自信がある人と自信がない人
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どのような仕組みでそのような差異ができていると思われますか? 自信をもちにくい人はいくら褒めても満足しない感じがする
理想が高過ぎるのか。競争心を持つところに物事のモチベーションや
生き甲斐があるように見える。常に現状に満足してはいけない
との観念を持っているかのようだ。 自信がねー奴は幼少期に自己肯定感を育まれて来なかった奴
土台が上手く作れてねーのに、それを起点とした人格が上手く作れるわけがねー
「俺は世界(親)に必要とされてない」と言う真理を心の奥底の土台として人格を作り上げてしまったわけだ
そもそも自信が芽吹く土壌ではない
いくら水をやっても、そのままはけてしまう 私は自信がある人ないと人の違いは自身を受け入れることが出来ているかいないかの違いだという答えを作りました
そう考える理由は自分で体験した経験を分析し判断した結果だからです
私はアダルトチルドレンでした、だから自分の中では大人でいなければいけないという想いが頭の中にあり
自分の中の子供である部分を受け入れることが出来なかった
そうして生きている自分は大人でいなければという想いで強がって、子供である自分が見える度に自己否定をしていた
そういった心理状況で大人振っているという虚勢だけの自信で、本心は全くもって自信のない人間として生きてました
けれど、とあるきっかけで私は自分がまだまだ子供であるということを認めることが出来ました
それによって自分の中に大人でなければならないという想いはなくなり自分の中の子供っぽい感情的な理論を正しいと言い切れるようになりました
公的に私の作った答えがどう判断されるかは心理学に興味しかなく学んだわけでもない素人の私にはわかりません
けど私的には私の作った「自身を受け入れることが出来ているかどうかが自信があるかどうかに繋がる」という論を
自信を持って正しいと言える
なので長文駄文としてここに自分の答えを書き込みました
学術的にこんな素人の感情意見は意味ないかもって思いながらでしゃばりました、やっぱり哲学板との板違いだったかなw >>165
そんな事は20代前半で誰でも卒業する事。
会議とかイベントとかで自分がみんなの前に立って話す3日前から胃がいたくなる
自信とは、自分が取り組む事柄に対して「できる」と思えていること。
迷うこと無くただ思えていること。たったこれだけの単純なことでは。
何故「できる」と思えているのか?
・今までにできなかったことがないから。
・今までにできない到達点を定めたことがないから。
・今までにできない事柄に取り組んだ事がないから。
・「簡単に」できていた・・・という体験があるから。
この「簡単」にという感覚が大切。割いている時間の多少は関係ない。
他人がどう判断していようが関係ない。仮に、未だできていなくとも
関係ない。自己暗示ではなく、正直に「簡単なんだよ、けどまだ」と
いう感覚。この「簡単」感覚の有無は自信の有無。
その神経運動が楽であること、楽しい間、楽しいことは自信の栄養素。
そして過去に、その結果が他より優越していた、というフィードバックを
得ていたこと。こんな簡単なことで、こんな簡単に・・と。できれば、
明確に優越が分かり得る事柄で。
自信のある優越者が、自分を知るために劣位者を必死になって探し優越感
に浸ることなど決してないから。それは自信のない優越者が好んですること。
自信のある優越者は、自分を優越する者か、ただ黙々と自信を育てている
劣位者を見る。これ自信のポンプ。
また、次元が同じである限り、包括的に捉えるメンタリティであるので、
できないことでも何ら自信に影響しない。故に、人間の原理原則である、
嫉妬が湧かない。同時に孤独を恐れるわけでもなく不快でも何でもない。
自信ある者に、自他に「本質的に不利益」となるような嫉妬心は湧かない、
と思う。具体と抽象が綿密、緊密なのかもしれない。
>自信とは、自分が取り組む事柄に対して「できる」と思えていること。
自分は全く逆に考えていました
自信の無さとは「できなかったらどうしよう」と結果に拘ること
「できてもできなくても自分が害なわれるものでなし」というのが
自分に対する自信だと思ってました 自分に自信を持つことは恥であり屈辱である
何故なら、この自分以外の自分でありたかったのに、よりによってこの自分に同意するなんて……
自我が芽生えた頃からこういう意識を持っていた 自身がない人はポークビッツ
自身がある人はフランクフルトをほおばります 人は記憶型と思考型に大別できる
記憶型は自信家
思考型は非自信家
記憶型、記憶する対象物は既に存在する
確たるものを憶え、それを使い行動する訳だからロスがない
確実性が高い
思考型、思考したからといって必ずしも新たな考えが浮かぶわけではない
ロスがある
更に考え出されたものが本当に使えるかどうか未知数
成功を重ねれば慢心しだすかもしれんが、なかなか自信家にはなれないね 自信が無いから記憶に頼るというのもあるんじゃないか?
特に過去の体験に縋るのは、自分の未来に自信が無いからだろう。
逆に自信家は既知の事実に飽きて、新しい体験をしたがるんじゃないか?
新しければ新しいほど「未知」となり、自分の頭で考えて行動するしかない。
逆に自分に自信が持てなければ、人の書いた本を便りに後ろから付いていくしかない。 自分に自信がなければ他人を手本にするしかないわけか
他人を羨んだり妬んだり忙しいわけだな 創造に自信が無い者はいない。
この自信がゼロの者は、もはやこの世に存在していない。
素材が素材としてのみに留まっている限り、自信以外、何もない。
自信以外の何ものもないのだから、自信の有無を知ることすらできず、
ただ創造への意思のみがある。これがこうであるとすると、こうなる。
やってみなけりゃわからない・・・
既知を通してのみ、根拠のある自信を強化することができる。
既知を通してのみ、創造することへの指向力、思考力が整えられる。
同時に、創造することへの信頼も“自動的”に増強されていくのでは。
既知に対して、未知に対して、不可知に対して・・・・・相補的に。
必ず創造はするのだから
初歩的な事ですが、遠い。自分とかけ離れている。釣り
あわない。などのものに関してそれを指摘された時に
腹立ちがあるのは、それに対し迅速に動けば実現することへの妨害なのか
ただ事実を延べられているが、後の努力で認められるか
しかし人はその場では大概がへこみ悔しい日々がある。
これはリアルタイムを把握する能力だと思う。個人により違うのか? 自信がある人:テストステロンが多く分泌されてる人
自信がない人:テストステロンの分泌が少ない人 >>23〜>>40を読んで思ったけど
>>176が正解だな
勘違い力 自信あるヤツはいない!と言える人は実は自信がやはり
ない。誰も自信はないというヤツはやはり自分もない。
自信があるヤツは多分アホな人だろうしかし自信がある。 自信がある人は他者と己をいちいち比べないイメージ
脳内で自分と他者を比べて、安心したり憤ったりする時間を己の鍛錬に使う
他者が気になって仕方ない人は、本当の意味では自信が無い
その気持ちが結果を出すこともあるけど、それは自信とは別の話
自信がある人は自己主張出来るし、同時に他者の主張も当たり前に聴くことが出来る
自信が無い人は全面的に他者に擦り寄るか、自己主張だけして他者の話は聞く耳持たない
自信無い人は、自分を否定されるのがとにかく怖いから。
そんなことが本に書いてあったな。
周り見てると確かにそんな感じ。 同じ事を二度聞く人は自信がある。一度しか聞かない人は
自信がない。 努力をしたかしてないかだな。
さらにその努力が社会的に
評価されているかどうか。 自信がない自分が変わった理由を書きます。
今までは人に良く思われたい、良い人間、素晴らしい人間になりたかった。
だから成功し褒められれば調子にのり、失敗し、貶されれば倍落ち込むという、
ジェットコースターの様な精神状態でした。
上がっただけ自分が恥ずかしくなり急降下するのです。
被害妄想も次第に強くなりました。
それは結局、他人の評価という自分の外の物差しで図ることの不安定さと
精神状態や自分の価値が比例しているということでした。
自信は良い事を数え、今の自分、ダメな部分を含めて、十分幸せだと思う
それ以外で自信を持つ事は不可能だと思います。
そこで初めてゼロになれました。
大きくプラスになる必要はなかったんです。
家族がいる、仲の良い友人がいる、健康である、なんでもいい。
それに気がついた時、自信はつきませんが、他人の評価に振り回されない
自分の、自分だけの物差しができました。
自分が出来ること、出来ないこと、なりたい人、なりたくない人。
そういった物差しで考える様になり、かなり生きやすくなりました。
孤独感も薄れました。 ・怒りの沸点が低い
・マイナスの感情に囚われ易い
・人に良く思われたい気持ちが強い
・自己嫌悪しやすく自己評価が低い
・調子にのりやすく天狗になりやすい
・バカにされる見下される事に恐怖感がある
・感情的になりやすい
以上が子供の時からの元来の性質でした。
もし似ている、と思う方の参考になれば幸いです。
変われたキッカケは恋人を見ていて、本当の自信とは何なのかを知り、
恋人のような人間になりたい、と思い真似していったら少しずつですが、
変わってきました。 恋人はゲゲゲの女房にでてくる、水木しげるの様な性格です。
水木しげるの様な才能はありませんが、
優しく、大らかで、謙虚で、ユーモアがあり、
穏やかで、全てを受け入れ受け流すことができ、全てに満足している人。
その性質の中で培った本当の自信を
見て、学んで、やっと私も少しずつですが変わる事ができました。
才能がなくても、容姿が悪くても、ここに居るんだ、いて良いのだという
自信の育つ土壌のような根っ子の部分です。
これはどんなに努力しても得る事が出来なかった事です。
ここから少しずつ努力して本当の自信を育ていける気がしています。 結局、自信のある人って愛し方も愛され方も知ってる人なんでしょうね。
>>189ーさんの恋人、恋人のご両親、ご兄弟、ご家族の関わりとか知りたいです。
僕の家族は結構悲惨でした。 >>190
愛し愛されというのはむつかしいことですね。
自分の両親も私の事を愛していると思います。
ただ、上手に愛された人はやはり上手に人を愛することが出来ることは、
間違いないでしょうね。
自分の両親は下手でしたし、自分も下手です。
恋人は早くに片親を亡くして、身近な人の死に慣れた環境で育ちました。
愛されることより、愛することに重きを置いている様な人です。
兄弟も恋人に似ている性格で、仲良く、しかし着かず離れずです。
依存せずお互いを尊重して大事にしています。
幸せな環境で育ったから、という事は一概に言えませんが、
そういう性質の人の遺伝子を受け継ぎそういう性質の人に囲まれ育った、
と言う事は言えます。
自分も同じ、ですが、やはり今の親の子どもで良かったと今は思えます。
恋人と同じ人間なら、恋人とこういう関係で出会えなかったかもしれないし。 あと、これは私見ですが、本当に悲惨な方、不幸しか数えるモノが無い方、
そういう方は自信云々で悩むことより、もっと深刻で切迫した大きな問題に
立ち向かわなくてはならないだろうと思います。
自信がない、という悩みはそういった問題に比べ、
自分の内面の問題ですから、ある程度余裕のある人が陥る悩みと思います。
悩み大小で言っているのではないです。
生きていて一つも良い事が無い
という事はないのではないかと思うのです。
ご飯が美味しく食べられる、犬が可愛い、など一つでも嬉しい、楽しいは
探せるだろうと思うのです。
水木しげるが言った言葉で、
「自分は生きてる人間には同情しないんです。
可哀想なのは生きたいのに戦争で死んだ人間です。
自分を可哀想だと思う事はくだらんことです。」
(最後はドラマの付けたしかも知れません。
戦争で地獄を見て、自暴自棄になった人に対しての言葉でした) これは、同じく地獄を見て、死にかけ、片腕を無くした人だから、
言える言葉であり、伝わる言葉です。
人の不幸と比較して自分の幸せを数えるなんて!と思われるかもしれません。
けれども不幸と比較してるのではありません。
今より一段階不幸になっても、そこで幸せを数えられれば幸せなのですから、
要は幸せ=充足は気の持ち様だと思うのです。
今の自分にとってもし恋人を失う事が一番恐れる事です。
が、それでもそれを受け入れ出会えて幸せだったと思える人もいます。
それはとてもとても強い人だと思います。
自分は到底そういった境地には至っていませんが、
そういう人になれたら、と思っています。
わかりませんが、恋人はそういう人なのだと思っています。
なんだか自信とは離れた話になってしまいすみません。
ですが、自分の価値を見出すという点においては
重要な事のように思ってしまうのです。 なんだか読み返して、引用が下手で上手く説明できてませんでした。
幸せ不幸せという言葉でちょっと言いたい事と外れてしまったようです。
失ったもの、得られなかったもの、無いものを数えることより、
あるもの、これから得られるかもしれないものを数える事の方が大事ではないか、
と言う事です。
それが自分あるがままを受け入れる一番の近道だと感じました。
勿論これだけで、自信がついたわけではありませんが、
本当に人に認められたい、良く理解されたいという欲求は減りました。
人を見る余裕さえでてきました。
その点で本当のプライドや自信を持つ事に近づいた気がしています。
長々演説の様な文章になってしまいすみません。 ご丁寧に…。
「幸せな家庭」というのが一概には説明出来ませんからね。
片親が不幸とも限らないし、貧乏が冷たい家庭とも言えませんよね。
うちの両親はかなり
「あれしちゃダメ」
「こうしなさい」
系の…中でもかなりハードで、しかもドロドロなスタイルでした(笑)。
また、何かお気づきエピがあったら教えてくださいね。
ありがとう。 >>195
うちもそこまでハードではないですが、親が癇癪持ちなのでモノを壊して大暴れ
したりというのはありました。
環境を恨むより、自分もこうなるのではないか、という恐怖が強かったです。
実際自分も癇癪があり、モノを壊したり暴れた時期もあったので。
幸せは何を持って幸せかは、仰る通り、主観で決まるのだと思います。
自分も今初めて自分は幸せだと大きな声で言える様になりました。
本来は身近に自分の恋人の様なお手本が居るのが一番の近道と思います。
(普通は親がお手本だから負は負の遺産として残ってしまうのだと思います。)
その人と仲良くなり、やり方や考え方を真似してみるのが良いと思います。
ここで私の思う、本当の自信家の見分け方を書きます。
簡単に優しい言葉を言わず、全て行動で示す人です。
自分をひけらかさず、押し付けず、常にフラットな人です。
全ての人や物事を優しい、楽しむ目線で見様とする人です。
自分の美徳を持ち、それを口に出さない人です。
高望みせず、けれど目の前の事に一生懸命になれる人です。
実際、一見対して魅力的に見えず、地味かもしれません。
けれども、自信があると話す人の中にはきっと自信が本当にある人は少なく、
本当の自信を持つ人は自信について考えた事も無いのではないでしょうか。
恋人は大人物でもなく、才能に恵まれてるわけでもありません。
でも、とてもとても幸せで自分を信じていると見ていて思います。
これらは皆、自分が恋人やその周囲見て感じ、学んだ事で、
恋人は一切この様な話はしません。
見て覚え、真似し、繰り返し学ぶ事が大事なのだと思います。
僭越ですが、少しでも、自分が憎く大嫌いだった昔の自分と同じに、
自信が持てず孤独感に苛まれている人に伝われば幸いです。 そして、こちらこそ読んでいただき、ありがとうございます。
環境は一長一短で変えられないので、大変だとは思います。
うちも>>195さんと同じく親は干渉が物凄く、コントロールしたがりました。
今となっては、その心境は自信のなさから起因するのではないか、とさえ思います。
自分を認めさせたい、そんな親のエゴが、何時の間にか子供の自分にも住み着き、
自信を持てない負のループに陥るのではないかと。
多分、他人がいくら褒めてくれても自信が持てない一つには、
親から祖先から代々繋げられた鎖の様なものがある様に思います。
実際自分が書いた気持ちの変化は、ネットのどこにでも書いてあることです。
けれども以前の自分には伝わりませんでした。
そんなに簡単に、言葉で、染み付いた目線や物差しは変えられないんですよね。
だから、見本になる人を探し、学び、盗み、真似する、
という事が一番肝心と思います。
友人でも恋人でも親戚でも関係なく、その人となるべく一緒に居る事です。
些細な一言が実際に行動している実体験を伴った経験として実感できるから、
伝わるし、学べるのだと思います。 簡単ですよ。動けば興奮して、根拠がないが、興奮状態
にあるという根拠(?)になるだけです。 上手い愛の伝え方かぁ(笑)うちは家族全員下手くそですわ。
>>196-さんの言うように、それは昨日今日に始まったモノじゃなさそうですね。
いろんな意味で、頑張れない親に育てられたら、そりゃ子供は不安ですよね。
日常的に不安に馴らされて、何かあると
「何事も自信を持ってやりなさい」とか言う方が酷なんでしょうね。
>>1
そんなもんは自分の仕事に自信がつけば自然とそうなるよ
それと並行して、高くなくてもいいが、一定レベルの充実感が必要だろうね
通常は仕事に自信がつけばヤル気もさらに出てくるし、多少の充実感はでてくる
そうなれば、いつの間にかに自信のある人物となっている
人と話をする時も、ちょっと説明しにくいが、
何かの物事に関する会話などでも、どちらかというと「言い切った」発言をする場合も多い
あくまでも、どちらかというとだけどね(中にはそれがキツイタイプもいるだろうけど)
そうすると、その(会話の)クセが強すぎるヤツは別だろうけど
あるていど自然ならば、女性にもモテるしモテるようになる
自信があるヤツとないヤツとの話の仕方、会話の仕方は明らかに違うからね
女性はそこらへんを敏感に感じ取る
まあ、同姓の男からみても全然違うけどね
ただ、仕事が出来るヤツ・仕事に自信があるヤツでも
経済的にどん底になれば、いくら能力がある人間でも自信を失くしてしまう
つまり、経済的にもある程度は平和でなければならない
これは別にお金持ちである必要はない
ただ、どん底はさすがに駄目だということ 当たり前だけどね
サラリーマンなら「できる」人間がその状態にまでは陥らないが
商売人の場合は、自信を持っていた人が急激に自信を失くしてしまう場合も多々ある 物事をある程度楽観的に見れるか見れないか
努力したりとか経験値があることは大前提だけど あまり追い込まれると原始的欲求に立ち返り
あまり知的欲求に向かないよ
ある程度問題提起したり
目標を持たせたら
熟成するまで見守る姿勢も身につけて欲しいと思う
やたら読書薦められて追い立てられるように読んでも
全然頭に入らんし楽しくない
楽しくなければ頭に入らんし何も思い浮かばないのだよ
要するに意味がないのだ
知ってる?子供の教育にアウトプットとインプットの他に
定着というのがあってね
すこーしぼっーとさせる時間が必要なんだよ
このぼっーとさせる時間持たせる親の子は天下取ると
俺は思う
俺にもそうしてくれ 1-424に補足
それら+実の母親に似たタイプのダメ女の陰追い求め続けるから
負のスパイラルになる
いい母親に育てられ愛された男って女見る目あるからさ
宝石鑑定士はなんせ幼い頃から本物だけ見せられて育つから
偽物見抜く目培うんだ
母親は例えば息子が連れてくる女は、それが無意識であるにせよ
通知表なわけだ・・・
ただ世の中ってそういう母性神話を女にだけ押し付けてきたけどさ
究極は、自分が楽しみ楽しく生きている姿を見せる事が最善であると思う
子供は
親見て思うんだって
「ああ、大人にはなりたくない」
「ああ、早く大人になりたい!」
親の後ろ姿は人生観そのものにも繋がるって所あるよね
だから母達
つまらぬ自己犠牲意識は捨て
快を選んで生きて良いのだ
そしてその“快”で得た幸福を
子らに還元していく
うむうむ。これでよし! 底辺でなにひとつ自分の思うがままにできない人間が自己欺瞞で幸せ感じるように訓練しても
底辺は底辺でしかないし、ヒエラルキーはこの社会にまごうことなく存在している
残酷な事実から目をそむけよかった探しして満足を得るのはただの惨めな敗北であり逃避じゃないかな 子供の頃なにやってもそつなくこなせて成績も優秀だったし自信もあったけど
そうすると人から妬まれて足をすくわれ距離をおかれ阻害されぼっちになる
失敗したほうが他の人と同じだから孤立しなくてすむからそうしていた
ダメな自分の失敗談で笑いをとるのが楽しかった
それが習い性になっていまではどう頑張っても成果を出せないダメな大人になった 違いに敏感か鈍感かそれだけだ。同じ状態の人間でも違う
反応や考え方をする。というのは鈍感か?数式化された
ような記号の羅列のようなものなら一見同じでも同じ
状態とはありえないのか?ならばパターンを絞るのが大事だ。 革命することによって自信がでてくるから
鈍感力で葬式は陽気で盛大なのかね? 創価,死ね
創価,死ね
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そうかタヒね
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●『YAP遺伝子』 日本人 真性ユダヤ キリスト アブラハム 直系血脈
時が満ちれば自動的に魂が覚醒する様にプログラムされた特殊な『YAP』を持つ遺伝子。
魂に目覚めて自らの使命である立場や役割を自覚して任務の遂行を目指して活動を開始する。
「YAP」遺伝子を持つ大和民族は、競争を嫌い、秘密を嫌い、殺生を嫌うという特殊な人間。
そして親切・勤勉・まじめ・自分を捨てて他人に尽くすという特徴を持つ。
人類を救える可能性のある日本人。 君が代のヘブライ語の意味は何を示す。
終末の世、日本人が、今、本当にすべき使命とはなにか?
勉強してるかじゃないかな、知識があれば周りも見えてくるだろうし 実ほど頭を垂れるようなのが自信家なんじゃないですか
虚栄を張って偉そうな人は傷つきやすいので褒めてあげた方がよいのかな 大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf 自信のある人=清濁合わせ飲める人
自信のない人=純粋に清を求めて濁に傷つき易い 負け組の大人には厳しい子供たち。
ホームレスを襲撃したり、近所の無職のおじさんに
変なあだ名をつけてバカにしてたり。
逆に勝ち組の大人には異常なほどの好奇心を示す。
その哲学、成功の秘訣、ピンチの切り抜け方・・・
それらを聞かせてくれと、子供たちはせがむ。
子供たちのゲンキンさには驚かされる・・・・ 自信のある人には特攻隊や前線向きだな
自信のない人は後方待機 自分の能力と置かれている状況が釣り合っていないと思えるから自信を失う。
自信がない人は、自信過剰なのでは。 面白いね。あなたそんなに期待されちゃいないよ、肩の力抜けよってとこかな 親の教育、躾のつもりで、押し付けられて何でもやらされ続けると自我が弱って自信を喪失してしまうと思う。
学習性無力感とか。
仕事に自信が持てないのも「やらされ感」で就業する為?
いつも、誰かにダメ出しされるイメージが染み着いてる。 自分に一番ダメ出ししてるのは自分自身なんだけどね。 いわゆる自意識過剰で、自らがいつも自己ジャッジを下しがちな人が
人のせいにもよくしたがる傾向があるというのは興味深い 私はよく人に真似されます。
髪型、髭、ファッション、持っている物全般・・・・・
この「真似」をしても平気でいられる人ってなんなんでしょうか。 世の中、誰かの真似しかないだろ?
自分は個性的だって言っても、量産された服に見慣れた髪型しかしてないし。 >>226
親は自分が正しいと思うモノを子供に押し付けてきます。それが親の役目です。
子供は、その押し付けに従うか反抗するかを選択すればいいのです。
ただ子供は、初めは親に全面的に依存していますから、押しつけられるままに従うしかないでしょう。
だから、親への依存からいかに抜け出すかという事が問題になると思います。 >>229
自分より自我が安定しているように見えるのでしょう。
人は自分より安定しているように見える人の自我をコピーして自分の自我をより安定させようとします。
服や髪形、持ち物までも真似るのは、自我のコピーの結果というか一環というか・・・です。
ですから、真似は自分の自我を安定させるためのモノですから、その時の当人にとっては必要不可欠なものでしょう。
平気とか平気でないとかの問題ではないと思います。
真似している事を認めないケースも多いかと思われます。 >>229
逆に聞きたい、あなたは真似される事を嫌っているようですがそれは何故ですか? >>230
そうだと思います。
自我は他者の自我のコピーですから。
その時々に、自分より安定していると見える他者の自我をコピーしてきた結果ですから。 http://rfi.a.la9.jp/sateweb/scurl/znple.html
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://www.karilun.com/img_shop/15/ss52_1368685958.jpg
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
弊社としましても今後メールでのやり取りを差し控えたく、浪速建設様
と同行の上でお会いさせていただきたい所存です。
http://rfi.a.la9.jp/sateweb/scurl/bd3ple.html 自信があると慢心してしまう場合がある。つまり訓練を
怠るという事だ。なので自信の根拠になっている部分の
細部について本人曰わく完璧でも第三者から粗が見える。
しかしながらチャレンジ時より下手になる事はない。だか
らしばし論争になる。 私の経験談
小さい頃、親は怒りはするけど褒めない人だった
そしたらいつだったか覚えてない位小さい頃から自信がなくて、自分は何も出来ないダメなやつだと思うようになってた
何も出来ないダメなやつ=何をやっても無理だ、と考えるようになって努力もしなくなる
むしろ努力してできなかった時に怒られることを考えて、それが怖いから努力しない
努力しないと何かを達成することがなくて、自分は何も出来ないダメなやつというのを確証してしまう
そして更に自信がなくなる
また努力しなくなる、という負のループになった 人を心のどこかで 見下してる部分があるのかもしれない
俺も そうしてるかもしれないって心当たりがある
そうは思いたくもないんだけれど 芸能人批判とか親がするんだけどさ 山本太郎が自分だったらみたいに考えたら
表出れなくなったww
そんでもって二カ月不登校wwwwwwww
おいらメンタル弱すぎわろたww 中革、革マル、民主青年同盟でもないのに山本太郎マンせーしてたのって
2000円札ハゲ製造なの? 有吉が今の言論界のスターであることは間違いない。これほどまでに
世間に影響力を持っているタレントは他にいない。ツイッターの
フォロワー数をみれば、そこいらの奴らとはくらべものにならない
ことがよくわかる。結局、タレントじゃなきゃ話にならない。 1、自信がある人→先のことが考えられないアホ・思い込み野郎
2、自信がない人→スレでうるさい奴・Mr.ネガティブ栗原・1が嫌いな奴 自信ない人ってのは自己肯定感が低いんだよ。ほとんど同じ意味かもしれないけど。
努力による成功体験がほとんどないから、努力しても無駄だと思ったり
幼少時代、親からほとんど褒められたことがなかったり、両親からの愛情不足だったり。それプラス良い人間関係、友人関係に恵まれなかったりで
他人に素の自分を認められたことがない人
そういう人はほとんど自己肯定感がないから、自分の本音を押し潰して生きてきたから、作り上げた自分と素の自分がごっちゃになって曖昧な人間=自信のない人間が出来上がっちゃってる 自信がある人と自信がない人は紙一重だよ。
自信とは2種類あってひとつは俗に言う踊らされている状態での奢り高ぶり、もう一つはしっかりとした基軸の上で頂点に立った際のささやかな自信。
後者の人間なら時に不安になることも当然ある。いつだって強気な人間が自信がある状態というわけではないと思うんだ。
だから強い人っていうのは自信家が多い。弱い人でも自信を持てるかというと妥協といわざるを得ないために今のところ世の中にはそういう上下関係の元にある自信しかないと俺は思ったな。 恐怖や不安を感じない人間が自信家なんだよ。
これはセロトニンなんだよ。
これが多いといい。
>自信とは2種類あってひとつは俗に言う踊らされている状態での奢り高ぶり、もう一つはしっかりとした基軸の上で頂点に立った際のささやかな自信。
これは違うよ。自信とは根拠のない自信。根拠が無いから何があっても
落ち込まない。 >>249は単に理系的な解釈であるだけ。
恐怖不安因子の塊でありながら、傲慢の塊みたいな俺みたいなのも実際的にいる。
根拠のない万能感と、ほんの少しのストレスで落ち込む耐性のなさが
常に同居していたんだよ。
だからいつも自己矛盾していて自信があるのかないのかわからなくなってた。 芝浦工大の千葉正之の父親は会社クビになったことあるんだって(笑)どんだけ無能なんだよ(笑) 要するに 夢中 か ストップしているかの差。動いてりゃ
根拠のない自信はあるはず。能力のパロメーターより
単なる自己暗示。 >>216
人に嫌われてること結構察知するほうなんだが自信ないわwww
言ってることよくわかる ネット版のホストみたいなの発見。
イケメンなら稼げるんだろうけど。
話が上手けりゃ稼げるかな。
誰かレポ頼む。
メンガでググると出てくる。 自信のあるないって結局の所諦めだとおもうんだよ
自信の無い人間は世の中や社会を過大解釈し杉
人間も社会も下らないゴミ、どんな人間でも頭を潰されれば生ゴミ。人が生きていることに意味はない。
事にそう考えていればあれコレ悩むのもバカらしくなる。
そりゃ、状況判断能力が壊れてる自信のある人間もいるのだろうが 宗教から心理学、人生問題まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は『妙とは蘇生の義なり』です。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ たぶん脳内物質の分泌量で決まると思う
快楽物質が出やすい人は自信が出やすい
快楽物質が出にくい人は自信が出にくい
そうなると遺伝的な要素が強い気がする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています