アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 >>443
そもそもの欲求に人とうまく喋りたいというのがあると思うが、なぜそうしたいのか?
それさえなければその後の悩みの全てが無くなるのではないか? ライフスタイルの再選択をしたいです。
カウンセラーに相談すべきですか?
ひとりでは無理でしょうか? カウンセラーに行くこと自体は止めやしない
答えは自分で見つけるものだから
自分も結局カウンセラーでは答えは見つからなかった
いや結局変えたいと思う自分を信じて一歩踏み出す、その先に道があろうと無かろうと
これしかないんだけど A氏「なんで相談しないんだ!?」
B氏「相談すればやめさせようとするでしょう」
A氏「心配なんだから当たり前だろ」
B氏「心配ならやめさせる権利があるのですか」
A氏「いい加減にしろ」
B氏「なぜ怒るのですか」
A氏「心配だからに決まってるだろう」
B氏「心配という免罪符があれば他人に干渉しても良いのですか」 >>459
無理ではないけど大分勉強しないといけない >>460
全くそのとおりかと思います。
しかし、自分のライフスタイルを知る方法すら分かりません。
webで診断をしたのですが「コントローラー」らしいです。
自己概念、世界像、自己理想を知る事から始まると思うのです。
詳しい本はないでしょうか? >>466
ありがとうございます。
早速ポチリました。 散々既出かもしれませんが疑問に思ったことがあります
コンビニのバイトをしていたとして、店の外に不良の子達がたむろしていたとします
店長に「ちょっと注意してきて」と言われた場合どう対応するべきでしょうか
僕なりのアドラーの解釈では、たむろしている不良達に「邪魔なのでたまらないで」
と注意するのは違うと思いました。他人の課題に干渉することになるので。
この場合「店の前でたむろするのを止めてくれたら助かります」と伝えるのが伝え方的にはベストなのでしょうが
そうすると不良達は、そのままたむろする、という選択を取ることも出来ます。
結局それに干渉しないと問題は解決出来ないですよね?
僕が一番良いと思う方法は、店側の課題として考えて
不良達がたむろ出来ないように物理的に構造を変えてしまうということです。
数年前に流行ったモスキート音などが良い例だと思います。 話は変わりますが先日車で細い道を走っていて、前に人が立っていて通れませんでした。
外国人の方で、車に気付いていないわけがないほどの距離感でした。
僕が取った行動はその外国人に何かを言うとか、クラクションを鳴らすことはせず
ただただ細い道をバックして引き返して別の道で行きました。
アドラー的にはこういう考え方で良いんだと自分で納得しました。
それは違うぞ、とかこういう考えは?という意見などあればお願いします。 すいません釣りじゃ無いです。
全然理解できてなくて呆れられるようなこと書いてしまってすみません。 GWはネットで山口メンバーを叩いて、楽しくすごせているのですが
これでいいのでしょうか? 完璧主義でつらいです。何もしたくない。
アドラーの心理学で完璧主義を治せますか? 義務教育の道徳の授業をアドラー心理学中心にすれば
みんなの生き易さが進むと思うんだが
共同体感覚っていう冷静で理論的な理性の方向性が学校で教える学問としても扱い易いと思う >>468
なるほど、モスキート音を出す。
でも、それだと若年層の来客も減少するのでは?w
アドラー心理学的の基本は、何がレスポンシブルかということです。
挙げて下さった「不良の子達」を、集団と調和するよう働きかけることが大筋だと思いますね。 >>479
レスありがとうございます。
そうですね、理想はそのモスキート音の出す出さないを任意で操作できればと思います。
僕は個人的に課題の分離という項目を読んで、目から鱗だったので
この場合も不良の子達との課題を分離するという見方をしました。
共同体感覚というのは難しかったです
自分を肯定し、人を信頼し、人に貢献することで、自分がその場所にいても良いという感覚を得る
この場合ではお店に貢献する、来店するお客さんに貢献する、不良の子達に貢献する
この全てを満足するような選択肢が取れれば、共同体感覚が得られるんでしょうね >>480
貢献を考えるときのポイントは、満足と調和を切り分けることだと思います。
その場で全員が満足する方法を考えると、三すくみになってしまい、なんらか問題を含む相手の行動に、注意やお願いはできないでしょう。
しかし、相手に集団の中で調和することを学んでほしいと考えると、注意やお願い、交渉が必要であると考えられます。
課題の分離も、結局は「そうすることで相手が所属に近づくだろう」と判断した過程で行います。
そのとき主語は「我々」の課題を分離するのであり、「自分」と「相手」に課題を分離するのではありません。
共同体感覚というのは非常にシンプルで、それは我々、ということです。 コンビニたむろの話しは、話し合いが基本だろうね
その上で合意のあるルールを設定できると一番良いと思う
合意が取れない場合は、社会常識としての措置をお知らせするくらいかな
措置っていうのは警察の介入だと思う
程々で解散するとか、注意で解散してくれる程度なら良いが、
それが叶わないなら警察にお願いするしかないってことを冷静に伝えれば良いと思う
後はルール通りに振る舞えば、誰もが社会常識に協力的に貢献できるし、
それぞれが自分の結末を請け負う形ができる >>475
認知行動療法なら治る
Twitterで認知行動療法 完璧主義で検索
体験談あるよ
いまカウンセリングは認知行動療法が主流
公務の心理職だとアドラーは使えない ユングやアドラー式だとあまりにも抽象的で色々な事を説明出来るが結局は説明だけで終わる
もう認知行動療法CBTじゃないとカウンセリングに有効じゃないとわかっているのに日本人には通じないとかオカルト理論言う馬鹿がいるから困る 今変えられものは何か?変えられものをまず変える
変えやすいものから変える
それを積み重ねるしかない
もう京大早稲田人科東大教育同志社みんな認知行動療法研究してるから
フロイトやユングやアドラーは推理小説 あと認知行動療法の研究には脳科学の知見が生きているが脳科学が発達していなかった時代のユングアドラーの考え方は
進歩が無い
ユングアドラーも今生きていれば認知行動療法CBTが正解だと認めるだろう >>481
注意やお願い、交渉とありますがそれは勇気づけとはまた違うのですが?
私が認識していた考え方は、見返りを求めない貢献であり
実際に所属に近づかなくても、「所属できた、所属に近づいた」という感覚を持てれば良いのだと思っていました。
こういう言い方をするとただの心の持ち方のようにも見えてしまうのですが
「所属に近づくだろう」と判断し、貢献を行った場合もそれは見返りを求めた貢献であると思うのです
>そのとき主語は「我々」の課題を分離するのであり、「自分」と「相手」に課題を分離するのではありません。
すみません、これの意味がよく理解できませんでした。
分かりやすい例え等で説明して頂けると嬉しいです。 >>482
合理的な考え方ですね。
最終的には社会のルールに従うようにするということですね。
ただ、少し腑に落ちないところがあるのですが
例えば社会常識と反する行いが自分にとっては正しいと思うときにはどうするべきなのか
それこそ引きこもりの子供みたいな場合ですね。
それとも>>482さんは警察を引き合いに出していることから
「法に触れる場合」のみを対象にしているのでしょうか
私はそれすらも懐疑的で、法も人によって作られたルールなので自分の意思と反することがあると思います
ただ、ちょっとそれの例が今出てこないのと、これ以上言うとヤバい奴になってしまうので自重しますw >>487
出来る事を考えてベストな対応すりゃいいだろーが
バカの考え休むに似たり
アドラーなんて忘れて出来る事を考えてベストな対応する習慣つけねえからコンビニの店員なんだろ >>488
車に気付いてもおかしくないぐらい近いとなると耳が聞こえてない可能性もあるぞ。電気自動車で静か過ぎて音からは車とは思えなかったなんてこともありうるが。 コンビニの駐車場にたむろする奴のどかし方がわからない程バカはアドラーより
駐車場でたむろする子供のどかし方とかで検索しろやゴミ バカって心理学にすがって自分で考えない
自分で考える努力すればコンビニの駐車場云々の話なんてすぐ結論出る
バカが心理学やるとますますバカになる >>480のやつ見るとアドラーの勉強するとおかしくなるのか、480がアレなのかどちらかなのかと考えてしまう >>489
社会のルールに従う様にすると言うよりは、
社会の成り立ちに沿った結末に任せると表現した方が近いと思う
あなたの言う「自分」がたむろしてる人を指すとすれば、
その反社会的な思想の結果を経験してもらうだけで良いし
自分=あなた の場合、もうあなたの思う貢献をやってみてその結果を経験してみると良いと思う >>489
営業妨害や住民の不安を訴えても聞かない場合は、威力妨害の可能性が出てくるから
警察に任せるのが普通なので、迷う必要は無いと思う
法に関する思想は人それぞれだろうけどね
現実としてそうなっていることに対して懐疑的なのは仕方ないので
その思想の結末を経験して、何かしら生き易さが改善すれば良いと思うよ
みんなが満足することよりも、みんなが共同体感覚に近付くことを優先すると良いと思う
満足的な貢献も共同体感覚の為の手段でしかないから >>497-498
僕の自己満足につきあって頂いてありがとうございます
コンビニの例もただのたとえで、こういうことを考えること自体が好きなんですw
多分現実には普通に注意して終わりだと思いますw
「結末に任せる」という表現がすごいしっくりきました
課題の分離もこれを意識することで明確になるんですね
そしてその結末は、多くの場合この世界では社会によって決められる。
思想の結末ですか、そこまでスケールが大きくなると経験するのは難しいかもと思います
まあ「結末」の定義が何かにもよりますが、
要は僕は社会に対して少し懐疑的で、その思想を持つことによって起こる結末ですよね
>みんなが共同体感覚に近付くことを優先
みんながここにいても良いという所属感を持てるようにするということですね
ただこれって、その感覚を持とうとする本人の意識の持ち方も影響が大きいと思うので
自分に共同体感覚を持たせるのは出来ても、周りの人間までそうさせるのは難しいと思ってしまいます >>499
最後の部分、共同体感覚については、難しいのがデフォなんだけど、
難しいからやらないのではなく、常にその方向性を意識して行動すれば
いちいち無駄なことに悩まなくなっていくよって感じで良いと思うよ 警察に任せることについても、社会的な結末を辿った先に、
誰もが共同体感覚に近付くことができるっていう信頼を持つことが大切だと思う >>500
う〜んでは例えば学生時代にイジメられていた子がいたとしますね。
僕は当事者でないとして、その子を助けることもせず放置します。
ただ、助けてあげたいと思ったら勇気づけはしますが
結末を請け負うのは結局その子自身なので、その子の課題ですよね。
ただあなたの言うように「みんなが共同体感覚に近付くことを優先する」とすれば
イジメの加害者に和解を促したり、被害者にはイジメられないように積極的に働きかけるんですか? >>487
注意やお願い、交渉も我々の間に社会性を育もうとする、広い意味で勇気づけの一種ですね。
全ての行動が社会性を帯びている、これはアドラー心理学の基軸のひとつ社会統合論です。
当該概念をもってすれば、人間の行動はすべて見返りを求めてもいるとも言えます。
(個人視点であるか、全体視点であるかの違いで言い分けられることはありますけどもね)
例えば、課題とは元々コンビニエンスストアを誰でも気持ちよく使おう、皆で社会に参加しよう、とする「我々」のものなのですね。
課題の分離は「分担」に用いるのであって、「相手を切り離す」のに用いるのではないのです。 >>502
他者の課題を積極的に処理するのは、みんなが共同体感覚から遠ざかる行為になると思うよ
とはいえ、いじめの被害が緊急的なら助けるのが人間同士普通のことだと思うし
いじめを認知してるなら大人に相談するのが良いと思う
という前提で
被害者には、助けが必要か尋ねてみるのが良いだろうし
加害者側には、一度話し合いを試みることができるならベストだけど
まあ先に信頼できる大人達に相談すると良いね そうね、そもそもみんなが社会的に生き易くなる様にっていう前提があって
その為に建設的な生き方を選ぶのが大切
学校では、みんなが安心して学べることも大切だし、
個人的には社会で協力的に生きていく術も同時に学ぶ場所であってほしい
いじめはそれに反しているので、社会のみんなで協力的に解決したい
だから、話し合いも試みるし、大人にも相談する >>505
付け足しとして
いじめという現象を活かして、みんなの中に共同体感覚や
協力の気持ちが芽生える様にする為に、みんなで分担して
協力するとしたらどんなことができるか?ということも考えられる
その為に自分にできることをやれば良い >>503-504
>全ての行動が社会性を帯びている、これはアドラー心理学の基軸のひとつ社会統合論です。
すみません、これについてはただただ勉強不足でした。
思ったのですが「嫌われる勇気」という本の中には
本来のアドラー心理学の考え方を少し曲解している部分があるのでしょうか?
そうまではいかなくとも説明足らずな部分が多かったりするのかも
僕はこの本を読んで感銘を受けたのですが、どうも皆さんのレスと相違があるように思えます。
もしそうであるなら、別のオススメの書籍を教えて頂ければ嬉しいです。
足りない認識で、皆さんに迷惑をかけるのは申し訳ないです。 結局こいつらは普通の人間が普通に考えてる事を無意味な心理学用語を使い何倍も時間費やす愚かな奴らなんだよ
それで頭がいいかの様に思って自己満足
バカな奴らだ >>507
嫌われる勇気面白いよね
俺は幸せになる勇気も好き
ただし、センセーショナルに感じる様に強弱が付けられてるから
ちゃんとした書籍で学ぶのもおすすめだし、教えてる場所に足を運ぶのも良いと思う
個人的には一つに絞らず、野田俊作さんや岩井俊憲さん、向後千春さん、
小倉広さんとかで気になる本を読み漁っていくのが知識的には良いと思うし
アドラー心理学が学べる集まりに足を運んだ方が身につくのが早いと思う >>509
僕は幸せになる勇気は少しオカルト臭いと感じてしまいましたw
基本的に自分は論理的思考なので、そういう意味では「嫌われる勇気」はしっくりきました。
強弱が付けられている、ですか。間違っているわけではないけどアドラー心理学の説明足らずな部分もアリ、
受け取る側が誤解しやすいというニュアンスですかね。
個人的には読みやすくて良かったですけどその分浅くなってしまっている感が否めない?
ありがとうございます。挙げて頂いた方の著書を色々読んでみたいと思います。 >>510
お役に立てれた様で良かったです
今の感覚で違和感を感じる部分も、経験的に理解が深まった時に
後でしっくりくることもあったりするので、その変化を楽しんでもらえればと思うよ >>511
このやりとりで共同体感覚を得られた気がしますw >>507
いえいえ。
私も嫌われる勇気を入り口にして、スレで議論し、試行錯誤してきたクチですから、過去の自分を見ている気分です(失敬)。
こちらはもっと荒っぽくて、非紳士的だったw
オススメは、兄弟スレの関連書籍を順に読むことですね。
アドラー心理学2 【嫌われる勇気】
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/
論理的な話が好きであれば、学会サイトの論文に一から噛り付いてみると、理論が分かると思います。 >>513
そうなんですね、荒っぽくて非紳士的だったのは意外ですw
僕は権力争いに絶対のらないし、自分から仕掛けないのを徹底して意識してるのでそう感じられたのかもです
>>490のレスで若干のってしまいましたが(__;)
ありがとうございます。実は今までの認識が崩れるのにかなりショック受けてますがw
勇気を出して、そちらのスレの書籍を読んでみますね。
学会のサイトも見てみようと思います >>514
でも羨ましいですね。
私の場合は同じショックを受けつつ、折角得た便利なスキルを捨てる心持ちで、「本当に良いのかな」と考えながら勉強でした。
今から思えば正しい選択でしたが、当時はテキストで知らない先達を信じ込むしかなかった。
その自分がいまや一端に先達の顔をしているw
なので過去の自分に言うつもりで恐縮なのですが、間違いなく、今よりやり易くなりますから、突き進んで下さい。
自分の経験に引き寄せて言いますと、嫌われる勇気も間違っているわけではなく、課題の分離操作に慣れるのは、最初とても大事なことでした。
課題を分離出来ずに共同体感覚に行けば、それは、なあなあになってしまい、責任分担の何たるかが曖昧になっていましたから。
スキルや理論を調子よく一つ一つ覚えていくのがまずは大切です。
すると「えっそうなの?」という(あなたの)混乱があって、「そういうことか」と繋がる瞬間があり、そこからは全体が見えると、それまでの理論がもっと深く使えるようになります。
何やら私と同じようなルートを辿りそうな方がいらしたので、一つご参考までに。 >>459
>>465
エピソード分析
具体的なやり方はパセージプラスに載ってる
独学で学ぶならこれしかないかと でも分かるわ
理論のどこかを取りこぼすとただの冷たい人にもなるし酷い人にもなるしお人好しにもなったりする >>459,465
岸見さんの師匠の野田さん曰く再選択に当たって今現在のライフスタイルを知る必要はないらしいよ
4冊セットの本に詳しく書いてるけど知ったところで何の役にも立たないと
自分がやらかすパターンなら知っておいた方がいいみたい
ちなみに知るには他者に指摘してもらう他ないとは書いてた 乗っている馬を解剖したら、歩けなくなります、だっけ? >>465
ライフスタイルは主体論で言うと「常に今」選択し続けているもの
縦の関係をベースにしたライフスタイルを選んでしまってるから、社会統合論で言うと「悩む」わけで
>>519にある今のライフスタイルを知らなくてもいいというのは、縦の関係をベースにしたライフスタイルの「代わりに」横の関係をベースにしたライフスタイルを自覚的に選択する習慣づけができれば、今のライフスタイルを使わなくてよくなるということ
知ったら知ったで「ああ俺はこういう性格だから変われないんだな」ってそこにとらわれてしまうリスクもある
簡単に言うと、「今、ここで、私にできる建設的な行動」を勇気を持って日頃から試していく事がライフスタイルを変えるための実践になるよ >>517>>519>>521
レスありがとうございます。
週末に「アドラー心理学を語る、性格は変えられる」
が届き読み始めました。
とても参考になりそうです。
このまま勉強していこうと思います。 親じゃなくて自分で決めたことらしいけど
それでも自分が病気になったのは親のせいだと思う そのように思うことによって何らかの利益があるのでは? 誰かのせいにしとけば、自分は何もせんでもええしな(笑)
そら楽やわ 心理的に楽になるような気がするだけで現実はどうもならんよね。
例えば誰かのせいで怪我したとしてもそいつに怪我を回復させる魔法は使えない。
誰かが運転する車に轢かれて死んでも運転手に復活の呪文は使えない。
誰のせいでも起きることは同じだし、重要なのは誰のせいかではない。
そういや仏教に毒矢の喩えってのあったね。 あー、そうか。利益有ることに気がついた。
もう一度、読み直さなくては。
病気になってる事実は確かに有る。
それが誰かのせいかはまた別の話かな。
うーむ 毒矢のたとえって原因探しても仕方ないってやつじゃん そもそもアドラーって全部自分のせい理論じゃないでしょ
誰のせいかじゃなくて自分がどうればいいかを考える
病気になったら病気になった事実をニュートラルに受け入れて、どう治療していくかとかこれからどう過ごしていくかに取り組む >>528
仕方ないというか、そんなことのんびりやってたら毒回って死ぬってやつだ。
どういう原因かとか誰のせいかなどは後で調べればいいからとにかく毒矢をすぐ抜けと。
ところが抜かないで原因探したり誰かのせいにしたりをしてしまう人が結構いて、それだからこの話が作られたんだろう。
恐らく誰のせいかわかれば解決するものと思い込んでいる。しかしわかっても解決しないばかりか悪化するまたは死んでいる。 これアドラーの全体論の説明としてはしっくりくる。
人間の精神は実は球体で、南極点で、葛藤してるように見えてる二つの自己は、実は北極点という共通目的に向かっている存在なんだ。
自分の内側じゃなくても他者との対立や葛藤もこれで理解できると思った。 課題の分離もそれ。
相手と葛藤が生まれて対立しているように見える時も、争わずに離れることで、同じ北極点を目指す仲間に変わる。
北極点まで一致しない事もあれば、どこかのタイミングで一致する場合もある。
よくよく考えたらその場で一致して協力できる場合もある。 病気の者ですが、私はまだまだ勉強不足というか、勘違いしてるというか…
毒矢の例えも調べて見ます ×かわいそうな私
×悪いあの人
○わたしにできること 俺も実家で出された飯を食ってたら糖尿病になったから親のせいとも取れるけど
親のせいにしてたら人生は停滞するだけだな でも毒矢の場合は犯人捜しをしなければ次の犠牲者がでますからね。
共同体のためにも・・・。 >>536
アドラー心理学の共同体感覚は自分と隣人とせいぜいチームくらいでしか使わないよ
共同体のため、という論理で社会構造とか直接対話できない人を変えようとしても意味がない >>537
横からだけど上側も下側も俺の理解と違うんだが、
どの本を読めばそれを納得することができるかな?
共同体感覚がせいぜいチームくらいという理論も見たことないし、
直接対話できる人なら変えようとすることに意味があると書かれてるものも
どこかにあるなら知りたい >>537
>>アドラー心理学の共同体感覚は自分と隣人とせいぜいチームくらいでしか使わないよ
そんなことはない。 >>537共同体のため、という論理で社会構造とか直接対話できない人を変えようとしても意味がない
文脈を理解した上で書き込めよ。 >>538
砂粒を磨くっていうアドラー心理学の実践のあり方があってその事を言ってるんだと思う
「共同体感覚の歌」で検索すればアドラー心理学の目指すところや野田さんなりの捉え方がわかるよ
「学校は変えられる」なんかを読めば決まりごとやルールが尊敬、信頼の下で組織の中で共有されていてこそ発揮できるものだとわかると思う 何かっていうとすぐ「脳科学」というキーワードが出てくるけど
この分野、まだまだ発展途上でしょ? 当たり前な事は何一つないことを頭のなかで改めて反芻してみると
自分は変化そのものを恐れているのだと感じる
いつかこの先良くなることはない(無論間違った認識)から変化したくないと書いたことありますが
職場の異動から住環境、引いては身内とかも
変化そのものを恐れているってのは自分が変わりたくない変わることを恐れているという事で
結局親の愛から抜け出せていない、ってことになるんですかねアドラー的には
まあ分析なんてのは一ミリも役に立たないのですけど、過去は関係なくこれからどうするかだけに注目せよ、なので 人として変化を恐れるのは当たり前。
予測できない事を避けるように出来ている。
だから二の足三の足。言いわけばかりで
変化しない。
変化しないのは、今のままでいる努力をしているから。
一生懸命、変化してはダメだと抵抗が働いている。
それを止めましょう。
恐れたらそれを考えずにやってみましょう。 >>545
分析してもしょうがないというのは2つポイントがあって
協力的な目的が見つかるまでもっともっと深く分析する必要があること
例えば、職場に溶け込みたいけど変わりたくない→職場の人間関係を壊したくない→生産的に機能している職場に迷惑をかけたくない→職場の雰囲気が好きだから守りたい→会社の企業理念に共感していて役に立ちたい→人の役に立つ仕事がしたい
くらいまで落とし込む必要があるけど自分でやるにはかなりの修行が必要
あと、分析自体が「変わりたくない自分」なりのバイアスがかかるから都合良い分析になってしまうこと
どっちにせよ「親の愛のせい」という自己分析は浅いかブレてる可能性が高い >>546
心のブレーキは無視しましょう理論はアドラーは否定しているよ >>542
その辺は理解してるつもりなんだけど、
その話と先のレスの間には考え方の溝がある様に感じてるよ >>545
反芻がいらない
変化を恐れているという観念を忘れるくらい今できることに集中してたら、気づいたら変わってた、になる 共同体感覚を人類の進化に向けて全員が力を合わせている感覚とすると個人的にはどの理屈もすんなり納得できるし説明もしやすい気がするけどなあ
きっと受け入れられないだろな >>545
変化を恐れている、
という分析が正しいのなら、やることは唯一つで、
変化してみること
なんですよ(笑)
そうですよね?みなさん >>545
置かれてる環境が分からなすぎてなんとも言えない
何の為に変化しなきゃいけないの?
今のまま家族を大切に思ってても良いんじゃない? >>554
たぶんこの人二年近くずっと変わるの怖い理由の自己分析続けてる
解決策を求めてる感じじゃなさそう だから今はもう認知行動療法の時代
お前らの認知の仕方は的外れ
認知行動療法の分析法やれ
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