カール・マルクス 70
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カール・ハインリヒ・マルクス
Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日
荒らしはスルーで
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カール・マルクス 69
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1713092304/ >>98
バカは自殺しとけ
この文書は、1930年代から1950年代初頭にかけてのソ連における大規模な弾圧と強制移住に関する公文書集です。主な内容は以下の通りです。
1. 1930-1932年の富農追放とテロ
2. 1932-1934年のテロと飢饉
3. 1933年5月から1936年の「テロの秩序化」
4. 1937-1938年の「大テロ」
5. 1939-1945年の戦時体制下での弾圧(西ウクライナ・バルト三国・モルダビアのソ連化、戦時法規、民族の強制移住など)
6. 1946-1953年の大規模弾圧と非常事態法規
文書には、これらの弾圧や強制移住の実施に関する内務人民委員部(NKVD)や検察庁、最高裁判所などの指令、報告書、書簡などが含まれています。スターリン時代のソ連で行われた大規模な人権侵害の実態を示す重要な一次資料といえます。 >>98
>>92
はい、ウクライナに関する部分を抜粋し、日本語に翻訳します。
第2部 テロルと飢餓。1932-1934年
A. 横領者と投機者に対するキャンペーン
B. パスポート制度導入に伴う都市の粛清
第5部 戦時動員下の状況。1939-1945年
A. 西ベラルーシ、西ウクライナ、バルト諸国、モルダビアのソビエト化
B. 戦時法の下で
C. 民族の強制移住
http://opisi.garf.su/pdf/gulag1/05.pdf
№ 106. 中央委員会政治局とソ連邦人民委員会議決定第1299-526号「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国西部地域における反革命組織の一掃について」1941年5月14日
№ 110. ソ連邦内務人民委員部副委員長B.Z.コブロフのI.V.スターリン、V.M.モロトフ、L.P.ベリヤ宛報告書。モルダビア・ソビエト社会主義共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国チェルノヴィツィ州およびイズマイル州における反ソ分子一掃作戦の進捗状況について。1941年6月13日
№ 113. ソ連邦内務人民委員部強制収容所総局特別移住部の報告。ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、バルト諸国、モルダビアから移住させた人数およびベラルーシ・ソビエト社会主義共和国から移住予定の人数について。1941年6月17日
№ 114. ソ連邦内務人民委員部強制収容所総局特別移住部長M.V.コンラードフのソ連邦内務人民委員副部長V.V.チェルヌィショフ宛報告書(抜粋)。リトアニア、ラトビア、エストニア、モルダビア各ソビエト社会主義共和国およびウクライナ・ソビエト社会主義共和国西部地域、ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国西部地域からの特別移住者の配置について。1941年9月15日以降 >>98
バカすぎるし無能すぎるから自殺しろ
1932年から1933年にかけて、ソ連では食糧の盗難や横領に対して厳しい処罰が行われました。
主なポイントは以下の通りです。
- 1932年8月7日の法令により、社会主義的所有物の盗難や横領に対して、最高刑として死刑、通常は10年の自由剥奪刑が適用されることになった[1]。
- 共産党中央委員会の指示により、クラークや元商人など敵対的な階級の者による盗難には死刑を適用し、一般の労働者や集団農場員の盗難には10年の自由剥奪刑を適用するよう求められた[1]。
- 当初、裁判所は法令の適用に消極的だったが、人民委員部の指示により厳格な適用が徹底された。1933年1月から5月の間に、盗難で有罪となった者の84.1%に10年の自由剥奪刑が言い渡された[1]。
- 一方で、貧困による些細な盗みなどには刑法典の通常規定を適用するなど、柔軟な対応も認められた[1]。
- 上級裁判所は、下級審の判決を審査し、刑の軽減・取り消しを行うことで法令の適切な運用を図った[1]。
こうした厳罰化により、食糧の盗難や横領に対する取り締まりが強化されたことがわかります。背景には深刻な食糧不足があったと考えられます。 >>101
ちなみにこの横領とか盗難とか言ってるのはスターリンがウクライナに守ることが不可能な食糧供出命令をして供出できなかったことを指している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています