過集中か
集中したいときに出来ないってことはなかった気がする(今は気力が)
集中力は割とある 何事にもなかなか気が向かないのが虚脱状態なのか

正直なところ僕の性格を考慮したと思える育て方をしてもらったとしても口うるささの方に強い否定と反抗が生まれていたと思う
究極的なサボりたがりだからそもそもはサボることを肯定したくてこんな考えに行き着いてる
考え→行動 という出方ではなくて行動→考え、あるいは行動も考えも同時に発進したか
行動を肯定したいっていう感情からスタートてるから擁護、嘯いた理論になるはずなのに結論に疑念を抱く自分が一切いなく、正解の一つだと確信しているのが良く分からないところ
例えば…A子さんを擁護したいです、なぜなら友達だからです、それしかありません。だからありもしないことをでっち上げましょう。A子さんは正しい、正しいんだ!
これと同じかと だから怠け症であるから、ではなくてあると同時に楽することが正しいという考え方だったのかもしれない
だから不条理不義理というよりは拘束を嫌っていた あの手この手で逃げようとした だから自我が強くなった高校では中退するほどまで怠け落ちぶれたのだし 生まれてこのかたダメ人間という
個育て子育ての内容というよりも頻度が問題だった 自分の性格からいくと
頻度も含めた「個育て」するにもどう工夫しても育てることは出来ず、今の自分に勝手に辿り着くなんともおかしな性格なのでは、と考える
尊敬できれば何か違ったかもしれないけど、僕の尊敬の枠は非常に狭いし、親というフィルターがある限りは反発心は拭えなくてよく考えてみれば何も違わない気がしてきた 考え方が増えるというだけ

父親を悪者に仕立て上げたように書き殴ったけど一番大きな問題はやはり生まれ持ったこの性格なんだよね
誰がどう育てようと過剰に窮屈さを感じていたと思われる 放置的な育て方の場合だと自分でも予測不可能
生まれたときから思考が偏ってるんだよな 過去との因果関係は薄いかと
動作性も幼稚園の頃だって運動会話酷いものだったし