ユングを語る 【夢、無意識、元型】
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最近私の夢にアニムスが出てくるんですが、アニムスを夢に登場させている
のはアニムス自身の意思なんですか?
それとも、私自身の無意識が無意識自身の思惑で私にアニムスの夢を見させ
ているんでしょうか。
ユング心理学では夢って何のために(あるいはなぜ)見るんでしょうか。
(アニムスの夢だけではなく)人が夢というものを見る原因について
ユング心理学では何か学説などあるのでしょうか? >>102
3行目が正解だろうと思う
で、後半の質問については、たいていの夢は補償のために見る。
補償とは、あなた自身の現実の意識に足りていない何かがあって、
それに気づいて欲しいって無意識が思ってるってこと。
つまりあなたの無意識が、そのアニムスがあなたに足りない何かを補ってくれるから、
そのアニムスが登場する夢を作ったってわけ。
ってのがユング心理学の見解だと思ってる。 >>103
お返事ありがとうございます。
無意識というものは私(自我)とは独立した思考をする能力があるのですね。
思考能力があるのは自我とか健在意識だけかと思ってました。
人間は自分で自覚できる思考以外にも色々思考してるというか・・・ >>103
お返事ありがとうございます。
ではアニムス自身が独自の思考や意志や人格を持っているわけではなく、
あくまでも無意識がアニムスといういわばパペットを使った夢を私に
見させている感じでしょうか。
無意識というものは私(自我)とは独立した思考をする能力があるのですかね。
思考能力があるのは自我とか健在意識だけかと思ってました。
人間は自分で自覚できる思考以外にも色々思考してるというか・・・ 横からすみません。
私もお伺いしたいのですが、では悪夢を見た場合というのも補償にあたると考えるのであれば、
どのように解釈できますかね?
悪夢を見るのは悪いことではない、というようによく言われますが。 >無意識というものは私(自我)とは独立した思考をする能力があるのですかね。
そうなのでしょうね。今までに見てきた夢を覚えていられない、というのも独立しているゆえに
一種の解離のようなものがおきているんだろうな、と自分は考えたりしています。
シャドーが表出する場合なんていうのも無意識の力によるものでしょうね。
例えば、酔っぱらって人格が変わるような人の場合も、意識的なものではないでしょうからね。 >>104>>105
意識と無意識はまったく別の思考をすることはあります。
意識が片寄ったり間違った見方をしてたり、あるいは不足しているものがあると
無意識が夢を見させて補正・補給を促すんですね。
無意識の思考の傾向としては、生命の充実・人類や生物への慈しみがあります
そういうのが不足してたり、あるいは例えばそのアニムスから何か学ぶべきものがあったりすると、
補償の夢を見るわけですね
で、私は大抵は補償、と言いましたがその例外もあるんです
無意識とは一人の人で閉じてなく、他の人とつながってます
(あまりにもオカルトすぎると感じられるかもしれないですが。)
例えばAさんがBさんに会いたいと心の底から思ったとします
すると、Bさんの夢にAさんが出たりするんです
あなたの夢もそうかもしれませんが、まぁあなたの現実と夢の内容次第ってところです。
夢の解釈をしてみると面白いですよ >>106
悪夢を見るというのはやはり直すべき何かがあなたの意識にあるということであって、
きちんと解釈すれば、直すべきものが見つかってより良い自分になれるのですから悪いことではないですよね。
でも、悪夢を見るのはたいていは意識と無意識がうまくかみ合ってないということで、
そういう状態はアンラッキーなことを引き寄せてしまう場合もあるので
そういう意味では悪夢を見たらなるべくはやく解釈して現実を改めると良いかと思います やっぱりユングって面白いわ。
なんとなく漠然とながらも思っていた自分の心理というものを、
そのものズバリ直感的に説明してくれているというか。
頭にすんなり入ってくる。
自分にはユングが向いているのかもしれない。 ユングのタイプ論で言うなら、内向直感型で内向思考も高いタイプの人に向いているでしょうね。 まだ心理学を信じてるキチガイがいるんだ
こーゆうキチのチンコを舐めるブスがいるからどーしようもないなw >>108
ありがとうございます(実はこの過疎スレで意外に早く返事が来て非常に助かってます)。
なるほど。無意識というものはそういうことになってるんですね。
では「投影(同一視)」という現象も無意識の思惑や計画が働いているのでしょか。
それともあれは思惑や計画とかいったものではなく自然に
そうなってしまうような、いわば条件反射的な現象なのでしょうか? 投影などに限らず防衛機制は多くの場合、無意識からの発生ですね
意識的な逃避や言い訳、ゴマカシは別として 投影同一視なんか自覚するのは普通の人にとっては並大抵のことじゃないと思うよ
たいていコンプレックスが隠れてるものだからね、自分が逃げていることだとか、無意識に卑怯なことを
やってしまっていたとか、誰もが目を背けようとしたくなることを認めるのは容易じゃないよね 誰かゆうちょ銀行口座番号0661670、店名868、普通預金へ少しでいいので援助お願いします! >>113
私としてもユングに関することを人に話すのはまれなので楽しんでますよ。
で、無意識の計画、とまで言うと表現が強すぎると感じますね
精神の主体は無意識にあるように思えて。
投影も結論から言えば無意識の指向性が関わっていると思います
投影というと一般的にフロイト説をとって自我の防衛という風になっていますが私は違うと考えます
例えば投影をしてむしょうに腹が立って、どうしようもなくなり何らかのトラブルに発展しますが
これが本当に自我を守っているでしょうか。そうではなく、自己の発展のための
創造的破壊を促す行為が投影だと思います。
私は投影を行っている人物の夢を2度診ましたが、投影自体を完全に否定した形の夢でした
嫌なことを意識外に忘れさせても(抑圧)、無意識が自己の発展のために
夢や投影によって外に表現するというところじゃないでしょうか >114
ありがとうございます。やはり無意識ですか・・・
>>117
ありがとうございます。自分の中の嫌な部分を他人に投影し不快になる
のは自分を発展させるために自分を不快にさせてる原因(自分の中の嫌な部分)
の自覚を無意識が自我に促しているんでしょうか。
まるで、体内で発生させてしまった(体内に入れてしまった)毒素を
吐き出そうとして(なおかつ毒素の存在を自覚させ生活習慣や食べ物
の選び方を改めさせるべく)不快な症状が現れるようなイメージをしました。
>精神の主体は無意識にあるように思えて。
精神の主体ってどこにあるのでしょうか? >>118
精神は意識と無意識のコンビネーションなんじゃないかと思ってます
どちらが主か従かというより。意識でしか出来ないことがあり
無意識でしか出来ないことがあるのですから。 >>108
>無意識の思考の傾向としては、生命の充実・人類や生物への慈しみがあります
これだいじなところをついてますね
すばらしい指摘だと思います
今の世の中、ストレス社会と言われて久しいですが、経済主義に偏り日々の労働に追われる毎日を
送る人達が心に問題を抱えがちになるのも、ここにカギがあると自分は見ています
意識が上述の無意識の要求に逆らわざるを得ないような世の中の流れ・価値観になっていますよね
いわゆるメンヘラの人達への支援においてもこのことは重要な着眼点であると思いますが、
現状ではこういう認識が軽視されているように思えてなりませんね
いろいろな心理療法がありますが、この指摘に関するようなことにはあまり触れられませんものね
「生命の充実・人類や生物への慈しみ」を悟り、育てていくことこそが心の健康において大事ですよね
それを悟るためには、「直感力」を伸ばしていけるようなアプローチが重要になってくるでしょう
ユング的視点は、日常で失われがちなその「直感」を大いに引き出してくれるので、そういうところも
私にとっては魅力です
私は般若心経にも関心がありますが、その世界観にも通じるところがありますね >>117
意識の指向性と無意識の指向性の矛盾が心の病を見る上での幹ではないかと考えます
例えば認知行動療法などはその点において無意識の傾向を軽んじているように思えて私は懐疑的です >>123
いや、122は、本の名前。
ただ、その理論は、実際には、使えるかどうか疑問だろ。
社会生活を営む以上、大なり小なり、だれでもそういうことはあるし、
今のネットの時代には、効率よく処理できるので、以前よりは、
問題ではなくなっているのでは?
どちらかというと、そんなことを人に話している間に
問題そのものを解決できてしまうほど、ネット時代の情報は早くないか?
もちろん、この場合の「解決」というのは、「目処をつける」程度の意味だが。 ユング入門書といわれる河合隼雄氏の著作のことですね。
未読なので、どのような理論なのかわからないです、ごめんなさい。
>その理論は、実際には、使えるかどうか疑問だろ。
>社会生活を営む以上、大なり小なり、だれでもそういうことはあるし
「その理論」「そういうこと」が何を指しているのかちょっとわかりかねるのですが、まあ
「それで良し」と出来る方は、もちろんそれで良いと思いますよ。 >>120>>121
意識と無意識のねじれが心の病を生むというのは間違いないですね。
ユングの視点で現代社会を見ると様々な問題が見えてくる、
現代社会あるいは個人への処方箋を作るのにユングは大変有効なツールのひとつになるでしょう。
しかし、ユングには分かり難い部分も多いのでそれを整理改良しなければならないとも思ってます
夢の解釈はもっとわかりやすくし、元型論やマンダラなどは私は捨てていいと思ってます >>119
なるほど。
それぞれは精神の一部分にすぎず、各領域(担当部署みたいなもの?)が
連携し合わないと精神は精神たりえない(精神の体をなさない)感じですかね。
>>121
認知行動療法というものはあいにく存じませんが
心、という一つの生き物は決して意識だけでも無意識
だけでもない、それぞれの部署が複合的に連携しあわさって
成り立っているんでしょうね
特定の内臓や器官だけをさして「人間」とは呼ばないように。全パーツが
そろわないと人の姿として生物として成立しないように・・・
私(健在意識・自我)も無意識も、「心」という一体の生物
を構成する内臓や器官の一つに過ぎないもので、決して主体ではない。
全てが合わさることで初めて精神(主体)たりえる・・・
ユング心理学でいわゆる「心の全体性」というのはそういうことですか。 >>127
意識や無意識を〜〜に過ぎないなどと言われるのは違和感がありますね。
というのも例えば無意識が作る夢とは意識に対するメッセージを暗示した芸術作品であり
意識と無意識が共に、自分の、あるいは時に他人の命をも輝かせるものです
あるいは心の浄化、カタルシスと言ってもいいでしょう
また、意識のほうも無意識と一緒に自分を磨く努力をすることによって、ますます無意識もそれに応えていきます
そのような関係なので、私はコンビネーションと表現したのです
つまるところ、意識と無意識の関係を語るときその底流に生命の躍動感を置かなければ語れないのです
あなたの理解にそれがあるのか?と思ったのです >>128
意識と無意識の関係がとるに足らないものだという
ニュアンスで書いたつもりはありません。
むしろ両者のコンビネーションこそが生命の躍動感ともいえる輝き
を生み出すのだと思ってます。
そしてその輝きは、両者がそろわなければ発生せず、決して
どちらか片方だけではなしえない。
ある意味精神の主体はそういった心の各部分が絶妙に連携した
コンビネーションに宿るのかもしれないと思いました。 >>129
それならばよかったです
大事なところでしたのでつい言い過ぎました、ごめんなさい。 >むしろ両者のコンビネーションこそが生命の躍動感ともいえる輝き
>を生み出すのだと思ってます。
こういう大言壮語的かつ抽象的なものいいをする奴はダメ
学術的な議論になってない
観測できる事実だけを書いたほうが、よほど興味を引けるよ >>131
心理を語る上で唯物的に偏り、観念的・感情的な視点を欠いているのは修業が
まだ足りないですね
ユングを批判したり、観念論を軽視する方達に共通していえる特徴ですが、あなたの視点は
心理と云うもののほんの一側面しか見えていない状態です
学術的に実証されてきた事例も、元は観念論的視点で発見され、そこから検証されて
いくものですよね
ユング的に言うならば、あなたは外向思考・感覚に偏り内向直感・感情が劣等機能
となっていることを自覚されていないでしょう
直感・感情は質の良い親子関係、人間関係や恋愛において育まれるものです
物語や人のやさしさなどに心揺さぶられ感動できるというのも感情的・直感的な才能です
あなたはそういう点において、苦手意識を持ってはいませんか?
女心を理解することが難しく感じられませんか?
そういう方にこそ、ユング的視点は盲点や弱点を補えるヒントをもたらしてくれるものです >>131
その辺を言葉で説明できたらその人は偉大ですよ
体験した人にはわかると思いますが、体験してない人に説明するのは至難の技です >>132
良いこといいますね
特に唯物論的な姿勢を補正しようとするあたり大いに同感です オカルト馬鹿のフリして楽しい?
それともマジもんかなww 知りもしないもんにケチつける奴をバカっていうんだよ ユングを理解するにはセンスがないと
野暮な奴には無理 しかしこのスレに来るくらいだから興味はあるんだろう
無意識的に >>140
↑
キミ!キミだよ!そうキミ! そんな時間にカキコしてるということは無職非国民だね?このスレはそういう輩の巣
つまり…
児童福祉法違反で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
この過疎スレのキミたちはちょっとは社会のために役にたつ気はないのかな?
視野が狭いね、このスレはw
ったく…ええ? >>126
原型論やマンダラを捨てて良いとは思わないが、一旦は別物として切り離して考えた方が混乱はしないだろうね。 原型論も曼荼羅も捨てないでー
これがあったから救われた ユングみたいな人間的要素が切り捨てられるような社会
であるかぎり、ユングは人々を惹きつけ続けるだろうね。
人間には癒やしが必要だ。
社会がユングを公認するときがあったら、
そのときはユングは空気みたいな存在になり、
ユングの名前は不要になるかもしれないが。 民主社会は世界を一新させるくらいの産業を発達させたことによって
結果的に唯物論を促進させる働きをしてしまったと思う
精神的な自己実現を考えず物質的豊かさによって幸福になるんだとか、
人間は動物の一種にすぎないだとか、金は貴いとか、
多くの人がそういう考えに染まってしまった。
でもそれは、魂との分裂にすぎなかった。
ユングの潜在的需要は相当なものだろうね >>142>>143
なんか、元型論やマンダラがなくても夢の解釈が出来るからそう思ったんだよね
元型論が無いとだめだってものを見たことが無い・・・
もちろんユングは元型論を用いる夢は相当な危機に陥っているような人の夢だって
言っているのは知っているつもりだけど 夢で原型を見たんじゃなくて意識があるのに見えたんだよ。
その時はマジで人間辞めなきゃいけないのかと思った。
本当に気が狂ってしまうかと思った。
たまたまその時に原型論を知って救われた。
なんとか壊れずにやってこれた。
そういう人間もいるから役に立つとか絶たないとかで無くさないでほしいんだ。 >>147
すごい体験ですね。自分はそこまでの危機を体験したことがなかったんで、
まだまだ甘かったようです。他の人が元型はあると言う以上、一方的に捨てるのは誠実ではないですね >>147
興味深そうなので差し支えなかったら詳しくきいてみたいです >>147
自分はマンダラの方だった。
内容を人に話したくない気持ち、分かる気がする。 >>152
そう思うのが普通だと自分でも分かっている。
だから言えなくなる。 例えば元型的な体験を説明しようと思えば二つの困難がある
まず自分の現実の状況から説明しなければならない
他人に自分の精神的危機を語るのは簡単じゃない。
もう一つは夢や幻像の解釈はこれまた表現が自由奔放というか
ぱっと見わけがわからないことで簡単に誤解を招いてしまうということ、
それとユングの言う「傷ついた医者にしか癒せない」の言葉通り、
その人以上に辛い体験をしていなければその人の心はわからない
元型体験を話しづらいというのはそういうことではないだろうか >>154
そうですね。
自分はマンダラでしたが
先ず、理解出来る知識を持っている相手でないとオカルトか統合失調症の類で片付けられてしまう。
それから154さんが仰る様に、その体験に至るまでの説明と、自分の体験した内容を誤解が無い様に相手へ伝える事が困難ですね。 河合隼雄さんはユングの紹介以上に河合心理学、河合社会学が良かった
縦糸横糸なんてまるで政策集 幻覚や幻聴は無意識が作り出したもの
ということだろう
タイトルは思い出せないがエロゲーで
そういうセリフがあったと思う 証明されてない「無意識」とやらを前提にしてる
そういうの詭弁っていうの 自然科学以外の学問は、証明されてない用語も普通に使うがな。 無意識を体感するにはある種の精神が必要なんだよね
オルテガの言う「大衆人」とは逆の精神が必要
ここでいう大衆人とは労働者のことではない
人生と世界に対して誠実でない人のことである 言葉だけの存在だったら、なおさら非論理的なのはダメだろバーカ 誰にでも無意識がある
わからない人は意識的に気づかないようにしているのだ
では内臓は意識的に動かしているのか
夢は意識的に見ているのか
無意識がそうしているのだ
これでも不足かな 「無意識がある」という前提が論点先取りなんだよな。
オッカムのカミソリで切り落としていい部分だ。 やっぱり論点先取で循環してるから論理的にダメだし
自律神経系のことを無意識と混同してるようだし、精神分析学ってそういうんじゃないよね?
合ってるところが一つもないのに、自分じゃ賢いつもりなんだろーなー 自律神経と無意識は関係が密接なのだが証明しろといわれても難しいよ
夢のほうはどうなんだ?無意識を認めないなら夢はどういう仕組みで見てるんだ >>165-166
だからそれはあくまでおまえの世界のルール
そのルールが通用しない世界もある 科学は目に見えないものに対しては盲目だからなあ
意思の力、心、魂、無意識、神…
これらを科学で証明するのは不可能だ
でもこれらを抜きにした生は、欺瞞だ 夢?それがどうしたんだろうか
じゃあ現を見るのは?どういう仕組で見てるんだ?
夢を見るのは無意識で、現を見るのはそうじゃないわけ?
何を根拠に言ってるんだか、さっぱりわかんねーんだけど ミミズだってオケラだってクロンボだって内蔵ぐらいあるけど「無意識」が搭載されてるなんて論は聞いたことがない
そんな言葉は何の説明にもなってないしね 現で見たいと思ったものを意識的にみてるじゃないか
2chに書き込みしたいから意識して画面を見てる
夢を意識的にはみれないでしょうに?
内臓と無意識の関係はだね、例えば胃潰瘍とか。
意識では仕事しなきゃいけないと思ってる
でも、意識に反して体が不調になる
意識に反してるのは何でしょう
それとね、じゃあ心はあなたはあると思うかないと思うか? そういう風に言葉をあいまいにこねくりまわしても、結局なんにも
出てこないと思うけどなぁ。 だって物質でもないし数字にも表せないししょうがないじゃん
その人の学問に対する誠実な態度に期待するしかないよ
2chの書き込みだけじゃなくて世界の偉人が無意識があるって言ってるんだから
そこは一定の検討をしてみるのが科学的態度ってもんじゃないの
174さんは172とか165とか書き込んでた人? 無意識というのはそれで何でも説明できる、宗教の神や仏と同じって事でいいのでは?
宗教だって預言者が神を信じ神学もあるし、その伝統を重んじる共同体があるのであれば
それに準ずるものがあってもおかしくない。反証可能性がないので科学ではないが、別に
それだって共同体が心の支えになっているのであれば問題ない。 それは妥協と後退だよ
無意識は既存の宗教や科学を塗り替える可能性を秘めているのだから。
というか176のもったいぶった態度自体にいかがわしさを感じるわけよ
科学ってそんな態度でいいのか?あたかも位階をありがたがってる開拓武士みたいじゃないか
そうじゃなくて、新しい世界を構築しようとする進歩的姿勢が学問の本質だろうに ちょっと、何言ってんのか分かんないすー
とりあえず「無意識」がどうたらって説はまっとうな学問じゃないよ
そんな証明不可能な言葉だけのものでなんでも説明した気になっちゃうのは馬鹿のやること
バーカバーカ 「内臓が動くのは無意識」とか言っちゃう程度の馬鹿だしね
あ、動かなくなるのも無意識なんだっけ?
もうデタラメすぎてわかんねーっす お前らユングを語れてねえじゃん
そもそもユングを知らねえんだから語る以前の問題だな まあ、これだけユングが気になってやつが
いるうちは、ユングも安泰だな
それだけ無視できない存在感があるわけだ >>178
どう罵倒してくれてもいいですよ
人から笑われなければ本当の道ではないということです
歴史を御覧なさい 軽蔑されている連中がどれほど新しい時代を作ってきたか
それとあなたはちょっと神経症的じゃないですか
なんでわざわざ無意識がないとかユングスレに攻撃しに来るんです?
もしかしてあなた自身の心を抑圧しているからじゃないかと思っているんですがいかがですか
あなたは自分の心に誠実ですか?生命の躍動感を日ごろ感じてますか?
そうでなければ、このスレの言い争いどころじゃない運命的な事件を引き起こしますよ 出産適齢期過ぎてるし生命の躍動感とか言われても・・・ スレで無意識を否定していた人の背後にはもっと大きなものがある
それは科学の結果だけを相続して偉くなったつもりで満足している
甘えきったお坊ちゃんという世界的な、特に先進国に顕著な道徳的頽廃です
しかしそれは無意識の傾向と逆なのです >>186
子供に期待するより、自分に期待ですよ
>>183
生命の躍動感ねえ、生きる喜びなど無縁の生活だ 現代は肉体的な困難は昔と比べてずっと取り去られてしまいました
いつのまにか、楽をすればいいんだというような考えまではびこってきました
苦境を打開した喜び、自らの志を達成した喜びも、忘れがちになってしまったのです
そして、打開と達成の連続という生物と人類の歴史から疎外されてしまったのです
これが、生命の躍動とは逆の、空しさの正体でしょう
150年前のある有力な本はこう証言しています。「民主国では自殺と精神病が増えるだろう」
また、補償の夢を考えてみてください。補償の夢とはつまり、現状の打開・改良を暗示します
これが無意識の傾向の一つです。現代人の楽な暮らし、楽しようという傾向は
無意識の傾向と反します。現代人は、2重3重にも空しさにとり囲まれているのです >>191
つまらなかったらあなたが去ればいいだけなのでは
おもしろくしたかったら、自分からおもしろい話題を提供するとか
自らこのスレにしがみついてて、つまらないと言う理由がわからん これが現代の大衆人の傾向なのです。冷笑主義で、唯物主義で。 >>189
今帰った。自分的には面白い話だが、考えさせる内容だ。
民主国で自殺と精神病が増えるという話は知らなかった。
政治制度と心理の関係って面白そうだね。
国家権力が強いところでは、自殺は犯罪みたいなものだから、うっかり自殺もできないということなのかと。 補償の夢というのは、損失補償か何かで、金で支払うか、人的補償のことだ。
心理学的には、よい心理になる要素として、賠償金をもらうとか、恋人ができるとかだろう。
精神的損害や、心の傷の穴埋めに、デリヘルや風俗で、辛いときでも一瞬でも生命の躍動が感じられるのかもしれない。
民主国になる以前は、身売りを強いられる女性は多かったわけで、笑ってはいられない話である。 ユングの邦訳本で“補償”と言ってるんで私も使いましたが
補償って単語がなんかピンと来ませんよね
なんかお金の補償がすぐ思い浮かんで。
どういう意図でこういう訳語にしたのかと。原語もわからないんですけど。
“補正”のほうが直感的にわかるような気がします いいんだよ。補償でw
辛い辛い人生を歩んで、その補償にソープに行くんだ。
きっと生命の躍動は素晴らしいだろう。
ただ、行ったことのある奴らの話では、何度も何度も行くことになるらしいんだ。
埋めることが出来ないほど奴らの心の闇は深いようだ。 そう、妻子持ちのこの俺も、工場のラインの仕事と援助交際の収入で
生計を立てている20代女性の1DKアパートに10年間通い詰めだった。
毎週のように抱いてやって涙を拭いてやっていたが、実家暮らしならば
彼女があそこまで金に執着することはなかっただろう。 まったく197さんは仕方ない人ですね
生が萎縮している現代人の典型的パターンです
記憶がおぼろげですが明恵上人の本で女を買おうとした男の夢が載ってました
それは、グロテスクな交接の模様で、男は女を買うのをやめました
無意識の傾向は…格調の高さを求めるんです
意識が無用な欲望にまみれているとき、訂正を暗示します 物事を意識的に受け取ってそれに反応して表現しているものには
無意識的な表現も付け加わっているから、それを自覚して
バランスを取ればいいという話、だけなのでは? >>198
それってお前は客の一人ってことじゃねーかよ ユングはカルト宗教みたいで面白いけど
心理学として人生を預けて見るには手堅さに欠ける感じもする。
ユングに限らないけども、物事で、面白さと手堅さの
バランスを取るのが難しいなぁ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています