>>120
課題の分離に関してはいろんな意見があると思いますが、アドラー心理学に限らず、カウンセリングのマナーのようなものだと個人的には認識しています
人はそれぞれ別々のライフスタイルを持っているにも関わらず、カウンセラーとクライアントが協力的であろうとするならば、言葉を交わして、治療共同体における共通の存在目的を導き出す必要があるわけです
目標が一致しない場合、無理に治療をすすめるとカウンセラー個人の価値観をクライアントに押し付けてしまうことになる
だから一度、課題を分離して、今のままだとどんな結末になるのか想像してみようか、あるいは体験してみようか、という方向性を作るのです
つまり、課題の分離は、協力関係のための手順のひとつなのです


じゃあ、なぜ日本では課題の分離なのか?

日本語の文法上、日本人は理想を言いあらわそうとするときに、「世界はこうあるべきだ」「私はこうすべきだ」のどちらでも理想として語れるわけです
ビジョンとミッションを特別に区別しないのです

でも、英語だとビジョンを語るのは不自然になる
英語で理想を語ろうとすると「I should be〜」が自然なので、「私は〜すべきである」というミッションによって理想を表現する方が楽なのです

ライフスタイルとは「自己概念、世界像、自己理想」で表現するのですが、
簡単に言うと「私はこういう存在であり(自己概念)、世の中はこんなところだ(世界像)。だからこそ、私はこうすべきである(自己理想)。」という関係にあります
ミッションとして理想を表現するわけですね
だから、自然と課題は分離されているので殊更「課題の分離」という必要がないのです

でも日本人は日本語の文法構造上、理想を言う時に、ミッションとビジョンが混同されがちなので
相手が抱えている、自分のコントロール外にある問題を、自分の責任でなんとかしようと捉えてしまう傾向にあるのです

だから、課題の分離をしておかないとライフスタイルの変容がうまくいかないのです