ところで先ほど精神病患者の変化という話をしましたが、精神分析に来る患者も時代ととも
にずいぶん変わっています。フロイトでも初期に診ていたヒステリー患者と、晩年に診ていた
患者とではその間に大きな変化があります。しかし、全般的に言えるのは、フロイトの時代と
比べて、今は患者がみずからの生を物語る能力がなくなってきている、ということです。この
ような現象も病理の軽症化と何らかの関係があるのかもしれません。フロイトの患者たちは
物語る能力に長けています。そして、その語りが、患者が秘めた病理に向かって収束されて
いきます。一方で、現代の患者たちは−−ヒステリー患者は貴重な例外です−−みずから
の生を散漫とした形で、明確な歴史もエピソードも作ることなく生きているように思えます。そ
ういう患者たちの語りは、病理の所在がはっきりせず、また語りが病理の核心に向かうことが
ない。こういう患者側の変化も精神分析の衰退の一つの要因になっているように思えます。
つまり、生が希薄化、断片化していて、しかもそれらが言葉によって歴史化されていないた
め、言葉を治療手段とする分析治療が鋭角的な手ごたえをもったものとして機能しない。も
ちろん分析家の側にも責任はあるでしょう。分析家は、患者の側の変化を敏感に感じ取るこ
となく、いまだに硬直した理論で分析行為を行っています。患者の生のあり方が変わってき
たなら、それに即して分析家は新しい臨床を始めていくべきなのです。それがほとんどなさ
れていないのが現状なのです。
http://kitarubekiseishinbun.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11