キリスト教の教義 <<< 野生から引き継ぐ本能的な邪心

歴史を省みると、邪の本能が表に出やすいが為にこうなっている気がしてるのよ。

狩猟採集社会の歴史は何百万年もあって、人間は狩をする為の進化をその何百年間続けてきた以上は、残虐を彷彿させやすいDNAが既に備わってあるのではないだろうか?という仮説。

秩序や倫理、道義なんていう高度なモノは、紀元前からあったものの… もっと俗っぽい非科学的な奇習とも言える妙な風習に満ちていただろうし。

つまり新たな枠組みにより、共和的な社会を作るにも、必ず段階があり、ようやく民主制という社会構造に行き着いた現代。
しかしながらそこにも競争の原理は今尚生きていて、完璧な民主制にはなれていないよね?
何かしら問題が起こるからまた新たな秩序が追加される訳でして。
全ての既成の法や制度も実は社会実験になっている訳でして。

そりゃ企業も競い合ってるんですもの。それによる代謝は日夜繰り返されている。
戦も喧嘩やイジメもなくなりませんて。

そりゃ遺伝子の悪戯により、たまにサイコみたいなのも出てきますわ。