>>224レスが典型ww >>221
ダニング・クルーガー効果は、認知心理学において観察される現象の一つで、能力の低い人ほど自分の能力を過大評価し、逆に能力の高い人ほど自分の能力を過小評価する傾向があるというものです。
この効果は、1999年にコーネル大学の心理学者であるジャスティン・クルーガーとデビッド・ダニングによって提唱されました。彼らは一連の実験を通じて、以下のような傾向を発見しました。
能力の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある。
能力の高い人は自分の能力を過小評価する傾向がある。
能力の低い人は他者の能力を正確に判断することが難しい。
能力の低い人は、自分の能力の限界を認識した後でも、自己評価を適切に調整することが難しい。
この効果が生じる原因としては、メタ認知能力の欠如が挙げられます。メタ認知とは、自分の認知プロセスを客観的に見つめ、評価する能力のことです。能力の低い人は、自分の知識やスキルの限界を正確に把握することが難しく、結果として自分の能力を過大評価してしまうのです。 >>224
ダニング・クルーガー効果は、認知心理学において観察される現象の一つで、能力の低い人ほど自分の能力を過大評価し、逆に能力の高い人ほど自分の能力を過小評価する傾向があるというものです。
この効果は、1999年にコーネル大学の心理学者であるジャスティン・クルーガーとデビッド・ダニングによって提唱されました。彼らは一連の実験を通じて、以下のような傾向を発見しました。
能力の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある。
能力の高い人は自分の能力を過小評価する傾向がある。
能力の低い人は他者の能力を正確に判断することが難しい。
能力の低い人は、自分の能力の限界を認識した後でも、自己評価を適切に調整することが難しい。
この効果が生じる原因としては、メタ認知能力の欠如が挙げられます。メタ認知とは、自分の認知プロセスを客観的に見つめ、評価する能力のことです。能力の低い人は、自分の知識やスキルの限界を正確に把握することが難しく、結果として自分の能力を過大評価してしまうのです。 >>188
歴史は
実験で証拠を出さないアホが何を吠えようと無視されて終わり daremo inakunatta
marude kimino mirai
wo shisa shiteiru youda
arashi kun >>188
歴史は
実験で証拠を出さないアホが何を吠えようと無視されて終わり アホの時計は飽きたからキャラ変してフェードアウトかw 意識が存在しないと考える人々は、意識を神秘なものとして考えすぎて
いるのかも知れません。
意識ほどありふれているものはないのに、それを認識できないとは! >>234
そもそも意識なんてもんはフロギストンとかカロリックと全く同じで
そんなものが存在する根拠は何一つない妄想
考える意味すら全く無い
明けの明星(フォスフォラス)と宵の明星(ヘスペラス)は過去には別の星だと思われていた
それらを別の星として考えることには何の証拠もない無意味な行為
意識はその逆
様々な全く無関係な物事を意識などという一つの単語で表すことに全く根拠がない
完全に無意味な妄想
科学とは程遠い
つまり意識は存在しない
明けの明星という星が存在しないのと同じように
カテゴリーエラー
当然ながら意識を語る論理学などというものは存在不可能
明けの明星を語る論理学が存在不可能なのと同じ
証拠がない妄想には何の価値もない
武器軟膏と意識が違うものに見えているなら
そいつは脳に重大な障害がある
そもそも意識なんてもんはフロギストンとかカロリックと全く同じで
そんなものが存在する根拠は何一つない妄想
考える意味すら全く無い
武器軟膏と意識が違うものに見えているなら
そいつは脳に重大な障害がある
全く無関係な別々の物事に一つの名前をつけること自体が頭悪い
何も便利ではなく害しかない
頭悪い脳障害がやってる感のためにそういう無意味な名前のでっち上げをしてるだけ
意識という一つの名前で呼べるような何かは存在しないのではないかというレベルの懐疑が出来ていない時点で論外
何の証拠もない無意味な妄想を肯定してる時点で脳に重大な障害がある
意識の謎なんてものはどこにもない
単にお前の頭が悪すぎるだけ >>234
カール・ポパーが提唱した「反証可能性」という概念は、科学の方法論として注目を集めましたが、その内容を詳細に検討してみると、実はそれほど革新的な考え方ではないことがわかります。
ポパーの主張の核心は、ある理論が科学的であるためには、その理論が反証可能でなければならないというものです。つまり、その理論が間違っていることを示す証拠が存在する可能性を認めることが重要だと考えました。しかし、これは要するに、法学の分野で長年確立されてきた「証明責任」の原則と大差ありません。
「証明責任」とは、ある主張をする者が、その主張の正当性を証明する責任を負うという、公平な議論のルールです。古代ローマ法の判例から確立したこの原則は、ラテン語で "Onus probandi incumbit ei qui dicit, non ei qui negat"(証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない)と表現され、ローマ法の法文集「ディゲスタ」の22.3.2に法学者パウルスの見解として記載されています。
ポパーの「反証可能性」は、この「証明責任」の原則を科学の文脈で言い換えたに過ぎません。つまり、ある理論を主張する者は、その理論の正しさを証明する責任を負い、反証を受け入れられない状態では主張を証明したことにはならないということです。これは、科学に限らず、法学、政治学、経済学など、あらゆる分野でのフェアな議論に求められる条件であり、ポパーが新しく提唱したものではありません。
したがって、ポパーの「反証可能性」という概念は、科学の方法論として特別に重要な意味を持つわけではなく、むしろ古くから存在する「証明責任」の原則を再確認したに過ぎないと言えます。ポパーの主張は、科学哲学の文脈では一定の意義を持ちますが、科学の実践自体を大きく変革するようなものではないと理解することができます。 >>234
古代ローマ法における証明責任の確立は、法務官法の発展、弁論術の発達、法学者の活動などを通じて徐々に形作られていきました。特に、法学者パウルスが示した「証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない」という原則は、現代に至るまで法学の基本原則として受け継がれています。
証明責任の原則は、法学にとどまらず、自然科学の分野にも大きな影響を与えました。科学者は、自分の仮説を裏付ける証拠を提示する責任を負っており、この証明責任の原則なくして科学の進歩は望めません。実験や観察によって得られたデータを根拠として示すことで、科学者は自分の主張を証明し、他の科学者による検証を可能にします。科学における証明責任の重要性は、ニュートンとフックの光の性質をめぐる論争、ラヴォアジェとプリーストリーの酸素発見をめぐる論争、ガルヴァーニとボルタの動物電気をめぐる論争などの歴史的な事例からも明らかです。
証明責任の原則は、法学や科学だけでなく、ジャーナリズム、政治、教育、ビジネスなど、あらゆる分野で真実性や公正性を担保するために不可欠です。証明責任がない場合、根拠のない主張が横行し、社会的な混乱や危険が生じる可能性があります。また、相手の主張の根拠が存在しないことを証明することは、主張者が根拠を示すよりも困難である場合が多く、証明責任の不在は公平性を欠く結果につながりかねません。さらに、根拠のない主張の証明を相手に求めることで、議論を混乱させたり、相手を困らせたりすることが可能になってしまいます。
したがって、証明責任の原則は、公正な議論を実現し、真実を追究するために欠かせない原則であると言えます。ただし、その適用に当たっては、証明責任の公平な分配、証明の困難さに応じた調整、建設的な議論の促進などに留意する必要があります。証明責任の原則を適切に運用することで、私たちは理性的で建設的な議論を行い、より良い社会を築いていくことができるでしょう。 妄想の証拠出せwwwww
無能が妄想し続けたなれの果てwwwww 意識が消失することがある事実こそが意識が存在する証左ですよね 意識を肉体から離れたものとして理解しない人にとっては肉体から離れた意識は存在しない
つまり問題は意識の定義であって肉体から離れた意識の存在が自明だと考えてる人と噛み合ってないだけ 意識の問題って結局古臭くくだらねえ心身二元論の蒸し返しなんだわ 個人的には意識の存在が自明と考える人ほど意識の問題に感覚的で浅い認識しか持って居ないなと思える 顕在意識、表層意識、潜在意識、言葉は同じものを指すにしてもある。
深層心理という言葉もあることから、言葉遊びにならないように注意したい。
意識というものが、こういう言葉があるからメカニズムとして成り立っている、という図式は成り立たない。
意識が、どこで観測されうるか、それが大事なのだ。 ところで私も哲学は終わったと主張してきたつもりなんですけど、
「神は死んだ、仏も死んだ、哲学も死んだ。」とか言って、
そこでスレ主様にご質問です。
多くの哲学者は、哲学が終わったということを認めないだろうとおもうのです。
例えばフラットアーサーみたいなもので、
そういう人をロケットに括り付けて、打ち上げて、地球をじかに見せても「フェイクだ!」とか騒ぐことでしょう、彼らは絶対に地球が球体だとは認めない、内心「本当は球体だったかも」とか思っても即座に雑念として押し殺し、認めたら負け、オレが正しいに決まっている、耳は貸さない、あり得ない、ムカツク、ついでに「哲学終了」とか言ってるやつらも火炙り。
哲学者は絶対に認めない、認めるわけにはいかない、そういう人たちにどうしたら哲学終了を認めさせることはできるのでしょうか、という質問です。スペシャルハイセンスな知能をお持ちのスレ主様ならお答えをご存知ではないかと思ったです。
ちなみに私はスルーするしかないと思ってます。 >>248
意識の観測が大事、ということでしたが、意識がとある粒子として(微粒子でもいいかもしれませんが)見つかったらそれはそれで
面白いです。ですが、意識は目には見えないとも言われています。そんな中で、科学界で証明できるように、大事だと思います。 私はてっきり哲学終了は共有されているものだと思っていたんです。
私は低学歴で、周りにそういう話をする人もおらず、そのへんの空気がよくわからなかったのでした。
しかし以前そういう趣旨のレスを投稿したら、思いのほか反論があって、びっくりしたのです。
私の認識では、カントから哲学の終わりが始まり、ウィトゲンシュタインとゲーデルで完全終了。
私は、たぶん皆さんと同じく、唯我論とか逆転スペクトルなどを教わる前から知っていて、あとからそういったことに名前がついていることを知ったクチで、哲学終了も個人的体験で認識にいたりました。
なのでカントもウィトゲンシュタインもゲーデルも読んでおらず遠くから眺めただけですけど、案の定そういうことを言っている人はいた、というかんじだったのです。
とにかくカントがまつりあげられているということは、哲学終了が共有されているということだと思ってたのでした。
カント万歳と哲学万歳とが何故に両立するのか、私にはナゾなのです。 >>240
カール・ポパーが提唱した「反証可能性」という概念は、科学の方法論として注目を集めましたが、その内容を詳細に検討してみると、実はそれほど革新的な考え方ではないことがわかります。
ポパーの主張の核心は、ある理論が科学的であるためには、その理論が反証可能でなければならないというものです。つまり、その理論が間違っていることを示す証拠が存在する可能性を認めることが重要だと考えました。しかし、これは要するに、法学の分野で長年確立されてきた「証明責任」の原則と大差ありません。
「証明責任」とは、ある主張をする者が、その主張の正当性を証明する責任を負うという、公平な議論のルールです。古代ローマ法の判例から確立したこの原則は、ラテン語で "Onus probandi incumbit ei qui dicit, non ei qui negat"(証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない)と表現され、ローマ法の法文集「ディゲスタ」の22.3.2に法学者パウルスの見解として記載されています。
ポパーの「反証可能性」は、この「証明責任」の原則を科学の文脈で言い換えたに過ぎません。つまり、ある理論を主張する者は、その理論の正しさを証明する責任を負い、反証を受け入れられない状態では主張を証明したことにはならないということです。これは、科学に限らず、法学、政治学、経済学など、あらゆる分野でのフェアな議論に求められる条件であり、ポパーが新しく提唱したものではありません。
したがって、ポパーの「反証可能性」という概念は、科学の方法論として特別に重要な意味を持つわけではなく、むしろ古くから存在する「証明責任」の原則を再確認したに過ぎないと言えます。ポパーの主張は、科学哲学の文脈では一定の意義を持ちますが、科学の実践自体を大きく変革するようなものではないと理解することができます。 >>240
古代ローマ法における証明責任の確立は、法務官法の発展、弁論術の発達、法学者の活動などを通じて徐々に形作られていきました。特に、法学者パウルスが示した「証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない」という原則は、現代に至るまで法学の基本原則として受け継がれています。
証明責任の原則は、法学にとどまらず、自然科学の分野にも大きな影響を与えました。科学者は、自分の仮説を裏付ける証拠を提示する責任を負っており、この証明責任の原則なくして科学の進歩は望めません。実験や観察によって得られたデータを根拠として示すことで、科学者は自分の主張を証明し、他の科学者による検証を可能にします。科学における証明責任の重要性は、ニュートンとフックの光の性質をめぐる論争、ラヴォアジェとプリーストリーの酸素発見をめぐる論争、ガルヴァーニとボルタの動物電気をめぐる論争などの歴史的な事例からも明らかです。
証明責任の原則は、法学や科学だけでなく、ジャーナリズム、政治、教育、ビジネスなど、あらゆる分野で真実性や公正性を担保するために不可欠です。証明責任がない場合、根拠のない主張が横行し、社会的な混乱や危険が生じる可能性があります。また、相手の主張の根拠が存在しないことを証明することは、主張者が根拠を示すよりも困難である場合が多く、証明責任の不在は公平性を欠く結果につながりかねません。さらに、根拠のない主張の証明を相手に求めることで、議論を混乱させたり、相手を困らせたりすることが可能になってしまいます。
したがって、証明責任の原則は、公正な議論を実現し、真実を追究するために欠かせない原則であると言えます。ただし、その適用に当たっては、証明責任の公平な分配、証明の困難さに応じた調整、建設的な議論の促進などに留意する必要があります。証明責任の原則を適切に運用することで、私たちは理性的で建設的な議論を行い、より良い社会を築いていくことができるでしょう。 >>241
バカすぎるwwwwwwww
その文章の1個目の意識と2個目の意識は指すものが全く違うwwwwwwwww >>241
バカすぎるwwwwwwww
その文章の1個目の意識と2個目の意識は指すものが全く違うwwwwwwwww
1個目の意識とか言ってるやつが指す内容は覚醒に置き換えられる
2個目の意識とか言ってるやつが指す内容は覚醒に置き換えられない >>246
そんなもん観察すれば超簡単
錬金術師は滅んだ
そもそも生まれてくることすらない
さあそれがなぜなのか頭使えよ >>240
低学歴はバカなので証明責任を理解できない 意識の存在を頑なに認めない人に、認めされるには
どうしたら良いでしょうか?
意識を「実体」として突き付けることでしょうか?
意識を整合的に説明する、完全な物理学を示すことでしょうか?
違います。それをしても納得しないことは、
天動説/地動説の歴史を見れば明らか。
認めさせるには、研究者を含め、大半が認める状況になることです。
実は、彼等は単に大勢に従ってるだけなのです。 横ですけど、せっかくなので、意識について、
私はどちらかというとスレ主と同じく意識は存在していない派のつもりです。
私はなるべく「意識とされているもの」と表現してきたつもりなのでした。
例えば龍の形をした雲が有っても、そこに龍がいるわけではなく、見た人が勝手に龍だと思っているだけです。
パソコンも、人間が勝手にそれをパソコンだと思っているだけです。パソコンは存在していない(パソコンとして機能はしているけれども)。
意識とされているものも、意識として扱っているだけではないだろうか、実体が存在しているわけではないのではないかなと。いくつかの自然現象を意識として統一的に解釈しているだけではないかなと。
例えば金縛り、既視感、心霊写真、人魂など、そういったことを霊現象としてひとくくりにする傾向がありますが、私の印象ながら、それらは互いに全く別々の自然現象としてあるもののような気がします。
意識とされているものもそのようなものである可能性があると思います。
少なくとも「私」は虚構確定です。「私」というのはパッチワークされたものです。
「我思う、ゆえに我有り」とは言いますが、思っているのは私ではないということです。 意識の存在を認めてもらう方法か。
意識が表面意識として立証できるか。
活動しているのが意識だとか >>256
ところが錬金術師になれると思っている人が21世紀になっても山ほどいる。
科学的にあり得ないということを絶対に認めない。
アホにはできないが、オレにはできる。科学が間違っていることを証明してやる。
ピラミッドは宇宙人が造ったに決まっているという人に人間が造ったという証拠をみせつけても、建造したのは人間でも計画を立案したのは宇宙人だ、絶対に譲らないことでしょう。 >>255
ああ、貴方の言うように
『覚醒が消失することがある事実こそが意識が存在する証左ですよね』
でも問題ありませんよ >>258
地動説は証拠によって支持されたんだよ自殺しとけ無知 >>263
つまり人間の目の形をしたモーター付き義眼に光センサーつけて
人工瞳孔が光当てて収縮したらその義眼には意識があることになるなwwwww 「温度」には対応する実体はないが、物理学で有用な概念として受け入れられている。
同様に、「意識」に実体はなくとも、物理学で有用な概念ならば受け入れられる。
実際には、「有用」以前に、「難しすぎる」ので、避けられている。
物理学は、それを受け入れるほどには発達していない。 >>261
パソコンを分解したとき、その部品を全部集めてもそれはパソコンではない
パソコンはパソコンとして機能して初めて成立する
というのが私のかんじですが、
このかんじには個人差があるかもしれません。 科学などというものは、
それが正しい状況の中では正しい
というものなんですよ
だから科学は未だ時間の正体も分かりませんし
生命の本質も分かりませんし、意識と物質との関係性も
さっぱり分からないのです
結局哲学でもそれは分からないのですが >>269
実体など全く無意味
物証を出せ
出せないなら死ね >>269
難しい要素など何一つないぞ
単に妄想なだけ >>271
妄想など永遠にわかるわけがない
妄想するバカが死ねば良いだけ >>262
512 考える名無しさん[sage] 2024/05/14(火) 00:19:27.86 0
>>501
>占星術師をナイフで刺し殺しても意味がない
>天文学者が天体の観測結果が物理の方程式で予測できることを示して
>占星術師たちは歴史からその存在そのものを消し去られた
つまり占星術師は嘘つきだということが誰の目にも明らかかなったから永遠に価値を失ったわけよ
哲学者は嘘つきだということが誰の目にも明らかになるテクノロジーが哲学者を歴史上存在しなかったレベルにまで消し去る
滅ぼし尽くす
思い出すことすらも出来ないレベルになる 意識というのは、実体があるわけではなく
意識と呼ばれる事態ですよね
幽霊の実体は柳であった、ということはあるでしょうけど
そもそも意識という事態(場と言ってもいい)がなければ
幽霊が見えるというフィクションも起こらないですからね
「意識など存在しない」というのはちょっと乱暴ですよね >>262
哲学が大学で教えることを禁じられるレベルにまではできる
占星術や錬金術は教えること自体が違法 パソコンを分解したらパソコンではないだろう!
パソコンがパソコンだというトートロジーはどうだ。 >>276
証拠を出せよ証拠
物証を出せよ
証明しろよ >>278
分解した状態と組み立てた状態とで本質的な違いは、
私はある気がしません >>279
証拠も物証も無くて証明もできないのに、
科学で認められていることってありますよね
数学の正しさとか、科学では証明できないでしょ >>281
バカすぎるから自殺しとけwwwwwwwwwmwmmww
数式の正しさのうち整合性は論理学により確かめられる
現実と合うかどうかは科学実験により確かめられる
そんなことすら知らないとかwwmmmmmww >>280
じゃあお前をフクロナガサでバラバラにしても同じであると 組み立ててあろうが、分解されていようが、そもそもパソコンは存在しない。
在るのは各部品であり、ソフトウェアだ。
「パソコン」は幻想の産物。 >>283
おお
貴方は論理が数理の上位にある、と考えているわけですか?
貴方の大好きなゲーデルはそのようには考えていなかったのでは?
なぜなら、論理によって正しさが証明できない真理が数理にはある
と証明したのだから >>286
何がなぜならなんだよ
証明できるわけがないのは当然
論理的に完全に正しい
なぜなら何もないところから真偽値1ビット分の情報が取り出せるならエネルギー保存則に反するからだ >>287
おお、おもしろいこと言いましたね
貴方の大好きなエネルギー保存則が正しいことは科学では証明できないのですよ >>286
ラッセルの論理学で数学の無矛盾性を証明しようとしたら論理学の無矛盾性すら証明不可というのがゲーデル不完全性定理
ゲーデルの証明ではペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能という証明(この時点では数学が対象)
シェファードソンの表現定理により任意の論理式のΣ1集合に対して単純無矛盾性が証明不可能という証明に拡張された(この時点で論理学一般が対象に拡張されている) >>288
証明余裕だよ
実験で
バカすぎるwww >>288
お前バカすぎるから自殺しとけ
科学の意味すらわかってない
科学と数学と論理学の区別がつけられてない >>263
つまり人間の目の形をしたモーター付き義眼に光センサーつけて
人工瞳孔が光当てて収縮したらその義眼には意識があることになるなwwwww バカすぎてトートロジーは実験でチェックできるということがわかってないwwwwwwmww 論理的かどうかと事実に合うかの区別すらできてないwwmwwmmwwww つまりフィクションと現実の区別がつけられてないwwmmwwmww 私が理解するところでは、スレ主的には「意識」というと、つまり龍の形をした雲のようなもので、
仮に存在したとしても意味はない、
そもそもスレ主的には存在という概念自体がアホだったと思いましたが、
しかし私レベルのアホでも「存在」は量子論的には保留されていることになっていて、云々
ただ、私としては表層意識とされているものにはひょっとすると意味があるかもしれない気がしています。
私の空想ですけど、表層意識とされているものは筆算のような意味があるのではないかなと。
例えば頭の中だけで計算するよりも紙に書いて計算する方が楽なように、
頭の中で数字(概念)で計算するよりもソロバンをイメージして映像で計算する方が楽ということがあって、
ただし計算をしているのは紙でも鉛筆でもイメージされたソロバンでもなく、深層なんだけれども、
あるいは例えばカレーの香りを感じてカレーを食いたくなるのは、
そうは言ってもカレーの香りが関係あるのではないかなと。
いずれにしても個人的に問題にしたいのは「深層」です。
私が理解するところでは、スレ主は物質的なものを想定していた印象です。
それに対して私は深層意識的なものを想定しています。
私の場合、認識されている対象は、実在していないと考えるためです。 >>290
実験でどうやって証明するのです?
いまの科学というのは、
「エネルギー保存則は正しい」という
前提で構成されたフィクションなんですよ
実験結果はそのフィクションを壊さないように解釈するわけです
力学的エネルギーだけでは破綻するから、電気エネルギーとか
熱エネルギーとか、それで足らないならポテンシャルエネルギーなんて
ものまで持ち出して、エネルギー保存則を守っているのが、今の科学なんですよ
だからダークエネルギーとか出てくると困ってしまうわけです 哲学科のある大学が実在するのは哲学が生きているからではないかな
おおよそ100年でひと一人の人生が終わるとして順繰りにこの世界の人間は入れ替わっているんであって、哲学的思考を学びたいという人間がいる限り続くのではないかと。
哲学を諦めさせるといってもいったい何を諦めさせたいという考えなのでしょう?その意義もさっぱりわかりません。 >>284
失礼しました。
組み立ててあるものと分解されているものとが同じということではなくて、
組み立ててあるものが分解されている状態と本質的区別ができないだろうということです。 >>297
バカすぎるから自殺しとけwwww
エネルギー保存則が破れたら実験でわかるっつーのwwwww
お前中卒無職だろwwwwwwww
そんなこと義務教育で習うぞmwmm >>298
「哲学というのはわかったつもりになってるだけで何もわかってなどない」と脳の測定で物証を出せばいい
そんな学部に志願する奴は居なくなる
だって卒業生を誰も採用しないからなwwwww >>300
だからどーやって分かるんですかって聞いてるんですよ >>296
短期記憶やワーキングメモリーや内声や言語という全く別々の機能
一つの何かなどではない
一つでないものを一つと仮定することは爆発律 >>302
中学校で習うぞ脳障害wwwwwwwwwww
エネルギー保存則が成り立てば全エネルギーの測定値が一定wwwww
破れてれば一定じゃないwwwwwww >>301
出せない物証をいくら唱えたところで妄想にすぎないから実現しない、残念w >>305
思考途中の脳を測ればいいだけ
間もなくできるようになるよwwwwwmmww 分かりやすいように具体例で考えてみましょう
鉄球が壁に衝突しました
衝突前の運動エネルギーは1/2×鉄球の質量×速度の二乗
この運動エネルギーは衝突後は0になります
このエネルギーが全てどこかに保存されていることを
どーやって実験で証明するんですか >>305
タネが透けて見えるメガネを配れば誰も手品など見ようとしない
これが哲学者を即時永久に殺し切る武器mwwwwww. >>307
熱エネルギー測れよ中卒無職wwwwwmwwmmmmmmwwmmww. >>299
あなたがいう本質って一体?
実質との違いは? >>307
生きてて恥ずかしくねえの?
義務教育すら受けてないとかwwwwww >>299
つまりバラバラ死体になっても本質的には同じであると >>312
309 考える名無しさん[] 2024/05/16(木) 15:54:30.48 0
>>307
熱エネルギー測れよ中卒無職wwwwwmwwmmmmmmwwmmww. >>312
309 考える名無しさん[] 2024/05/16(木) 15:54:30.48 0
>>307
熱エネルギー測れよ中卒無職wwwwwmwwmmmmmmwwmmww. >>312
309 考える名無しさん[] 2024/05/16(木) 15:54:30.48 0
>>307
熱エネルギー測れよ中卒無職wwwwwmwwmmmmmmwwmmww. バカすぎて熱エネルギーすら知らなかった中卒無職mwwwwwwwwmwwwwwwwww
義務教育すら受けてないwwwwwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています