プログレの正統派後継者その名は松任谷由実
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松任谷由実は日本ではプログレの最高峰だと思う。
というのはガセ おは
細野やんのゴリゴリベースの頃のは好きだよ
フランソワーズは個人的名曲 ミスリムの一曲目
ちょっとイルヴォーロ入ってると思った まあ女のくせに最初にツェッぺリン見抜いたとかそんだけ。 結婚して松任谷名義になった最初のアルバム『紅雀』は隠れた名盤。
イタリアン・カンタウトゥーレにも通じる素朴なアルバムで大好きだ。
ユーミンもこの作風が気に入ってたらしいが全然売れなかったので
「卒業写真」や「ルージュの伝言」の路線に戻したらしい。 ユーミンのアルバムのジャケットで
ヒプノシスが担当したものあったよね。 Raga♯3はZEPのカシミール風のカレー味プログレ 日本版「タペストリー」な趣のミスリムが一番好きだな。 プログレッシブで大分フィルモぽくなるよね
まあ今は良し悪しはスケーラーなんだけど ヒプノシスの最高傑作、コンパートメント(TRAIN OF THOUGHT) 「陰りゆく部屋」はプロコルハルム「青い影」のぱくり 時のないホテルのラストやフォーギヴネスのサビは変拍子。 ユーミンってプログレだったんですか?
知らなかった(><)
昔、宇宙からの声を届ける使者はGLAYだとテレビ君が
言っていましたがGLAYも正統派後継者の仲間入りでおk?
コンパートメントは彼女のプログレとしての最高傑作。 松任谷夫妻がフロイドの来日公演(80年代)を見るために
自分がコンサートやってた苗場から東京に車を飛ばした話は有名。 フロイドが松任谷夫妻に見せるために
自分のコンサートで豚を飛ばした話は有名。 大抵のプログレ好きにユーミン聴かせるとハマる。映像見せると更にハマる。 マンタはユーミンとドライブ中
エアコン故障で曇った窓を拭くため
妻のTシャツを剥ぎ取り
上半身裸にさせたまま料金所を通過した話は有名
正隆はサディスティックだな セバスチャン・ハーディーの「哀愁の南十字星」って
ユーミンサウンドでプログレやったって感じ >>26
松任谷はピンク・フロイドのファンなんだよ。
ジャケットもステージデザインもピンク・フロイドのスタッフに依頼したから、
きっとデヴィッド・ギルモアにも依頼しただろう。 JULYなんかも超名曲。
日本人であったことが惜しい逸材。 宮殿のジャケをユーミンが顔トリビュートしたら
すごく話題になると思う デビュー曲(1972年)のb面
「空と海の輝きに向けて」は「ハンバーグ」のパクリか。
ユーミンは、幼いころから多種多様な音楽に触れている。
由実の世話をしていたお手伝いさんは
ジャズ、ボサノバ、民族音楽、母は、清元、日舞、skdのファン、
兄は、アメリカンポップス、姉は、ユーロロック、
由実自身は、クラシック、教会音楽からスタートと
あらゆる音楽を聴いて育った。だからどのような曲調のものでも
作曲できる。
その点がJポップスオンリー、カラオケ育ちの今の若手と大きな差が
ある。もうこういう人は出てこないだろう。
>>40
> 由実自身は、クラシック、教会音楽からスタートと
> あらゆる音楽を聴いて育った。
「先生と言えるのはPink Floydだけ」とも言っているらしいが。
放任主義のユーミンママ。でもさすがに勉強をしなくなり成績下降、
夜遊びしまくりの由実に激怒し、ユーミンの持っているレコードを
全部叩き割ろうとした。
由実は、泣きながら「ごめんなさい、これだけは割らないで」
と言ったのがプロコルハルムのレコードだった。
また、夜遊びで補導された時は、ユーミンママは自分の膝を
ナイフで刺して由実に悪くならないよう説教した。
いい話では、ありませんか。 というかユーミンは呉服屋の娘で当時米軍ハウスに入り浸ってカウンターカルチャーにどっぷりだったんじゃなかったっけか。
プログレと接点があってもおかしくなかろうに。 GSの追っかけやってた。
他の女の子と違って英米のロックのLPとかをプレゼントしたりして
一目置かれる存在だったらしい。 川添象郎や福澤幸雄(レーサー)がパリやロンドンに旅行しては、
当時最新の音楽やファッションをキャンティに持ち帰ったらしいね。
高校生のユーミンは業界人に混じってそれを聞いていたそうだ。 >>47
松任谷由実のWikipediaを嫁。
中学時代からキャンティに出入りしていたと書いてある。
17歳での作曲家デビュー作は一応プログレ系wの加橋かつみ。
それが71年。正統派後継者どころか、
日本のアートプログレ系の元祖だよ。 追っかけしていたGSは、超マニアックな「フィンガーズ」
このGSはハイソな御曹司で結成されていたので有名。
メンバーの中国人CUチェンが「ユーミン」と呼び始めたのが
この愛称の始まり。
それでピンク・フロイドにショックを受けて、
なんとかフロイドファミリーになりたくて、
同じスタッフを起用したりしてるねん。 フィンガーズのCDもってるぞ。ところでキャンティーってなに? 後継って本人のキャリアも終盤にきてるというのにか? ユーミンの「時のないホテル」収録の「時のないホテル」と「コンパートメント」って、元ネタってあるのかなあ。
ああいう雰囲気の曲好きなんで、知りたいんだよなあ。 >>43
> 由実は、泣きながら「ごめんなさい、これだけは割らないで」
> と言ったのがプロコルハルムのレコードだった。
プロコルハルムというのは、確かに当時はカリスマだった。
しかし、プログレの中で、あのバンドほど脱落の大きなバンドはいないかも。 ユーミンは荒井時代のインタビューで
「学生の頃、まわりは、皆ビートルズだったけど、私は、プロコルハルム
一点張りだったの」と言っていた。
「ひこうき雲」「空と海の輝きにむけて」「翳りゆく部屋」などは
モロに影響を受けている。
また「昨晩お会いしましょう」ツアーでは、ピアノの弾き語りで
プロコルハルムを歌ったので驚いた(ステージでオリジナル以外を
聞いた事なかったので)
そのとき「私は教会音楽やクラシックを聴いていたんだけど
プロコルハルムの曲はロックとクラシック音楽が融合していて
大好きになった」みたいなことを話し
そのあと「守ってあげたい」を歌いだした。
この曲のコード進行もそうなんですよね。 正直プロコルハルムがプログレとは知らなかった
一曲だけクラシック調の曲があり
その曲にみんな殺到したみたいなフォークバンドとしてしか
スプートニクスの霧のカレリヤみたいな感じか 堀川 まゆみ
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心が走る、想いが走る、私の体にいくつもの愛が走る。
そして今日から一人歩き。
1978年12月5日に発売された唯一のアルバムに未収録曲のシングル2枚を追加したオール・ソングス・コレクション。
ユーミンも3曲提供。
松任谷正隆プロデュース
オリジナル発売日:1978年12月5日
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=DYCL-60 >>59
> 正直プロコルハルムがプログレとは知らなかった
もちろん今となってはプログレとは言い難いが、
当時はクラシカルロックの走りだった。だが短期間で脱落していった。
ビートルズにも似たような曲調があるが。
ムーディーブルースはプロコルハルムより数倍ましかな。 プロコルハルムなんてバッハのG線上のアリアを引用した曲だけだろ。あとは
普通のブルースロックだな。同じバッハなら1910って曲もあるぞ。サイケだけど
小フーガト短調のロックカバーなんだけどな。知ってる
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