>>39
まず仲介には感謝する。

別にいじめているつもりもないし喧嘩をするつもりもない。
議論するのであれば、客観的前提に基づき提唱された仮説を反証したいだけだ。
循環論もそうだが自由意志やカオス理論を持ち出されても決定論に基づいた議論などできない。

私が興味があるのは、彼が個別事象を認めるか否かを聞いた上で、
客観的前提に沿って、彼が提唱した仮説を立証できるかという点である。
前出の発言を次々に言葉を変えられてもカテゴリ錯誤を繰り返すだけなので、
ここに彼の主張を明示したいと思う。

「他者否定しないと自己肯定できない人は自信がない人」
「努力が嫌いだからてっっとりばやく自分を保つために他人を攻撃する」
「その時その時にやるべきことをやればいいのにやらない」
「他人を批判するより自分に原因があると認め努力した方が幸せに近づく」
「無駄な回り道をしておまけに友達を失うと」
「自信がある人は努力家」
「自信がない人は自信がない恐怖にとらわれるばかりで努力を嫌う」

また前提として、
「肯定とは今ある自分は自分の決定によるものだと認めること 」
「自分を肯定するには自分が全てを決定していると自覚すること」
これらは彼の主義主張であり、彼の主観としては尊重はするが、
客観的前提とは認められない。(反証しだすと自由意志の是非に及ぶことになる)

さらに、仮説を提示したのは彼であるから立証責任は彼にあり、
立証根拠が示された後に反証責任が発生するという議論の基本ルールに沿う。

最後に、上に明示した彼の主張は否定的批判記述であると読解している。
「他者を否定しても自己肯定はできない」と彼は述べているが、
それでは彼の理論展開自体が論理矛盾であるというのが私の印象だ。