アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 >>571さんもありがとうございます
端末に疎い私ですが、これを機会に楽しみながら勉強できそうです 苦しいのは自分は役立たずだと感じながら生きながらえることだ
革新的な活動が叩かれやすいのは、既得損益があるからだと言われるけど
お金や権力だけではなく、貢献感にもそれがあると思う
自分を活かして貢献できている場所を離れるのは辛い
その場所で違った自分の活かし方を見つける戦略もあるし
自分を活かせる別の場所に行くのも手だ 認知行動療法の創始者とかロジャーズ派もアドラー心理学の流れを汲んで
そこから具体的な方法論に落とし込んでるから共存できて当たり前
逆に認知行動療法だけでは根本的な生き方まで変えられないし
アドラー心理学だけでこと足りるとも言える
アドラー心理学だけでは難しいと感じる人は、寄りかかる杖を増やす意味で
認知行動療法なんかにも手を出して問題ないだろうね >>578
俺は見てて無意味だと思わなかったけど
どの辺に対して無意味だと感じた? アドラー心理学なるものは、単なる思考の手引書であって、真理では無い。
アドラー心理学がある層の人間を救うことは事実であるので、世の中の役に立っていないとは言わない。
だがアドラーにせよ岸見一郎にせよ、学者を名乗らせるにはあまりに科学の本質から遠い。
彼らは単に個人的な経験に基づくアドバイスを行なっているだけであり、学者のあるべき態度とは異なる動きをしている。
エッセイはあくまでエッセイであり、そこに学問を匂わせる言葉を散らしたところで、学問になるわけではない。
ただ、アドラーの考えが世の中の役に立つことは認めよう。 >>584
そうだな学問で言葉には広い解釈があるかからな
科学という言葉に置き換えようか
心 理学 だからな
理 の 学なんだから科学的であるべきだな
ということが言いたかった 現在の科学の常識や科学信仰とは違う時代の学問として心理学という言葉が用いられてただけ
時代が時代なら地動説も科学的だと信じられてた
今さら呼び方に疑問を呈するのは論外だろう 心理学は心に対しても科学的な方法で調べられる(と信じられる)からできた学問なのではないかな。
そうでなければ哲学や文学みたいなものになっていたと思うが。まあしかしかなりそういう面もあるとは思うが。
つまり、客観的に測定して数値を出したりして調べられないので各自の主観で確認する。 嫌われる勇気の中でさえ必要以上に思想である事を強調してるのに定期的に現れる
「アドラーは科学ではないキリッ(`・∀・´)」
のアピールを頑張る人は何したいの?
対立する人すらいないのだが もともと心の働きについての学問的研究ということなら
アリストテレスの『心(プシュケー)について』あたりからはじまって
16世紀末頃にはpsychologiaプシコローギア(心理学)という呼び名が定まってね 19世紀後半になると>>587のいう気運が高まり
いわゆるドイツ「実験心理学」の誕生である
フェヒナーやヴント そして映画の一コマにコーラの映像を入れたらコーラが売れた。
しかしその日は単に暑かっただけではないかとツッコミが入ると。 岸見一郎の本が有害図書でありその扱われ方も間違っているからだよ。
世の中には心の病を患いながらも、誰も守ってくれずに苦しみながらも歯を食いしばって働いてる人が沢山いる。
そういう人たちが彼らにとっては安くない金を払って時間の合間を縫って読むんだ。
彼らに無駄な金と時間を過ごさせてしまう。あるそうな人にとってはアドラー心理学は糞の役にも立たないということを認めることがスタートラインになるんだ。その精神を弁護する権威が日本に存在せず、馬鹿売れしていっぱしの顔をしている。下らない。
ハッキリ言ってアドラーの思想ごときに救われるなら、それは単なる人生の悩みにすぎないし、そもそも大した苦労なんてしてないよ。
トラウマに苦しむ人が発想の転換でトラウマを見て見ぬ振りして、それでその先生きていけて幸せになれるなら、そもそもまあまあ恵まれてる。
底の浅い話だ。こんなものでは世の中良くならないし、真の科学者をさしおいてて大儲けして新聞などで大きい顔をしている。
しかもアドラーはフロイトと同列で語られていてて、呆れる。同じく科学的根拠に乏しいとしても、志向の深さと真実に迫る迫力という意味ではフロイトの方がずっと格上。 そんな中でで共感して良かったと思えた人が沢山いたってのが素敵やん フロイトって何でも感でも性的なことの抑圧のせいにしちゃうからなあ。
あの時代は性的な事に関する抑圧が大きかったからだろうけど、やり過ぎ感がある。
それとフロイト自身も広場恐怖症だったんだよね。
それがなければ心理学の研究してなかったかも知れないが、研究しても治ってないよな。 >>586
同じ時代にアインシュタインも居るのだが、当時のエリート達に科学的思考が無かったとでも?
夏目漱石はアドラーと同世代だが、夏目漱石の方が偉大。
アドラーはレベル低い適当なエッセイストであり、岸見一郎は迷える現代精神を餌食に飯を食うハイエナ、人間性のゴミの結晶 >>594
人間の遺伝の本能の表象としての性欲は、発達段階で形を変えながら色々な形で表象するんだから、フロイトの言いたいことを 性欲って言葉が持つ現代一般庶民的な感覚で 理解しようとしないお前が馬鹿なだけ なるほど。
それで、ここはアドラーが好きな人の集まるスレなのですが
そうではないらしい貴方はここで何をされたいのでしょう。
二度と返ってこない人生です。
出来るだけ有意義に過ごされてはいかがですか。 ここを見に来る人って、アドラー良い悪いの議論に興味はなくて
アンチを見ると「なにしにきたん?」って思うだけってのが大半だと思ってる >>595
論調が偏ってるよ
心理学界隈全般が他の科学的と言われるものと一線を画してた
アドラーと肩を並べてたのはフロイトやユング達であって、
それぞれが違う主張をしているし、それぞれが現代への流れを作ったってだけでしょ
批判したいならその熱意を学会に論文でも提出するなりして発揮すれば良い アードラーの劣等コンプレックスのところは現代社会でも大切なところだと思いますよ。一番ね。 まあ嫌われる勇気を見て、トラウマを否定されては困るって輩が定期なのは確かだやな
治療に目を向ける為に、トラウマを分析して楽をするよりも
トラウマの目的を仮定してこれからどうするかって方向に向いてるだけなんだけどね
あとは嫌なら読まなきゃ良いってだけの話 昨今のアドラーブームでフロイト派が商売あがったりになったりしないかも気になりますな。 >>599
眉唾なトンデモ理論に感心してる君のような人間が何を考えてるのか知りたいんだよ >>603
だからアドラーは大した苦労してないから、そうやって誤魔化しが効く程度の軽傷患者にしか意味がない。
そんな好き嫌いの趣味の話になんで学問としての権威が備わっているんだ?おかしいだろ >>603
分析が正確でないとアプローチを誤るんだよ
フロイトの分析の思考は相似形で参考になるが
アドラー心理学とか岸見のそれは底が浅い、まさに最近テレビとかでよく耳にする 人生は選択の連続である、くらいの浅い話しかしてない
その程度が威張るな、と言いたい
はっきり言って潰したいね >>608
だからそれで逃げられるくらいのトラウマだったら、そもそも苦しみと呼んでいいほどの問題じゃねーよ >>609
これが落ち着いてられるかよ?発想の転換くらいでどうにかなる悩みなら、本人がとっくにそうしてる。
それは思いつきませんでしたー、アドラー先生ありがとうって、そもそもそんなに深刻な悩みじゃないからそんなことすらも自力で思い浮かべないんだろ?
いいか?俺は岸見が書いてるレベルのことは自分で読書なりネットで情報収集するなりでかなり若いうちに思いついたよ。
そうして苦難を乗り越えても、生まれの悪さと嵩になってかかってくる不幸不運の連続で、どうにもならない運命というものが俺に強く影響していると感じたよ。
そうして悩み苦しんでる俺に、ある人間が言ったんだ。アドラー心理学って知ってる?読めよって。
そこには俺がとうの昔に通り越えた、俺からすれば極めて幼い思考が、さぞかし世紀の大発見であるかのように書かれていて、その著者は大儲けして哲学者として大きな顔をしている。
ふざけるな、と。岸見ごときが哲学者?ただの流行エッセイストじゃねーか。
アドラーもな岸見もな、苦労ってものを知らないんだよ。世の中本当に苦労している人がたくさんいるんだ。舐めるのもいい加減にしろ >>612
ごめんよ笹やん
僕がもし笹やんと同じように苦悩していたとして
「アドラー心理学って知ってる?読めよ」
は、やっぱりいただけない…… >>614
ありがとう。優しいね。
俺にアドラーを勧めたやつは、俺より上の立場の人間で、騙されたと思って読めよ、と言ったよ。
その程度のやつが俺より上に君臨していて非常に困っている。
岸見一郎も>>575であるように、本を出して何年も経つのに思考の基本が進歩していない。本当にこいつを学者と呼んでいいのかよ?
日本はとことん思想が弱いな。岸見一郎は日経にも読売にも出てきてる。PHPも所詮は眉唾だな。 >>615
笹やんの苦しみがちょっと伝わったよ
少しでも嫌なヤツとの関わりが少なくなると良いね なんか昔にさ、彼女の浮気が分かって最悪な時期に相談した人から
先ずは自分から相手を信頼するんだってアドバイスされて心が焼け焦げそうになったの思い出したわ 自分の主観的な心理を客観的な真理と思い込んで周りの人に押し付けてくる人はよくいます
典型的な自我肥大ですね アドラーの信頼ってなんなのかを誤解してる人多い気がする
自分の愛している人が浮気するはずないと信じるのが信頼ではないよな
うまく言えないけど、自分の進歩と調和への道を相手が広げてくれているような感覚が信頼だと思う 個人心理学のための人生ではないから。
人生のための個人心理学なんだよ。 >>619
それの場合は信頼ではなくて期待だな。
人が自分に都合よく動いてくれるであろうという身勝手な期待または妄想。 「本願ぼこり」ならぬ「アドラーぼこり」みたいなことには気をつけたいなって思った 嬉しい限りであります。
秋葉原通り魔事件がありました。今回は犯人の弟の話です。
犯人である兄の両親は躾と称して虐待を行っていたようである。弟は成長する過程で虐待される兄を横目で見ながら、息をひそめ、矢面に立たない技術を身につけたことだろう。そして兄は事件を起こした。
弟のもとにはマスメディアが集団ストーカーのように押し寄せ、住居を移し職を転々としながら暮らしたそうだ。しかしマスコミは何処まで行っても弟の所在を嗅ぎつけた。そのとき付き合っていた彼女に、こういわれたそうだ。
あなたは犯人の弟だから、、そして結婚は彼女側の両親の反対により破談。このことが自殺の決め手では?と言われている。俺は兄とは違う、がこれは俺の運命である、というのが彼の残した言葉である。
岸見よ、彼の立場に置かれた上で課題の分離やらで幸せになってみよ。土地を変え職場を変えても、彼には生まれによる不幸から逃れられない。
どこまで逃げても、たとえ一見では周囲に悟られないことができたとしても、彼が逃げ続けたという歴史は彼のキャリアとして偽らざる歴史として残る。
面接官はいう。「あなたは職を転々とされていますね、なぜこうなったのですか」彼は本来であればつけた職業には就けないだろう。悲惨な家庭で生まれ育ち、悲惨な形で社会に放り出される。
過去のトラウマを現在理由としてでっちあげている?では彼のような境遇の人にそう言ってみるがいい。
彼を救う方法は、社会が彼を守る覚悟を持つことだけだった。しかしこうした不安も残る。「彼もいつか豹変するのではないか」彼が生き延びたとしても、常にこうした恐怖に本人も周囲も支配される。これがでっち上げだというのか。
アドラーの言い分は軽症患者にしか通用しない。学者を自負するのであれば、冒頭にその断りを入れるべきであり、あくまで元々幸せな人がより人生を豊かに生きるためのテクニックの紹介本という触れ込みとすべきである。
全ての人が考え方を変えるだけで幸せになれる?そんなのは大法螺である。そして社会はこの手の本の著者に、名声を与えてはならず、ましてや権威などはもってのほかである。 似たような話がある。ドストエフスキーのカマラーゾフの兄弟だ。
道徳的に破たんした父親のもとを母親は何らかの形で去ってしまい、父親の下で三人兄弟は育てられる。
長男は元来まともであったかも知れないが、この父親の病理を押し付けられ、健全な社会生活が困難になってしまった。
次男はそうした病理を冷徹に観察し危険から距離を保とうとすることで自分の身を守っている。三男はそうした全てから逃れるべく、物心ついた頃からまるで感情を失い、まるで聖人のような出で立ちで常に優しい微笑みをたたえている。
そして次男は当時のキリスト教の欠陥をこう暴く。人類が悔い改め行いを正せば、やがて楽園にたどり着けるとする教えに対し、次男は、行いを正せばやがて楽園にたどり着ける?俺はそんな楽園はごめんだね。
世の中には訳も分からず親に虐待され、社会から隔離されたまま密室で殺されていった子供たちが沢山いるんだ。俺はそんな血塗られた歴史の上に出来る楽園で気楽に暮らすことなどできない、まっぴらごめんだと、ね。
その後長男は冤罪の可能性が多々残る殺人事件の犯人として、大した審理を経ることなく、専ら偏見に満ちた世評を根拠に、シベリア送りの刑に処されるのである。 >>624
いくらでも理由は見つけられるよね
彼らが不幸なのもきっと本当だろう
それで、アドラーを糾弾する事でだれかが救われたりするの? >>626
>>627
麻原の三女については、こんな記事を発見した。
https://abematimes.com/posts/3863346
こういう真面目に考えようとする流れを、もっと大事にしたほうがいい。
それによって救われる人は確実にいる。 どれだけ不幸な事例を持ち出しても自分が幸せを目指すこととは
なんの因果関係もないよねってことだよ
殺人者の家族が日本の限られた表社会から拒絶されても幸せを諦める理由にはならないしね もちろんアドラー心理学自体は不幸な目にあった人に面と向かってそんなのは理由にならないっていう理論ではないけどね >>629
未熟ということは恐ろしいことだ。未熟は、人を悪魔たらしめる。お前のことだよ。 >>630
では少なくとも岸見一郎は眉唾ってことは認めるんだな?であれば>>631の前言は撤回する。 >>623
本来はアドラー心理学は自己啓発用に作られたものじゃないから、アドラーの臨床系の本を読むといいかもね。
アドラー心理学の一番の用途は教育とか子育てだからそっち学んでからってのが本当は良いんだけど、心の病が議題だとするとやっぱ臨床かな?
課題の分離云々以前に、アドラー心理学って協働関係の枠組みが重要なわけよ。 >>632
横からだけど、岸見さんの本はアドラー哲学を主に参考にした岸見哲学って感じはするね。 >>633
馬鹿がまた沸いた。
どうして俺がアドラー心理学の教育や子育て論の基調について理解してないと思ったんだ?
上から目線でアドラー読みなよ、って、まだ言ってやがる。
俺はアドラーの著書は自己啓発のテクニック本としては認めるが、権威としては認めるわけにはいかない、と言っているんだぞ。 >>634
それなら話はわかる。少なくとも俺は岸見を潰したい。 >>635
だって基本前提と共同体感覚を踏まえないで批判してるから単に理解不足かなと。
議論の土台に乗ってないのですよ。 岸見一郎の本のカバーか帯に、これはあくまで著者の個人的な見解であり、学術的な根拠がああるものではありません。また、現在の臨床や教育現場での成功を保証するものではありません。
と、書く。それであればあとは読もうが読むまいがその人の勝手である。 >>638
お前のその共同体感覚がカタワなんだよ。犠牲のない共同体なんてありえないし、犠牲に目を瞑るのは単に現実逃避である。
もっとまじめに国家や歴史、経済について考えろよ。お前らみたいなのがマジョリティでしかも民主主義だから、多数決の暴力で悲劇が生まれたり、放置されたりするんだろうが。
それの何が共同体だよ。お前らはお前らの心地よい世界に引きこもって逃げてやがる。その外で悲劇は起きるんだよ。わかるか? 共同体感覚ってほんと謎
俺も未だに理解できてないわ >>640
ほらよく理解してない。基本前提に対して批判できるようになったら付き合うよ、じゃね。 例えば原子力研究について。
これはだな、広島長崎、ビキニや福島などの悲劇があったんだ。
仮に商業発電としての原子力を手放したとして、わが国はそれでも原子力研究を世界先進レベルで継続しなければならない。
なぜか、それは悲劇を繰り返さない為なんだよ。世界先進レベルで研究を進めていないと、他の勢力の蛮行に対する対策を放棄することに為るんだ。
日本人にはその責任があるんだよ。多額の税金を投入せねばならない。
わかるか?悲劇に手を合わせて、悲劇に多少なりとも寄り添いながら、戦わなくてはならないんだ。
心理学もそれと同じだよ。悲劇に目をつむって共同体だと?笑わせるな。お前たちは人類の課題から逃げてるんだよ。
無条件な豊かさの副産物としてお前らみたいなのが生まれるのは判るが、デカい顔をするな。 >>645
そもそも眉唾なので、説明しようがありません。ぼろが出ますから。
そして>>642は卑怯な捨て台詞を吐いて逃げました。卑しい自分勝手な現実社会に逃げて、俺には俺の共同体の世界が本分で、笹みたいなのには付き合ってられない、と。
現代にあって恥ずかしい話です。 >>646
>>551の共同体感覚をベースにすれば、人類の進歩のために助け合い、研鑽し続ける真摯な態度が必要です。
トラウマはでっちあげだというのは、あまりに不真面目ではありませんか。
この手の著書には、権威を与えてはいけないのです。俺が言いたいのはそれだけです。 もういいよ毎度のこのトラウマの話題w
トラウマはない理論は岸見さんの本以外で見た事ないしオリジナルでしょ
早期回想の技法を知ってたらトラウマがないとは言い切れないし >>650
だったら岸見は歪んだ解釈を翻して読者に詫びる新著をさっさと書かなければならない。
学者を名乗るなら当然だろ?小保方の件があったのに何も成長してねーな。
西洋文化をゆがめて持ち込んで、権威を得てやがる。とんでもない商売人だな。
俺が勧告書を書いて各所に提出する必要があるな。
この人は学者という称号を与えるにはあまりに拙い。単なる自己啓発書にすぎないので、それにふさわしい扱いをしたらどうですか?と。 笹さんはどの程度までアドラー心理学を勉強したの?
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
これらは全部読んだ? 権威ってなんだ?
専門書ならともかく対話形式の大衆本に権威なんてあるか?
ドラマの件以降岸見さんはもう日本アドラー心理学会とは縁がないんじゃないか? >>651
そうだ。俺はアグレッシブだ。
だがこの国では俺の丸裸のアグレッシブさは拒絶されるので、徹底的に言論を磨く必要がある。
現実に落とし込むための日本社会の分析の精度が必要で、俺にはまだそれが足りない。
だから俺はここで吠えてストレスを発散している。 >>654
俺が使った権威という言葉は、大衆にとっての露出度の多さと知名度という、現代社会では圧倒的な影響力があるそれを指している。 >>653
嫌われる勇気しか読んでないよ。
どの本がまともなんだ?教えてくれ。
俺には資源が限られている。あなたのアドバイスがあればありがたい。 >>656
大衆の知名度は得票数に直結するので、そういう意味では民放は一般紙は、権威があると言える。
ただ、格式が伴う権威という意味では使っていない。 >>658
わかったよ。ここは俺の為だけにあるわけじゃない。言いたいことはほぼ言った。もう暴れるのはよそう。みんなありがとう。気分を害した方は、すまなかった。 >>657
人はなぜ神経症になるのか
日本のアドラー心理学はドライカースの系譜だからアドラーの論理を知りたいならこれじゃない?
体系化される以前のものだし、お嫌いな共同体感覚ばかり出てきて疲れるかもだけど >>657
アドラー“実践"講義がいいと思う
嫌われる勇気だけだとどうしても解釈に偏りが出ると思うから >>661
>>662
ありがとう。読むことを約束します。
いつになるかわからないし、読んでもらえるか分かりませんが、感想はこのスレに笹の名前で記します。
そしてあなた方のアドバイスを、役に立てていきたいと思います。
ありがとう。 >>645
最近共同体感覚について考えててだれも説明してない角度からの個人的理解でいうと、
全体論は自分の中に矛盾や葛藤はないとする考え方
そのかわりにアドラー心理学では矛盾や葛藤を対人関係の課題として捉えるわけだ
その、対人関係の矛盾や葛藤を協力関係に向けて統合したり役割分担しようとする態度を共同体感覚って言うんじゃないかと思ってた
わかりにくいなごめんねw >>660
このスレ暴れるとちゃんと反論が返ってきて盛り上がるから楽しいよな
おつかれ >>551
人類の進化なんてどうでもいいぜ〜って思ってる人には共同体感覚は持てないのかしら?
>>664
わかりにきいっすw
どうしてもちゃんと理解してると思われる人の話は抽象的だなあと感じて(__;)
具体的な例で何かないですかね
それとも具体的な簡単な言い方にしてしまうと、結局ちゃんと説明しきれず誤解を招いてしまうのかなあ >>661上
どうでも良くてもなんだかんだでそっちの方向に向かってるって感じかな?
劣等感の補填の論理で、人は主観的にマイナスからプラスに向かってるっていう目標追求性ってアドラーの前提があるよね?
それがみんな「建設的に」目標追求すれば協力的な社会ができあがるってのがアドラーの理想のイメージなわけだから、力合わせてるよねって感じ >>667
どうでもいいぜーと思ってるとしても
今まさに生きようとしてるということはマイナスからプラスへの目標追求性を持っているということですね。
ありがとうございます、納得できた気がします >>666
簡単な言い方にしてしまうと
「ダメなところも含めて自分が好きで、人の嫌なところも含めて信頼できると思えて、だからこそ人の役に立てるし立ちたいと思える感覚」って事でしょ
めちゃくちゃ抽象的だけど 見知らぬあなたを親しいあなたと捉えなおす感覚
どう? みなさんの聞いてると聖人君子のようなイメージだなあ
その感覚を持とう、持った方が幸せになる、生きやすくなるという論理が理解できてないとダメだんでしょうね
ということ僕も本を読んだりして勉強します >>672
うーん聖人君子って感じじゃないと思うんだよなー
例えば自分の子供が万引きしたとするじゃん?
怒鳴りつけるわけでも、なんとか隠蔽しようとするわけでもなく、「ばかだなー、人に迷惑かけるようなことしちゃいかんでしょ、ちゃんと店員さんに謝って、警察にも説明して反省してこい、な?」って感じだろね 共同体感覚の反対は幸せか?と考えたらイメージし易いかも?
自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
世の中は敵だらけで関わりたくない
むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
そんな毎日とは反対方向に生きた方が自由だし楽しいよってのが共同体感覚でしょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています