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普通は、認知に対する認知ができるようになれば、迷いはなくなる、という方向で説明されます。
哲学的に言えば、心理には志向性というものがあって、この志向性が働くと、例えば「あの野郎のせいで」という感情が実際の恨みとなって客観的世界にも届いてしまいます。
自分の感情の乱れは本人にとってはまさに否定できない現実だからです。

感情はそれ自体で増幅して行く性質をもつことがあります。そのせいで恨みがさらなる恨みを生んだりします。
例えば、あいつに対する恨みのせいで仕事が手につかなくて怒られた、とか。
そこで感情をメタ認知するのです。感情自体の発生を出来事として客観的視点から見ることができれば、
志向性を遮断できる、などと説明されます。

さて、あなたの場合ですが、自分をキャラクター化して認知してもかまわないと思います。
ただ、たとえば本能的に動かなければならない場面では意識化が苦痛になることはあります。
たとえば「歩く」という自然な動作をする時に、まず右足を出して、次に左足を出して、というように
認知したりすると鬱にもなるのはわかります。

ですが、あなたの場合、自分のマイナスイメージを連想してしまうとあります。これはメタ認知が原因とも思えません。
なぜなら、メタ認知する癖のない人でも自己嫌悪やマイナスイメージは抱くものだし、そこから離れられなくなることは
あるからです。
ところが、あなたはマイナスイメージがメタ認知のせいだと思っています。そこは考えたほうがいいと思いますよ。

さて対策ですが、メタ認知を否定してはならないと思います。上にあげた「歩く」場面での症状とは違うようなので。
むしろ、メタ認知ができるのなら、マイナスイメージを抱いた感情をさらにメタ認知すべきでしょう。そこはメタ認知してないんですよね。
「今自分をいやだと思った。自分の心の中に自分を嫌う部分がある」というように、出来事として認知します。
ただし、マイナスイメージを否定してはなりません。こたえてもなりません。否定は反発を生み、かえって増幅させてしまうからです。
認知に対する認知によって、マイナス感情を連想としてでなく、単なる出来事と捉えるようになれば、連想は止まります。