アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 共同体感覚の反対は幸せか?と考えたらイメージし易いかも?
自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
世の中は敵だらけで関わりたくない
むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
そんな毎日とは反対方向に生きた方が自由だし楽しいよってのが共同体感覚でしょう >>674
>自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
>世の中は敵だらけで関わりたくない
>むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
笹やん… >>673
わかんないなあ、それって普通のことなんじゃないの?
それと共同体感覚がどうつながってるの?
>>674
三つのうち二つはわかるけど
世の中は敵だらけで関わりたくないというのは少しそういう思いが自分の中にもあるかも >>676
息子が社会的結末から学んで成長できることを信頼していて、さらに周りの人達に任せることができている態度
共同体感覚の反対が自己執着だとすると、怒鳴るとか隠蔽するは自己執着に意識が向いてしまってるよね
共同体感覚って誰でも持ってる普通の感覚だと思うよ >>677
なんとなく分かるような分からないような感じ
自分は子供はいないけど、もしいたとしてその子供が万引きしたら
「何で万引きしたらダメだと思う?」って聞くかもしれない
これってどうなんだろう >>645
個人が生きる究極目標は
社会の中に居場所を見つけ出し
所属をとげて人から愛されて
仲間と一緒に暮していけること
ここを理解して、相手を尊重して、貢献しようとすること
あなたが敵だと思っている人も居場所を見つけるために競合的な方法を取ってしまってるんだと思えれば、相互の所属のためになにか私にできることはないかな?
に変わる >>678
すごくいい方法だと思う
上にもあるように自他共に所属するための援助って感じ >>679
むっちゃわかりやすかったです!
最初の四行はまさに今実感として理解した部分なのですっと入ってきた
なるほど、相互の所属かー。
自分カタギじゃなくて芸術に生きる身なので、周りはライバルと思うことが多かったんですが
この考え方ならもう少しうまくやっていけそう、どうもありがとう 競合的ってのは自分が所属するために相手の所属を妨害することだから >>678
どうかな。相手と共通認識を得ようとせずに、「ダメ」だと表示する状況は、アドラー的には望ましくないと思います。
つまりその言葉を受けた相手が競合的になる可能性が高いからですね。
ある子供は大人に正誤を判断されて「自分には善悪を判断する能力がないんだ」と自信を失いそうですし、
ある子供はダメだという言葉に反発して、「俺はダメじゃない、ふざけるな」と怒りそうです。
また、ある子供は「自分と世界は相容れないんだ」と、つまり役に立ちたくないと思いそうです。
これはそれぞれ自己受容、他者信頼、他者貢献の阻害ですね。
人間はそれぞれ自分の善に従って行動していますから、集団の論理から頭ごなしに否定されると、個としての生存確保アンド他者存在の無視に走る訳です。
これが競合。
アドラーの場合はまず裁くのを保留して、共通認識、共通の善悪を作ります。
「今回は許してもらえたけど、そのまま万引きを繰り返すと君は警察に捕まっちゃうんじゃない?」とか。
「相手も君も喜ぶにはどうすればいいんだろうね?」とかね。善悪を放棄して投げるだけです。
これは押し付けません。
相手が聞きたくないというなら離れます。
集団の中で生きるということは、集団の利益と個の利益をすり合わせるということです。
これが協力。
子供は痛い目を見てそれを学びます。
あるときには上記の言葉がヒントになります。
時間はかかりますが、自己選択していきます。
しかし時間がかかるのを待ちきれず、学びの途中で全体の論理を押し付けられると、子供は自分は間違っていないと意固地になったり、集団に参加する気をなくしてしまい、最後には表面上だけ従うようになります。
そちらの方が時間がかからないから競合的教育は選ばれ、そして根深いわけです。
アドラー的治療における共同体感覚は、教育ではなく、認知的ストラテジーの中で育まれます。
実際に協力体験を成功させて認知を変えてしまう。
協力的な生き方は集団と調和しますので、心地よく、ふつう競合には戻りません。
このようにアドラーは競合的認知に対する治療薬なんですね。 笹やんの勇気のスパイラル
勇気がくじかれる方向へ
賞賛の要求
「俺は岸見が書いているレベルのことは自分でかなり若いうちに思いついたよ。」
注意喚起
「アドラー心理学は単なる思考の手引書。真理ではない。」
権力争い
「未熟は人を悪魔たらしめる。お前のことだよ。」
復讐
「岸見を潰す」
無能の証明
「そうして苦難を乗り越えても、生まれの悪さと嵩になってかかってくる不幸不運の連続で、どうにもならない運命というものが俺に強く影響していると感じたよ。」
勇気が育つ方向へ
尊敬しよう!
「ありがとう。優しいね。」
信頼しよう!
「あなた方のアドバイスを役に立てていきたいと思います。」
目標の一致させよう!
「読むことを約束します。」
協力しよう!
「わかったよ。ここは俺だけのためにあるわけじゃない。もう暴れるのはよそう。」 >>683
どの説明にも納得しました。
私のやり方は悪手だったようですね。
質問なのですが>>679さんの見解についてはどう思いますか? 疫病、公害、戦争、難民
アドラー心理学で出来ないことだってある
地獄で必要なのはドヤ顔の悟りじゃない
なけなしの施しと絞り出した知恵 紛争地域に赴いて銃撃戦しながらなんとかしてWiFiの電波を拾ってでも2chにアドラーの役に立たない点を命がけで書き込む戦士なんだろ >>685
俺、>>679だけど上の4行は野田さんが作った共同体感覚の歌の一節だよ
http://adler.cside.com/library/gemeinschaft.pdf
俺がドヤ顔で説明するより直接読んだ方がわかりやすいかもね >>685
同意しますね。
あえて注釈をつけるなら、自分が「競合的だなあ」と思っている相手がリアルで目の前に居たとするなら、
「そう思う自分もまた競合的なのである」という自覚は必要だと思います。
もちろん、程度の差は確固ありますが。
競合は、自己の生存、自分の意見、自分の立場を守るために行使される原始的な生理機能です。
共同体感覚の正しいポジションを心中に得たしても、自分という個が他を圧して利をはかる競合性をゼロにすることは(おそらく)かなわないと私は思っています。
つまり集団と基本調和的でありながら、例外として個の利益に走るのがアドレリアンだということですね。
あのアドラーも野田さんも、激することがあったようですし、完全な協力には宗教レベルの無私が必要だともいわれます。
しかし、競合的な性質は、アドラーの手法によってより集団親和的な、協力的な性質へと認知的改善が可能です。
競合モードへ無用に陥る機会は減らせますし、機を見て抑止することも可能になります。
普通の人(笑)はそんなこと出来ませんからね。
怒るとき、人は怒るだけですし、仲違いした相手と復縁するのは自他の感情に揉みくちゃにされて大変です。
しかし、アドラーであればいずれの事態も圧倒的にコントロール可能になりますし、やりたいなら中心に立って、平和でクレバーな状態に場を持っていける。
集団と調和するというのはそういうことですね。
宗教まで手が出ない一般人には、これで十分だとも思っています。
それとアドラーの技法には、幅広い対応力がありますしね。
課題分離と課題共同化、葛藤解決、エピソード分析、陰性感情の働き、言葉遣いの原則、その他、さらに理解を深めれば、他の流派の技ですら(技法レベルで)行使できる。
この現実味溢れた技法の駆使は、宗教だけではちょっと無理だ。
勉強すればするほどリアルで役に立つのがアドラーのいいとこです。 エピソード分析は実際かなり使えるからおすすめだよ
毎日寝る前にでもやったらいい
競合性がどんどんなくなっていくのが数日でわかる >>693
ググってみたけど分析方法がのってるサイトがなかったです
やり方がわかる書籍はありますか? >>694
パセージプラス
アドラー心理学会にメールすれば買えるよ >>648
なんか、真剣に考えてる俺すげえ、みんな俺を尊敬しろ、って言ってるだけのような気がする
建設的に生きるというのは、もっと簡単なことなんでね、傷つくかもしれないけど
誰でもどの瞬間からでも、幸福に生きる未来を選べる、それがアドラーの思想だから >>686は理解を示してくれたが
加藤の話、カラマーゾフの話、原子力の話
この3つをもってして心に響かないのであれば、
話す相手を間違えたということだ。 >>698
何人かは理解を示して答えてくれていたので、それだけ信じる。 やるべきことをやる
それこそアドラー心理学と相性の良い考え方なんだけどね 自分の人生とは無関係の書籍著者を逆恨みする。。。
黒子のバスケ事件の犯人と気が合いそうだ >>657
笹さん、「アドラー実践講義」なんてkindleで買って1時間で読めるよ
あなたの「限られた資源」をいつまでも5chに的外れな書き込みを繰り返す事に使うよりもよほど有意義に使えると思うから読んでみそ >>636
あなたの限られた資源を岸見を潰すために使うのですね >>681
それなんとなくわかる気がする
俺は芸術というかクリエイター職なんだ
世の中にないものを生み出すのは俺にしかできない事なんだーみたいな傲慢とも呼べるエネルギーがあるから徹底的に仕事にコミットはできる
でも自分の価値を高く見積もるからこそ周りの人達の価値を相対的に低く見積もってしまうような葛藤がそこにはある >>704
おお、同じような境遇だ
僕はミュージシャンでやってるんですが、やはりミュージシャン同士で競合的に感じてしまうんですよね。
「あいつより俺の方が良い演奏出来るはずなのにどうしてあいつの方が仕事が来るんだ」
とか否定的な考えが生まれてしまう いいものを作りたいなら、他人と比べてる暇を練習にぶち込めよ
それができない時点でもう二流確定 芸術やアーティスト系、マーケット系こそ他と自分を競合させるのが無意味な職業は無いと思う
逆に競合させるから負けるんじゃない?
自分にしかできないものを作れば良い カントは、「天才はオリジナリティ、二流はイミテーション」と言ったけど
ベルクソンは、他人を見たとき「私もああなりたい。せめて真似したい」
と思うのが道徳の根本感情だ。と言った >>699
言い方は荒いが主張は伝わった
自分も改めて考えるきっかけになった
課題を分離してそれぞれができることを見極めて共同体を作る
これは大前提のグラウンドルールで課題を解決するには具体的な場所、期間、方法、役割、資源を話し合うのが大事
課題を分離しただけじゃ共同体は改善されない
共同体を作り運営していくうちに課題が次々現れる
そしてまた課題の分離、話し合い、共同体の再編成を繰り返す
アドラー学会が認知行動療法に関連付けた論文を出してるのもそういった流れだと解釈できる
http://adler.cside.ne.jp/library/index.html#063
http://adler.cside.ne.jp/database/063/063_02_nakajima.pdf
http://adler.cside.ne.jp/database/010/010_03_ito.pdf
教育は介入ともお仕着せともとれてあまり好きじゃない
協同的経験主義が固いけどいい表現だと思った 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V つい自分は仕事を失敗すると出来るのが当たり前と考えがちですが
それは自分を非難してるのではなく成そうとしていることを恐ろしく低く見積もっているあまりにも不遜で傲慢な態度
という見方も出来るんですね
言われたことも言われた通りに出来なければ、誰かから指摘されたら…そうならないように正しく仕事しなければ…それもてきぱきと
出来るのが当たり前全ては自分次第で変えられる
どうしたってこの考えは消せないですね これからどうするか
自分にとってはこれ程怖い言葉もない >>713
たぶん仕事の事を言ってるんだろうけど会社辞めて独立しなよ
どんどん時代的に会社員のメリット減って生きにくくなってるよ
あなたが特別悪いわけじゃない >>716
というか周りの出来てる人たちが普通で
自分が出来てないのが悪い、教えてもらったりすることに形の上では有難うございますと言えます(言うのも礼儀ですし)が
焦ってしまうのも良くないんですよね…
独立なんてとても >>715
それなら少し心理的な圧迫感はないですね
以前別の本で(アドラーでないですが)出来ることではダメ、出来そうなことをやらないと変わっていかない、と
そういうことにトライ「したくない」というとこに本質的には変わりたくない自分が居るんだなと思ってます
あと「怖い」と思っていることは絶対に見抜かれてはならないとも >>713
そうやってグダグダ考える事自体お前がクズな証拠 >>713
そうやってグダグダ考える事自体お前がクズな証拠 ミスした言い訳グダグダ考える事自体ゴミ人間
はよ死ね >>718
俺が会社の後輩を育ててて思うのは、みんなと同じ様にするのが苦手なタイプが認められようと頑張ると深みにハマりやすい
それをどう動くと自分をうまく役立たせられるか探す様に意識を転換させてやれるかどうかを意識して後輩に接する様にしてる >>713
瞑想を習慣にしな
思考に支配されすぎてるよ 今日仕事終わりにわりと大きなブックファーストに行ったけど、アドラー実践講義、人はなぜ神経症になるのか、両方置いてなかった。明日は八重洲ブックセンターに行こうかな。それでなかったらネットで買う。 それと、俺の共同体感覚について、改めて語りたい。
俺は比較的運の悪い育ちだ。辛いことが沢山あったが、何より理解者が居なかった。
誰も助けてくれなかったし、それどころか軽んじられた。
そんな中で、思ったのは人類の歴史には悲劇としか言いようのない人生を送った人が沢山いる。
そして、現代社会にも悲劇はいっぱいある。
俺は、自分が多少なりとも自分でどうしようもない悲劇を抱えてしまったのであれば、より苦しむ人たちに寄り添い救いたいと思った。
俺は、原爆の手記や写真など、沢山見る。それは、俺よりもはるかに困難な悲劇を押し付けられ、その中で棄民となった人たちへの弔いだ。
そして、俺はそうした悲劇を憎んだ。あらゆる種の、人間の尊厳を叩きのめす悲劇を憎んだ。
そうした思いをこれから生まれてくる子供たちにさせたくない。だから、自分は出来るだけのことをしたいと思った。
これが俺の共同体感覚だ。 >>725
素敵な話だと思った
きっとこれからその大きな使命を果たす為にこの先の道を歩んでいくんじゃないかと思うよ
「岸見潰し」みたいな軽い感情に支配されている場合ではないね >>725
共同体感覚の共の字は、共感の共。
相手を分かろうとすることは全てのスタート地点であり、得難い資質でもある。
笹やん、一緒に学ぶ?
クールな君ならアドラーは合ってるのかもしれないと思うんだけどね。 信じられないかもしれないが、僕は、笹やんのことが、きみたちのことが、好きだ。 >>725
ああ、俺は岸見に嫉妬した何故なら彼は発信力と知名度と、そして恐らく自由に研究できるだけの財力を既に手に入れているからだ。 >>726
俺は常に君たちと、そして全てから学んでいる。
問題は俺が苦しくて発狂してしまいそうになることだ。
この怒りから解放されて、俺の仕事に邁進したい。 一つのケースとして児童虐待を挙げる。
なぜこれかというと、カラマーゾフの兄弟の次男イワンがそれについて触れ、虐待の数々に血塗られた人類の歴史にみれば、
将来キリスト教のいうところの楽園に人類が到達したとしても、過去の子供たちの絶望を犠牲として要求して達成された''楽園''で幸福な人生を謳歌することを拒否する、というエピソードに共感したからだ。
最も悪質な児童虐待は、密室で起こる。最も悪質な児童虐待とは、判明するタイミングが彼/彼女が死んだときか、彼/彼女が再起不能な肉体的/精神的な発達の遅れを背負わされたときか、もっと最悪なのは誰にも知られずに闇に葬られるものである。
これらの被害者を撲滅したいが、先ずは数をどう減らすかを考える。
俺が飛んでいければいいのだが、そうした目をかいくぐるからこそ悪質であるといえる。
一つの解は、家庭が地域から孤立しないことである。
しかし危ない匂いのする家庭に好き好んで関わろうとする正義感あふれる人間に期待し、責任を負わせるのは卑怯といったものだろう。
理想郷であれば、地域の大人たちが普段から横の連携をもって、地域で子育てをする中でそれらの虐待は解決されるが
おれがまず第一段階として現実に到達可能なのが、福祉行政を充実させることと、NPO精神を市民に普及することである。
その為に何が必要か。俺は、それは富だと思った。人間を過度な労働から解放し、余暇を与え、そして国民から福祉の充実の対価としての重税に対する理解を求める。
その為に、富をまずこの国に蓄積したい。それで俺はサラリーマンをしながら、経済における富の最大化をどう果たすかを研究している。 >>690
横からですが、どこでそこまで学ばれたのですか?
深く理解なさってるご様子ですし、内容も分かりやすいし筋道が立っていて納得感があります。
なんだか諸先生方と同様の深さを感じます。
表現方法が近い、良い書籍があるのでしょうか? 俺は、富が人間の福祉を目掛けて蓄積することを理想としている。
限られたパイを奪ったから富を得るのではなく、人類社会への貢献の質に対して富が対価として配分されることを
つまり、資本主義、競争主義、市場経済、自由主義の形を残しながらも、ただ競争すべき点はただ一点、人類社会の豊かさへの多様な貢献である社会を。 >>731
アドラーも過去に社会運動に身を投じたって話がある
アドラーの場合はそれよりも一人一人に共同体感覚を根付かせる草の根的な活動に活路を見出した 万人の万人に対する貢献の質を巡る闘争、これが俺の目指す形だ。 そしてそこには蓄積し過ぎた富による堕落による不景気や、その逆の景気の過熱による人口爆発など、
新たな問題が浮上するだろう。それをクリアするには、また新たな苦しみが生まれるかもしれない。
しかし、俺は俺は人類のネクストステップはここだと思っている。 >>736
それはつまり資本主義国家と社会主義国家の問題点を
同時に解決しようということと同義なんじゃないかな
そして全ての現代人もそれを模索する社会の流れの一部なんじゃないかと思うよ 全ての論理が本質的に矛盾を抱えるためにアドラー心理学も「分離」と「共同」が二項対立となる。
家族、友人、恋人、同僚のような身近な関係性で矛盾は見えてきやすい。
現在進行形のトラブルに対して一方的に「分離」を行なうと、「放棄」「無責任」とみなされる。
又一方的に「共同体」を定義すれば「自分勝手」「押し付けがましい」と受け取られる。
その時に「この人は課題の分離と共同体感覚を知らないのだ」とつい思ってしまう。
まさに「正しい私」「間違ったあの人」になる。
すでに通り過ぎた出来事やうんざりするほど繰り返された答えにも、新たに取り組む気持ちが必要になる。
だからこそアドラー自身もグラスルーツを旨としたのだと改めて思った。 >>732
誉め殺しですねw
良い教材、学会のテキストかな、混ぜ物が少ないピュアモルトで実践的だと思います。
私の理解が体系的らしいものに見えるとしたら、デジタルノートを使って「樹」を作るという習慣のせいかもしれませんね。
例えば、アドラー的に個人の内面を考えるとき、
「基本前提」の幹を想定しますね、その幹は「社会統合論」「全体論」「目的論」という枝を持ちます。
「基本前提の幹」はその先で、「競合」や「協力」の枝も生んでいます。
つまり、社会所属という大目的のもと、人は競合や協力という小目的を選び取ってライフスタイル化し、今度は小目的に沿って、怒りや感謝といった感情、生理機能を使い分けるわけですよね。
さらに樹の戯画で言えば葉として、各種技法があります。
次に社会の内実を考えるとき、
「社会」という幹は、アドラー的には「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」の枝になって、
その影響下、他人のことは他人ごと感が強くなれば縦の関係、
他人のことも我々ごと感が強くなれば横の関係が生まれ易くなりますね。
(ただし、ここで言う我々ごと感は、あくまでアドラー的土台を持った意味ですから、競合が高いままで我々ってなると「この非国民め!」社会になるわけですが)
社会→個人集団とスケールは小さくなりつつ連動します。
個人はそんな社会や人間関係に反発したり恭順したりして所属を求め、集団的雰囲気にも影響される。
つまり個人の中に樹があり、それを包む社会の構造も樹です。
ものごとを概要と細部、幹と枝葉に整理して行くと全て連動して見えるんですね。
それを改定し続けているわけです。
なんて偉そうに書きましたが、結局、私などというのは嫌われる勇気を読んで、ここでした最初の書き込みが「実践してるつもりなんですけど、よく分からなくて。自分のやりかた合ってますか」みたいなモンです。
そこで「大丈夫、合ってるよ」と先輩方に声を貰って、安心してお礼を言って、徹底的にノートを作り込んでは、お礼を言ったはずの先輩と競合的な議論になったりして(笑)、
またテキストに齧り付いて、実生活で使ってみる。これを繰り返しました。
私がどこで学んだかと言えば、何よりスレの皆を差し置いて言うことは出来ませんよ。
などと、綺麗にまとめてみる。 個人の問題を社会とか抽象的な問題にすり替える長文カス >>741
個人の中には矛盾、葛藤、分離、対立は存在しないとする代わりに社会との関わり方を見るのがアドラー心理学だけどな
もっとも社会構造をいじろうとするとアドラー心理学ではなくなってしまうけど アドラーの思想をベースに認知行動療法を活用するのは十分意味があると思うよ まとめると
競合的思想(自己執着)に向けて生きる=生き辛さに繋がる
協力的思想(共同体感覚)に向けて生きる=生きやすさに繋がる
競合的思想+認知行動療法=対症療法的な無限ループ
協力的思想+認知行動療法=相乗効果で生きやすさが加速しそう >>743
そのリンク先のABC分析を作ったアルバートエリスはアドレリアンなんだが
ってツッコミが欲しいの? アドラーに縋っているのは学生時代認知行動療法を教えていない時代遅れの文学部心理学を卒業したガラパコス心理学徒だろ
何故日本で認知行動療法が教えられなかったのか判らないだろ?
日本人にあわないとかバカな事言ってるから日本のカウンセリングは100年遅れているからアドラーユングしか学んでいないガラパコス心理学徒だらけ まあスレチでもないんだけどな認知行動療法は
ベックとエリスがアドラーの影響が色濃い分基本前提と骨組みがほぼ一緒だから統合しやすい
ただ実際治療内容はあんまり変わらないから共同体感覚思想に共感できるならアドラーだけでいいんじゃね?ってなる
個人的には共同体感覚とブリーフセラピーが相性がいいと思う >>749
1.アドラーを否定し認知行動療法を布教するのはスレチ
2.認知行動療法創始者はアドレリアン
3.アドレリアンは認知行動療法を否定しているわけではない
続けるならば、この三つを踏まえた上での会話に発展したいのですが 共同体思想とか言ってるから問題解決しない
個人、共同体と分ける奴はバカ >>750
俺もブリーフセラピーや家族療法を併用するの好き
アドレリアンにとって認知行動療法はアドラー心理学の内の理論を
具体化したものにしか見えないから
内側を肯定し外側を否定する論理が理解し難い
アドラー心理学を否定するなら競合的感覚とかゲゼルシャフトを肯定する論理が必要なんじゃないかな 思想云々はいくらでも解釈できるし、言葉を変えればあらゆる物はあらゆる説明が可能
ABC分析で確認出来る事象に焦点を当てそれを改善する事で問題を解決すべき
暑さで苦しんでいる人に暑く思うなと言っても苦しみは変わらない >>754
その仰る内容ってアドラー心理学で言われる内容を肯定する形になっております。 >>752
共同体思想ではなく共同体感覚思想ね
そもそもの前提としてアドラー心理学は社会統合論だから個人と共同体を分けては考えない
臨床における共同体感覚の思想の位置付けとしては、「協力的である事」や「社会と調和する事」といった方向性を与えることを治療の方針として認めるかどうか 結局アドラーの研究をやった奴はパラダイムがアドラー第一になっているから認知行動療法の理論はマイナーな物としか認知出来ない
認知の歪みだな
アドラー第一の思想=自己愛の成就だから認知行動療法の理論は受け入れ難いのだろう 「協力的である事」や「社会と調和する事」といった方向性
こんなの人によるし、独立志向を容認しない危険な発想
独立開業する方がうまくいく人もいるし、組織に媚びた奴隷を正当化するための謀略でしかない >>725
くだんねえ
他人と比較した「不運」とやらに噛み付いて騒いでるだけじゃん
頭悪いよなあ >>758
独立開業してうまくいくってそれ、社会と調和してますよね… 競合的思想=自己執着=閉ざされた金庫
協力的思想=共同体感覚=開かれた棚
みたいにイメージすると分かりやすいかも?
どちらの場合がABC分析で棚卸しし易いかって話で俺たちは後者を選ぶってだけだと思うよ。
もちろん何を選ぶのかは本人次第で自由だと思う 批判する方もちゃんとアドラーを理解してないと議論にならないのでは? >>759
笹やんは理解の途上だし応援してくれると助かるな アドラーって言うと、ふつう大体の人が嫌われる勇気を読んだりドラマを観たりしただけなので、話が噛み合わないところありますよね。
一般のイメージってこんなじゃないでしょうか。
〜アドラー派のカウンセリング1〜
クライアント「苦しいんです」
カウンセラー「それはあなたの望んだことなのです!(ドーン」
むしろこう思うのが普通なのでは。
実際こうですけど。
〜アドラー派のカウンセリング2〜
クライアント「苦しいんです」
カウンセラー「お話を聞かせて下さい」
(社会と個人の軋轢が、体調異変/神経症/精神障害/精神病にどれだけ関与しているか、また生理機能に病変が起きていて投薬が必要かどうか判定する)
カウンセラー「こうしてみませんか?」
(提案内容は相手によって変わる)
これがスタンダードだと思われます。
正対技法(ドーン形式)もクライアントによっては使われないことはないんでしょうが(青年みたいなタフガイならいいのかも知れないw)、既に古いようですね。
本職の話を聞くと質問の重ねと、目標一致がメインとのこと。
エピソード分析が整備されて、手順が汎用的に定式化された影響は多分にあるでしょう。 そもそも日本の心理学科には30年程前は認知行動療法を教えられる教授はほとんど存在していなかった
ユングアドラーの流れしかなかった
河井隼雄がユングを推したのは心理学会に認知行動療法という科学的なエビデンスがある有効な心理療法を広めたくなかった団体の力が働いていたのだろう
欧米ではとっくにユングアドラーは時代遅れになっており、今アドラーしか見ないのは蒸気機関車の研究をするようなもの
まあ認知行動療法の理論が存在しなかった大学で学んだ者はそれが理解出来ない >>757
誰と戦ってるんだ?
認知行動療法の理論を受け入れ難いとしているレスは一つもないぞ?
あなたが勝手にアドラー心理学と認知行動療法の対立構造を作って暴れているようにしか見えないが >>765
誰もアドラーしか見てないってわけじゃないから認知行動療法をほぼ含んだ形に発展してるんだろうな >>760
調和とは言えねえよ
独立開業した事で組織体の企業の利益は独立開業者に奪われるだろ
調和調和って社会主義のデマゴーグかよ >>759
くだんなくなんてないでしょ
不運をスパッと切り捨てて未来だけ見る心理学ではないよアドラーは
もう少しいろんな本読んでみたら?
自分の経験に対する意味付けを変えて自分の役割を調和の方向へ捉え直しているわけだ
荒削りだけどまさに使用の心理学って感じがする >>769
社会貢献しそれを受け入れられないと独立開業は立ちいかない
他の組織と競合的だと生き残りが難しいがポジションをずらしていれば相互発展が可能になる
独立開業がうまくいくっていうのは社会とうまく調和してると思う 認知行動療法だけしかしない人はこうして無駄なことにエネルギーを使って自らの人生の課題を阻害してるんだな〜と思って見てる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています