ユングを語る 【夢、無意識、元型】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【青戸6丁目住民一同の告発】
秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大氏は、明らかに冤罪
http://youtu.be/gj0X2qLNbUg >>645
どうして𠮟るか褒めるかの二者択一なの?
別に𠮟る時は𠮟り褒める時は褒めればいいし、それが普通でしょ
ユング心理学だと普遍と個(個別性)の両方に着目していく方法をとるので
あなたの質問はただナンセンスなだけでしかないね >>650
最新流行のマインドフルネスも遡ればユングの瞑想法ですよねー ユングなんか当時から相手にされてない
バーカバーカ >>654
当時から相手にされてない?
じゃあその具体的な証拠を挙げてみろよ
心理学史を少しは学んでから来い マインドフルネス(瞑想法)が今注目されてますね
やっと時代がユングに追いついた感じです 「嫌われる勇気」ってのが有名だけど、なんとなく言い回しが好きじゃない。
「他人に嫌われる勇気」って、
「自分を好きになる勇気」とほぼ同じ意味だと思うんだが、(両方とも自信を持とう、と言ってる点について)
前者は他人を前提としているのに対し、
後者は自分自身がどうあるか?という部分にフォーカスが当たってるように思う。
それでなんとなくだけど、
ユング心理学なら「自分を好きになる勇気」のほうを採用しそうな感じがする。
本来、自信を持つのに他人の目なんて重要じゃないと思うんだよね。 と言っても本のタイトルにする以上
ある程度のセンセーショナルさが重要になるから、
「嫌われる勇気」のほうが良いのかも知れんけど。
「好きになる勇気」なんて、ありきたりで陳腐さすら感じるもんね。
俺はそっちのほうが好きだけど。 >>658
「嫌われる勇気」とは「承認欲求の否定」を含んでるんですよね
他人の期待に応えられなくて嫌われても気にしない
「我々は他人の期待に応えるために生きているのではない」というのが前提です
「自分を好きになる勇気」だと、「他人の期待に応えることで自己肯定感を得る=好きになる」事を否定出来ないので
「嫌われる勇気」の本来の趣旨から外れてしまうと思います 「(自分を)好きになる勇気」も自己肯定感を高めるという意味で良いと思いますが、
前に書いたように他者の期待に応えている自分を好きになっている可能性もあり、
それは結局他者依存となり、アドラーでなくてもユングもそれを認めるとは思えません
自分はユングが「勇気」という言葉をあえて使うなら、
「(自分を)信じる勇気」にすると思います
ユングは「すべての人には生きようとする意志があり、その意志がその人に
正しいものを選択させると信じている」と言っていますから 食わず嫌いより好き嫌いの勇気ともいえんしな
。栄養学でもやるか。 >>660
658だけど
確かに「好きになる勇気」という言葉では、
語弊というか、意味の受け取り方に幅が生まれやすいね
>他人の期待に答えることで自己肯定感を得る
これは俺が本来想定していた意味とは異なるけど、こういう受け取り方もできると思う。
それに対し「信じる勇気」は「好きになる勇気」に比べれば、
他者依存度とでも言おうか、そういうニュアンスがより少ないように感じられる。
少なくとも自分が本来想定していた意味の
「他人を前提としない自分自身を好きになる勇気を持とう」
という内容を正確に反映している度合いでいうなら、こちらのほうに軍配が上がるね。
そういうわけで「信じる勇気」のほうが適切だと思うし、俺もこの表現は気に入ったわ とはいえ、結局どんな言葉を用いていても、
「それは他者前提である」とこじつけることも出来なくはない、と思うが(どこまでいっても自己と他者を切り離すことは出来ないし)
これを言い出すと本来の趣旨からは逸れていきそうな感じ…
とにかく「嫌われる勇気」は、他者を前提としている度合いが強く
「信じる勇気」は他者を前提としている度合いが低いから、後者の表現のほうが俺は好きということダナ >>665
自分もそこに引っかかるんですよね
アドラー心理学の最終的なゴールは「共同体感覚」だということなんですが、結局のところ「他者貢献」なんですよね
「他人の期待を満たすために生きているのではない」と言っておきながら最終的には「他者貢献」・・・
しかも「感覚」てなに?って思ったら実際に貢献してる、してないは関係なく貢献している「感覚」を持つことが大事らしいです
それって結局独善的にならないのかなあと思うんですがね・・ 要は「嫌われる勇気」とは内向型性格の存在の全面肯定・全面支持みたいなもんだろう
内向型の人の場合、人格としての自我が常に外向性(=他者前提)によって脅かされてるわけだし。
承認欲求とか他者依存というのも、未発達で未熟な外向性の自律的発現なわけだしね
内向型の一定数の人々にとっては自我確立の課題に取り組む上で、確かにアドラーは役立つと思うよ >>666
まあ独善的だよね
ただ自己啓発本(商品)として売り出す以上仕方ないのかなとも思う。
やっぱり、自信を持つための根拠を、自分以外に置くのはとても楽だからね。
根本的な解決にはならないかもしれないが、その場しのぎにはなるし実用面ではとても優れている。
一方で、責任の所在を自分に置くのはつらい。
「自信を持てないのは、お前が自分を信じられないのが悪い」って
自己啓発本買ってまで言われたくないでしょうし。 ・「嫌われる勇気」によって獲得した自信は、他人が前提。
・「信じる勇気」によって得た自信は、自分が前提。
→他人を前提とした自信ってのは、すなわち客観性を持った自信だから、根拠がある。
それに対し、自分を前提とした自信は、まあ根拠が無いよね。
客観的事実、たとえば100億円持ってるから自信があるやつと、
今現在0円しか持っていないけど自信があるやつ。
前者のほうは楽で実用的、即効性もあるけど、根本的な解決にはなってない。
後者の方は難しいけど、根本的な解決にはなる。
本として売れるのは「嫌われる勇気」、でも根本的な解決ができるのは「信じる勇気」。
大事なのは、この2つを状況に応じて使い分けることなのかな、という気がする。 >>669
そうですね
ユングは私達の「こころ」にはホメオスタシスという、意識があまりにも一方に偏りすぎた時に
無意識によって補償される自己調整機能があると言っていますね
そういう意味で「自分を信じる」とは他者に頼らなくとも、
生きていく上で正しい決断ができる、自分自身に自分の間違いを正す能力が有るんだと信じることだと思います 統合失調症は霊の憑依に因るところが大きいから皆さん治せると思うよ。
萩原玄明さんという人も霊と精神病の関係について本を出してるから。あと、
集団ストーカーで事例として出てくる謎の話し声も霊の悪戯。そういう時は
小周天の丹田呼吸法なんかを覚えれば霊の体力を奪うことも可能だよ。
身体の不調は霊が身体に覆い被さってることが原因だから。
霊界の一つの階層でもあるアストラル界っていうところは
自殺や事故で亡くなって成仏しずらくなっている人達がいる場所だから、
その階層の人達から目をつけられると憂鬱な気分にもなるんだよね。
その地縛霊さん達がいる場所って云うのが、
丁度、私達人間の下腹部でもあって地上でまだ生きている人達の
気分の上下次第では、その人達ともすぐに繋がってしまうものだから。
楽しいことがあったり、がっかりするようなことがあると、
どのような誘惑に弱いのか、その人の性格を見抜かれてしまい、
気分の上下から足が洗えないように見張るようになるんだよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/thisman/
死んでしまったら、旨い飯も食えなくなるしさ。
旨いものばっかりだから日本に生まれて幸せだよ。 アドラー心理学は心理学ではないと言われる所以は、
アドラーの関心が「こころとは何か」より「どう生きるか」にあった点にあると思う。
アドラーはこころで「何が起きているか(事実)」を明らかにするという科学の枠を超えて、
「何をなすべきか(当為)」という哲学の領域に踏み込んでいる。
フロイトは晩年アドラーが離れていったことに対して「アドラーの離反は損失ではない。
かれはもともと精神分析家ではなかった。」※と言っているが、それを裏付けている。
一方、ユングは「こころの働き」を解明することに注力し、科学者としての心理学者の立場に踏みとどまった。
ユングは常にクライアントのこころの中で一体何が起きているのかに注目した。
故に以外に思えるが、ユングはこころで何が起こっているかを説いたが、どう生きるべきかを説いてはいない。
私たちは自分の心の働きを知った上で、どう生きていくかは各人がそれぞれ自分自身で決断していくことだという立場を取った。
(ユング「『そうではない、こう考えるべきです』と言えば患者の勇気を奪うことになる。」
「人生において、全ての人間に適した処方箋などない」)
※ちなみにフロイトはユングに対しては「ユングを失ったことは大きな損失であった。」と嘆いたという。 フロイトは昨日、アドラーは今日、ユングは明日を求めてる
アドラーはその場限りの解決策
巡り巡って自分や、社会全体に何が起こるかまでは考慮しない
ユングは今解決出来なくても
長期的に良い方に転がるような方法を取っている でもユング心理学は、自分が生きてるうちに
自分自身が幸せになれない可能性も秘めている… >>676
英語ではどちらもLifeですが、アドラーは「生活」の心理学、ユングは「人生」の心理学だと思います。
ユングはこころ自身の自然治癒力を重要視するので、「待つ」という態度がとても重要になります。
故に、こころの治療においても人生というより長いスパンで恢復を見守る必要が有るのだと思います。 ユング心理学は、分析的還元の方法ではうまくいかない多くのケースにも対応している
そういったケースでは心の自然治癒力を頼りにしたり、個性化の過程に身を置くことに
なるので時間がかかるというだけで、全てのケースがそうというわけじゃない >>677
前から思っていたんですが、
アドラー心理学のゴールは共同体感覚であり、その目的は幸福になることですよね
ユングの場合、ゴールは個性化だとしてもその目的は幸福になることなのかな?と疑問に思うんですよね
では何だ?と問われても、うまい言葉が見つからないんですか・・・ >>681
そもそも幸福とは何か?が人によって曖昧だからね。
自分が思うには、
アドラー派は本質的に目に見える幸せ(例えば名声、権威とか)を求めてる。
一方でユングは本質的に目に見えない幸せ(例えば愛だとか、勇気)を求めてる。
世界一売れてる飲み物はコカコーラらしいけど、
アドラー派は"世界一売れている"という事実に幸福を見出し、
ユング派はコーラによる"お客様満足度"に幸福を見出してる。
だから、うまい言葉が見つからないのはむしろ良いことのような気がするけどね。
お客様満足度なんて、結局形の無いものだし。 ユング心理学ってのは個人レベルの幸福というより
もうちょっと広いレベルでの幸福を追求してるように思う。
もしくは肉体の幸福ではなく、精神の幸福とでも言おうかな。
例えば
平和な世界を作りたい、という人Aがいたとする。
Aは信念を抱いて行動したが、
生きてるうちに戦争は無くならなかった。
だがAの行動に感化され、周囲の人間がその活動を続けたことで
Aの死後100年経って、平和な世界が実現された。
この時、Aの肉体は消滅しているので幸福を感じる事はできないが、
Aの歩んだ人生、また100年後にも息づいているAの精神は幸福を感じるはず。
個人的には幸福になれたか、よりも、
自分が満足して死ねたらそれで良いんじゃないかって思うかな。 アドラー「私は他人の期待を満たすために生きているのではない」
そうは言っても人間は1人では生きられない以上、共同体に参加する為に共同体の期待を満たすことは不可欠だと思います
ではどうするのか?
ユングのペルソナ概念がとてもうまく説明してくれるんですよね
ユングは難解と言われますがペルソナはとてもわかりやすい(実感しやすい)概念なのでまずはペルソナをりかいすることがユング心理学を理解する早道だと思います >>673
これを読むと、自分が求めていたのは、ユングなのかもなぁ。
他の心理学には、「こうあるべき」ってのが多すぎる。
すると、そうした思考にがんじがらめになって、宗教みたいになる。
そうではなく、自分の心に起こっていることを淡々と
明らかにしたい、理解したいってのが根本であり重要だよな。
それが理解できれば、あとのことは些末な枝葉であって、
自分の力でなんとかできるようになる。
対処療法ではなくて、心の現象を理解したいってのが重要。 >>685
今、自分のこころで何が起こっているのか?は、まさに最近流行のマインドフルネス考え方ですね
ユングが瞑想やヨーガに注目したのもその為だし、実はアドラーブームが去った後静かにユングブームが来るのではと思ったりします >>687
マインドフルネスの創始者ジョン・カバット・ジンもユングを高く評価している。
「これまで、多くの偉大な思想家たちが、”全体性”という概念や 、
自分の人生の中で”全体性”をどのように認識していくか、という ことを追及してきました。
スイスの偉大な心理学者ユングは、東洋の 瞑想の伝統を高く評価していました。
彼は、「東洋の冒険的な思想家 たちは、この問題(”全体性”への到達)を二千年以上も追求してき た。
この点、西洋の方法論や哲学理論などの業績は、東洋の業績を前 にすると色あせたものになってしまう」と書いています。
ユングは明 らかに、瞑想と”全体性”の認識との関係を理解していたといえます 。」 ユングの心理学は根拠に乏しく、現在のエビデンス重視の心理学とは分けて考えた方がいい
科学というよりは哲学・宗教に近いイメージ
なんですが、実際のところはどうなんでしょうか?
河合隼雄さんの本を読んでいるんですが、どうにも「これを鵜呑みにしてはいけない」と拒否反応が…
読み物・概念・趣味として楽しむのがいいのかな? >>689
ユングの方法はフッサールの現象学の方法と類似しています
ユングがフッサールと交流があつたかは分かりませんが >>689
河合理論=ユング心理学、と早合点しないほうがいいと思う
ユング派の中には河合氏をポンコツ学者とみなしてる人も少なからずいる >>691
自分も河合隼雄だけがユング心理学ではないと思う ポンコツ学者とみなす方の人に興味ある 例えばどんな人ですか? >>691
もしかして○道義氏のことかな?
元型論やヨブへの答えなど翻訳には定評のある氏だけどなにかと河合隼雄に噛み付いてますね
人格的にどうかと思うときがある(笑) >>691
まあそもそも河合氏は学者ではなく臨床家ですからね
学者様からみれば甘いと思われる面もあるのでしょう >>692
>>693
そう 林道義氏
まあ、詳しいことを書くのはやめておくわ。なんか荒れそうだから・・・ >>695
詳しいこと?
もしかして関係者ですか? >>696
違うよ 自分は関係者ではない
詳しいことってのは、内部事情とかじゃなくて学問的なことのほう ユング派分析家の資格を得ているわけではない自称ユング研究者が
本物に批判されて心が壊れて凶悪クレーマーのようになった。 >>699
それ林氏のこと?
一応林氏も診療してるみたいだか資格無かったんか? そうです。
スイスのユング研究所に一年だけ“留学”という経歴を見ただけでも
ユング派に詳しい人は、いろいろ推察できるでしょう。
トラブルになると厄介だから賢明な人たちは詳しくは触れないけれど、
河合氏は専門家として看過できない点を週刊誌で批判して恨まれた。 >>701
林氏は退官した大学になんで自分を名誉教授にしないんだと噛み付いてたなw
ヨブの答えの翻訳は素晴らしいと思うし解説もすごくわかりやすくて助かったわ
ほんと良い翻訳がたくさんあるのにちょっと人格が残念w 林氏には弟がいて左翼活動家なんだよなあ
ほんとこの人面白いわw かなり長期的に(短くても5年以上?)何度も何度も繰り返し見る夢に、
単位が足らず卒業できないのでは?という状況の夢がある。
設定としては留年が確定した場面とか、
そういう風なものではなくて、
あれ?そういえば単位足りなくね?的な状況というか、
起きた後、ああ全く同じ夢だと繰り返し思い、ほっと安堵する感じか。
もう36歳なのに
これは何の象徴として繰り返されているのか、
解明してみたい気持ちがある。 みすず書房から出ているユングの著作。
後年の奇行のせいで印象の良くない某氏の翻訳は敬遠しがちになる。 夢の日記をつけるのって、夢を分析する上で有効だったりするのでしょうか?
私は記録していたのですが、誰に発表するわけでもないし、途中で虚しくなって半年ほどでやめてしまったのですが。 夢の中に音楽が流れたりして夢も一つの映画的芸術作品だと思う。 >>707
有効か有効じゃないかのどちらかと言えば
そりゃ有効なのは間違いないでしょ。
分析していくにしても何にも情報が無いよりかは
少しでもあった方が有効な分析が出来る確率はあがるわけなんだし。
自分でコツコツやっているのが虚しいのなら
適当にブログにでもアップしてみたら?
こういう小難しい事に興味がある人は少ないだろうからPV数は少ないとは思うけど。
それかいっその事自分の夢と分析でもまとめて
アマゾンで電子書籍化して販売してみたら?
別に本名出さなければ売れなくても何のデメリットなんてないわけだしさ。 >>709
707です。返信ありがとう。ちょっと考えてみます。 707、及び710です。以降はrememberと名乗ります。mbti診断infj型のスレでもレスしてます。
生まれ変わったらユング派の心理学を学びたい。独学とかじゃなくて正式に。そして心の病を持った人を治したい。 フロイト ウイーン学派 の方がおすすめだけど。ユングにはあまり時間をかけない
こと。 学ぶことなんて何歳からでも出来るし
日常生活でそれを活かせる事でも何歳からでも出来る。
職業としてやりたいのであれば確かに年齢は関係あるけどね。
まあ身もふたもない事を言っちゃうと
ユングの心理学を正式に学んだところで
それだけじゃ何の意味もないわけで
心理療法家になりたいのなら臨床心理学でも学んだらと思ってしまう。
自分とは何か、他者とはどう違うのかとかを学ぶには
ユングは分かりやすくて優れていると思うけどね。
mbti診断にしたって心理療法の現場にいったら何の意味もないからね。 現実を見据えて、それが1000%不可能だと分かっているから、「生まれ変わったら」というフレーズを用いました。
俺がもし心理療法家になれたとして、真っ先に心を治したい人、それは、俺の、父親、だよ。 じゃあ日記帳にでも書けばいいんじゃね
ナヨナヨした書き込みなんぞ見たくないし、そんな奴にユング心理学は確かに無理だわな 心理療法家は他人の心理を扱うわけで、
自分の心理を探求するという動機とはちょっと違う。
父親を治したいという切実な動機があるみたいだけど、
心理療法も万能ではないからな。
正式にユング派の臨床家にならなくても、
教養として学ぶことは自由なんだし、
肩書や形から入るのではなく、読みたけりゃ読め、それだけでしょ。
ユングを参照している他分野の学者もいるわけだし、
別に臨床家にならなければ、分からないってわけではない。 >>718
ありがとうございます。
自分自身の心理を理解する事で、他人の心理を理解できる部分はあるのではないかと思います。ユング的に言えば集合的無意識でしょうか。
同じ血が通っている父親だったら尚更だと思っています。
科学的(?)客観的な見地から考えると、何となくフロイトの方が説得力があるなと言うのは感じます。ただあの葉巻をくわえた写真からはどうも父性・権威的な雰囲気を感じて、好きになれないのですね。自分のフィーリングに合うのはユングの方なのですよ。 だいたいユング心理学に正式とか正統とかないでしょ
チューリヒの研究所っつっても大成した弟子はいるんかいな?
自由に勉強していいと思うけどな
心理にしろ夢にしろ自分の心や夢があるんだし とーちゃんの事をどうにかしたいならプロに任せるという選択肢もあるよ
何せ自分や相手の気持ちが判ったとしても
よりよく導ける、アドバイスできるようになれるわけじゃないからねえ
とーちゃんの気持ちが知りたい、それで自分が納得したいのなら独学余裕やで >>721
家族そろってカウンセリングを受けたいと今考えている。今実家暮らしだけど、父親とも母親とも断絶状態なんだ。
とりあえず明日自分一人で精神科に行ってきます。 >>722
神経症かは分からないが、コンプレックスはあると思う。
定年退職して、社会から断絶された状態、いまは。
親父は遊ぶことを知らない。趣味が全くない。
自由に遊んでいる人たちの事を馬鹿にしている。
外に出るのが怖いんだと思う。でもそれを自分で認めようとしない。
俺はそんな親父の血を引き継いでいる。 ユングなんて所詮は手段であって
それを学ぶ事を目標とするのは何か違う感じがするけどね
詳しい事情が分からないから何とも言えないけど
親父さん自身が変えて欲しいと思っているわけじゃないのなら
他者がどうこうするのは無理だと思うよ 絶縁状態ってくらい仲悪い親に「精神科行こうぜ」って言うつもりなのね
これは確かに似た者親子
まあプロに診てもらえば間違いないよ
お前さんが独学で勉強しても自己弁護にしか使わない、
それ以外の使い方が分からないままで終わるだけだわ >>726
どこを読んで、私がユング心理学を「自己弁護にしか使っていない」と判断したのでしょうか。 >>727
横からですがあなたは自分のコンプレックスを父親に投影しているのではないかと思います
父親の問題は一旦保留にして、あなた自身のコンプレックスとむきあってみてはどうですか? 専門家の助言なしで個人で夢を記録し続けると
無意識の力が強くなりすぎて危険な場合がある
と、故河合隼雄氏が述べていた。 無意識 意識 が日本人に自覚できるか。とかか。ルーツの民族によるだろうけど。
先代とか。 NHK総合 7/1 5:40〜5:50
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 河合隼雄(臨床心理学者)」 河合さんの名言で一番好きなのは
「のぞみは無いですが、ひかりはあります」
ですね
ほんとは河合さんの言葉ではありませんけど(笑) 現在、統合失調症で治療中です。
ユング心理学に興味あるけど、カウンセラーが近くにいないから、
本を読んでいます。本を読み始めると眠くなるので、なかなか進みません。 >>735
アドラーをお勧めします
内容が浅くて猿でも理解できる程度なので本も30分程度で読み終えます 刑務所に行って犯罪者の夢を分析してみたいな
きっと印象的な夢見てるはず このスレは過疎ってるが、
いつのまにかユングのタイプ論のスレが乱立して盛況だな
村上春樹も、ユングに影響受けてると言ってるし、
ユングって日本文化と相性いいのかもなー
河合先生の功績もあるかもしれないが >>738
日本人が血液型占いが好きなのと関係あるのかも タイプ論では直観と思考を対立させてるけど、これはまあわかるんだが
感覚と感情を対立させてるのがよくわからん >>742
そりゃあわかるけど、なんで対立軸にあるのさ 直観という認知を通して思考が発生する感覚という認知を通して感情が発生する
その発生したものに合理性を持たせてどちらに判断軸を置くかはまた別件 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています