善人ほど世の中に失望するので生きづらい [無断転載禁止]©2ch.net
>>223
正確には
幻滅して失望から自殺をするだ >>226
幻滅して失望するそして鬱になり自殺だろ? 善人とは何だ?
善人とされる特性を、奉仕、正直、親切と定義しよう
世の中に失望するとは?
自己の願望や期待が世の中で想像通りにならなかった場合と定義しよう
生き辛いとは?
心身が追い詰められた状態と定義しよう
善人が特性を発揮したのに、世の中が期待通りにならなくて失望し、心身が追い詰められて生き辛い、とは?
世の中が自己の期待通りになる見返りを求めるのは奉仕精神ではなく打算だろう
願望通りにならなかった結果心身が追い詰められるなら、願望通りになっていた結果何が手に入っていたのだろうから
善人の特性を持たない「善行を行った者」が、自己の期待する見返りをもらえない世の中に失望して、善行を行っても自己の期待する世の中にならないと嘆き心身が弱ること
これが、善人ほど世の中に失望するので生きづらい、ことじゃないだろうか
善人は、奉仕精神から見返りを求めず、自分の信じる善行を行い続けて自信を持って世の中を生きているのではないだろうか 知りすぎると絶望する
善人というより頭よすぎると厭世的になる
バカの方が生きやすい
知らぬが仏 どんなに積み重ねたつもりになっても、崩れる時は一瞬で崩れるのが人生。
それでも積み重ねざるを得ないのが人間というものかもしれない。 失敗を受け入れろとまでは言わないが、闘争本能でねじ伏せること。
失敗は誰にでもあるが、どう処理するかで差がでる。
あと少々の成功で中途半端に喜ぶと、現実から裏切られる緩みが生まれることも押さえておくべき。 人間とか全員死ねばいいのに
人間が滅んだ方が地球のため 別に善人じゃない自覚あるけど世の中で生きてると俺より兆倍クズな奴多くてほんと嫌んなる
悪人よりは善人が損する世の中なのは確かだしそれが数万年間変わらないんだから
生まれた時から悪を美徳とする教育をした方がいい どんなにきらびやかな環境を生きている人間でも、結局は一人で生き一人で死ぬもの。
人生の孤独に腹をくくれない人間が中途半端につながりを求めてももたれ合いのぬるま湯関係が続くだけ。
弱みを見せあえる人間関係も自分の始末を自分でつけた上での話。 待ってるだけでは望みの環境は訪れないと言いたかっただけ。
撤回する。 善人が善の功徳によっていい人生を送れるということは現代的には
甘い考えで、昔は善人はよく苦しんだと思えば、善を行うということは
ある種の苦行なんだろうなあ。よいことをすればよい事が起こるという
因果関係はなく、よいことをすればよいことが見えるだけじゃないのかな。
そういう認識のまやかしのトリックを見破ってこそ、本当の善の概念に届くと思う。 上のレスの白人至上主義どうのこうので思ったんだが、心理学や精神医学だって「白人のみが人間」であり、
「白人<だけ>を対象」にしてた時代もあったんだよな。この学問も全然完璧じゃないよな。
まぁ、心理学及び精神医学も長い人類の学問の歴史から見れば、新しい学科だから仕方ないけどな。 人生は細かな成功と失敗の積み重ねだが、自分に原因のある失敗とない失敗がある。
自分に非のない敗北はダメージが大きいが、それは絶対あるものだと割り切って後に引きずらないことも大切。 人は知らず知らず自分に過大な要求を課してしまいがちなので、
自分を高めようと思うなら、なおさらできることとできないことを認識しておく必要がある。
手に入れたいものは一足飛びには手に入らないということ。 全力で自分と闘わざるを得ないにせよ思いつめないこと。
手応えがなく袋小路に迷い込みそうな時はさっさと見切りをつけること。
人間はその程度には不完全なもの。 【テレビが報道統制しているニュース速報!】
サヨク政権になると大地震
阪神は村山、東日本は菅
発生時刻は共通の46分
自民政権は被災地に冷たい
その理由解明!
ロシア国防省『日本は地震を偽装した核実験を止めよ』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1531966541/l50 一つの考えだけにこだわらないこと。
ダメモトと腹をくくることで見えてくるものもある。 あと自分を波に乗せる為には頭で考える前に大まかな流れをつかむこと。
身体を動かす中からしか課題は見えてこない。 生き方になにがしかの型を求めることは自分の強みでもあるが、
同時に刻々と変化していく世の中に対応しきれない縛りともなり得る。
行き詰まりを感じる前にゼロから再構築し直すのも悪くないかもしれない。 失敗を恐れないこと。失敗の中からしか自分のリズム・感覚はつかめない。
自分の輪郭はアップデートの繰り返しの中から立ち現れるものかもしれない。 理屈は理屈、身体は身体。
最後は直感で動くもので、ごちゃごちゃ考えないこと。惑わせるようなことを言ってすまんね。
要は身体の動くにまかせるということ。頭を働かせるのは身体の流れをつかんだ上でのこと。 無理なら無理でそれはしょうがないこと。
不完全な自分を受け入れつつ進んでいくしかない。 何とかしようと思わないこと。思ってどうにかなるのならとっくになっている。 野球選手に送った意見
真剣勝負だという緊張感はもちろん必要ですが、
同時にやることをやっても負ける時は負けるというさばけたあきらめも必要です。
飯を食うためにやってるんだというプロのプライドは、そういうドライな職業意識の上に宿るものだと思います。
どんなに自分の全ての力を出し切っても、勝つときは勝つし負ける時は負けます。
勝負にこだわらなくていいと言っているのではなく、戦いとは常にそういうものだということです。
勝負事で飯を食ってる全ての人間が肝に銘じておくべきことです。 だれでもメンターになれるって民間資格を素人で回してるだけだからでしょとは
なんなのか!? こっちから女を不審者扱いしよう!!!
後から来たら走って逃げるとか
すれ違う時に顔背けるとか
同じ目に遭わせてわからせてやることも必要 注意すべきは一つの考えに捉われて、頭が体の流れを阻害してしまうこと。
頭は自分が気持ちよく闘いやすい態勢を整えることに使うもの。 焦り・迷い・苛立ちの類は見える形で吐き出して表現することでしか解消しない。
打ち消そうとしたり原因を取り除こうとするのではなく、現実との具体的なせめぎ合いの中に
ぶつけて表現することで解消を図るということ。 そんな事はない。
それは色んな事に対して過剰に見過ぎているだけだよ。
あらゆる物を過大評価すると、自ずと傷付く事が多くなる。
そして、物事の本質を見れるようになれば。傷つく事も減るかと思うよ。
周りや他人や世の中や環境とかは、殆ど関係なかったりするからね。
ある意味では、自分が変われば周りや環境も変わったりもする。
世の中の見方もね。
そうなれば。生きる事も少しは楽になるかと思うよ。
良い生きた方をするのにお金だとか世の中だとかは、殆ど関係なかったりするからね。
そんな事よりも物事や色んな事に対しての見方だったり。視点だったり。
選択や行動。自分自身の心持ちの方が、よっぽど大事かと思うよ。 少し難しい言い回しになったが、要は自分の身体を信頼するということ。
身体が自然に動けば、頭はそれに呼応する形で適度に機能しだす。 自分の行動の結果は自分一人で引き受けること。
風当たりを弱めるために、人をなじったり第三者の同意を得たりして優位に立とうとしないこと。
自分がやりたいからやるんだ、という倫理を徹底させれば、
自分の落ち度が明らかになっても、自分を責めたり卑下したり他人に転嫁することもない。 おれ、90年代とか80年代の本やコラムを読むのが趣味なんだけど、
昔のコラム読むと、的外れだなぁと思うことがよくあるね。
特に90年代のコラムは痛いのが多い。
なんというか、妙な全能感みたいなのを、どのコラムニストも持っている。
あと、コギャル叩きが激しすぎ。すべての女子中高生が援助交際してると思ってる。
あれはどういう時代だったんだろうか? 勝っても負けても自然体を貫くこと。
失敗は悔やむでもなく静かに省みること。
自分のスタイルはその中から形作られる。 勝ち組も負け組も死ぬことに変わりはない。
幸や不幸を墓の向こうに持っていけるわけではない。
であるなら与えられた条件をどう生きたかだけがその人間の価値を決めるのだろう。 勢いに乗ってる時は強気一辺倒でいいのだろうが、
それだと不調に陥った時に自分の中の落差に対応できなくなる。
負けを織り込みながら調子を整えることを考える事が必要な時もある。
気持ちで押し切ることができる時とできない時があるということ。 絶望のあとの希望を見つけたろう 〜 くるり
絶望は虚妄に過ぎない 希望がそうであるように 〜 魯迅 言うまでもないことだが、好不調の波は感覚でつかむもので頭でどうにかするものではない。
常に100%の状態をキープすることなど不可能だということ。
勝負に勝つためのモチベーションもかける手間暇も、そういう認識に立てばまた違ったものになるのだろう。 善人でいることに胡坐をかいてる人も多いでしょ。正義に対して強い怒りを持つ人は圧倒的に少なくて、こんな自分なのになんでまわりはわかってくれないんだろうという甘えの目立つ人がほとんど。
だから影響力がないんだよ。 勝つために必死にならなくていいと言っているのではなく、極限に自分を追い込むためには、
まず人生思い通りにばかりはいかないということを頭に叩き込んでおけということ。
現実に辛酸をなめつくしている人間が分かっているとは限らず、
分からないからこそ現実を受け入れられず、絶望へのプロセスから逃れられない者もいる。 これは誰もが分かっているようで中々分かっていないことに気づかないこと。
どんなに経験豊富な人間でも知らず知らず失敗を受け入れられない自分から逃れようと
さらに失敗を重ねる悪循環にはまることがある。
まずは人生は敗北から始まるという事実を受け入れること。そこから人生の挑戦が始まる。 池袋にある性犯罪者更生用病院ってどこにあるの 毎日がいってたの?? >>270
人はそう簡単に変わるもんじゃない
前に失敗したら、次こそは!必ず!と
ねえw >大阪府三島郡島本町のいじめはいじめられた本人が悪い
>みんなそう思ってる
>誰もいじめの被害者に同情しない
↑
島本町民以外の皆さん
大阪府三島郡島本町はこういう町ですよ
苛めは犯罪
いじめられる側にも問題があったとしても
いじめてもいいという理由にはならない
それは、「鍵がかかっていなかったから泥棒に入った。
鍵をかけない方が悪い」と言っているようなもの 一応念を押しておくと自分の行動のコントロールは飽くまで感覚で行うもの。
思えばなんでも叶うのなら誰も苦労はしない。 いくら緻密に計算してもその通りにことが進むとは限らない。
失敗や凡ミスを通してしかつかめない感覚というものもある。
人間はいい加減で大雑把なものだという認識に基づいた荒々しい闘争心も人間には必要。 人との争いを避ける人間が必ずしも他人に寛容とは限らない。
そういう人は争うことへの免疫ができていないから、些細なことで争いに巻き込まれる。
心のキャパシティを広げる為にはまず争いを否定しないこと。 若干訂正
争いを否定しない→争うことを否定しない
人は実際に人に迷惑をかけていかないと人の心の痛みも分からない。 自分がされて嫌なことは人にはしない、で人との軋轢を回避する人間は
人の心の痛みを頭で理解しているだけで、心の底では分かっていない。
自分の攻撃性を抑圧する人間にできるのは上っ面の共感だけで、
本気で情けをかけることはできない。 同じ事象は起こりえないから、いやなことはしないという一回性が在るよ。
心は人それぞれ有るもないも構造も働きも違うし、頭で理解するのが心じゃない。
心の底を傾けるのは古い風習で、失敗も多いだろう。
争い を避ける?レベルの高い争いは避けて通れないがRPGのコマンドに逃げる
を多用している人もいる。 攻撃性でも洗練されている人は手数もかけて手段も違う。抑圧されるのは痴呆
悪化やボケのひどさだ。 情けを掛けて上回るのはおかしい用法で、情けとは
利己心の現れであるよ。 悪人が多いところだと善人は生きづらいが
逆に善人が多いところには悪人は生きづらい >>263
理不尽に差別されたりイジメを受けても酷い目にあったりしても負け組生活を真面目にコツコツ地道に生きてきたけど
やっぱり勝ち組になりたいよ 5ちゃんは平均的な人より悪人が大多数かな?
悪口ばかりだよね 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 漫画家の年収が何億だとか、
芸能人の年収が何千万だとか、
歌手の印税が何億だとか、
一流投資家の配当が年何億だとか、
そういう話ばかりメディアが流すから、
夢ばかり追って人生を棒にふるバカが増える。
メディアは反省すべきだ。 自分がまともな生活ができるだけの金があればそれでいい。
身の程を弁えない幸運は精神のバランスを崩し必ずしも幸せが保証されるものでもない。
自分がその幸運を手に入れるに足る人間かどうかは自省する必要があるだろう。 どんな逆境でも心を折らないこと。勝ち味の鋭さより打たれ強さの方が余程重要。 失敗はその先に突き抜けるもの。委縮するためのものではない。 自分を高めようと思うことは悪いことではないが、あまり根をつめると不完全であることを受け入れられなくなる。
努力するのは当然として、好調な自分をキープするためのメンテナンスぐらいに軽く考えること。 まとめると、修正や工夫と言った小手先のテクニックではなく、
自分の感覚をどこまで信頼して身を預けられるかということ。
それで駄目なら自分の力が及ばなかったというだけのこと。
スタイルの微調整はその後の話。 付け加えればモチベーションは自分の内部から掘り起こすもの。
外部に求めるものではない。 人々が現状に不満を抱かなかったら、社会は一向に進歩せず、
宗教が人々を現状と妥協するように説得するだけの中世のように
社会は停滞しつづけるだろう。
現在では宗教に代わって教育と精神医学がその役割を担っている。 悪人は、生長しない、させない迷惑な人だろうな。
「善人が失望」って分からない。→ 過度の期待はしないが吉。 こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 >>285
シンプルだが核心をついてると思う
「自分の居場所を選び間違っていること」、これが生きづらい人すべてに言える根本的な点では
それから「自己と他者について過小評価、あるいは過大評価している」、ということも 善人は、悪人がうまく世の中を渡っていく現実が受け入れられない。悪人ほど友人も多いし、他人に迷惑かけても平気。
善人は生きにくい。 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。
常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと 生きることは苦行
生きづらさに善人も悪人も関係ないが
善人の方が悟りを得て道は開けやすいのでは? 「悪人はいいよね。私は善人だから生きづらいよ。悪人ばかりうまくいく世の中に失望している」と燻っている悪人は増えたな モラルの基準が変になってるから
昔は当たり前だったことが
今は正義や善になっているんだな >>305
まあ同意したいところだが、君の言葉に善意が感じられないので同意はやめとくわ
>>306
昔なら「問題アリのオカシイ人」と後ろ指さされて敬遠されてたようなタイプの人間が
今はゴロゴロのさばってるように感じることはあるなあ 5ちゃんねるやガールちゃんねるやその他の掲示板や旦那デスノートや
全然見ない人の方が多いと思うけど
書き込み見るたびに死にたくなる たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 人のつぶやきや愚痴にイチイチ絡んできて難癖つける人の心理を教えてください もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 色々考えてまうんが人間ってもん。人間ってそういうもん。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 失敗したり迷惑かけたりしてもすぐ立ち直るにはどうしたらいいでしょうか?
いじめられても嫌われても平気になるにはどうしたらいいでしょうか? >>339
皆、失敗や迷惑等当たり前のことだから
何故そうなったか考えて、非があれば反省なり謝ったりすれば
多少はスッキリするんじゃないかな?
いじめや嫌われる原因は、個人個人で違うので判らないけど
原因を考えて、直せるところは直す
ココは非が無い・曲げたくないと思えば貫き通せば?
その場合風当たりが強くなるが度胸は要るけど
ケンカ腰では無く、丁寧に相手に自分の意志を伝える事が出来れば
少しは変わってくるかもしれない?
ひたすら流される人生か、自己主張できる人生か
両極端で無くてもいいけど、選ぶのは自分自身
と後の事は全く関係ない他人の意見なので鵜呑みにしないように 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 5チャンネルに性格キツイ人が増えた?
優しい人が少なくなった気がする >>351
見てるスレによって違いは大きいが酷い所も多々ありますよね
5ちゃんは匿名だかキレても関係ないと思ってるのかな?
匿名だけどキレまくってたら心がすさむような気もするので
こうはなりたくないなと思いつつ
自分は見るのも嫌なのでNGにしてますね 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 >>355
マスコミも批判ばかりだしね
否定は自己主張と取れなくは無いが心すさむ感じするし
人を褒めるとゴマすりと思われる傾向ありそうだし
ちょっとした事でも人に何かやってもらったら
ありがとうの一言でお互い良い気分になるのにね どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 ちっちゃい頃から色んな面で負け組だから弱さは受け入れつくしてる 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 この方は、ご自分への戒めとしての言葉をここでつづられているのではないでしょうかね
人間、能力も性格傾向も成育環境も様々ですし、この方のお考えを高尚過ぎてハードルが高いと感じる方もいれば、
まだ若気の至りのように感じる人もいるでしょう
当然、特定個人に向けての言葉ではないでしょうから、僕などにも異論はあれど役立つ部分もあるので続けていただきたいです
日々多くの方々が生活に追われている中で盲点になりがちなこのような内省的な話題は日常でする機会がないので貴重ですし、
僕のように見ている者もおりますので
どのような意見を述べたとしてもかならず賛否はつきものですし、お気になさらず・・・ 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 >>379
いえ、若輩者でも向上心のある者は指導などされずとも勝手に学び取りますので
指導者の皆様方もどんどん勝手に書き散らかして良いと思います
良い部分からは学び取り、軽蔑すべきところは反面教師にしますので
まあぶっちゃけ諸先輩方もエラそうなこと吐き散らかすのもご自身の癒しになるじゃないですか、
良いことだと思います、嫌味っぽく受け取られたら申し訳ないですけど、生産的なことですよね
なんせここは「心理」の板なんですから カウンセリングの基本は「まず吐き出すことから」だそうですね
日々の抱えた生きづらさを癒すのも同様ではないでしょうか
リアルでは、ため息つける場所すら無いですものね… 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 欠点を隠そうとしないこと。
そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。
むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 人の意見はどんな耳の痛い意見でも聞く耳を持つ。
しかしながら従うことも含めて、最後に決めるのは自分。
それが個人の自由ということ。 怒り、あるいは相手を嫌うことを人間関係の選択肢の一つに含めない情愛は、
どんなに必死に押し付けて来ようとも愛情とは認めない。
それはどこまでいってもまがい物の愛情。
波風を立てずにいこうとしてもいずれは追いつめられて人を恨むんだから、
怒りぐらいは自分の手元に引き付けておけってこと。
どこまでなら大丈夫かの匙加減さえ見誤らなければその方が健康的。 いやあ、まあそんな言葉が響く人も中にはいらっしゃるのかもしれないけど、でもみんながみんな、あなたと同じではないですからねえ・・・
持論の押し付けが反発やヒンシュクを買いかねない、ということについては、どうお考えですか? 一見、「肩の力を抜くこと」を推奨されているお言葉のようですが、受け取る側のこちらとしましては、「スパルタ的根性論」のようにも受け取れますね…(苦笑)
「決めつけの強さ」というのは、ご自身の信念がブレることを怖れ、それを保とうとするがゆえにそうなってしまう、ってありがちですよね。
あなたも、ご自分を正当化し続けなければブレてしまいそうな、「戦いの渦中」に身を置かれて不安に苛まれてはいませんか?
簡潔に言うと、「不安(↓)を鼓舞(↑)によって中和している」という状態ではありませんか・・・?
そこまでの強い鼓舞によって、ご自分を支えなければならない、という精神的窮地は苦しいものですよね。
僕にも身に覚えがあります。
そういう時って、ある意味「躁転」しているので、不安をマヒさせて、和らげることが出来るのですよね。
ただしその代償は、「感覚のマヒによるデリカシーの欠如」として、生きづらさが「対人的な衝突」などとして、自分に返ってきてはいませんか・・・?
あるいは、あなた様としては、ある意味「ニヒリズムによってその緩和を求めよう」というお考えなのでしょうか・・・?
もしも「その先へ進化」を望むのならば、鼓舞によって均衡を保っている現状の自己概念を一旦壊す必要に迫られることもあるので、それがとても怖ろしいですね・・・
少なくとも、僕の場合はそうでした。。
あなた様が現状、身を置かれている環境や事情を存じ上げませんので、僕も勝手な憶測で横柄な意見になってしまっていたなら、申し訳ありませんが・・・ お門違いのお邪魔な意見でしたら、どうかスルーしてご容赦いただければ幸いです。
ひきつづき、つぶやきをお聞かせいただければ幸いです。 >>388
悪いが何を言っているのか分からない。
そんな細々した内面のゆらぎは仮にあったとして、それを詮索してどうなるものでもない。
心理は飽くまで具体性との関連でのみ語られるべきもので、
その意味で心理学は根っこにカルトの要素・危険性を多分に含んでいると思ってる。 なるほど、同感です。
ただ、僕とあなた様の関心事の部分については乖離があったようでした。
大変失礼いたしました。 衝突する前からへしょれてしまうような骨なしならしょうがないが、
少しは気骨があるのなら緊張の高まりをセーブしたり、後からリカバリーするテクニックはいくらでもある。
が、それは衝突を恐れない構えがあった上での話。日々の経験の中からつかみ取るしかない。 先生!
価値観や人生が変わるような
馬鹿でもわかるような
シンプルでわかりやすい言葉でお願いします
ここでみる教えはボンヤリして説得力ないから
馬鹿な私には入ってこないよ 自分や他人に過剰な期待をしないこと。俺はそれしか言っていない。
向上心の意味を履き違えないこと。 〜こと。
ごめんなさい元彼の偉そうな言い方に似てイラッとします悪しからず
昔から読みつくしやりつくしたことを言われちゃうと懐かしいけどそれでは直らなかったっけなあってまた失望します 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 処世は自分の感覚だけが頼りだと自覚すること。
何を通そうが譲ろうが、感覚や感情そのものに手を加えることはできない。 上下関係の垣根をとっぱらうことで、立場に見合った責任の重みを自覚することから逃げる人間は信用できない。
立場が上の人間の為すことが必ずしも正しくないからこそ、上は下からの突き上げを真っ向から受け止め、
下は上が従うに足る人間であることを見定める必要がある。民主主義だのグローバルだのはその後の話だ。
世間に対抗する言葉が見つからないのなら無理に自分を合わせる必要はない。
ただ、個人の規範倫理としてそこを軽く扱うのには、
どこかに何かをごまかそうという心理が働いていることは押し付けるでもなく指摘しておく。 ま、よくよく考えたら俺には全く関りのないことだな。
多分俺の人生に全くかすりもしない問題。俺とは関係ない。この感覚は大事だな。
矢面に立たされる人は気の毒とは思うが、自己判断で動いてもらうしかないな。 君の言うことに耳を貸す人はいないだろうから心配ないと思うよ。
自分の考え方を押し付けて他人を操って悦に入るような趣味は俺にはないね。
仮に君の意見に共感する人間がいたとしても、本人の経験で気づかなければ何の意味もないでしょう。
他人の言葉に惑わされるようでは、自分の考えで行動出来ない人間になってしまう。
そもそも心理学とは何の関係もない話だと思うが、君にも自由に発言する権利はあるから、まあいいんじゃないの。 というか君の言葉は「君自身が悩みを抱えていることのSOSのサイン」に見えちゃうんだけどね。
そうじゃなければあしからずだが。
それこそ俺が君の力になれることなど何もないだろうから。 >処世は自分の感覚だけが頼り
ああ、おっしゃる通りですね。
読み飛ばして誤解がありました。
上の発言は撤回します、大変失礼しました。。 少しでも権力を持つ人間は徹底的に叩いて骨抜きにしようというのが戦後日本の流儀。
できるかどうかはおいておくとして、可能な限りはそれに耐えようという
骨っ節のない人間は権力を行使すべきではない。
今のところは対岸の火事でも、不祥事なんてものはどこから火がつくか誰にも予測できないからね。
いざという時の心の備えは必要。
人間には知らない方が幸せなこともあるのだろうが、
上に登りつめるというのはそういうことも含むってこと。
その上でどう生きるかは人それぞれ。 まあ人間なんてそんなに強い生き物じゃないから、あまり多くを求めてもしょうがないかもしれんな。
ギリギリまで頑張ってへたれるのはしゃーない。 なんでアナタは言ってることは優しいのにそんなに上から目線でモノ言うの?w
もしかして照れ屋のツンデレ?
おんなじこと言うにしても物腰柔らかく言うだけで相当印象変わるだろうに…
何らかの戦略があってのことなのかい?w あらゆる物事に白黒をつけようと躍起にならないこと。
世の中にはいい加減にしておいた方がいいこともある。
間断なくせきたててくる世間の要請は要請として、必死にならないこと。 なりますね
悪人が100人1人の善人を潰そうとして善人は破滅に向かいます
ですが、破壊された善人が悪人でなく善人を見出すことにより仲間が出来,今度は静かに悪人を潰そうとします。
悪い事は自分に帰らず
自分の家族に帰ります。
神さまは人を裁かずに捌きます。
悪い事をしたら罰が降るのは古い考えです。
1秒ごとに善人にしてくた報いを彼らは受けなければなりません。
それはもう知らず知らずのうちに受けなければなりません。 「〜こと」
言い方がキモすぎて入ってこないからやめて 傷つくことを恐れる気持ちは誰にでもあるが、受けた心の傷の痛みを薄めようとしないこと。
痛みを痛みとして感じることができるのは人間にとって幸せなこと。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 どこへも逃げられないと自覚することは後ろを向いてはいけないということではない。
降りると踏みとどまるの間を行きつ戻りつしながら心に弾力を持たせるということ。 こういう時代のこういう国に生まれ育ったことに有難みを感じつつ腹をくくること。
社会に何の違和感も感じないのであれば、特に言うことはない。 信頼とは共に積み上げ共有したものの高さによって決まる。
自分を守るのは人との距離感のみ。 何を信じ何を遠ざけるかの判断は受け身の関係性からは生まれない。
相手の腹の中を自分からまさぐっていかないと、上っ面の好悪、立場を超えた関係は見つからない。 努力なしに世の中を渡っていけないのは当然のこと。
努力が見える形で返ってくる境遇はそれだけで恵まれた人生。
世の中には努力だけではどうにもならない人生もいくらでもある。
自分の成功体験を人に押し付けないこと。 言うまでもなく何かをするということは何かを切り捨てるということ。
切り捨てられた者からの風当たりの矢面に立つことだけが、切り捨てた者への筋の通し方。 世の中はきれいごとだけでは回らない。
目先の損得勘定に優先する理想の存在も含めて、長期的視野に立った老獪な戦略性の必要。 後悔は萎縮、反省は改善。
自分の心の深くに根差した感覚は、誰がどう言おうと曲げないこと。 自分の中のドロドロした醜悪さを、まずは受け入れ許すこと。
あるものはあるものとして認め、先に進むしかない。 舌足らずで申し訳ない。自分の醜さを許したところでそれが消えるわけではない。
やり場のない怒りは何かにぶつけ表現することでしか解消しない。生きるというのは面倒くさいものだね。
自分のやっていることの罪深さは自覚しているつもりだ。
だが俺は基本的に人生に取り返しのつかないことというのはないと思っている。
言うべきことがなくなればやめるまで。俺みたいな最下等の人間でも人生に何の疑いも持たずに生きている。 どんなつまらない人生でも、その人間なりに歩んできた道のりの重みがある。
ということを認めること。 過去をおろそかにしないこと。
自分を構成するものは様々な人に支えられて成り立っている。
生きているのではなく生かされているという自覚が持てるかどうか。 舞い上がった気持ちを抑えきれない向きは、一度吐き出すだけ吐き出して、
行く所まで行った方がいいのかもしれんな。
中途半端に押さえつけるのは心の健康に良くないのかもしれん。 自分にとって得か損かの利害感覚を手元に引き付けることができない人間は結局何もできない。
エゴイズムが核にない人間ほど、薄っぺらい理想に吸い寄せられて身につかないきれいごとで自分を慰めるもの。 自分の存在がそこにいるだけで、多くの人間を押しのけ可能性を塞いでいるという宿命を噛みしめること。 大事であれ小事であれ気負わず淡々と。
どんなに力み返っても壁にぶち当たる時は当たるもの。
その時は嫌でも悩むんだから。 物事を大仰に受け止めないこと。
どんな想定を超える状況に立ち至っても、結果はプロセスの一つの通過点に過ぎない。
自分の想定と現実の間に落差をつくらないこと。 どんなに切羽詰まった状況が見えてきても張りつめないこと。
これは原因を外部に求め取り除くことで解消するのではなく、ひとえに自分の心のありようの問題。
どんな状況でも心に緩みを持たせ、遊び心を忘れないこと。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。 人間は他人に迷惑をかけずには生きられない。
逆に言えば他人から当然のように迷惑をかけられながら生きるしかない。
どちらの可能性も引き受けること。 夢を持つなんて本来子供の使う言葉やで。
そういうものがあったとしても、ええ大人が人にひけらかすようなこっちゃない。 自分の人生と自分が関わる世界にどのような未来が待っているか誰にも分からないということを受け入れること。 人生に過剰な意味づけをしないこと。
それが分かれば、他人のことを詮索することも主観を押し付けることもない。 人生を楽しむなんてことをやたら力こぶを入れて強調する奴もなんだかなあって感じ。
それは生きる過程においてそういう瞬間も訪れることもあるってぐらいのことで、的にして追いかけるようなものじゃない。 何か問題にあたる時は、自分の動機・プロセスをある程度筋道立てて言語化しておくこと。
人間は全て理詰めで動く生き物ではないが、心に整理された言葉があれば
状況・気分に一方的に流されることはなくなる。 困難な状況に向かう時は自分をドラマチックに演出しないこと。 全力で戦う時も無理にあがかないこと。
諦めるのではなく、負けないことに必死にならない。 どうしても人に悪意を向けざるを得ない時は正面から。
相手から反撃される可能性を奪わないこと。 弱みを見せることは恥ずかしいことではないよ。
あるものをないものとして扱うことはできない。
人間突っ張って生きていてもしょうがない。 もっとはっきり言えば、自信なんてもんが要らんねん。
そんなものにすがるから人間は自分が道を踏み外すことにも気づかへん。
努力や積み重ねは必要だとしても、一瞬で崩れ去るものと自覚すべきだな。 世の中の全てが自分の思い通りに動くというのは幸せなことではないよ。 その場その場で自分にできることに最善を尽くすこと。
失敗はあって当たり前。勝ちたいのも誰しも同じ。
勝つことにこだわり過ぎないこと。 あんまり楽々と越えられても困るってこと。
普通の人間がそこにたどり着くのには、どれ程の葛藤と闘わなければならないことか。
人生はそんなにお手軽なもんじゃないからね。 いつでもここに戻ってこれるように逃げ道を作っておくこと。 暗さ、弱さ、醜さ、それを認めることのできない自分を受け入れること。 前向きなものにせよ後ろ向きなものにせよ感情に気持ちを入れすぎないこと。 煮詰まったらさっさと諦めて次に進むこと。あまり考えこみすぎない。 人の気持ちなんてものをごちゃごちゃ考えない。それは考えるものではなく、感じるもの。 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 外的な刺激に心が揺れ動くのを抑える。
物事に動じないといった硬直した態度ではなく、心の波をなだらかにする。
心に極端な山と谷をつくらない。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 自分が不幸だと思ったら周りを道連れにしなさい。そうすれば孤独は消えて不幸を皆で分かち合うことができます。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 世界は自分だけのもの。私が感じる世界は私の中にだけ存在し、一度限りの人生であると考えればこそ自由にあれ。それは十分に許される。
ただし、一度限りでもあるということは一度とは限定されないということ。それぞれが好きにすれば良い。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 相手を理解したつもりになっても理解できたつもりでしかない。その歩み寄りを自分なりの努力だと思い込むほど相手を憎む時により強い憎悪となる。
身勝手な善意が争いをより悲惨なものにする。 この世の不条理を受け入れること。
その強さがあればこそ自分を高めることができる。 あとは全力でいい加減に生きるこっちゃな。
それで世の中ちゃんと回るようにできてるんだから不思議なもんだ。 まあ世の中なんてそんなもんだ。
自分にできることなんてたかが知れている。
嘘にまみれた世の中だが、そういうものと諦めて自分のことだけ考えて生きていくしかないな。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 それらの意見は、君たちにとっては正解なのかも知れないが、他人にとっては間違いかも知れない。
そんなことにすら気付かず、偉そうに説教して悦に入っているようでは、軽蔑しか感じない。 まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。 めんどくさいけど付き合っていかなあかんにゃなあ。やれやれ。 俺はやることはやるよ。どんなに風当たりがきつくてもな。
今の世の中、何かをやったつもりになってる奴ばっかりだ。 >>480
早く髪乾かして今日こそ歯磨きして寝なさいよ!やったつもりで寝ちゃうんだからあんたは 俺の思うがままwそろそろ終わりが見えてきたな。やってられへんわ。 通すべき筋さえ通せば、後は何やってもいいよ。
誰も自分を否定することはできない。 後は分からんことを分かったつもりにならないこと。それだけ。 受け身で何が悪いねん
何にでもポジティブにがっつく人間なんて逆に気持ち悪い めんどくさいことごちゃごちゃ考えずに生きたいように生きればいいんだよ。
そら色んなことあるわ。 俺も力説しすぎたな。
あまり必死になると、どんなにちゃんとしたことでも人は聞いてくれへん。
といって、何も言わなければ何の返りもない。
ということで、何事も程々に。 生活にかくあるべき姿を持ち込み過ぎないってことだな。
日々の縛りの中をどう気持ちを楽にやり過ごすかというか。 自分と他人の間に明確な一線を引くこと。
自分の問題は自分の問題。他人の問題は他人の問題。
揺れ動かない。 目の前の人の不幸は他人事
誰かの叫びも他人事
明確に線引きをして自分の事以外には勝手に干渉しない事 誰が何と言おうが今ある自分が自分。
無理に足掻かない。 人生なんて試行錯誤の繰り返し。
間違ったり、くよくよしたり、思いつめたりしながら進んでいく。 どうせ大したことはできひんよ。いくらうんうんうなってもな。ま、やってみ? いい結果の原因が自分にあるなら、悪い結果の原因も自分にある。
いい結果の原因が自分にないなら、悪い結果の原因も自分にない。
いい結果の原因が皆にあるなら、悪い結果の原因も皆にある。
いい結果の原因が皆にないなら、悪い結果の原因も皆にない。 人の心なんて分からんよ。分かるのは見えてるところだけ。 心がきれいとかタフやとかはしきりに言うてました。
最後らへんは嫁の振りしたってんねんとも言うてました。
でもじゃあ心が汚いっていうのがどういうことなのかよく分からないから、あまり意味のない評価やと思いますけどね。 偽悪家は人を笑顔にする。
偽善者は人から笑顔を奪う。 身体的暴力
身体を傷つけ、怪我を負わせたり障害を負わせ、最悪死に追いつめる。
精神的暴力
心、精神を傷つけ、心に後遺症(精神的後遺症)を負わせ、最悪自殺に追い込む。
知的暴力
相手を洗脳し、相手から知性を奪い、相手をロボットにする。ハリー・ポッターの服従の呪文状態にする。
どれも悪質すぎる。 世の中の何に失望するって、幸福に生きる権利はあるのに
安楽死で死ねる権利がないことに失望する 仁者は憂えず
大辞林 第三版の解説
じんしゃはうれえず【仁者は憂えず】
〔論語 子罕〕
仁者は道理に従い天命に安んずるから、心をわずらわせ心配することがない。
出典 三省堂 【優良誤認に関する注意事項】*
ユング16類型をMBTIと呼ぶのをやめましょう**
現在MBTIの採用している判定方式は、
受検者本人がMBTIの提供する問診(質問紙での自己認知チェックリスト)を受けて当のタイプと認識したら、無条件で生来タイプとしての正解とみなす
というだけの仕組みです。世界規格などといった宣伝文句で売り出していますが、この仕組み自体に学問的な根拠は何もありません*
しかも未受検の段階では「わからない」のであって、もとよりタイプ判定は他人がするものではなく本人が選択するものという前提があります
少なくとも現行のMBTIは自己認知(自分が自分のことをどう思っているか)を生来タイプとみなすツールなので
MBTIを支持しない立場で他人のタイプ判定をしてるなら類型論側
MBTIを支持する立場で他人のタイプ判定をしてるならMBTIにおける類型論の扱いを勘違いしてる側です
学術的には、本当に本人が生まれつきその通りのタイプであるかどうかは別の実測的な検査でしか判定できません
【相談】16タイプ診断スレPart10 ・
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1568030790/
テンプレート抜粋
▪商標について▪
MBTIはマイヤーズアンドブリッグスファウンデーションインコーポレーテッドの商標です。
一般名称ではありません。
MBTIを冠して診断を行えるのは権利者とライセンスを与えられている人のみです。
**商標と特許の違いについて
MBTIは商標です。特許ではありません。16類型における理論や心理機能略号、4文字で表される各タイプ類型等はMBTI固有の商品・役務内容ではないでご注意ください
庇(MBTIは16類型を扱う商品・サービスのひとつ)を借りて母屋(16類型に対する一般名称化)は取れません
* この文面は同様の問題を抱えているスレッドに投稿されています
認知をよろしくお願いいたします 善人という定義はさておき
大抵仏教から来ているんだろうがおそらくは
善とは関わった者が良かったと思える事象
悪とは関わった者が何かしらの苦痛を覚える事象 破壊行為
宗教か自分か何かを信じきれて善に関わればその善人は他者か自らかを安らかに保つ
要は周りの、物と見なせる何かを保護しようとする行い
善人とは善をもってそれを行う者
もし善の心を持つ者が善行がし難いというのであればそれは今の社会が善とされる事象を強く奨励していないという事
仏教徒ではないが仏教が社会の思想から外れてきているという事なのだろう 心理病名立ち位置ゲーとイジメドラマはじまったから
オレもチョロっとく感がすごいな!! 昨今のテレビではスポーツ選手や芸能人がしきりに自分は成長した、強くなったと強調するが、
はっきり言ってそんなことを言ってみても何の意味もない時代になったことを痛感する。
いくら成長して強くなったところで、それに見合った社会的地位を手に入れても、
メディアの監視の目の中でわずかなミスすら許されず汲々と生きるしかない時代だ。
昔は誰も成長なんて言葉は使わなかったが、力を手に入れれば大きな責任を背負うと共に尊敬もされ、、
豪快な生き方や大っぴらな間違いをすることも許容されていたし、そこに貫禄や人間的な厚みが生まれた。
今の時代、強くなることは精々有名になって金をため込む程度の意味しかなく凡人から叩かれるだけの時代。
生涯現役だの人と同じ目線だのを強調する勝ち組も多いが、人の上に立つ器量がないんだな。 https://www.everythingofneet.com/2020/01/14/post-5282/
おそらくENFPが最も優しい性格だと思われる
寛容で 自由で 個性的で 束縛を嫌い むしろそれを立ち向かう勇気があり 慈悲深く さっぱり晴れ晴れしている 温厚でゆとりがあり そのため誰にも寛容 だからカリスマ性がある
どっかの暗い雲に覆われて 常に何かに怯え 余裕がなく 恩着せがましく すぐ人を管理しようと制限し またレッテル張りをし ひどい場合冤罪をふっかけ いつも必死こいててw 恐怖心に駆られ だから八つ当たりばかりし 常にイライラしてて 典型的な真面目系クズで モヤモヤ我慢我慢ゆって嫉妬してるマヌケとは大違いだなあw ぶっちゃけ嫉妬深い奴は害悪しかねーから拷問にかけリンチすべきなんだ💢 今の世の中は規則絶対至上主義の社会だ。
あらゆる規則が寸分の緩みもなく遂行され、はみ出すことが許されない。
昔はどんな規則にもお目こぼしというものがあったし、破った所で即座に罰せられることもなかった。
昨今話題の受動喫煙対策も禁煙ファシズムと批判する向きもあるが、
根本は規則でガチガチに固められ身動きの取れない現代日本社会の問題。 https://www.youtube.com/watch?v=YDIx8ap7m0I
1つめ 人脈自慢、有名人知り合い自慢する人 ISFJだな!しかも2w1のチョン💢 またはESFPとESTP
2つめ 強者に近づき弱者をバカにする人 ISFJ確定だな!くそ新羅人がよ! 2w1 だろうが6w7 9w1 6w5だろうが全部それだ! ISTJ(エベンキ族)とESFP(どこの馬の骨かもわからん陽気な人たち)とESTP(エベンキ族)もその気あり
3つめ 衝動性が強い人 EXXP
4つめ 自信満々な人 ENTXとISTX
5つめ 気を使わなきゃいけない人 J全部 オレ様にも気を遣えよ!ISTJとISFJとESFPとESTPのバカな諸君!wwwwwwwwwww
結論 付き合うと損bキる順
ISFJ>ISTJ>ESFP=ESTP> 以上 ISFJは頭おかしいから 友達になるなよ 女に多いんだけど 特徴はバカそうな顔(実際バカ しかもムカつく)で童顔で 声が高い 野郎はジャニーズ顔でホモっぽい いっぱいいるからなあ 世も末だな 仲よくしたら良い順
INTJ(INTJに気に入られれば力になってくれる、ハードルが高い)>ENTJ(銭)>ENTP(INTJと同じ)>INFJ(知識豊富なので全体を考えると間違いなくプラス)>ENFP(楽しいし良くしてくれるが貧乏)
俺(INTJ)ってかなりいいやつじゃん 赤の他人にも知識を教授すっから S系とはあんま仲よくしねえほうがいいな 一方では厳しいし、もう一方では足引っ張るし、Sは全体的に権力や常識に忠実だからなあ
ISFPがもっともSでマイルドだが力不足な所がある 農家なら勝ち組 777の10連荘
ESFJはバリバリ働くが、パートナーにも同じようなハードルを求めるため努力が必要
ISTPとESTJは人選ぶ(感情的な人とは合わねー)
ESTPとESFP→付き合いたいなら付き合えばいいと思うぜ キャラが濃すぎるから疲れるだろう 結構奇異な姿が見られるだろうし 貴重な経験になる
ISTJとISFJ→地雷そのもの 年末から書き込んでるレスは大体はISTJだと思うが
規則絶対至上主義はISTJやINTJやENTJが最も他人に強要したがるものだから
椅子取り競争に負けたISTJがなぜかENFPを自称したり
仲良くしたい順で他人を駒にしたがる筆頭を選んだり
ISFJに罪を擦り付けているのは滑稽でしかないな。 こんな理不尽な世の中なくなります様に。
早く地球が爆発しますように。 よくスレタイみたいな事言ってる自称善人が存在するが 真の善人は 自らが善人であるとアピールすることなく 当たり前のように善い行いをする人だ
「世の中に失望する」というのは言い換えれば「世の中が私の思い通りになってくれないの!ぴえん🥺」じゃないのか?
つまり世の中に失望してる奴は善人ではなく 世の中を自分の思い通りにしたいだけの自己中w スレ主自分で自分のこと善人だと言っててキショい
本当の善人は善人アピールしねぇよw
つまりスレ主は自分を善人に見せたいだけの偽善者🤭
まるで誰かが●んで取り返しがつかなくなってから初めて「何もできなくて申し訳なかった」と後悔し始める奴のようw だから偽善Feではなく本心Fiを育てろとENFP様は言っている
鉄ばかり摂っていたらロボットになるfuck🤖 いい結果の原因が自分にあるなら、悪い結果の原因も自分にある。
いい結果の原因が自分にないなら、悪い結果の原因も自分にない。
いい結果の原因が皆にあるなら、悪い結果の原因も皆にある。
いい結果の原因が皆にないなら、悪い結果の原因も皆にない。 確かにこの世の中はやったもん勝ちだからな
単純に勧善懲悪な世の中だったら
ここまで失望する人は居ないのにね 他人の思想は脅威だから善人なんていないよ
弱いやつはいるが?笑 正確には賢い善人だろうね
早いうちにこの世の中に見切りつけてうまいこと世の中を渡っているが、
傍から見ていたら物凄く大変そうだなと思う
尊敬はするけどその人と人生変わりたいとは思えない
相当努力したりメンタル強くないとやっていけなさそうだから 善人かどうかは別として、
幼少期に割りと裕福な家庭で教育熱心な親から道徳教育やルール教育を厳しめに教えられた人間ほど
社会に出てからいかに世の中にルールを守らない悪人が多いことに失望したり、
世の中に正義感のある人間が少ないことに気づいて社会に失望し、鬱病や引きこもりになるケースが
多いと思う。ソースは俺。
俺の周囲では、むしろ貧乏DQN子沢山の家庭で親から愛されず放任で育った子達のほうが
世渡り上手で人生上手く行ってる。