アドラー心理学は心理学ではないと言われる所以は、
アドラーの関心が「こころとは何か」より「どう生きるか」にあった点にあると思う。
アドラーはこころで「何が起きているか(事実)」を明らかにするという科学の枠を超えて、
「何をなすべきか(当為)」という哲学の領域に踏み込んでいる。
フロイトは晩年アドラーが離れていったことに対して「アドラーの離反は損失ではない。
かれはもともと精神分析家ではなかった。」※と言っているが、それを裏付けている。
一方、ユングは「こころの働き」を解明することに注力し、科学者としての心理学者の立場に踏みとどまった。
ユングは常にクライアントのこころの中で一体何が起きているのかに注目した。
故に以外に思えるが、ユングはこころで何が起こっているかを説いたが、どう生きるべきかを説いてはいない。
私たちは自分の心の働きを知った上で、どう生きていくかは各人がそれぞれ自分自身で決断していくことだという立場を取った。
(ユング「『そうではない、こう考えるべきです』と言えば患者の勇気を奪うことになる。」
「人生において、全ての人間に適した処方箋などない」)

※ちなみにフロイトはユングに対しては「ユングを失ったことは大きな損失であった。」と嘆いたという。