アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 >>402
開陳
不治の病は有名だよね
いちお親がアルコール依存だから通院頼まれて手伝ったり学んだりしてこの程度で申し訳ない
回復は進んでるよ アルコール依存症は不治の病だと言い切る人は最近少ないよ
いつの1990年代から時代が止まってる人かな?
底が浅い理解を開陳することに恥を感じてほしいなあ >>405
そうなんだ
お医者さんとか本とか、触れてきたものは大概完治できない回復しかできないって言うから信じてた 身を以て経験すればわかる
環境を変えられる状況なら不治の病ではない
数ヶ月で依存症、独力で10年止めて、今度は重度依存
これでも元々下戸
「覆水盆に帰らず」続きが原因で、自力での解決法もわかっている >>404
回復などしない
酒を断つしかなくて、一滴でも飲めばまた繰り返し
甘いよ認識が
そういう病気だよ >>407
それは依存症ではないよ
よかったな凡蔵 >>408
回復するのは依存性自体じゃなくて、
継続的なアルコール摂取による脳疾患とかの諸症状のことだよ
勘違いさせる様な書き方してごめんね >>411
そういう意味でしたか
すみません、読み違いました
おっしゃるとおりだとおもいます むしろ相手が何を考えているかなんて考えない奴のほうが楽に生きれるんじゃないのだろうか アドラーの教えそのままじゃん?
相手の気持ちを知りたければ聞けばいい、ってね なんについてのむしろだよ
むしろ健康について考えないやつの方が楽に生きれるんじゃないだろうか
むしろってなにもないところからいきなりマウンティングするのに便利な言葉だな むしろアルコールに依存しない奴の方が楽に生きれるんじゃないだろうか? アドラーの他者貢献を、自分を含めた全生命体への貢献に変えるべし。
アドラーの自己責任論を、責任転嫁に使えないようにすべし。責任転嫁に自己責任を使っている意見を論破し尽くし続けるべし。 >>411
肝硬変まで行った場合は肝臓戻らんよな。 依存そのものは治ったとしても依存に伴って作られた病気は今の医学では治せないものもあるって話。 むしろ依存してるとかしてないとかなんて考えない奴の方が楽に生きれるんじゃないのだろうか >>424
肝臓や脳が不可逆的に壊れちゃったら戻りませんよ、ということ
誰かうまいことを言ってたな
「きゅうりを漬物にしたらもとには戻らないでしょ」 依存的な生活によって最終的には不可逆的な疾病なんかを抱えるに至るのは
当たり前だと思ってるから、だからどうしたんだろう?と思っている これ心理学というより思想書だね。すくなくともフロイトやユングみたいな偏見医学と比べたら
よっぽど実用的・実践的な医学書だとは思うけれども 人間の苦悩はすべて対人関係から生じているのだから対人関係を整理するのが正攻法、
ほぼすべての心理的懊悩はこれで治療可能。あとは精神分裂症や知的障害などの医療
分野に圧しつければいい。 依存自体は悪いことじゃない
そこに心理身体社会的な障害が伴う場合に治療が必要となる
アドラーや共同体感覚には大いに依存すれば良いと思う 「依存」とは、他人や組織、モノに愛情や支持、保護、援助を求め、
それがなくては生きていけない状態であり、行為や思考のコントロール障害。
いや依存はダメだろ
自由とは「自らを持って由とする」の意
アドラー的に言うなら
コントロール出来ない他人の課題を
自分の支えにすることになる 依存は程度の問題
社会や他者に全く依存しない生き方が出来る人はいない 自立や課題の分離の大前提に共同体感覚だと思うんだよね。
共同体感覚がなければ、自立が孤立へと繋がり、返って危険になりうると思う。
某著では共同体感覚は後半に出てきてるが、便宜上だと思う。
最初に共同体感覚をもってきたら、かなり引かれるだろうからな。 岩井さんの記事で見たんだったかな?
最近の心理学界隈では、依存と自立は対立関係ではなく、
対象が限定的なのか、開けてるのか、の違いってことになってるらしいよ >>434
アドラー的に言うなら、社会統合論だから基本は人は他者に依存してるんだよ
人は一人では生きていけない事を受け入れた上で、自他尊重の横の関係に基づく協力的な態度を選ぶことがいわゆる自立 共同体感覚って依存や自立に置き換わる言葉として考えられたんじゃないの?
言葉だからなんて言い換えてもいいんだろうけど誤解を生まないように新しい語を作った
って理解してた
>>437
すんなり入る なんかね、自分の人生を悲観的に感じてて、そんなの嫌だって反応を持ってるときって
自己執着に陥りがちで共同体感覚を持つのが難しいと感じる。
すると、目の前の課題をこなす元気が著しく無くなる。
やるべきことは自他への勇気付けなんだから、
結局、他者貢献と課題の分離を粛々と意識するしかないんだろうね。 納得です
「まったき形で自律的な存在」を追求しすぎて
自己決定ということにこだわりすぎて
引きこもりになってしまったりするようです…… 人前でうまく喋れないという葛藤、悩み
↓
自分は話すのが苦手だという自己概念
↓
きっと人は自分が話す事に耳を傾けてくれないだろうという世界像
↓
人が会話を楽しむのを邪魔したくないという目的
↓
みんなのコミュニケーションが円滑に進んで欲しいという「建設的な」目的
↓
ゆえに人前では極力話さないという対処行動
アドレリアンの皆さん、さてどうすればよいでしょうか? >>443
それは、あなたが自分自身の問題として解決したいと思っていることですか? しかし、このスレ深夜のカキコ少ないね。
あまり、早寝早起きや習慣に執着しない方がいいよ。
大切なのは自分の意志で選択すること。
本当は早寝早起きやよい習慣を身に着けることは自分の人生を送るための
手段の一つに過ぎないんだからね。
早く寝たけりゃ寝ればいいし、遅くまで起きていたければ起きていればいいんだ。
手段に執着したら自分の人生を生きられない。
確かにそれは、動物の理にかなっているかもしれない。
しかし人の意志はそれをはるかに超えていることも知っておいてね。 良い習慣も大切だけど、その習慣に流されしまうのも問題ということ。 >島本町という町の町長や教育長はどんな奴で
>何を考えてるんだか
>どうせいじめなんか「見て見ぬフリ」だろw
そうか 人生を生きていれば体調の悪いときがあります。
体調が悪いと気持ちが落ち込んだりやる気を無くしたりイライラしたり怒りっぽくなったりするものです。
そして生きることが嫌になったりします。
そんなときに自分を厳しくして追い込まないでください。
叱咤激励しないでください。
肉体はそれでも黙々と頑張っているのです。
カラダのキツイときはカラダからのサインなのです。
そういうときは休んでください。
これも立派な自己愛です。
元気になればまたやる気もでます。
アダム徳永 善悪二元論という価値観があります。
物事を善と悪に分けて悪を潰して善の世界を成就しようという思想です。
この考え方は私たちの価値観を支配しています。
一見いいように思えます。
しかし実はこの考え方こそ人と人を、民族と民族を、国と国を対立させ分裂させる元凶なのです。
例えば西洋文明の根幹をなすキリスト教。
キリスト教はそれ以外の宗教を邪教として排斥してきた歴史があります。
そこにはおぞましい宗教戦争が続いたのです。
かたや日本には伝統的な和の思想があります。
共に仲良くやって行こうという考え方です。
人も死ねば仏。悪事も水に流して忘れよう。
自然も人もみな神(かみ)仏(ほとけ)。
それはまさに許しと愛の人が幸せになるための実践的な思想だと思うのです。
私は日本のそんな価値観が好きです。そしてそんな日本が大好きです。
アダム徳永 >>446
なにその決めつけw
深夜の書き込み少ない=スレ民が早寝早起きに執着している
だから君たちは自分の人生を生きていないことにきづこうね
という謎論理 >>455
慌てるな、どうせ縦読み
しあ大本手早手確し
あれ? >>443
そもそもの欲求に人とうまく喋りたいというのがあると思うが、なぜそうしたいのか?
それさえなければその後の悩みの全てが無くなるのではないか? ライフスタイルの再選択をしたいです。
カウンセラーに相談すべきですか?
ひとりでは無理でしょうか? カウンセラーに行くこと自体は止めやしない
答えは自分で見つけるものだから
自分も結局カウンセラーでは答えは見つからなかった
いや結局変えたいと思う自分を信じて一歩踏み出す、その先に道があろうと無かろうと
これしかないんだけど A氏「なんで相談しないんだ!?」
B氏「相談すればやめさせようとするでしょう」
A氏「心配なんだから当たり前だろ」
B氏「心配ならやめさせる権利があるのですか」
A氏「いい加減にしろ」
B氏「なぜ怒るのですか」
A氏「心配だからに決まってるだろう」
B氏「心配という免罪符があれば他人に干渉しても良いのですか」 >>459
無理ではないけど大分勉強しないといけない >>460
全くそのとおりかと思います。
しかし、自分のライフスタイルを知る方法すら分かりません。
webで診断をしたのですが「コントローラー」らしいです。
自己概念、世界像、自己理想を知る事から始まると思うのです。
詳しい本はないでしょうか? >>466
ありがとうございます。
早速ポチリました。 散々既出かもしれませんが疑問に思ったことがあります
コンビニのバイトをしていたとして、店の外に不良の子達がたむろしていたとします
店長に「ちょっと注意してきて」と言われた場合どう対応するべきでしょうか
僕なりのアドラーの解釈では、たむろしている不良達に「邪魔なのでたまらないで」
と注意するのは違うと思いました。他人の課題に干渉することになるので。
この場合「店の前でたむろするのを止めてくれたら助かります」と伝えるのが伝え方的にはベストなのでしょうが
そうすると不良達は、そのままたむろする、という選択を取ることも出来ます。
結局それに干渉しないと問題は解決出来ないですよね?
僕が一番良いと思う方法は、店側の課題として考えて
不良達がたむろ出来ないように物理的に構造を変えてしまうということです。
数年前に流行ったモスキート音などが良い例だと思います。 話は変わりますが先日車で細い道を走っていて、前に人が立っていて通れませんでした。
外国人の方で、車に気付いていないわけがないほどの距離感でした。
僕が取った行動はその外国人に何かを言うとか、クラクションを鳴らすことはせず
ただただ細い道をバックして引き返して別の道で行きました。
アドラー的にはこういう考え方で良いんだと自分で納得しました。
それは違うぞ、とかこういう考えは?という意見などあればお願いします。 すいません釣りじゃ無いです。
全然理解できてなくて呆れられるようなこと書いてしまってすみません。 GWはネットで山口メンバーを叩いて、楽しくすごせているのですが
これでいいのでしょうか? 完璧主義でつらいです。何もしたくない。
アドラーの心理学で完璧主義を治せますか? 義務教育の道徳の授業をアドラー心理学中心にすれば
みんなの生き易さが進むと思うんだが
共同体感覚っていう冷静で理論的な理性の方向性が学校で教える学問としても扱い易いと思う >>468
なるほど、モスキート音を出す。
でも、それだと若年層の来客も減少するのでは?w
アドラー心理学的の基本は、何がレスポンシブルかということです。
挙げて下さった「不良の子達」を、集団と調和するよう働きかけることが大筋だと思いますね。 >>479
レスありがとうございます。
そうですね、理想はそのモスキート音の出す出さないを任意で操作できればと思います。
僕は個人的に課題の分離という項目を読んで、目から鱗だったので
この場合も不良の子達との課題を分離するという見方をしました。
共同体感覚というのは難しかったです
自分を肯定し、人を信頼し、人に貢献することで、自分がその場所にいても良いという感覚を得る
この場合ではお店に貢献する、来店するお客さんに貢献する、不良の子達に貢献する
この全てを満足するような選択肢が取れれば、共同体感覚が得られるんでしょうね >>480
貢献を考えるときのポイントは、満足と調和を切り分けることだと思います。
その場で全員が満足する方法を考えると、三すくみになってしまい、なんらか問題を含む相手の行動に、注意やお願いはできないでしょう。
しかし、相手に集団の中で調和することを学んでほしいと考えると、注意やお願い、交渉が必要であると考えられます。
課題の分離も、結局は「そうすることで相手が所属に近づくだろう」と判断した過程で行います。
そのとき主語は「我々」の課題を分離するのであり、「自分」と「相手」に課題を分離するのではありません。
共同体感覚というのは非常にシンプルで、それは我々、ということです。 コンビニたむろの話しは、話し合いが基本だろうね
その上で合意のあるルールを設定できると一番良いと思う
合意が取れない場合は、社会常識としての措置をお知らせするくらいかな
措置っていうのは警察の介入だと思う
程々で解散するとか、注意で解散してくれる程度なら良いが、
それが叶わないなら警察にお願いするしかないってことを冷静に伝えれば良いと思う
後はルール通りに振る舞えば、誰もが社会常識に協力的に貢献できるし、
それぞれが自分の結末を請け負う形ができる >>475
認知行動療法なら治る
Twitterで認知行動療法 完璧主義で検索
体験談あるよ
いまカウンセリングは認知行動療法が主流
公務の心理職だとアドラーは使えない ユングやアドラー式だとあまりにも抽象的で色々な事を説明出来るが結局は説明だけで終わる
もう認知行動療法CBTじゃないとカウンセリングに有効じゃないとわかっているのに日本人には通じないとかオカルト理論言う馬鹿がいるから困る 今変えられものは何か?変えられものをまず変える
変えやすいものから変える
それを積み重ねるしかない
もう京大早稲田人科東大教育同志社みんな認知行動療法研究してるから
フロイトやユングやアドラーは推理小説 あと認知行動療法の研究には脳科学の知見が生きているが脳科学が発達していなかった時代のユングアドラーの考え方は
進歩が無い
ユングアドラーも今生きていれば認知行動療法CBTが正解だと認めるだろう >>481
注意やお願い、交渉とありますがそれは勇気づけとはまた違うのですが?
私が認識していた考え方は、見返りを求めない貢献であり
実際に所属に近づかなくても、「所属できた、所属に近づいた」という感覚を持てれば良いのだと思っていました。
こういう言い方をするとただの心の持ち方のようにも見えてしまうのですが
「所属に近づくだろう」と判断し、貢献を行った場合もそれは見返りを求めた貢献であると思うのです
>そのとき主語は「我々」の課題を分離するのであり、「自分」と「相手」に課題を分離するのではありません。
すみません、これの意味がよく理解できませんでした。
分かりやすい例え等で説明して頂けると嬉しいです。 >>482
合理的な考え方ですね。
最終的には社会のルールに従うようにするということですね。
ただ、少し腑に落ちないところがあるのですが
例えば社会常識と反する行いが自分にとっては正しいと思うときにはどうするべきなのか
それこそ引きこもりの子供みたいな場合ですね。
それとも>>482さんは警察を引き合いに出していることから
「法に触れる場合」のみを対象にしているのでしょうか
私はそれすらも懐疑的で、法も人によって作られたルールなので自分の意思と反することがあると思います
ただ、ちょっとそれの例が今出てこないのと、これ以上言うとヤバい奴になってしまうので自重しますw >>487
出来る事を考えてベストな対応すりゃいいだろーが
バカの考え休むに似たり
アドラーなんて忘れて出来る事を考えてベストな対応する習慣つけねえからコンビニの店員なんだろ >>488
車に気付いてもおかしくないぐらい近いとなると耳が聞こえてない可能性もあるぞ。電気自動車で静か過ぎて音からは車とは思えなかったなんてこともありうるが。 コンビニの駐車場にたむろする奴のどかし方がわからない程バカはアドラーより
駐車場でたむろする子供のどかし方とかで検索しろやゴミ バカって心理学にすがって自分で考えない
自分で考える努力すればコンビニの駐車場云々の話なんてすぐ結論出る
バカが心理学やるとますますバカになる >>480のやつ見るとアドラーの勉強するとおかしくなるのか、480がアレなのかどちらかなのかと考えてしまう >>489
社会のルールに従う様にすると言うよりは、
社会の成り立ちに沿った結末に任せると表現した方が近いと思う
あなたの言う「自分」がたむろしてる人を指すとすれば、
その反社会的な思想の結果を経験してもらうだけで良いし
自分=あなた の場合、もうあなたの思う貢献をやってみてその結果を経験してみると良いと思う >>489
営業妨害や住民の不安を訴えても聞かない場合は、威力妨害の可能性が出てくるから
警察に任せるのが普通なので、迷う必要は無いと思う
法に関する思想は人それぞれだろうけどね
現実としてそうなっていることに対して懐疑的なのは仕方ないので
その思想の結末を経験して、何かしら生き易さが改善すれば良いと思うよ
みんなが満足することよりも、みんなが共同体感覚に近付くことを優先すると良いと思う
満足的な貢献も共同体感覚の為の手段でしかないから >>497-498
僕の自己満足につきあって頂いてありがとうございます
コンビニの例もただのたとえで、こういうことを考えること自体が好きなんですw
多分現実には普通に注意して終わりだと思いますw
「結末に任せる」という表現がすごいしっくりきました
課題の分離もこれを意識することで明確になるんですね
そしてその結末は、多くの場合この世界では社会によって決められる。
思想の結末ですか、そこまでスケールが大きくなると経験するのは難しいかもと思います
まあ「結末」の定義が何かにもよりますが、
要は僕は社会に対して少し懐疑的で、その思想を持つことによって起こる結末ですよね
>みんなが共同体感覚に近付くことを優先
みんながここにいても良いという所属感を持てるようにするということですね
ただこれって、その感覚を持とうとする本人の意識の持ち方も影響が大きいと思うので
自分に共同体感覚を持たせるのは出来ても、周りの人間までそうさせるのは難しいと思ってしまいます >>499
最後の部分、共同体感覚については、難しいのがデフォなんだけど、
難しいからやらないのではなく、常にその方向性を意識して行動すれば
いちいち無駄なことに悩まなくなっていくよって感じで良いと思うよ 警察に任せることについても、社会的な結末を辿った先に、
誰もが共同体感覚に近付くことができるっていう信頼を持つことが大切だと思う >>500
う〜んでは例えば学生時代にイジメられていた子がいたとしますね。
僕は当事者でないとして、その子を助けることもせず放置します。
ただ、助けてあげたいと思ったら勇気づけはしますが
結末を請け負うのは結局その子自身なので、その子の課題ですよね。
ただあなたの言うように「みんなが共同体感覚に近付くことを優先する」とすれば
イジメの加害者に和解を促したり、被害者にはイジメられないように積極的に働きかけるんですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています