そういう社会の許容度を上げるものは、結果として社会や共同体から
「あいつは仲間にしておけない」という風に人を切り捨てる基準を下げて
世の中をよくする。

でもこういうのって、文系(事務次官とか)が理系(技官とか)とかを使うという
社会の秩序を連想させて、理系の偉い人をいら立たせる方向でもある。

理系なりの専門家としてその範囲で仕事をこなせば地位は保てるが、それ以上に公共の善に
訴えるべくわたくしの考えを述べるというのは勇気のいることだ。

民主制でなりたっている国家なんだから、そういう事もある程度は許されるべきなんだろうが、
なかなか建前だけではいかないとも感じている。