アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 >>220
責任能力
2 刑法上の責任能力 2.1 責任無能力と限定責任能力 2.1.1 心神喪失と心神耗弱 2.1.1.1 心神喪失および心神耗弱の例と問題
2.2 心神喪失や心神耗弱の認定
2.3 14歳に満たない者
3 刑事訴訟法上の心神喪失
4 民法上の責任能力 4.1 未成年者の責任能力
4.2 心神喪失者の責任能力
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%83%BD%E5%8A%9B カルト宗教が出てきにくい世論は出来上がったかもね
無理矢理かもだけどオウムの存在がカルトの抑制に繋がっているとも言える気はする >>228
○ 原始仏教ブーム→オウム真理教
× オウム真理教→原始仏教ブーム >>230
自分の結末という意味ではなく、他者から責任を問われたくないという意味での
自己責任を負いたくないってことかな >>227
イラン・イスラーム革命は、イラン・パフラヴィー朝において1979年2月に起こった革命である。
亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを支柱とする国民の革命勢力が、
モハンマド・レザー・シャーの専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動をさす。
民主主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。イスラム革命(英: Islamic Revolution)とも呼ばれる。 社会主義革命も、ある意味政治革命というより宗教革命のような面もある >>215
いや、良し悪しでしょ、違法だし人何人も殺してるし。ヒトラーみたい >>233
何をもってブームとするかは違うだろうけど仏教本がビジネスとして売れ始めたのは10年前くらいからだろ >>241ちがうちがう俺225じゃないよ。色ちがうでしょ?たぶんそういう意味でしょ?ってこと 「アドラー心理学って宗教みたい」なんてアンチレス時々出てくるけど、宗教イコール良くないものみたいな観念が前提としてあるよね
これってもしオウム心理教事件がなかったらその既成概念自体が生まれてないんじゃないかな? デメリットなく幸せになれたから、どっちでも何でもいいかな 244
宗教はその道徳性が、賛否両論わかれるのだ。生命倫理に触れる生命科学以外の科学は道徳と関係ないのでほとんど批判されない。 まあ、進化論や地動説、ビッグバーン論が嫌いなキリシタンが今でもアメリカに結構いるらしいがな。 実践してると、それがアドラー心理学と呼ばれようとアドラー真理教と呼ばれようとどうでも良くなるけどね
前者の方が新たに始める人に優しいかなってくらい
仏法僧の、発案者が居て教えがあって教わる人が居るから宗教だって定義で言えば
教わったときに自分をアドレリアンの一員と認識する分宗教と変わらない気がするし >>249
精神的な健康や建設的という矢印と道徳が被って見えるよね >>246
なるべく人に迷惑をかけないように、なるべく自分を犠牲にしないように、幸福感を目指したいならアドラー心理学は使えるんじゃないかな? 奴らは現代科学に対する対抗宗教改革で、知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとするほとんどこじつけかかなんかにしかきこえない「インテリジェントデザイン」という説を発表した。 >>245
何か逸話があるのかと思って調べたけど分からなかったw
好きは好きよ >>250
思想を宗教、心理学を科学とよぶなら、アドラーは提案した段階で科学ではなく思想なので、宗教だろう >>254
復讐は幸せじゃないというけど、一生を父の仇平清盛への仇討ちにささげた義経を、反復讐主義者は批判しているのかな? >>256
いや、無思想の科学者もいる。たとえばマッドサイエンティストにはそういう人多いんじゃないか。 科学も宗教だよ
スタップ細胞だってバレる迄は皆信じてたろ
人間はいつも自分にとって効能があるもの皆が正しいと言うものを信じるだけだ >>257
いや本当に幸せなら別に良いと思うから聞いたんだよ 天動説だって当時の科学者達なりの理論によって広く信じられてたからな 客観的真理を求める学問は科学、主観的真理を求める学問は宗教
政治学は力学だから科学。フロイト心理学も精神力動論だjから科学 俺としてはアドラー心理学の思想で生きた方が世の中おもしれーぞって思うだけ >>263
こっちも似たような感じやで、そうかっかするでない。 >>266
真理を求めないアドラー心理学はそのどちらでもないということか >>268
間違えた。264
語尾が↓ 語尾が↑だったら挑発だけど >>266
アドラー心理学の前提は、客観的事実を認識する事は人間にはできない、主観的にしか世界を認識できない、だよ >>271
納豆がうまいかまずいかは主観的真理。好き嫌いも。納豆のうまみ成分はどれくらいあるかは客観的真理。 >>272
俺>>264だが今までの会話には一言も加わってないが
流石の妄想力だな 源義経って復讐なのかな?
劉備みたいな、源家の再興とか
赤穂浪士みたいな忠義とか他の理由も色々考えられそうだけど >>263
257、268、270です
268の >>263は >>264の間違いね。失礼。 >>275
頼朝は源氏再興で、義経は仇討らしい。(司馬遼太郎情報) >>279 どっちもどっちってことよ
君とは馬が合いそうだ。レベルが俺と似ているw >>273
しかし結局のところ主観でしか味わえない。
同じ成分が同じだけ入ったものを食べても人それぞれ感じ方が違う。 復讐心になんのメリットもないでしょ
そうしないと気がおさまらない、仲間が浮かばれない(と本人が思い込んでいる)だけ 楽しんで働き易い環境で仕事して家族で美味しいものを食べて大切なものを大切にする生活よりも
厳しい環境で耐えて復讐に燃える方が幸福感を味わえる人だって居るのかも知れない 今日はアドレリアン多いね
あくまでアドラー心理学の解釈の中で言うと
客観的事実を客観的たらしめているのは人々の共通感覚なんだよね
うまみ成分がうまみ成分であるという認識を共有できるのは人と人との間に共通感覚があるから
共通感覚は個人の私的感覚でもあるから主観的な解釈
うまみ成分は俺たち人間社会にとって食事を楽しむために必要な要素だけど多くの動物にとっては認識にすら上がらない
俺たちがネットの掲示板で会話ができるのは言葉という共通感覚があるから >>271
それは近代科学の発想な
特に宗教的倫理との差別化が必要な時代背景的な側面から「客観的」という部分が強調された
現代科学は「客観的真理が存在する」というバイアスを疑ってかかるところから始まる 世間では科学=真理って思ってる奴が多そうだよな
それじゃ宗教=真理って言ってた時代と変わらんのだが 前にスレで誰かが言ってて感銘を受けたんだけど、
自己執着を競合的な私的感覚だと定義して
客観的なものを大多数の共通感覚と定義すると、
共同体感覚という協力的に横の関係を築く態度によって
他者の感覚を受け入れ、共通感覚的な枠を広げることができる。
これによって客観的な論理の感覚を深めることができる。
まさにそういうことだと思うな。 なぜ人類は科学を発展させたのか?
所属のためにコモンセンスが必要だから >>291 をもとにして考えると
科学が役立つことの一つに、競合的な感覚に支配された人でも客観的な情報として受け入れる根拠を持つってことが言えるね >>252
その評価がよくわからないけど、そういうものではないよ、アドラー心理学は >>294
俺は>>252に違和感は感じないけどどういうことなの?
まさか人に迷惑かけるかどうかは相手の課題みたいな次元の話? 課題の分離はコンセプトがわかってて訓練として使えればいいんだけどね 結局のところ、自分が変わらないと何も変わらないよ。
アドラー本人は3日で変われると言ってたみたいだけど、
アドラー派の人達は今迄生きてきた期間の半分の時間がかかるというのが、
通説らしい。 独学はなかなか大変とされるけど、アドラー心理学身につけるのに一番早いのはライフスタイル分析を毎日自分に使ってみることでしょ ユダヤ人のアドラーとて、結局はキリスト教に改宗したからな。
十戒より愛の方が上だと思ったのだろう。(自分はクリスチャンではないが)
欧米では間違いなく、>>143はBさんの、>>150は落とした食べ物を気になる人や実害のある人
の課題となる。
なので、Aさんや食べ物を落とした人には責任を求めないがそのかわり犯罪ではないが、
罪という概念を犯したことになり、ツミビト(罪人)ということになる。
では、Bさんや実害のある人はどうするのかというと、キリスト教の概念では、愛の力で赦すのである。
なぜ、赦せるのか?それは、自分自身もどこかでたとえ小さくても罪を犯しており、罪人だから
である。 イエスの≪黄金律≫に示された隣人愛はミルも功利主義道徳の理想としていましたね >>297
またかよ
人生の半分は通説ではないって >>307
通説ではないのなら、それだけで済ませないで、
だったら、どうしたらその期間を短くできるのですか? この母親はブログで、自分の子供が新幹線の車中で泣き出した直後に、隣の乗客が耳栓を付けたことにショックを受けたと告白。
「何故かものすごく悲しくて涙が出そうだった」と、当時の複雑な心境を赤裸々に振り返っている。
■「何故かものすごく悲しくて涙が出そうだった」
新幹線が発車してから20分ほど経った頃、連れていた子供が泣き始めた。そこで母親は我が子をあやしつつも、
隣に座っていた乗客の女性に謝ろうとした。しかし、隣の女性は子供が泣き出した直後、
「無表情のままノートパソコンを閉じて耳栓をとりだした」という。 この母親は、
あたしが、子育てでストレスを抱えているのに、
おまえは耳栓でストレスを回避して優雅な新幹線の旅を満喫するんじゃねーよ
という気持ちですか? >>309
通説じゃないのであれば長いわけじゃないんだから短くする必要なくね? >>309
日常生活の中からエピソードを切りとって書き出す
陰性感情を手掛かりにして仮想的な目標を調べる
協力的な代替案を考えてみて試してみる
ひとつが変わると冗長性のため人生のいろんな場面で変化する
一日一エピソードを1カ月でもやればものすごく変わるよ >>273
それ「世界がまずあって、それで言葉が創られる」の発想ね
アドラー心理学は「言葉がまずあって、それで世界が創られる」と考える 自分及び仲間への貢献は差別愛(自分と仲間以外の生き物を含んでいない。) 初めに言葉があった。言葉は神であった。
これは、キリスト教は、イエスの預言に始まったことを意味している。イエスの言葉そのものが神であると。 アドラー教もまたしかり、初めに言葉があった。言葉はアドラーであった。アドラーの言葉が、アドラーの信仰するものそのものであり、アドラーが信仰した神なの。 >>318
『全部を「人ごと」だと思わずにいるなんて、自分にはとても無理です。。どうしたものでしょうか・・・?』
そしたら、
野田先生はお応えされました。
『無理っすね、これは! 理想は理想です。
人間は永久に達成できない理想に向かって生きて行く存在なんです。
でも、理想が無いとだめなんです。
「人ごとだ・・・知ったことか!」という自己執着は、自分をも不幸にするし他人をも不幸にしますね。』
・・・と。 >>322
そういう意味じゃないわw
例えば同じ「好き」という言葉にもいろんな解釈がある
loveなのかlikeなのかinterestなのか所有欲なのか執着なのか博愛なのかゲマインシャフトなのか
言葉にはその人のライフスタイルが介在するってこと >>313、>>316
焦ってもいけないが、変われるなら残りの人生限られてるから期間短くしたほうがいい。
通説ではない。だけではなにもかわらないと思うけどね。
アドラー自身、大切なのはこれからどうするかだと言ってる。 >>326
ちゃんとやれば変化は数日で実感できるでしょ
あとは合うか合わないかだけ
これからどうするかが大事だからこそ期間で悩む意味がない >>327
確かにそうですね。
期間で悩む意味はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています