催眠術師・催眠療法士 4 [転載禁止]©2ch.net
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非言語で呪いって出来るのかな?
催眠倶楽部で話題になってるしそこの講師が
ある呪術師のところで習いに行ったけど断られたらしいが >>357
あそこのブログ、代表である田村さん本人が全く更新しなくなったので
何かあったんだろうと思ってるんだが
無料の催眠教室も減ったし 町中が眠りに落ちたりするからフロイトもなあ。はからいなければね。
あれは年の差婚だし。現在調査中だけど。 退行催眠で過去のトラウマ・傷を癒し、性格を前向き、根明にできるもんなの? >>365
そんなモンカウンセラーの都合と機嫌一つでどうとでもなる >>359
よく分からないけど田村さんのところ
他団体や同業者に嫌われてそうですね
元講師のところに書いてあった
教えを請いに行ったけど断られたらしいし 最近、芸人がテレビで催眠やってるらしいけど、どんなもん? >>368
外国移住に憧れる今日この頃
次も東南アジアかな?
親子カフェ辞めちゃったみたいですよ 大人だからこそ催眠術の効果を実感して自分でもやってみたくなるものさ エリクソン催眠が分かる本紹介してくれないか
ミルトンエリクソンの催眠テクニック1,2は図書館で読んだのだがちょっと難しすぎて理解ができなかった この程度の本も理解できないようなら
エリクソンは諦めたほうがよいな。
バカには理解できないから。 エリクソン催眠学ぶならこの順で本読めってサイト見つけたのでその順に読むわ
エリクソン催眠の本って対談やセミナーの書き起こしとか訳しただけの本が多くて
林貞利の本がどれだけわかりやすいかが際立つね エリクソン催眠の初期の誘導で一番不要じゃないのコレって思うのは暗示の散りばめなんだけども
半ばダジャレやんけみたいなのもあって有用性が測れないのと
原著英語の訳文なので日本語でやるときの参考にしにくすぎる あの団体田村さん代表辞任したけど水面下でごたごた起こったの? >>378
今景気が悪い傾向な上、脳科学界が豊満状態になってるからじゃね?
売り上げ減っているっぽいので新体制にしたとうい見方も >>378
実力者である講師が居なくなったり亡くなった後に
よく分からない講師が増えたからじゃね?
リピーターが付かなくなったのも要因かも 復帰だって。
魔術とか言ってるからこの板からははずれるかな?
佳きこと。 あれって前代表者が洗脳されてるとかですか?
それとも最初から田村さんが指揮してたか
会社のごたごたをブログにてオープンするのは凄いことだなと 結局田村先生が全権を握ってたという結論か。
ゲスト講師が鶴の一声で全権握ったと思われる前の代表解任して次期代表とか凄すぎる。 >>383
前代表の見解も聞きたかった
あれが本当ならただの降格じゃ済まないだろ
謝罪文とか反省文が必要じゃないのですか?
一方的に話が終わってるしどこまでが本当かわかりません 影式催眠術
受講したけど、あれ30万ってぼっとり価格だわw
スクリプト渡して1回でほぼ終わり。
あれで、人形なんて出来そうにないwww 大阪の某催眠術スクールが少し前にリニューアルしたんだけどまあ残念な内容になってしまってとても残念
催眠術についての話題が全体の1割もなくてあとはマンガの引用した精神論ばかりでクソの役にも立たない 無料催眠術教室復活か
流石に有料制の上3万、5万だと行きたくなかったので助かるわあ
とはいっても一部の講師だけだったが
新体制になってからいろいろおかしくはなってたんだよな
とはいっても一か月ちょいしか続かなかったけど このスレでは敵対関係にあるとされるDa-manとanarka。
同時にブロックされる。
Da-manがブロックされたツイートの後にanarkaの私もツイートから、同一アカウントにブロックされたらしい。
今、界隈で何が… 多聞は知識量がハンパじゃない期待の新星だね。
ただ香ばしさはあまり無いから、このスレ的には期待はずれ。 anarkaもマウント取りたくてしょうがないみたいね。
もう多聞くんに影響力で抜かれつつあるもんねーw > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 積極的にマウント取りに行く人しかここで話題に挙がらんからねえ 積極的にマウント取りに行く京助は話題に挙がらなかったけどなw 京助は鍵かける前のツイート読むと
「マウント取りたかったけど全然取れないから止める(意訳)」
みたいなこと言ってたからな。 ぽっと出の新人に手柄さらわれるとは、ここの常連術師も不甲斐ないな。
Da-manやanarkaや影は何をしていたんだ? anarkaとDa-manの小物っぽい所は、京助が弱った途端に多聞の尻馬に乗って叩いてブロックされたところ。
多聞と京助は認め合いながらも殴り合う感じだったのに、あいつらの小物感は凄いわ。 3年で400しか進んでないスレに常連なんているかよ 巷の催眠理論は間違ってんだよねーと連ツイしてるだけの人と
ワイの催眠理論はコレや!と1ページにまとめる人ならそら後者が勝つわな >>390
無料催眠術12月からって言ってなかった?
新体制とかも意味が分からんし。 そうなんだ。
今更だけど新体制の内訳が分からないし
ブログに前の体制に戻すって書いてなかったか?
あそこのクライアント含めどうでもいいことなんだろうけど。 どこにも書いてなかったと思うよ
逆に書いてあるならリンクの一つでも貼ってくれれば話が早いんでいちいち確認口調でレスしないでほしい なんだ有料制継続なのね。
入り口が狭まるとか書いてたのは勘違いだったのか(笑)
決定事項じゃないなら書かないでほしいですね。
混乱するから。
通常の催眠術講座を無料に戻します。
https://ameblo.jp/hypnotismcafe/entry-12418775681.html 多聞の最近の活躍とか見てると、期待の新人と言うより新興勢力の雄って感じだな。 >>417
京助追い出したり、noteで稼いだり、バーでイベント開いて盛況だったり。
特にnoteでの好評は大きいんじゃね?
あとはDa-manやanarkaと直接競合するたのしい会での評価がいつ逆転するかだな。 >>420
レポ無いなー。
anarkaにはストーカーが居たはずだが、そいつは潜入していないのか? >>421
Da-manのツイートによると、毎回40人前後。
この人数で潜入なんかしたら一発でばれる。
仮に潜入しててもこんな所でレポできんだろ。 田村さんのとこ元講師に客奪われてストレス溜まってそうだな。
自分の開発した講座を10万にして、太っ腹な値下げをしても満員にならないとか。 催眠術師で催眠術に掛かる人っている?催眠術師って大体人にかけるけど自分がかからないから本当はわかってないんじゃない? >>426
自分が知る限りだと、催眠術師の半分以上はかかるぞ。 掛ける才能と掛かる才能は別なので
掛かる人は掛けれるようにもなるし
掛からん人も掛けれるようになる 催眠講習で催眠かかっているふりしたことあるけど
催眠術師が嬉しそうに俺に大声張上げて
ほら立ちたいのにたてないっていって
立ち上がって笑いこらえきれずに少し吹き出したら
会場の人もくすくす失笑しだしたことある >>428
幻斎、南、あーる、南の門下生の何人か、中井、楽しい会の常連の何人か、田村の所の何人か、ポットの所の何人か他
逆に全くかからないのはanarkaやDa-manかな。 >>431
田村さんが言ってるんだから本当かと思われ
情報力だけは半端ない
それにRLMの内の一人だけ指名してるし 苫米地氏や田村氏はある種麻原に近い通過儀礼(イニシエーション)でしょう。
前者や後者はルールにかなり厳しく
後者に関しては逆らったり脱退したらブログに一生悪口書かれるらしい。 >>428
「一人でいいから」と言っておいて四人も挙げられて >>428 涙目w そもそも>426の認識してるのがおかしい
超駆け出しかクソにわかかのどっちかだわ 女がいきまくるのはあるけど、男がいきまくるのがないよね
催眠術かけても男は結局男の能力のままなんだね >>431
元講師の方はぼちぼち儲けてるんじゃね一人らしいし
逆に田村さんの本部の方は全盛期と比べて売り上げ減ってるようだし
講師に歩合制の給料払えば手元にあまり残らんでしょう
>>434
確かにオウムに近いものがあるね
受講生の脳が団体(教祖や講師)固有のエネルギーに同調されるので注意が必要だね 歩合制だったんだ?
やたら非言語系の講座勧められると思ってたが
そういうことか
そうなると客の奪い合いだから講師同士の仲もあまり良くなさそうだな
フェイスブックのシェアもしなくなったし anarkaやDa-manてここでは悪く言われる(not よく言われない)けど、そこまでひどいかな?
どっちも小物だし、好きの反対は無関心からすると、ここまで悪く言われるほど大した奴らじゃないと思うけど。
奴らを嫌いな人は何がそんなに気になるの? anarkaやDa-manはここでは悪く言われるけど、そこまでひどいかな?
どちらも小物だし、好きの反対は無関心からするとここで言われるほど何か有るかな?
奴らを嫌う人は何が気に入らないの?不思議。 >>443は>>442が書き込めなかったと思っての投稿。無視して。 影式催眠術で人形できた人います?
わいどう考えても騙された感しかない。
君は人形になるよって…
そんな催眠できるなら口説いてるわ なんで影式とやらをコチラが把握してる前提の書き込みなのよ 催眠術体験してみたいんですけどどうしたらいいですかね スカイプ掲示板に似非術師いっぱいいるから試してくるといい 田村のところは、女性問題と金銭問題を起こした、元講師と管理者が問題児なの??それとも、田村自体がクセモノなの?
自分とこの講師をあれだけ公開で叩くって相当だと思うけど。 >>451
田村氏のところは非言語系講座が高額すぎるのが難点
基礎能力担当講師が亡くなってから客離れが凄くなった傾向があるね
どういう人か知りたい場合本人に直接会うのが良いんじゃない >>451
田村が騒いでるだけだよ。
商売敵が出てきて似たような講座が出ないように抑制してるだけでしょう。
苫米地のように大きい団体じゃなくて弱小団体だからね。
元講師は知らないけど元管理者は相手にしてないです。
まあいざこざがあった人間同士の争いなんで当人同士に任せておけばいいんです 催眠術なんてどこ出てもそう大差ない
みんな俺のところがナンバー1だと思ってるお山の大将的なところだからね
催眠術より非言語の方がオススメですけどね
ある程度極めれば洗脳出来ちゃうからね >>358
そもそも催眠なんて実質オカルトじゃねーか
再現性確するまで科学側に来んなよ ここで多聞を知ってウォッチしてたが、その近辺で時々名前が出てくる鶴切って何者?
ここのヒーローanarkaより頻繁だし、やたらとリスペクトされてるのだが。 ちょくちょくアイツ何者? って聞いてくる人多分同一人物だよね >>457
5chで中の人を詮索しても、(訴訟をするのでも無ければ)意味はないと思うが、同一人物として何が目的なんだろうね? 田村?の人が自分以外の人が目立つの気にしてるように見える >>459
承認欲求 複数人を聞いているから、同一人物説だと疑問が残るな。
ステマ ここで取り上げられることがマーケティングにつながるとは思えない。(悪評でも口の端に登れば良いと言うわけでもあるまい)
ステマ説は括弧内の評価によってはあり得るのか。 酷い暗示をかけられそうになったが他の人の後催眠で防御済みだったので助かった
能力バトルじゃあるまいしやめてほしいわ >>462
お前漫画やアニメと区別ついてないんじゃないの? 催眠にかからない催眠は面白いよね
すごいかかる人にかけておくと本当にかからない お前LOST+BRAIN(笑)とかをマジで信じて読んでそう 能力バトルというと術師2人に対して被験者1人の、片方がかけて片方が解く
解けたら勝ちっていう催眠術バトルは本当に能力バトルっぽくて面白いよ >>469
へー、明日か。誰かレポを……って言っても楽しい催眠の会すらレポが無いから言うだけ無駄か。
普段は鍵アカなの? その知恵袋は催眠というよりも自己暗示(自己催眠)のたぐいな気がする >>471 は統合失調を疑うな。
解けない催眠で操られてるって言っていた人が実は統失だったというのを聞いたことがあって
それ以来催眠界隈にはそういう人がときどきいるんだろうなって思ってる。 >>473
安易な催眠で糖質開花させたっていう自覚がないクズで未熟な催眠療法使うバカ多いからなぁ 田村のところ客減ってるんだな
値下げキャンペーン効果がほとんど出てないよな
今年の10月から消費税増税確定だから景気悪化するだろうし 影消えたの?
ブログもTwitterもアクセス出来ない Q:暗示術って何?
A:トランスを介さない(場合によっては使います)催眠術です
いや催眠術やんけ エリクソンって
被暗示性についてはスケールは役立たないっていってるけど
被暗示性という考え方(尺度)は肯定しているの? (尺度)の場所間違えた。
(尺度)はスケールの後ね。 仲山和輝容疑者。痴漢魔。テレビ出演歴多数。
青森県八田村。
嫁の名は、仲山ジズ江。高橋シズ江と昔の名だった。母の名は、高橋タカ。
検索してひっかかったら、親戚、近所で噂話をして、村八分にしてください。
仲山和輝。催眠療法士。TV出演多数。
痴漢数件。青森警察が知ってる。八田村警察も。
娘の名は仲山美穂。息子は仲山増成。
仲山増成は痴漢逮捕歴4件。痴漢魔さんの息子だから。
弁護士で調べりゃ出るから、仲山増成を今の会社からクビにしてほしい。
社会常識でいいのか? 痴漢しまくり、いい給料貰ってる。
シズ江にパトロンついて、5千万のカンパ金が出ると思ってる。爆笑(笑)。
5千万をパトロンにだしてもらえると思ってる。テレビ局に出たら、印税入ると嘘つこうと思ってる。
パトロンに金出してもらいたいのに、息子にバレたくないとか。
タクシーの無銭乗車もしまくってる。ドライブレコーダーに残ってるのに。
それが仲山シズ江の実態だ。実家のご近所、村八分にしてください。
夫が痴漢魔。息子も痴漢魔。嫁のシズ江が無銭乗車。と、パトロンに5千万だと。
笑えてしょうがねぇ。
間違いなく犯罪者家族だ。それでパトロンに5千万だとよ。
パトロンに年収5千万もらいたいとも言ってた。バカ丸出し。
架空口座でも取ろうとか。犯罪者家族の典型的例だ。 JR西日暮里の駅のそばにローソンがある。そこを住宅地側に入り、5階建てのマンションがある。そこの502号室がクリア研究所だ。
そこに仲山和輝がいたが、死亡した。
仲山シズ江がまだ家を借りてる。
マンションと月極めの滞納額をパトロンに出せてもらえるだと。
増成にパトロンがいるのを、ウソついて金を5千万(年収)もらおうとしている。
タクシーも滞納し、無銭乗車で他の人に金を出させようとしている。
仲山増成で検索かかったら、父が仲山和輝だったら、クビにさせろ!
くれぐれも言う。
仲山和輝、痴漢魔。青森県八田村警察で逮捕歴あり。
仲山増成(息子)、痴漢歴無数。逮捕歴4回。
これでいい給料貰ってる。皆さんムカつくはず。
架空口座を作っても金を自分で稼がず、取りたがる、いわゆる典型的犯罪者例。
それが仲山和輝。仲山シズ江。(昔の名は、高橋シズ江)高橋タカが親。
仲山家一家がネットに検索されたら、村八分にしてください。
仲山増成痴漢逮捕数4回。仲山和輝(父親)痴漢歴無数。
仲山シズ江、無銭乗車歴多数。タクシー無銭乗車1千万円以上。5千万近く行ってるかも。。
架空口座を作って、金をよそ様から取ろうともしてる。
典型的な犯罪者家族。検索ひっかかったら、噂して、増成、美穂の会社クビにせよ。
父親が仲山和輝だ。会社の人も知ってるだろう。クビにするか、いずらくせよ。 京介が誰か知らんけど多聞なら俺の技術は催眠術じゃなくて暗示術だと新しい定義提唱しだしてるよ >>487
本大会復活する前に昔のツイート垂れ流すbotがいたけどな。 >>483
田村さんのところかな?
予約が少ない月にキャンペーン値下げする傾向があるね
増税で来年の始め辺りに全体的に値上げしそうだけどね 覚醒状態のままの被験者に暗示で催眠現象起こすのはもう10年以上前から海外のマジシャン兼メンタリスト達が編み出してるんだがな
それをさも自分が開祖であるかのごとく振る舞うのはどうなのよ?暗示術だなんて造語まで作ってさ マジシャン達が編み出したってのもあんまりいい言い方じゃなかったな
「催眠状態の方が暗示が入りやすいってのは実は勘違いじゃね?」って事はもう2000年初期には判明してたから しかもその暗示術の定義は、閉眼させない(=眠らせない=催眠ではない)とのこと
いや単純に閉眼暗示縛っただけでやってること催眠術じゃん 石井裕之のコールドリーディング然り、Daigoのメンタリズム然り
こういうのって最初に輸入して広めたもん勝ちなんだろな まじか
じゃあ俺も何も考えずに海外のもんを合法的にパクって一儲けしよ
でもこいつらみたいに晒し者になるの嫌だわ 海外で流行ってるものとか役に立ちそうなものを日本人に翻訳して伝えられるセンスあるなら
全然その能力使ってガンガン稼げばいいと思うよ
ハンドスピナーでもタピオカでも一番乗りした人がきっと稼いでるだろうし 『Oxford-Handbook-Hypnosis-Research-Handbooks』を完訳して発表できたら日本中の全ての催眠術師相手にマウントとれるぜ
まあホントはこの本読んでるけど読む以前の自分の理論と整合性取れなくて敢えて黙ってるって術師も実はいるんだろうな 大学病院の精神科医が医者辞めて催眠療法始めてたが薬で治せないのを今度は催眠術で治せるのかよ アホか
精神科なんて薬で治療できるわけねーだろ
お前本当に心理学の知識あるのか? そもそも薬で治る病気が無いのが精神科だろ
大丈夫かこのスレは ポットんとこが治療系催眠とか言ってたな
また治療と偽ってエロで逮捕者が出るかもね そもそも医者じゃないと『治る』って言っちゃダメなんじゃなかったっけ
「軽減される」とか「楽になる」とか「個人の感想です」ならいいの? 催眠での治療標榜は、さすがにトップが企画や配信前チェックで止める話だよなぁ あれ?8月一杯とか言いながら京助まだいんじゃん。
多聞は仕事しろ。
古からの法則「もう来ないと言う奴は必ず戻ってくる」は真理だなー。 催眠術ガールって読んどくべき?
ダンス・ウィズ・ミーは結局見てない なにかと思ったら検索にもなかなかかからんやつやったな
ステマか 以前催眠について滅茶苦茶詳しいサイトがあったと思うのですが、
なかなか見つかりません
アドレス知っている人がいたら教えてもらえませんか? ほい
ttps://nobee.com/category/first-document/ 《告知》【心理学板自治スレ】ID強制表示議論スレッド2 より、議論を選挙によって決着する事となりました
日程:9月29日(日)0:00:00〜23:59:59
概要:以下の3設問について⑴〜⑶の中から1つずつ選んでいただく形になります
1.ID表示の導入について
⑴強制表示 ⑵スレごとに任意 ⑶導入反対
2.ワッチョイ表示の導入について
⑴強制表示 ⑵スレごとに任意 ⑶導入反対
3.IP表示の導入について
⑴強制表示 ⑵スレごとに任意 ⑶導入反対
なお、今後、投票スレッドを作成する刻2019/09/23(月)18:00:00までの議論によって、概要の変更の可能性は有りますのでご了承ください
議論所:https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/psycho/1519638088 >>517
レスありがとう。
そうなんだ!きっと相当な腕前なんだろうね。 1982年頃に蒲田にあった伊藤パーソナリティという催眠療法士のところに通っておりましたが、
伊藤先生は今は何をしているのかご存知のかたいらっしゃいませんか。 >>525
空木とか言うのとセキュリティだか個人情報とかで何か有ったらしいな。anarkaのツイートには特に問題になるものは見られなかったけど、セキュリティ関連だったら削除済みとかもあるからな。
特異なのはanarkaが何もせずに撤退してることだな。
極めてanarkaらしくない。
特に空木の言い訳ツイートの後で何も言わないのは絶対におかしい。
あんな、セキュリティのsすら知ってれば絶対に言わないようなオオボケを前にして何も言わないのはanarkaじゃない。
リアルで何か脅されてるんじゃないかと疑うくらい。 >>526
anarka返信したな。
しかし、空木って奴は戦とか言って盛り上がってるが、誰か止める奴居ないのか?
anarkaが何かやらかして空木が突っかかったみたいだけど、anarkaに問題発言は無いじゃん。削除されたとしても「今」は無い。
その上で空木とanarkaのやり取りを見てみるんだな。 anarkaの話が出るとわらわら湧く擁護。どれが本人だw
だが、今回はanarkaにケチの付け所は無いからな。クソッw
空木の失着はあの言い訳ツイートだな。
あれが無ければanarkaの追撃も無かったし、そうすればさらなる恥もかかずに済んだ。
戦だとか反論だとか言ってるが、anarkaが応じなかったらどうするんだ?w
>>527じゃないけど、誰か止めてやれよw おっと、これはanarka擁護じゃないぜ。
anarkaの相手が下がったら相対的にanarkaが上がるだろ?それが嫌w こいつらは何と戦ってんだ
黙って催眠のお勉強でもしてろよ 別のスレに書いちゃったけど多聞さん催眠術グランプリで負けてからめちゃくちゃトーンダウンしたよね 空木はなんか誤読してそうだが、anarkaの言うピンポイント情報って、本人が自宅の写真とか上げてる奴だと思うぜ。
みんな気をつけてる に対する反論なんだから、 気をつけてない奴がいる ってことだろう?
空木ってバ○なのか? 別スレってどこよ?
と思ったけどbbspinkの催眠sexスレか…
多聞さん的にはあのスレは守備範囲外では? >>530
何と闘ってるかは>>529が書いてるがな。
空木が下がると相対的に上がるanarkaと戦ってるんだろw
だからanarkaの手の内を読んで空木がバカをしないように誘導してるんじゃね?
anarkaが最近連載していた現代催眠原論の話は少しだけ楽しみにしていたのに残念だな。 >>536
ああいうのこそTwitterじゃなくてブログでやるべきなのにな。 >>536
手の内かぁ。
手の内はともかく、anarkaの手口と空木が今どれだけまずい状況かはある程度予想できるから、リクエストがあればレポート(少しずつ長くなる)するが? >>538
空木とかには興味は無いが、anarkaの手口は知りたいかな? anarkaの手口か…今回はanarkaは大したことしてない。空木の自爆が大きいな。 まず空木のまずい状況だが…
ふらりと来た善意の第三者が「空木さんはanarkaさんを責めてますがanarkaさんが何をしたんですか?」と聞いたとしよう。
・anarkaがやらかしたtweetは無い(not やらかしていない)が、anarkaを責めてる空木のtweetは有る。
・anarkaは空木さんにアカウント休止にするまで責められたと主張するが、空木は否定しない。
状況証拠的には「何もしていないanarkaが空木にアカウント休止にするまで責められたが、最後に勇気を振り絞って懸念を指摘した」と言うことも可能。
これに空木側は反論できない。
反論するためにはanarkaのやらかしを示す必要があるが、そのtweetは無い。
もし本当にanarkaがやらかしたとして、そのログ(スクショは不可)を出すことはできない。
空木の言うとおりの物ならそれはセカンドレイプに他なら無いから。
anarkaが冤罪を主張しなくても、これだけの状況証拠なら「空木がanarkaを排除するために冤罪を仕掛けた」と言う奴が出てきても不思議はない。
しかも空木はそれに反論できない。
空木はanarkaにはめられたんだよ。 空木はanarkaの言がずれていると言うが、それは間違い。
今度のことはanarkaが休止する、その前に空木のセキュリティ意識の偏りを指摘するtweetから始まっている。
連ツイを一発言とするなら、anarkaは二発言しかしていず、論旨は通っている。(内容が妥当なことは空木自らが証明した)
表表と空木が言うから、裏(DM?)で何かあったんだろう。
裏のやりとりを考慮すれば空木の言うとおりの可能性も微レ存位はあるかも知れない。
しかし、空木はそれを出すことができない。
他人をアカウント休止にするまで責め立てる奴が、自分がやばくなったらDMさらすとか、どんだけダブスタなんだ……って話になる。 空木の失着は>>528が言うようにあの言い訳ツイートだな。
少しでもセキュリティの知識があればあの返しはない。あれがanarkaの主張に正当性を与えた。
あと、ピンポイント自爆をanarkaが諌めた話は疑わない方が良いぞ。
anarkaがあの言い方をする時は必ず実績がある。少なくとも一例はある。これで何人がやられたことか。
まぁ、空木の相手をするのはanarkaには役不足だったってことだな。 空木は誰かからここを教えてもらったようだな。
Da-manか?anarkaを上げたくないらしいからあり得るな。
京助を追い出した多聞はヒーローになったのにanarkaを追い出した空木は称えられないのか?w 週末からの空木のtweet見たけどダダ漏れじゃんか。
あれでよくネットリテラシーの教科書読めとか言えるなw >>546
称えるにはやり口がな……冤罪だろ?ちょっとな。
それに頭悪いし、その自覚ないし。
同じ穴の狢って絶対意味わからないで使ってるよな。 >>547
空木様のネットリテラシーの教科書には
「自分の情報はダダ漏れで構いません。それを見ないことにしない奴や、ダダ漏れにするなとか正論吐く奴は冤罪仕掛けて沈めましょう」
とか書いてあるんだろ?
お前も沈められるぞw >>547
anarkaに対して上から目線だけど、anarkaのお慈悲のおかげでの平安だとは気付けないんだろうなー○鹿だからなー。 そもそもこいつらの本業何なんだ?
さすがに催眠術一本では食っていけないだろ
いかがわしい催眠術とは違い正当な教育を受けた催眠療法士ですら練習相手すらろくに確保できないのに >>551
こいつらがどいつらかわからんが、正当な催眠療法士の教育なんて存在しないだろ? 臨床心理士の資格取れなかった人らが催眠なんちゃらを名乗ってるよね ankara?よりも面白そうな荒れ方してるのに誰もそれに触れないのね 天狗になってるやつが他人の作法を特段の根拠もなしに批判してブロックされて
ブロックしてきた人はこんな危ない人ですよと喧伝してるそいつが一番危ないという そもそもってどこまで遡るのよ
メスメルまでいくと学術じゃないじゃん 馬鹿なのか?
エリクソン催眠すら学術だ
それを盗用しておかしな連中が騒いでるがそいつらは違う
ここの奴等はその系統だろ 接続詞が時系列に沿ってなくてちょっと主張したいことが伝わらない >>551
まずさ、「正当」とか言っちゃう時点で草生えるだろw
トンデモ蔓延る医療界てもトンデモに対する側を正当なんて言わないぞ。
言って「標準」。
自分を正、相手を邪、または悪とするのは学術でも学問でも無くてカルトだ。 空木はだんまりか。完敗だな。
これでanarkaの怖さ、いや違うか、自分の馬鹿さが少しはわかっただろう。
anarka程度を冤罪で沈めようとする位だからな。
これに懲りたら正義の味方ごっこには気をつけるんだな、冤罪屋さん。 このスレanarka絶対自演してるだろ笑笑
キモすぎんだけど >>565
空木本人は完敗してることにも気づけていないようだな。
お漏らししてるのはおまえなんだよ! >>568
おまえ知らなかったのか?
ここはanarkaが自演するために立てたスレで、全員がanarkaなんだよ!
まさか、自分がanarkaであることに気づいていないのか? >>566
その論点wが論じる価値すら無いお笑いだって話なんだが。
正当wな教育を受けた催眠療法士様も、所詮は素人催眠術師w >>572
お前の中ではそうなんだろう
所詮はお前にしか通じない妄想だけどな >>573
素人催眠術師の部分は 572 の妄想じゃなくて現代催眠原論に書いてあることなんだがな。 こいつはまさか現代催眠原論(笑)を聖書か何かと勘違いしてるんだろうか 崇めてる療法士様が多いから、お前達の崇めている本にはお前達が悪魔扱いされてるんだぞってのが効くと思ってんだろ。
まぁ、本当に崇めている療法士様には効くかもなw >>569のレスで全て片付いてるよね
アカデミックが正統でそれ以外は学術的根拠を提示できなければインチキ扱いされても文句は言えないはずなんだが
ネタ抜きで苫米地やメスメルは知ってても成瀬やシャルコーすら知らない自称催眠術士(笑)とか多そう >>565
空木がダダ漏れは駄目とか、当たり前のことをやっと言い出したぞ。
我々は空木のセキュリティ史のまさに転換点を目撃したんだ!
BA(before anarka)とAA(after anarka)の境目の瞬間を!
ねぇねぇ、今どんな気分?
冤罪で沈めた相手のアドバイスに従わざるを得ない気分はどう? >>578
だからそこで正統とか言うから笑われるんだって。
アカデミック()とやらは証拠も無しに言いたい放題か? >>582
バカが正論に対して笑うのはバカの習性だからさすがになぁ
とりあえずレス読み返したら?
何故わざわざ二つに分けるような説明をしたのかバカでなければ知らなくても察することはできるぞ 人を馬鹿にしたいだけの中身のないレスしちゃう人がアカデミックとか学問とかいうのなんかのギャグですかね?
結局何を主張したいのかもはっきりしないので、主語を改めてほしいんだが 主張したい内容って
これはきっと読解力が池沼レベルなんだろう 人をバカにしたいけど中身のあること言えないから、アカデミックとか学問とか言うしか無いのですよ。 >>587
冤罪屋さんの話とアカデミック()は正統wな話 >>586
この期に及んで投影か
目も当てられない 催眠にもアカデミックな領域とトンデモな領域に別れることが気にいらない奴が発狂してまともな人間に噛みついてるだけ >>592
> 催眠にもアカデミックな領域とトンデモな領域に別れること
いやこれ自体はみんな同意してるんじゃないかな
アカデミックの定義が不明瞭すぎてイジられてるのであって なんと
とうとう弄られているという妄想をし始めたか
こいつ現実と妄想の境界がつかなくなってるな >>593
田村なんてアカデミックを自称してるしな。 >>594
そもそもまともに催眠を勉強した人間すら居るのか怪しいスレだから anarkaの件って住んでる場所を特定できるような内容のリプを
anarka自身がしたって話じゃねえの?
もっと何かあったの? 蒸し返されたくないのはanarkaなのか空木なのか。 催眠ってある意味、自己催眠の方がええんとちゃうか?
自己催眠はこういう状態になりたいとか、こういう暗示をかけたいとか自分で選べる
しかし、他人に催眠をかけてもらう場合、人間って誰しも、多かれ少なかれ、支配欲があるわけやから、知らず知らずのうちに、相手の都合の良いように操作されかねん。
自分の支配欲を克服して、まともな催眠をかけれる人なんて、ごく一部か、聖人君子に近い人だけやで
自己催眠の方がまだええんちゃうか? >>598
大筋はそうなんだが色々ちがう。
まず、範囲が広すぎて特定とか無理って感じだし、本人が漏らした以上の情報は無かった。
549の通りの勢いでanarkaに詰めたらしい。
581はBAだAAだってはしゃいでいるが、そんな転換点は多分無いぞ。
581が見たらしいtweetも、情報を漏らした本人より、それと同じレベルで会話している方をお漏らし判定だからな。 本人登場?
当人が漏らしてる範囲の個人情報だからanarkaが漏らしたのも問題無いということを言いたかった訳?
だとしても言い訳っぽい最後のツイートは鼻につく感じがした。もともと鼻につく感じだったけど そもそも以前からanarkaが個人情報について同じようなことを繰り返していて、その度に注意されていたにもかかわらず、今回もやらかしただけでは? 前からかどうかは知らんが、空木セキュリティだろ?
あれは注意じゃなくて難癖だ。
もし、以前もあったとしたら、そりゃ何かあれば因縁付けてくるチンビラの溜まり場からはanarkaじゃなくても距離を置くよな。 最近は、FXを楽しんでいる方々がとても増えているようですね。
もちろん、私もFXを楽しんでいる一人です。 【優良誤認に関する注意事項】*
ユング16類型をMBTIと呼ぶのをやめましょう**
現在MBTIの採用している判定方式は、
受検者本人がMBTIの提供する問診(質問紙での自己認知チェックリスト)を受けて当のタイプと認識したら、無条件で生来タイプとしての正解とみなす
というだけの仕組みです。世界規格などといった宣伝文句で売り出していますが、この仕組み自体に学問的な根拠は何もありません*
しかも未受検の段階では「わからない」のであって、もとよりタイプ判定は他人がするものではなく本人が選択するものという前提があります
少なくとも現行のMBTIは自己認知(自分が自分のことをどう思っているか)を生来タイプとみなすツールなので
MBTIを支持しない立場で他人のタイプ判定をしてるなら類型論側
MBTIを支持する立場で他人のタイプ判定をしてるならMBTIにおける類型論の扱いを勘違いしてる側です
学術的には、本当に本人が生まれつきその通りのタイプであるかどうかは別の実測的な検査でしか判定できません
【相談】16タイプ診断スレPart10 ・
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1568030790/
テンプレート抜粋
▪商標について▪
MBTIはマイヤーズアンドブリッグスファウンデーションインコーポレーテッドの商標です。
一般名称ではありません。
MBTIを冠して診断を行えるのは権利者とライセンスを与えられている人のみです。
**商標と特許の違いについて
MBTIは商標です。特許ではありません。16類型における理論や心理機能略号、4文字で表される各タイプ類型等はMBTI固有の商品・役務内容ではないでご注意ください
庇(MBTIは16類型を扱う商品・サービスのひとつ)を借りて母屋(16類型に対する一般名称化)は取れません
* この文面は同様の問題を抱えているスレッドに投稿されています
認知をよろしくお願いいたします オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)は、かつて存在した日本の(新興)宗教団体。
1988年から1995年にかけて、オウム真理教事件を引き起こし、1996年(平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。2000年(平成12年)2月には破産に伴いオウム真理教という名称は消滅した。 地下鉄サリン事件を筆頭に、現世人の魂を救済する「ポア」を大義名分として、組織的に数多くの殺人事件を起こした新興宗教団体である[5]。 教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)は、「ヒマラヤで最終解脱した日本で唯一の存在で空中浮揚もできる超能力者であり、 その指示に従って修行をすれば誰でも超能力を身に付けることができる」、などと謳って若者を中心とする信者を多く獲得した。 教義的にはヒンドゥー教や仏教といった諸宗教に合わせ、1999年に世界に終末が訪れるとするノストラダムスの予言など、オカルトもミックスしていた。 麻原自身は釈迦の教えを忠実に復元したとしていたものの[6]、実際のところ麻原にとって都合の良いものとなっていた。 当初はヨーガを学ぶ和気藹々としたサークルに過ぎなかったが、次第に常軌を逸した行動が見え始め、出家信者に全財産をお布施させたり、 麻原の頭髪や血、麻原の入った風呂の残り湯などの奇怪な商品を高価で販売するなどして、多額の金品を得て教団を拡大させた。 内部では奇怪な商品の売付けや過激な修行で懐疑的になって逃走を図った信者を拘束したり殺害するなどして、 1988年から1994年の6年間に脱会の意向を示した信者のうち、判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名以上に及び、恐怖政治で教祖への絶対服従を強いていた。 「出家」や高額の布施を要求し信者の親族その支援者と揉め事が多く、当初より奇抜、不審な行動が目立ったため、信者の親などで構成される「オウム真理教被害者の会」(のちに「オウム真理教家族の会」に改称)により、 司法、行政、警察など関係官庁に対する訴えが繰り返されたが、取り上げられることなく、その結果、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめ松本サリン事件、
地下鉄サリン事件などのテロを含む多くの反社会的活動(詳細は「オウム真理教事件」を参照)を起こした[7][8] ほか、自動小銃や化学兵器、生物兵器、麻薬、爆弾類といった教団の兵器や違法薬物の生産を行っていた[2]。 第39回衆議院議員総選挙での真理党の惨敗もあり、最終的には、麻原に帰依しない部外者を「ポア」により「救済」するとして、国家転覆計画すらも実行するようになった。 その到達点と言える1995年3月20日の地下鉄サリン事件は、宗教団体が平時の大都市を狙い複数箇所を強力な化学兵器で同時多発テロを起こすという過去に類のない事件であり、 比較的治安の良い戦後日本で起きたことも含めて、日本国内だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた(海外ではTokyo Attack等と称された)。 1996年(平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。2000年(平成12年)2月には破産に伴い「オウム真理教」としては消滅した(2009年に破産手続きが終了した)。 同時に、新たな宗教団体「アレフ」が設立され、教義や信者の一部が引き継がれた。アレフは後に「Aleph」と改称され、また2007年(平成19年)5月に上祐史浩を中心とした別の仏教哲学サークル「ひかりの輪」が、 2014年(平成26年)〜2015年(平成27年)頃にAleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「山田らの集団」と呼ばれる分派(自称ではない)が結成された。 また、既に目立った活動はなく崩壊したと見られているが、北澤優子により「ケロヨンクラブ」なる組織が分派して結成されていた時期もある。 2018年には麻原をはじめとした幹部達の死刑が執行されたが、Alephを中心に未だに麻原信仰は根強く、後継組織の施設周辺は抗議の看板が掲示されるなどしている。 2019年現在も日本の公安調査庁は団体規制法により後継団体の動向を監視している。公安調査庁の調査では、米国政府、欧州連合(EU)、オーストラリア政府、カザフスタン・アスタナ市裁判所、ロシア連邦最高裁判所からテロリストの認定を受け、各国で活動を禁止されている[5]。 麻原の三女松本麗華は、マスメディアではオウム真理教出家者が高学歴のインテリばかりで構成されていたかのようなイメージで報道されたが、実際は一般社会に居場所を無くした構成員も多かったと語る。 例えば、普通に生きていくことに疑問を生じたり、居場所が無かったりした人や、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害などの社会的弱者が少なからずいたという[9]。 「オウム(AUM)」とは、サンスクリット語またはパーリ語の呪文「唵」でもあり、「ア・ウ・ム」の3文字に分解できる。 これは宇宙の創造・維持・破壊を表しており、その意味は「すべては無常である」、すなわちすべては変化するものであるということを表している。 また麻原自身の解説によれば「真理」の意味は、釈迦やイエス・キリストが人間が実践しなければならないものはこうであるという教えを説いたものであるが、その教えの根本であるものを「真理」と呼ぶ。 特にチベット仏教や原始仏教の要素をアピールしたため仏教系とされることも多いが、
あえて仏教を名乗らなかった理由は、「仏教」という言葉自体が釈迦死後に創作されたものであるからとしている。また真理と密接に関係のあるものが科学である[10][11]。 しかし、実は命名には京都の私立探偵・目川重治が関わっていたという。目川は「松本智津夫」から天理教の全容の調査を依頼され、その調査結果を松本に手渡した。 その際、目川があんりきょう、いんりきょう・・・と「あ」から続けていき、「しんりきょう」に至ったという[注釈 2]。 「オウム」は目川の家の向かいにあったオーム電機とオームの法則に由来し、目川が「オームなんていいんじゃないか?」と勧めたとされる[12]。後に目川は松本が麻原彰晃であると知った。 時期は目川の手記では1978-1979年頃、ノンフィクションライターの高山文彦および東京新聞記者瀬口晴義の文献によれば1984年春頃とされている(詳細は「目川重治#オウム真理教」を参照)[13]。
高山は勢力を拡大し教団名が市の名前(天理市)にまでなるに至った天理教を自分の夢と重ねていたのではないかとする[14][15]。 1984年(昭和59年)、超能力開発塾「鳳凰慶林館」を主宰していた麻原彰晃(本名・松本智津夫)
は後に「オウム真理教」となるヨーガ教室「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)を始めた。当時は超能力の獲得を目指すアットホームで明るいヨガ教室だった[16]。 この頃、オカルト系雑誌の『月刊ムー』が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた[17]。
麻原はこれらオカルト雑誌に空中浮揚の瞬間と称する写真を掲載したり、ヒヒイロカネについての記事や、『生死を超える』『超能力秘密の開発法』などの本を執筆するなどして宣伝した。 当時は松本家一家は千葉県船橋市に住み、貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。食事は野菜中心で肉の代りにグルテンを肉状にしたものを食べたり、ちゃぶ台の上にホットプレートを置き、「野菜バーベキュー」を楽しんでいた。 この船橋の家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ棚には仏像が置かれていた。麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。 棚の前にはちゃぶ台があり、麻原はそれを祭壇と呼んでいた。「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」というのが麻原の口癖だった。後に教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使っていた。 当時、麻原はヨーガ教室を東京都渋谷区で開いていたため、家にいることが少なかった。たまに帰宅すると強度の弱視のためテレビにくっつくように野球中継を見ていた。 1986年ころには世田谷区の道場に住み込むようになりほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。 次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。しかし、妻の松本知子は麻原が滅多に帰宅しないことから精神不安定であり、麻原に向かってなじるようないさかいがあり、麻原はこれにほとんど抵抗をしなかった。 3女松本麗華の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、知子は麻原の著書の代筆を深夜まで行っており、後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。 麻原は子供に向かって「蚊に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方妻の知子は蚊を平気で殺していた[9]。 1987年(昭和62年)、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、宗教団体「オウム真理教」が設立された。同年11月にはニューヨーク支部も設立。 「真理教」の名前は石井久子以外には「いかにも新興宗教」と不評であり、もっと宗教色を隠さないと一般受けしないという意見もあったが、麻原は「救済活動をする為なのだから真理教にする」と拘った[18]。
宗教化後は多額の献金を要求するようになり、ワークも増え、会員の三分の一が脱会した[16][19]。 1989年(平成元年)8月25日に東京都に宗教法人として認証された(1993年以降の登記上の主たる事務所は東京都江東区亀戸の新東京総本部)。
麻原は解脱して超能力を身に付けたといい、神秘体験に憧れる若者を中心に組織を急速に膨張させていく。 さらに麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である破壊神シヴァ神あるいはチベット密教の怒りの神「マハーカーラ」などの化身だとも説き、人を力尽くでも救済するこの神の名を利用し目的のためには手段を選ばず暴力をも肯定する教義へと傾斜していく。 同年にはサンデー毎日で「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、オウム批判、オウムバッシングが始まった[20]。
麻原はチベット亡命政府の日本代表であったペマ・ギャルポと接触し、その助力によって、1987年(昭和62年)2月24日ならびに1988年(昭和63年)7月6日にダライ・ラマ14世とインドで会談した。
麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「ねえ君、今の日本の仏教を見てみたまえ。か。これじゃあいけないよ。このままじゃ、日本に仏教はなくなっちゃうよ。」
「君が本当の宗教を広めなさい。君ならそれができる。あなたはボーディ・チッタ[注釈 3] を持っているのだから」と麻原に告げたとしてオウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した[21][22]。
ペマ・ギャルポはその後まもなくオウム真理教と積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても今後は麻原と関係を持たないように進言した。
ダライ・ラマと同様オウム真理教は教団の権威づけに多くのチベットの高僧やインドの修行者と接触し宣伝材料として利用していたが、オウム真理教から接触があった高僧や修行者は軒並み深い関係を否定している[21]。
1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世は記者会見で「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。彼は宗教より組織作りに強い興味を持っているという印象が残っている。
私に会いに来る人には誰でも友人として接している。しかし、オウム真理教の教えを承認してはいない。私は超能力や奇跡には懐疑的だ。仏教は、一人の指導者に信者が依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」と語った。
肝硬変や肝臓がんだと大騒ぎになったりもする。高弟の前でも「もう死のうかな」と呟き、新実智光は「お供します」、早川紀代秀は「困ります」、
上祐史浩は「残って救済活動をします」と答え、妻の松本知子は「勝手にすれば」と言ったという[9]。
3女松本麗華は、この頃から「麻原の死への願望は強まった」と考えている。解脱者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いがあったが、
弟子の修業が思うように進まず、通常通りの方法では人間界が救われないという否定的な認識が麻原彰晃に芽生えたと見ている[9]。 麻原は自らの権威づけをかねて主要な弟子を引き連れて世界各地の宗教聖地を巡った。1987年には、
「麻原の前世が古代エジプトのイムホテップ王であった」ということから、同王が埋葬されているピラミッドの視察目的でエジプトツアーを行った[27]。
1989年(平成元年)8月、所轄庁の東京都知事より宗教法人としての認可を得た後、日本全国各地に支部や道場を設置する一方、ロシアやスリランカなど海外にも支部を置いた。ロシアでは優秀な演奏者を集めキーレーンという専属オーケストラを所有、布教に利用した[28]。
日本では1989年(平成元年)に約1万人程度の信者が存在していたとされる[29]。麻原は1991年(平成3年)を「救済元年」とし(教団内でこれを元号の如く用いた)[要出典]、マスメディアを中心とした教団活動を活発化させた。
1992年11月12日には、釈迦が菩提樹の下で悟りを開く瞑想に入ったとされる聖地、インド・ブッダガヤの大菩提寺にある「金剛座」に座り、地元の高僧に下りるように言われたが従わなかったため、警官に引き摺り下ろされた[30]。
麻原は日本では盛んにテレビ・ラジオ番組に露出し、雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行った。
このほか講演会開催、ロシアや東南アジア諸国・アフリカ諸国などへの訪問や支援活動、出版物の大量刊行などを行った。図書館への寄贈・納本も行っており、麻原の著書を初めとするオウム真理教の出版物は現在も国立国会図書館等に架蔵されている。
特に若い入信者の獲得を企図し、麻原が若者向け雑誌に登場したり、1980年代後半から行っていた大学の学園祭での講演会を更に頻繁に開催するなどした(東京大学、京都大学、千葉大学、横浜国立大学等)。
1992年(平成4年)にはサリン事件後広範に知られるようになるパソコン製造などを行う会社「株式会社マハーポーシャ」を設立し、格安パソコンの製造販売を行うようになった。 麻原はチベット亡命政府の日本代表であったペマ・ギャルポと接触し、その助力によって、1987年(昭和62年)2月24日ならびに1988年(昭和63年)7月6日にダライ・ラマ14世とインドで会談した。 麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「ねえ君、今の日本の仏教を見てみたまえ。
あまりにも儀式化してしまって、仏教本来の姿を見失ってしまっているじゃないか。これじゃあいけないよ。このままじゃ、日本に仏教はなくなっちゃうよ。」 そして1990年、麻原は真理党を結成して第39回衆議院議員総選挙に出馬。
選挙の際には信者が麻原のお面やガネーシャの帽子をかぶり、尊師マーチなど教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌やテレビで報道され、徐々に知名度が上がっていく。
この時には公職選挙法で定められた時間帯を大きく超える16時間/日に及ぶ街頭宣伝運動を繰り広げ、麻原彰晃の写真入りビラやパンフレット、雑誌を選挙区中に撒き、麻原そっくりのお面を大量に作って運動員に被らせた[33]。
これは違法で警視庁から警告を受けたが、運動にかり出された元信者は「もしも誰かから注意されたりしたら、『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示を受けていた[33]。
また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身が勧め、深夜に信者を使って他の候補者を中傷するビラを配布させた[33][34]。
結果はこの選挙で最も得票の多かった麻原でさえ1,783票[34] であり、惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」と発言し、
「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく」として、ボツリヌス菌やホスゲンによる無差別テロ計画(オウム真理教の国家転覆計画)を指示する[35]。
このことからもこの選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層高め、非合法活動を更にエスカレートさせたといわれている。
麻原は選挙での惨敗を受け、オウム真理教の国家転覆計画を実行に移し始めた。
教団内ではかねてから、現代人は死後三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に転生してしまうためこれを防がなくてはならない[36]�ネどと教え込まれていたため、信者は麻原に従って武装化に協力していった。
しかしこのセミナーで多数の出家者を獲得し、選挙での惨敗後に脱会者が続出した教団を蘇生することには成功した。
これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽って信者や出家者をかき集める方法の原点になった[37]。
麻原本人は言葉巧みに若い女性信者を説得し、左道タントライニシエーションと称して性交を行っており、避妊も行っていなかったため妊娠・出産に至る女性も数多く現れた 「君が本当の宗教を広めなさい。君ならそれができる。あなたはボーディ・チッタ[注釈 3] を持っているのだから」と麻原に告げたとしてオウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した[21][22]。 ペマ・ギャルポはその後まもなくオウム真理教と積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても今後は麻原と関係を持たないように進言した。 ダライ・ラマと同様オウム真理教は教団の権威づけに多くのチベットの高僧やインドの修行者と接触し宣伝材料として利用していたが、
事件後に行われたマスコミの取材に対して、オウム真理教から接触があった高僧や修行者は軒並み深い関係を否定している[21]。 サリン事件後に「サリン事件は、オウムである」などと書かれた「松本サリン事件に関する一考察」という怪文書が出回り、
さらにオウムを追っていたジャーナリストの江川紹子が何者かに毒ガス攻撃を受ける(江川紹子ホスゲン襲撃事件)など、オウムと毒ガスの関係性が噂され始めた。1994年11月には強制捜査接近の噂迫が教団内に流れ、サリンプラントの建設を中断するなどの騒ぎとなっていた。
そして1995年(平成7年)1月1日、読売新聞が上九一色村のサティアン周辺でサリン残留物が検出されたことを報じ、オウムへのサリン疑惑が表面化、
教団は「上九一色村の肥料会社が教団に向けて毒ガス攻撃をしているため残留物が発見された」と虚偽の発表をするとともに、隠蔽工作に追われることとなった。
だが麻原は1995年1月17日の阪神淡路大震災で強制捜査が立ち消えになったものと考え[35]、1995年2月28日、東京都内で公証人役場事務長逮捕監禁致死事件を起こす。
この事件で教団信者松本剛の指紋が発見されたことにより、
ようやく警視庁は公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で全国教団施設の一斉捜査を決定したのであった。
3月15日には霞ケ関駅で自動式噴霧器が発見されたこともあり、毒ガスによる抵抗を想定して、
陸上自衛隊から戦闘用防護衣450着と化学防護衣50着を借用するとともに、3月19日には警視庁機動隊員300名と捜査一課捜査員20名が朝霞駐屯地に派遣され、防護服の装着訓練を受けていた[56]。
強制捜査後、上祐史浩らがテレビに出演して釈明を続け、サリンはつくっていないなどと潔白を主張した。
一部の幹部は逃走し、八王子市方面に逃げた井上嘉浩、中川智正らのグループは村井秀夫から捜査撹乱を指示され、4月から5月にかけて新宿駅青酸ガス事件、都庁爆弾事件を起こした。
また、その村井秀夫は1995年4月23日に東京南青山総本部前に集まった報道陣を前にして刺殺された(村井秀夫刺殺事件)。4月15日予言などオウムに関するデマも飛び交った。
1995年(平成7年)5月16日には再び、自衛隊の応援を得て付近住民を避難させた上で、カナリアを入れた鳥かごを持つ捜査員を先頭に、上九一色村の教団施設の捜索を開始。
第6サティアン内の隠し部屋に現金960万円と共に潜んでいた麻原彰晃こと松本智津夫(当時40歳)が逮捕された。また、証拠品の押収や、PSI(ヘッドギア)をつけさせられた子供たちを含む信者が確保された[61]。 1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世は記者会見で「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。彼は宗教より組織作りに強い興味を持っているという印象が残っている。私に会いに来る人には誰でも友人として接している。 しかし、オウム真理教の教えを承認してはいない。私は超能力や奇跡には懐疑的だ。仏教は、一人の指導者に信者が依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」と語った。 教団の姿勢は社会の強い反発を招き、長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、
国会でもオウム対策法として無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(いわゆる「オウム新法」)を制定するに至った。
予言されたハルマゲドンもなかったことから、教団は1999年9月に「オウム真理教休眠宣言」、12月1日は「正式見解」を発表し事件を形式的に認めた[74]。 この話はオウム真理教が江川紹子と出版社を相手取り損害賠償請求訴訟を行なった際の争点の一つとなったが、判決は「名誉毀損に当たらない」としてオウム真理教の請求を棄却した。 江川紹子は「多額の寄付をしてもらえば、普通お礼はするし、多少のリップサービスをすることもある。麻原教祖はそうした相手の反応を利用し、(中略)オウムの権威や信用を高めようとしたのではないか」と推測している[21]。 1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世は記者会見で「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。彼は宗教より組織作りに強い興味を持っているという印象が残っている。私に会いに来る人には誰でも友人として接している。 しかし、オウム真理教の教えを承認してはいない。私は超能力や奇跡には懐疑的だ。仏教は、一人の指導者に信者が依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」と語った。 この話はオウム真理教が江川紹子と出版社を相手取り損害賠償請求訴訟を行なった際の争点の一つとなったが、判決は「名誉毀損に当たらない」としてオウム真理教の請求を棄却した。 1988年10月頃、富士宮市人穴に総本部道場建設[23]。この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、健康面に不安を感じ始め「自分が死んだら、教団をどうするのか」あるいは「私は長くてあと5年だ」「死にたい」などと洩らすようになる。 肝硬変や肝臓がんだと大騒ぎになったりもする。高弟の前でも「もう死のうかな」と呟き、新実智光は「お供します」、早川紀代秀は「困ります」、上祐史浩は「残って救済活動をします」と答え、妻の松本知子は「勝手にすれば」と言ったという[9]。 3女松本麗華は、この頃から「麻原の死への願望は強まった」と考えている。解脱者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いがあったが、
弟子の修業が思うように進まず、通常通りの方法では人間界が救われないという否定的な認識が麻原彰晃に芽生えたと見ている[9]。 宗教法人に適用される不課税、税額控除目的に1989年3月1日、東京都に認可申請を行った。しかし、未成年の信者を巡って家族及び被害者の会からの批判によって認証手続きが遅れる。 4月24日には麻原が信者200人を引き連れ東京都庁に押しかけ、抗議するという騒動を引き起こした。この認証手続きには被害者の会の家族から依頼を受けた北川石松衆院議員の圧力に対し、
教団側は『元弁護士で裁判官だった出家信者』及び『沖縄の参院議員』を利用し、認証手続きを推し進めようとしたことが麻原の第43回公判で明らかになっている[24]。
しかし結局、不認可する理由がないことから8月25日、宗教法人認可を受けた。 1989年の参院選でマドンナ旋風が沸き起こったことから、1990年2月に行われる衆院選に、当初麻原は石井久子をはじめとした女性信者を出馬させる構想を立てたが、その後麻原自身が徳によって政を行い、
地上に真理を広めるために1990年(平成2年)には真理党を結成して第39回衆議院議員総選挙へ麻原と信者24人[注釈 4] が集団立候補。
選挙に立候補するかどうかはオウムとしては珍しく幹部による多数決が採られた。結果は10:2で賛成派が勝利。反対した2人は上祐史浩と岐部哲也であった[25]。 しかし結果は惨敗し、当時立候補者1人あたり200万円だった供託金として計5,000万円が没収される[26]。 麻原は自らの権威づけをかねて主要な弟子を引き連れて世界各地の宗教聖地を巡った。1987年には、「麻原の前世が古代エジプトのイムホテップ王であった」ということから、同王が埋葬されているピラミッドの視察目的でエジプトツアーを行った[27]。 後に麻原は自著において「ピラミッドはポアの装置だ」と述べた[27]。1989年(平成元年)8月、所轄庁の東京都知事より宗教法人としての認可を得た後、日本全国各地に支部や道場を設置する一方、ロシアやスリランカなど海外にも支部を置いた。 ロシアでは優秀な演奏者を集めキーレーンという専属オーケストラを所有、布教に利用した[28]。日本では1989年(平成元年)に約1万人程度の信者が存在していたとされる[29]。
麻原は1991年(平成3年)を「救済元年」とし(教団内でこれを元号の如く用いた)[要出典]、マスメディアを中心とした教団活動を活発化させた。 1992年11月12日には、釈迦が菩提樹の下で悟りを開く瞑想に入ったとされる聖地、インド・ブッダガヤの大菩提寺にある「金剛座」に座り、地元の高僧に下りるように言われたが従わなかったため、警官に引き摺り下ろされた[30]。 麻原は日本では盛んにテレビ・ラジオ番組に露出し、雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行った。このほか講演会開催、ロシアや東南アジア諸国・アフリカ諸国などへの訪問や支援活動、出版物の大量刊行などを行った。 図書館への寄贈・納本も行っており、麻原の著書を初めとするオウム真理教の出版物は現在も国立国会図書館等に架蔵されている。
特に若い入信者の獲得を企図し、麻原が若者向け雑誌に登場したり、1980年代後半から行っていた大学の学園祭での講演会を更に頻繁に開催するなどした(東京大学、京都大学、千葉大学、横浜国立大学等)。 1992年(平成4年)にはサリン事件後広範に知られるようになるパソコン製造などを行う会社「株式会社マハーポーシャ」を設立し、格安パソコンの製造販売を行うようになった。 ロシアでは、1992年4月1日にオウム真理教放送が開始される。日本語の他、英語やロシア語で放送を行っていた。当初は「エウアゲリオン・テス・バシレイアス」という番組名で、放送局名や放送時間、周波数等の告知すらなく、同年4月半ばからは「オウム真理教放送」と名乗る。 ギリシア語では「エウアンゲリオン」が正しい発音だという聴取者の指摘により、8月1日の放送分より「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」に変更された。制作は富士山総本部で、録音テープをモスクワに空輸し放送していた。 電波の受信状態が悪かったため12月1日からは富士山総本部のスタジオからの生放送に変更された。
1992年6月15日にはモスクワ放送の英語ワールドサービスの時間枠を使用し、日本時間の5時30分と13時30分からそれぞれ約30分間、全世界に向けての英語放送を開始。
1992年9月1日からは「マヤーク」という約25分間のロシア語放送が開始された。11月19日にはモスクワのテレビの2×2にて「真理探求」という番組が開始される[31]。 一連の事件が強制捜査を受けたことから、ロシア当局は放送の中止を決め、日本時間の1995年3月23日の放送が最後となった。翌24日もスタジオからは番組を発信したが、ロシア側が放送中止を決めたため、電波には乗らなかった[31]。 番組内では、麻原彰晃作曲とされる多くのオウムソングが流され、「超越神力」、「エンマの数え歌」、「御国の福音」第1楽章の一部や「シャンバラ・シャンバラ」などのほか、モスクワ大学での麻原彰晃説法の様子も放送された。 麻原の3人の弟子として、アナウンサーのカンカー・レヴァタ(杉浦実)、ダルマヴァジリ(坪倉浩子)、アシスタント役にはマンジュシュリー・ミトラ(村井秀夫)が登場した。 麻原夫人の松本知子(ヤソーダラー)が、かつてはアンチ宗教だったという衝撃的な発言にはじまり、夫人の考え方が変わってゆく様子なども流された。 1995年3月22日、オウム真理教に対する警察の強制捜査が行われ、翌23日にはこれに対する麻原自らの反論が放送された。音質から、第4サティアンのスタジオではなく、他の場所での収録と推測されている。 1995年2月からは、麻原が「わたしは、君たちがわたしの手となり、足となり、 あるいは頭となり、救済計画の手伝いをしてくれることを待っている
さあ、一緒に救済計画を行なおう そして、悔いのない死を迎えようではないか」と呼びかけるメッセージを送り続けていたが、3月23日の放送の最後にもこれが放送されオウム真理教放送最後のオンエアとなった[31][32]。 1988年(昭和63年)、在家信者死亡事件が発生。麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」とつぶやいたという。隠蔽のため、1989年(平成元年)には男性信者殺害事件を起こし殺人に手を染める。 翌年の選挙戦など教団の活動の障碍になるとして、前年の1989年11月4日、オウム批判をしていた坂本堤弁護士とその一家を殺害(坂本堤弁護士一家殺害事件)。
中川智正が殺害の際プルシャ(オウムのバッジ)を落としたためオウム犯行説が一時広まるが、任意の失踪の可能性があるなどとされこの頃はまだ事件性すら確定されていなかった。 そして1990年、麻原は真理党を結成して第39回衆議院議員総選挙に出馬。
選挙の際には信者が麻原のお面やガネーシャの帽子をかぶり、尊師マーチなど教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌やテレビで報道され、徐々に知名度が上がっていく。 この時には公職選挙法で定められた時間帯を大きく超える16時間/日に及ぶ街頭宣伝運動を繰り広げ、麻原彰晃の写真入りビラやパンフレット、雑誌を選挙区中に撒き、麻原そっくりのお面を大量に作って運動員に被らせた[33]。 これは違法で警視庁から警告を受けたが、運動にかり出された元信者は「もしも誰かから注意されたりしたら、『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示を受けていた[33]。
また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身が勧め、深夜に信者を使って他の候補者を中傷するビラを配布させた[33][34]。 結果はこの選挙で最も得票の多かった麻原でさえ1,783票[34] であり、惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」と発言し、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく」として、
ボツリヌス菌やホスゲンによる無差別テロ計画(オウム真理教の国家転覆計画)を指示する[35]。このことからもこの選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層高め、非合法活動を更にエスカレートさせたといわれている。 麻原は選挙での惨敗を受け、オウム真理教の国家転覆計画を実行に移し始めた。
教団内ではかねてから、現代人は死後三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に転生してしまうためこれを防がなくてはならない[36] などと教え込まれていたため、信者は麻原に従って武装化に協力していった。 1990年4月、「オースチン彗星(英語版)が接近しているために、日本は沈没するが、オウムに来れば大丈夫」と宣伝し、在家信者だけでなく家族まで参加させ行き先も伝えないまま石垣島に連れて行き石垣島セミナーを開催した[37][38]。 セミナーの当初の目的は、オウム真理教が計画をしていたボツリヌス菌・ボツリヌストキシン散布によるテロから、オウムの信者を守ることであった。しかし村井秀夫、遠藤誠一らはボツリヌス菌の培養に失敗をしたためテロは実行されなかった[39]。 参加者によると、参加費は30万円であったが、会場はきちんと予約されておらず、天候が悪かったこともあり、「現在の東欧動乱は、
1986年のハレー彗星の影響であり、今年のオースチン彗星の接近によって何かが起こる」とただそれだけの話があっただけで行事は予定を繰り上げてお開きになった。
しかしこのセミナーで多数の出家者を獲得し、選挙での惨敗後に脱会者が続出した教団を蘇生することには成功した。
これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽って信者や出家者をかき集める方法の原点になった[37]。 1990年(平成2年)5月、日本シャンバラ化計画の一環として熊本県阿蘇郡波野村(現在の阿蘇市)に進出するが、地元住民の激しい反対運動に会う。波野村進出の目的のひとつは武装化拠点の確保であった[39]。
しかし村民はオウムの進出に反発し、反対運動が激化した。村の反対運動の背景には、村長派と反村長派との対立があったともされる。また右翼団体なども扇動され激しい攻防があった[40]。 そして1990年10月22日、オウム真理教波野村の土地売買に関する国土利用計画法違反事件で強制捜査を受け、早川紀代秀、満生均史、青山吉伸、石井久子、大内利裕など教団幹部が続々と逮捕された。
しかしオウムは熊本県警内の信者から情報を入手しており、強制捜査も1週間延期されていたものだったので、武装化設備を隠蔽することができた[41]。 後の1994年、結局波野村はオウムが5000万円[42] で手に入れた土地を和解金という形式で9億2000万円[43][44]で買い戻すことで合意、オウムの大きな資金源となった。 国土法違反事件の影響もあり、1991年(平成3年)〜1992年(平成4年)はホスゲンプラント計画や生物兵器開発などの教団武装化を中断、テレビや雑誌への出演や文化活動などに重点を置いた「マハーヤーナ」路線への転換を図った。 だが1992年頃より、「宇宙衛星から電磁波攻撃を受けている[45]」などといった麻原の妄想、幻聴が現れ始める。「シヴァ大神の示唆では仕方ないな」
とつぶやき、「内なる声」が自らの進みたい道とは違うことに苦しみ始め「いっそ死んでしまいたい」と言ったのを3女麗華が聞いている。
麗華は麻原を統合失調症などの精神疾患に罹患していたのではないかと推測している[9]。 1993年(平成5年)前後から再び麻原は教団武装化の「ヴァジラヤーナ」路線を再開[35]。武力を保有するため、オカムラ鉄工を乗っ取りAK-74の生産を試みたり(自動小銃密造事件)、NBC兵器の研究を行うなど教団の兵器の開発を進めた。
1993年以降は麻原がオウム真理教放送等を除くメディアに登場することはなくなり、国家転覆を狙った凶悪犯罪の計画・実行に傾斜してゆく。 この中で土谷正実、中川智正、滝澤和義らの手によってサリンなど化学兵器の合成に成功。
1993年より、これを利用した池田大作サリン襲撃未遂事件、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件を起こし、敵対者の暗殺を試みた。さらに第7サティアンにおいてサリン70トンの大量生産を目指した(サリンプラント建設事件)。 また生物兵器の開発も再開し、遠藤誠一、上祐史浩らが炭疽菌を用いて亀戸異臭事件などを起こしたが、こちらは成功しなかった。 この頃には、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると主張するようになり、車には空気清浄機を付け、ホテルでは大真面目に隙間に目張りをしていた。 ヘリコプターが通過する際には、毒ガスだと言って車に駆け込み退避するよう命じる有り様だった[9]。中川智正によると、この被害妄想は1993年10月頃に第2サティアンの食物工場から二酸化硫黄を含む煙が出た事故を、毒ガス攻撃と思い込んだことから始まったという[46]。 過激化とともに布施の強化が図られ、社会との軋轢が増すにつれ、教団内部に警察などのスパイが潜んでいるとしきりに説かれ、信者同士が互いに監視しあい、密告するよう求められるようになる。
麻原は信者に対して「教団の秘密を漏らした者は殺す」「家に逃げ帰ったら家族もろとも殺す」「警察に逃げても、警察を破壊してでも探し出して殺す」と脅迫していたという[47]。教団内の締め付けも強くなり、
薬剤師リンチ殺人事件、男性現役信者リンチ殺人事件、逆さ吊り死亡事件などが発生した。 1994年からオウムでは違法薬物をつかったイニシエーションを次々と実行するようになり、LSDを使ったイニシエーションが在家信者に対しても盛んに行われた(LSDは麻原自身も試している)[48]。 費用は100万円であったが、工面できない信者には大幅に割引され、5万円で受けた信者もいる[49]。LSDを使った「キリストのイニシエーション」は出家信者の殆どに当たる約1200人と在家信者約200〜300人、
LSDと覚醒剤を混ぜた「ルドラチャクリンのイニシエーション」は在家信者約1000人が受けた[50]。 また、林郁夫によって「ナルコ」という儀式が開発された。「ナルコ」は、チオペンタールという麻酔薬を使い、意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると林にナルコの実施を命じた。 麻原は林に、信者達の行動を監視するよう命じ、信者が自分の仕事の内容を他の信者へ話すことすら禁じていた。[要出典]林郁夫はさらに「ニューナルコ」と呼ばれる薬物を併用した電気ショック療法を使い始め、字が書けなくなったり記憶がなくなっている信者が見つかっている。
他にも、村井秀夫によりPSIという奇妙な電極付きヘッドギアが発明され、教団の異質性を表すアイテムとなった。 洗脳は出家信者の子どもにも及び、PSIを装着させたり、LSDを飲ませたり、オウムの教義や陰謀史観に沿った教育をしたりしており、
事件後に保護されたオウムの子どもたちが口を揃えて「ヒトラーは正しかった、今も生きている」などと語っている光景も目撃されている[50][51]。 麻原本人は言葉巧みに若い女性信者を説得し、左道タントライニシエーションと称して性交を行っており、避妊も行っていなかったため妊娠・出産に至る女性も数多く現れた。 1994年6月27日、東京都内のうまかろう安かろう亭で省庁制発足式が開かれ、これにより教団内に「科学技術省」「自治省」「厚生省」「諜報省」などといった国家を模したような省庁が設置された。 3女松本麗華によれば、1994年6月に麻原の体調が悪化し、教団運営ができなくなる恐れが出たために、省庁制が敷かれたという。各省庁の責任者や大臣が大きな権限を持つようになり、3女は、11歳にして法皇官房長官に任命される。 任命時に麻原は麗華に「お前はもう11歳だから大人だ」と言ったが麗華がふてくされていると「法皇官房は、私のことを一番に考える部署なんだ。お前は長官だから、私の世話をしっかり頼む」と言った。 同日、オウムの土地取得を巡る裁判が行われていた長野県松本市において、裁判の延期と実験を兼ねてサリンによるテロを実行。
死者8人、重軽傷者600人を出す惨事となる(松本サリン事件)。当初はオウムではなく第一通報者の河野義行が疑われ厳しい追及が行われるなど、後に捜査の杜撰さが指摘された。またマスコミによる報道被害も問題になった。 1994年(平成6年)と1995年(平成7年)には特に多くの凶悪事件を起こす。そのうちいくつかの事件では当初より容疑団体と目され、警察当局の監視が強化された。オウム内ではビデオ「戦いか破滅か」や雑誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」などで危機感を煽った[52]。 「信徒用決意」という決意文にはこうある。「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」「はぎとって、はぎとって、すべてを奪い尽くすぞ」[53]。 さらに、決意V-2にはこうある。「たとえ恨まれようと、憎まれようと、どんなことをしてでも、真理に結び付け、救済することが真の慈愛である」「救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ」「そして、まわりの縁ある人々を高い世界へポワするぞ」[54]。 これらの教義は、信者の監禁事件へと発展していき、1994年には教団は拉致・監禁を平然と行うようになり、ピアニスト監禁事件、宮崎県資産家拉致事件、
鹿島とも子長女拉致監禁事件といった多数の拉致監禁事件を起こし、サティアンに作られた独房や監禁用コンテナ、一日中麻原の説法テープを聞かせる部屋(ポアの間)に被害者を監禁した。 さらに土谷正実が猛毒VXの合成に成功し、これを用いて敵対者の暗殺を計画、駐車場経営者VX襲撃事件、会社員VX殺害事件、
オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件を起こした。麻原は「もうこれからはテロしかない」[55]、「100人くらい変死すれば教団を非難する人がいなくなるだろう。
1週間に1人ぐらいはノルマにしよう」[55]、「ポアしまくるしかない」[35] などと語っていた。 松本サリン事件後に「サリン事件は、オウムである」などと書かれた「松本サリン事件に関する一考察」という怪文書が出回り、
さらにオウムを追っていたジャーナリストの江川紹子が何者かに毒ガス攻撃を受ける(江川紹子ホスゲン襲撃事件)など、オウムと毒ガスの関係性が噂され始めた。 1994年11月には強制捜査接近の噂迫が教団内に流れ、サリンプラントの建設を中断するなどの騒ぎとなっていた。
そして1995年(平成7年)1月1日、読売新聞が上九一色村のサティアン周辺でサリン残留物が検出されたことを報じ、オウムへのサリン疑惑が表面化、
教団は「上九一色村の肥料会社が教団に向けて毒ガス攻撃をしているため残留物が発見された」と虚偽の発表をするとともに、隠蔽工作に追われることとなった。 だが麻原は1995年1月17日の阪神淡路大震災で強制捜査が立ち消えになったものと考え[35]、1995年2月28日、東京都内で公証人役場事務長逮捕監禁致死事件を起こす。
この事件で教団信者松本剛の指紋が発見されたことにより、ようやく警視庁は公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で全国教団施設の一斉捜査を決定したのであった。 3月15日には霞ケ関駅で自動式噴霧器が発見されたこともあり、毒ガスによる抵抗を想定して、陸上自衛隊から戦闘用防護衣450着と化学防護衣50着を借用するとともに、
3月19日には警視庁機動隊員300名と捜査一課捜査員20名が朝霞駐屯地に派遣され、防護服の装着訓練を受けていた[56]。 しかし教団はそれを察して警察より早く動き、強制捜査を遅らせるため1995年3月20日に地下鉄サリン事件を決行。13人の死者と数千人の負傷者が発生する大惨事となった。 ただし、唯一地下鉄サリン事件が決定されたリムジン謀議の内容を詳細に証言している井上嘉浩によると、2014年2月4日の平田信公判において「サリンをまいても、強制捜査は避けられないという結論で、議論が終わっていた。 しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた。自分の予言を実現させるためだったと思う。」[57]、2015年2月20日の高橋克也の公判において「『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために、
事件を起こしたと思った」と証言しており、自身の「ハルマゲドン」の予言を成就させるためという説もある[58]。 いずれにせよ強制捜査延期には至らず、事件2日後の3月22日には、山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)を中心とした教団本部施設への一斉捜索が行なわれ、
サリンプラント等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布のためのヘリコプター、衰弱状態の信者50人以上等が見つかり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。
以降、同事件や以前の事件への容疑で教団の幹部クラスの信者が続々と逮捕された[59]。 強制捜査の際、どこの現場でも「捜索令状をじっくり読む」「立会人を多数要求する」「警察官の動きをビデオや写真に撮る」という光景が見られた[60]。
また報道陣に対してもしつこくカメラを向け、突然の捜索に驚き慌てる様子は全くなく、事前に準備され訓練された行動のようであった[60]。 実際に弁護士で信者の青山吉伸から「絶対に警察の手に渡ってはいけない違法なものに限り持ち出し、
露骨な持ち出しをしないように」「令状呈示のメモ及び録音で時間を稼ぎ、私服警察官に対しては警察手帳の呈示を求める」「水際で相手を嫌にさせて、捜索意欲をなくさせる」「排除等の暴行に及んで来たらビデオで記録化する」「施設の電源を落とす」
「内鍵をして立て篭る」「勝手に触ると修法が台なしになると主張する、ほとんどのものを修法されているとする」という通達と、警察との想定問答が極秘に出されていた[60]。 もちろんこれは刑法104条の証拠隠滅罪に該当する[60]。
オウムの犯罪行為は一部の信者以外には秘密であったうえ、「オウムは米軍に毒ガス攻撃されている被害者」「不殺生戒を守り虫も殺さぬオウム信徒が殺人をするはずがない」と教わっていたため、事件を陰謀と考える信者の抵抗は大きかった。 強制捜査後、上祐史浩らがテレビに出演して釈明を続け、サリンはつくっていないなどと潔白を主張した。
一部の幹部は逃走し、八王子市方面に逃げた井上嘉浩、中川智正らのグループは村井秀夫から捜査撹乱を指示され、4月から5月にかけて新宿駅青酸ガス事件、都庁爆弾事件を起こした。 また、その村井秀夫は1995年4月23日に東京南青山総本部前に集まった報道陣を前にして刺殺された(村井秀夫刺殺事件)。4月15日予言などオウムに関するデマも飛び交った。 1995年(平成7年)5月16日には再び、自衛隊の応援を得て付近住民を避難させた上で、カナリアを入れた鳥かごを持つ捜査員を先頭に、上九一色村の教団施設の捜索を開始。
第6サティアン内の隠し部屋に現金960万円と共に潜んでいた麻原彰晃こと松本智津夫(当時40歳)が逮捕された。また、証拠品の押収や、PSI(ヘッドギア)をつけさせられた子供たちを含む信者が確保された[61]。 1989年(平成元年)3月、東京都に対し宗教法人の認証を申請。6月、東京都は受理を保留したため、オウム真理教は鈴木俊一東京都知事を相手取り、行政の不作為の違法確認訴訟を東京地方裁判所に提起した。8月、東京都が宗教法人として認証。 設立
1989年8月29日
主たる事務所の位置
東京都江東区亀戸
目的
主神をシヴァ神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導のもとに、
古代ヨガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目的を達成するために必要な業務を行う。 規則
代表役員は、9人の責任役員の互選により選任され、オウム真理教を代表し、その事務を総理する権限を有する。
責任役員は、信徒および大師のうちから、総代会の決議をへて、代表役員が選任する。
総代会を組織する総代は、信徒および大師のうちから、責任役員会の議決を得て、代表役員が選任する。 信徒とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、代表役員の承認を受けたもの。
大師とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、信徒を正しく指導できると、代表役員が認めたもの。 役員等
代表役員:松本智津夫(麻原彰晃)
責任役員:松本知子、石井久子、大内早苗、上祐史浩、都澤和子、飯田エリ子、新実智光、大内利裕
監事:満生均史、別所妙子 オウム真理教教団本部は上九一色村に多数点在するサティアンではなく、富士宮市の教団「富士山総本部」である。 また、東京方面での布教活動の総拠点となったのが東京、南青山の東京総本部である。 日本シャンバラ化計画 編集
麻原は1987年、「日本シャンバラ化計画」を発表した。これによると、ゆくゆくは日本主要都市すべてに総本部を設置しそこから日本全土に布教活動をし、いずれは自給自足のオウムの村「ロータス・ビレッジ」を建設するというものだった[35]。 教団の信者は在家信徒と出家修行者(サマナ)に分けられる。在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。 このほか名目上の信徒である「黒信徒」がいた。黒信徒の入会金は信者の家族や知人が代わりに払っていたので一応信徒としてカウントし水増ししていた[142]。 オウムの修行の最終的な目標は、現実世界を越えた真実に到達することで、サマナと呼ばれる出家修行者らはその目標に到達するために、激しい修行を行った。現実世界を超えるためには、この世界の価値観を超越し観念を壊す必要がある。 社会の価値観に重きを置かない点で、最初からオウムは「狂気」の思想を内包していた。当初はこの狂気の割合が低く社会性も帯びていたものが、バッシングなどや終末思想などにより次第に崩壊をはじめ、社会性が薄れていった[9]。 修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期によるが、
1995年(平成7年)時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師(小師、愛師・菩師、愛師長補・菩師長補、愛師長・菩師長)、正悟師(正悟師、正悟師長補、正悟師長)、正大師の各ステージが存在した。 師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた(詳細は「オウム真理教の階級」を参照)。 オウム真理教幹部には難関大学の卒業者も多く、教団の武装化を可能にした村井秀夫、土谷正実、遠藤誠一など理系幹部を多く抱えていた。
また弁護士資格を持つ青山吉伸、公認会計士資格を持つ柴田俊郎、上田竜也、医師免許を持つ林郁夫や中川智正、芦田りら、佐々木正光、平田雅之、森昭文、小沢智、片平建一郎など社会的評価の高い国家資格を持つ者も多くいた。 他にも山形明、丸山美智麿など自衛隊員、建設会社出身で教団の不動産建設やロシアとの交渉を手がけた早川紀代秀、元暴力団員の中田清秀、
松任谷由実のアルバム制作にも関わったことのあるデザイナーの岐部哲也、彰晃マーチなどを作曲したミュージシャンの石井紳一郎、盗聴技術を持っていた林泰男、元日劇ダンシングチームの鹿島とも子など幅広い層の信者を有していた。 教団には弁護士青山吉伸がおり、批判に対し多数の訴訟を乱発していた。
毎日新聞、西日本新聞、熊本日日新聞など初期からオウム報道をしていたマスコミも訴訟のターゲットとなり、事件発覚までマスコミがオウムへの追及を敬遠する一因となった[144]。 さらに敵対者や脱会活動に対しては、
ビラまき - 毎日新聞社の入るビルを25分の間にビラで埋め尽くしたこともあった[145]
通勤経路にオウムのポスターを貼る[146]
車を並べる[146]
無言電話[147]
いたずら電話[148]
梵字による仄めかし[147]
盗聴[149]
街宣[150]
オウム真理教の音楽を流す[150]
などの嫌がらせを行い、これらはエスカレートし数々の襲撃事件に至った。 1991年(平成3年)には、麻原彰晃がロシアを初訪問した。当時のモスクワ放送もこの模様を伝え、クレムリン宮殿で宗教劇の上演が行われたことやアナトリー・ルキヤノフ最高会議議長と会談したことを報じた。 モスクワにおいて麻原は、当時ロシア副大統領だったアレクサンドル・ルツコイやロシア連邦首相のヴィクトル・チェルノムイルジン、モスクワ市長のユーリ・ルシコフ等、ロシア政界の上層部と接触。
翌年には後に安全保障会議書記となるオレグ・ロボフが来日し麻原から資金援助の申し出を受けるなど、オウムのロシア進出に拍車がかかった。 モスクワ放送(現・ロシアの声)の時間枠を買い取って「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」(御国の福音)というラジオ番組が1992年4月1日から1995年3月23日まで放送された。
またロシアで「キーレーン」というオーケストラを組織。日本からロシアの施設での射撃訓練ツアーがオウム関連の旅行会社によって主催されたり、他にもロシアからヘリコプターなどが輸入されている。
またロシアに数ヶ所の支部を開設。ソ連崩壊後に精神的支柱が揺らいでいた当時、ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。 このためオウム事件後、実はオウムはロシアや北朝鮮のスパイだという陰謀説がまことしやかに語られるようになった。しかし一連の捜査・裁判により、化学兵器は土谷正実が中心となり自力でつくったことが発覚した。
新アメリカ安全保障センターも、オウムのサリン合成プロセスはロシアで主流の方法ではなくナチス・ドイツの方法に由来していると分析している[151]。 また上祐史浩は「麻原は自分が一番であり、利用することはあっても配下になるタイプではない」「(事件を陰謀としたい)Alephを助長している」と批判している[152]。
2018年5月1日、ロシアのオウム真理教の中心人物とされるミハイル・ウスチャンツェフ容疑者が逮捕された[153]。 連投はどうあれオウム本当やばい奴らなのな。
真面目に読んでしまったわ。 荒らされる様な話題は有ったっけ?
冤罪屋さんとアカデミック? 「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、江川紹子からの紹介で[3]、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、
1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及し「オウム真理教被害者の会」を組織していた。 同年9月、『サンデー毎日』で「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、オウム批判が強まる中、坂本弁護士も取材を受けるようになった[4]。 オウム真理教に対して、批判的な記事を書いていた『サンデー毎日』の出版を差し止めるべく、出版元である毎日新聞社本社の爆破計画があった。 2トントラックに爆弾を搭載し、輪転機がある(はずの)パレスサイドビルディング地下階に突っ込んで爆発させれば、サンデー毎日の出版を停止できるという計画だった。 爆弾は村井秀夫が作る予定であった[5]。しかし、トラックが地下に入れないことと、そもそもサンデー毎日がパレスサイドビルディング地下階の輪転機で印刷されているかが不明であったことにより、計画は暗礁に乗り上げた。 代替案として、直接爆弾を設置する計画があったが、早川紀代秀がオウム真理教のビラを千代田区一ツ橋の毎日新聞社に置いてきたため、証拠を残してしまうことから頓挫した[6]。 同年10月26日、上祐史浩、青山吉伸、早川紀代秀は坂本弁護士のインタビューを撮影したTBSテレビに抗議して放送を中止させる(TBSビデオ問題)。
インタビュービデオの中で坂本は、「信者の家族の苦しみが置き去りにされている」「宗教を利用したインチキ商法になっているのであれば断罪されるべき」「尊師に超能力で跳んだり透視するのを実演してほしいと頼んだが、
それはできないとのことだった」「血のイニシエーションは詐欺」などと発言していた[7]。 上祐、青山、早川は10月31日には横浜にある坂本の事務所で訴訟回避に向けた交渉を行ったが、坂本は麻原のDNA培養物を高額で売りつける「DNAのイニシエーション」(オウム真理教の修行を参照)はインチキであり、
京都大学が認めたなどと宣伝しているがそのような事実はなかったなどの指摘を行い、訴訟の意思を変えなかった。 「信教の自由がある」という上祐に対し坂本は「人を不幸にする自由などない」と言って交渉は決裂する[8][9]。 坂本弁護士はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。また被害者の会も「水中クンバカや空中浮揚を公開の場で行え」と要求してきた[4]。 同年11月2日または3日頃、麻原はオウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・岡ア一明・新実智光・中川智正をサティアンビル(後の第1サティアン)に集め、右手の親指と人差し指で輪を作ってはじく「ポアのサイン」をして、「もう今の世の中は汚れきっておる。 もうヴァジラヤーナを取り入れていくしかないんだから、お前たちも覚悟しろよ」「今ポアをしなければいけない問題となる人物はだれと思う」と問い詰めた。 当初『サンデー毎日』の編集長を務めていた牧太郎を、帰宅途中に抑え込み殺害するという計画であったが、牧太郎は多忙ゆえ帰宅時間が分からず襲いにくいため、計画は立ち消えとなった。 そこで麻原は「牧太郎ではない。坂本弁護士である」と言って突然標的を坂本堤に変更した[10]。坂本は『サンデー毎日』のネタ元とされていた[11]。なお早川紀代秀は、牧太郎でなくいきなり坂本の名前が出たと証言している[12]。 そして麻原は「坂本弁護士をポアするんだよ」「ポアするんだよポア」「話しても無駄だから、ポアするんだ」などと言い、
坂本弁護士を塩化カリウムで殺害するよう指示した(塩化カリウムは中川が以前勤務していた大阪鉄道病院から盗んだほか、村井も独自入手していた)[4][13][14][15]。
また、腕力のある人材が欲しくなったのでメンバーに端本悟も加え、端本には早川から「坂本堤という弁護士をただちにポアすることとなった」と伝えられた[16][17]。 「坂本弁護士の活動は、真理党からの出馬を予定している翌年(1990年)の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考えたことが動機とされる[4]。
麻原の検察官面前調書によると、「自分(麻原)への誹謗中傷はいいが、真理への妨害は許されないため、坂本弁護士が悪業を積む前にポアした」と語っている[18]。 3日、熊本県在住の在家信徒の弁護士から坂本弁護士の住所を電話で聞き出し、午前9時頃に実行犯らは村井の専用送迎車だった日産・ブルーバードと[19]、いすゞ・ビッグホーンに分乗し出発した。 途中で杉並の教団マンション(カーサ上荻[20])にあった選対に向かい、2台の交信用の無線機を林泰男が用意し、ついでにかつらなどで変装した。村井は長髪、新実はアフロ、岡アは七三分けに眼鏡であったという。その後新宿でスーツなどを買い、横浜へ向かった[16]。 予定では、坂本弁護士が通勤で利用する横浜市磯子区の洋光台駅付近で待ち伏せし、車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去るものであった。 しかしこの日は祝日(文化の日)であることを中川以外忘れていたため坂本弁護士は現れなかった。中川がそのことを指摘すると、新実は中川を指さして「かしこい」と褒めた。このため、同区にある坂本弁護士の自宅に向かう[21]。 午後10時、岡アが坂本弁護士宅に向かうとドアに鍵がかかっていないことが判明した。早川がこれを麻原に電話連絡した。電話では、坂本弁護士の「付属物[22]」即ち家族をどうするかが検討された。
麻原は「ほほう、そうか。じゃ、入ればいいじゃないか。」「(家族を巻き添えにすることは)しょうがないんじゃないか。一緒にやるしかないだろう。」と一家全員の殺害を命令した[4][14]。 麻原は検事調書の中でこの時の心境を「私は一瞬、子どものことが頭に浮かびましたが、私も小さいときから親から離れて苦労しており、子どもだけ生き残らせても逆に残酷だと思い、殺害を許可した」と語っている[23]。 念のため早川と新実がブルーバードで洋光台駅に向かい、他の4人は坂本弁護士宅近くに停めたビッグホーン内で待機し、最終電車まで待ったが坂本弁護士は現れず家にいると判断し、翌11月4日午前3時頃自宅に侵入、寝ている坂本弁護士一家を発見した。 抵抗が激しく中川が手間取ったため誰にも塩化カリウムをしっかり打てず、窒息させて一家全員を殺害した[4][24][25]。 坂本弁護士
端本に馬乗りされ、顎を6、7回殴られた後、岡アに首、早川に足を押さえられた。
実行犯らに「金か、金ならやる」と言った[26]。中川から尻に塩化カリウムを打たれたが筋肉注射だったため効果が無く、2、3回ほどやり直したが針が曲がった。その後窒息死[27]。 坂本弁護士の妻
新実に馬乗りされる、上半身を蹴られるなどの暴行を受け、端本に腹を蹴り飛ばされ、膝落としをされた後、村井、早川、中川に首を絞められる。
中川から塩化カリウムも打たれた。「子どもだけは」と命乞いをしたり、村井の指を噛んだりと抵抗したが、窒息死[27]。 坂本弁護士の長男(当時1歳)
泣き出したため、中川と新実に鼻口を押さえつけられ、窒息死。検察側は顔と腹を殴られたとしているが、弁護側は否定した[28]。 遺体はビッグホーンで上九一色村へ運ばれた。その後ブルーバード、ビッグホーン、マツダ・ボンゴに分け、
坂本弁護士は新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中に、妻は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇に、長男は長野県大町市日向山の山中に、服を脱がして埋められた[13][29]。 遺体の処理は乱暴であり、村井は歯型から身元がわからぬように歯形を潰そうと提案、坂本弁護士の歯をツルハシで叩きつけたり、岡ア・村井・新実がツルハシや石で坂本弁護士の顔を潰そうとしたりしていた[30]。 遺棄現場の新潟で景気付けに早川が買ってきたベニズワイガニの殻と一緒にゴミ同然に埋められた[31][32][33]。ビッグホーンとブルーバードは海中投棄する予定であったが中止された[14]。 地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件である。
警察庁による正式名称は、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)[2]。
日本国外では「英:Tokyo Attack」と呼ばれることがある[3]。世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。 宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。 1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロリズムであったため、世界的に大きな衝撃を与えた。
毎日新聞では、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んで『オウム3大事件』[4]と表現されている。 1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ、以下営団地下鉄)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、
計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガス・サリンが散布され、乗客や駅員ら13人[注 1]が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。 営団地下鉄では、事件発生に伴い日比谷線の運転が不可能となり、霞ケ関駅を通る丸ノ内線・千代田線については同駅を臨時に通過扱いとして運行することにしたが、
一時的に部分運休した(後述)。運転再開後はほぼ所定どおりのダイヤで運行したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置をとった。 1995年(平成7年)3月20日は月曜日で、事件は平日朝のラッシュアワーのピーク時に発生した。これは村井秀夫と井上嘉浩が乗客数及び官公庁の通勤のピークが8時10分頃であると考えたためである[5][6]。 各実行犯は500-600gの溶液(内サリンは35%程度)の袋詰めを2つ、林泰男だけは3つ運び、犯人は各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いて下車[7]。 それぞれの犯人が共犯者の用意した自動車で逃走した。これらの路線ではラッシュ時には非常に混雑するため、車両間を移動することは大変困難であった。 この事件は教祖の麻原彰晃が首謀、村井が総括指揮を担当、そして井上が現場調整役を務めた。サリンは土谷正実・遠藤誠一・中川智正が生成したものが使われた。 事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者が逮捕され、
林郁夫の自供がきっかけとなって全容が明らかになり、5月16日に教団教祖の麻原彰晃が事件の首謀者として逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。 リムジン謀議(後述)には、麻原・村井・遠藤・井上・青山吉伸・石川公一の6人がいた。
謀議に積極的発言をした麻原・村井・遠藤・井上の4人の共謀が成立するとし、同乗しながら謀議に積極的な発言が確認できなかった青山と石川の共謀の立件は見送られた。 東京地方裁判所は、首謀者の麻原彰晃を始め、林郁夫を除く散布実行犯全員[注 2]と、送迎役のうち新実智光[注 3]に死刑を言い渡し、
東京高等裁判所の控訴審ではさらに第一審では死刑求刑に対し無期懲役だった井上嘉浩[注 4]に死刑判決が言い渡された。
実行役3人及び新実・井上両名の計5人に言い渡された死刑判決はいずれも最高裁判所で、2010年1月19日に新実の上告が棄却されたことをもって確定した。 2012年(平成24年)6月15日、この事件に関与したとして特別指名手配されていた高橋克也が逮捕され、地下鉄サリン事件で特別指名手配されていた容疑者は全員逮捕された。 高橋が逮捕されるまでに、前述した新実を除く送迎役は全員求刑通り無期懲役判決が確定しており、高橋も他の送迎役同様一・二審で無期懲役判決(求刑同)を受け、最高裁に上告中であったが、上告が退けられた。 2018年(平成30年)7月に、事件に関与した死刑囚たちの死刑が執行された。
当事件を受けて、サリン等による人身被害の防止に関する法律が制定される運びとなった。 麻原彰晃こと松本智津夫は、自ら設立した宗教団体であるオウム真理教内において、専門知識があり、また自らに対して従順な人材を複数配下に置き、
日本を転覆させようと様々な兵器を開発する中でサリンにも着目し、土谷正実、中川智正らがこれを製造。
池田大作サリン襲撃未遂事件、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件といった事件を引き起こし、松本サリン事件では遂に死者が発生した。 またその頃、サリン70t製造を目指してサリンプラント計画が進行していたが、1994年7月などに異臭騒ぎを起こし周辺の土壌を汚染していたため、1995年1月1日、読売新聞朝刊が「上九一色村でのサリン残留物検出」をスクープ[8]。 読売のスクープを受けオウムはサリンを処分し第7サティアンに建設中だったサリンプラントは神殿に偽装した。 しかし中川智正がサリンの中間物質メチルホスホン酸ジフロライドCH3P(O)F2(裁判での通称「ジフロ」、一般的には「DF」)を密かに保管しており(諸説あり、後述)[7]、これが地下鉄サリン事件に使用されることとなったとされる。 麻原は同1月17日の阪神・淡路大震災により警察の強制捜査は一旦遠のいたと考えていたが、同年2月末の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でのオウムの関与が疑われ、麻原ら教団幹部は強制捜査が切迫していると危機感を抱いた。 オウム内部では、1994年11月頃から東京の現職警官信者からの情報として強制捜査の噂が流れていた[9]。警視庁公安部内のオウム信者の情報では、薬品の購入ルートが調査されていることが麻原に報告されていた[10]。 このため、麻原は3月上旬、第6サティアン1階で井上嘉浩に、村井秀夫が東急ハンズで買ってきた液体噴霧器「六法煙書」を用いて、遠藤誠一が研究していたボツリヌストキシンの効果実験を行うよう指示。 事件5日前の3月15日に営団地下鉄霞ケ関駅に井上嘉浩、山形明、高橋克也が六法煙書を仕込んだ改造アタッシェケースを3つ放置したが、水蒸気が出るだけで失敗した[11][7][12]。 井上らは科学技術省の改造したアタッシェケースではどうせ失敗すると思っていたという。麻原は遠藤を叱責したが、遠藤は噴霧口のアタッシェケースのメッシュのせいで菌が死滅したとの自説を唱えた[12]。 遠藤は裁判で毒が完成していないのにやらされたとしている[13][14]。なお、ケースは警視庁・警察庁の職員たちが利用する「A2」出入口構内に置かれていた。 事件2日前の3月18日午前0時、都内のオウム経営飲食店で正悟師昇格祝賀会が行われる。祝賀会中に麻原は幹部に対し、「エックス・デーが来るみたいだぞ。」 「なあ、アパーヤージャハ(青山吉伸)、さっきマスコミの動きが波野村の強制捜査のときと一緒だって言ったよな。」と強制捜査を話題に出していた[15]。 祝賀会終了後の18日未明、上九一色村に帰る麻原ら幹部(麻原、村井秀夫・遠藤誠一・井上嘉浩・青山吉伸・石川公一)を乗せたリムジンにおいて、強制捜査への対応が協議された(リムジン謀議。車中謀議とも)[16]。 麻原は「今年の1月に関西大震災(阪神・淡路大震災の意)があったから、強制捜査がなかった。今回もアタッシェが成功していたら強制捜査はなかったかな。」と発言。
井上がボツリヌス菌ではなくサリンならばよかったのではと回答すると、村井は地下鉄にサリンを撒くことを提案し麻原も同意した[16][7]。 総指揮は村井、現場指揮は井上が担当となった。村井は実行役として今度正悟師になる科学技術省所属林泰男、広瀬健一、横山真人、豊田亨を推薦し、麻原が林郁夫も加えた(ちなみに松本サリン事件では逆に林郁夫を麻原の指示で実行役から外している)。 また井上が島田裕巳宅爆弾事件、東京総本部火炎瓶事件を実行し、事件は反オウムの者によるオウム潰しの陰謀と思わせて同情を集めることも計画された[7][17]。
石川公一も自分の足を狙撃して自作自演事件を起こしたらどうかと志願したが、麻原はそこまでしなくていいとして止めた[16]。 謀議内容については井上の証言に頼るものとなっているが、他に遠藤が「サリンつくれるか」「条件が整えば…」の発言があったことを証言している[18]。 3月18日
午前4時頃 - 麻原ら上九一色村到着[7]
午前8時or9時頃 - 村井秀夫は先の実行役ら(豊田亨除く[注 6])を第6サティアンに集め「君たちにやってもらいたいことがある。これは(上を見る)……からだからね」と麻原の指示であることを暗示した上で[20]、「近く強制捜査がある。 騒ぎを起こして強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく。嫌だったら断ってもいいんだよ。」「前にアタッシェケースに仕込んだ噴霧器を地下鉄の構内に置いたことがあった。 それからすると、密閉した空間でないと余り効果が出ない。それで、今度は車内に撒く」「3月20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は、公安警察、検察、裁判所に勤務する者であり、これらの者は霞ケ関駅で降りる。 実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば、密閉空間である電車の中にサリンが充満して霞ヶ関駅で降りるべき人はそれで死ぬだろう。」と犯行を指示[7][15][21] 夕方 - 村井秀夫・井上嘉浩・実行役5人は第6サティアンで地下鉄のガイドマップなどを参考に散布場所と時間を計画策定。運転手役の必要性が論じられる[7] 3月19日
午前9時頃 - 実行役5人+杉本繁郎(5人の送迎を担当)、上九から杉並区今川アジトへ出発[22] 正午頃 - 実行役5人+杉本繁郎と、当初運転手役を指名されていた(後述)平田信らは新宿のタイ料理店で食事、デパートで変装用の眼鏡・かつら・スーツなどを購入。その後在家信者に依頼し犯行用の車を借りる[22][7] 午後1時頃 - 村井秀夫・井上嘉浩は第6サティアン1階の麻原の部屋に行き人選について指示を仰ぐ。
麻原は準備が進まないことに対して、やる気が無いなら中止しろと叱責。新実智光・北村浩一・外崎清隆・高橋克也と既に東京にいる杉本繁郎が運転手役と決まり、4人は渋谷アジトに出発。また、井上嘉浩も東京へ向け出発[7][22] 午後7時25分頃 - 井上嘉浩ら、島田裕巳宅爆弾事件実行[7]
午後8時頃 - 井上嘉浩、今川アジトを訪れ実行役5人及び杉本に渋谷アジトへの移動を指示[22] 午後8時45分頃 - 井上嘉浩ら、東京総本部火炎瓶事件実行[23][14]
午後9時頃 - 実行役・運転手役全員と井上嘉浩は渋谷アジトに集結。林郁夫がPAMなどの解毒剤を配布[7][22]
午後10時30分頃 - 全員は駅を下見、井上嘉浩は霞ヶ関駅到着時に警視庁の出口に近い車両を選ぶよう指示[7] 3月18日
夕方 - 中川智正が上述のジフロを遠藤誠一に提供。土谷正実も加わりサリン生成の方法を探る[7]。遠藤、松本サリン事件を思い出しやる気を無くす[21] 午後11時頃 - 村井秀夫と遠藤誠一は第6サティアン1階の麻原の部屋を訪れ、麻原は遠藤に「ジーヴァカ、サリン造れよ。」と発言[7] 3月19日
昼前 - 遠藤誠一、麻原や村井秀夫から「早くやれ。今日中に造ってくれ」と催促される[21]
夕方 - 土谷正実のクシティガルバ棟は排気設備を撤去していたため、遠藤誠一のジーヴァカ棟でサリン合成開始[7][21] 午後10時30分頃 - サリン完成。遠藤は「できたみたいです。ただし、まだ純粋な形ではなく、混合物です。」と純度が低い(35%程度)こと、1日あれば純度が高められることを報告したが、
麻原は「ジーヴァカ、いいよ、それで。それ以上やらなくていいから。」とこのまま使うこととなった。村井と麻原が検討した結果、サリン袋を傘で突くという方法も決定される[7] このスレッドは1000を超えました。
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