一つのケースとして児童虐待を挙げる。
なぜこれかというと、カラマーゾフの兄弟の次男イワンがそれについて触れ、虐待の数々に血塗られた人類の歴史にみれば、
将来キリスト教のいうところの楽園に人類が到達したとしても、過去の子供たちの絶望を犠牲として要求して達成された''楽園''で幸福な人生を謳歌することを拒否する、というエピソードに共感したからだ。

最も悪質な児童虐待は、密室で起こる。最も悪質な児童虐待とは、判明するタイミングが彼/彼女が死んだときか、彼/彼女が再起不能な肉体的/精神的な発達の遅れを背負わされたときか、もっと最悪なのは誰にも知られずに闇に葬られるものである。
これらの被害者を撲滅したいが、先ずは数をどう減らすかを考える。

俺が飛んでいければいいのだが、そうした目をかいくぐるからこそ悪質であるといえる。

一つの解は、家庭が地域から孤立しないことである。
しかし危ない匂いのする家庭に好き好んで関わろうとする正義感あふれる人間に期待し、責任を負わせるのは卑怯といったものだろう。

理想郷であれば、地域の大人たちが普段から横の連携をもって、地域で子育てをする中でそれらの虐待は解決されるが
おれがまず第一段階として現実に到達可能なのが、福祉行政を充実させることと、NPO精神を市民に普及することである。

その為に何が必要か。俺は、それは富だと思った。人間を過度な労働から解放し、余暇を与え、そして国民から福祉の充実の対価としての重税に対する理解を求める。
その為に、富をまずこの国に蓄積したい。それで俺はサラリーマンをしながら、経済における富の最大化をどう果たすかを研究している。