ユングを語る 【夢、無意識、元型】
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自他の区別が明確であればこそ自意識が育つという前提で。(補足) 机の上の空 大沼安史の個人新聞
電磁波拷問・スローキル(Slow Kill)攻撃を許さない!
NSA(米国家安全保障局)の女性内部告発者が不当解雇後、集ストに遭い、それにも負けずに戦い始めたところ、こんどは「電磁波照射」による「拷問・スローキル」被害に遭う!
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/09/slow-kill-1dc2.html
電磁波拷問・スローキル(Slow Kill)攻撃を許さない!
2015年11月になってようやく、電磁波(指向性エネルギー)照射という「人道に対する恐るべき犯罪」に、自らの体験を通して気づく!
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/09/slow-kill-603f.html
DEW(指向性エネルギー照射装置)による電磁波照射攻撃(スロー・キル)を許してはならない!
DEWによる報復照射を受けているNSA(米国家安全保障局)の元言語スペシャリスト、カレン・スチュアートさんがツイッターで被害報告!
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/09/post-fe1a.html
DEW(指向性エネルギー照射装置)による電磁波照射攻撃(スロー・キル)を許してはならない!
DEWによる報復照射を受けているNSA(米国家安全保障局)の元言語スペシャリスト、カレン・スチュアートさんがツイッターで同時進行被害報告!
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/10/wdew-2d3c.html
集団ストーカーによるDEW照射攻撃に、日本ではなぜ宗教カルト系組織が使われているのか?
NSAによるDEW(指向性エネルギー兵器)攻撃に曝されれている内部告発者、カレン・スチュアートさんによると、彼女の地元の「インフラガード(InfraGard)」(米連邦政府自警団)が集スト照射の実戦部隊として使われているという
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/10/infragard-10a2.html
電磁波照射・拷問攻撃を許さない!
米海軍士官学校(アナポリス)の卒業生(制御システム工学で学位取得)、デイヴィッド・ヴォートさんが、「DEW(指向性エネルギー兵器)」による電磁波拷問の脅威・現実を訴え、米国を横断ウオーク!
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/11/post-cc21.html
電磁波照射兵器の実験・演習・使用を、許してはならない
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2016/11/post-e223.html >>535
権力の中心すらあるのか疑わしいですね
河合隼雄さんがその事について言及してたとおもう
場の倫理だったかな?うろ覚えですが >>538
欧米人からすると、日本では知識人が明確な社会階層をなしておらず
点在して社会に組み込まれているのが不思議に感じられるのだそうですね。 >>540
日本では権力の所在ってどこか分かりにくいですよね 豊洲問題とかそうですね
結局だれがいつどういう経緯で決めたのか謎のまま ユングのオススメ本を教えてください
本人でも関連本でもおkです 自我と無意識、分析心理学
どっちもユングの中では読みやすい
河合隼雄のユング心理学入門
味が薄まってる感じがあるがかなり読みやすい 日本は〜とか言っちゃうニセ外人の言うことは全部デタラメ >>544
自我と無意識いま読んでますよ
難しいですがペルソナは比較的理解しやすいのでペルソナを切り口にすると理解し安いですね アニマの役割が今ひとつ分からなかったのですが、はペルソナに対する無意識からの補償なのだと考えると理解しやすかったです その理解の仕方は直観的に同意できる
しかしユングがアニマの誘惑などと言って悪い面を言ったりする部分はいまいち理解出来なかったな
個人的にはアニマとの統一は苦しいけれども本質的に楽しいと感じることばかりだ >>550
時代によると思いますよ
フロイトの性愛理論が、当時なかなか受け入れられなかった時代ですからね
ユングやフロイトの生きた当時のヨーロッパは、性的なものがタブー視(抑圧)されていた時代ですから、意識にとって性的なものはなかなか受け入れがたいものだったのでしょう マレーネ・デートリヒの「嘆きの天使」という、すっごく古い映画があるのですが、ペルソナとアニマと、その間で揺れ動く自我の三者の関係をみごとに描いた佳作です
どうしても本だとアニマを理論的に、知的に理解しようとしがちですが、そもそもアニマの本質は感情や情緒(ムード)にあるので、
それらを知るのには、知性に訴える本よりも感情に訴える映画のほうがよいと思います この板ではMBTIが流行っているようだけど
このスレの人たちとしてはMBTI,どう見てます? あんまりよく知らんけど表層だけで議論してる感じ
人間の「こころ」は補償(ホメオスタシス)の性質があるので意識の態度は必ず無意識に補償される
無意識の態度を、無意識が意識にどう関わってくるのかをわかってないと本来のユングのタイプ論の趣旨を外れてしまうような気がする
もちろんスレのことで、MBTIの本質は深いのだろうけど MBTIのタイプとして特定されているのはその人の最も優位な
パーソナリティであって、実際には様々な文脈や状況で、
より多くのタイプをペルソナとして使い分けているのだと思いますね。 自己啓発ビジネスなのでは
商標登録されているし学問の範疇ではない
それにタイプ論では個性化が最重要概念であると思うが、その点にあまり触れられていないのでは
さらに判断型 (J) 、知覚型 (P)については各機能とは別次元の特性だと思う 病名にすりよって誘導したいように文章かいてくるって
洗脳じゃん!! 逆に言うと、科学なので、総合知としては断片的に解釈されがちで、
個人の心を扱う体系としては、危ういという風にも言えるかと。 MBTIは雇用側にとって有意義なんであって
自分で自分を知りたい人向けじゃないねえ >>559
同意する
科学的に捉えたペルソナは死物だろうな 自我と無意識を読んでいるのですが、「自我もコンプレックスの一つであり、他のコンプレックスも、自我同様に意識を持っている」とういう記述に出くわして、とても信じるられなかったんですが、
最近脳科学ですが「分離脳」の本を読んで、断絶した左右の脳がそれぞれ別の意識を持つということを知ってかなり驚きました
脳もこころもまだまだ謎が多いんでしょうね 自我と無意識を読んで気がついたことをもう一つ。
しばしば、それは実在するのか?で、ユング=オカルトの原因となっている「元型」ですが、
ユングが言っているのは、元型とはあくまで「我々に共通する無意識」であり、「共有している」のではないということですね。
「共有している」と理解してしまうと、「自分の考えたことが瞬時にテレパシーみたいに相手に伝わる」といったような、まさにオカルト的な感じを持ってしまいます。(実際、自分もそうでした)
ユングは「元型とはこころの働きであり、人間の脳の構造が共通しているなら、その働きも
共通しているはずだ」と、至極常識的合理的でまっとうな事を言っているのにちょっと驚きました。
ユングってまともな人じゃんと思いました(笑) ユングと脳科学を一対一で対応させるのもちょっと違うと思う
いちいちそういう言い訳を用意しないと受けれいられない
というのなら、無理してユングに近づかなくてもいいのでは?
そんな面倒な手続きを得るくらいなら、最初から脳科学の
知識だけあればいいじゃんってことになるし
現代人の悪い癖ですね >>566
単なる思弁ではなく科学である以上、こころが対象とはいえ実証性を求めるのは自然なことだと思うんですけどね
まあ自我と無意識を読んで見てください
ユング本人が脳について言及してるんですけど ユングは当時、科学にしたかったらしいけど、
ユングは現代の定義では明らかに自然科学ではないけどね
ユングが当時脳を語っていたとしても、
現代の脳科学とはまったく違う意味だろう
”心理学”ではあっても、”科学”ではないってこと
ユングの扱っている領域は、実証なんて出来ないよ もちろんユングと脳科学には共通点もあるだろう。
けれど、重なる部分はかなり限られている。
ユングならユングだけに基づいて理解しようとしたほうがいい。
文系的な古典みたいなものと理解したほうがいい。 ユングは心的事実と言っているね
俺も最近やっとこの言葉で納得出来るようになってきた
ただ、まだ他人にうまく説明できない 脳、意識、知性、科学
心、無意識、直観、道徳
この二つのグループは全然別の系統 >>568
心的な体験が、物質である脳の構造からどのように生じるか説明がつかないことは知っていますよ
よくいわれるハードプロブレム問題ですね
僕も脳の構造から心的な体験が説明できるとは思っていません
ユングも人類は脳の構造が一緒だから心的な体験も一緒だろう程度の推測思います
しかし、心と脳が全然無関係とは思えません。
心的な体験と客観的事実はなにかしらシンクロしているのではと思えてならないんです ちと前の話題に戻ってしまうが禅に関しての東洋人と西洋人の意識の違い、
あれから少々の本を読んだがオイゲン ヘリゲルの日本の弓術という本が至極わかりやすがった 禅(鈴木大拙)とユングの出会いから上の話に脱線したのだが、
肝心要の禅とユングの共通点はやはり両者ともあまり語ってないようなのが残念だ
共通点としては、意識を捨てるということ(無意識)、危機的体験による悟り(ユングの用語では元型体験ではあるまいか?)、神経症の治癒効果などがあると思う
両者とも、言葉は違うが本質が似ているように思う >>572
最後の行だが、心と脳のシンクロはあるだろう
そのシンクロがずれると神経症になったりする
そういう意味で言ってないかもしれないが きゃりーぱみゅぱみゅ - CANDY CANDY
https://www.youtube.com/watch?v=UoK8DaJRDaM
このPVに出てくるきゃりーの分身のような不気味な男ダンサーはユングで言う「シャドウ」では? >>538
山本七平の空気の研究とか私の中の日本軍とか一連の著作を
読むと日本が分かってくるぞ。
あとものぐさ精神分析の岸田も鋭く日本を分析してる。いろいろ為になった。 >>533
きちんと正しく申告すればokだ。
ちみがいけないんだよ。自分のやっていることのよしあしが
分かっていない。よしあしの判断を他人に預けてしまった
事が最大の問題。何がよしあしかわからないなら法律どうりにする、。 >>523
インド人
?わしら2000年前からもっと深く研究してたよ〜〜命がけでW >>520
日本も空を悟れば西洋と変わらんぞ。
一神教の一は血統と関係してる自己が生まれる以前に自己は
何処にいたのか?更にその親はどこにいたのか、その親はとどんどん
時間軸を遡ると行き着く先はどこか?そこが頂点でそこに一成る
GODを見るが。空はそこは文字通りからで空は欠如ということだから
欠如からいろいろと発生して現在の様相になってきたと見るので
一神教の理屈もわかるよ。 >>517
>>518
意識って知によって宇宙すべてを理解しようとする意志のことだろ。
しかしこの知によってすべてを理解支配しようとする事は破綻する
何故なら知の領域が広がれば更に広がった先端の無知の部分が
どんどん増えていくのは当然で知れば知るほど知らないわからないことが
増えていく、現在の学問がどんどん細分化されてるのはそういうわけ。
エイヤット!知の領域を超えてしまった釈尊とか仏教者はすごいと思う。
言語を超えて直接自然を見る体験をすれば学問ってあほらしくなるぞ。 確か、ユングは分裂病でフロイドは神経症でそれを治す
目的で研究したとか聞いたが今流行のアドラーはなんだろ?
コンプレックス病を治すためなのかな? >>585
意識と無意識は相対的ですから私達東洋人にとっては一神教が無意識だということですね
私たち東洋人が多神教的な意識の態度から無意識の底へ向かって降りていくと一神教的なモノにたどり着くのでしょう
それを私たち祖先は空と名付けたのかもしれません 「生きる意味や価値を考え始めると、我々は、気がおかしくなってしまう。生きる意味など、存在しないのだから。」フロイド >>439
富士山とエベレストは同じである
どちらも地球の一部で当然繋がってる他の
すべての山も海も川も繋がってる、その一部を見て
名づけてるだけで人の便利の為だけの話。
無意識が人類共通なのは当たり前といえば
当たり前、生物として誕生以来の経験なんて
すべての生物が経験してることだろ。
それが遺伝子に記憶されてなんとか生きる為に
環境に応じて少しずつ遺伝子内容を変えて
生き延びた。人の遺伝子には植物の遺伝子も
あるし当然蛇と共通の遺伝子もある、さるとか
殆ど同じだしほんの少しの違いが今の違いを
産み出してる。
人は空気を吸い空気を吐き出し、水を飲み水を
排出し植物を食べてそれらを排出して生きてる。
植物も空気を吸い水を吸い光を吸収して酸素を
だして成長しすべての動物に食べ物を供給してる。 >>588
もっと物理的なものだよ。意識とかもっと後だよ。
物理的に考える必要がある。
自分が胎内の卵細胞であった時代から今日までが自我意識を
作るがそれ以前の親が卵細胞の時代更に祖父母が卵細胞の
時代と物質的に遡るんだよ。
結論を言えばそんな遥か以前の事は今に影響してるが
何がどうなっていたかはわかりようがないの。
人類共通の無意識はあるのは確か、仏教では阿頼耶識と
呼んでるがこれにアクセスして意識化できればすごい力が
沸いてくるんだが。 >>587
アドラーとそれに近い人間性心理学は、フロイトやユングの精神分析学が病的な心理ばかりを対象としたことへの批判から生まれた、
正常な健常者のための心理学という位置づけだと思います アドラー心理学は精神分析とは違い、意識の視点をより重視していることから認知行動療法とも近いと思います
フロイトやユングの立場をざっくり言うと、「意識的行動は常に無意識の影響を受けていて、
意識的行動を変えるには無意識の願望を知り、それを意識に統合していくことで意識行動を変えていく」という立場ですが、
アドラーや認知行動療法では、無意識の願望といったもの、つまり、私には私が知らない無意識の願望があるとは想定しません。
ゆえに、カウンセリングや夢分析によって無意識の願望は何であるかと探ったりするような事をせず、
パターン化されて意識的な訓練や思考によって変えていくという立場です。
無意識を探ったりせず常に意識の立場を保っているので、
一人でできるということがアドラー心理学の強みではないでしょうか。 人間性心理学… 自己実現、自己超越とか言ってどうしょうもない先生だったな
取り巻きを除いて周囲は軽蔑していた 無意識にはある一貫した目的性があるんだよなあ
これは体験した人にしかわからないのかもしれないが >>595に書き足し
ユングがなぜ東洋の思想に惹かれていったかということにも関係している
東洋の思想は意識を捨て、無意識の望むものを見出そうとする傾向がある
仏教、易経、老子、陽明学、などがそう
ユングも何かしら無意識に傾向があることは掴んでたから東洋思想とは親和性があった 昔どこかで童話の赤ずきんを
フロイト風ユング風にそれぞれ解説した話が面白かった
フロイトはやたら性的に走ってたような気が フロイト、アドラー、ユングの違いを考えているのですがざっくり言うと
フロイト=自然科学的
アドラー=倫理的
ユング=宗教的
ではないかと考えています。
フロイトは自らの理論に原因論を採用し、心の動きを力動的(因果律的)に理解しようとしていました。
アドラーとユングは人間の意志を尊重して、心を目的論的に理解しようとしましたが、アドラーにおいては意志を制約するものは
なにも存在せず、私達の意志は完全に自由であると考えます。
一方ユングは、私達を超える超越的な存在(元型)を認め(※あくまで「心的な事実」としての存在であり、「物理的な事実」としてではありません)、
われわれの意志は望む望まないにかかわらず、超越的な存在から制約をうけていると考えています。 人間に自由意志があるのかどうか。
生物に自由な意志があるのかどうかと
同じことだけど、遺伝的に制約を受けている以上
完全な自由意志は無いだろと思う。
遺伝子や細胞が持つ意志の方向へと
人は誘導されるのではないかな。
無意識は自由だと言っても方向はあるだろ。 >>607
ユングはそれを元型と呼びましたね
身体においての遺伝子とこころにおいての元型
元型とはまさしく意識の方向性を決める「遺伝子」のようなものですね 遺伝子の方向性というと、利己的な遺伝子を連想してしまうなw
たた、無意識の方向性はあるね
しかしそれが細胞や遺伝子が主体と言われると違和感を感じる
ユング自身、無意識の主体は魂、あるいは心だと著書で示唆しているじゃないか?
おれはユングに同意するね
しかし元型という概念は完璧ではない感じがある
ベルクソンの創造的進化、この説は元型論を補完するのにいけそうだと思ってる >>609
心も魂も形而上的で実際は脳にあると考えられる
さらに現代科学は脳だけで考えてるのは無く全身の
細胞が考えてるふしがあるとの見解もある。 >>610
それには同意できないな
確かに心がどこにあるか物的証拠は提出できない
しかし例えば悲しいことがあって心が痛むとき、頭を抱えるのと胸に手を当てるのとどちらが自然だ? 問題は脳にあるといったところで、それ以上、何も言っていない
ことにならないか、ということだよ
脳の用語だけで心を語るのは限界がある
だったら、自分の心に問うほうが、より心を理解できるということ
他人の脳より自分の心のほうが近いし理解しやすい 心を言い出すと論争が絶えない。
自我論になるからである。
悲しいとかうれしいの感情はどのようにして誕生したのかになるから。 >>613
論争になるから心を考えてはいけないというようなルールはない
人それぞれ違うからこそ面白い
自分は自分で、自分の直感に近い心理学を選べばいいだけ
ここの連中にはそれがユングだったというだけだ そもそもこころとはなんぞやと言うのが心理学だろうしな 心はなんぞやで止まって、人生終わってしまったら意味がない
心について真正面から探求して、成長してこそ意味がある 心の探求30年して心なんて探求するほどの値打ちはないと分かった。 ユング心理学は学術的な理論としては素晴らしいと思うんですが、生活の実践としてはどうでしょう?アドラー心理学のように毎日の生活の場面でこう考えようといった、具体的な生活の指針と言ったものかあれば教えてください >>618
「生きる意味や価値を考え始めると、我々は、気がおかしくなってしまう。生きる意味など、存在しないのだから。」フロイド こういうお手軽に名言をありがたそうに持ち出すのもなぁ
別にフロイトの言葉が絶対ではないし >>619
自分のありかたを変えずに探求してただけだからだよ
読書するだけじゃ変わらなくて当然 >>621
まずはやはり夢の解釈によって自分の意識を整えることが出来ることだな
あるいは意識でまったく考えていなかった新しいアイディアを示唆してくれることもある
つまり寝ている時間の無意識の活動を無駄にしないことにより効率があがるわけだ
次に、起きているときにもやはり無意識も活動しているわけで、
何かふとイメージが思い浮かんだとか、そういう無意識の活動を解釈することで役に立つ。
また、イライラしたときは、投影ではないかと疑うことで無駄な争いごとを避けることが出来る割合が増える
このようにして、なるべく自己との一致、自己の陶冶を心がけることをより効率よく出来るのが自分にとってのユング心理学の恩恵かな >>607
これ、まったく逆だと思う
無意識との一致が、生命の躍動や自由を感じさせるんだな
無意識との不一致が神経症や精神描写をおこしてしまうとユングは言っているが、
逆に一致状態は精神が溌剌としてくる >>625
夢の解釈は個人では難しいと思います
元型的な夢はそれが何を示しているのか専門の臨床家ではないと指摘できないと思うので
投影に関しては大賛成です
投影だと気づくだけでも投影の相手を客観的に見ることができ(または見ようと努力する)、認知バイアスを避けることで無益な争いを回避できるでしょう >>627
夢の専門家の長たるユングの本を読んでも素人は夢の解釈が難しいとなると、
ユングの理論に欠陥があるか、難解だということだと思いますね
私はユングの理論をもっと平易に説明しようと挑戦してます
逆に私はアドラーをよく知らないのでアドラー的な日常の実践事項をよければ教えてください >>628
アドラー心理学で、まずはじめに出てくるのが「課題の分離」ですね
たとえば職場で「上司が部下である自分を分かってくれない!」とイライラしているとします
まず、この場合の課題は何かを考え、その課題は誰の課題であるかを考えます
この例では、「部下を理解する」が課題であり、課題の当事者は当然上司です
つまり、この課題は上司の課題なのです
私ではなく上司の課題であるので、最終的に部下を理解するのは上司です
究極的には自分にはどうすることもできません
自分ではどうすることもできないので、そもそも考えても意味が無いことです
こう考えれば、無駄なことにわざわざ気を煩わされる必要はありません
こうして上司に煩わされていた心のエネルギーを自分に振り分けることができ
では自分にはどこまでのことができるか?を考える余裕も生まれてきます
長くなりましたがこれが「課題の分離」の考え方です
かなり強力な思考ツールだとおもます
なによりも即効性がありますし、意識で理解できます
無意識を引っ張り出す必要もありません
さて問題はユングですね
ユング心理学に「課題の分離」に匹敵するような思考ツールはあるでしょうか? >>628
ユングはいろんな著書で「こころを探求するのも、またこころである」と書いています
つまり、観察する側もされる側も同一であり、
臨床家はそのことを常に肝に銘じておかねばならないとも言っています
そのために無意識の探求に携わるものは必ず訓練の為に教育分析、臨床家自信が必ず分析を受けなければならない
と主張します
私達が臨床家になるつもりはなくとも、自分の夢の解釈を自らしようとするならば、一度は心理カウンセリングを受ける必要があると思います >>632
まさに自分はそう思っているんです
「課題の分離」とは一種の防衛機制ではないかと考えます ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています