アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 >>509
僕は幸せになる勇気は少しオカルト臭いと感じてしまいましたw
基本的に自分は論理的思考なので、そういう意味では「嫌われる勇気」はしっくりきました。
強弱が付けられている、ですか。間違っているわけではないけどアドラー心理学の説明足らずな部分もアリ、
受け取る側が誤解しやすいというニュアンスですかね。
個人的には読みやすくて良かったですけどその分浅くなってしまっている感が否めない?
ありがとうございます。挙げて頂いた方の著書を色々読んでみたいと思います。 >>510
お役に立てれた様で良かったです
今の感覚で違和感を感じる部分も、経験的に理解が深まった時に
後でしっくりくることもあったりするので、その変化を楽しんでもらえればと思うよ >>511
このやりとりで共同体感覚を得られた気がしますw >>507
いえいえ。
私も嫌われる勇気を入り口にして、スレで議論し、試行錯誤してきたクチですから、過去の自分を見ている気分です(失敬)。
こちらはもっと荒っぽくて、非紳士的だったw
オススメは、兄弟スレの関連書籍を順に読むことですね。
アドラー心理学2 【嫌われる勇気】
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/
論理的な話が好きであれば、学会サイトの論文に一から噛り付いてみると、理論が分かると思います。 >>513
そうなんですね、荒っぽくて非紳士的だったのは意外ですw
僕は権力争いに絶対のらないし、自分から仕掛けないのを徹底して意識してるのでそう感じられたのかもです
>>490のレスで若干のってしまいましたが(__;)
ありがとうございます。実は今までの認識が崩れるのにかなりショック受けてますがw
勇気を出して、そちらのスレの書籍を読んでみますね。
学会のサイトも見てみようと思います >>514
でも羨ましいですね。
私の場合は同じショックを受けつつ、折角得た便利なスキルを捨てる心持ちで、「本当に良いのかな」と考えながら勉強でした。
今から思えば正しい選択でしたが、当時はテキストで知らない先達を信じ込むしかなかった。
その自分がいまや一端に先達の顔をしているw
なので過去の自分に言うつもりで恐縮なのですが、間違いなく、今よりやり易くなりますから、突き進んで下さい。
自分の経験に引き寄せて言いますと、嫌われる勇気も間違っているわけではなく、課題の分離操作に慣れるのは、最初とても大事なことでした。
課題を分離出来ずに共同体感覚に行けば、それは、なあなあになってしまい、責任分担の何たるかが曖昧になっていましたから。
スキルや理論を調子よく一つ一つ覚えていくのがまずは大切です。
すると「えっそうなの?」という(あなたの)混乱があって、「そういうことか」と繋がる瞬間があり、そこからは全体が見えると、それまでの理論がもっと深く使えるようになります。
何やら私と同じようなルートを辿りそうな方がいらしたので、一つご参考までに。 >>459
>>465
エピソード分析
具体的なやり方はパセージプラスに載ってる
独学で学ぶならこれしかないかと でも分かるわ
理論のどこかを取りこぼすとただの冷たい人にもなるし酷い人にもなるしお人好しにもなったりする >>459,465
岸見さんの師匠の野田さん曰く再選択に当たって今現在のライフスタイルを知る必要はないらしいよ
4冊セットの本に詳しく書いてるけど知ったところで何の役にも立たないと
自分がやらかすパターンなら知っておいた方がいいみたい
ちなみに知るには他者に指摘してもらう他ないとは書いてた 乗っている馬を解剖したら、歩けなくなります、だっけ? >>465
ライフスタイルは主体論で言うと「常に今」選択し続けているもの
縦の関係をベースにしたライフスタイルを選んでしまってるから、社会統合論で言うと「悩む」わけで
>>519にある今のライフスタイルを知らなくてもいいというのは、縦の関係をベースにしたライフスタイルの「代わりに」横の関係をベースにしたライフスタイルを自覚的に選択する習慣づけができれば、今のライフスタイルを使わなくてよくなるということ
知ったら知ったで「ああ俺はこういう性格だから変われないんだな」ってそこにとらわれてしまうリスクもある
簡単に言うと、「今、ここで、私にできる建設的な行動」を勇気を持って日頃から試していく事がライフスタイルを変えるための実践になるよ >>517>>519>>521
レスありがとうございます。
週末に「アドラー心理学を語る、性格は変えられる」
が届き読み始めました。
とても参考になりそうです。
このまま勉強していこうと思います。 親じゃなくて自分で決めたことらしいけど
それでも自分が病気になったのは親のせいだと思う そのように思うことによって何らかの利益があるのでは? 誰かのせいにしとけば、自分は何もせんでもええしな(笑)
そら楽やわ 心理的に楽になるような気がするだけで現実はどうもならんよね。
例えば誰かのせいで怪我したとしてもそいつに怪我を回復させる魔法は使えない。
誰かが運転する車に轢かれて死んでも運転手に復活の呪文は使えない。
誰のせいでも起きることは同じだし、重要なのは誰のせいかではない。
そういや仏教に毒矢の喩えってのあったね。 あー、そうか。利益有ることに気がついた。
もう一度、読み直さなくては。
病気になってる事実は確かに有る。
それが誰かのせいかはまた別の話かな。
うーむ 毒矢のたとえって原因探しても仕方ないってやつじゃん そもそもアドラーって全部自分のせい理論じゃないでしょ
誰のせいかじゃなくて自分がどうればいいかを考える
病気になったら病気になった事実をニュートラルに受け入れて、どう治療していくかとかこれからどう過ごしていくかに取り組む >>528
仕方ないというか、そんなことのんびりやってたら毒回って死ぬってやつだ。
どういう原因かとか誰のせいかなどは後で調べればいいからとにかく毒矢をすぐ抜けと。
ところが抜かないで原因探したり誰かのせいにしたりをしてしまう人が結構いて、それだからこの話が作られたんだろう。
恐らく誰のせいかわかれば解決するものと思い込んでいる。しかしわかっても解決しないばかりか悪化するまたは死んでいる。 これアドラーの全体論の説明としてはしっくりくる。
人間の精神は実は球体で、南極点で、葛藤してるように見えてる二つの自己は、実は北極点という共通目的に向かっている存在なんだ。
自分の内側じゃなくても他者との対立や葛藤もこれで理解できると思った。 課題の分離もそれ。
相手と葛藤が生まれて対立しているように見える時も、争わずに離れることで、同じ北極点を目指す仲間に変わる。
北極点まで一致しない事もあれば、どこかのタイミングで一致する場合もある。
よくよく考えたらその場で一致して協力できる場合もある。 病気の者ですが、私はまだまだ勉強不足というか、勘違いしてるというか…
毒矢の例えも調べて見ます ×かわいそうな私
×悪いあの人
○わたしにできること 俺も実家で出された飯を食ってたら糖尿病になったから親のせいとも取れるけど
親のせいにしてたら人生は停滞するだけだな でも毒矢の場合は犯人捜しをしなければ次の犠牲者がでますからね。
共同体のためにも・・・。 >>536
アドラー心理学の共同体感覚は自分と隣人とせいぜいチームくらいでしか使わないよ
共同体のため、という論理で社会構造とか直接対話できない人を変えようとしても意味がない >>537
横からだけど上側も下側も俺の理解と違うんだが、
どの本を読めばそれを納得することができるかな?
共同体感覚がせいぜいチームくらいという理論も見たことないし、
直接対話できる人なら変えようとすることに意味があると書かれてるものも
どこかにあるなら知りたい >>537
>>アドラー心理学の共同体感覚は自分と隣人とせいぜいチームくらいでしか使わないよ
そんなことはない。 >>537共同体のため、という論理で社会構造とか直接対話できない人を変えようとしても意味がない
文脈を理解した上で書き込めよ。 >>538
砂粒を磨くっていうアドラー心理学の実践のあり方があってその事を言ってるんだと思う
「共同体感覚の歌」で検索すればアドラー心理学の目指すところや野田さんなりの捉え方がわかるよ
「学校は変えられる」なんかを読めば決まりごとやルールが尊敬、信頼の下で組織の中で共有されていてこそ発揮できるものだとわかると思う 何かっていうとすぐ「脳科学」というキーワードが出てくるけど
この分野、まだまだ発展途上でしょ? 当たり前な事は何一つないことを頭のなかで改めて反芻してみると
自分は変化そのものを恐れているのだと感じる
いつかこの先良くなることはない(無論間違った認識)から変化したくないと書いたことありますが
職場の異動から住環境、引いては身内とかも
変化そのものを恐れているってのは自分が変わりたくない変わることを恐れているという事で
結局親の愛から抜け出せていない、ってことになるんですかねアドラー的には
まあ分析なんてのは一ミリも役に立たないのですけど、過去は関係なくこれからどうするかだけに注目せよ、なので 人として変化を恐れるのは当たり前。
予測できない事を避けるように出来ている。
だから二の足三の足。言いわけばかりで
変化しない。
変化しないのは、今のままでいる努力をしているから。
一生懸命、変化してはダメだと抵抗が働いている。
それを止めましょう。
恐れたらそれを考えずにやってみましょう。 >>545
分析してもしょうがないというのは2つポイントがあって
協力的な目的が見つかるまでもっともっと深く分析する必要があること
例えば、職場に溶け込みたいけど変わりたくない→職場の人間関係を壊したくない→生産的に機能している職場に迷惑をかけたくない→職場の雰囲気が好きだから守りたい→会社の企業理念に共感していて役に立ちたい→人の役に立つ仕事がしたい
くらいまで落とし込む必要があるけど自分でやるにはかなりの修行が必要
あと、分析自体が「変わりたくない自分」なりのバイアスがかかるから都合良い分析になってしまうこと
どっちにせよ「親の愛のせい」という自己分析は浅いかブレてる可能性が高い >>546
心のブレーキは無視しましょう理論はアドラーは否定しているよ >>542
その辺は理解してるつもりなんだけど、
その話と先のレスの間には考え方の溝がある様に感じてるよ >>545
反芻がいらない
変化を恐れているという観念を忘れるくらい今できることに集中してたら、気づいたら変わってた、になる 共同体感覚を人類の進化に向けて全員が力を合わせている感覚とすると個人的にはどの理屈もすんなり納得できるし説明もしやすい気がするけどなあ
きっと受け入れられないだろな >>545
変化を恐れている、
という分析が正しいのなら、やることは唯一つで、
変化してみること
なんですよ(笑)
そうですよね?みなさん >>545
置かれてる環境が分からなすぎてなんとも言えない
何の為に変化しなきゃいけないの?
今のまま家族を大切に思ってても良いんじゃない? >>554
たぶんこの人二年近くずっと変わるの怖い理由の自己分析続けてる
解決策を求めてる感じじゃなさそう だから今はもう認知行動療法の時代
お前らの認知の仕方は的外れ
認知行動療法の分析法やれ
http://studyhacker.net/columns/shikou-switch >>555
対話を試みただけですよ
変わらなくて良い理由を探してるだけかも知れないし
分析を続けてる間は変わらなくて良いという目的があるならそれで良いし
変わらなきゃ破滅なのに変われないのならちゃんと破滅を自分で経験するか、
ちゃんとした治療を受けるしかないと思ってます >>559
レスが返ってこないかぎりはなんとも判断できないよな 掲示板とは、これを書いてる人はこんな人に違いないという妄想をみんなで投影し合っている場所です。 >>556
スレチだと思うけど個人的に認知行動療法とアドラー心理学組み合わせたらかなり生き易くなった
悩む行為は自分が変わらないための自己正当化にしかならないっていうのを知らなかった時期は認知行動療法に大分手こずった 認知行動療法のABC解析でアドラーでは解決出来ない問題は解決するからな
認知の歪みをしらないとダメ 精神病症状に対する認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy for psychosis:CBTp)は、34のランダム化比較試験と、いくつかのメタアナリシスによって、症状の重症度の有意な減少が見いださ
れており、また陰性症状や否定的な気分や社交不安の大幅に改善が見いだされている[5]。統合失調症では、薬学的治療によっても25–55%は症状から完全には回復せず、4分の3は18カ月以内に薬を
中断しているため、認知行動療法による介入が推奨される[5]。 現在では、認知行動療法がうつ病だけではなく、摂食障害、人格障害、統合失調症等のあらゆる精神疾患の治療、再発予防に効果的であることがわかっています♪
更に認知行動療法は精神医療の現場だけではなくビジネスマン、学校の生徒指導などでも認知行動療法をするところが増えてきました。 認知行動療法を学んでからアドラー勉強すべき
無意識や精神に焦点を当てるのはまず認知行動療法的解析をした後にしろ
そうしないといつまでも認知の歪みは治らず堂々巡りになる 認知行動療法は思想に切り込まず対症療法的だから面白くない 認知行動療法は専門スレあるからそっちでどぞ
どっちもちゃんと勉強すると共存出来るのが分かるよ
というかむしろ、認知行動療法単体では問題シーンの痛みを軽減できても、それを作り出してる生活の循環が良くならない
スレチしながら認知の歪み云々て、他所の人を説得しなきゃいけない使命感に駆られてしまっていらっしゃるじゃない
そいつこそ解決しなきゃ堂々巡りなんでしょう、ほんとはね アドラーの思想はスピノザの系譜かな?と
違うかもしれないけど『知性改善論』みたいな アプリだと面白く理解できるぞ
俺はAndroidだからiPhoneにあるのかは知らんが >>570
そうかも
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/09/22.html
他にもカントとかルソーとか、時代背景もあるし科学よりも哲学から理論を作り上げていったみたいだね >>572
ありがとうございます
先達(仲間)がいると思えて、とても心強いです
アドラーと併せて、いろんな思想の読み直しも楽しみです >>571さんもありがとうございます
端末に疎い私ですが、これを機会に楽しみながら勉強できそうです 苦しいのは自分は役立たずだと感じながら生きながらえることだ
革新的な活動が叩かれやすいのは、既得損益があるからだと言われるけど
お金や権力だけではなく、貢献感にもそれがあると思う
自分を活かして貢献できている場所を離れるのは辛い
その場所で違った自分の活かし方を見つける戦略もあるし
自分を活かせる別の場所に行くのも手だ 認知行動療法の創始者とかロジャーズ派もアドラー心理学の流れを汲んで
そこから具体的な方法論に落とし込んでるから共存できて当たり前
逆に認知行動療法だけでは根本的な生き方まで変えられないし
アドラー心理学だけでこと足りるとも言える
アドラー心理学だけでは難しいと感じる人は、寄りかかる杖を増やす意味で
認知行動療法なんかにも手を出して問題ないだろうね >>578
俺は見てて無意味だと思わなかったけど
どの辺に対して無意味だと感じた? アドラー心理学なるものは、単なる思考の手引書であって、真理では無い。
アドラー心理学がある層の人間を救うことは事実であるので、世の中の役に立っていないとは言わない。
だがアドラーにせよ岸見一郎にせよ、学者を名乗らせるにはあまりに科学の本質から遠い。
彼らは単に個人的な経験に基づくアドバイスを行なっているだけであり、学者のあるべき態度とは異なる動きをしている。
エッセイはあくまでエッセイであり、そこに学問を匂わせる言葉を散らしたところで、学問になるわけではない。
ただ、アドラーの考えが世の中の役に立つことは認めよう。 >>584
そうだな学問で言葉には広い解釈があるかからな
科学という言葉に置き換えようか
心 理学 だからな
理 の 学なんだから科学的であるべきだな
ということが言いたかった 現在の科学の常識や科学信仰とは違う時代の学問として心理学という言葉が用いられてただけ
時代が時代なら地動説も科学的だと信じられてた
今さら呼び方に疑問を呈するのは論外だろう 心理学は心に対しても科学的な方法で調べられる(と信じられる)からできた学問なのではないかな。
そうでなければ哲学や文学みたいなものになっていたと思うが。まあしかしかなりそういう面もあるとは思うが。
つまり、客観的に測定して数値を出したりして調べられないので各自の主観で確認する。 嫌われる勇気の中でさえ必要以上に思想である事を強調してるのに定期的に現れる
「アドラーは科学ではないキリッ(`・∀・´)」
のアピールを頑張る人は何したいの?
対立する人すらいないのだが もともと心の働きについての学問的研究ということなら
アリストテレスの『心(プシュケー)について』あたりからはじまって
16世紀末頃にはpsychologiaプシコローギア(心理学)という呼び名が定まってね 19世紀後半になると>>587のいう気運が高まり
いわゆるドイツ「実験心理学」の誕生である
フェヒナーやヴント そして映画の一コマにコーラの映像を入れたらコーラが売れた。
しかしその日は単に暑かっただけではないかとツッコミが入ると。 岸見一郎の本が有害図書でありその扱われ方も間違っているからだよ。
世の中には心の病を患いながらも、誰も守ってくれずに苦しみながらも歯を食いしばって働いてる人が沢山いる。
そういう人たちが彼らにとっては安くない金を払って時間の合間を縫って読むんだ。
彼らに無駄な金と時間を過ごさせてしまう。あるそうな人にとってはアドラー心理学は糞の役にも立たないということを認めることがスタートラインになるんだ。その精神を弁護する権威が日本に存在せず、馬鹿売れしていっぱしの顔をしている。下らない。
ハッキリ言ってアドラーの思想ごときに救われるなら、それは単なる人生の悩みにすぎないし、そもそも大した苦労なんてしてないよ。
トラウマに苦しむ人が発想の転換でトラウマを見て見ぬ振りして、それでその先生きていけて幸せになれるなら、そもそもまあまあ恵まれてる。
底の浅い話だ。こんなものでは世の中良くならないし、真の科学者をさしおいてて大儲けして新聞などで大きい顔をしている。
しかもアドラーはフロイトと同列で語られていてて、呆れる。同じく科学的根拠に乏しいとしても、志向の深さと真実に迫る迫力という意味ではフロイトの方がずっと格上。 そんな中でで共感して良かったと思えた人が沢山いたってのが素敵やん フロイトって何でも感でも性的なことの抑圧のせいにしちゃうからなあ。
あの時代は性的な事に関する抑圧が大きかったからだろうけど、やり過ぎ感がある。
それとフロイト自身も広場恐怖症だったんだよね。
それがなければ心理学の研究してなかったかも知れないが、研究しても治ってないよな。 >>586
同じ時代にアインシュタインも居るのだが、当時のエリート達に科学的思考が無かったとでも?
夏目漱石はアドラーと同世代だが、夏目漱石の方が偉大。
アドラーはレベル低い適当なエッセイストであり、岸見一郎は迷える現代精神を餌食に飯を食うハイエナ、人間性のゴミの結晶 >>594
人間の遺伝の本能の表象としての性欲は、発達段階で形を変えながら色々な形で表象するんだから、フロイトの言いたいことを 性欲って言葉が持つ現代一般庶民的な感覚で 理解しようとしないお前が馬鹿なだけ なるほど。
それで、ここはアドラーが好きな人の集まるスレなのですが
そうではないらしい貴方はここで何をされたいのでしょう。
二度と返ってこない人生です。
出来るだけ有意義に過ごされてはいかがですか。 ここを見に来る人って、アドラー良い悪いの議論に興味はなくて
アンチを見ると「なにしにきたん?」って思うだけってのが大半だと思ってる >>595
論調が偏ってるよ
心理学界隈全般が他の科学的と言われるものと一線を画してた
アドラーと肩を並べてたのはフロイトやユング達であって、
それぞれが違う主張をしているし、それぞれが現代への流れを作ったってだけでしょ
批判したいならその熱意を学会に論文でも提出するなりして発揮すれば良い アードラーの劣等コンプレックスのところは現代社会でも大切なところだと思いますよ。一番ね。 まあ嫌われる勇気を見て、トラウマを否定されては困るって輩が定期なのは確かだやな
治療に目を向ける為に、トラウマを分析して楽をするよりも
トラウマの目的を仮定してこれからどうするかって方向に向いてるだけなんだけどね
あとは嫌なら読まなきゃ良いってだけの話 昨今のアドラーブームでフロイト派が商売あがったりになったりしないかも気になりますな。 >>599
眉唾なトンデモ理論に感心してる君のような人間が何を考えてるのか知りたいんだよ >>603
だからアドラーは大した苦労してないから、そうやって誤魔化しが効く程度の軽傷患者にしか意味がない。
そんな好き嫌いの趣味の話になんで学問としての権威が備わっているんだ?おかしいだろ >>603
分析が正確でないとアプローチを誤るんだよ
フロイトの分析の思考は相似形で参考になるが
アドラー心理学とか岸見のそれは底が浅い、まさに最近テレビとかでよく耳にする 人生は選択の連続である、くらいの浅い話しかしてない
その程度が威張るな、と言いたい
はっきり言って潰したいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています