善人ほど世の中に失望するので生きづらい [無断転載禁止]©2ch.net
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逆に言えば悪人は世の中に失望することもないので生きやすいということになるのでしょうか? もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 色々考えてまうんが人間ってもん。人間ってそういうもん。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 失敗したり迷惑かけたりしてもすぐ立ち直るにはどうしたらいいでしょうか?
いじめられても嫌われても平気になるにはどうしたらいいでしょうか? >>339
皆、失敗や迷惑等当たり前のことだから
何故そうなったか考えて、非があれば反省なり謝ったりすれば
多少はスッキリするんじゃないかな?
いじめや嫌われる原因は、個人個人で違うので判らないけど
原因を考えて、直せるところは直す
ココは非が無い・曲げたくないと思えば貫き通せば?
その場合風当たりが強くなるが度胸は要るけど
ケンカ腰では無く、丁寧に相手に自分の意志を伝える事が出来れば
少しは変わってくるかもしれない?
ひたすら流される人生か、自己主張できる人生か
両極端で無くてもいいけど、選ぶのは自分自身
と後の事は全く関係ない他人の意見なので鵜呑みにしないように 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 5チャンネルに性格キツイ人が増えた?
優しい人が少なくなった気がする >>351
見てるスレによって違いは大きいが酷い所も多々ありますよね
5ちゃんは匿名だかキレても関係ないと思ってるのかな?
匿名だけどキレまくってたら心がすさむような気もするので
こうはなりたくないなと思いつつ
自分は見るのも嫌なのでNGにしてますね 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 >>355
マスコミも批判ばかりだしね
否定は自己主張と取れなくは無いが心すさむ感じするし
人を褒めるとゴマすりと思われる傾向ありそうだし
ちょっとした事でも人に何かやってもらったら
ありがとうの一言でお互い良い気分になるのにね どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 ちっちゃい頃から色んな面で負け組だから弱さは受け入れつくしてる 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 この方は、ご自分への戒めとしての言葉をここでつづられているのではないでしょうかね
人間、能力も性格傾向も成育環境も様々ですし、この方のお考えを高尚過ぎてハードルが高いと感じる方もいれば、
まだ若気の至りのように感じる人もいるでしょう
当然、特定個人に向けての言葉ではないでしょうから、僕などにも異論はあれど役立つ部分もあるので続けていただきたいです
日々多くの方々が生活に追われている中で盲点になりがちなこのような内省的な話題は日常でする機会がないので貴重ですし、
僕のように見ている者もおりますので
どのような意見を述べたとしてもかならず賛否はつきものですし、お気になさらず・・・ 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 >>379
いえ、若輩者でも向上心のある者は指導などされずとも勝手に学び取りますので
指導者の皆様方もどんどん勝手に書き散らかして良いと思います
良い部分からは学び取り、軽蔑すべきところは反面教師にしますので
まあぶっちゃけ諸先輩方もエラそうなこと吐き散らかすのもご自身の癒しになるじゃないですか、
良いことだと思います、嫌味っぽく受け取られたら申し訳ないですけど、生産的なことですよね
なんせここは「心理」の板なんですから カウンセリングの基本は「まず吐き出すことから」だそうですね
日々の抱えた生きづらさを癒すのも同様ではないでしょうか
リアルでは、ため息つける場所すら無いですものね… 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 欠点を隠そうとしないこと。
そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。
むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 人の意見はどんな耳の痛い意見でも聞く耳を持つ。
しかしながら従うことも含めて、最後に決めるのは自分。
それが個人の自由ということ。 怒り、あるいは相手を嫌うことを人間関係の選択肢の一つに含めない情愛は、
どんなに必死に押し付けて来ようとも愛情とは認めない。
それはどこまでいってもまがい物の愛情。
波風を立てずにいこうとしてもいずれは追いつめられて人を恨むんだから、
怒りぐらいは自分の手元に引き付けておけってこと。
どこまでなら大丈夫かの匙加減さえ見誤らなければその方が健康的。 いやあ、まあそんな言葉が響く人も中にはいらっしゃるのかもしれないけど、でもみんながみんな、あなたと同じではないですからねえ・・・
持論の押し付けが反発やヒンシュクを買いかねない、ということについては、どうお考えですか? 一見、「肩の力を抜くこと」を推奨されているお言葉のようですが、受け取る側のこちらとしましては、「スパルタ的根性論」のようにも受け取れますね…(苦笑)
「決めつけの強さ」というのは、ご自身の信念がブレることを怖れ、それを保とうとするがゆえにそうなってしまう、ってありがちですよね。
あなたも、ご自分を正当化し続けなければブレてしまいそうな、「戦いの渦中」に身を置かれて不安に苛まれてはいませんか?
簡潔に言うと、「不安(↓)を鼓舞(↑)によって中和している」という状態ではありませんか・・・?
そこまでの強い鼓舞によって、ご自分を支えなければならない、という精神的窮地は苦しいものですよね。
僕にも身に覚えがあります。
そういう時って、ある意味「躁転」しているので、不安をマヒさせて、和らげることが出来るのですよね。
ただしその代償は、「感覚のマヒによるデリカシーの欠如」として、生きづらさが「対人的な衝突」などとして、自分に返ってきてはいませんか・・・?
あるいは、あなた様としては、ある意味「ニヒリズムによってその緩和を求めよう」というお考えなのでしょうか・・・?
もしも「その先へ進化」を望むのならば、鼓舞によって均衡を保っている現状の自己概念を一旦壊す必要に迫られることもあるので、それがとても怖ろしいですね・・・
少なくとも、僕の場合はそうでした。。
あなた様が現状、身を置かれている環境や事情を存じ上げませんので、僕も勝手な憶測で横柄な意見になってしまっていたなら、申し訳ありませんが・・・ お門違いのお邪魔な意見でしたら、どうかスルーしてご容赦いただければ幸いです。
ひきつづき、つぶやきをお聞かせいただければ幸いです。 >>388
悪いが何を言っているのか分からない。
そんな細々した内面のゆらぎは仮にあったとして、それを詮索してどうなるものでもない。
心理は飽くまで具体性との関連でのみ語られるべきもので、
その意味で心理学は根っこにカルトの要素・危険性を多分に含んでいると思ってる。 なるほど、同感です。
ただ、僕とあなた様の関心事の部分については乖離があったようでした。
大変失礼いたしました。 衝突する前からへしょれてしまうような骨なしならしょうがないが、
少しは気骨があるのなら緊張の高まりをセーブしたり、後からリカバリーするテクニックはいくらでもある。
が、それは衝突を恐れない構えがあった上での話。日々の経験の中からつかみ取るしかない。 先生!
価値観や人生が変わるような
馬鹿でもわかるような
シンプルでわかりやすい言葉でお願いします
ここでみる教えはボンヤリして説得力ないから
馬鹿な私には入ってこないよ 自分や他人に過剰な期待をしないこと。俺はそれしか言っていない。
向上心の意味を履き違えないこと。 〜こと。
ごめんなさい元彼の偉そうな言い方に似てイラッとします悪しからず
昔から読みつくしやりつくしたことを言われちゃうと懐かしいけどそれでは直らなかったっけなあってまた失望します 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 処世は自分の感覚だけが頼りだと自覚すること。
何を通そうが譲ろうが、感覚や感情そのものに手を加えることはできない。 上下関係の垣根をとっぱらうことで、立場に見合った責任の重みを自覚することから逃げる人間は信用できない。
立場が上の人間の為すことが必ずしも正しくないからこそ、上は下からの突き上げを真っ向から受け止め、
下は上が従うに足る人間であることを見定める必要がある。民主主義だのグローバルだのはその後の話だ。
世間に対抗する言葉が見つからないのなら無理に自分を合わせる必要はない。
ただ、個人の規範倫理としてそこを軽く扱うのには、
どこかに何かをごまかそうという心理が働いていることは押し付けるでもなく指摘しておく。 ま、よくよく考えたら俺には全く関りのないことだな。
多分俺の人生に全くかすりもしない問題。俺とは関係ない。この感覚は大事だな。
矢面に立たされる人は気の毒とは思うが、自己判断で動いてもらうしかないな。 君の言うことに耳を貸す人はいないだろうから心配ないと思うよ。
自分の考え方を押し付けて他人を操って悦に入るような趣味は俺にはないね。
仮に君の意見に共感する人間がいたとしても、本人の経験で気づかなければ何の意味もないでしょう。
他人の言葉に惑わされるようでは、自分の考えで行動出来ない人間になってしまう。
そもそも心理学とは何の関係もない話だと思うが、君にも自由に発言する権利はあるから、まあいいんじゃないの。 というか君の言葉は「君自身が悩みを抱えていることのSOSのサイン」に見えちゃうんだけどね。
そうじゃなければあしからずだが。
それこそ俺が君の力になれることなど何もないだろうから。 >処世は自分の感覚だけが頼り
ああ、おっしゃる通りですね。
読み飛ばして誤解がありました。
上の発言は撤回します、大変失礼しました。。 少しでも権力を持つ人間は徹底的に叩いて骨抜きにしようというのが戦後日本の流儀。
できるかどうかはおいておくとして、可能な限りはそれに耐えようという
骨っ節のない人間は権力を行使すべきではない。
今のところは対岸の火事でも、不祥事なんてものはどこから火がつくか誰にも予測できないからね。
いざという時の心の備えは必要。
人間には知らない方が幸せなこともあるのだろうが、
上に登りつめるというのはそういうことも含むってこと。
その上でどう生きるかは人それぞれ。 まあ人間なんてそんなに強い生き物じゃないから、あまり多くを求めてもしょうがないかもしれんな。
ギリギリまで頑張ってへたれるのはしゃーない。 なんでアナタは言ってることは優しいのにそんなに上から目線でモノ言うの?w
もしかして照れ屋のツンデレ?
おんなじこと言うにしても物腰柔らかく言うだけで相当印象変わるだろうに…
何らかの戦略があってのことなのかい?w あらゆる物事に白黒をつけようと躍起にならないこと。
世の中にはいい加減にしておいた方がいいこともある。
間断なくせきたててくる世間の要請は要請として、必死にならないこと。 なりますね
悪人が100人1人の善人を潰そうとして善人は破滅に向かいます
ですが、破壊された善人が悪人でなく善人を見出すことにより仲間が出来,今度は静かに悪人を潰そうとします。
悪い事は自分に帰らず
自分の家族に帰ります。
神さまは人を裁かずに捌きます。
悪い事をしたら罰が降るのは古い考えです。
1秒ごとに善人にしてくた報いを彼らは受けなければなりません。
それはもう知らず知らずのうちに受けなければなりません。 「〜こと」
言い方がキモすぎて入ってこないからやめて 傷つくことを恐れる気持ちは誰にでもあるが、受けた心の傷の痛みを薄めようとしないこと。
痛みを痛みとして感じることができるのは人間にとって幸せなこと。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています