### 日本共産党におけるユーロコミュニズム排除と独裁反対者の粛清の流れ

日本共産党は1970年代から1980年代にかけて、ユーロコミュニズムやスターリン批判の研究・出版活動を行った党員や学者に対して厳しい粛清を行いました。以下はその詳細な流れです。

1. **ユーロコミュニズム台頭と影響**:
1970年代半ばから、ヨーロッパの共産党(イタリア、フランス、スペイン)は、暴力革命路線やプロレタリア独裁理論を放棄し、党内民主主義を拡大する方向に転換しました。日本共産党も当初はこの動きに接近し、「自由と民主主義の宣言」を決定しました。しかし、宮本顕治は次第にユーロコミュニズムへの疑念を抱くようになりました。

2. **宮本顕治の逆旋回**:
宮本は1977年の第14回党大会で民主集中制の強調を指示し、ユーロコミュニズム方向への傾斜を止めようとしました。1978年には、田口富久治らの多元的社会主義理論を批判するキャンペーンを開始しました。このキャンペーンは、宮本の指示で不破哲三が執筆しました。

3. **4連続粛清事件**:
- ネオ・マル粛清(1978年~1994年)
田口富久治、中野徹三などの学者党員がスターリン批判やユーロコミュニズムに関する研究・出版活動を行いましたが、これに対して宮本は徹底的な排除・粛清を行いました。高橋彦博は「左翼知識人の理論責任」を出版したことで、1994年に査問・除籍されました。
- 民主主義文学同盟事件(1983年)
民主主義文学同盟の「4月号」でスターリン批判が掲載されたことを受け、宮本は関係者を粛清しました。
- 平和委員会・原水協事件(1984年)
古在由重らがスターリン批判を行ったことで、これに関与した党員が粛清されました。
- 東大院生支部事件(1985年)
東大院生支部が党大会で宮本の引退を要求する決議案を提出したことで、これに関与した党員が粛清されました。

これらの粛清事件は、日本共産党が中央に従順な党員のみを許容し、独裁に反対する者を徹底的に排除するための手段として行われました。

ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/fuwahimitu.htm