Bill Bruford PART2
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で、ウィントン登場。133P。 「(評論家によって音楽の良し悪しがころころ変わったように)そんな風に言説は発展し、変わっていった。 後年ウィントン・マルサリスのような高僧たちはさらに音楽の是非や価値観を変え、要塞の防壁の中に持ち込んで密封保存し、 厳密な統制下に若者たちへ教えるようになったが、それは脱脂綿にくるまれて一切の変化から保護され、またウィントンの 思うがままに弄ばれたり切り捨てられたりした。」と批判的な筆致です。音楽教育者としてのウィントンのアコースティック原理主義的な ジャズ史観への反発が感じられると思います。 このあとは、音楽家が直面する音楽の商品化の問題や、テレビによる宣伝の問題などに話題は移行。 もちろんビルはブルーベック以外の黒くエネルギッシュなジャズも大好き。さらにアースワークスをある種のフュージョンに例えたことから 推測するに、ウィントンによるジャズの保守化・優等生化、古典化を首肯しないのは当然でしょうね。 >>139 ウィントンの場合は、白人音楽に対する黒人音楽の優位性を過剰に認めてる…という事でしょうか? 私には逆に彼のヒットした作品はジャズの黒人的な部分では無く 白人的な統制されたスタイルのジャズを演ってた…にもかかわらずって事が 私にはちょっとね… 彼は黒人でもかなり恵まれた地位になってると思う 普通の黒人ジャズメンでは、ああ成らないですからね ちなみにジャズ批評に掲載されたウィントンの同僚日本人(確か中村健吾)によると、ウィントンの子分の ジェフ・テイン・ワッツの手本はマハヴィシュヌやWR、ベックのナラダ。ウィントンがワッツを起用したのは フュージョンドラマーのテクニックとパワーが必要だったからだそうで、アコースティック原理主義のくせに、 こういう自分にとって都合の悪い事実を隠すのはジャズの歴史歪曲に思えますね。フュージョンがかつて 大流行し、その中には50年代のジャズにも負けない大傑作が確かに存在するわけで(ごみも一杯ありますが)。 詐欺師箱のフリップ翁によれば、ナラダ・マイケル・ウォルデンはビルのドラムが大好き。 ナラダのルーツたるコブハムやトニーのライフタイムを否定しては、自分らのグループの音楽性も 巡りめぐって否定されるのに、フュージョンやロックに一方的な評価を下すところがウィントンの 胡散臭いところです。(勿論これは21世紀の現在の視点からの意見であり、ウィントン登場時の ジャズの情勢とは切断されていますが・・・) まあウィントンは超名演奏と同時に超絶駄作や悶絶愚作を残す、音楽家としてのつまらなさに根本的な問題があると思います >>142 や、書き込みのタイミングが少々かぶっちゃいましたね。どうもビル・ブルッフォードは ウィントンのジャズ認識における恣意的な面に納得できないようです。この点までは、 自伝の文章からほぼ間違いなく推測できます。おそらく、かなり高い蓋然性でウィントンの 音楽も愛好してはいないはずです(別の箇所ですが、ハービー・ハンコックの「クロッシング」に 一時期夢中だったともありますし)。ジンジャー・ベイカーを手本とし、YESその他でロックンロールな ドラムを披露していたビルでもあります。クリームやZEPも引用してますしね。 ウィントンが「白人音楽に対する黒人音楽の優位性を過剰に認めてる」という点に関しては、ビルは 上のスクワイア関連のところにもあるように、プログレというジャンルを非常にクレバーかつ客観的に 認識・分析しています。白人中産階級のインテリが中心となり、LPの存在および機材の発達を前提とした音楽、と。 クラプトンではありませんが、黒人音楽への愛着と同時に裏返しとしてのコンプレックスは並々ならぬものが あるはずで、憶測ですがウィントンのクラシックコンプレックスへの同属嫌悪的な感情があるのかもしれませんね。 俺らは黒い音楽をやりたいのに、なぜ黒人のお前が白い音楽なんかやろうとするんだ、という・・・。 余談ですがコンラッド・シルバート・ライブの、ウィントンとジャコ・パストリアスの涙が出るほど 悲惨な共演を聞くと、あのせいでウィントンがフュージョンやエレベ嫌いになったんじゃないかと勘繰っちゃいます。 (精神病院から出たばかりでリズムキープすら出来ず、ノイズを垂れ流すだけのジャコ・・・) なるほど ウィントンがフュージョンのミュージシャンと演ってたとは知りませんでした とにかく私は、ウィントンの【ジャズ】には、嘘臭い物を感じてましたから 同じ黒人でありながら自分がクラシックなどにも認められるハイクラスな【ジャズ】を演奏してて お前らのジャズとは違う…的な物を感じてたのにもかかわらず、黒人音楽としてのジャズの博物館か何か作る時に、虐げられて来た黒人の文化としてのジャズを声高に唱えてアカデミックな所にしゃしゃり出て来たり、絡んでるのが権力意識が強い様な感じがします その点イギリス人ってそんな印象が少ないってのは私の贔屓目ですかね? ブラッフォードは特にそんな感じがします ブラフォード・レビン・アッパー・エクス〜のスタジオ作1曲目のドラム。 凄いてか、怖いてか、変態てか、なんだかんだでアレ聞いて 初めて尊敬しますた。 BLUEはヤバすぎる…… 今は変態変拍子いっぱいあるけどやっぱりブルフォ先生が一番だね >>140 ABWHに関してはいろいろ書いてますね。 まず、フィラデルフィアというのは昔から出版・ラジオの展開も含めてプログレの人気が非常に高い 土地であり、UK,KC、アースワークスと様々なバンドのツアーがフィラデルフィアで開始/終結 したり特別な催し物があったりしたが、ビルの今まで耳にした最も大きな音は、89年彼の地の スペクトラム・アイスホッケー・アリーナで開催されたABWHを歓迎する2万人の聴衆の大歓声 だったこと。「同志」を演奏し終わった後の割れんばかりの歓声にはビル先生も純粋に感動したそうです。 AWBHのそもそものきっかけは、プログレ冬の時代の88年にジョン・アンダーソンが自分のソロ アルバムへの参加を電話で要請したこと。ヒースロー空港に待ち合わせてジョンと会ったとき、 その場にはウェイクマン、ハウ、それにYESマネージャーのブライアン・レーンがジョンと共にいて ビルは何か大きな出来事の始まりを悟ったそうです。 録音はレコーディング場所だったカリブ海モントセラト島の気候もあいまって愉快なものだったようで、 アースワークスを休止してツアーに出たとあります。 他には、イギリス・タブロイド紙のザ・サン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3 が、89年1/16付けの 記事でAWBHについて嘘八百の過大報道をしたこと(メンバーはツアー用の泡風呂完備のボーイング 747に、3万ポンドを使ってロジャーディーンにサイケ・アートを描かせ、、、といった虚偽情報) トニーレヴィンの病欠もちゃんと書いてます。テキサス州ヒューストンのABWH公演でレヴィンの 肝炎が発症し、ドラムライザー(ドラムセットが乗ってる高台)のそばのバケツにおびただしく嘔吐 していたこと。 ツアー中メンバーにインフルエンザが流行るのはよくあることだが、89年11月、1万2千人の客 を前にしたAWBHローマ公演のわずか終演15分後に、ジョンの声が流感で出なくなって焦ったこと なおビルは古巣のイエスをマザーシップ・イエスと呼び、そこからの脱退を「へその緒を切る」と表現しています >>145 ビルに関しては、やはりイギリス/欧州のクラシックの伝統の分厚さというものが関係しているのかも しれませんね。手元にある08年7月ドラムマガジンによれば、ビルはキャリア初期にロイヤル・ フィルハーモニック・オーケストラの打楽器奏者ルー・ポコックから基礎を学んでいます。 バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタを愛好していたり、プロジェクト1でスネアヘッドの 代わりにシンバルを挟んだりたりする発想からもクラシックに対する自然な距離の近さを感じます (いわゆる黒い湿ったスネア音からは発想しにくい)。 ウィントンの権力意識に関しては黒人の中のエリート出身というか、インテリであるのも関係しているかも。 ザッパやジョン・ゾーンが好例ですが、アメリカのインテリ音楽家のヨーロッパやアカデミズムや クラシック音楽へのコンプレックスはものすごいものがありますからねぇ。 ちなみにビルの認めるアメリカの若き才能として、一回だけ自伝でジョン・ゾーンの名前が挙がります。 他に米国の俊英としてデヴィッド・トーン、マシュー・シップ、ティム・バーンの名前を出しています。 うーん、SPYvsSPYやネイキッドシティ、エレキマサダについての意見を聞いてみたいですねえ。 この面子だと、間違いなくジョーイ・バロンのドラムを耳にしているということですし。 ニッティング・ファクトリーでアースワークスライブを行った際にビルとゾーンはニアミスしているはず です(確か晩年のサンラもいたような?記憶なんでこれは曖昧)。接触や会話があったのかはわかりませんけど・・・ ウィントン子飼いのピアニスト、マーカス・ロバーツは盲目なんですが、彼は白人だという理由で ビル・エヴァンスを嫌っています(音だけの世界に生きているはずなのに!)。ソースはインタビュー 記事なんですが、あれを読んだ瞬間ああウィントンの音楽がつまらないはずだと妙に納得した覚えが あります。その点ユダヤ人でTZADIK/ゾーン門下のジェイミー・サフトはキーボーディストなのに、 ディランや、スレイヤーの「エンジェル・オブ・デス」をカヴァーしていて流石です(アルバム名も ずばりBlack Shabbis)。 なお、自伝の同箇所でビルの認めるイギリスのとんがった才能にはデレク・ベイリー、キース・ティペット Trevor Watts(sx),Paul Rutherford(tb),アメリカの即興表現者の古いところではオーネット、 セシル・テイラー、アーチー・シェップを挙げています。 質問なんですが、 ワンオブアカインド フィールズグッドトゥミー を買いました。 イマイチ良さがわからないんですがどの辺が聞き所なんですか??ドラムですか?まだ3回くらいしか聴いてないんですが‥ ドラムかベース、またはそのコンビネーション。 そしてキーボードの和音とフレーズ。 さらにギター弾けるならギターをそれぞれ聞いてみればいい。 それで「すげー!」と思わなかったら、 あきらめてバイバイ! >>152 お手持ちのアルバムはビルが作曲家として脂が乗り始めた頃です。まずは曲の良さと、 スコーンと素晴らしい音色で鳴るドラムに注意して聴いてみましょう。 フィールズ〜なら1,6,8,10曲目が私は好みです。また、5曲目サンプル&ホールドを、 1分50秒目あたりまで早送りしてみてください。ドラムのおいしいフレーズが聞けるはずです。 ワンオブ〜は名曲と凡曲の差が激しいので、趣向をかえて6曲目(B面)のFIVE Gという曲をかけてみましょう。 ジェフ・バーリンのベースがベケベケとファンキーでかっこいいはずです。 ジャズロックの範疇で、ビル先生の作品は文句なしにトップクラスにランクインします。せっかく買ったのですから、 3回といわず、30回は聴いてみましょう。別にながら聞きでも心地よく、正座して聴いても感動するというメセニーみたいな 面もあります。あ、もし気に入ったら残り2枚のソロ(グラデュアリー〜とブラッフォードテープス)も是非。 前者グラデュアリー・ゴーイング・トルネードは3曲目から聞くのがコツ。 >>153 >>154 ありがとございます 今からもうちょい聞き込んでみます!! クリムゾンとかイエス、UK以外に叩いてるバンドで良いものありますか?あったら教えて下さい。 まずはジェネシスのスリー・サイズ・ライブ。最後の一曲「IT」で叩いていますがウルトラかっこいいです。 イエスのChris Squireソロ「Fish Out Of Water」。パトリック・モラーツも参加しています。 そのパトリック・モラーツとのデュオ「Music For Piano And Drums」 トニー・レビンとの双頭バンドB.L.U.E.。 ナショナル・ヘルス「Missing Pieces」。雫のような美しいエレピとビルのチャイナシンバルが絶妙。 そして 絶 対 に 外せないのはUKのブートレッグです。公式盤のライブインボストンは駄目。 ちょっと音は悪いですが'78 10/8 Reaching for Light のThe only thing she needsは神演奏。 http://www.dimeadozen.org/index.php で"bruford"と検索して漁ってみてください。 他に参考までに。ttp://www21.ocn.ne.jp/~crimson/bruford.htm やっと手にとって眺めてみた。ペラペラ・・・ 「いま?いつ?すぐ?ハァハァ」 「まだまだ」 性急なビルブルにワロタ >>151 ブラッフォードがアメリカのフリージャズミュージシャンを好きだとは思わなかった 最初(イエス加入前か、イエス時代)からだったのかな? それともクリムゾンに入ってからなのか? クリムゾン加入も、キースティペット等が入った作品があったからなのかなぁ… だからミューアについていけたのか! マイケルジャイルズについてなんか書かれてる? 多少は意識してた時期もあったんだろうか まぁyoutubeでエピタフ発売パーティーの二人の初対面シーン見る限り 二人とも会話の糸口に苦労して居心地悪そうにはしてるけどね つかブル先生のまゆげ年々濃くなってきてね?w 調べてみるとマイケル・ジャイルズに関する索引はありませんでした。意外ですね。 ジャイルズに関しては「ビルと同じくらい優秀なドラマーだ」とのたまうフリップの方が 再発や発掘ライブの作業から日常的に耳にして屈託がないのかも。 確かYESの面子はライブが終わると部屋で音楽を聴いていて、マハヴィシュヌやクリムゾンを 愛聴していたんですよね?燃える朝焼けが21馬鹿に似すぎだと仲間内で批判されたとか。 アースワークスだとぶぎょぎょぎょ!みたいなフリーに突入する局面もあり、もともと潜在的に フリーへの関心はあったのかもしれませんね、ミューアと会う前から。ダブルトリオのところで、 アルバム「フリージャズ」について、オーネット組以外にスコット・ラファロ、ドルフィー、ハバードと ちゃんとパーソネルを細かく挙げているんですが、エディ・ゴメス〜ラファロ〜ビル・エヴァンスあたりは 大古典としてまめにチェックしていたのではないかと推測。ラファロ追っかけてるとサードストリームやフリーから ウェストコーストジャズまで聴くことになりますし。 自分はロッカーとしてはジャズ側に寄りすぎで、ジャズ屋としてはロックすぎる、同様にオレゴンのラルフ・タウナーは クラシック奏者としてはジャズ側に寄りすぎで、ジャズマンとしてはクラシック寄りすぎるとコメントしてます。 >>159 トーンとはレヴィンとECM,Cloud About Mercury以来の付き合いなのに、このアルバムについては書いていませんね。 ライブではジャパンのミック・カーンがベースで「ダリズ・カー」なんかも演奏しているのに・・・。 ちなみにラルフ・タウナーがらみでECMの名前だけは出てきます。あのリバーブがかかった録音なんかに ついてももっと論評してくれたら面白かったんですが、そこまではありません。 一方でBLUEのクリス・ボッティに関しては好意的なコメントをしていて、ボッティは50年代のウェスト コーストジャズのスター・チェットベイカーをお手本にとったスムースジャズの優男のように思われているが、 BLUEでの演奏は違った、やつの鋭いトランペットはトーンのステレオギターループを切り裂く『太陽と戦慄』だった、 とのコメント。BLUEは非常に楽しんで演奏できたバンドのようです。 まったく個人的な話ですが、ソニー・クラーク・メモリアルカルテットのボビー・プリヴィットや、 ムーンチャイルドもののジョーイ・バロンがスネアチューニングを甲高くして「ッコーン!」と言わせると 「お!ブラッフォー度(スネア甲高さ指数)高っ!」と思っちゃいます。大音量化したロック音楽を通過すると 自分の音を通すためにチューニングが高めになるんでしょうけど(吉田達也も同じことを発言していました)。 高ブラッフォー度な人たち:スチュワート・コープランド、スティーヴ・ジョーダンwithサンボーン、コブハム、 ロック時のジョーイ・バロン、吉田達也 KING CRIMSON Mr.BIG VAN HALEN STEVE VAI The White Stripes THE WHO 以上を知らないような、自称外国帰りの洋楽至上野郎が暴れています。w 邦楽を聴く人って耳がアホなの? http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1241801250/ 本人やここの皆さんのBLUEの評価の高さに正直ビックリ。 買って三度ほど聞いたが以後封印、CDラックの奥に眠る。 BLUEはCobalt Canyon,Cracking the midnight glass(実質レッド・ツェッペリンのカシミール)、 Cerulian seaの3曲しか聞かない。どうでもよい捨て曲は飛ばしてます。さらにこの3つもイントロなどの 余計な装飾を編集でカット。でも、この3つがすごくいい。 BLUEの評価すべき点として、ドラムとベースの音像が鮮明なことと、ZEPのカバーが聞けることが大きい。 ほかにはトーンの変態ギターが好きという人もいるはず。慶応義塾の巽孝之さんも褒めてたね。 ブラさん関係のCDで封印してるのは正直、KCのスラックアタックだけだな 自分のビルブラベストCDR80分をさらしてみる。注記がないのはスタジオ版で、各曲うんと編集してあります。 1:Beelzebub 2:Sample&Hold 3:Asbury park improvのスネアロールをバルトークのように延々繋げる 4:Hells Bells 5:Five G(Bruford tapes) 6:Cobalt Canyon 7:Cracking the midnight glass 8:Cerulian sea 9:4i1 10:Sunshine of your love(Bill made tornado) 11:If you can't stand the heat... 12The Abandon Chasp 13:Plans for JD 14:Joe Frazier 15:Thud(Earthworks Underground Orchestra) 16:Time to Kill(UK) 17:Lucky Seven(Fish out of the water) 18:Fracture後半 19,20:詐欺師箱のインプロ〜太陽と戦慄pt1ライブ版の中ほどを編集 21:Cinema Show(Seconds out) 22:It/Watcher of the skies ウィントンに対してはマイルスもザヴィヌルも批判的だったな。 マイルスの場合は自伝で「奴は他人に対する敬意がない」と言ってた気がするけどw ブラさんのいうことはわかるよ。あいつジャズを単なる古典芸能にしちゃってるし。 ビルのアコースティックジャズも素晴らしい。 あれだけの情熱を持って作られたCDなんて 当時、アメリカでもそんなにあったかどうか…。 ビル先生はタバコを吸うんだろうか?自伝の索引にはCigaretteやsmoke(ing)の項はないんだが、私が本文を読み飛ばしてるかも。 マイケル・ジャイルズはKCCCでかっこいいくわえタバコの写真が印象に残っているんだけど・・・。 ジャズといえば紫煙がつきもの。しかし実は、ウィントンとジョン・ゾーンは両者ともタバコを吸わない(ユリイカ特集の巻上公一によれば ゾーンは酒もやらない。)。さらに両方ともレコードおたくで、過去の膨大な音楽的遺産を収斂させた上で クラシックの技術をもって「スピード感」を武器にしたという点で、ジャズ原理主義者ウィントンと、ハードコアジャズメタラーのゾーンは よーく似ている。ビル先生は酒もタバコもやらなそうなイメージがあるけど・・・。 ジャケ写真や自伝本文で喫煙に関する情報があったらフォローをお願いします。 ジョン・ゾーンてウェイントンのことは技術的には褒めてたんだよな。 どこでの発言かは失念してしまったんだが。 >>172 イエスのサードアルバムにビル先生が煙草吸ってる写真があるよ 少なくてもその頃は吸ってたんじゃ >>174 おー、やはりありましたか。ありがとうございます。どこかで見たと思ってたんですが、サードアルバムでしたか。 ジャズマンはやっぱりタバコですよね。 公式サイトでサイン入りDVD買ったんだが、「ちょっと切らしててご免。サイン貰ったら、送るから。」って紙っぺら1枚と、カバーなしのDVDが届いたんだが、先生引退で、サインもなし?有耶無耶にされんのこれ? なまじ送る気があるから、その状態なんでしょう。 でも、向こうの人の時間感覚はスゴイからね。 まめにメールしないとだめだと思う。 ビル本イエスの人たちの音楽のことは全然書いてないって本当? ブログだとハウの息子についてとか書いてるのにね。 確かにクリスについてはもっと書いて欲しかったなw 昔、リックがキーボードマガジンか何かのインタビューで 「イエスに加入したら、いきなりクリスとビルが殴り合い始めてビビった」 とか逸話が多いんだがw デイブ・スチュアートのことは何か書いてました? 仲良かったって話ですが。 >>180 書いてますよ〜。ちょっと仕事が忙しいので、翻訳レスもうちょっと待ってくださいね。 まず、第五章「なぜ自分のグループを結成したかったのですか」で、戦慄クリムゾン解散後のセッション&ツアー活動中に、 低迷していたビルに希望と指示を与えてくれた大切な2人のうちの一人としてデイブ・スチュアートの名が出ます。 (もう一人はフィル・コリンズ) デイブはエッグやハットフィールド&ザノースなどプログレの渦中で長年働いていた人で、ハットフィールドはロンドン北部の 青い道路標識から命名されたこと。(↓これですな) ttp://en.wikipedia.org/wiki/File:Route_A1.jpg その後結成したナショナルヘルスに、いつ加入しいつ脱退したのかは全然覚えていないが、NHはクラシックでもジャズでもなく 理知的な音楽を演奏するロックグループだった。 次にUK〜ブラッフォードの話になります。アランに続いての紹介になりますが、アランに関してはおそらく自伝中最も音楽について 賞賛している人物になると思うので、また要望に合わせて書き込んでゆきます。(当世最高のインプロヴァイザー・アランにエディ・ ジョブソン[notウェットン]が同じソロを弾けと要求した、など)。 デイブはアラホ、バーリンとは毛色が違って、学究的で注意深くユーモアのセンスに溢れ、 アランのシングルノートの勇壮華麗さにとって完璧な対応物だった。 音のテクスチュアを深く掘り下げていたデイブは、シンセ時代前はエレピ、ハモンドオルガン、クラヴィネットを リング・モジュレイターに通して歪ませていたが、デイブの頭の中にある音を再現するには70年代終わり、 ポリフォニック・シンセのProphet 5の登場を待たねばならなかった。しかし新しいシンセサイザーにデイブはすぐに慣れ、 ビル先生も小型で輸送にお金のかからないシンセをハモンドより好んだそうです。 リハーサルではビルとデイブの二人がかりでやたら重たいハモンドをリハーサルルームに運び、デイブは運転をしないため ビル先生が古いBMWで家に送り迎えしていたそうです。この車はビルがミュージシャンになった最初の支払いで買ったもので、 助手席の日よけにアップル社のステッカーが張ってあり、ビートルズのジョージ・ハリソンが本当に前の持ち主だった(!)そうです。 ただ、よくオーバーヒートしたようで、立ち往生してエンジンを冷やさなければいけなかったそうな。 BMWより重要なのはデイブがビルの作曲パートナーだったこと。バディリッチ、ジーン・クルーパ、 ブレイキー、エルヴィンと偉大なドラマーは必ずしも自作曲にこだわる必要がなかったが、自分(ビル)は オリジナル曲でアルバムを作る必要を感じていた。 不安もあったが、自分のやってみたい挑戦として、ドラムで演奏するには似つかわしくないような自作曲を 書いてリズムを指示するという試みがあった。自分はこういった個性を生かす方面に向いており、他者の作風に カメレオンのように合わせるのは向いていない、と自分の音楽性を的確に分析しています。 ここで、自分と対極的な「何でも叩ける」才能として、上記のスティーヴ・ガッドの話につながるわけです。 自分の作曲能力は、ドラマーなので当然リズムには強く、メロディはまあ及第点、和声法は助けが必要だった。 デイブ・スチュワート先生はビル坊やの間違いに朱を入れ、リズムの骨組みに肉付けし、ごつごつしたところを 流麗に手直して、非・音楽的なものを音楽にしてくれた、と書いているので、ビルの尊敬の念が感じられます。 20年後にアースワークスのピアニスト、スティーヴ・ハミルトンが同じことをしてくれた、という一文で五章は幕を下ろします。 あとは76年のデイブとのナショナルヘルスツアーから78年のUKツアーまでライブは行っておらず、 その理由はビルの奥さんのキャロラインさんが第一子のアレックス君の出産を控えていたことと、ビル自身も 初のソロアルバムフィールズ・グッド・トゥ・ミーの準備をしていたから、という箇所でデイブの名前が出てきます。 う〜む、興味深いですね〜。 ガッドを意識したのは、意外なようでわかる気がする。 二人ともいくらでも叩けるのに余計な音は決して出さない、 楽曲を生かすため全体を考える、というストイックさが 共通するんで、気になったんじゃないですかね。 最強ドラマーのスレでビルブラは一口食べてそれとわかる頑固なせんべい職人、という意見が出て言いえて妙だと思ったが、 やや不器用というかゴングでもなんでもスココンドラムのビルはちゃんと自分の音楽性がわかってるんだよね。オレは融通がきかない、と。 逆にガッドはラテンもフュージョンもR&Bも4ビートもロックも歌伴もいけるわけでさ。ま、そのどれもがガッド印が刻印されているが。 ちょっとサンバやワン・トリック・ポニーを叩くブラフォードは想像できんw ある意味ブラッフォード自身がワン・トリック・ポニー、一芸しかできない子馬、なのかも それでも最高の子馬だね >>182 フィル・コリンズについてはどういう記述なんですか? ジェネシスのツアーサポートの時期だと思うのですが 一芸しか、というよりドシャメシャに叩くこともできるけど それはやらない、と自分に課してるような気もするんですよ。 ジャズ、ロック系のドラマーでいきなり能の鼓が打てそうなのは この人とあと数人ではないかとw >>181 ありがとうございます!! やはりビルにとって相当な重要人物なんですね。 >>191 ターン、ターン 自分の頭にあったのはカンタベリー系 チャールズヘイワードやワイアットなどです。 でも、ビルほどはまりそうな人はいない... 第二章「なぜイエスを離れたのですか?」 「名声なんてちっとも面白そうに見えなかったし、今でもそうだ。冷蔵庫の中身を補充したかっただけなのに (有名になれば顔が売れて)スーパーマーケットから追い出されるはめになる。ドラマー/歌手のフィル・コリンズは ジェネシスが大物バンドになる間際までは実におもしろいやつだった。 数百万枚のCDを売ったやつに追いついてみれば、 あいつの目から輝きは消えてしまっていた。過去に彼が経験した何回か続く 離婚の1回目(注:1980年)やら、税金問題の ために故郷を離れたことやら、アフリカの小国の国民総生産にほぼ匹敵する収入を 持つに伴う複雑な負担やらがあれば、 それ(目が死んだこと)はおそらく予期されうることだったろう。いやしかし、名声は自分に まるで関わりのないものに思える。」 (第五章、Dスチュワートに続き) 命綱のもう一方の端にいた人物はフィル・コリンズだった。世界的成功を収めはじめていた、「あの」フィル・コリンズだ。 私たちが初めて会ったのは戦慄KC解散の数年前のことだ。 当時彼が在籍していたバンド、フレイミング・ユースの仕事がない夜に、彼がデボン州バーンスタプルの公会堂まで、イエスにいた 私のドラムセットを組み立てに来ていたのだ。大変優秀なドラム・テクニシャン(ドラムのケアの専門家)だったので、この歌う代物が 不調のときは仕事に事欠かなかったというわけ。 私たちは連絡を取り続け、1975年後半あたりでは、フィルはジェネシスに平行してフュージョンバンドのブランドXで 忙しく働いていた。それは楽しみと日々の仕事の息抜きとしての煌びやかな演奏のようにしか思えなかった。私は彼のドラムに対する パーカッションとして参加し、ロンドン周辺で何日か演奏してまわった。 ビルとフィルはお互いのドラミングの崇拝者同士だったとあります。 次に、ジェネシスからピーガブが脱退して代わりのヴォーカルのオーディションを何十人もするものの、フィル・コリンズ以上に適切な歌手が 見つからず、サポートメンバーとしてビルが加わった顛末が書かれます。ドラマーが歌手になるなんて悪夢のシナリオであり机上の空論に思われたが、 フィルはうまくやってのけた。ビルへの給料は週給500ポンドと前例のない待遇だった。しかし・・・。 「ジェネシスでの自分は、全体的に言って無能な雇われ仕事人といったところだった。イエスやクリムゾンでは音楽の製作に通して 参加し議論することに慣れていたので、ジェネシスではとにかく手持ち無沙汰で不満だった。好きでも嫌いでもないお仕着せの曲を 覚えねばならず、どうにも馴染めないおかしな気分だった(ジェネシスの音楽は自分にはなんの関係もないとわかっていた)。 生活のため以外の動機が見出せず、気が乗らない、かつがれたような気分がして、ひどい振る舞いをするようになっていった。 自分は無駄に茶々をいれ、我を通してばかりで口を慎むことを忘れていた。それでもジェネシスは絶えず自分と妻のキャロラインに対して 丁寧で誠実な態度を貫いたが、そのことでかえってきまりがわるくなった。進んでクビになろうとしていたに違いない。が、ぎりぎりのところで ツアーは終わった。自分にとって一文の得にもならない、また確かにそれにも値しない、自分の参加していないゴールドアルバムの宣伝と共に (注:おそらく「トリック・オブ・ザ・テイル」)。ロンドンに戻るころには自分の人生を始めたくてたまらなかった。もう、研究は十分だ。 フィルと私は付き合いが続いたが、私の代わりは見つかったようだ。人当たりも立ち居振る舞いも はるかに良いアメリカ人ドラマー、チェスタートンプソンだ。その数年後、マイク・ラザフォードと トニー・バンクスはそろって所帯を持ち、ロンドンから、田舎の風景が広がる南のサセックスとサリーに 引越しをした。芸術家としてではないとしても、我々は家族ぐるみの付き合いをはじめ、キャロラインと私は 乳飲み子二人を抱えて同じ地域に新居を探した。 結局1980年にブルッフォード家がユーハースト(Ewhurst)に落ち着いたとき、フィルの家はほんの数マイル先の ご近所さんになり、その年の秋には子育ての苦労を逃れるために時々フィル家の近くにある飲み屋でビールを飲むように なったそうです。 「そんな風に飲んだくれたある晩、飲み屋からフィルのソロアルバムを聞きにフィル家に行ったことがある。 自分がソロアルバムの製作を知っていたかどうかは自信がない。子供が生まれ、トライデントスタジオで2枚のレコード ――最初のソロアルバムのフィールズ・グッド・トゥ・ミーと、より洗練され売れ線狙いの新グループ、UKの1stだ―― を作るのにヘトヘトだったからだ(注:アルバム製作のためビルはずっとスタジオで寝起きしていた)。 「フィルは座って、発売される前のソロアルバム、「夜の囁き(Face Value)」をかけてくれた。おそらく タイトルはまだそのときは未定だっただろう。ジャズロックっぽい歌入りのブランドXか、芝刈り機と庭の門がついた 古式ゆかしき英国風ジェネシスのような音楽を予想していたが、出てきた音楽は自分のどの見当とも違って、驚くべきことに 劇的かつ感傷的なソウル・ミュージックだった。気ぜわしい展開はプログレにつき物の問題だったが、その音楽は悠然と しており、黒いソウルミュージック以外ではめったに聞けないような情熱と緊張感に満ち満ちていたのだった。 あらゆる意味で「ドラマーのアルバム」ではなかったが、最高のブルーアイド・ソウルであり、国境を越え人種を越え ありとあらゆる国の人々にクロスオーバーして感動させる音楽だった。漠然と、これはとてつもないヒットになるだろうとは 思ったが、実際どれほどとてつもないヒットになるかは、フィル自身も私も気がついていなかった」 あとは後年、フィルの娘のジョリーちゃんがオムレツを作ってくれたりしたことがあるそうです。他には、 自分の知り合いで一番「売れた」のはフィル・コリンズだが、その両肩にのしかかる莫大な財産の処理問題は 大変なものであろう、といっています。ビートルズのタックスマンを地で行ってますね。 むーん、、 ビルの本て、今後ブリティッシュ・ロックやプログレを語る場合 必ず読んでおかなければいけない本になるでしょうね。 人間関係や移籍の事情、当時の気分まで手に取るように 分かるではないですか。 ビルてどんどん違うことやってった人だから、未だに70年代ヒットをやり続けてるイエスが嫌いなんだな・・・・ モラーツブラッフードの1STを買いました。あまりの繊細さとビルの軽いスタスタドラムに痺れました。素晴らしい‥ ちなみにビル先生インターネットの功罪を理解した上で批判的な意見を持っています。 自分はわざとコンピュータの購入をできる限り先延ばしにした、コンピュータがあれば何でも 自分ひとりでできてしまい、どんな音楽でもオーディエンスに提供できるかわりに、なすべき仕事も 同時に増え、「ネット上の怪物」(オンライン・クリーチャー)としてまた新たに自分自身を 作り直さなければならなくなる。ファンのおびただしい数の質問も時間を奪う。 ネットは良い点と悪い点がごちゃまぜになった祝福であり、たとえばEメールは迅速な反面 不要な情報も大量に届き、また考え無しな意見もまかり通ってしまう。プログレバンドの マリリオンは、インターネットを活用した資金作りやプロモーションを展開した。 ボーカルのスティーヴ・ホガースは言う。「ネットの実に素晴らしいところは、ボタンを 一押しするだけで4万人のファンに新作の意見が聞けるところだ。おかげで音楽が 信じられないほど民主的になる」 「ネットの、上手に使えば金を稼げるところは好きだ。ネットの嫌いなところは、ファンの意見を伺って 音楽を民主的にするところだ。マイルス・デイヴィスが『ビッチェズ・ブリュー』をグループ意見の まとめとして創っただろうか?オーディエンスの示唆を受け入れていれば、ビートルズの 『サージェント・ペッパー』はもっと良いものになっていただろうか?そんなやり方は民主的な悪夢だ」 ねらーとしては身につまされる思いですが、真実を突いていますよね。気難しいと同時に 音楽一本槍に誠実なビルらしいと思います。ファンの声援が多すぎて悩ましいというのは ちょっとリンゴ・スターも思わせますね。 203の発言はビルによるもので、202のホガースの「民主的〜」を受けたものです。 ビルはマリリオンまで愛聴してたのか… なんだ、プログレ好きなんじゃん。 翻訳上手い人がいて良かったな ありがたや ありがたや 引退の理由はなんか書いてありますか? Spice of Lifeと第一期Earthworksの時期ってスネアが特徴的なあの音じゃないよね。 シモンズの電子音に負けないように変えてたのかな。 >>206 サマーフォールド・レコーズ報道発表 ブルッフォード現役引退 イエス、キング・クリムゾン、アースワークスのドラマー/バンドリーダーのビル・ブルッフォードは、 2009年1月1日をもって公の場での演奏活動から引退いたします。プログレッシヴ・ロックから エレクトロニック・ジャズを経て、アコースティック・ジャズに至る模範的な四十年のキャリアの後、 ブルッフォードはスティックを置いて音楽関係の仕事に専心することになります。 ビル:「エキサイティングな四十年間だったが、もう他の誰かの番だ。友人やバンド仲間、 たくさんのファンの方々に感謝したい。私の言い分を公平以上に聞いてくれてありがとう。 私のかねてからの望みはいつも、より広い意味でドラミングと音楽に貢献することだった。 すなわち、より良いやり方を今日想像することや、明日その種のことをドラマーが成し遂げるのを 期待することだ。もし私が長年かかって少しでもドラミングと音楽を進歩させることが出来たとすれば、 それが満足の理由だろう」 これよりブルッフォードは自身のキャリアとパーカッションシーン全般についての講演と執筆を続け、 サマーフォールドおよびウィンターフォールド・レコーズにおいて、過去の大量の録音の保管と 管理をいたします。 ビル: 「少し休ませてくれ。20の時のように60の自分がドラムを叩けるとは思っちゃいない。 ボルドー産の赤ワインのクラレットように、指揮者なら60になってもまだ成長し続けるかもしれないが、 ロイ・へインズのような良い意味での例外を除いてドラマーは気が抜ける一方だ。ビールのようにね。 とにかく、マッカーサー基金受賞者にしてアメリカの生ける伝説、名手マックス・ローチのような 終わり方は真っ平だった。最後にローチを聴いたのは亡くなる少し前だったが、相方のベーシストとの間には 歴然とした差がついてしまっていた。力量がまったく追いついてすらいなかった。かくて巨星墜つ。 (パーキンソン病にかかって年老いた)モハメド・アリがまたリングに立つのは見たくないだろう? 出て行くんだ。若者に出番を与えてやるんだ。私がステージに出て贅肉がついて老いぼれた尻を晒すたびに、 他の若い世代が出番を失う」 また前々から、3000回コンサートをするか、50回北米ツアーをするか、横並びに3列の座席が 取れるほど大きなジャンボジェットが開発されて、600人の乗客と一緒に1時間も手荷物受取所で スーツケースを待たねばならないはめになったら引退すると決めていたそうです。この3つのうち 3つ目のジャンボジェットの開発が頭一つ分早く実現してしまったと書いています。 冗談も混じっているでしょうけど、スクワイアだけでなく本当に待たされるのが嫌いなんでしょうね・・・ 流れぶった切ってすいません MORAZ−BRUFORD 「FLAGS」 は良いですか?? かなり評判悪いんですが‥? 日本語でォヶ。自分で「かなり評判悪い」って書いてるじゃん 俺は嫌いじゃないけど。 ビルはいつもどおりのプレイしてるし。 サウンドは良くも悪くも「あの時代の音」 >>211 プログレファンじゃなく ブラッフォードファンに訊きたかったんじゃないか? ここのが信用度が高いという事か? BRUFORD そろそろ紙ジャケ再発しそうな気がするね?ぼったくりSHMでww 絶対買わないけど! フリップ翁も雄弁だけどブルッフォーさんもかなり雄弁なんだなー そこがイギリス人らしい所なんかなー >>210 ビルのドラムが好きなら文句なしで楽しめる。 BRUFORDバンドみたいな完成度は期待しないこと。 >>215 ビル曰くイギリスは世界でもっともリズミカルでない国だそうな。それはプロテスタントのせいで、彼らが現れるまでは イギリス人はもっとずっと陽気だったそうです。 あと、ビルはロイ・ヘインズに一目置いてますね。当時83なのに演奏すると40に見えた、バンド名も「若さの泉」とか 信じられん、ロイ・ヘインズすごいなあと。 >>172 自己レス。思いっきり18章の頭がタバコと禁煙の話じゃんorz 禁煙は悪魔を扱うようなもので苦労したそうです。今はタバコをすわないけど、 あの美味い香り、感触、手触りは相変わらず記憶に深く残っている、と。写真の記憶と ごっちゃになってました。 お酒の話題もたびたび出ているから、ビル先生それなりに飲めるんでしょうね。 ブルフォさんはヒッピー世代だけどドラッグには無関心だったんでしょうなぁ ドラッグではあのタイトでスウィングしないドラムは打ち出せないだろうし。 デビューから引退までなんつーかスクエアなドラムを貫いただけでも凄い。 異なる時期にイエスに関わった、ピーター・バンクスとエディ・オフォードの両者が 「イエスメンでドラッグをやらなかったのはビルだけだよ」って言ってるから、そうなんだろうなぁ ちなみにリックもドラッグ「だけは」手を出さなかったらしいw あれ?じゃあハウ師匠もドラッグやってたの? あんまりイメージじゃないなw BRUFORDの3rdが1番好きな俺は趣味悪いですか? 特にQEDが大好き あのギターの音色はホールズワースでしょ?! むしろハウ師匠はイエス以前にサイケ系のバンド出身だからね ジョン、クリス、スティーヴ、あとエディも一時期薬漬けですた ビルだけそういうモノには手を出さなかったんだよ リックはビルが居なくなった二年後のツアーで カレーに手を出して脱退w >>222 曲順が変わっていればもっと評価されていたと思う。俺も、1,2に並んで3rdも大好き。 エイジ・オブ・インフォメーションは今一なんだが、プランズフォーJDやジョー・フレイジャーは すばらしい。 意外とうまいバーリンのボーカルにびっくりだし 聴けば聴くほど3rdが大好きになる みんなホールズワースホールズワースうるさすぎる 誰も知らない で充分 "誰も知らない"ジョン・クラークは自伝でもビルにネタにされていますw 一つ目はビルが庭仕事をしていて腰を痛めたので、ねっころがって電話をしていたとき。 (思い出話で)「バーリンがベースで、俺がドラム、『誰も知らない』ジョン・クラークがギターだったね・・・ なんで『誰も知らない』なんてあだ名がついたかって?そりゃあ誰もそれまであいつの演奏を 聴いたことがなかったからだよ、あっはっは・・・」 2つ目はアラン・ホールズワースがスラウ(Slough)にいたジョン・クラークを自分の代わりとして推薦したこと。 以前にアラン自身がジョン・クラークに教えていたことがあったそうです。ちゃんと自伝ではバンド解散後に クリフ・リチャードのグループに移籍したこと、さらに移籍以来ずっと在籍していることが書いてあります。 ビル曰く、今日でもジョン・クラークは実在せず、アランの偽名だと思っている耳のあまり良くないやつらがいる、だそうです。 ちなみに庭いじりのところで、「ロッカーとしての適正に欠ける更なる証拠として 自分には薬物で体を壊すようなことのない恥知らずだった」、冗談めかしてと書いています。 本当に、ウェス・モンゴメリーやブラウニーのようにクリーンだったんでしょうね。 引退理由の一つである、加齢による身体能力の衰えを「年をとってジャズマンとしての能力を失いつつある」 と表現したように、常日頃コンディションの維持に気を使っていたのでしょう。 翻訳素晴らしい! アランがクラークを推薦したんですね >>226 >ビル曰く、今日でもジョン・クラークは実在せず、アランの偽名だと思っている耳のあまり良くないやつらがいる、だそうです。 昔アナログ盤の二枚組ブート手に入れた時 確かにホールズワースに似てる=似せてる って思ったけど スタイル、フレーズはそうなんだけど、本家程滑らかでなかったよ 日本の和田アキラもそうだけど コロコロ転がすような音は元祖とはやっぱ違うなぁと思った あとアーミングの表現で解る 〜トルネードアルバムの英語版wikipediaでもThe "Unknown" John Clark - Guitar (Contrary to the belief of many, John Clark is not actually Allan Holdsworth. He is now a long term player with Cliff Richards' band) "多くの人の信じるところと違って",manyとあるから、海外のファンで誤解している人がたくさんいるのかもね。 あるいはよくホーさんファンから質問を受けるとかで、釘を刺しておこうと思ったのかも。 もちろんこういう記述がある時点で海外でもわかってる人はいっぱいいるんだろうけどさ。 >>232 米国盤のほうが安いだろうからそっち買う ジョン・クラークはレスポールユーザーだよ LIVEのブートを聴いてもホールズワースに比べて音が太い 俺も3rd大好き ビルのサイン会でそのことをビルに言ったら 「僕もあのアルバムは好きだよ」と答えてくれた アラホーはアーミングをオリーハルソールに習ったらしい。 超ベタな質問で悪いんだけど、ビルさんのライブ・ドラム・ソロでお薦めの CDって何?ABWHのライブ聴いて超かっくいい!と感激した者です。 短いけど、クリムゾンのUSA、21世紀〜。 イエスソングスのパペチュアル・チェンジ、あとはアースワークス・アンダーグラウンド・ オーケストラとか? AWBHなら、もう持ってるかもしれないがこの公演。 http://www.dimeadozen.org/torrents-details.php?id=168616 >>236 アースワークスならスタンピンググラウンド >>236 渡辺香津美、ジェフバーリンのライブはCDになってなかったか。 それらってみんなドラム・ソロあるの? KCのインディシプリンはソロじゃないような? ABWHには確かにタダ者じゃないドラム・ソロがあった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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