アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
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アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 >>614
ありがとう。優しいね。
俺にアドラーを勧めたやつは、俺より上の立場の人間で、騙されたと思って読めよ、と言ったよ。
その程度のやつが俺より上に君臨していて非常に困っている。
岸見一郎も>>575であるように、本を出して何年も経つのに思考の基本が進歩していない。本当にこいつを学者と呼んでいいのかよ?
日本はとことん思想が弱いな。岸見一郎は日経にも読売にも出てきてる。PHPも所詮は眉唾だな。 >>615
笹やんの苦しみがちょっと伝わったよ
少しでも嫌なヤツとの関わりが少なくなると良いね なんか昔にさ、彼女の浮気が分かって最悪な時期に相談した人から
先ずは自分から相手を信頼するんだってアドバイスされて心が焼け焦げそうになったの思い出したわ 自分の主観的な心理を客観的な真理と思い込んで周りの人に押し付けてくる人はよくいます
典型的な自我肥大ですね アドラーの信頼ってなんなのかを誤解してる人多い気がする
自分の愛している人が浮気するはずないと信じるのが信頼ではないよな
うまく言えないけど、自分の進歩と調和への道を相手が広げてくれているような感覚が信頼だと思う 個人心理学のための人生ではないから。
人生のための個人心理学なんだよ。 >>619
それの場合は信頼ではなくて期待だな。
人が自分に都合よく動いてくれるであろうという身勝手な期待または妄想。 「本願ぼこり」ならぬ「アドラーぼこり」みたいなことには気をつけたいなって思った 嬉しい限りであります。
秋葉原通り魔事件がありました。今回は犯人の弟の話です。
犯人である兄の両親は躾と称して虐待を行っていたようである。弟は成長する過程で虐待される兄を横目で見ながら、息をひそめ、矢面に立たない技術を身につけたことだろう。そして兄は事件を起こした。
弟のもとにはマスメディアが集団ストーカーのように押し寄せ、住居を移し職を転々としながら暮らしたそうだ。しかしマスコミは何処まで行っても弟の所在を嗅ぎつけた。そのとき付き合っていた彼女に、こういわれたそうだ。
あなたは犯人の弟だから、、そして結婚は彼女側の両親の反対により破談。このことが自殺の決め手では?と言われている。俺は兄とは違う、がこれは俺の運命である、というのが彼の残した言葉である。
岸見よ、彼の立場に置かれた上で課題の分離やらで幸せになってみよ。土地を変え職場を変えても、彼には生まれによる不幸から逃れられない。
どこまで逃げても、たとえ一見では周囲に悟られないことができたとしても、彼が逃げ続けたという歴史は彼のキャリアとして偽らざる歴史として残る。
面接官はいう。「あなたは職を転々とされていますね、なぜこうなったのですか」彼は本来であればつけた職業には就けないだろう。悲惨な家庭で生まれ育ち、悲惨な形で社会に放り出される。
過去のトラウマを現在理由としてでっちあげている?では彼のような境遇の人にそう言ってみるがいい。
彼を救う方法は、社会が彼を守る覚悟を持つことだけだった。しかしこうした不安も残る。「彼もいつか豹変するのではないか」彼が生き延びたとしても、常にこうした恐怖に本人も周囲も支配される。これがでっち上げだというのか。
アドラーの言い分は軽症患者にしか通用しない。学者を自負するのであれば、冒頭にその断りを入れるべきであり、あくまで元々幸せな人がより人生を豊かに生きるためのテクニックの紹介本という触れ込みとすべきである。
全ての人が考え方を変えるだけで幸せになれる?そんなのは大法螺である。そして社会はこの手の本の著者に、名声を与えてはならず、ましてや権威などはもってのほかである。 似たような話がある。ドストエフスキーのカマラーゾフの兄弟だ。
道徳的に破たんした父親のもとを母親は何らかの形で去ってしまい、父親の下で三人兄弟は育てられる。
長男は元来まともであったかも知れないが、この父親の病理を押し付けられ、健全な社会生活が困難になってしまった。
次男はそうした病理を冷徹に観察し危険から距離を保とうとすることで自分の身を守っている。三男はそうした全てから逃れるべく、物心ついた頃からまるで感情を失い、まるで聖人のような出で立ちで常に優しい微笑みをたたえている。
そして次男は当時のキリスト教の欠陥をこう暴く。人類が悔い改め行いを正せば、やがて楽園にたどり着けるとする教えに対し、次男は、行いを正せばやがて楽園にたどり着ける?俺はそんな楽園はごめんだね。
世の中には訳も分からず親に虐待され、社会から隔離されたまま密室で殺されていった子供たちが沢山いるんだ。俺はそんな血塗られた歴史の上に出来る楽園で気楽に暮らすことなどできない、まっぴらごめんだと、ね。
その後長男は冤罪の可能性が多々残る殺人事件の犯人として、大した審理を経ることなく、専ら偏見に満ちた世評を根拠に、シベリア送りの刑に処されるのである。 >>624
いくらでも理由は見つけられるよね
彼らが不幸なのもきっと本当だろう
それで、アドラーを糾弾する事でだれかが救われたりするの? >>626
>>627
麻原の三女については、こんな記事を発見した。
https://abematimes.com/posts/3863346
こういう真面目に考えようとする流れを、もっと大事にしたほうがいい。
それによって救われる人は確実にいる。 どれだけ不幸な事例を持ち出しても自分が幸せを目指すこととは
なんの因果関係もないよねってことだよ
殺人者の家族が日本の限られた表社会から拒絶されても幸せを諦める理由にはならないしね もちろんアドラー心理学自体は不幸な目にあった人に面と向かってそんなのは理由にならないっていう理論ではないけどね >>629
未熟ということは恐ろしいことだ。未熟は、人を悪魔たらしめる。お前のことだよ。 >>630
では少なくとも岸見一郎は眉唾ってことは認めるんだな?であれば>>631の前言は撤回する。 >>623
本来はアドラー心理学は自己啓発用に作られたものじゃないから、アドラーの臨床系の本を読むといいかもね。
アドラー心理学の一番の用途は教育とか子育てだからそっち学んでからってのが本当は良いんだけど、心の病が議題だとするとやっぱ臨床かな?
課題の分離云々以前に、アドラー心理学って協働関係の枠組みが重要なわけよ。 >>632
横からだけど、岸見さんの本はアドラー哲学を主に参考にした岸見哲学って感じはするね。 >>633
馬鹿がまた沸いた。
どうして俺がアドラー心理学の教育や子育て論の基調について理解してないと思ったんだ?
上から目線でアドラー読みなよ、って、まだ言ってやがる。
俺はアドラーの著書は自己啓発のテクニック本としては認めるが、権威としては認めるわけにはいかない、と言っているんだぞ。 >>634
それなら話はわかる。少なくとも俺は岸見を潰したい。 >>635
だって基本前提と共同体感覚を踏まえないで批判してるから単に理解不足かなと。
議論の土台に乗ってないのですよ。 岸見一郎の本のカバーか帯に、これはあくまで著者の個人的な見解であり、学術的な根拠がああるものではありません。また、現在の臨床や教育現場での成功を保証するものではありません。
と、書く。それであればあとは読もうが読むまいがその人の勝手である。 >>638
お前のその共同体感覚がカタワなんだよ。犠牲のない共同体なんてありえないし、犠牲に目を瞑るのは単に現実逃避である。
もっとまじめに国家や歴史、経済について考えろよ。お前らみたいなのがマジョリティでしかも民主主義だから、多数決の暴力で悲劇が生まれたり、放置されたりするんだろうが。
それの何が共同体だよ。お前らはお前らの心地よい世界に引きこもって逃げてやがる。その外で悲劇は起きるんだよ。わかるか? 共同体感覚ってほんと謎
俺も未だに理解できてないわ >>640
ほらよく理解してない。基本前提に対して批判できるようになったら付き合うよ、じゃね。 例えば原子力研究について。
これはだな、広島長崎、ビキニや福島などの悲劇があったんだ。
仮に商業発電としての原子力を手放したとして、わが国はそれでも原子力研究を世界先進レベルで継続しなければならない。
なぜか、それは悲劇を繰り返さない為なんだよ。世界先進レベルで研究を進めていないと、他の勢力の蛮行に対する対策を放棄することに為るんだ。
日本人にはその責任があるんだよ。多額の税金を投入せねばならない。
わかるか?悲劇に手を合わせて、悲劇に多少なりとも寄り添いながら、戦わなくてはならないんだ。
心理学もそれと同じだよ。悲劇に目をつむって共同体だと?笑わせるな。お前たちは人類の課題から逃げてるんだよ。
無条件な豊かさの副産物としてお前らみたいなのが生まれるのは判るが、デカい顔をするな。 >>645
そもそも眉唾なので、説明しようがありません。ぼろが出ますから。
そして>>642は卑怯な捨て台詞を吐いて逃げました。卑しい自分勝手な現実社会に逃げて、俺には俺の共同体の世界が本分で、笹みたいなのには付き合ってられない、と。
現代にあって恥ずかしい話です。 >>646
>>551の共同体感覚をベースにすれば、人類の進歩のために助け合い、研鑽し続ける真摯な態度が必要です。
トラウマはでっちあげだというのは、あまりに不真面目ではありませんか。
この手の著書には、権威を与えてはいけないのです。俺が言いたいのはそれだけです。 もういいよ毎度のこのトラウマの話題w
トラウマはない理論は岸見さんの本以外で見た事ないしオリジナルでしょ
早期回想の技法を知ってたらトラウマがないとは言い切れないし >>650
だったら岸見は歪んだ解釈を翻して読者に詫びる新著をさっさと書かなければならない。
学者を名乗るなら当然だろ?小保方の件があったのに何も成長してねーな。
西洋文化をゆがめて持ち込んで、権威を得てやがる。とんでもない商売人だな。
俺が勧告書を書いて各所に提出する必要があるな。
この人は学者という称号を与えるにはあまりに拙い。単なる自己啓発書にすぎないので、それにふさわしい扱いをしたらどうですか?と。 笹さんはどの程度までアドラー心理学を勉強したの?
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
これらは全部読んだ? 権威ってなんだ?
専門書ならともかく対話形式の大衆本に権威なんてあるか?
ドラマの件以降岸見さんはもう日本アドラー心理学会とは縁がないんじゃないか? >>651
そうだ。俺はアグレッシブだ。
だがこの国では俺の丸裸のアグレッシブさは拒絶されるので、徹底的に言論を磨く必要がある。
現実に落とし込むための日本社会の分析の精度が必要で、俺にはまだそれが足りない。
だから俺はここで吠えてストレスを発散している。 >>654
俺が使った権威という言葉は、大衆にとっての露出度の多さと知名度という、現代社会では圧倒的な影響力があるそれを指している。 >>653
嫌われる勇気しか読んでないよ。
どの本がまともなんだ?教えてくれ。
俺には資源が限られている。あなたのアドバイスがあればありがたい。 >>656
大衆の知名度は得票数に直結するので、そういう意味では民放は一般紙は、権威があると言える。
ただ、格式が伴う権威という意味では使っていない。 >>658
わかったよ。ここは俺の為だけにあるわけじゃない。言いたいことはほぼ言った。もう暴れるのはよそう。みんなありがとう。気分を害した方は、すまなかった。 >>657
人はなぜ神経症になるのか
日本のアドラー心理学はドライカースの系譜だからアドラーの論理を知りたいならこれじゃない?
体系化される以前のものだし、お嫌いな共同体感覚ばかり出てきて疲れるかもだけど >>657
アドラー“実践"講義がいいと思う
嫌われる勇気だけだとどうしても解釈に偏りが出ると思うから >>661
>>662
ありがとう。読むことを約束します。
いつになるかわからないし、読んでもらえるか分かりませんが、感想はこのスレに笹の名前で記します。
そしてあなた方のアドバイスを、役に立てていきたいと思います。
ありがとう。 >>645
最近共同体感覚について考えててだれも説明してない角度からの個人的理解でいうと、
全体論は自分の中に矛盾や葛藤はないとする考え方
そのかわりにアドラー心理学では矛盾や葛藤を対人関係の課題として捉えるわけだ
その、対人関係の矛盾や葛藤を協力関係に向けて統合したり役割分担しようとする態度を共同体感覚って言うんじゃないかと思ってた
わかりにくいなごめんねw >>660
このスレ暴れるとちゃんと反論が返ってきて盛り上がるから楽しいよな
おつかれ >>551
人類の進化なんてどうでもいいぜ〜って思ってる人には共同体感覚は持てないのかしら?
>>664
わかりにきいっすw
どうしてもちゃんと理解してると思われる人の話は抽象的だなあと感じて(__;)
具体的な例で何かないですかね
それとも具体的な簡単な言い方にしてしまうと、結局ちゃんと説明しきれず誤解を招いてしまうのかなあ >>661上
どうでも良くてもなんだかんだでそっちの方向に向かってるって感じかな?
劣等感の補填の論理で、人は主観的にマイナスからプラスに向かってるっていう目標追求性ってアドラーの前提があるよね?
それがみんな「建設的に」目標追求すれば協力的な社会ができあがるってのがアドラーの理想のイメージなわけだから、力合わせてるよねって感じ >>667
どうでもいいぜーと思ってるとしても
今まさに生きようとしてるということはマイナスからプラスへの目標追求性を持っているということですね。
ありがとうございます、納得できた気がします >>666
簡単な言い方にしてしまうと
「ダメなところも含めて自分が好きで、人の嫌なところも含めて信頼できると思えて、だからこそ人の役に立てるし立ちたいと思える感覚」って事でしょ
めちゃくちゃ抽象的だけど 見知らぬあなたを親しいあなたと捉えなおす感覚
どう? みなさんの聞いてると聖人君子のようなイメージだなあ
その感覚を持とう、持った方が幸せになる、生きやすくなるという論理が理解できてないとダメだんでしょうね
ということ僕も本を読んだりして勉強します >>672
うーん聖人君子って感じじゃないと思うんだよなー
例えば自分の子供が万引きしたとするじゃん?
怒鳴りつけるわけでも、なんとか隠蔽しようとするわけでもなく、「ばかだなー、人に迷惑かけるようなことしちゃいかんでしょ、ちゃんと店員さんに謝って、警察にも説明して反省してこい、な?」って感じだろね 共同体感覚の反対は幸せか?と考えたらイメージし易いかも?
自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
世の中は敵だらけで関わりたくない
むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
そんな毎日とは反対方向に生きた方が自由だし楽しいよってのが共同体感覚でしょう >>674
>自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
>世の中は敵だらけで関わりたくない
>むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
笹やん… >>673
わかんないなあ、それって普通のことなんじゃないの?
それと共同体感覚がどうつながってるの?
>>674
三つのうち二つはわかるけど
世の中は敵だらけで関わりたくないというのは少しそういう思いが自分の中にもあるかも >>676
息子が社会的結末から学んで成長できることを信頼していて、さらに周りの人達に任せることができている態度
共同体感覚の反対が自己執着だとすると、怒鳴るとか隠蔽するは自己執着に意識が向いてしまってるよね
共同体感覚って誰でも持ってる普通の感覚だと思うよ >>677
なんとなく分かるような分からないような感じ
自分は子供はいないけど、もしいたとしてその子供が万引きしたら
「何で万引きしたらダメだと思う?」って聞くかもしれない
これってどうなんだろう >>645
個人が生きる究極目標は
社会の中に居場所を見つけ出し
所属をとげて人から愛されて
仲間と一緒に暮していけること
ここを理解して、相手を尊重して、貢献しようとすること
あなたが敵だと思っている人も居場所を見つけるために競合的な方法を取ってしまってるんだと思えれば、相互の所属のためになにか私にできることはないかな?
に変わる >>678
すごくいい方法だと思う
上にもあるように自他共に所属するための援助って感じ >>679
むっちゃわかりやすかったです!
最初の四行はまさに今実感として理解した部分なのですっと入ってきた
なるほど、相互の所属かー。
自分カタギじゃなくて芸術に生きる身なので、周りはライバルと思うことが多かったんですが
この考え方ならもう少しうまくやっていけそう、どうもありがとう 競合的ってのは自分が所属するために相手の所属を妨害することだから >>678
どうかな。相手と共通認識を得ようとせずに、「ダメ」だと表示する状況は、アドラー的には望ましくないと思います。
つまりその言葉を受けた相手が競合的になる可能性が高いからですね。
ある子供は大人に正誤を判断されて「自分には善悪を判断する能力がないんだ」と自信を失いそうですし、
ある子供はダメだという言葉に反発して、「俺はダメじゃない、ふざけるな」と怒りそうです。
また、ある子供は「自分と世界は相容れないんだ」と、つまり役に立ちたくないと思いそうです。
これはそれぞれ自己受容、他者信頼、他者貢献の阻害ですね。
人間はそれぞれ自分の善に従って行動していますから、集団の論理から頭ごなしに否定されると、個としての生存確保アンド他者存在の無視に走る訳です。
これが競合。
アドラーの場合はまず裁くのを保留して、共通認識、共通の善悪を作ります。
「今回は許してもらえたけど、そのまま万引きを繰り返すと君は警察に捕まっちゃうんじゃない?」とか。
「相手も君も喜ぶにはどうすればいいんだろうね?」とかね。善悪を放棄して投げるだけです。
これは押し付けません。
相手が聞きたくないというなら離れます。
集団の中で生きるということは、集団の利益と個の利益をすり合わせるということです。
これが協力。
子供は痛い目を見てそれを学びます。
あるときには上記の言葉がヒントになります。
時間はかかりますが、自己選択していきます。
しかし時間がかかるのを待ちきれず、学びの途中で全体の論理を押し付けられると、子供は自分は間違っていないと意固地になったり、集団に参加する気をなくしてしまい、最後には表面上だけ従うようになります。
そちらの方が時間がかからないから競合的教育は選ばれ、そして根深いわけです。
アドラー的治療における共同体感覚は、教育ではなく、認知的ストラテジーの中で育まれます。
実際に協力体験を成功させて認知を変えてしまう。
協力的な生き方は集団と調和しますので、心地よく、ふつう競合には戻りません。
このようにアドラーは競合的認知に対する治療薬なんですね。 笹やんの勇気のスパイラル
勇気がくじかれる方向へ
賞賛の要求
「俺は岸見が書いているレベルのことは自分でかなり若いうちに思いついたよ。」
注意喚起
「アドラー心理学は単なる思考の手引書。真理ではない。」
権力争い
「未熟は人を悪魔たらしめる。お前のことだよ。」
復讐
「岸見を潰す」
無能の証明
「そうして苦難を乗り越えても、生まれの悪さと嵩になってかかってくる不幸不運の連続で、どうにもならない運命というものが俺に強く影響していると感じたよ。」
勇気が育つ方向へ
尊敬しよう!
「ありがとう。優しいね。」
信頼しよう!
「あなた方のアドバイスを役に立てていきたいと思います。」
目標の一致させよう!
「読むことを約束します。」
協力しよう!
「わかったよ。ここは俺だけのためにあるわけじゃない。もう暴れるのはよそう。」 >>683
どの説明にも納得しました。
私のやり方は悪手だったようですね。
質問なのですが>>679さんの見解についてはどう思いますか? 疫病、公害、戦争、難民
アドラー心理学で出来ないことだってある
地獄で必要なのはドヤ顔の悟りじゃない
なけなしの施しと絞り出した知恵 紛争地域に赴いて銃撃戦しながらなんとかしてWiFiの電波を拾ってでも2chにアドラーの役に立たない点を命がけで書き込む戦士なんだろ >>685
俺、>>679だけど上の4行は野田さんが作った共同体感覚の歌の一節だよ
http://adler.cside.com/library/gemeinschaft.pdf
俺がドヤ顔で説明するより直接読んだ方がわかりやすいかもね >>685
同意しますね。
あえて注釈をつけるなら、自分が「競合的だなあ」と思っている相手がリアルで目の前に居たとするなら、
「そう思う自分もまた競合的なのである」という自覚は必要だと思います。
もちろん、程度の差は確固ありますが。
競合は、自己の生存、自分の意見、自分の立場を守るために行使される原始的な生理機能です。
共同体感覚の正しいポジションを心中に得たしても、自分という個が他を圧して利をはかる競合性をゼロにすることは(おそらく)かなわないと私は思っています。
つまり集団と基本調和的でありながら、例外として個の利益に走るのがアドレリアンだということですね。
あのアドラーも野田さんも、激することがあったようですし、完全な協力には宗教レベルの無私が必要だともいわれます。
しかし、競合的な性質は、アドラーの手法によってより集団親和的な、協力的な性質へと認知的改善が可能です。
競合モードへ無用に陥る機会は減らせますし、機を見て抑止することも可能になります。
普通の人(笑)はそんなこと出来ませんからね。
怒るとき、人は怒るだけですし、仲違いした相手と復縁するのは自他の感情に揉みくちゃにされて大変です。
しかし、アドラーであればいずれの事態も圧倒的にコントロール可能になりますし、やりたいなら中心に立って、平和でクレバーな状態に場を持っていける。
集団と調和するというのはそういうことですね。
宗教まで手が出ない一般人には、これで十分だとも思っています。
それとアドラーの技法には、幅広い対応力がありますしね。
課題分離と課題共同化、葛藤解決、エピソード分析、陰性感情の働き、言葉遣いの原則、その他、さらに理解を深めれば、他の流派の技ですら(技法レベルで)行使できる。
この現実味溢れた技法の駆使は、宗教だけではちょっと無理だ。
勉強すればするほどリアルで役に立つのがアドラーのいいとこです。 エピソード分析は実際かなり使えるからおすすめだよ
毎日寝る前にでもやったらいい
競合性がどんどんなくなっていくのが数日でわかる >>693
ググってみたけど分析方法がのってるサイトがなかったです
やり方がわかる書籍はありますか? >>694
パセージプラス
アドラー心理学会にメールすれば買えるよ >>648
なんか、真剣に考えてる俺すげえ、みんな俺を尊敬しろ、って言ってるだけのような気がする
建設的に生きるというのは、もっと簡単なことなんでね、傷つくかもしれないけど
誰でもどの瞬間からでも、幸福に生きる未来を選べる、それがアドラーの思想だから >>686は理解を示してくれたが
加藤の話、カラマーゾフの話、原子力の話
この3つをもってして心に響かないのであれば、
話す相手を間違えたということだ。 >>698
何人かは理解を示して答えてくれていたので、それだけ信じる。 やるべきことをやる
それこそアドラー心理学と相性の良い考え方なんだけどね 自分の人生とは無関係の書籍著者を逆恨みする。。。
黒子のバスケ事件の犯人と気が合いそうだ >>657
笹さん、「アドラー実践講義」なんてkindleで買って1時間で読めるよ
あなたの「限られた資源」をいつまでも5chに的外れな書き込みを繰り返す事に使うよりもよほど有意義に使えると思うから読んでみそ >>636
あなたの限られた資源を岸見を潰すために使うのですね >>681
それなんとなくわかる気がする
俺は芸術というかクリエイター職なんだ
世の中にないものを生み出すのは俺にしかできない事なんだーみたいな傲慢とも呼べるエネルギーがあるから徹底的に仕事にコミットはできる
でも自分の価値を高く見積もるからこそ周りの人達の価値を相対的に低く見積もってしまうような葛藤がそこにはある >>704
おお、同じような境遇だ
僕はミュージシャンでやってるんですが、やはりミュージシャン同士で競合的に感じてしまうんですよね。
「あいつより俺の方が良い演奏出来るはずなのにどうしてあいつの方が仕事が来るんだ」
とか否定的な考えが生まれてしまう いいものを作りたいなら、他人と比べてる暇を練習にぶち込めよ
それができない時点でもう二流確定 芸術やアーティスト系、マーケット系こそ他と自分を競合させるのが無意味な職業は無いと思う
逆に競合させるから負けるんじゃない?
自分にしかできないものを作れば良い カントは、「天才はオリジナリティ、二流はイミテーション」と言ったけど
ベルクソンは、他人を見たとき「私もああなりたい。せめて真似したい」
と思うのが道徳の根本感情だ。と言った >>699
言い方は荒いが主張は伝わった
自分も改めて考えるきっかけになった
課題を分離してそれぞれができることを見極めて共同体を作る
これは大前提のグラウンドルールで課題を解決するには具体的な場所、期間、方法、役割、資源を話し合うのが大事
課題を分離しただけじゃ共同体は改善されない
共同体を作り運営していくうちに課題が次々現れる
そしてまた課題の分離、話し合い、共同体の再編成を繰り返す
アドラー学会が認知行動療法に関連付けた論文を出してるのもそういった流れだと解釈できる
http://adler.cside.ne.jp/library/index.html#063
http://adler.cside.ne.jp/database/063/063_02_nakajima.pdf
http://adler.cside.ne.jp/database/010/010_03_ito.pdf
教育は介入ともお仕着せともとれてあまり好きじゃない
協同的経験主義が固いけどいい表現だと思った 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V つい自分は仕事を失敗すると出来るのが当たり前と考えがちですが
それは自分を非難してるのではなく成そうとしていることを恐ろしく低く見積もっているあまりにも不遜で傲慢な態度
という見方も出来るんですね
言われたことも言われた通りに出来なければ、誰かから指摘されたら…そうならないように正しく仕事しなければ…それもてきぱきと
出来るのが当たり前全ては自分次第で変えられる
どうしたってこの考えは消せないですね これからどうするか
自分にとってはこれ程怖い言葉もない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています