アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
年下だからって敬わなくていいってことではないと思うんだけどね
年下でも「先生」にはなり得る
その学ぼうとするジャンル、事柄において先に歩き始めたひとは年上であり先生だし
5年10年違えばまだしも2、3年程度の違いならほぼ同い年みたいなもの
学校ではその1年の違いが大きいけど まず親が子に年齢上の方が上だと思い込ませるとこから始まる 敬うのと服従するのとは違うんじゃないかと思う
アドラーでも横の関係は尊敬から始まるという
尊敬て書くといいとこがあるメリットがあるから尊敬するみたいにとられるけど
そうじゃなくてあるがままに認める と >>717
減点評価さえやめればどんな人からでも学べることはあるけどな 互いに学べる点を学び合えば横の関係で敬い合える
一方が一方から学ぶばかりだと服従、上下の関係になる
でも子供と大人のような極端な経験差のある関係でもなければ
「人から学ぶ才能」という点では下の立場にされてでも学ぶ奴の方が優れているという皮肉
「人から学ぶ才能」ばかりは人から学ぶわけにはいかないもんな
才能なかったらそもそも学べないから自力で獲得するしかない 中国から入った儒教がアレだな。中国・韓国がおかしい国なのも儒教のせいもある
縦の関係が通用するのは、農業中心の社会まで。産業革命以降は立場・役職で仕事の上下関係は決まるから
儒教的上下関係は必要なかったな。こういう世界的に広がらない儒教なんかはどうにかならんかね >>720
儒教の是非云々はわからんが、この人が儒教、中国、韓国に対して偏見まみれなことだけはわかった >>721
横からすまんが、中韓はおかしな国だぞ?
日本から見ればだが
まあ逆もそうだろうけどね 誰からでも学ぶことはできるよ
自分以外の人、つまり自分の認知バイアスに毒されていない人、の、行動言動だからね
何度か助けられたよ 「おかしな国がある」という自分の立場が正しいことを前提とした認知バイアス 野田さんなら中国に対してまともな国、普通の国と言うだろうか。あなた方より中国の知識に詳しいだけに 「おかしな国」じゃないとすると、「普通の国」「まともな国」というように、善か悪か、良いか悪いかの二元論で解釈してしまう認知バイアス 頭おかしいのがたくさん釣れるな
ワッチョイ必須だね、心理学板は 「2ちゃん脳とは」
>あらゆる物事に対してまず否定から入る。
>肯定・賛美を認めない。
>否定に特化したダブルスタンダードな性格。
>10か0かの極端な思考。
>レッテル貼りの多用。不幸の娯楽化。(メシウマ思考)
>上から目線で周囲を見下し、優劣を付けたがる。
>非寛容で、許容の心がない。
>「これらの特徴を列挙し2ch脳と叩く行為自体が2ch脳であるとも言える。
たとえ相手が悪質であっても過剰に嫌うあまり自分もわざわざその相手と同じ存在にならないよう注意が必要である。」
↑
最後の部分が「課題の分離」と同じ。羊たちの沈黙だったか「怪物を捕らえようとする者自身が怪物にならぬように」と ミイラ捕りがミイラになる なんて諺もあるからな
自分の力を見せつけだがるのに常に自分が否定されることを恐れている
ネット番長とも言われるけど独裁国家の指導者も似たようなものだと思う根元的には 自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはない。
正しいというのは、ある精神的な立場(視点、見解、判断、物語)と自分を同一化することだ。
もちろん自分が正しいと言うためには、間違っている誰かと比較しなくてはならない。
だからエゴは自分が正しいと思うために、好んで誰かが間違っていると決めつける。
言い換えれば、自分という意識を強化するためには、誰かが間違っていなくてはならない。
間違っているのは人だけではない。ある状況も、不満や拒否反応を通じて間違いだと決めつけられる。
「こんなことは起こってはならない」というわけだ。
自分が正しいなら、間違っているとか欠陥があると判断される人や状況に対して、
自分が倫理的に優越していると思うことが出来る。
その意味でエゴは優越感を欲し、優越感を通じて自らを強化する。 愚痴こぼしとリアクションは、
エゴが自身を肥やすために常套手段にしている思考パターンです。
たくさんの人は、思考活動と情緒活動の大半が、
人生で起こる出来事に対する不平とリアクションによって占められています。
そうすることによって、他人や状況を「悪者」扱いし、自分を「正しい人」にしているのです。
「正しい人」になることによって、優越感に浸り、
優越感に浸ることによって、自己の感覚を強化しているのです。
むろん、実際に強化しているのは、エゴの幻想に過ぎません アドラー心理学で、最も大切な事は「課題の分離」ではないよ。
アドラー心理学の大前提は「承認欲求を否定すること」だ。
承認欲求があると自分の人生を生きることができないから。とある。
その意味でいうとアドラーよりも前に生きた坂本龍馬はこのことを
知っていたな。
龍馬の、
「我がなすことを笑わば笑え。我が成すことは我のみぞ知る。」とは坂本龍馬の名言だ。 >>739
課題の分離を言い始めたのは野田さんで
承認欲求の否定を言い始めたのは岸見さん
ニュアンスの違いはあれどどっちもアドラーは言ってないよ
アドラーが言っているのは
人の行動メカニズムの根源は「所属へ向けての力動」だということ
承認欲求の否定という言い方をするよりも
競合的な所属の否定、そして協力的な所属の転換、で捉えた方が早い
「欲求」という概念は、社会統合論の対になる「精神内界論」であるとして、フロイトと違うパラダイムを構築するためにあえて使わなかったんだよ 確かアドレリアンは欲求という言い方をあんまりしないんだっけか >>740
野田さんが翻訳した言葉で元々は「責任の所在」の方が適してると思う。もっとも、
「責任の所在」はあちこちで使われる手垢が付いた言葉だから、野田さんが考案したんだろう
「課題の分離」には日本人には疎い個人主義のニュアンスが含まれていたから、これで良かったのかも 人間なんだから承認欲求ぐらいあってもいいとは思うが
承認欲求のために他人に迷惑をかけたら余計に承認は得られなくなるゾ
程度でよくね? ほんとそう思う
人から認められたいという欲求自体が問題なんじゃなくて
それに執着しすぎるのが問題で 「トラウマはない」と一緒で「承認欲求の否定」がわかりやすい。「トラウマは存在しないわけではなく、実は…」
と言うよりも「トラウマはない」と言い切る方が前向きになる。アドラー心理学は
オープンソースのソフトみたいなもので権威は存在しない。学習者が解釈を考え付く事も可能だろう 承認欲求の有無じゃなくて、自らの承認欲求に操作されてしまうのが問題なんだと思うよ
行動と承認欲求に何らかの関係があるのがおかしい、と >>746
都合よく解釈して本質を忘れてる人が多いから余計わかりにくくなってるんだよ 結構なひとが100か0か
白か黒かで考えて
敵か味方か、になりがち
これが自分も含めてだけど自分の潜在意識の中にもこびりついてる
承認欲求の否定、というのはそれにしがみついて生きることを否定するのであって
他者から違うと言われても(また自分がそう想像しても)自分が目的をもって生きた方が幸せになりやすいよって事なんだけども
これもヒトの目を気にしないイコール迷惑はいくら掛けてもいいと極端に飛んでしまうし まあ、「嫌われる勇気」はライターの古賀氏がライティング担当だし何割かは割り引いて考える必要があるだろう
タイトルも売らんかな精神で考えられたものだし。アドラー心理学とは関係ない 自分の行動の源泉が承認欲求だと気づけばそれだけでその無意識化してしまった行動から解放される可能性がある。 相手が間違ってる
自分が間違ってる
の二極論もまたイエスかノーかのようで
自分は上手くいかないのは過去も含めて全て自分が悪いのだ
自分の取捨選択が間違ってきたから今間違ってるのだと思いがちで
この考えのせいで異様に自己評価は低くなっちゃってるなぁと
だからちょっと褒められるだけで認められた気になり「調子こき」になってしまうので
結局自分がないんだなぁと >>739
>アドラー心理学の大前提は「承認欲求を否定すること」だ。
大きく出たなw
アドラー心理学の大前提は「5つの基本前提に基づく建設的なライフスタイルの育成」だよ
承認欲求も使用の心理学の観点から言えばリソースとして使えたりするから否定する必要はないよ
問題は承認欲求に振り回されて建設的でないライフスタイルを選んでしまうこと きのこの山とたけのこの里、チョコレート菓子としての完成度ではどちらが上か
これは古くより人類に課せられた課題であった
答えを求め人々は議論し、真理を追究した
彼らは純粋にどちらがより優れているのかを見極めたかっただけなのだ
時は流れ、いつしか人々は自らを「きのこ派」あるいは「たけのこ派」と名乗り
異なる派に属する敵を否定することのみに力を注ぐようになった
証明すべきは自らの正当性、そして敵がどんなに無知であるか
もはやチョコレート菓子としてどちらがより優れているのかを語る者など存在しない
「きのこ派」としての自分、「たけのこ派」としての自分が敵よりも優れているという
居心地の良い「真理」に辿り着いてしまったのだから 原因論否定、トラウマ否定、承認欲求否定、課題の分離を組み合わせる提案は、周りの目が気になって生きにくさを感じてる人には福音書みたいな内容だよな
飛躍してしまってアドラーの理論とは似て非なるものになっちゃってるけどさ 違うところを誇るよりも、
合意できるところを話しませんか?
なんかこのスレでマウント合戦は見とうないですわ >>757
自分の行動が自分と周りの人の相互の所属につながるような目的のもとに行われることがアドラー心理学の本来の目指す在り方ではないかと
単に自分のやりたいことをやるため、のような自己実現的な目的で諸理論を用いる事はどうなのか?と憂いられてる文脈だと思う
ところでどうやってあなたは、ここに書き込んでいる人の心を「違うところを誇っている」と判断したの? 詰問はマウンティングの始まりかと…
ご自制くださいませ この話の主旨とは逸れるけどさ
マウンティングって言葉最近流行ってるよね
人が人を支配しない横の関係を志向するアドラー心理学にとってマウンティングは競合的な態度だとして取り除くべきものだと認識していたんだが
最近どうも人はマウンティングしかしてないんじゃないか?
と思うようになった
所属のためとか言われてもピンとこないけどマウンティングのためって言われるとしっくりくる マウンティングって自分が他者より優れていることの確認とそれを相手に認めさせて優越感を体感するためで
いわゆる劣等コンプレックスの裏返し
それをしないと(他者より優れていると感じないと)自分の価値を認められない
自分は他者より優れてないとならないと誤認しているから マウンティングはみなさんしちゃいけないよというマウンティング? 共同体の一員として認められるには共同体の中でそれなりの地位を示す必要もある
そのためのマウンティングなんだろうが、そのマウンティングで空気をギスギスさせて共同体にとってマイナスになってしまってはね
地位を示すより能力を示す、他者との力関係よりも自分に何ができるかで共同体への所属権を得る
そうは言っても何もできないからっていきなり所属権を剥奪されるほどの世知辛い世の中じゃない
剥奪されるまで行くのは共同体にとってマイナスになるような人の方だよな
マウンティングのしすぎで居場所を失い、居場所を取り戻そうとさらにマウンティングをするということかも 子供の時に友達と遊んでても特にマウンティングはなかったように思うなあ。
単に楽しいから遊んでただけで。
なので組織があったとしてもマウンティングなしの状態はあると思うんだがな。
ただし組織化している自覚がやってる本人にない。 マウンティングから身を守っても更にマウンティングしてくるからなぁ
どんどん能力を示すと相手がひどい状況になっていくから解決には譲るしかないんじゃね マウンティングを避けるためにマウンティングしてしまったら切りがないな。
ミサイルにミサイルで返すようなもので、それは悪循環して中々終わらない。
ただ自分がコントロール可能なのは自分だけなわけで、終わらせようとするなら自分が止めようとするしか方法はない。 マウンティングはみんなしてるよ
問題は自分だけはマウンティングなんかしてないと思い込んでいること 自分だけは特別であろうとするって感じだろうな
自覚するのは難しい マウンティングされているという被害妄想だけの場合も多々ありそう。
いわゆる劣等感が強いってやつ。
自分が全くそんな気がなくても偉そうにしやがってとか言ってくるやつ過去に居たし。 どこか遊びに行こうと誘ってるだけなのに命令するなとか言ってくるやつもいた。 最近読んだ本でいうと社会を営む生物としてのヒトのマウンティングの方法には二種類あるらしいね
圧迫系のマウンティングと魅了系のマウンティング
圧迫系は相手の力を奪い依存する方向に向かうマウンティング
魅了系は相手に力を与えて自立する方向に向かうマウンティング
これアドラーの勇気づけと勇気くじきの関係みたいだなと思いながら読んでた
相手を勇気づけるような関わり方を魅了系マウンティングと呼んでもいい気はするよ >>772
これがアドラー心理学的な解かもね。
相手にマウンティングの意図があるかどうかなんて「話してみなきゃわからない」
それはマウンティングですよってのは私的感覚、つまり自分の思い込みの域を出ない。
共通感覚に頼るべし! >>775
面白いね、魅了系マウンティング、なるほどねって思った。
私も読みたい。本のタイトルを教えていただけないだろうか? 承認欲求も自分で自分を「まあこんな自分でいいよな」と承認して済ませれば誰にも迷惑はかからないものを
他人に承認されたいと願うからややこしくなる
他人に承認されたいのに承認してもらえないとなると、こんなに凄い俺承認してくれくれアピールのためにマウンティングをしたくなる
自分を差し置いて承認されている他人への嫉妬心から攻撃したくなるというのもあるかも >>782
いいねそれ
コンテンツとして終わってくれた方がやりやすい
砂粒にとっては都合がいい 例えば、上司がすごんできたらムカつくけど
これは考え方によってムカツいてるわけでなく
すごむ(威嚇)に対して、怒り、アドレナリンを出し自分の戦闘力を高めて身を守るという
動物なら当たり前の反射なんだ。
この反射は当然緊張状態にあり不快なので
それを利用して相手をコントロールしようというの相手の作戦だ。
ムカついても無駄とわかっていてもむかつくのは、動物として優秀だからだ。
この威嚇に対して反射的にムカつくという能力はアフリカ人が優れているらしい。 承認欲求もマウンティングもトラウマも生物種としてはごく自然の反応と思う
群の中で配偶者を見つけるために承認欲求やマウンティングはあるし
危機回避のためにトラウマはあるし
まぁ、動物の行動学とは相容れないよね つくづく
自分の弱いところダメなところを自分で認識してしまうから
ひとと関わりたくないのだと思う
リアルでもこういう匿名でもね
ちょっと上手く行ってもすぐ調子のって自分が正しいと思い込み権力争いしちゃって自己嫌悪
人のためでなくて結局自分本位からは抜け出せない
上手くいかないと腹立つしね まるで、自分が、社会生活に向いていないことを確かめるかのような行動ですね >>786
動物ならそれで正解だけど人間の社会で本能のままにそれやったらかえって不利になるしな
人間なんだから人間として有利になるためにはどうすればいいか考えようぜってことなんだと思う
人間だって動物だし本能に逆らえないってこともあるだろうがw おまえら、どんだけヒャッハーな世界で生きてんだよ?
過剰反応で笑う >>787
その経験は凄く「使える」んだけどな
俺って弱いなダメだな
→やっぱ弱いの認めて誰かに頼って生きなきゃダメだな
→あれ?みんなも弱いし精一杯強がってるだけだな
→結局俺たち人は助け合わないと生きられない存在なんだな
→よし、自分にも人にももっと寛容になろう
ってプロセスを経るのが狙いなんだから 例えばヒト特有の能力でいうと想像力
異性が目の前にいなくても、刺激を与えなくても、勃起させる事ができるじゃん?
つまり、生体反応をある程度コントロールできる能力が人には備わってるんだよね
この辺が心理学の扱ってる分野ちゃうん? 親の年金で生きている高齢の引きこもりは
自分は誰の役にもたっていない
社会の役に立っていない
と思っているか世間に思われているかもしれないけど
漏れのような高齢フリーターには、この人たちがいなくなると
自分が社会的に最低の人間になってしまうので
自分より下の人間がいるというのは精神的な支えになっているので
高齢ひきこもりでも、生活保護受給者でも人の役に立っているし、その人の役割をこなしているので、
国は手厚く支援するべきだと思うんだ。 手厚く保護しようにも国にお金がないので自立してもらおうと色々テは打ってる
「全て」自分次第ではないけども
水を飲むかは馬次第と同じように
最後引きこもりを止めるかどうかは自分次第だもんね
普通に戻るための勇気を出さなきゃならない
味方は作るもの感じるもの
言葉で説明するのは簡単、感じるのはとっても難しいけど所詮は自分の気持ち次第スイッチひとつでもある ああでも
普通と書いたら普通の人間とそうじゃない人間で優越劣等が生まれるのか 知り合いの引きこもりは「自殺はしない」と言って生き抜いていたが。 アドラーを学んで理論としては解っても実生活では自分の至らなさばかりで自分を責めてしまう
こんなのも注意を引き付けるための甘えだって解ってるけどやらなかったらやってないも同じですよねぇ
変えていかなきゃ変わっていかなきゃ生きている意味がない
横の繋がりを持ち協力出来る力を身につけ社会に貢献しなければ生きている意味がない 公的自己意識・私的自己意識について
【公的自己意識とは】
自分は人から見たらどういう人間なのだろうか?という自意識
【私的自己意識とは】
自分は本質的にはどういう人間なのだろうか、自分にとって大切なもの(価値観や概念)は何か
という自意識
【公的自己意識が優位な場合の特徴】
(人に良い印象を与えるために)真面目で誠実な振る舞いをする、自分が本当にやりたい事よりもやらなければならない義務などを優先する、明るく親しみやすい性格を演じる、服装や髪型は自分の好みよりも流行や世間的に受けるものにする 等々
【私的自己意識が優位な場合の特徴】
(人に与える印象はさておいて)まず服装髪型などは自分の好みで。強制などされると、「こんなの私じゃない」。私は○○が好きなので、今はニートでも、いつか○○になるんだ! 等々
ちなみに、真面目じゃないからと言って、じゃあ私的なのか?と言うとそうじゃない
例えば犯罪(だいたい軽犯罪)を友達と一緒になってやらなければ友達に悪く思われてしまう、 かっこよく思われたいのでDQNぽく振る舞う 等も、人の目を気にしての行動であれば公的自意識かな。
振る舞っているわけではなく本当にグレている場合は、私的自意識だと思います。 >>797
> 「自殺はしない」と言って生き抜いていたが。
そいつが召されるのも時間の問題だな
「アドラーのことを考えない」と言ってる奴はアドラーのことを考えてる
「負けない」と言ってる奴は負けることを考えてる
「自殺はしない」と言ってる奴は自殺のことを考えてる
人間の脳は否定形を理解できない
アドラーの没後80年で心理学は脳科学を取り入れて
それなりに進化している >>798
人を機械に例えると
思考は出力
嫌な感情も出力
ライフスタイル設定が入力
コントロールできるのは入力だけ
自分で自分を変えるには、出力された思考とか気分をあーだこーだ悩むのではなく、ライフスタイルをどう設定するのかに集中すること
テレビで例えると、リモコンを使ってチャンネルを変えればいいのに、胸糞悪いバッドエンドのストーリーのテレビドラマに向かって勝手に凹んでる感じ
どうかどうかお願いですから1000回読んでほしい >>798
貢献できなきゃ意味がないって言うなら嘆く代わりに誰かを勇気づけるような書き込みすればいいのに
変わる変わらないの前に実践してなくね? まあ、言い方はどうかと思うけど貢献感ってそういうところから始めるものだよね >>802
それ何かしっくりくるわ
トラウマがあるからできないという理由付けと同じように
自分は至らないから社会に貢献できないという理由付けをしているように見える
個人的には問題解決には理由を知るのも一つの手だとは思うが
理由を知るのはゴールじゃない
こうだからこうなのだと理由を見つけた時点で「だから無理だ」と諦めてしまって
自分を責める方に向かってしまうぐらいなら理由なんか考えない方がまだまし
至ろうが至るまいが自分にできる最善を尽くすだけで十分 フェイスブックのアドラー心理学のグループの管理人のmasaya shinagawaとか言うやつ、管理人のくせして誹謗中傷コメントしてるぞ。
こんな奴がアドラー心理学の管理人やってんのか。何考えてんだか。 >>805
フェイスブックのアドラー心理学の管理人ってのは偉いの?いい人であるべきなの? >>806
知らない、けどクズ女って言葉を持ち出す時点で良い人ってわけではないでしょ。
アドラー心理学の定義にクズ女という言葉の選択の正当性はどこにもないと思われるが。 >>808
正当性はないけど不当性もどこにもないと思う
アドラーの考え方を引き合いに出して批判したいなら、ここに書き込む前に本人に本意を聞いた?
そうじゃないとその管理人とあなたはやっている事一緒じゃない? 最近はやっぱりアドラーは難しいと思った。そしてこの先もアドラー心理学を実行できるかわからなくなってきますね。
相手の課題に入らない。これが一番難しい。人に貢献することが幸せだというがその貢献がわからないですよね >>809
不当じゃないからと言って何を書いても良いって訳じゃない。
そういうものの捉え方をしてるから、ネットの誹謗中傷が蔓延するだよ。
簡単に誹謗中傷をいうような人物に直接言ったら逆ギレされかねないのでここで言ってみた。 >>808
アドラー心理学で言っているのはいい人やまともな人でありなさいって事じゃないよ
人の弱さ、浅はかさ、未熟さを認めてみては?
そんな自分を、相手を好きになってみては?
そしたら助け合って補い合って協力関係作れるでしょって事 >>813
クズ女
この言葉を用いても問題ないのがアドラー心理学ですか? >>813
なぜそこまで誹謗中傷の言葉を擁護しようとしますか? >>814
人をクズ呼ばわりするのは相手に対する敬意を欠いた非建設的な言葉だと思うよ
その事が、アドラー心理学を学ぶ人はそんな事を言わない大それた人間であるべきだ、という論理に辿り着かせる必要はないと言ってる
それをやってしまうと、実践するためには、貢献するためには、まずは自分が、あるいは相手が変わるべきだ、って事になってしまうから 「不適切な行動に注目しない」
おまえら、よく反芻しろ >>818
これを正義感なる大げさな事として捉えますか?
誹謗中傷は言ってはいけない、それって至って当たり前の常識ではないでしょうか。
あなたは日常でそんなに他人を『クズ』という言葉を発したいのですか? >>816
人をクズ呼ばわりすることはアドラー心理学以前の問題です。 >>805
フェイスブック見てきたけど誹謗中傷でもなんでもないやん
情報操作して注目集めようとしてるのか?
「クズ男に対する復讐なんかやめて自分が幸せに生きた方がいい」
という一般の人のツイッターの投稿に対する共感として
「そうですね クズ女もしかり」
ってコメントしてる >>821
そういう文脈だったのか、荒らしに釣られて張り合ってしまったわ
すまなかった >>810
貢献ってなんなのかとはそんな難しくないよ
難しく言えば貢献とは自分の行動によって周りの人の共同体感覚が育成される事ってことなんだが
分解していくと、相手が今より少しでも自分を受け入れられる事、今より少しでも人を信じられる事、今より少しでも、今より少しでも貢献できていると思える事って事になる
でも相手がそうなるかどうかは相手の課題で、相手が水を飲むかどうかにかかってるからあなたが悩む部分ではない
そうなるとフォーカスするのはここだけ
「どうすれば周りの人がより建設的でいられるか?を自分なりに考え、今出来る目の前のことを粛々とこなし続けること」 岸見さんの新刊の愛とためらいの哲学読んだ人いる?
読む価値あるかな? >>827
品川ってだれだ?
ある一定の意見持ってたらみんなそいつって決定づけるのってネット民の闇だな >>830
たぶん品川庄司の品川のネタかと
それ、ネタにマジレスってやつですよw 信者は自分の三親等くらい全員殺されてみればいいのに
こんなもん実践してる奴はガイジだとしか見てないが
身内殺されてまだ信者でいられるならそれこそどうかしてる
けどある意味スゲーって尊敬するかもしれん 怒り、嘆き、悲しみ、苦痛、人生を生きていると、心がそういう感情に包まれてしまうことはある。
だがその時に、それに屈して、流されて、支配されて”負”に侵されてしまうのではなく、それらすべてのこの世の”負”でさえ、慈悲の念によって許し、愛し、同じ諸行無常の、この世の運命共同体だと考えて、一心同体となる。
そうすれば、この世のあらゆる苦痛から、あなたは解放されるのだ。 >>834
大丈夫
加害者に復讐し終えてからはアドラーに戻るから
無関係な皆さんにご迷惑はかけません
ご心配なく >>835
大丈夫
これアドラーの理屈のことではないから
仏教で釈迦の弟子になったならば、盗賊に遊び半分でノコギリで両手両足を切り刻まれても怒ってはならないという話の解説 >>837
えぇ…
詳しい解説…w
じゃあ家族を殺されて復讐するかどうかの例で言うと、怒りの感情が生じた瞬間、まず自分の体を蝕むから体調が悪くなって周りにも迷惑をかけることになるし
復讐を遂げても家族が死んでる事に変化はないし
その過程で相手の縁ある人たちに復讐心が生まれたり
とにかく負の業が世界に循環する
自分のためにも、殺された家族のためにも、殺人犯のためにも、世の中のためにもならない、自分の気が晴れるわけでもない、せっかく周りの人が同情してくれたりするのにその人達にも負の業を広げてしまう
冷静に考えたら怒りにはなんのメリットもないよねって話 >>832
その身内とか近しい人達を大切に思う情動を共同体感覚って言うんじゃないのん?
この人までは親しいけどここから先の人は親しくないみたいに勝手に自分が線引きするから敵という概念が生まれるわけで
例えば自分の息子が殺人を犯したとなれば、きっとテレビで他人が他人を殺したニュースを観るのとはまた違う感覚になるでしょ >>838
うん全然わからんだから復讐するわ
てレベル
アドラーも明示的には復讐を禁じてないしなぁ アドラーだと復讐は不適切な行動のうちの権力争いの次の段階じゃないの?
当事者同士の解決は困難で、カウンセラーとか第三者の介入を必要とするレベル 共同体で生きる上で好ましい姿勢を提案して、こういう人間を目指そうぜって言っているだけで
こういう人間でなくてはならないって言っているわけじゃないからね
あれ全部完璧に実践できたらそれこそお釈迦様だわw
できるかできないかじゃない、目指すか諦めるかだ アドラー心理学はビジネスにも当然使えるんじゃね。「自分の事ばかり考えないで
他人を喜ばす事を考えなさい」→「世間の需要についてリサーチせよ」か。ターゲット決めて需要があるところにビジネスを展開すると。
まあ、あらゆる職業は需要によって存在してるわけだが 怒りや恨みは他者との分離意識を強め、他者の他者性を拡大して、「正義」という一見難攻不落の砦のような精神状態を生み出すので、エゴが大幅に強化される 課題の分離ができていれば繁忙期に有給で長旅に出ることもできる アドラーによれば「人間はいつでも自己を決定できる存在である」ということですが、
構造主義から続くポストモダン思想の中心的な考え方である「人間の自己決定は制限されている」という思想とかけ離れているようですがどうなんでしょうか?
人間の主体的な自由は制限さているという考え方が現代思想の通説だと思うのですが >>800
脳科学取り入れるってそれ進化じゃなくて退化ですよw >>848
当然「但し常識の範囲内に限る」だろう
俺は空を飛べる!って決定したところで
人がいきなり空を飛べるようにはならない
死なない!って決定したところで
不死の存在に変われるわけじゃない >>851
制限、常識が増えすぎて選択肢の幅が狭まっているような気もするがな
それでも人間はいつでも与えられた選択肢の範囲内から自己を決定しなければならない
今すぐに最高の選択肢は選べないが、最高の選択肢に繋がる選択や、これ以上選択肢の幅を狭めない選択をすることならできる
俺のような凡人には選択肢の幅を狭めないために無難な選択ばかりするのが関の山だがw >>851
そういう表面的な自己実現みたいな話題じゃないと思うよ
アドラー心理学の言ってるのは
ものの見方や思い込みが反応パターン(思考や感情や態度)を決めているわけだから、ものの見方や思い込みのセッティングを見直す手法はあるよってこと
そうすれば結果的に反応パターンが変わるわけだから、変えられないものは諦めて、思い込みをいじれるという意味での自己決定性ということ
だから人は空を飛べると思うのは別にいいしむしろそこは自由に決められるところ
それで少なくとも反応が変わるわけだからむしろありだよね
でもそれって「人間の自己決定は制限されている」ことと矛盾しないよね?
って意味で>>848の指摘はよくわからない >>854
>>848の決定できる範囲は常識を超えて「広い」んだろう
「お姫様が信じてくれたなら泥棒は空を飛ぶ事だって、湖の水を飲み干す事だってできるのに…」
この名言を残した別の偉人とアドラーを取り違えてると思われる 自己決定の主体である──というと、
何でも自分で決められる/決めていい思想と思いがちだけど
アドラーの自立やカントの自律の思想とは正反対なんだよね >>854
こういう的外れな回答じゃなくて現代思想に詳しい方いませんか? NLPだと自己認識を変えることで生体反応をコントロールできる
花粉症の人なんかは試してみるといいよ >>857
科学的には、脳を測定することで人間が自覚的に行動するよりその人の判断を
早く知る事ができる。しかしその行動を意識的に止めることはできるとわかっている。
実験心理学では、ある人が「自由意志はない」という信念を持つと、実際に自由意志を
発揮する機会が減ることが確かめられている。
文学以外ではこういう成果がある。文学的思索の世界はよく知りません。 スタンフォード大学 自分を変える教室
最新の心理実験が紹介されてて面白く読んでるんだけど
アドラーの傍証になる実験結果も多い
例えば犯罪を犯して心から深く反省した人間と反省しなかった人間
どちらの再犯率が高いか?っつーたら
今までの常識に反して圧倒的に反省した人間の再犯率が高いらしい
コレなんかはこのスレの真ん中あたりで議論されてたアドラーの教育論
「叱らない」に結びつく
何か反省する(自分で自分を叱る)ことで区切りが付いて満足してしまう
そんな脳の傾向があるみたいなんだよな >>854
全能の神とは違って有限な存在である人間の自己決定が制限されているのは当たり前。
サルトルは人間の本質は「自由」だ(「人間は自由の刑に処せられている!」)と言ったが、当然人間が空を飛びたいと思ってもいきなり飛べるわけがない。
神と違って有限である人間の取り得る選択肢は制限されているけれども、それでも人間は限られた選択肢の中から主体的に理性を駆使して合理的な判断によって最善の選択ができる。
これが近代哲学の考える「人間の主体的な自由」であって、そこには人間の理性への絶対的信頼がある。
サルトルは共産主義から影響を受けており共産主義はヘーゲル(「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」
)の思想から発展している。
アドラーも共産主義の影響を受けているようだし、「人生はシンプルだ」と言い切っているので理性に信頼をおいた合理主義者であると思われる。
>>848が言いたいのはこの意味での「人間の主体的な自由」であり、神のごとき無制限の自由を言っているのではない。
現代の哲学は近代哲学の批判から始まっている。構造主義から続くポストモダン思想は理性に信頼をおいた「人間の主体的な自由」に否を唱えている。 >>863
共産主義は進化論の応用
全知全能の神様が作った生物が進化(変化)するとかそんな馬鹿なwの時代から
化石等の物的証拠で少しずつ説得力が増してきた時代に
じゃあ社会も進化するんじゃね?って単純な発想で想像されたモノが共産主義 >>863
選択の自由
アドラーが言ってるのもそれだろうな
与えられた事物から「選択する自由」
与えられてないモノは選択できないという
当たり前の前提は隠されている 「人生はシンプルである」「「考え方(人生の意味付け)を変えれば人は幸福になれる」
アドラーは意識主義者、楽観主義者であり合理主義者ではある為に、近代の思想の枠内に限定されてそれを超え出ることが出来ず、それがアドラーの限界を示していると思う。 >>866
> 「考え方(人生の意味付け)を変えれば人は幸福になれる」
そりゃあポスト構造主義の本質的な部分だな
「我思う、故に我在り」から
「言葉在り、故に我思う」へのパラダイムシフト >>867
我々に主体性があり我々が言語を操っていればそうでしょう
しかし我々は言語の構造体系の枠内に捕らわれている存在です
言語の構造体系が変われば、我々は望む望まないにかかわらず変わらざる得ません
操られているのはむしろ私達の方です >>867
考え方を主体的に変えることができれば我々は幸福になれるでしょう
問題は我々に主体的考え方を変える権限はあるのか?ということです >>869
自分に権限を与えるのは自分なんじゃないか?
自分以外の誰を想定してんの? 自分に権限を与えるのは自分
もしかしてこれって非常にアドレリアン的な思考で
アドラーを知らない人間にとっては特殊な考え方なんだろうか >>871
自分=意識にと言ってもいいでしょう
フロイトによれば我々の意識的な判断は常に無意識によって影響を(意識は知らないまま)受けています
私達の意識は自分が自分自身の判断で決めたんだ!とおもっていますがその背後に無意識の関与があることを忘れがちです >>871
横からすまん
アドラーの主体論は、言葉に頼る、コモンセンスに頼る、共通感覚に頼った上で、共同体感覚の相互育成という思想を前提とした上での自己決定性なんだよな
だから意識を単独で扱ったりはしないんだけど、この人はそもそもアドラーをよく知らないんだろうな 主体としての自己が存在するかという議題よりも、認識できる客体が存在するかの方がまだマシな話ができそう >>872
「意識」と「無意識」の間に境界線はない。どちらも同じ目的に向かっている。
アルフレッド・アドラー
フロイトさんの見解では
意識は無意識に従属してんの? >>873
意識を単独で扱えるのは神だけですね。神は無制限の主体性を持っていますから。
人間の主体性は無限の主体性ではなく制限(限られた選択肢)を受けた上での主体性ですからアドラーでなくても近代思想の自己決定性の特徴だと思われます。 >>872
我々は(我々の意識は)無意識の奴隷ではない
アドレリアンはそう考える
人間は無意識に操られるほど弱くない
そう考える >>877
アドラー側だけどそれもまたちょっと違うと思う
人は弱いけど、無意識は味方だから信頼していいという発想 >>875
逆ですね
従属関係でいえば無意識が意識に従属しています
だだし無意識は凶暴な飼犬のようなもので、なかなか云うことを聞きません。無意識は事あるごとに主人(自我)に噛み付こうとします >>877
そうです主人は意識のほうです
ですが無意識の圧力は常に意識にかかっています カイジ的に言えば意識は王であり無意識は奴隷です。
世界を所有するのは意識であり、無意識は意識に虐げられている持たざる者です。
しかし、その何も持たない、劣悪な環境であるがゆえに王を撃つのです。(笑) >>880
>>881
アドラー心理学の見地から言うと
お前には何らかの目的があってそれをやったりやらなかったりする言い訳に
「無意識」を利用してるだけなんだよお前は 上とか下とかないよ
意識も無意識も目的の下に対等
アクセル(意識)だけで突っ走ったら事故を起こしちゃうから、自分を守るためにもブレーキ(無意識)は絶対必要
それでも現状が苦しいと前に進みたいから、無意識を邪魔もの扱いしがちだけど
アドラーはそうじゃなくて、代替案を実行するというアプローチを取る >>882
ええい、あなたは悪魔のようなお方だ!
あなたが世間に出て恥をかく前に、
私達アドレリアンがそのフロイト製の鉄面皮をはがして差し上げましょう! >>883
アドラーが意識と無意識は対等と言っているのなら利用する利用される関係も無いと思いますが・・ >>886
利用する利用される関係があるのは
「王を討つ無意識」
「凶暴な飼い犬のような無意識」
って設定を作ってる奴のケースだよ
一言で言うなら
無意識を責任転嫁できる対象にしてる場合 >>888
アドラー心理学はやりたいことを実現したいなら言い訳するのはやめなさい理論ではないぞ
言い訳が出てくるのは所属の為に必要だからするのであって良いことでも悪いことでもない
それをまず受け入れて、変わりたいなら他の建設的な方法を探って試して、私的論理から離れていくことを目指す まぁ言い訳や責任転嫁の断罪は自己受容とは真逆の態度ではあるよね そもそもその目的を選んだ理由はなぜでしょうかね?過去の経験ではないとしたら >>868
>しかし我々は言語の構造体系の枠内に捕らわれている存在です
これアドラーと言ってること同じなんだが >>891
過去の経験でしょ
他者の存在、関係性ありきだよ
アドラー心理学はひとりでは成り立たないよ
対人関係論、社会統合論なくして主体論は語れない >>891
あ、正確には、過去の経験を通して編み出した相対的マイナスから相対的プラスに向かう力動ってとこかな 過去の経験から、「世界はこんなところで私はこんな存在なんだ」という世界観というか自我というか思い込みが出来上がる
そうであれば、私は(あるいは世界は)こうでなければならない、という「自己理想」が生まれ、その自己理想に向かって(その人なりの)対処行動を粛々と取り続けるようなパターン化した暮らしを大抵の人はしている
生きにくさを感じている人は、世界観かあるいは対処行動のどちらかが、客観的な世界に対してうまく調和していない
人の目的や対処行動を客観的世界に対して機能させるように持っていくのがアドラー心理学の手法
ポストモダンを持ち出すなら、「客観的世界」というものは果たして実在するのだろうか?という議論ならおもしろいのにね フッサール、現象学、とか出てきて一挙におもしろくなるかも アドラー心理学てなんで極論ばっかりなんだろうな
叱るも駄目褒めるも駄目競争も駄目
マラソンも勝つ必要無い!完走すればいいではありませんか!だとw アドレリアンは歯ぎしりしながらオリンピック見てるよ
なんでメダルに差をつけるんですか!みんな金でよいではありませんか!ってw >>897
>マラソンも勝つ必要無い!完走すればいいではありませんか!だとw
そんなこと初めて聞いたけど誰が言っていたか教えてもらえる?
協力は競合の対立概念じゃなくて包括概念だよ
アドラー的な子育て受けた子供は協力的に競争できるから比較的学校の成績が良いしスポーツもできる傾向にあるみたい 競争原理の社会では仲間を敵と思ってしまう
承認欲求は他者の要望に沿って生きるようになる
アドラーにとって人間はそんなに主体性の無い流される存在なんですかね?
それこそ人間への基本的な信頼に欠けているような気がするんですがね >>899
協力的に競争てなに?競争してても協力しあえるてことだよね
なら競争おkじゃん? 競争しながらしかも協力し合う?
岸見さんは競争の芽をひとつづつ詰んでいく!学校から競争原理をなくす!て言ってるよなあ >>902
たしか「クラスはよみがえる」のどこかだったと思う
>>903
そういうことだよ
問題なのはこの世界を生きのびるには戦って勝つしかないと思い込んでしまうような視野が狭くなっている状態
>>904
別に競争の芽を摘む必要はないと思う >>900
根底に人間への不信感があるんでしょう
だからしっかり監視してないと人間はすぐに競争や承認に走ってしまうと >>905
競争おk!アドレリアンさんに承認いただきました! >>907
それでいいけど、能力を高め合ったり生産性を上げたりちゃんと協力関係の下で競争するんやで
協力的かどうかの見極めポイントは自分と相手が相互に所属する事を手助けできているかどうかだよ 荒らしくんはついに嫌われる勇気だけじゃなくて幸せになる勇気も読んだかw
進歩したなw >>906
むしろ逆
アドラー心理学は性善説側
人は本来は協力的かつ主体的な存在だけど、経験によって勇気がくじかれてしまって、不適切な行動で所属を果たそうとすることがあると見立てる >>910
それってやればできる子、やってないだけに聞こえるんだが(笑) 競争の問題は協力しながら競争できるということで解決しましたが、
承認はどうでしょうか?承認は全て駄目なのでしょうか?それとも場合によって承認も必要になるのでしょうか? >>911
まさにその通りだけどなんなん?w
誤解を招く表現かもだけど人はみんなヒーローだと思って接するんだよ >>912
承認欲求って言葉自体が実はアドラー心理学的な表現じゃない
嫌われる勇気で承認欲求の否定がメインテーマの1つだったからややこしくなってしまった感がある
全体論って発想が前提としてあって、葛藤や対立は自分の内側には存在せず、自分の外側に、対人関係に存在しているとみる
だから本来はアドラー心理学では「欲求」って表現は使わないんだよな
見るべきポイントは、人との関わり方が競合的なのか、それとも協力的なのか
承認欲求は競合的なものである、というのが岸見さんの見立てなんだろう >>911
俺はやればできるんや!来年から本気出す! >>908
俺達は、小さいときから人と争って、勝つことを教えられて育ってきた。
……学校に入るときも、社会に出てからも人と競争し、勝つことを要求される。
しかし、勝つ者がいれば負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる?負けた者は幸せになる権利はないというのか。
今日まで俺はそれを考えたことはなかった。俺は悲しい、それが悔しい! >>914
嘘乙!ぜったい俺の事ヒーローて思ってないだろw >>915
そうだね、やればできるよ
でも来年まで先延ばしにするって事はやりたくないんでしょ
自分がやりたい事をやれば? >>916
会社では負け組でもオタク界ではあなたはヒーローですよ
競争が悪いのではなく一つの競争しか教えられてないから劣等感を感じるんですよ
世の中にはたくさんの競争があってそれぞぞれの競争でみんなヒーローになれるんですよ
アドラーも競争を一つに限定するから競争自体を悪いように思っているのではないかな >>919
ヒーローって言っても勝者ってニュアンスよりも功労者ってニュアンスかな >>917
思ってないとしたら、俺の見る目がないだけ
俺の私的論理じゃ測りきれないだけでお前は人類のヒーローだよ間違いない >>921
ホント見る目がないよなwあと100回ぐらい嫌われる勇気読んだほうがいいよ ま、ピグマリオン効果ってあるから、人の事をダメだと信じ込んで接しない方が良い。信じた通り本当にダメになる可能性高まるから。
まあそれ以前に既に自分がそれの被害にあっていて自分で自分を肯定的に見れなくなっている事に気づいた方が良いかも知れない。
これに気づかないと人を過剰に否定して被害者増やすことに繋がるから。 >>918
「やればできる」という考え方は同意だけど、
それを相手に伝えない方が良いと思う。
「やればできる」という優越性を守る為に、
その人はそれをやる勇気を挫かれるだろうって話。
岸見さんの受け売りだけど、その通りだと思う。 まあ流れ的に同一人物なら岸見さんと同意見じゃないっぽい人だしいいんじゃない? ま、協力的な競争と競合的な競争の違いかな
目的としてお互いを高め合う為か勝ち負けをつける為か
まあ競争という言葉には後者の意味合いが含まれるのが常識だと思うが 存在レベルの貢献感ってのがいまいち掴みきれないわ
本では例として事故に遭った家族が生きてたらそれだけでありがたいでしょって話が出てくるけど
例えば麻原やヒトラーみたいな人でも存在レベルで共同体へ貢献ってのはしてるのか? >>933
麻原三女は生まれ変わってもまた麻原の子供で生まれたいらしいよ 以前サイコパスの研究者の記事かなんかで読んだ話
人は社会を形成していくために共感能力が必要なんだけど、共感能力が欠如しているサイコパスがなぜ一定の確率で生まれるのかって疑問に対して、いざって時に社会を存続させるために共感を無視して即断即決で行動できる人間が必要だからなんじゃないか?
って見立てを聞いてなるほどなど思った >>933
ヒトラーや麻原は基本的には極悪な他人としてメディアや歴史に登場するよね
じゃあもし仮に、ヒトラーや麻原が自分が手塩にかけて育てた息子だとすれば彼らのしてきた事に対する受け止め方とか態度って少しは変わる? ユルゲン ヒトラーですか。ま女性のことでしょうね。 >>933
行動レベルでの貢献度が人それぞれなのと同じく、存在レベルでの貢献度も人それぞれなんじゃね
ただ行動レベルでの貢献感は良い行動をすりゃその場その場で得られるけど
存在レベルでの貢献感はずっと良い行動を続けて他人に存在を認められて初めて得られるもんだと思う
良い行動なんかせずに金や力で無理矢理認めさせるのも(本人がそれで納得するなら)一つの手かもしれんけど長続きはしないよな
>>936
サイコパスに限らず、生き物がどうして親の完コピで生まれないのか
親になれるまで生き延びた成功例である自分の特徴をより確実にそっくりそのまま次世代に伝えるよりも、
親になれるまで生き延びられないような子が生まれるリスクを冒してでもランダム性を持たせるのか
これも、親の特徴を持つ生き物にとって不利な環境になったときに備えて少しでも様々な環境で生き延びられる子を残そうという戦略なんだよな >>940
逆じゃない?
存在レベルの貢献感って、何もしなくても、誰も認めてくれなくてもあなたは貢献できてるよって事でしょ プランクトンだって食われることで生態系に貢献してるんやで(ニッコリ) 宇宙がビッグバンから膨張したもともと1つのエネルギーだとすれば宇宙に貢献してないモノもコトも何もないけどな ヒキニートの俺でも死んだらバクテリアの餌になって生態系に貢献できるぜ!
と思えれば簡単なんだろうが、それができないから
他人に認められようと、承認欲求を満たそうとじたばたするんだなあ >>937
変わらないかなあ多分
今のままでも個人的には彼らの生い立ちなんか見てて共感できる部分もままあるんだけどね
ただ共同体にとってどういう貢献をもたらしたのかと考えたらよく分からなかった
けど上で出てるように反面教師だったりサイコパスの有益性だったり色々な貢献の形もあるんだろうなと思えたよ >>947
存在レベルの貢献を信じられるかどうかって、
論理的なところよりも自分自身のライフスタイルの影響の方が大きいと思う
どう説明されても、感情の部分が受け入れられるかどうか
だから、ヒトラーや麻原を引き合いに出すのは無駄な作業で、
単純にライフタスクへの取り組みや自他への勇気付けを
繰り返すしかないんじゃないかと思うよ >>948
そうだねー
でも自分だけは特別(であるべき)だ、という、なかなか乗り越え難い信念があるからね
でも逆に言えばただそれだけなんだけどね ヒトラーや尊師はトラウマに似ていると思う
有害な人もいるじゃんっていう気持ちと、心の傷があるっていう気持ちがあって
それをここからどう役立てるか?と考えるのがアドラー心理学だし
ライフスタイルの目指すところなんだと思う 心理学ってやたら現象やら実験結果を羅列するだけだよな >>936
人格が壊れた人間って必要なんだよ。壊れた人間見て「やっぱり殺人はダメなんだな」と確認できるから
虐めも組織を再構成化する役割があるらしいし。人間は残忍な面があるから時々確認する必要があるんだろう 同じ種類どころか
家族まで殺すのって人間以外の霊長類にいますか? >>955
いますよ。
ライオンとかもそうだし、鳥でもいたな。 チンパンジーは同じ群れの仲間を殺すことがあるらしいよ
ライオンは群れを乗っ取った新ボスがハーレムの雌の発情を促すために旧ボスの子を殺すらしい(子孫繁栄の手段として説明がつく)が
チンパンジーは大人も子供も殺されるし雄も雌も殺しをするらしく理由もまだ解明されていない おれ悟ったんだけどwww、何か相談ある?
あと、ブログよろしく!
http://blog.livedoor.jp/kosokeme/ >>963
理由はよくわからないがネズミでそういうのいなかったっけ?
レミングだったか。 人間には闇があるがそこにばかり焦点を当てるのは違う。輝いてる面もあるわけで
それを強調するのがアドラー心理学ではあるまいか。楽天的であるのがよろしい 病んでいる理由を探しても大した解決策には繋がらないが
輝いている理由を探すのは解決策に繋がるかもしれない
あの人はどうしてあんなに輝いているのだろう→筋トレをしているからだ→よし俺もやろう→輝いてきた!
あの人はどうしてあんなに輝いているのだろう→筋トレをしているからだ→俺が輝けないのは筋トレをしないからだ→俺は輝けないもうだめだ
うんだめみたいですね >>965
アドラー的にはど真ん中の話題だと思うけどな
人は他の動物と違いなぜ人を殺したり自殺するのか?
人は他の動物と比べると明らかに未熟児として生まれてくる
つまり一人では生き残れない
自立するためには子育してもらう事が必要
つまり他者と協力的じゃないと生きていけないことを早い段階で学ぶんだよ
世界を理解して生きて行くための自我を確立させるために経験にどんどん意味付けをしていく
笑顔を振りまいていたら抱きしめてもらえた
泣き喚いたらご飯をもらえた
ご飯をもらえると思って泣き続けたらママがノイローゼになってしまった
はじめて言葉を発したら泣いて喜んでもらえた
言葉を使って自分の意見を表明したら子供扱いされて聞いてもらえなかった
とにかくいろんな経験に対して必死に自分と世界との関係に対する自分なりのライフスタイルを作り上げる
で、大人になってもそれをもとにいろんなことを判断しながら生きてるんだよな
でもそのライススタイルってのは結局のところ自分が決めつけた思い込みのストーリーなわけで、大人になってからは社会を生きていく上でうまく機能しなかったりする
建設的に社会と調和して生きていく手段ってのはたくさんあるんだけど、ライフスタイルに縛られて気づかないあるいは自分にはできないと思ってしまう
だから、自分だけでも所属するために自殺したり人殺しをする 輝かなきゃいかんのか
病みたいから病んでるんじゃなかったのか
病人すら満足にできんのか 病む時はおとなしく病む事が建設的だよ
「建設的な目的があって」病んでいるわけだからそれを無視しちゃいかんよ >>969
いや、あんたは過去のトラウマをほじくり返して自虐的になってる人間と一緒だよ
トラウマを分析しても人間の闇を分析しても意味はない。社会に出て行く勇気を奪うだけだ
アドラー心理学は楽観的な心理学であり哲学だ。人間の暗部を探り当てても意味はない >>972
いやそれ特に間違ってないと思うな
なんかのアドラー本で同じような内容読んだよ
人は生存本能よりも所属感を求める力の方が強いというのがアドラーの見解って感じだったな?
結論としては自他にとって破壊的な行動を取るのは共同体感覚の欠如が理由だから人を勇気付けようっていつもの展開に繋がるわけだが >>966
ああ。わかった。Wikipediaに書いてあった。ディズニーのが捏造ね。
それ以前から誤解されてもいたようだが。 そういや自殺も承認欲求からやってそうなのもあるよね。所属感を求めるのは正にそれだし。
そういう人は他人が本当に一人もいなかったら死にたいとは思わないんじゃないか? >>972
アドラー心理学が原因論を採用していない心理学だと誤解している人また発見
早期回想というアドラー心理学独自の臨床手法があるんだけど少しでも学んでみるといいよ >>968
>あの人はどうしてあんなに輝いているのだろう→筋トレをしているからだ→よし俺もやろう→輝いてきた!
>あの人はどうしてあんなに輝いているのだろう→筋トレをしているからだ→俺が輝けないのは筋トレをしないからだ→俺は輝けないもうだめだ
人の輝いているところより自分の輝けるところを探してみては? >>965
ここで確認しておかなくてはならないことがあります。楽観的とは単なる能天気ではない、ということです。何の根拠もなく、準備もせずに能天気に対応する人は、楽観的ではなく楽天的と呼びます。
楽観的とは根拠と準備のある人のことです。しかも、悲観的に検証し、悲観的に準備をし、その上で肯定的に行動すること。それを楽観的と呼ぶのです。 >>976
早期回想を使ってライフスタイル分析をするのは、それが効率的で効果的だからであって、アドラー心理学が原因論を否定していない証拠にはならんよ
言い換えれば、クライアントが使っている「原因論」から辿っていっているだけ >>980
アドラーが採用しているのは多因多果説
アドラーが否定しているのは原因論じゃなくて一因一果説ね
簡単に言うと、原因は1つだけって考えは偏るよ?いろんな原因があるよね?ってこと
過去ログ辿ってみそ
なんども繰り返して出てきてる話題だよ 北朝鮮は、今までどおりの北朝鮮であったほうがいいと思うんだ
他の国と協調して、発展して普通の国になってしまうよりも
貧乏で、孤立してて、精神文明も昭和初期の日本みたいな遅れた国であったっほうが
日本人は、自分らの国も糞だけど、それよりも下の国が近くいるという安心感を得ることができると思うんだ。 >>978
そんなお前独自の言葉の新定義を書かれてもねえ・・・ >>982
下の国がいるという安心感なんて競合的な感覚いらない >>984
そんなアドラー独自の言葉の新定義を書かれてもねえ・・・ >>965
まあ、暗部に焦点を当てないようにするのはアドラー的ではないかな
アドラー心理学はポジティブ心理学とはちょっと違う
全体論を前提とすると暗部は暗部なりの「目的に則した役割」を持っていると捉える
戦争神経症になるのをただ臆病だと断ずるのではなく、自分が戦争で戦う相手にも尊厳があって家族がいて仲間がいる事を想像できてしまったから
つまり共同体感覚の発露だと捉える
人を殺したり自分を殺したりするのは明らかに自他の所属を妨害する行為なわけだけど、でも一旦落ち着いて、なにか社会にとって有益な目的を持っているのではないかと一度考えてみる
その上で共同体感覚と使用の心理学の観点から冷静に、人の所属を妨害しない形でもう少し上手にその目的を遂げられないか、代替案を見つけて行動に移してもらう
というアプローチを取る >>986
ここアドラースレだよアドラーの定義こそ必要でしょw エドガー アラン ロブグリエ ケーシー 白黒ゴマ下限 ギャノプ゛テン コック。
2ハロン目のテン才の速さは人間でも出せる
。 ゾロメウスター nein ソース バイブの代わりに ヴァイブで 差し馬。 >>986
予想通りのアンチ化w
おまえらさ、勇気シリーズしか読んでないようなにわか知識でもさ、なるほどなと思ったら得意げに語りたくだってなるだろwww
だからあんま無機質に訂正しまくっていじめてやるなよ
そういう流れでアンチって生まれるんだぜ? 1000ならアドラーの名前は世の中から忘れ去られ、アドラーの思想、理論、技法はコモンセンスと化す。 このスレッドは1000を超えました。
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